管理人が初めてコンピューターというものを知ったのは、学生時に学んだ情報理論と、数値計算法でした。 余談が長いです。
初めて接した電算機は
写真1 出典:コンピュータ博物館
富士通のFACOMでした。初めて見たマイコンは
写真2 出典:Apple II
でした。 授業ではサイバネティクスからの歴史と理論、パターン認識の事などを学んだ記憶があります。言語はFORTRANでした。授業とは関係なく電算機センターにLIFEゲームの(パンチカードによる)プログラムを持ち込んで遊んでいました。(結果はラインプリンタによる紙で返ってきます。)
友人が買ったマイコンは確か
写真3 出典:MEK-6802-D5
モトローラの6800を載せた評価キットでした。 そして就職後初めての小遣いを持って買いに行ったのは
写真4 出典:TK-80
のコピー品
写真5 出典:MK-80A
でした。拡張してTK-80BSにして、外部記憶はカセットテープでサッポロシティ・スタンダードでした。
今思い出したのですが、学生当時ロゲルギストによる「物理の散歩道」を読んでいましたので、授業にそのお一人がおられて授業後に質問をしたことを覚えています。ほんとに懐かしい。
(1)人の創造性について
以来、世間にパソコンという名称が定着する前から、ずっとコンピュータのことが好きで続いています。ところがプログラミング能力がからっきしで、たった100行くらいまでしか書けません。致命的に才能がありませんでした。 にもかかわらずコンピュータのことが好きなのは、コンピュータは「人間とは何か」について考えるにとても役に立つ道具だからです。
考えてみたら「何かを入力」し、「何かを出力」するという事においては
図1
人間もコンピュータもブラックボックスなわけです。これは自然科学の原点に同じです。「何か」を理解するに
図2
分ける事により「分かる」と信じて疑わないのですから、コンピュータは人間自身を「分かろう」とするに最適だと云うことです。
近頃、「分ける」→「分かる:理解する」ではないことが分かってきました。つまり要素に還元することによって「分かる」訳ではないのです。 先日、家人に人とAI(人工知能)とは何が違うかと質問したところ、「感情の有無ではないか」と答えが返ってきました。 これは見当違いです。
いろんなタイプのチューリングテストが工夫されています。非常に限定されたものながら、ある程度「人を騙せる」ものが出来ているようです。 同時に、AIで小説を創り、作詩や作曲し、絵画を描くなどの取り組みが行われています。
写真6 出典:機械学習したAIがレンブラントの”新作”を出力。絵具の隆起も3D再現した「The Next Rembrandt」公開
それは、○○風であったり、
写真7 出典:【衝撃】Googleの人工知能が描いた絵が凄すぎる!
コラージュとは違った、何かと何かを全体と細部にわたってミックスした作品であったりします。これらは、
図3
人の脳の働きを模したものから創り出されたものです。 人間もAIも
図1 再掲
ブラックボックスとした場合の究極だと云えます。 その点において、人とコンピュータとの間に違いはありません。 人の反応は人によって余りに違いがありますけれども、小説や作詩作曲、あるいは絵画やその他、五感を通して人の感情に訴えるAIは遠い未来かも知れないけれどもいつか実現可能かと思われます。 つまり、AI(人工知能)が内部に感情を持つかどうかは問われないということです。いつかは○○風の反応により人を騙せるだろうと考えます。
一方で、AIから創造的なことは、出てくるかというとムリだと感じます。(偶然はあり得るでしょうけれど、人類の発達が偶然の積み重ねだけだとは信じられません。) 写真7の引用元の作品を観て感じるのは、「気味の悪さ:不気味さ」です。 既知でない創造や発明発見は、このような仕組みから出てこないと考えます。
人の感情とは、ブラックボックスで代替えが可能であろうとすると、感情とは何かという事です。
それは縄文哲学から理解できます。 縄文時代に素晴らしい文明が存在したといいます。古史古伝たるヲシテ文献の研究者である池田満氏によれば
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動画1 【ヲシテ文献】 漢字渡来以前の日本を探る【ch桜】6-5
の2:50あたりからの、縄文哲学における魂とは何かについて語っています。 魂 (タマ+シヰ) タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”です。 シヰ=”欲しい、欲しい”の“シヰ”であって、強いるの”シヰ”、つまり、生命維持の欲求です。 魂とは
タマ+シヰに地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シヰ」は地球に残る。
ということです。
喜怒哀楽、つまり、美しい、美味しい、嬉しい、悲しい、腹立たしい、楽しい、素晴らしい、などの「しい」は「シヰ」に通じるものがあります。 国語学を学んだわけではありませんから、断言できませんけれども送り仮名の「しい」が「強いるのシヰ」につながるだろうと考えます。 これら人の感情である喜怒哀楽が先のブラックボックスにて代替えが可能だろうということです。
もう一つ、数学者の岡潔の言葉によれば、それらは「第1の心」に近いか等しいと考えられます。【1】 2つの心より引用します。
人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心は私というものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。
それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
欧米人はこの第1の心しか知らない。しかし人にはもう1つ心がある、第2の心。心は2つしかないのです。1つじゃない、もう1つある、第2の心。この第2の心は前頭葉に宿っている。この心は無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、直にわかる。
第1の心は、意識を通します。 私わたくしというものを入れなければ金輪際動かない心です。 その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさいと述べています。 これらは全て第1の心であって、喜怒哀楽に相当します。そして、これら感情は縄文哲学の「強いるのシヰ」に等しいと云えます。 そして、ブラックボックスで代替えが可能のようです。
まとめますと、人の感情は、タマ+シヰのシヰであって、喜怒哀楽として意識を通します。それはブラックボックスとして代替えが可能のようです。岡潔の言葉で注目すべきは、「私は愛する、私は憎む」も含むと云うことです。 注:追記末尾↓
上記のことは、これまでの考察により得た
図4
「宇宙の仕組み=縄文哲学による”カミ”」に示されています。 想念の経路(2)がそれです。 想念の横の経路とは、五感を通しての人と人の会話や自然とのやりとりのすべてを取り持つ想念の経路を云います。 これが社会科学の根幹です。大事なこととして、地球上のほぼすべての宗教は横の経路だということです。多くの宗教者が言うところの「神」は、ほとんどこれです。 (余談ですけれども、池田満氏によればアメノミヲヤは、神仏と違いほとんど人格性が無いとのことです。当然、偶像性もありません。その意味では図4に示す2つの宇宙の中心「ア」と「ワ」のいずれかはアメノミヲヤかも知れません。)
では、創造性はどこから来るかです。 それは想念の縦の経路から来ます。記紀によるシラスウシハクのシラスは尊敬語だそうです。その元の「シル」は「領る」ではなくて「知る」です。 現代人に分かり易い言葉としては「気(キ)付く」です。 アイディア、閃きなどの表現でもよいでしょう。 上記の人工パーセプトロンの元となった人のニューロン
図5 出典:ニューロンとは
はネットワークを作っています。そのニューロンの内に、入力なくして出力のみが生じる場合があるのではないかと考えています。
図6
ネットワーク内にあるニューロンの内の一つにおいて、入力がないにもかかわらず出力のみが生じる場合があると考えます。 その切っ掛け(トリガー)が縦の想念です。
弧理論の考え方の基本は
図7
余分な次元軸上にある実体が持つ真のエネルギーがM軸(物質空間)上に投影されて位置を持つ物質として現れるというものです。この真のエネルギーというものが何なのか、どのような性質を持つものなのか分かっていませんけれども、
図8 弧理論の考え方においては、エネルギー[ML2T-2]は運動Pのこと。
エネルギー[ML2T-2]、つまり運動Pと情報は密接な関係にあります。つまり、E軸上の実体が持つ真のエネルギーがニューロン内にある電子に運動Pを励起?するのではないかというのが管理人の考えです。 真のエネルギーとは、情報そのものではなくて、情報の元とでも言うべきものかと考えます。 真のエネルギーが投影されてM軸上において質量として現れているということです。ですから運動Pとして作用することも考えられるということです。
ついでながら、弧理論の考え方の根拠は、ある科学者のE=mc2についての言葉から来ています。
物質はエネルギーに転換するし、逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。
改めて、想念の縦の経路によって、人は新しいことに気(キ)付くのだと考えます。これは感情と異なり極めて静的です。 人間とAI(人工知能)との違いは気(キ)付くことです。人工知能は気付くことが出来ません。 勿論のこと、人は人工知能と異なり、感情の元となる(シヰ)を持っています。 表面上はこれをAI(人工知能)で表現できるだろうということに過ぎません。
AI(人工知能)は、○○風の作品を創り出したり、反応をするように出来ると考えますが、それは不気味であったり、あくまで真似でしかありません。 人は、基礎を繰り返し真似る、まねぶ→学ぶ、そうしてやがて素晴らしい作品を創造するのです。 その根拠が想念の縦の経路だと考えます。
(2)人の思考における「時制」について
これまでの考察の対象は、岡潔の言葉による時間あるいは空間、シラスウシハクのシラスによる「知る」、気(キ)付くなどについてでした。 ところがある時点で、これらの言葉には時制がある事に気付きました。
時間は、運動より作るもの(日本標準時をつくる)であって、
図9
記憶あるいは記録ですから、時(とき)の現在と未来に適用できません。
「知る」は、
図10
どう考えても、時の現在と未来に適用できません。 物や事について「知る」ことが出来るのは、過ぎてからしかあり得ません。 時報を知らせることができるのは過ぎてからです。その意味で上の2つは時制があっています。
「気(キ)付く」は、
図11
どう考えても、時の現在と未来に適用できません。 新規性のあることに「気付く」ことが出来るのは、過ぎてからしかあり得ません。 一人称で「今、気付いた」と過去形で云うしかないからです。
感情、喜怒哀楽、つまり、美しい、美味しい、嬉しい、悲しい、腹立たしい、楽しい、素晴らしい、など岡潔が云うところの意識を通す第一の心、「私というものを入れた心」、あるいは「シヰ」は、
図12
時の現在と過去に適用できます。
実は、以前に調べた「お金」についても、
図13
時の現在と未来に適用できません。 ニュースのおしまいに「為替と株の値動き」のお知らせがあります。如何にも「現在」の値を云っているように感じます。 実際のところ外国為替市場はコンピュータで取引をしており、毎秒100回以上繰り返されているようです。でも、理論的には「今:現在」の値を知ることは不可能ですし、未来の値を知ることも不可能です。 物価も同じです。
写真8 出典:新潟県内農業ニュース
市場のせりの様子を観れば分かります。「せり値」が決まった後にしか知ることはできません。
図9の時間と図13のお金に関する特性は、時制という点では同じです。いずれも「作るもの」だからです。 その意味では、時間、お金、気付く、はいずれも未来へ向けての作業という点では同じだということになります。 繰り返します。
時間は作るもの。お金は値付けするもの。「気付く」は新規性のある知見(知識・情報)を見いだすこと。 シヰ(第1の心、感情)は、時の現在の心のあり方を示すもの。 どうもそのようにまとめられそうです。 縄文哲学の骨格たる「タマ+シヰ」の構造は、どうも縄文の人たちによるもの凄い洞察によるようです。
お金について調べだしてから10年余り経ちました。時間について調べて3年ほどです。
図14 出典:モモ―時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にかえしてくれた女の子のふしぎな物語
ミヒャエル・エンデのモモに関心を持ってから、時間とお金の関係を調べた訳ですけれど、実に深い関係があることがわかってきました。
the-manuscript-of-survival-part-68日本語文には、LHCによる素粒子実験について、次のように書かれています。一部引用します。
そのような粒子は存在します。しかし、彼らが探しているものとは全く違うのです。それは多くの点で、不可視のものを探す試みと言えます。普通の人間の目は、このようなものを見ることはできません。単にサイズが小さいせいではなく、エネルギーの量を正しく求める方法を知らないからです。
脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。
この物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクトなのです。
原文は2012年1月です。 この文章には、多くのことが示唆されています。
- 暗黒エネルギーと暗黒物質は旧弧電磁気論に示すE軸上の実体のどれかに相当するらしい
- 「エネルギーの量を正しく求める方法を知らない」→「一つの実体の異なる面」だろう
- 脳は、最低レベルで機能させるための装置→脳は、どうもソケットに過ぎないらしい
- 上手に組み立てられた誤魔化しのプロジェクト→時間が問題だろう。誰も自明のこととして考えないというのは、凄く問題だ
- お金の本質は石油資本主義にあるという指摘
- 本当に有用な知識にアクセスするとは、どういうことか
- 同時に、この知識が悪用されるならば破滅的な事態を引き起こす
今や、研究は進んで
- 自然科学のどこに問題があるのか(時間が問題)
- お金のシステムの問題点(五感は非線形なのにお金は線形であることの違いによる)
- お金も時間も伴うべき「量」がない→数学的概念に過ぎないものを利用して「量」を左右する道具に使っている
- 解決の方向(物質空間は、余分な次元軸からの投影による映像であること)→真のエネルギーを元に正しく量を求められるはず
などが分かってきました。
お金、時間、エネルギー、自然科学特に物理学の問題点、いずれをとっても地球が危機的な構造を持っていることは明らかです。
人の持つ創造性は、確率やネットワークに求められないことは明白です。知識・情報・知見がどのようにやってくるのか、どのような仕組みなのかを知らねば、何も解決しないと強く感じます。
余談です。 確率と云えば、複雑系や諺「風が吹けば桶屋が儲かる」、あるいはバタフライ効果を思い出します。 しかしながら、このような考え方で人が理解できるとは到底思えません。 一部の物理学者は「神」について考えているようです。 しかし、時間の本質が分かれば、古典力学も量子力学も決定論にはなり得ないことは分かるはずです。確率論的思考から「神」を論ずるのは違う気がします。 時間にはどう考えても、次元軸などありません。時間は空間の性質から派生した、あるいは性質を切り取って観念化したものです。
書きたいことはありますけれど、これくらいにします。 他に関連することとして
- シンギュラリティ(技術的特異点)2045年問題
- 言語に時制がないというアマゾンのピダハン族のこと
があります。これは本記事と関連がありますが、割愛します。
最近気になるのは、
宇宙の大きさが人間から観て小さくは10-20倍くらいで、大きい方が1020倍であって、宇宙がだいたい1040くらいのスケールだということからディラックの大数仮説と何か関係があるのかということです。簡単にいえば、人間が持つ感覚により認識できる範囲と宇宙の大きさにかかる関係は、人が基本粒子(陽子中性子電子)にて組み立てられたからだと考えます。「最も小さいものは、最も大きいものより、小さくはない」のですから、基本粒子を基準にして上表を観るとだいたい納得できそうです。 例えば仮に「LEGOブロックで人と同じ感覚器官を作るとすれば」、おのずと「宇宙の大きさも比例して大きくせざるを得ない」はずです。
何故、1040に辿り着いたかというと、上表を人間100mを中心に折りたたんだ
図15
を思い描いたからです。 巨大数仮説とか人間原理とかは分かりませんけれども、人と宇宙の仕組みには基本粒子の大きさが絡んでいるだろうとの考えです。
追記 日本ヲシテ研究所の池田満氏の研究に関する資料(書籍・動画・講演)は引用に際し、適宜、池田氏よりご許可をいただいています。40年にわたるご研究の成果なくして当サイトの進展はあり得ません。大変感謝申し上げている次第です。 しかし、当サイト独自の解釈の部分についての記事の責任は管理人Φ(nsw495kpr8)にあります。 池田満氏とは関係ありませんので、当サイトの記事に関して池田氏にお問い合わせなさらないようお願い申し上げます。何かありましたら掲示板タブにコメント、もしくはメールにてご連絡お願い申し上げます。
追記2022/08/20 処理系としての脳とシヰ(生命維持の欲求)は近いけれども異なると考えます。処理系である脳やAIにシヰの働きは無いようです。
ヒト=タマ+シヰ+処理系です。ただ、シヰと処理系は極近いです。何故なら第1の心は現在を含みません。即ち言葉で言えるということは、時の過去だからです。シヰには記憶の働きがありません。記憶(情報)は処理系に属します。だから、シヰと処理系は近くなければなりません。
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