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作者 : ↑ Φ(nsw495kpr8) 瞬くmeat softer
を元に弧理論(Ark Theory)を展開。各資料は、”自然が2つの心があるために映写される映像”であることを示している。
岡潔の言った第1の心(数学を含む言葉)は、循環かつネットワークであり、外のない内である。これが第1の心の限界であると同時に科学の限界でもある。限界(循環)を回避するには自然が別の次元軸からの投影による映像だという仕組みを探るしかない。
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現在の科学は17世紀の科学革命に端を発していますが、科学が進む過程で、いくつかの間違いを内部に抱え込んでいます。アリはたどって来た幹を見ることができません。しかし人間は歴史を振り返ることで間違いがどこから入り込んだかを見ることができます。
ニュートンの万有引力は、宇宙と地上の引力を同じとしましたが間違いでした。宇宙には斥力があって、当時の天文家は惑星がなぜぶつからないかを考えていました。また引力はモノに備わる性質と考えましたが、それを証明したといわれているキャベンディッシュの実験は反磁性体による力を重力と間違えていました。ファラデーの実験をマクスウェルが数式化するとき、力線の処理を誤り、電気力線が途中で中和するとしてしまいました。
これらの道具的理性に繰り込まれた間違いが、相対性理論、量子力学、素粒子科学の根本に組み込まれています。私たちは、17世紀に戻って、やり直すのではなく、組み込まれた間違いを、慎重に取り除くことで、科学の進む方向を修正できると思います。
現在わかっている確実なことは、陽子、電子、ファラデーの法則です。空間を最初から考慮することはまだできません。近接作用、遠隔作用がわからないからです。
幾つかは同意です。トーマス・ビーデン博士からエネルギー先端研究局(ARPA-E)長官宛の書簡にあるとおり、電磁気学は成立の過程で歪められているようです。ttp://blog.livedoor.jp/genkimaru1/archives/1820905.html いつも引用しているある科学者は、(文明という樹の)枝の分岐点まで戻るよう促しています。何をどのように見直すかが問題です。これまでに、何がどう間違っているかの概略はわかっています。どの方向に行けばよいかも大凡わかっています。トム・ベアデンは何がどう歪められたかを具体的には指摘していませんが、実験の経験から単極誘導の現象を矮小化、あるいは意図して消し去ろうとしたように思います。
>現在わかっている確実なことは、陽子、電子、ファラデーの法則
概ね同意です。空間は映像であり、投影元は2箇所のようです。どうも遠隔作用であるようです。単極誘導モーターの実験から、電磁力を媒介しているのが光子というのでは単極誘導モーターに生じる力の説明が難しいです。ttp://www7b.biglobe.ne.jp/~kochan/workshop/labortry/principl.htm にある式V=-∫∂B/∂t・dS+∫(ν×B)・dLの右辺の2項目が怪しいです。簡単に云えば、電磁誘導と単極誘導とは似ているけど(経験からして)別の現象のように感じます。この感想は、私の2013年から2015年頃までの実験によります。
地表の重力がEMドライブと同じ電磁質量である説明を試みました。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=389&more=1&c=1&tb=1&pb=1
電磁質量が高度を増すにつれ電気引力に代わり、宇宙空間に引き継がれていく、じつに精妙な仕組みです。質量が重力を生む、なんていう単純な仕組みではありません。
ありがとうございます。抽象的でなく受け入れやすい考えですね。私の考えと異なります。現象を現象で説明しようとする試みは、いずれ進めなくなると考えます。その意味で当サイトは唯物主義ではありません。
いろいろ調べていくと別の次元軸を考えざるを得なくなります。見るからに自然は複雑です。複雑すぎる現象を分類という手法で進めるには限界があります。専門家は我々に「君たちの頭では、この高度で抽象的な私の理論はわかるまい」と考えているように思えます。そこに権威と地位があります。
>質量が重力を生む
同意です。これまでの考察により重力は物質が持つ「真のエネルギー値(※この言葉には注意が必要です。)」によることがわかっています。真のエネルギー値は物質の回転により決まるようです。重力は電磁気的な作用(回転運動)の一種らしいです。でも古典電磁気とも量子電磁気とも異なります。
太陽系らせんの動画は数年前に見たけど、間違いでしょう。綺麗な映像だけど。
星系の階層構造を無くして考えるのは、重力など無いと言っているようなもの。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密に計算されていました。火星探査機も基本は同じ。
ここにほぼ書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
地球のスイングバイをじっさいに計算した研究者とメールでやり取りしたことがありますが、斥力としか思えない力があったそうです。
重力の斥力項や3乗反比例などは何かの資料にあったような。
ただ、引力だけ・斥力だけでは星系は成立しないので、
仕組みを理解させることなく、計算は可能な数式モデルは厄介に感じます。
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太陽系らせんの動画は数年前に見たけど、間違いでしょう。映像は綺麗。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密に計算されていました。火星探査機も基本は同じ。
ここにほぼ書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
コメントが書き込めなくなっていたので、改めて、書いています。
>>電子は遠心力で地殻付近まで来て
>というのは理解できません。電流路は閉じてなけ
どうぞ、こちらをお読みください。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=340&more=1&c=1&tb=1&pb=1
地球内部には重力は及んでおらず、空洞です。遠心力が膨張する岩石を地表に運んでいます。電子も遠心力で外側に運ばれます。
ファラデーモーターですが、反動とする部分は不要です。環太平洋火山帯のマグマには、かなりの力が働いているため、弓状に曲がったりしている部分が多数あります。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=359&more=1&c=1&tb=1&pb=1
興味深い資料ありがとうございます。重力は電磁気現象と関係があると考える人は多いようです。私も同感ですが、まだよく分かりません。ヒントはあります。
>地球内部には重力は及んでおら
云われるようなこともあるかも知れません。ただ、重力について、私の考えと異なります。ttps://www.youtube.com/watch?v=UTV1oqJ2Ro8 例えば、動画のようなものと考えます。物質的自然を水面に置き換えると重力は表面張力が原因で生じると考えてよさそうです。物質的自然に直交する次元軸を考えれば、動画のような引力斥力の説明がつきます。
>電子も遠心力で外側
そのような事が起きうるのでしょうか。よくわかりません。
>反動とする部分は不要です。
いいえ、実験によれば、反作用は必ず電極が受けています。地球がファラデーモーターであるならば、電極に相当する部分があり、そこが反作用を受けているはずです。反作用が無い運動はフリーエネルギー装置です。そのような仕組みを求めてはいますが、私は地球にその仕組みを見いだしていません。ただ、貴方と同じ「地球がファラデーモーター」だろうと考えます。
2つめのブログにある「地球の自転は過去の衝突によって起きた回転の慣性によるといわれている。しかし、大気、海水、潮汐力の抵抗などからみても、慣性だけでは説明できない。」は、全同意です。しかもジェット気流は自転の方向と同じです。皆なぜ不思議に思わないのでしょうか。
重力については、宇宙空間と地表とではちがうメカニズムと考えています。惑星に働く重力は電気引力・斥力です。地表では、地殻に大量の電子があるため、電離層との間に30万ボルトの電位差が生じています。いっぽうで大気は弱いプラスに帯電しています。また地表の物質は弱く電子分極しています。これらと、電位差との間に生じる電気引力が地表の重力だと考えています。斥力がないのは、大気のプラスのせいです。
地球がファラデーモーターの件ですが、太陽の自転を見れば、ローレンツ力で回転している力が赤道部から極にかけて、自転速度の差として現れています。太陽の自転でも、反動を受け止めている部分はありません。強いて言えば、太陽を貫く電流が反動を受け止めています。
地球の場合も、太陽の自転と同じローレンツ力で公転しており、螺旋を描いて、太陽とともに秒速200kmで突進しています。地球の自転も、公転に伴う螺旋運動の一部です。太陽系を貫いている電流によるローレンツ力が自転の元のエネルギーです。反動を受け止めているのは、磁場を介して、太陽と同じ電流だといえます。
ttps://youtu.be/0jHsq36_NTU
とりあえず、最後の動画は間違い。映像は綺麗だけど。階層構造を混ぜて考えている。
ボイジャーのスイングバイ航法は綿密な計算の基に成り立った。
だいたいここに書いてある。ttps://anond.hatelabo.jp/20140830230307
重力が電磁気に関係するだろうことは同意です。でも同じだとは思えません。到達距離は似ていますが現れ方など諸々の性質が違います。似ても別物です。
>太陽を貫く電流が反動を受け止めて
マクスウェル方程式から力学的な様子が読み取れませんでした。そこで、作用反作用をどこがどのように受けているかを幾つかの実験で確かめました。地球がファラデーモーターというならば、実験と同じでなければなりません。異なる点があるなら、それはどこでどういう理由かを示すべきです。違うならば、それはファラデーモーターではありません。
>反動を受け止めているのは、磁場を介して、太陽と同じ電流だといえます。
理解できません。
ニュートンが観た「樹からリンゴが落ちる」のと、惑星探査機「はやぶさ」が帰還できたのは同じ法則だからです。単極誘導の現象もより普遍的な現象の一局面だというなら理解できるかも知れません。その際は異なる点と理由を示さねばなりません。
私は井出治氏のトランスのコイル内において発散トーラスがなぜ正方向の電子の流れを作るのか?5年ほども考えています。発散トーラスが示す力学的性質がわからないからです。仮説は仮説に過ぎません。実験で確かめねば意味はありません。因みに発散トーラスの形状は単極誘導の形状にとても似ています。別の言い方をするとモノポールと云ってよいでしょう。ttps://sketchfab.com/models/3abcf66812cd4b7790ad84cde832026d
EMドライブをご存知だと思いますが、密閉した金属チャンバーの中にマイクロ波を照射すると、口径の大きな面に対して推力が働くというものです。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=369&more=1&c=1&tb=1&pb=1
EMドライブはさまざまな原理が予想されていますが、私の予想では電磁質量が関係していると思います。ニュートン力学では、質量は物に最初からある性質ですが、これは違うかもしれません。
ttp://zao.jp/index.php?blog=12&p=354&more=1&c=1&tb=1&pb=1
質量が電磁気による現象だとすると、作用反作用がなくても、物質は動きます。銀河の回転、太陽系の運動を見ていると、質量は電磁気によるものだと感じています。
幾つかEMドライブの動画を観て、ttps://www.arktheory.com/wp-ark/?p=4160 の記事を書きました。結論は「わかりません」です。現時点での可能性は2つです。1.作用反作用が無い現象があるかも。2.作用反作用は成り立つが同時に余分な次元軸からエネルギーの流入が見込めるシステムができるかも。(この発想は開放系の理論を意味します。その結果の一つがEMドライブと考える)
EMドライブが本当だとしても直ぐに普遍的なものに拡張して考えることはできません。誰もが認めざるを得ない本質的な事柄を得て「その一局面としてEMドライブが認識される」と説明するならば理解が得られると思います。
ja7tdoさんは、多くの現象を電磁気現象で理解しようとされているように見受けられますが、本質から逸れているように感じます。電磁気現象とは何かという説明が必要です。
面白いですね。
四十八音図表は言語よりも図形として見える。
もの凄くシステマチックです。とてもこの発想は一朝一夕には出てこないと思います。日本語は何でも略して云います。ポケモンなどなど、外来語でもなんでも飲み込んでしまいます。この日本語の節操のなさは、言語の成り立ちから来ているように感じます。
英国のTVでトップ・ギアというのがあります。その番組で自動車用語を紹介していましたけれど、アルファベット3文字の用語を並べてましたが、よく知っているもの以外は意味不明です。
ttp://www.g-kawada.com/library/yougo/alpha.html
FR,FF,ETC、CDI、CVCCなどなど。PCの拡張子も3文字で、すぐに一杯になって混乱しました。
その点、日本語だと五七調に略しても通じやすいです。そういう特性を辿って行くと、ヲシテ文献に辿り着くのではないかと思います。
池田氏他の研究者は、資料を読み込んで読み込んで気付かれたものだと思います。
化学と数学ですよね。
「たす」の逆向きが「ひく」でないのが、左側の絵を見ると納得する。
サピア=ウォーフの仮説は当たっているんでしょうね。
日常話している日本語がどのくらい通じているか不安になってきたwww
>サピア=ウォーフの仮説
知りませんでした。自身の持つ言語の持つ特性の内に思考している以上、別から見ると制限はあるように思います。アマゾンの少数民族ピダハンの言語には時制がないといいます。だからといって我々から見て彼らが時の中に住まない訳ではありません。
だから我々自身が時間とお金に縛られているのは言語が持つ特性故に仕方ないのかも知れません。日本語はとても(概念や観念を)包含する範囲が広いと感じています。逆に云えば私の嫌いな「言葉遊び」が過ぎるともいえます。節操がないともいえます。
思うに、語り部が伝説などを話す時、再生されて今になるからなのかな、と。「むかしむかし、あるところ」は聴いている人には”今ここ”になる。民俗学つながりで、壺=うつぼ舟でしょう。SFや伝記ものによく出てきます。
>壺=うつぼ舟
そういえば、うつろ舟の記事を書いたことがありますね。ttp://www.yaji-kita.com/ufo-1.html
あれは実際に起きたことだと思います。
いつも参考になる記事をありがとうございます。
地球の場合は、環太平洋火山帯のマグマをコアとしたファラデーモーターだと思いますが、水星の自転は静電モーターではないでしょうか? 回転方向は同じです。
ちなみに金星のスーパーローテーションも大気の+による静電モーターだと考えています。
ありがとうございます。
>静電モーター
ありかも知れませんけれども、私が考えるのはもっと根本的なことに由来するだろうということです。電磁気学は明らかに電子の挙動のみにかかる学問です。陽子が持つプラス電荷と電子の電荷との関係や中性子がなぜ電荷を持たないかなどの部分がはっきりしません。クオークが持つという分数の電荷など意味がわかりません。岡潔が云うように、最後は人の五感でわかるものでなければなりません。静電モーターもその一つですが、どうでしょう。量子力学・素粒子物理学は明らかに岡潔の言葉に合致しません。物理学は、人の感覚から抽象化した数学モデルへと乖離したままです。100年余りに渡って、逸れてしまったです。陽子の電荷と電子の電荷との関係について理解を深める方が先ではないかと考えます。
金星の超回転を最近知りました。私としては金星内部に多層で単極モーターがあるのではとも考えますが、今のところわかりません。いずれにしても、大気の動きは自転の抵抗でしかないのならば、積極的に自転を促す機構を考えるべきだと思います。
研究の方向としては、抽象化ではなくて、人の頭の中で容易に想像できる仕組みであるべきだと考えます。
静電モーターも単極モーターもその電源が何かということが重要です。エネルギーなるものの根本がわからねば先へ進めないと感じます。力などどこにも存在しないのに、全てが静止できない現実を理解しようということです。
電源は2つあります。太陽風による電流とマントルの相転移による電子の供給です。後者はいわば電池です。ですから寿命があります。
>太陽風
これはそうだと思います。では太陽のエネルギー源はというと、核融合という話しに納得していません。弧理論の考え方では、E軸上の実体からだと思われます。大規模(アワ:泡)構造がそれです。渦を作るものは皆E軸と関係してきます。自然科学ではわからないことはブラックボックスとして扱います。分けることにより分かると思い込んでいるからです。その姿勢だと究極、何が何だかわからなくなると考えています。別の次元軸を考えるのには、それなりに根拠やメリットがあります。
>マントルの相転移 寿命
調べてもよくわかりません。ただ、何かが接するところに事象が起きることは実験の経験から感じます。電触なんかが良い例です。そういえば、いつも引用するある科学者が「熱電対の効率はかなり良い」と述べています。案外、熱電対を利用したエネルギー源は利用価値があるのかも知れません。マントルの相転移も関係してるかも知れません。
ja7tdoさんの考え方は独特ですね。面白いです。
太陽のエネルギーは、ハンネス・アルヴェーンが主張するように星間物質の電流だと思います。
地球のマントルは、SiO4ですが、これが相転移してSiO2になるとき、大量の電子を放出します。電子は遠心力で地殻付近まで来て、たまります。これが環太平洋火山帯のマグマの帯に流れると、ファラデーモーターとなって回転するわけです。
電池というのはマントルのカンラン石です。
>ハンネス・アルヴェーン
wikiによるとユニークな学者ですね。
話しは逸れます。太陽も含めて「根源的なエネルギー源は何か」と考え続けています。紡錘図形の解析からはM軸内に「力の源」は無くて、やはりE軸上に原因があると考えざるを得ません。人10^(0)mから見て極小10^(-20)mの世界も、極大の世界10^(20)mも「動かざるを得ない」仕組みがE軸上にあると考えます。「動かざるを得ない」=【M軸は曲がっている】と考えています。イコール空間にはある種の緊張があると考えます。水平線の遠くに浮かぶヨットの帆先が見えるのは地球が丸いからです。平面を空間に拡張した考えです。
>相転移してSiO2になるとき、大量の電子を放出
ネット上に「岩石の破壊誘起電磁気現象発生機構の解明」というのがあります。ただ、
>電子は遠心力で地殻付近まで来て
というのは理解できません。電流路は閉じてなければなりません。また、空間にはモーターの反作用を受ける固定点がありませんから、ファラデーモーターも私が作った同軸二重反転型である必要があります。内核、外核、マントルが内部で二重反転あるいは三重反転していれば、内核・外核の反作用で地殻は自ら回転することができます。
>地上に降り注ぐ赤外線は上空で生じる
電子レンジです。太陽が発振して、惑星が共振する。
>sme.pdf
雲が同じ高さになるのは惑星の粗密波の影響でしょう。太陽光線は様々な周波数が混在した縦横複合波ではないだろうか。原子間距離が保たれるのも、粗密波の共鳴で成立すると考えます。
太陽を光源として惑星は鏡、惑星を光源としてその表面の原子や生物は鏡。それぞれが鏡・レンズ・プリズムになる。太陽が全てを照らし、互いが互いを照らす万華鏡構造。仏教みたい。曼荼羅が時空構造の表現という説はこれだと感じます。
>電子レンジです。
なるほど。太陽から「何を媒介にして」地球付近まで来ているのかわかりません。
>縦横複合波
縦波があるのかどうかわかりません。
>原子間距離が保たれるのも、粗密波の共鳴で成立する
それはわかります。近頃、「物質的自然はすべて映像だ」というのは納得してますが、岡潔が云った「自然は存在ではない」に結構惹かれます。
>鏡・レンズ・プリズム
それはG・アダムスキーがブラウン管に例えたのに似ていますね。
>曼荼羅が時空構造
ただ、自身、既に時間など存在しないと納得してます。数学を使うにしても時間を用いていてはダメだと考えます。
>何を媒介にして
そういえばエーテルの提案と否定の経緯を知らないです。
>ブラウン管に例えた
影響は受けているでしょう。大きなものが小さなものを産み出すからです。
>時間など存在しない
E-M変換に時間は関係していない。
夜空を見上げ星Aから星Bを見る時、その視線の速度は光より速い? 子供の頃に親から出された問題です。
>自然は存在ではない
これは「安定してみえるのは位置だけであって、内容は刹那に変わっているのかもしれない。」にかかってますね。
植物が緑色なのは「植物は緑色が嫌いだから」(光合成吸収しない)という話を思い出しました。
>E-M変換に時間は関係していない
時間は運動から作るのですから、すべてをE-M軸内で考えます。
>視線の速度は光より速い
未だに、2箇所における同時とは何かわかりません。相対論はインチキ臭い。
>位置だけ
弧理論の考え方の基本は、「質量と位置を持って(映像として)現れる」でした。位置と位置の隔たりを距離、位置の移動が運動、運動から時間を作る。いろいろ考えた結果、岡潔が投げかけた疑問について「運動は時間に比例して起きる」とわかりました。ただし、運動(と時間)は感覚が質量を捉えられる範囲にしか適用できません。「質量と運動は一つの実体の異なる面=映像」ですから、「全部運動状態」では質量は測定不能になります。「全部運動状態」とは「波」のことです。
>植物が緑色なのは「植物は緑色が嫌いだから」(光合成吸収しない)
なるほど面白いですね。光合成に緑(の波長)は不要だと云うこと。 貴方の云われるように光(波)に色があるわけではありません。感覚器官は波を捉えているのではなくて、波が感覚器官を構成する原子の内の電子をはじき飛ばすことにより生理的電気(運動)になります。波は遠隔で運動を引き起こします。波を量子化して光子と呼んでいますが、ムリがあります。最近は、「遠隔作用」でよいのじゃないかと思います。
全部運動状態が波だという考えには合理性があります。出発点は「一つの実体の異なる面=(多面性を持つ)映像」です。電子の全部運動状態は、電磁波だと考えます。例えば、観測者に対して宇宙船が光速で運動中だと、宇宙船の質量は観測できなくて、感覚器官ではわからない「波」であるはずです。何も障害無く光速で移動できる。まるでワープです。このワープは弧電磁気論のP62に示した図41(4)です。執筆当時からみて今もそれほど理解は深まっていませんが、概ね正しいと思います。図41(4)の解釈は足跡が示す最大のポイントです。足跡図は、宇宙の仕組みとそれを利用した惑星間航行の原理図です。
>2箇所における同時
ビリヤードで2つの玉の真ん中に打つ。
これはおそらく誰かの想念を拾っているんでしょうけれども。こんな風に考えます。
過去2(t=-2)→過去1(t=-1)→今(t=0)
“記憶+今”をこのように表すと、軌跡は3点を通る最小次数モデルで2次表現になる。軌跡が曲がっているとそこに”力が働いた”と認識する。しかし、人間の時間刻みを原子に適用していいのか。原子の端から端までの情報伝達時間が有限とすると、群としては、それらは近傍原子間で連鎖していくので、級数的・指数的表現にならないか。
質点と場の発想で二乗逆比例や三乗逆比例とあるのは、人間の時間刻みによる平均化を意味してはいないか。質点と力(矢印)の考え方は、隣り合う質点同士の関係を完全に無視している。
要素間で相互作用しない媒質、というのはおかしな定義です。
また、”力が働いた”を”外から”と考えるのもどうなのか。宇宙の外は無いからです。
>2つの玉の真ん中に打つ
なるほど、この場合時間は関係ない。
>”力が働いた”と認識
寺田寅彦の云うように、力は便宜だと考えると納得します。曰く紡錘図形(のM軸上)に「力の起源」は読み取れません。E軸上の複数の実体同士にある性質の「違い」によって、投影された映像である物質間に運動P_が生じます。そうとしか読めません。例えば、事象Aの原因は事象Bです。さらに遡り事象Bの原因はCなのですが、どこまでも遡れます。孤立系であればそれでよいのですが、開放系においてはM軸上に(力の)原因を求めることはできません。なぜ加速度が生じるかの原因を求めねば終わりがないことになります。その原因がE軸上の実体にあると考えます。
>原子の端から端までの情報伝達時間が有限
いや、説明に時間を用いることによりムリがあるように感じます。やはり力は存在せず、最近は遠隔作用だと思うようになりました。電子の波は光子のようです。電子が全部運動P_状態にあるとき、M軸上において電子の質量は不定です。これが電磁波だと考えます。だから電子の波が光子だということです。この光子のことを「力を媒介する」と呼んでいるのではないかと思います。 他に、陽子中性子の「波あるいは波に近い粒子」も核力を媒介する粒子として誤認しているかも知れません。
>級数的・指数的表現
なるほど。
>人間の時間刻み
同上
>”力が働いた” 宇宙の外は無いから
同意です。上記の通り。
ところで、今、素粒子群の弧理論から観た仕訳を考えています。6種のE軸上の実体から基本粒子が出来て、それ以外の素粒子群はこの6種からの投影による映像群だということです。これだとE-M軸平面上での投影角によりかなりの数の素粒子群が説明(仕訳=3の倍数)できそうです。それに上記の通り、力の粒子は素粒子群の一つという説明になります。
>>原子の端から端までの情報伝達時間が有限
>説明に時間を用いることによりムリがある
どちらかというと、大きさがあることへの言及です。
方位磁針はそれぞれの極が地磁気の極に引かれて回転する。中央には力がかかっていないように見える。で、惑星上の原子とは、惑星の磁気が撚れて渦を描き、局所回転している単位じゃないかという仮説。その周囲を電子、中心を原子核として観測する。
電気単極はある大きさの基で想定され、磁気双極は元々大きさを想定されていない。単極・双極の発想起源はなんだろうと思う次第。
>大きさがあることへの言及
なるほど。電子が真球に限りなく近いといっても、極めて条件を突き詰めた結果であって、他の実験では波でもあります。条件によっては大きさがある。
>仮説
プランク長を思い出します。(私は)どちらかというと、全ての原因をE軸上の実体に求めようと思考してます。
>単極・双極の発想起源はなんだろうと思う次第。
実際のところ、どこからでしょうか。弧理論の考え方だと、実体がM軸に直交して現れたら単極で質量を持つし、平行ならば双極です。質量が見えない状態が波です。紡錘図形はとんでもなく圧縮され詰め込まれています。投影という仕組みからくる多面性とも理解できます。
実体-投影はイデア論に似てます。それに人間原理のよう。wikipwdiaの”重力を説明する古典力学的理論”を見ると、いくつかに分類される、同じことを考える人が沢山居ます。その中でも原子という考え方は数千年間採用され続けている。
原子は有効な見方と思う。ただ、西洋的な発想では素粒子?はそれ自体で完結していて、素粒子が完全・完璧な機能を持ち、その集合が群として動くだけなのか。そう疑問が出てくる。全体の中で機能する個、個が組み合わさって機能する全体、その表現がうまくないように感じる。否、そうではなく、全体と個に能動的・自発的な機能があるだろう。これは納得。東洋人はこれで通じる。
子供が一斉に走り出す現象があります。それまで話していたわけでもなく、号令がかかったわけでもない。突然に、整然と。大人になると忘れてしまうあの感覚に答えはあると感じます。東洋医学、古武術、能、易や禅など、東洋思想の”静中の動” “動中の静” “不動”で示される。ameblo.jp/ronjanzensin/entry-11564106681.html mac-miyata.jugem.jp/?eid=380
もともと原子はそれより細かく砕かれることは想定されていなかった。陽子と電子に分けて考えるようになった経緯があるはずですが、講義の記憶がない。教科書にそう載っていただけ。この電気分極の意味はなんでしょうね。よく引用されている水素の基底状態の絵。あれも電子雲ではなく、電気(+-)が組み合わさった絵でないとおかしい。それでなくても、静電気学にあった静電誘導や誘電分極という分布の不均一が、電磁気学では時間平均した一様な確率分布としてしまっていることに作為を感じるのであるが。しかしスピン工学などでは再度、素粒子の局所的不均一と伝搬の話になっている。空間の電磁気的弾性については何重にもややこしい理論がある。
>人が存在するのにもっと積極的な何か源が必要
毎世代ゼロから、数千年分学んでから、考えねばならないとしたら面倒な話です。直接知をどう得るかですね。単純に自分が何を感じるか。それに注目することが突破口となるのだが、後付けの外部情報がさも自分であるかのように錯覚していることが多いから、うまく疑う方法、すなわち、うまく信じる方法を我々は教育されていないのだと思う。それ以前に食える餅が必要で、そこそこ有効な生きていく術がゴロゴロしている。 ※2017/11/2投稿されたものをバックアップファイルより再掲したものです。管理人
イデア論を存じませんでした。投影による映像という考えの発端は「電気磁気が一つの何かだろうし、それが紡錘図形のヒゲの部分ではないか」というものでした、2010年から相当の期間をようしましたけれど、アランの言葉をヒントに、山崎弁栄から岡潔、さらにはヲシテ文献のカミの定義とフトマニの解釈などが「投影-映像」という解釈に合致するようだということがわかりました。進む方向は概ねOKだということがわかって安心しています。
>素粒子?はそれ自体で完結
私には、そう見えません。80年代頃に、知識DBと推論エンジンが出来ればAIは実現できるとされた時期がありました。でも無理でした。現在AIはニューロンを模したネットワークにより実現されつつあります。物や事の本質は「素」なるものにはなくて、素と素が互いに定義し合う内にあるように感じます。この考えは、素が映像であるという解釈を後押ししているように思うのです。
>大人になると忘れてしまうあの感覚
そうです。この感覚には種類が2つあるというのが私の主張です。想念の縦の経路と横の経路です。岡潔の第2の心と第1の心(私という心)に相当します。タマ+シヰとも同じです。「五感で分かる」を外へ一歩踏み出すことは大事なのですが、言葉は悪いですが「ミソもくそも一緒くた」になってしまいます。G・アダムスキーが云った「こっくりさんとブードゥー教をやってはいけない」の意味がここにあります。Star Warsでいうdark sideみたいなものです。
>毎世代ゼロから、数千年分学んでから、考えねばならないとしたら面倒な話
まったくです。それ故、生まれ変わりがあると考えた方が合理的です。双六を毎回最初からというのは無駄です。
>直接知をどう得るか
これが想念の縦の経路です。これを精神科学といいます。シラスウシハクのシラスの元であるシルは「知る」であって、現代人に分かり易いのが「気(キ)付く」です。気付くには入力が無い。出力のみのニューロンが存在するのではと考えます。そのトリガーが想念の縦の経路によるものだと考えます。想念は生理的な電気現象を伴うように思います。情報とエネルギー(ここでは運動P_)には密接な関係があります。 面白いことに知るや気付くに現在形はありません。過去形のみです。喜怒哀楽を示す嬉しい悲しい楽しい腹立たしいの「シヰ」には現在形があります。気付くはタマに近いものがあります。気付くは極めて静的です。喜怒哀楽とはまったく違います。喜怒哀楽は五感によるからです。
>さも自分であるかのように錯覚
全同意です。人をブラックボックスだとすると、五感からの全入力のごく一部を出力しているだけで、新規性のある出力をできる人はほんの一握りです。大抵の人はコラージュと同じで切り貼りしているだけです。
>食える餅が必要
あまりに厳しい現実があります。このような研究にスポンサーが必要ですけれども、あると道を違えてしまう。
>>素粒子?はそれ自体で完結 >私には、そう見えません。
はい、見えません。素粒子追究がそう見えたのです。フーリエ級数を知っている人たちが原子を様々な周波数の総体と考えないのは何故なのか。色鉛筆に色の名前を付けるのと同じなのに。
基本要素のatom、その後の4元素や5元素、今の周期律表。一貫して科学者は「ここに何かある」として丸を描く。極めて単純な思考形式。まるで冗談のようだが、これが基の発想に違いない。ちなみに数学者は「蟻が1体」と小さな円を1つ、「象が1体」と大きな円を1つ描き、「合わせて2体」と言う。大きさが違うと指摘すると、今度は面積を計算し始める。冗談のような本当の話。粒子や波への分化前の、この丸をああだこうだとしているわけです。この丸が閉鎖系だとすると宇宙はバラバラなので、開放系と見るべきでしょう。
>想念は生理的な電気現象
調べてしまった無駄知識。 haradatakeaki.blog130.fc2.com/blog-entry-8.html ヒトは開放系で、内部で循環しているものと内外の送受信は同経路で混在している。全てが接続された時に電球が光る。
>五感からの全入力
よく理解されていないんですよね。入力があることさえ忘れることがある。感覚入力を常に内部滞留しているものと照合・検証し、変換・出力する。ところが後付けの言語や環境情報も溜まっているから、無意味なものと掛け合わせると出力がゼロになる。自分が何処の誰なのか悩む人は多く居ると思う。言ったら笑われますが。そうして、個性の演出の為に皆が同じツールを使う社会ができあがる。
自分の中である程度強いイメージになったものを探すと、ほぼ同じものが見つかります。周囲にその想念・情報が流れていて、いつのまにか拾っている。図面を通して宇宙のことを考えていると、自分にプログラムできるようになるみたいです。必要な情報は勝手に届きます。私はアダムスキー本の哲学部分はなるべく読まないのですが、結局図面を通して同じことがわかります。
次のザル、素粒子の流れ、光のギア構造、などはかなりイイ線で、これもほぼ勝手に見つかりました。 ch.nicovideo.jp/usagiowo/blomaga/ar917622 と ar1024084 スカリーの本にもエーテルカバーとあるし、ギア構造の発想はかなり昔からある。夜空に見える星が今現在のものというのはとても面白いです。私が20年前に聞いた話はつい2年前の研究で明らかにされていました。
私は原子を見たことがない。なのになぜ、それがあるものとしているのか。
当初、原子はそれより細かく砕けない基本要素として考えられた。陽子と電子に分けて考えるようになった経緯があるはずですが講義の記憶がない。教科書にそう載っていただけ。一般人が捉えている原子は教科書イメージがほとんどでしょう。この電気分極の意味はなんでしょうね。なぜ中央が+で周囲が-なのか。このモデルは妥当なのかどうか。よく引用されている水素の基底状態の絵。あれも電子雲ではなく電気(+-)が組み合わさった絵のはずです。
静電気学では静電誘導や誘電分極という分布の不均一、化学でも分子の構造説明では平衡の為の不均一がある。電磁気学では時間平均した一様な確率分布としている。そして先端のスピン工学では再度、素粒子の局所的不均一と伝搬の話になっている。
電磁気学はマクロな動作の記述になっている。だから電磁波を使う通信工学は発展した。マクロ-ミクロ間の断絶があるから、電動機・発電機は加工と制御の精度を上げる以外の変化はなく、マクロの電磁誘導のままだ。原子力連動にはなっていない。
葉序は植物の生存戦略とも云われます。簡単-複雑は見方次第なのかもしれない。 http://www.fbs.osaka-u.ac.jp/labs/skondo/saibokogaku/categories/scientific%20columns/fibonacchi.htm
ある基準を定めると現象は非線形に記述されるのではないか。メタ的にそんなことを思いました。距離と時間を等間隔に刻むとすると、力は必ず非線形になります。これはマクロな見方です。しかしミクロでは、フィボナッチ数列のように単純な近接伝搬なのではないか。
波と粒子の性質があるとすれば、空間が昔で言うところの「エーテル」で満たされているのでわないだろうか。
これまでによれば、空間は2つの源からの投影によるようです。2つの投影による6つの緊張が平衡状態にあるのが空間です。だから2つの目と耳を持ち、立体を認識できると考えます。 過去にエーテル・真空エネルギー・零点エネルギー・暗黒エネルギーやディラックの海などと呼ばれるものは、何らかの緊張状態を意味していると理解しています。平衡状態にならなかった差分だけが物質となっていると考えます。ですから物質である人が宇宙の何処に行ってもそこは空間です。孫悟空がお釈迦様の掌から出られない例えに似ています。
弧理論の考え方によれば、E軸上の実体が投影されることによって、質量を持つ物質が位置を伴って現れます。位置と位置の変化が運動です。運動の一つの形態が波です。波がもとで絶縁体を隔てて電子が現れます(トンネル効果)。電子の位置を究極まで決める実験により電子が真球だとわかります。では電子とは何なのか?球なのか、波なのか、隔てて現れるけど、物質だし。電荷を持って運動すると周囲に磁場を持つ。
結局、電子とは何なのか、理解に苦しみます。でも電子が映像だとすると理解は容易になります。「電子は多面性を持つ映像だ」ということです。多面性とは状態の違いです。状態とは球であったり波であったりということです。でも電子に個性はありません。映像を構成する画素だからです。
あの図は、何を、というより、どこを見るか?になると思う。原因となる力の働きは図には描かれず、その解き方に示される。大切なのは自分の感性を信じること。
今まで何年も同じイメージ図を描いていたらしく、1930-60年の資料にほぼ同じ原子・磁力線モデルがあるのを見つけました。その発明者の言葉から、戦争前後で失われたのは教育基盤と自尊心だと思った。栄養の巡らない枯れた世界を感じるのは当然のこと。大学の先生でもそうらしい http://www.st.keio.ac.jp/learning/1312.html 関係して運動が起きるにも関わらず、磁荷は無く磁力線も仮想線とするのは元の理論が致命的問題を抱えていることを示している。
斥力、あるいは引力だけを考えるのは、原子モデルのイメージが刷り込まれている可能性がある。中央が+で周囲が-ならば、近距離のそれらがより支配的に反応する。これを質点にすると計算上無限遠に対応する極が存在することにせねばならず、これが単極の誤解を生んでいると考えられる。電気は常に対で使う。起電器でも片方だけの生成はできない。分極しているだけだ。原子の+-も分極させ得る何かの方が根源になる。
単極誘導モータの磁石と円板が回転・静止になる4つの組み合わせは、磁気が光速度を超えた計測不可能な状態、電気は光速度以下のもの(計測可能)とすると、非対称に見える現象の説明が付く。もし、周囲が銅円板より導電率の高い気体ならば、気体の方が回る。どちらが回る場合でも、回らない側に原因となる何かは存在している。空間を記述する際、運動している側と静止している側に”原因となる何か”の同じ理屈があると考えます。
回らない側に”も”原因となる何かは存在している。
お示しいただいたリンク先を読んで感じるのは、テスラの「(電磁気学は)まるでフィクションのようだった」というのと寺田寅彦の云う「便宜」です。 人の感覚はいい加減だから人を排除しようとしたが、どうしても人の観念(力とか時間とか)を排除して理論を組み立てられなかったというのが歴史だったのではないだろうか。あるいはベアデンの云うように金融資本家の云うがまま、歪められた結果かも知れません。力の素粒子でも何か意味を成さないように感じます。もしかしたら物理現象の全てにおいて「匙はスプーン、スプーンは匙」があるかも知れません。最後は人の便宜に頼るしかない。本質は別に在る。
+-あるいはNSというのももっと高い対称性があるように感じてきました。でもよくわかりません。これも原因は別に在る。
私の場合、紡錘図形から読み取れる力は、E軸上においてのみです。M軸上には運動P_しかありません。M軸上においては因果の連続しか無く、真の原因はE軸にあると感じます。
>空間を記述する際、運動している側と静止している側に”原因となる何か”の同じ理屈がある
私の場合、E軸を起点に考えたいです。M軸(物質空間)上のすべては相対的です。観測者の立場によって(運動の)見え方が変わる。光速度不変も苦し紛れのように見えます。
人はどのように物事を推理し、理解するんでしょうね。万人に通じる共通点があれば、世代を超えた知識の伝達方法ができ、発展が約束されるでしょうに。
光速度を不変とするのは設定のひとつではないかな。金属中でも30万km/secになる? コアとコイルは連動して動くので、ここに磁気伝達要素があると仮定すると、それは磁石内外で同じ速度だろうか。
水が水蒸気になる時も分子移動速度はどう変わるのか。ムペンバ効果(湯が水より早く凍る)では熱伝達の仕方が違うのか。
気球は軽い気体が浮力を生むというが、対流圏では下の方が暖かい。ではなぜ浮く? 大気は高度により気温が上がったり下がったりする多層構造になっているらしい。
方位磁針の運動は磁気再結合ではないのか。
エネルギーと力の伝搬について、何か基本的なことがありそうです。
テスラの「フィクション」発言は、自身の理解に照らして「理論が実態の表面しか表せず、根幹を制御できない」ことに気付いていたと推測できます。実際311の震災でわかったように、今の交流送電は人間社会にとって極めて脆弱です。それに惑星電磁気環境に対抗する方式でもある。人の観念を埋め込んで(あるいは排除して)理論化することで、後の解釈で千変万化してしまう。人は人の中に金を見出そうとするから。私は金融が何かわかりませんが、金融家は人の特性をよく知っていると思う。
>どのように物事を推理し、理解する
岡潔は(不安定な素粒子について)「少なくとも、一部は映像と云ってよい」といいました。過去の考察によれば、安定な陽子は映像だと結論しましたし、電子の多面性も映像だとすれば理解が容易です。恐らく中性子も映像だと思われます。すると基本粒子(陽子中性子電子)はいずれも映像であって、謂わば画素(ピクセル)だということになります。ですから、国語辞書による匙はスプーン、スプーンは匙というのは正しいです。例えば「籠:かご」は、プラスチックや植物の蔓、竹籤などを編んだものです。籠など存在しません。プラスチックや植物も存在しません。有機物無機物も存在しません。必要なのは3つの基本粒子だけです。基本粒子(画素)には「状態の違い」はあれど、個性はありません。あっては画素になり得ないからです。結局、匙にも籠にもその本質はなく、基本粒子にも本質はないはずです。すべて(映像:動画)は画素の組み合わせに過ぎないからです。アランがなぜE軸上の「実体」と呼んだのか引っかかりを感じてきましたけれど、やっと納得しました。岡潔のいう五感でわかるものというのは画素の組み合わせによるものだと云えば納得できます。佐々木さんの疑問はすべて組み合わせの結果上のことです。「電気磁気現象が一つの何かからの投影」だという発想は、最初から「電磁気が映像だと考える」ことと等価だったのです。
恐らくギリシャにまで遡ることができるという要素還元論(アトムにあるという考え)は間違いです。物や事の本質は素粒子にはありません。
ついでながら、本居宣長の(物の哀れ)の考え方から縄文哲学のナサケエダ・アワレエダについて考察した結果、それぞれ現代の言葉で言えば「静止画と動画」だろうとしたのは、上記と合致します。これが微細な現象が離散的であることを認識できる根拠です。そして岡潔の「情」とナサケエダに通じるものがあるとするならば、岡潔の云った「大宇宙の本体は情である」だけでは不足すると考えます。もっと能動的で積極的な何かがなければ第2の心とともに第1の心の存在も理由がわかりません。人が存在するのにもっと積極的な何か源が必要だと感じます。
人が唯物主義であるならば、AIに置き換えることが可能です。チューリングテストを考えるとそう思えます。AIに気(キ)付く機能を持たせることは不可能です。想念の縦の経路(気付く)がAIとの違いだと考えます。それ以外はブラックボックスとしての人やAIに違いは無いと思われます。
>エネルギーと力の伝搬について、何か基本的なことがありそう
同意です。E軸上にしか「力」が見いだせません。
>金融家は人の特性をよく知っている
同感です。お金と時間について、私の感想「幽霊の正体見たり枯れ尾花」 どうも人は抽象的であることは高等だという観念を植え付けられているようです。本当は、より基礎的なことに気付けるかどうかで次へ進めるか決まると思います。ノーベル賞なんかもそういう道具に使われているようです。
追記 陽子は内部構造を持たない。衝突実験による崩壊ではなくて、消滅生成だと考えます。だから陽子は映像と考えます。単独で取り出せないクオークなど無意味です。
netflixで「未知との遭遇」スタン.ロマネク氏のドキュメンタリー映画が公開になっております。収録映像に、知的生命体から得られたワープと光速を超える方程式があります。番組でその方程式に関する意見を求められた科学者が、言葉を選びながら説明しています。
できることならΦさんの意見も拝聴したく思います。
ありがとうございます。netflix視聴はできませんけれど、何年か前に動画 ttps://www.youtube.com/watch?v=1Snck4fMP_A を見たことがあります。映画のtrailerを見ました。ttps://www.youtube.com/watch?v=poUb2mMEdB8 云われた数式らしきものはこれでしょうか?
UFOや宇宙人のお話は、昔からずっと混乱していて難しい問題です。 過去記事ネコの言葉にあるように、私は誰がいつどのように残した資料であっても他の資料と合理的に整合がとれているものだと感じれば該当部分を覚えておきます。逆に写真等どれだけ証拠とされる物があっても地球目線であったり過去の資料を意図して修正したものだったり、どこか胡散臭いものであったり、普遍性がなく有意だと思えない物であった場合は切り捨てます。この辺は難しいです。ビリーマイヤーなどはまるっきりくみ取る物がありません。時間の無駄です。
例えば「私はM78星雲から来た宇宙人だ」というのは地球目線です。そういう意味では、方程式?は体裁からして地球目線だと感じます。これまでの考察の結果からして、もしこの数式らしきものに時間の概念が含まれていれば、地球製だとわかります。これまで本当だと感じた資料は、いずれも「私自身深く考える」ための「考え方を示す(教育的)資料」が多かったです。(しかももの凄く濃縮されています。)直接的な「これが宇宙の真理だ、真実だ」のようなものは有意だと感じたことはありません。何かを気付かせる、考えを促す資料こそが大事です。逆に偉い学者の意見であったりしてもダメなことがあります。岡潔の言葉には「濃縮されている」という意味では同じ凄さを感じます。異星人がいるとすれば、彼らは天才です。そんな薄っぺらいものではありません。全yesでもないし、全noでもありません。部分部分を切り取って個別に判断すべきだと思います。後大事なこと。情報は量より質です。上質の情報は、見方が正しければ、深いし広がります。
グレイは計算された気持ち悪さがある。そう設計したという噂を聞いたことがある。子供が見たらトラウマ必至だ。ロボットでもそんなのわざわざ造るかねえ。
「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」
そうですが反論します。
ニュートン古典物理学は自然言語で書かれたニュートンのプリンキピアの数式版です。当時、数式が存在しなかったので内容を全て自然言語と図式で説明していたのです。
自然言語で書かれたニュートンのプリンキピアに対する反論はどうしますか。
「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」
との一言で一蹴出来ますか。
それとコメント欄を拝見したところ、
折角のコメントをΦさんは幾度と無視しているようです。
それは相手に対する無礼に当たります。
コメントには出来る限り返信して下さい。
8月21日の記事についてですが、貴殿は二重スリット実験について、どう思われますか。既出でしたら再度レス願えませんでしょうか。
弧理論の考え方に行き着いてからも「波」について、どう考えたらよいのか随分と悩みました。確か学生の時二重スリット実験とニュートンリングの観察をした記憶があります。 波であり粒子であることは実験的事実です。1900年代初頭、科学者たちはこれを理解するのに苦労したわけです。波動方程式について、水素原子の基底状態は手計算で解けることを習った記憶があります。
弧理論の考え方において、人の五感でわかるのは質量を持つ物質の運動と波により遠隔で引き起こされる物質の運動の2種だと考えます。 弧理論の考え方において、波として観測するのと粒子として観測するのは同じだと考えます。E軸からM軸へ向けての投影角が浅くなるにつれて質量は次元を失います。投影角が浅くなるにつれて波としての性質が強くなると理解します。E-M軸平面という投影の仕組みにおいては、粒子存在の確率密度と同じ結果になると考えます。
併せて、E-M軸平面からの投影という考え方は、極小の現象が離散的であることを構造として示せます。E=Mc^2ということの意味も理解できます。投影角により様々な素粒子が存在しうることも説明できます。素粒子が基本粒子(陽子中性子電子)3種の倍数になるということも説明できます。
かつて某氏に「弧電磁気論という空想理論には、仮説が多すぎる必要最小限であるべき」と云われました。それにしても私にとってメリットが多い仮説は魅力的です。そして、スピンやフレーバー、カラー、ストレンジなど心に描けない状態は先へ進むに障害です。量子もつれなどは実験等が進んでいるにもかかわらずほとんどの人は仕組みを理解できません。これは異常です。 弧理論の考え方は万華鏡に例えられます。観測的事実と本当の仕組みの間に相当の乖離があるように感じます。
何より岡潔が指摘したように自然科学の自明とする時間空間が怪しいというか成り立っていないものを放置するわけにいかないという心境です。
伝わるかどうか、意を尽くせませんけれども、補足を交えて。
一言では「粒子と波動性の二重性」に替えて「質量を持つ粒子は投影角により運動と波の性質を帯びる」となります。
>電子が核を周回しているとすると古典的に破綻
これはラザフォードからボーアの原子モデルになった頃のことですね。wikiの概要を読み返して電子のエネルギー準位やプランク定数などの講義があったのを思い出しました。
ラザフォード模型で電子が運動してエネルギーを失うとあるけど、そもそも電子単体では電磁気特性を持ち得ないはずです。原子核と対で定義されたわけで。対での説明が無いと不完全。その後、ボーアモデルは定在波やエネルギー準位、量子条件の話になっていく。それでも電子についての定義が多く、その時の原子核がどうなっているのかの話は無いらしい。問いの設定が途中からおかしくなっているからです。
定在波の部分を電子、波として観測できない内側を原子核と考えれば良いのではないか。存在しているものは全てが網目状につながっていて、網の目のことを原子と呼んでいる。網の要素は光である。と、考えていたら、これは弧理論の発散トーラスのことではないか。エネルギー準位や元素構成が離散的なのは、要素が構成できる組み合わせ、かつ、周囲との接続が可能な条件があるからではないだろうか。要素を光とすれば、当然、物質の運動は光速度を超えない。網目のことを物質としているのだから。
>そもそも電子単体では電磁気特性を持ち得ないはず
どうでしょう?アランの言葉「運動している電子は磁場を作り出す」でよいと感じます。逆に「観測者に対して静止する電子は電磁気的特性を持たない」と同じ意味になります。実際、静止した電子は存在しないと思います。キーワードは運動です。運動から時間を作る。運動により磁場が出来る。運動は相対的です。エネルギー[ML^2T^(-2)]も相対的です。
>定在波の部分を電子、波として観測できない内側を原子核と考えれば良いのではないか。
私としては「否」です。弧理論の考え方によれば、相対的な運動によって質量が見えなくなる(次元を失う=五感でわからなくなる)。その一形態が「波」です。波は遠隔で物質に運動を起こす。視覚もこれによる。「粒子であり波である」の本当の姿をE-M軸平面の投影角で理解したいです。
>発散トーラス
ご存知のこと、発散トーラスには加加速度が必要です。周回するときに生じるのは加速度までです。如何にして原子の回転の構造に加加速度が生じ得るのかまったくの謎です。これが解けなければ「原子を構成する電子に4つの発散トーラスが存在するだろう。放電には概ね4種あるはず。それの原因が弧Arkだ。」という記事にできません。
>エネルギー準位
自体を運動P_と理解しています。エネルギー準位がそもそも投影という仕組みによりますので離散的です。上記の通り光は電子の一形態(波)であるように考えています。このとき電子はM軸に平行に投影されて質量は不定です。同時に対応するE軸上の実体CがM軸上に現れているはずですが、投影角が90度ずれているので質量は不定です。結果、電子の一形態、「波」である光の質量もゼロになります。
突然ですが、弧理論の考え方によれば、E軸上の実体Aや実体Iはその斥力ゆえに、M軸に投影されて質量を観測できない暗黒Mや暗黒Eとなっていると考えています。この考えは弧電磁気論を書いた当時から変わっていません。すべての物質は暗黒Mや暗黒Eから斥力を受けているようです。(観測者から観て地球の)地平面が湾曲しているように、観測者を中心に空間も湾曲しているようです。これが膨張しているように観測される原因だと考えています。
電子単体に電磁気特性が定義されたわけではない、の方がより精確な表現になる。電子に電磁気的外力を与えた場合、原子核にも何らかの影響があってしかるべきですが。空間格子のように扱われるのはしっくりこない。
>観測者に対して静止する電子は電磁気的特性を持たない
観測者と同期して動いている電子(群)は電磁気特性を持つ? 地球は帯電している。しかし、通常私たちはそれを感じない。台風や雷雨の日には電磁気変動を身体で感じることがある。帯電とは何?が今の疑問です。
>相対的な運動
粒子を波に置き換えても同じになりませんか。運動を考える場合、視覚をベースとして、対象を粒子や物体と捉えることが多い。群速度の定在的なうなり部分を粒子として観測しているとしても矛盾は無い。
>発散トーラスには加加速度が必要
渦を巻く理由? 現行理論を1段階微分して表現したかのようにも読める。E軸と積分回転を定義したために、微分しないと合わなくなるからか。それは元を辿ると”前提”ではないのか?
>暗黒Mや暗黒E
一番わからないところ。暗黒**と暗黒ではない**とは区別ができるのかどうか。わからないことを2つに分けておくのは前提であり、それは思考のミスリードに繋がる。
静電気帯電はその例です。人間の神経はuAを伝達します。指先を近づけると帯電しているかどうかわかる。しかし、これは摩擦電気を起こして局所的に分布を変えた場合であって、身体周辺の大気が帯電していてもそれは検知しない。帯電と非帯電、2つの状態に2つの異なる定義を当てはめるとおかしなことになる。現行理論の4つの力もそんな感じでバラバラの定義になっていると思う。
>電子単体に電磁気特性が定義されたわけではない 空間格子のように
なるほど。空間自体が何なのかわからないです。とりあえず「投影により質量を持つ物体が位置を持つ」としています。この考え方によれば、空間は距離ではなくて角度がより本質的だとの結論です。
>粒子を波に置き換えて
繰り返しますが、五感でわかるのは物質の運動と波を通じて遠隔で引き起こされる運動だけだと考えます。波自体は五感でわからないという立場です。光そのものは五感で分からない。光が眼を構成する原子内の電子を振動させる。アンテナは電波を捉えたのではないということです。アンテナに起きた電流により、電波が来たとわかるということです。
>定在的なうなり部分を粒子として観測
ほぼ同じに感じます。
>渦を巻く理由?
加加速度は躍度のことです。渦がおきるのはE軸上の実体どおしの斥力がM軸上では接線方向に働くからという仮説です。それでもただの回転に躍度は生じない。
>一番わからない
同じくです。わからないなりにもなんとか考える。地表はとても広いのに閉じている。なら空間も同じと考えます。空間がもつ基本的性質だと理解する。孤立系を拡張しても開放系になり得ないことが理解できない。「投影により質量と位置を持つ」という最初から開放系でないと理解できないように感じます。その中で観測される暗黒~を理解したい。
>バラバラの定義になっている
全同意です。ttp://www.zaikei.co.jp/article/20110528/73112.html
過去記事にした「電子は完全な球」というのは矛盾しています。電子の電荷が空間的広がりをもつことになる?どうも訳が分からない。おそらく4つめの次元軸としてE軸を想定すると自分的にはかなりうまくいくと感じます。
ここでのやりとりは深淵に近いと感じます。超ひもで次元が足りないから指折り10次元にするというお話しよりも深いです。 実は当ブログでは初めて取り上げる言葉ですが、E-M軸平面は非ユークリッド幾何に近いと感じます。遠くの銀河がより早く遠ざかるように観測されるのはM軸が湾曲しているからかと思い始めています。同じく超微細な領域も湾曲しているのではないか?紡錘図形を眺めていて強く感じます。そのせい(空間の性質)で五感でわかる範囲が決まってくるという考えです。宇宙の中心は空間(M軸上)にはないということです。宇宙の中心は空間にはなくてE軸上に「2つ」あると考えます。宇宙における主たる力は斥力のはずです。それが元で渦ができる。大小渦だらけ。波は一定の役割は持っているでしょうけれど、本質から少しずれていると感じます。波は粒子の一形態。
アリストテレスの自然学に”時間は運動の数”と出てきます。二千数百年以上、磁気や重力などの問題が残っているわけです。
>電子は完全な球
あの記事はただの工学計測と読みました。LHC実験と同じです。可能な限り精確に陽子の正面衝突を起こすこと。対して、可能な限り電子に影響させずに減衰無しで光を通すこと。頭の良い金食い虫です。ラットの迷路実験と仕組みが同じ。科学者にも市場原理がある。
>電子の電荷が空間的広がりをもつことになる?
ヘンな質問です。こういう時は元の定義を疑うべきです。電子、電荷、空間はそれぞれ何か。以前、Φさんの自分の科学とは何か?というヒントから、五感で識っていることを言語化前まで遡ってみました。つまり電気・磁気・重力などの用語や定義を完全に忘れ、体感の記憶だけを思い出すことを試してみた。効果がありました。電磁気や重力に関して理解しているのは片手ほどでした。後付けの知識や言葉は、身体の感覚・記憶とズレがあるはずです。
>遠くの銀河がより早く遠ざかるように観測される
観測方法と計算に依る。地球光速度、太陽系光速度、銀河系光速度など違っていて当然と考える者としては、地球光速度だけを用いた場合は遠方ほど計算の歪みが出てくると予測します。誤差累積です。似ているのは ttp://www005.upp.so-net.ne.jp/yoshida_n/kairo36.htm
>非ユークリッド幾何
重力は空間の歪みである、と同じ思考過程になってませんか。あまり自分をトリックにかけるのはおすすめしません。五感の感応範囲に上限下限がある方がまだわかりやすいです。
>深淵
自分の考え方が理解できていないと他人にはさっぱりの内容ですがね。少なくとも次元の数を数えることに注目する人たちは小学生より算数ができないと思う。次元の数には単位が無い。だから重要だと考えるんでしょう。よく訓練されている。私は答えの無い問いにこそ興味が持てる。
>”時間は運動の数”
面白いです。天体の運行に数を割り振ったのが時間です。でも位置に単位を附けて物理量としたのは納得できないと云うか、時間は物理量にできません。なんやかや云っても、今も昔も本当はわかっていないのだろうと思います。
>市場原理
確かに一面です。でも空間とは何か?考えません?疑問です。
>元の定義を疑う
過去記事で扱った「匙とスプーン」を思い出します。本当は何かわかっていないから、あれこれ定義する。それら知識(辞書)を持ってわかったつもりになる。
>誤差累積
本当に膨張しているのでしょうか?わからない。膨張しているのならば、宇宙の低密度領域の反対側がビックバンの中心方向ということになりそうです。
地球がビッグバンの中心である確率はゼロに近いです。ttp://www.cosmology.jp/whats-new/238 もっと極端に低密度領域が観測されてよいはず。
>重力は空間の歪みである、と同じ思考過程
いいえ、紡錘図形が原子の構造を示しているとともに宇宙の構造も決定していると解釈した上で至りました。「重力は空間の歪み」原因と結果が逆です。重力はE軸上の実体が持つ回転の結果により決まる原子が持つ真のEからくる表面張力のようなものと考えます。原子の回転を制御して真のEを変化出来れば質量とは無関係に重力を決定できます。CO2が先か温暖化が先かの問題に似ています。何か詐欺的です。
>五感の感応範囲に上限下限がある
投影角が90度でM軸と平行のとき波として観測される。(つまり光速度)このとき質量はM軸上で次元を失い測定不能です。結果、五感の範囲外になると考えます。偶然(五感の範囲外)と(空間の歪み)とが重なるのではなくて、その仕組みを意識してのことです。弧理論の考え方においては、重力は結果です。真のEが問題です。質量と真のEは異なる。極大極小の領域はいずれも投影角が浅くなると考えています。(観測者から対象が高速度で運動していることと同義)
>答えの無い問い
そうですね。権威のある有名な人ほど「わからないこと」を明示しません。そう振る舞います。私の考えが正しいかどうか自信はありませんけれども、正しいと思わねば続けられません。ただ、これまでに調べた範囲においては優れた資料には共通点が多いです。よく似た形をしています。おそらく分野が全く異なるこれらに共通するところの先に本当のことが入ってくると感じます。正解の近くに居るんだろうと感じます。二項対立に嵌ることなく続けます。
>位置に単位を附けて
運動方程式を位置pと時間tの3次微分(躍度)で表現しようとしてませんか。似たことを考えたことがあります。運動方程式F=m・dx^2/dt^2、力積F・Δt=m・(v2-v1) には観測者が居ないと感じ、力Fの意味がわからなくなった。力Fは質量mに関係するが、時間tは質量mではない観測者に依るのか、もしくは質量mこそが時間tを視るのか。観測者と力F、位置p、距離x、質量m、時間tの関係性が示しきれない。ゼノンの”飛んでる矢は止まっている”と形式は同じかもしれない。
>膨張している 地球がビッグバンの中心
一般人に見捨てられる科学などただの通説です。「だからどうした。今ここに居る私と何の関係がある?」科学者はこれに端的に答えられないと。新たな発見が、古くからある問いを忘れさせるようになってはいけない。
二項対立。ttps://blog.riywo.com/2008/06/21/015100/ 関心相関性は使える。
>元の定義を疑う
重度色弱があった身としては、子供の頃から否応なく”視ているものが異なる”ことを意識させられてきました。調べると、4色型色覚もあれば、可視光範囲が違う人もいる。オーラを視る人も視覚野に符号化オプションがある、程度のことでしょう。五感でさえ、その情報をうまく使えているとは言い難い。
電子、電荷、空間はそれぞれ異なるイメージがあります。そう教わって固定化した。それが問題。実験で電流を流した時に導線がブルッと震えると仰っていましたね。その感覚と理論の違いに意味があるのだと思います。感覚の方が情報量が多い。言語化以降はごまかせますから。普段忘れがちというだけで、感覚そのものの情報を視るのは誰でもやっています。
正確には、「東京は位置であって量ではないから位置(東京という位置)に単位を附けて物理量としたのは納得できない。これでは時間と同じ。」です。確かに式のままだと力の意味がわかりません。これまでの結果、少なくとも時間tは使えない。だが運動P_のままでは何もできません。アランは極力「現象は相対的である」という見方を示しているように感じます。位置・運動も、力も相対的。ブラウン運動のように合算した差分だけが力として観測できます。(真空E・ゼロ点E・暗黒Eもしくは弾性Eを意識してます。) これをE-M軸平面で考える必要があると思います。要は(E-M軸平面全体では成り立つけれど)M軸内で作用反作用が成り立たないことがあるはず、それを見つけたいということです。
>古くからある問いを忘れさせるようになってはいけない
同意です。ことに五感でわかる何かから離れ過ぎて抽象的な解釈は疑うべき。例えば双子の電子。量子理論の限界を示しているように思えます。現象はあるのに誰も納得できない。
>関心相関性
そのものを否定しません。「予め用意された二項対立に嵌らない」ということです。選択すべき道は見えるもの(示されたもの)以外にあるかも知れないと警戒すべきです。世の中どうも怪しい選択肢が多いようです。2大政党制でも何も変わらないと誰もが感じる。示された選択肢そのものを疑えということです。ことに宗教は紛争の種だと誰も否定できません。過去に書きました。
>言語化以降はごまかせます
そうです。国語辞書に匙はスプーン、スプーンは匙と書いてある。それでわかったように思ってしまう。ネコの言葉(知識があるからといってわかったつもりになるな)を取り上げたのは、そういうことです。
次元軸は運動の特徴を抽出する「向き・方向」であって量ではありません。次元軸をまとめて空間と云います。ですから空間が物理量かどうかわかりません。素粒子物理の行き着いた超ひもが10次元空間や11次元空間というのは、指折り数える児戯に等しい。更に先にある多元宇宙は妄想です。岡潔は「自然科学は画用紙のような簡単な模型。学問ですらない」と言いました。自然科学の時間も空間も抽象的な概念であって物理(もののことわり)に値しないかも知れません。考えるに、五感でわかる運動の自由度が3だから空間という概念に行き着いたのであって、宇宙が空間という入れ物の中にあるという考えは誤りです。 それにしても五感でわかる運動の自由度がなぜ3なのかわかりません。
また、五感でわからないが自由度を(E軸として)「1」あげようという発想は、質量を持つ物質とその運動P_の関係を「仮定する真のE」と(投影角で)結びつけることにより、合理的に理解できるという要請からであって、超ひものような(数学上の)抽象的な意味で次元が足りないから次元軸を足すのとは訳が違います。物理学者の井口和基氏は「物理学者は数学オタクで物理がよくわかっていない」と書かれています。(記事失念)
>運動の自由度がなぜ3なのか
自由度は1です。AとBの2者間で運動その他の現象が起きるわけで、その方向・極性に意味がある。XYZなどの3軸化は後で拡張したに過ぎません。(例:X-Y-Zの軸間パラメータをtとした)
ここは思考順が逆になると思う。例えば、電・磁・力の2つから残り1つを造るのではなく、要素に何かが起きると電・磁・力の3つが同時に発生すると考える。この3つの現象がそれぞれXYZの3軸に展開できる。
>自由度は1 後で拡張した
なるほど、前回コメント後、極座標を考えていました。これほど紡錘図形を考えてきて、宇宙の本質は距離ではなく角度だと主張してきたにもかかわらず「空間」というと3次元空間を思い浮かべていました。頭のかたさに驚きます。
孤立系→3次元空間→距離が重要→10進法 方や 開放系→角度による空間→角度が重要→12進法(2πではないところが肝です) で後者が今後の方向性だということです。時間は用いません。(近似だから) だから現状「力」が何かを紡錘図形から読み取れていません。
E-M軸平面において、作用反作用は成り立っているがM軸内では成り立たないことがあるだろう。E軸とM軸の間において成り立たない何かがあるだろうことは私の中では確定です。
また、角度の観点から回転運動が本質です。ことに単極誘導です。同軸多重反転モーターは反作用が相殺することがあります。単極誘導には何か見落としがあるはずというのも私の中では確定です。単極誘導として観測しているのは差分だけ。デファレンシャル・アキュムレーターがキーワード。単極誘導の何かで差分を累積できるはず。
余談ながら、3つの科学(精神 社会 物質)を等しく努力せよといっても、荷が重すぎ。
自由度というか、自然がそうなる必然性は1通り、説明も1通り。そこまで行かないと最上流ではないですよね。今更ながら、光・電気・磁気の範囲をDC~∞[Hz]の全てとしているのは仮説であることに気づきました。周波数が高すぎると包絡線がDCに見える。
起電器を入手したので他の素材調査してます。フランクリンモータは単極モータに似ている。
>3つの科学(精神 社会 物質)
東洋思想には基礎かつ到達点である、全体即部分・部分即全体があります。個人と社会・文明は同じものだと思います。行き過ぎたものも、オカルトチックなものも、結局は受け入れない。人体の細胞が60兆として、それがさらに原子で構成されています。それだけの数のセンサがある。統計ではない自分がここに居て、何を感じるか。基準が他に無い。
>DCに見える
あるような気がします。我々が知る電磁気現象は複数の「距離の7乗に逆比例する力」の重ね合わせにより起きているように感じます。差分が電磁気として認識される。仮説の通りなら、重ね合わせに同期すれば運動P_として取り出せるはず。
フランクリンモータは作ったことありません。起電器の集電板に静電気を与えるとモーターになるようです。2台あれば片方を回せるようです。起電器の起電圧が上がると回転が重くなりますね。静電気を放電しながら回るということです。
>基礎かつ到達点である、全体即部分・部分即全体
まるっと同意です。研究の過去を振り返ると、粘土細工を次第に形にしている感覚です。細部だけに拘ると全体がまとまらない。岡潔はたぶん(五感でわかる・わからない含めて)全体を学問・科学としたかったのではないかと思います。9月5日の記事で取り上げた岡潔の言葉に不安定な素粒子は「映像」だと述べていたことは驚きです。もの凄い直観です。私の感覚ではオカルトも新宗教の一種であるスピリチュアルも仕組みの内という感覚です。仕組みがわかればやがて、これはこれ、それはそれとして区分し排除される。何か訳のわからないものとして排除するのとは違います。
フランクリンモータは反対側をアースにすれば起電器1台です。電荷の移動経路ができればいい。地磁気の中で静電気の電荷移動により回るモータ、磁石影響下で動電気により回るモータ、電磁気の量や強度?以外に違いは無いように思えるのです。小中学生向けの静電気実験と高校以降の電磁気学にはミッシングリンクがある。
電磁誘導とローレンツ力の起電力をなぜ”本質的に異なる”としたのでしょうね。マクロとミクロの各階層における定義と、階層間のインタフェースを明確にすれば十分で、電子・電荷・電流などのモデルを改善すべきです。そこに量子論を使うのは筋が悪い。この学者はローレンツ力が運動・現象の言い換えであることに気づいていない。力があって運動が起きるのではなく、その運動を力と表現しただけだ。物理学の**力はほとんど運動を指す。それ以上遡って考えない。電磁誘導もブラックボックスだ。ややこしい表現に置き換えることが高度とは限らない。より上流に戻るための思索をせねば。
>地磁気の中で静電気の電荷移動により回るモータ
作ったことがないのでわからないのですが、フランクリンモータは地磁気は関係ないと思います。ADムーア静電気の話p129
>モデルを改善すべき 筋が悪い この学者はローレンツ力が運動・現象の言い換え 力があって運動が起きるのではなく、その運動を力と表現しただけ
同意です。丁度、寺田寅彦の「物理学と感覚」ttp://www.aozora.gr.jp/cards/000042/files/2342_13815.htmlに該当するところがありました。コピペ『今日のように非人間的に徹底したように見える物理学でもまだ徹底しない分子を捜せばいくらでも残っている。たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。』
正直言って紡錘図形から力とは何か読み取れません。あるのは運動P_だけ。力について、古典物理からの時間と同じく何か、とんでもない誤魔化しが入っているやも。「人間としてやみ難い傾向」を逆手にとられている?時間だってそうでしたから。
>より上流に 思索を
4つめの次元軸との関係を何とか理解できれば・・ヒントはあるはず、というよりやはり発散トーラスがカギ?
ムーアの本を買いました。今は簡単に探せますね、。
あれだけの文章に便宜というワードが8回も出てきました。人間だけの便宜では行き詰まるのかもしれない。感覚が粗雑とあったのは言語変換後のことでしょう。ヒトに知性があるのか?という問いから考えると、各部位や器官、細胞、原子にも確かに知性がある。通常これらは静かです。つまり、語り手の不足ではなく、聞き取れる耳の不足ということになる。
原因と結果の法則というのも、原因→結果と時間経過を示すものではなく、原因と結果は同時にそこに在るという方がしっくり来る。考え方を意図的にずらすわけですが、なぜその方が答えに近いと感じるのかはよくわからない。
以前こんな問題を考えた。川を下っている舟がある。川、舟、岸の3つにおいて現象はどのように記述できるか。舟は地球でもいいし、それぞれの可視・不可視は問わない。
>人間だけの便宜では行き詰まる
確かに。
>原子にも確かに知性がある
G・アダムスキーから長く離れた理由の一つです。
>聞き取れる耳の不足
同意です。世間は余りにも騒がしい。気(キ)付くためには静かでなければ。
>結果は同時にそこに在るという方がしっくり来る。
弧理論の考え方で分かっているのは、質量、位置、運動P_だけです。力と因果などが分かりません。頭ではE軸上に因があはずと理解しても、実感がわきません。因と結果はE軸とM軸を行ったり来たりする。寺田寅彦が言ったように、力は人の便宜だとすると何が何だか(原因と結果)分からなくなります。
>川、舟、岸の3つにおいて現象はどのように記述できるか
アランの説明に似ています。全ては相対的です。D・フライ本のp39後半からの「惑星の運動」の説明です。在るのは質量、位置、運動P_です。これが実体の投影角によって決まる。相対論は相対としながらどこか変。
大気の分子の数を調べると1cm^3あたり3×10^19個。その桁に驚き、電磁気学の質点-連続体のイメージと大きく違いました。感覚と一致しない例です。
>アダムスキーから長く離れた理由の一つ
初巻と宇宙船に関する記述しかまともに読んだことないのですが。同じ事は言ってるかもしれません。おそらく人間の知性だけを特別扱いしているという誤解がある。人間だけが観測者という誤解も。例えば、水素原子は明日も水素原子のままでしょう。動物の細胞や各器官、植物や岩石なども一瞬後に別物にはならない。そのもので在り続ける。そして何かしらのきっかけで変化していく。これは知性です。個々と同時に、互いの関係を、全体を成立させている。
先日、科学とは相関記述なのか、因果記述なのかと疑問を持ちました。相関記述とは物事の相関性の統計表現。でもメカニズムは違っているかもしれない。因果関係のごく一面なのかもしれない。この辺り、人間の知性には隙があるように感じます。
ムーアの本。フランクリンモータの項を読みました。地磁気が電磁誘導的に関係するのではなくて、電気風によって回るならば、その周囲は無風ということです。地磁気が惑星上の静電気を各位置に留めている。それが自転で一緒に回っている。起電器で静電気発生(励起?)できるのは、その位置に元々静電気(静まった状態)があるからで、周囲の静電気に比べて圧力差が出る。風はそれのみが存在するわけではない。
ヨットが進むのも、風が発生するからです。これを力で表現すると、風が単独で存在するかのように錯覚する。以降はその矢印だけでしか考えなくなってしまう。人の便宜が自然にとって変わる。風のことは矢印より帆の方がよく知っているにもかかわらず、だ。
ムーアは最終章で初めて静電気の定義に触れ、(認めない)と言っています。実に興味深いです。こういう本こそ基礎として浸透して欲しい。今は静電モータも実用レベルのようです。www.shinsei-motor.com/techno/
>これは知性です。個々と同時に、互いの関係を、全体を成立させている。
この点が納得できなかったです。想念って何なのか?M軸上で位置を持たない。だから全体。想念に縦横があると思いもよらなかった。
>相関記述なのか、因果記述なのか
匙はスプーン。スプーンは匙のこと。力とは便宜。紡錘図形から力が読み取れない。紡錘図形には運動しか示されていません。静止・速度・加速度・躍度がE-M軸平面での位相として表されています。それがM軸上では電磁気や渦(電子の原子核周辺での接線方向の斥力)となっています。あるいは躍度の結果が発散トーラスです。でも図形からは力と因果が読み取れません。図には90度(静止)が一箇所もありません。すべては運動です。これが斥力から生じています。図から宇宙にある主な力は斥力だと分かっています。図からはE軸とM軸間に働く斥力によって静止状態に戻ろうとするが故に加速すると読めます。もしかしたら我々が持つ「物体は放置すれば(摩擦により)静止したまま」という固定観念を逆転せねばならない。全ては運動して決して静止し得ないと。現に電子一個を閉じ込めて絶対ゼロにすることは困難です。在るのは相対的な運動だけ。そういう意味で力は便宜。
>周囲の静電気に比べて圧力差が出る
そうですね。無いのではなくて(マクロで)平衡状態に見えるだけということ。
>その矢印だけでしか考えなく
ベクトルは結果ですからね。本来、圧力差と原因を知りたいが為だったはず。
>実に興味深い
面白い本です。何故か1冊目を紛失し2冊目を持っています。1冊目はいつどこで買ったのか記憶にありません。若い頃、自作したくてもプレクシガラスが何のことかずっと分かっていませんでした。アクリルだと分かって「ドイツのメッサ-シュミット戦闘機のヘッドアップディスプレイに使われたというアクリルか」と納得したことを覚えています。高校の頃知人が趣味で集めた現物を持っていたのを見せてもらっていたからです。アクリルの開発は戦前です。
抽象的であれば、即高等であるという考えに同意できないです。実際にやってみるのが大事。ムーアを読んで思います。具体的・現物の内に生きています。現物が感覚で分からないものから来ているとの考えです。
>静電モータ
模型用のブラシレスに近いですね。電源がどうだか、RCに使えるレベルですね。でもケースを真空にというのは困難です。放電を避けたいので、最初不活性ガスを封入しているのかと思いきやでした。
先日ご紹介した本により、実験4-2の見方が変わるのではないかと思います。接触しない方が大きな動きになる。同じことを、異なる2つの現象で知っているような気がするのです。
ところで、安定して静電気発生させるにはどうしていますか。やはりヴァンデグラフ起電器でしょうか。
著者は電磁気学と電気工学、あるいは電気化学の間の隔たりがあり違和感を感じているようです。同感です。しかし読んでも著者の主張がよく理解できません。実験中に観られる放電にカギがあるようにも感じます。まだわかりません。
30年近く前に作ったディロッドJrは今でも動作します。ttp://www.kodenjiki.com/wp/?p=2053
>著者の主張
序文と0章が全てでしょう。1~2章にその詳細がある。序文「超伝導体、常伝導体、半導体及び静電気の挙動が一つの体系として説明することができる」これを言い切る電磁気学の本は無かった。静電気、真空管、半導体などを電子集合体の挙動として説明できている。ただ、問題もある。電子状態をイオン型・電荷型・波動型と提案しているが、明確でない。分類がその全てとは言い難い。現行の電磁気学はこれに回答できない。
>ディロッドJr
機械が安定ですか。買うことにします。
>電子状態をイオン型・電荷型・波動型と提案しているが、明確でない。
研究を始めてから今もよくわからないままです。いまのところ、五感で分かるを基準に、それ以外を弧理論の考え方にしています。
ネオントランスも使いますがとても危険です。
「時間」についての横やりです。大昔は日時計からでしょうか、一日には朝夕夜があって、一日とされていますが、太陽の運行を目に見える方法を示したのが日時計だと思います。ですが、おそらく多くの人は学校で教わるので、一日が24時間と知っているだけで、本当に正確な時間というのは存在しないものだと私自身も思います。各自の認識は違うと思いますが、時間とお金というものは似ているのではないでしょうか。紙切れに価値があるという教えがあって、それはすり込まれているにすぎません。よくビジネスマンの話で350mlのコーラを一万円で売るにはどうしたらいいか、というのがありますが、時間とお金もそういうものなのです。時間があるとすれば、先ほど申しましたように正確なものは人間にはわかり得ないものでしょう。宇宙の誕生は、今現在言われている年月の数億倍の時間がかかっているのかもしれないのです。それは時間が存在すればの話にすぎません。生きている生物すべての命がちがうように、時間というものは一律ではないと感じますし、それは人間固有のものであるか、それにとらわれるほど価値のあるものなのか疑問に思うのです。
お金に関して10年余り、時間に関しては4年くらい調べて考えてきました。面白いことに教育ではお金も時間も自明のこととしています。誰も本当のことを教えないのです。奇妙な世界です。裏を返せば、そうであらねば困る人が何処かに居るようです。
>とらわれるほど価値のあるものなのか疑問
お金について調べ始めたのは林輝太郎関連からです。林輝太郎からはお金の実際は理解できますが、仕組みの本質はわかりませんでした。仕組みはZeitgeistがわかりよいです。時間を疑問に感じた最初はアランが「私は時間のドレイにならない」と云ったことからです。次いで岡潔の言葉に出会いました。今はネットがあり便利です。
時間とお金。無価値のものに価値を見いだし、意味を与え、虚像を崇拝する。量子論が時間という概念が無意味だということを、知らしめたように。我々の宇宙は一瞬に今の姿が存在したのかもしれない。なぜなら、人間が視覚で認識することができるようになったから、認識するまでは、それはそこに存在してもないものだから。フリーエネルギーも目に見えなくとも、それは確かに存在する、ただ人類がそれを取り出す術を知らないから。
太陽の運動を時計に写像(射影)したものが日時計です。
あらゆる物事を数字に写像(射影)したものが
時間でありお金です。
Φさんは
エネルギー軸を質量軸に写像(射影)しています。
しかし日時計、時間、お金が写像(射影)に基づいているという事を理解していないので、
時間やお金が存在しないという結論に至っているのです。
教育でお金も時間も自明の事としているのは
その方が効率が良いからです。
教育を実行する際に
いつまでも基礎部分に拘っていたら
何も出来ません。
教育でお金や時間が自明の事でなければ困る人は
非常に多いです。大多数ではないでしょうか。
お金や時間から精神的に逃走している人は多いです。
それで充分です。わざわざ否定する事はありません。
写像(射影)が分かっていたら
時間やお金を必要以上に敵視するわけがありません。
蛍は自発的に青白い光を常温環境下で放ちます。
近代科学では青白い光は高温環境でしか出てこない事になっています。
近代科学では蛍の青白い光を説明出来ないのです。
光ですから透磁率、誘電率が関係している事が分かります。
近代科学では正の透磁率、正の誘電率しか存在しません。
とすると蛍の光を説明する為には負の透磁率、負の誘電率を
導入するしかない事になります。
テスラは負の透磁率、負の誘電率を知らなかったようです。
五感でわかる運動を用いて作られた「時間」は、
五感でわかる運動にしか適用できない。
ならばプラズマや放射線はどうなりますか。否定するのですか。
福島第一原発事故、チェルノブイリ原発事故を否定するのですか。
放射線治療、MRI、CTを否定するのですか。
そうするとRAPT氏と全く同じですね。
お金や時間から逃亡出来ない社会構造が問題であって、
お金や時間の存在を「どこにも存在しない幻想」だとして
否定出来るわけではありません。