室内で出来て「五感でわかる実験」でなければ、次へ進むことはできない  巨大科学に人類の未来はない

自然科学の発達は、巨大科学の方向へと進んでいます。 巨大科学に人類の未来がかかっているように感じられますが、まったくの誤解です。 人は五感の内に生きているのですから、当たり前のことです。 巨大科学のほとんどが人の五感と無縁の領域を対象にしています。wikiを読んで強く感じます。 次表を参照ください。

表1

室内で簡単に再現できて、見て聞いて触って感じられる実験こそが未来へ通じるものです。でなければ、次へ行けるはずがありません。

追記 2017年7月26日

これまでにも書いたように、現代の物理学は、(1)抽象的な理論と(2)大規模な実験と(3)人の五感との間に極端な乖離があります。

(1)色量子力学と云っても「色」は無関係です。電子のスピンと云っても「何かが回転してる訳ではない」し、チャームもストレンジもフレーバーも元の意味とは何の関係もありません。管理人にはそれらが何の物理量を持っているのかさえ理解できません。このような頭の中に思い描くことが出来ない理論について、ある科学者は次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。 確かに電子の粒子性と波動性は実験的事実ですけれど、ある科学者は正しく眺めれば理解が容易になるとも述べています。

(2)何兆円もの事業費と人材を投入して得られたのが、例えば

図1 出典:UTokyo Reserch

です。およそ1020倍にも拡大して、漸く五感でわかるグラフを得ています。これは確かに実験的事実です。

(3)けれども、もし素粒子を大量に浴びたならば「人の五感でわかる」のは、おそらく火傷です。

 

このように理論と理論の予言を元に行われた実験により確かめられた現象五感でわかるものとの間には、一見整合性があるように思えますが、どこかが変です。 その原因の大本が時間にあるというのが管理人の結論です。

 

最近気付いたのが上記のある科学者が述べた「心で描くことのできない状態」と数学者岡潔が述べた次の言葉が同じ意味だったことです。彼の講演録【3】五感でわかるものより

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。

下線は管理人による。  人の持つ「五感によりわかる」と同じだと感じます。 つまり、人の心に思い描けるのは、五感でわかるものだけだろうということです。 恐らく人の心は、具体的な物や事を捉えるように出来ているのだと感じます。人が五感の内に生きるというのは、そういうことです。

岡潔はまた【3】西洋の唯物主義にて次のように述べています。

西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。

数十年前に自然科学者、ことに物理学者は、単独で取り出せないクオークを物質だと認めてしまいました。  これは既に五感でわかるもの以外は無いとしか思えない自然科学が唯物主義を捨てたということです。 だから、数学により記述できる抽象的で(高尚な?)理論で記述されるものは何でもありになりました。 その原因が時間にあることは疑いようがありません。 過去記事「岡潔「数は量のかげ」 数には量に応じた単位が付く しかしお金と時間には、「量」の裏付けが無い」 を参照ください。

「量」の裏付けが無い時間をパラメーターに使った物理量は、怪しいようです。 具体的には表1の「両端」においては、「運動が時間に比例して起きる」という前提が成り立っていないように思います。その意味で自然科学は表1の赤い括弧の内側でのみ正しい近似だろうということです。

はっきり云えば、自然科学、ことに宇宙物理学と素粒子物理学は超精密に理論付けされた信仰だと感じます。 彼らの基本とする唯物主義を逸脱して尚、信じる根拠を彼らは持ちません。あると思うからあるというのは信仰です。

管理人は、五感でわかるもの以外に何か在ると感じてきました。五感でわかるもの以外に興味があります。 だからこそ五感でわかる物や事をもっと大事にすべきだと考えています。岡潔の云う原始人的無知で居たくありません。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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