3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)のE-M軸平面での位置関係について

2015年頃より、ヲシテ文献について調べるとともに、縄文哲学について学んできました。それらをまとめたのが2016年11月の記事などです。※サイト内記事を「縄文哲学」にて検索ください。

そのころ作成したのが

図1

図2 ※一部訂正あり下記

です。

一方で、ある科学者は、「宇宙における科学のすべては、3つに分類できる」として、次のように述べています。※原文は、Daniel Fry Dot Com のThe White Sands Incident にある Three Branches of Science を参照ください。日本語文はこちらです。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物資を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。
(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。
(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造のカと無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。
宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。

下線は管理人による。

3つの科学は、図1と図2の関係(想念の経路等との対比)を吟味した結果、弧理論の基本であるE-M軸平面上に、次のように配置できます。

図3 注:半径7ですから、「ア」の値はが正しいです。誤5→6です。お詫びして訂正します。2018/01/29

訂正:想念の経路(1)において、想念の起点を「E軸上の実体」としていましたけれど、起点は「宇宙の中心」である「」に訂正します。図2の左も訂正します。

図3左側の太線で描いた紡錘図形の詳細は

図4

でした。 これを簡略化して全体(二重円)を描いたのが図3の左です。 図3右は、E-M軸平面に想念の経路(1)と(2)を書き入れたものです。紡錘図形は省略しています。

図3について、まとめると次のようになります。

想念の経路(1)は、精神科学に対応する。 想念の経路(2)は、社会科学に対応する。そして、物質科学は、E-M軸平面における紡錘図形とM軸上に投影される物質との関係に対応する。

ある科学者が指摘したように、3つの科学は図3におてい互いにラップしていて、明確に分離できません。

 

想念の経路(1)は、記紀にある「シラス/ウシハク」の「シラス」の元である「シル:知る」です。現代人にはわかりづらいです。我々に分かり易い言葉は、日月神示に頻出する「気(キ)付く」です。日月神示には「気付けよ・気の毒」などが多用されていますし、「気(キ)が元」であるとも記されています。 気(キ)とは、ときに気持ちであり気力であり、パワー(エネルギー)でもあります。  ついでながら、ヲシテ文献においてはキはキツヲサネ(東西・中央・南北)のキです。即ちとは日が昇る東の意味もあります。その意味でキは、力なのです。  the-manuscript-of-survival-part-68日本語文には、「知っていますか、知識には活力があり、生命力もあることを」と指摘している意味がここにあります。 我々が気(キ)付くことによって、得られるものこそ重要である訳です。

2015年7月7日の記事「聖書「初めに言葉ありき」は、弧理論「E軸上の実体は全情報を持っている」に等しい」に示した様に、エントロピーとエネルギー[ML2T-2]と情報との間には密接な関係があります。 これは上記を踏まえて考えると「M軸上における物質とその運動は、情報の入れ物」だと云えそうです。 全ての知識(情報)は宇宙の中心である「」を根源として、M軸上の物質がそれを受け止める。 それ故、我々は活動できると考えると合理的です。 ではE軸上にある宇宙の中心「」が持つ「情報の元(気の元)」とは何なのか?真のエネルギーと表現できますけれども、これはまだわかりません。 人の精神の根源であることは確かです。 ※想念の経路(1)はとても細く弱いようです。

想念の経路(2)は、社会科学です。 縄文哲学では「分かつ」ですから、「分けて」「与える」です。 このうち、自然科学は「分ける」に入ります。 「五感でわかるもの以外は無いとしか思えない」唯物主義ですから、「五感でわかるもの」を「分ける」ことにより理解したとします。これが自然科学です。 ですから、五感でわかる以外の想念の働き、即ち「政治 経済 思想 信条 主義 主張、既存の宗教(神頼み)、スピリチュアル系、オカルト、トンデモ、呪術」など全てが自然科学以外に分類されます。

人と人を取り巻く「物や事」のすべてにおける想念のやりとりが社会科学の対象だと云えます。それがM軸に沿った想念の経路(2)です。  自然科学に足りないのは「与える」であることがよく理解できます。  考えてみれば、五感でわかる範囲は限られており、孤立系からくる有限を皆に分け与えることは誰でも躊躇します

図3左は、「カミ」のことです。「カミ」とは

『「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの。ヒトは「ウ」なり。』

です。 ※ただ、このような解釈が真摯に研究される方々にご迷惑をお掛けする懸念があることを自覚しています。しかしながら、世に存在する様々な事柄の本質は皆同一であろうという確信の元に考察を続けていますことをご理解ください。

因みに、経路(2)にかかる想念は強く、ときに人の五感に直接働きかけるようです。 中には「神の声を聴き啓示を受けた。そして神と契約した私は救世主だ。」という人がいます。確かに五感に強く働くようですけれど、はっきり聞こえるのと現実がそうであるかどうかは別です。難しいことです。注意が必要だと強く感じます。

本記事について。とても、必要十分かつ簡潔だと云えるものではありませんけれど、研究を始めて8年目にして到達したものです。今後、図3の内容が瓦解し御破算にせねばならない事態になることはないと思います。  図3は、管理人が到達した宇宙の姿であり、今後も図3をより詳しく理解できるように研究を続けることにより、当初の目的を達成できると考えます。

です。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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