これまで当サイトに何度か次のように記しました。 「 自然科学 は、統合失調だ」と。 実験と理論と実験から得られた結果から受ける人の持つ感覚とが乖離していると。
- 実験1 理論1 結果1
- 実験2 理論2 結果2
- 実験3 理論3 結果3
それぞれの実験と理論と合致しており、かつ結果とも合致しているにもかかわらず、1,2,3全体を通しての「不整合である感」が拭えませんでした。 どうも管理人の感じてきたことは周知の事だったようです。
WIREDVol142015年1月号に面白い文面がありましたので一部引用します。「ハメロフ博士の世界一ぶっとんだ死の話」よりp23からです。
図1
数式で表現される大まかな現実世界は、いまのところ真っ二つに分けられている。古典力学の法則が秩序を担うマクロの世界と、量子力学が支配する、素粒子、原子、分子といったミクロの世界だ。しかし2つの理論の間には断絶があり、その境目がどこにあるか完全には理解されていない。つまり、物質がどれだけの「大きさ」であれば量子論が通用するのかわからない。
マクロの世界は、波動関数の収縮などものともせずにそこにある。しかしすべての物質はミクロなものの集合だ。波動関数の収縮がマクロの物質で起きない(ように見える)理由がどこかにあるはずなのだ。おそらくそのメカニズムこそが、量子力学と古典力学の断絶をつなぐヒントになる。しかし、それには観測者自体がシステムのなかに組み込まれなければならない。
管理人は、古典力学と量子力学の断絶以上に不整合を感じています。量子力学などの先鋭化された実験の間においても人の感覚と乖離しています。 引用では断絶をつなぐヒントは「観測者自体をシステムに組み込まねば」と述べています。 これまで、管理人は「大凡考えられる物や事は相対的だ」と考えてきました。 その意味で我われと他であるとともに、他は二つ以上であり、計3つ以上の対象の内に考えるべきだと考えてきましたし、考察の基本もこれにありました。
最早、自然科学の基礎となる「時間空間」のとらえ方に問題があることは明白です。相対論と量子理論の成立過程にあった1900年代初頭に問題の本質に気付き、軌道を修正すべきだったと考えます。 自然科学はあまりにも基礎的なことを蔑ろにしてきました。
参考
E=mc2の数式の解釈について、「物質はエネルギーに転換するし逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる側面である」が弧理論の考え方の出発点です。 ここに余分な次元軸であるエネルギー軸を考える根拠があります。
図2
E軸上の実体が持つ真のエネルギーは、物質面(M軸)において質量として認識されます。横からはエネルギー面が見えます。このように視点を変えるのではなくて、実体の物質面への投影角を変えることによって
図3
M軸においては、質量mとエネルギー[ML2T-2]※(当サイトでは時間を使わない運動P)が両方の側面を持っています。これが基本です。
投影角θがゼロのとき、実体であるCがC3のときに、質量はM軸に対して次元を失います(測定できない)。同時に運動P3のときに「波」として観測されます。これが光速度に相当します。 従前、波として観測されるのは運動P3のときのみだと認識してきました。
電子は粒子としても波としても観測されます。
写真1
その際の電子の速度は光速度よりかなり遅いです。このような遅い速度であっても電子は波として観測されます。 どうも、どれほどの投影角かは不明ながらも図3のC2の運動P2などのときも測定の仕方によっては、電子は波として観測されるようです。 これが、冒頭引用文の「2つの理論の間にある断絶」をつなぐものの可能性があります。
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