例えば、東京は位置であって「量」ではない 時間も同じ

前々回の記事、「位置(A)に数を附し単位を付けるのは誤り 何故なら位置は「量」ではないからの続きです。

先日、某TV番組を観ました。メンバーがスマホなしで集まれるかというものです。「都内にある大きな看板とか有名な橋とかの目印になるところへ時間内に集まる」というものです。

観ていて思い出したのが子供の頃からの疑問でした。 例えば、東京と云えば、ピンポイントで何処をいうのか?

写真1 出典:東京都庁

新宿の都庁か。それとも

写真2 出典:東京駅丸の内駅舎

東京駅なのか。 あるいは、日本の道路の起点である

写真3 出典:まち日本橋

日本橋なのか。 仮に日本橋だとすると橋のどの辺りなのだろうか?礎石?中央の橋脚部?公図に附される丈量図に対応する地面に打たれたピン? そのピンを東京と呼ぶのか?  など、今考えてもくだらないことが疑問でした。

 

これまでの考察の結果、

図1

時間とは運動の記憶でした。それは

図2

本質的に歴史年表と同じでした。

 

例えば歴史的な事件について。

写真4 出典:よど号ハイジャック事件

1970年に起きた日航機よど号のハイジャック事件を考えます。

誰でも記録を読み羽田空港という場所と年月日時刻を特定できます。 けれども事件のあった「位置」は、太陽系

図3 出典:私たちの太陽系

3番惑星の地球上であり、太陽系は銀河系の端の方に位置します。 年月日時刻は西暦0年を基準とした相対的な位置です。

ハイジャック事件があった1970年での地球と太陽系と銀河系の同じ位置に戻ってくることは絶対にありません。特定の事件について考えることはあっても、それにつれて太陽系や銀河系の位置を考えることは、まずありません。

冒頭の「東京」の位置も もの凄い速さで3次元空間を移動しています。もとの位置ではありません。

位置である東京に単位を附けることはありません。同様に時間に単位を附けることは誤りです。例えば「東京」は位置であり「量」ではないように、時間も二度と同じに戻ることがない位置であり「量」ではありません。 時間を基本物理量として扱うのは不適切です。

 

あるのは、物体の質量と運動ならびに波により引き起こされる遠隔の運動だけです。これが五感でわかるすべてだと思います。 非測定対象物が光の速さに近ければ近いほど人の五感でわからなくなります。

図4 E軸上の実体が持つ真のエネルギーは投影により質量mと運動として現れる

余分な次元軸上にある実体からの投影角が浅くなるからです。 だから時間をパラメーターに使う自然科学は近似なのです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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