先般、お教えいただいた金澤喜平氏のサイトYoshihiraのスペースの記事で『静電界は磁界を伴う』の解説に気になる部分がありますのでメモします。
1.ページ③より一部引用します。
数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしいと考えてよい。
2.いつも引用するある科学者は、次のように述べています。
たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。
下線は管理人による。 電子は粒子であるとともに、波であることは実験的事実です。 当時の物理学者たちは、この困難を「電子の空間における存在を確率の分布で表す」いう手法を用いて乗り越えました。 当時、頭の中で思い描けるモデルを考案する努力を怠ったといってよいでしょう。
3.数学者岡潔は、その講演にて「自然科学は間違っている」と主張しました。その中で【3】五感でわかるものより一部引用します。
物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。
下線は管理人による。
上記の3つの引用は、互いに関係しない様に観られます。しかし、よく読むと似たことを述べていることに気付きます。
2.に示したある科学者の云う「心で描ける」というのは、3.で示した岡潔の云う「五感でわかる」に通じると思います。 電子は実験的に(五感でわかるという意味で)粒子であると同時に波でもあります。 当時の物理学者たちは、2つの互いに矛盾するように感じる実験結果(五感でわかる事実)をうまく説明できるモデル(統合するモデル)を探すべきだったのです。
「心で描ける」、「五感でわかる」、「日常生活用語で説明できる」というそれぞれの言葉は、互いにほぼ同じ事を指すようです。 言い換えますと「物理現象とは、五感でわかり、頭の中にその様子を思い描くことができて、かつ平易な言葉で説明できる」はずだということです。 素粒子物理の実験結果は、ほとんどこれに該当しません。 これが過去に記した物理学における「理論、実験結果、人の五感」の間にある乖離だと考えます。同時に自然科学は近似だという主張も補完できそうです。
現代の物理学においてその理論は、1.に示す金澤氏の云うとおり、日常生活用語で説明できませんし、頭の中で思い描けるものでも五感でわかるものでもありません。 数学を用いて抽象的だが、精密な理論だから先進的だというのは誤解です。 その綻びが「時間」から来ているというのが管理人の主張です。物理学はもっと、もっと基本的なところから躓いています。
追記 2017/09/02
実は、何年か前より「宇宙は再帰的(Recursive)な構造をしているのではないか?」と感じてきました。自然にはフラクタルな構造は多く観られます。 我々が日常生活における物や事の内に宇宙の構造に似たものがあって、これらを参考に真の宇宙の姿に気(キ)付くようにできているのではなかろうかということです。 例えとして適正かどうかわかりませんけれども、お釈迦様の掌てのひらと孫悟空、万華鏡やX線回折は、弧理論の考え方の構造に似ていると感じて、幾度も参考に使ってきました。 我々が日常生活に見聞きする「物や事」の中に宇宙の構造のサブセット、あるいは雛形のようなものがあるとするならば、金澤氏の直観は正しいはずです。これれらは数式を使わないで平易な言葉で説明できます。
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