群盲 象を評す 自然科学の「統合失調」は意図したものか?

2015年7月のこちらの記事や2017年6月14日の「ニコラ・テスラは、宇宙の本質が「回転運動」にあると考えていたようだ」に引用したニコラ・テスラの言葉をもう一度取り上げます。  引用元:フリーエネルギー研究序説:多湖敬彦著徳間書店のp48「テスラの予言」より。

「空間はエネルギーで満たされている」

この確信をテスラは死ぬまで、一貫して持ち続けていた。例えば、千八百九十五年の発言を見てみよう。

「われわれは終わりのない空間を、想像もつかない速度で渦を巻いて回転している。すべては回転し、運動している。すべてはエネルギーである。このエネルギーを直接、手にする方法があるにちがいない」

そして千九百三十六年、八十歳の誕生日を迎えたテスラは確信を持って断言する。

「何世代もしないうちに、人類は空間の中で好きな所からエネルギーを取り出すことができるようになるだろう」

ニコラ・テスラの「すべては渦を巻いて回転し、運動している」というのは全く同感ですし、力づけられる言葉です。 同時にニコラ・テスラは、(同書より引用。)

 十八年以上の間、私はヘルツ波の理論に関する学位論文、科学レポート、記事を読んで多くの知識を吸収しようとした。しかし、それらからいつもフィクション作品のような印象しか得られなかった。

と述べています。これは一体どうしたことでしょうか。 天才ニコラ・テスラをして18年もの間学び続けた結果、ヘルツ波(横波)に関する理論が「フィクション作品のようだ」と感じていたということです。

 

管理人もいろいろ考えた中で、自然科学全体が「統合失調」の状態にあることを感じてきました。さながら「群盲象を評す

図1 出典:こちら

のようです。 物理学、化学、生物学、地球科学、天文学など、ばらばらな印象です。特に物理学の内、素粒子物理学においては、人の五感との乖離が酷いです。

 

公開プロジェクトにあるビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答を読むと、かつて電磁気学が成立する過程において意図して歪められたことがわかります。自然科学の各分野においても同様のことがあったとしても不思議ではないように思います。

以前、拙著弧電磁気論(現弧理論)について、某氏は次のように述べました。 「何故このように多くの仮説を設けるのか?仮説は少なくシンプルでなければならない。」 当時はこれに応えることが出来ませんでした。しかし、今なら全てを統一的にかつエレガントにまとめるにはそれなりに複雑な仮説を設ける必要があることがわかります。止揚もときには必要と考えます。

ある科学者は、地球の科学と科学者たちについて次のように述べています。

我々は君の国の多くの一流科学者の精神を調べてみたんだ。大抵の場合、我々は科学者たちの精神が既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くまで進みすぎている。その結果、遠い道のりを後戻りしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっとやさしく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気付かないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事うまくゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める。同様に、知識の探求者は常に確固たるものであった。基本的法則がいまや分かれ始めて、反対の方向に散らばり始めていることに気付く。あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。これは地下鉄の列車に乗って行くようなものだ。たぶん最後に目的地へ着くだろうが、どこへ行くのかがわからないために、同じ場所へ着くのにもっと短くて容易な方法があることを確かめることができない。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる

下線は管理人による。  既成概念に囚われることにより視野が狭くなる。その結果、科学者自身が全体のどの位置にいるか、を見通せないということです。 これは冒頭の「群盲象を評す」と同じ状態だと思います。 物質の粒子であり波である性質は、我々の感覚から離れているために、理解しがたいものです。その行き着く先が「確率により決まる統計的なものである」という考えに至ったのです。その結果、研究を進めるには「抽象的な数学」に頼る必要があったのです。

ただ、これまでの考察の結果、科学を発展させる原動力10進法による数字を用いたお金にあることがわかっています。抽象的なこと、とりわけ数学が高等で高尚であり、抽象的であることがより素晴らしいと強調されることの理由に「お金」の制度をより強固にするという側面があるという考えは、穿ち過ぎなのでしょうか?

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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