2016年8月から年末にかけて、ヲシテ文献に記された縄文哲学の核心部分である「カミ」の意味を理解しました。(※2016年11月8日縄文哲学の「カミ」と弧(Ark)の関係についてを参照ください。)
その記事で カミとは、「繋がり・齎もたらし・生じさせる」 だと記しました。(※この解説はヲシテ文献研究者である池田満氏によります。) この「カミ」の定義において「何と何が」「つながり」「何を」「もたらし」「何を」「生じさせる」のかについて、補うことにより理解が深まります。
図1 出典:フトマニ×モトアケ
図1フトマニ図の中央「アウワ」を補足によって、「カミ」の定義が明確になります。 二つをつなげますと『カミ』とは、
「ア」と「ワ」は、つながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。「ヒトハ アノモノ」であり、「ヒトハ ウナリ」。
となります。 これは、弧理論研究のテーマである
図2 弧理論による原子模型
紡錘図形の原型である
図3
右と同じになります。(因みに、「ア」と「ワ」は、父性原理・母性原理と関係がありそうに感じます。) 図3右のE-M軸平面を簡略化すると
図4
のように、弧理論の考え方の基本形となります。 E軸上の実体がM軸上(3次元物理空間)の全ての現象の原因です。これをG・アダムスキーは「因」と云いました。ですから物理現象は、質量も運動も、質量の運動からできる波も、そして重力も含めて全て「結果」に過ぎません。
井出治氏の超効率インバータ「デゴイチ」に出てくる第3起電力のエネルギー源は何なのかということを2012年12月に考察としてまとめました。 この「第3起電力のエネルギー源に関する考察」は、E軸上の実体(因)がM軸に投影されて現象(結果)として現れ、そして現象面での操作(具体的にはトランスへのパルス入力)がE軸上の実体に影響を及ぼすという考えの元に、E-M軸平面で位相が90度ずつ変化するという4次元空間の位相を考えたものでした。
まとめると、E軸上の実体(原因)→M軸上の現象(結果)→E軸の実体(原因)→M軸上の現象(結果)→・・・・というふうに、原因と結果が循環するということです。
こういった考え方は、お釈迦様が説かれた
.
動画1
縁起と同じだと感じます。 多くの偉人たちが到達した結論が、概ね同じだということがわかって少し安心しました。
縄文時代の人々が持っていたのは「神」という宗教ではありませんでした。「カミ」という宇宙の仕組みへの哲学と「仕組み」そのものへの慕い敬いというか、ちょっと言葉にできませんけれど、とにかく西洋人の持つ「神との契約により、人間が自然を支配することを許された」という傲慢さは微塵も含まれていません。 縄文の人たちが如何に偉大であったかがわかります。 イエスやお釈迦様よりはるか昔に到達していたのですから驚異というほかありません。
写真1 「ヒトハ アノモノ」 池田満氏による ホツマツタヱの一文(28-20)
「ヒトハ アノモノ」とは、父性・母性の意味において、理解できるものがあります。管理人による付け足しである「ヒトハ ウナリ」の「ウ」は、
図2 再掲
図5 参考:紡錘図形を元に宇宙の中心「ア」と「ワ」を表した2012年頃作成の図
紡錘図形、つまり弧理論による原子(物質)のことです。 「ヒトハ ウナリ」とは、「人は物質でできている。」という意味になります。 ですから『「ウ」よりヒトを生じさせる。』とは、「物質より人を生じさせる」ということです。 また「生じさせる」という能動的な表現は素敵です。「自然は成り行くまま」というイメージがありますけれど、もっと能動的に「人を生じさせる」という意志を感じます。それが「ア」からきているだろうという事に異論はありません。それがアメノミヲヤであろうと思いますし、その辺りから崇高なものを感じます。
ところで、このところ考察を続けています。実験で確かめるべき事もありますし、弧理論の考え方によるフリーエネルギーシステムの概略もできつつあります。また、重力制御の端緒もイメージとしてあります。書くべきことが幾つかたまっています。 しかしながら、どうもサイトやブログの更新が億劫です。考えてみれば、昨年後半において凡そ人が気付くべき最重要なことについて理解できたと思うと、大げさながら人生における一番の目的に半ば到達したような気持ちが生じているような気がします。そのことが原因でサイトの更新に力が出ないようです。「気(キ)付いた者がやればよい」と何度か記したことがあります。一方で「自分だけ知っていればよい」という投げやりな気分も多少あり、厄介な状態です。 ほんと、素粒子なんかどうでもよいことです。
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