岡潔 が講演で「自然科学は間違っている」として、物質は「五感でわかるものでなければならない」と述べました。 以下、岡潔思想研究会のサイトより引用します。
物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。
それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。
五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。
下線は管理人によります。 岡潔 の云う「五感でわかるもの」について、かれこれ3年ほど考えてきました。
光や音などの”波”について、どう考えればよいかいろいろ悩んだ結果、先日より「コヒーラ検波器」と「ヘルツの実験」に思い至りました。 コヒーラ検波器は、手持ちの材料で簡単に試せますので、動画に撮り掲載しました。
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動画1 コヒーラ検波器の実験
コヒーラ受信機とヘルツの実験について、ラジオを自作しようのサイトに図が載っています。ヘルツの実験について、図を引用します。
図1
が放電を用いた「送信機」です。
図2
が「受信機」です。ヘルツの実験の実際については、高校物理アシストサイト「アシスト君」に詳しいです。 ヘルツの実験も手持ちの材料でできますけれど、まだやってません。
コヒーラ検波器は、
写真1
中央のフィルムケースです。送信機は左のチャッカマンから取り出した圧電素子です。(※圧電素子に取り付けたスズメッキ線が長いのは、放電ギャップを適当な長さにハンダ付けしやすくするためです。) 圧電素子を指で押さえて火花放電を起こすと、フィルムケースに入れてあるアルミホイルの玉の間の絶縁が壊されて「電池-DCモーター-コヒーラ検波器」の間で電流が流れます。それでDCモーターが回ります。
つまり、送信機での放電(電子の運動)が離れた所にある、アルミホイルに微少な放電(電子の運動)を起こすのです。 圧電素子とコヒーラ検波器は離れていますので、2つの間を電磁波が「取り持っている」ということです。
図3 出典:空間伝導と対策
高周波電流を送り、受けるアンテナと同じです。
因みに中波ラジオの近くで圧電素子をパチンとやると、スピーカーから「ボコッ」という音がでます。試しに圧電素子の片方に長い銅線をつなげてアンテナにしますと2メートルくらい離れてラジオから音が出ます。結構、届きます。
さて、
図4
五感とは「視覚・聴覚・嗅覚・味覚・触覚」の5つの感覚です。
味覚、嗅覚、触覚の3つの感覚は、各器官に食物や飲料あるいは匂いの物質が器官の皮膚や粘膜に接することにより、生理的な電気信号(電子の運動)になります。
視覚について、
図5
のように、電球にあるフィラメント内にある「電子の運動」によって光(電磁波)が出ます。 視覚は光を網膜の上にある視細胞が受けて、電気信号に変換します。 フィラメント内の電子の運動が直接に視細胞上の電子に運動を起こしたのではありません。 間を電磁波という”波”が取り持ったのです。
これは冒頭に示した「コヒーラ検波器とヘルツの実験」による電磁波の送受信と同じです。
聴覚も同じです。
図6
例えばスピーカーに接する空気分子の運動が耳の内耳にある聴覚神経にある電子を直接運動させた訳ではありません。音波(気体の振動)という”波”が間を取り持ったのです。
結局、 岡潔 の述べた「五感でわかる」とは、各感覚器官内にある「電子に運動を与える」ことです。もし、発信源と感覚器官との間に距離があれば、音なり光なりの”波”が間を取り持ちます。
物質でできた人の五感とは、
図7
原子の大きさが基本(赤い矢印の位置)になります。 分子・原子でできた人の感覚器官は、質量を持った物質(原子)の運動捉えることしかできません。
例えていえば、もし人がLEGOブロックで
写真2 出典:ジャンボなレゴの人
できていたならば、その感覚器官もLEGOブロックでできています。ですから、その場合の「五感でわかる」のは、LEGOブロックと同等の大きさの物かより大きな物に限られてくるはずです。 砂粒ではLEGOブロックに挟まるか、こぼれ落ちてしまいますし、受けられる”波”もLEGOブロックの大きさによる制約を受けるはずです。 視覚(電磁波の受信)に可視・不可視があるのは、そのような理由であるはずですし、音も同じです。
岡潔 は、自然科学者が『五感でわからないものは「ない」と思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えない』と述べました。 一方で、岡潔は「五感でわからないものは無いとしか思えない。これを唯物主義という」と述べています。
自然科学者は、「五感でわからないものは無いとしか思えない」のですから、検討もしないし、自分がそう仮定しているという自覚もありません。 結局、図7の両端は、「五感でわからない」のですから、時間をパラメーターとする数学を以ていくら精密に計算しても意味は無いことでしょう。 物理現象は、図7の両端で終わっています。 五感でわからないものが「在るかも知れない」という前提から始めるべきだと考えます。
繰り返します。人の五感でわかるのは質量を持った物質の運動だけです。”波”はこれを媒介します。
岡潔は、”情”が大宇宙の本体であることを示していますけれど、それ以外に「五感でわかる以外のもの」として、どのような(科学としての)可能性があるのかを示しませんでした。この点について、以下に示します。
いつも引用するある科学者は、アインシュタインの特殊相対論の式 E=mc2 について次のように解説しています。
物質はエネルギー(※1)に転換するし逆にもなるというが、本当は物質もエネルギー(※1)も一つの実体の異なる面にすぎないのだ。
二つの次元を持つ幾何学的な平面を考えてみたまえ。
図8 は管理人による。
この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面を表す。次に君がその面を90度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面(※2)だ。君はその面を取り替えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギー(※2)の量は、一定の観測者にとって質量エネルギー(※2)軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、全く異なる量のエネルギー(※1)を見るだろう。
※は管理人による。
図9 参考
エネルギーの次元は[ML2T-2]ですけれど、時間は存在しませんので物質のエネルギーを[ML2T-2]で表すことはできません。 ですから、ある科学者は、エネルギーという語を2つに使い分けています。※1が[ML2T-2]で表されるエネルギーで、言い換えると運動Pです。※2は、実体が持つ時間を含まない真のエネルギーです。4つめの次元軸上に在る実体が持つのは真のエネルギーです。
五感ではわからないが、全ての現象の原因が真のエネルギー軸上に在る実体から来ているとある科学者は述べたのです。 管理人は、今のところこれ以外の可能性を知りません。
単独で取り出せない(当然、五感でわからない)クオークを認めたとき唯物主義を捨てました。それから、歯止めがかからなくなったように感じます。 「五感でわからないものは無いとしか思えない」のにもかかわらず、彼らは「五感でわからなくてもよい。たとえ頭の中に思い描けなくてもよい。むしろ邪魔。数学的に正しければよい」ことにしました。そして、実験で1020倍にも拡大してようやく眼で判別できる
図10 出典:ヒッグス粒子「発見」へのカウントダウン
グラフをもって納得しているのです。そのような現象は存在するでしょうけれど、五感にはひかかりません。 一線を越えた彼らの行動は、最早(唯物)主義ですらありません。 別な見方をすれば、原子の振る舞いの中に五感でわかる現象が未発見のままに潜んでいると考えています。化学とはまったく異なる物質科学です。その秘密が回転運動にあると感じています。
何度も、しつこく同じテーマで記事を書いております。記事にすることで整理できます。自身で納得できるまで繰り返しますことをご容赦ください。
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