弧理論 の考え方から見た「電子が粒子で波動性をもつ」ことについて

このところ考えるべき事が多く戸惑っています。今回は、ある程度まとめられたこと( 弧理論 から見た電子について)を記します。

研究の発端は次の通りでした。

電気磁気現象が必ず直交して現れるのは、原因は一つの何かであって、我々はその異なる側面を電気・磁気として観測しているのかも知れないという発想からでした。 それがG・アダムスキーによる

図1

紡錘図形のヒゲではないか、というものです。(赤い枠の部分)   その考察の延長上に「第3起電力のエネルギー源について」があります。  この考察の結果得られたのが

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図2

弧理論の考え方の基本形です。 その根拠を基礎付けたのは、いつも引用するある科学者による次の言葉でした。

科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。 (省略) つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎないのだ。

これまでの別の考察によれば、時間を用いることはできません。エネルギーの次元解析は[ML2T-2]ですから、エネルギーという用語を当サイトでは運動と読んでいます。(時間を含む運動量Pと区別して_を付けています。)  上記の言葉を運動に置き換えますと次のようになります。

物質は運動に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動も一つの実体が持つ真のエネルギーの異なる面である。

ここで仮説となる「一つの実体」の持つ値を真のエネルギーと呼びます。それが、図1です。縦軸をE軸と呼び横軸をM軸(物質空間)と呼び2次元平面で表します。 E軸上にある真のエネルギー値を持つ一つの実体がM軸に投影されることにより、位置を伴って質量を持つ物質(物体)として現れます。

 

例えば電子の実体CがM軸に投影されることにより、質量mを持って現れます。(位置が決まるということです。)ある観測者に対して静止しているとき、投影角θは90度です。

図3

ある観測者に対して運動1の状態にあるとき投影角は90度より小さくなります。そして、運動が次第に大きくなるにつれて質量mはM軸上で次元を失います。つまり観測者は電子の質量を測定しにくくなります。運動3のときが最大で投影角はゼロです。この状態が質量を測定できない「波」として観測されます。 運動3の状態が光速度であって、量子理論(素粒子物理学)による光子に相当します。   また、運動2では粒子の性質と波としての性質を併せ持つようです。

波の性質として波は波面を作ります。波は大凡の方向は示せますが位置を特定できませんし、波の質量を測定できません。

例えば、図3において電子が運動2の状態にあるとき質量を測定できますが、波の性質から位置を特定しにくくなります。

図4 出典:二重スリット実験

電子の二重スリット実験に於いて、2つのスリットを波として通過すると云うことの解釈が上記弧理論の考え方により説明できます。

冒頭のある科学者は、電子の振る舞いについて次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

粒子で波動性の二重性をもつものという定義は頭の中で描くことができません。ところが図3を用いて考えることにより、理解は容易になります。つまり、波動関数を用いた存在の確率分布という考え方を用いずに波は波として捉えてよいのではないかということです。

冒頭の「物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面」という説明と「電子が粒子で、波動性の二重性をもつもの」という解釈は、同義であって、単に言い換えたものであることに気付きます。

繰り返します。弧理論の考え方によれば、例えば電子はM軸上で次元を失い、質量の測定ができなくて「波」である状態を量子力学で光子と云います。

 

量子力学において

図5

を伝える粒子というのは、近接作用を基礎としています。 電磁相互作用は光子(フォトン)が媒介するというのが量子力学の結論です。   上記、弧理論の考え方による電子の粒子と波動性の説明によれば、波が力を媒介すると考えて差し支えないと思えます。つまり遠隔作用です。(本当はどちらでもよいように感じます。空間の真空といっても「無」ではありませんから。過去記事を参照ください。)

寺田寅彦「物理学と感覚」よりについて一部引用します。

たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。

というのは人が持つ観念であって具体的なものではなく、人の便宜だと解いています。この点は、因果性と関係があり、別途考察の必要があります。

量子力学の結論である力の粒子は、寺田寅彦の引用に鑑みればミスリードのような気がします。間違いではないけれども、本質からずれているように感じます。  時間といいといい、人が持つ観念を以て本質から目を背ける何かの意図を感じるのは、管理人だけでしょうか? 何かどうしても理論を孤立系に押し込める必要があるという意図を感じます。

 

9/29追記 本記事で云いたいのは、「E軸上の実体は、M軸上において多面性を持つ」ということです。 以下、箇条書きにします。

  1. 物質も運動(エネルギー[ML2T-2])も一つの実体の異なる側面
  2. 例えば、電子も電磁波(光子)も一つの実体の異なる側面
  3. 電気も磁気も一つの実体の異なる側面

ということです。 E-M軸平面での位相が異なることで、一見似ているけれども別の現象として理解されているものが、一つの実体の異なる側面だという理解です。 弧理論の考え方において、E軸上の実体が持つ真のエネルギーは、いろいろな意味を併せ持っています。

2000年頃、ベクトル・ポテンシャルの存在が実験で確かめられました。(電子波で見る電磁界分布) 例えば、「ベクトル・ポテンシャルもスカラー・ポテンシャルも一つの実体の異なる側面」として、確認・認識されうるのかも知れません。  そのほかにも現在、各々の分野として理解されている現象について、上記の考え方にて理解できるようになるかも知れません。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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