ウ( 渦 )とは何か 物と事との関係は?

本記事は、考察に資するための管理人の備忘です。従って、わかりにくい内容であることをあらかじめお断ります。

これまで、物質とは何かを考え続けてきました。人がわかるのはです。

  • 物には量があり、事には質がある。
  • 数は物の量のかげ
  • 数は事の質のかげ

物質質量という語は、物理学の用語であり、和製漢語です。いずれもで表すことが出来ますけれども、物と事の区別を考えると奇妙な用語です。自然科学に物と事の区別がありませんから、欧米語を漢語にするには、仕方ないことだったのかと思います。

 

弧理論の考え方からすると、物質はウに当たりそうです。のウです。

カミの仕組みを考慮して模型を作りました。

gif1

渦と言えば、スターラーの渦ですが、弧理論では、現象差分ですので二層式の渦を作りました。

gif2 逆さの渦(凸)

この二層式の渦には凹と凸の2種類あります。 渦 は凸と凹の2種類です。

 

しかしながら、この渦と「物と事」との関係がよくわかっていません

弧理論では、物と事は一つの実体の異なる面過ぎないのです。簡略化したのが次です。

図1

上に示した渦と図1がイメージとしてつながらないのです。ただ、図1は概略図ですので、M軸より下半分を省略しています。

それに、基軸上よりM軸への投影?の際には、運動位相が変換されて現れると考えています。

注)この考え方は、2011年の弧電磁気論に示したものです。

  • 基軸上にあるアとワには斥力が働く(宇宙に働く力は、斥力が主)
  • 実体は、常に基軸に対して平衡状態に復元しようとする
  • 実体Cが復元しようとすると射影である運動は大きく(長く)なる
  • ただし、この射影は位相がずれて現れる(運動
  • 近づけば、左方向に、遠ざかれば右方向に力を受ける(力は接線方向に働く)

例えば、陽子と電子で考えた場合、次になります。

図2 基軸(旧E軸)上にある電子の実体Cが復元しようとすると、電子の運動は、接線方向に現れる

図2とgif2とは、回転方向は逆ですが、イメージとしては近いです。しかし、2つの渦(図2とgif2)の描像と図1に示した「物と事」とはつながりにくいです。渦の回転軸が傾くというのは、どういった状態を指すのでしょうか?

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原罪 とは価値の押しつけ

ヒトがわかるのは、物と事です。物と事は必ずとして現れます。これを如来の仕組みと言います。あるいは二元論に同じです。

但し、如来の仕組みには、価値の押しつけはありません。以下は如来の例です。

  • 善は悪の如し、悪は善の如し
  • 右は左の如し、左は右の如し
  • 真は偽の如し、偽は真の如し
  • 男は女の如し、女は男の如し
  • 天国は地獄の如し、地獄は天国の如し
  • 神は悪魔の如し、悪魔は神の如し
  • ・・・・

そして、如来の仕組みの内にあります。これは価値です。

唯一絶対の神という存在に対して、知恵の実を食べた人類は楽園を追放されました。

  • 神(楽園)→ 地上(地獄)

神に対して罪を犯したから、罰として地上において労働を強いたのです。

神の人間への価値の押しつけは以下です。

  • 神・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・→地上(苦)
  •     イエス:GOD←救い(信仰)

「人間はすべからく罪があるから、地上において悪事を働く、だけれどもイエスキリスト、あるいはGODからの救いがあるから良い行いを保てる。」となります。

日本人にはわかりません。お天道様が見ているのであって、 原罪 を償うために道徳心を持っているのではありません。この強いバイアスが原罪であるようです。過去にも書きましたが、次のように言われることがあります。

  • アメリカ人、信仰を取ったら中国人

これが信仰を無くしたアメリカ人の本質であるようです。共産主義にある中国人の国はなくて、市場があるだけとも言われます。ここで、信仰とは自己の肯定であるようです。(諺「鰯の頭も信心から」は正しい。)

つまり、神という押しつけ、神からの罪の押しつけ、その上で罰の押しつけが重なっており、そのまた上に、信仰の押しつけがあって、最後に救いがあるという複雑さです。これは価値の押しつけのオンパレードです。救いがたいほどです。

人間が知恵の実を食べることによる罪は、日本人には関係ありません。日本語の起源となるアワウタに「超自然的な何か(抽象)」がないからです。日本人は、最後に理屈じゃないところがあります。理論理屈にトコトン拘ると、行き着く先は抽象であって、理屈へのこだわりは2つの心の乖離に至ります。心を病むことになります。結局のところ、人類の自滅につながります。これが原罪に相当します。理由は簡単で、言葉は繰り返し循環・ネットワークだからです。論理に繰り返しが現れたならば、警戒すべきです。

 

ところで、GODは、一般名詞、普通名詞です。本当は、YHWHです。つまり、価値の押しつけがあるのは神(GOD)ですが、YHWHには、それがあるかどうかわかりません。もしかしたら、YHWHには、価値の押しつけが無いのかもしれません。そうすると、YHWHは、如来やBuddhaあるいはヲシテ文献によるカミに近いかも知れません。何せ、名前の正確な発音すらわかっていません。ただ、このままでは、科学になり得ないことは確かです。

図1 出典:ヤハウェ

 

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ヲシテの「カミ」と一神教の 神 の関係

先般、ヒトが物と事を「わかる」順を現在と過去に整理しました。

図1

この図の目的は、Buddha如来の関係を示すためでした。しかしながら、あまりにも詰め込んだことにより、全体の流れがわかりにくくなっています。そこで、ヲシテ文献によるカミの仕組みと一神教のの関係のみを書き出して、全体の見通しをよくしようと思います。

  • ヲシテ文献による「カミ」の仕組み 自己(タマ:Buddha) 如来の仕組み 一神教の神

最も大きな掴みとして、ヲシテのカミがあります。その内に自己があります。次に、物と事の仕組みとして如来があります。その如来の仕組みの内に があります。

ヲシテ文献によるカミの仕組みは以下です。

  • アとワはつながり、ウもたらし、ウよりヒトを生じさせる。ヒトノモノ

ヲシテ文献によれば、ヒトとは以下です。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物と事:物質と運動

 

ヒトはタマ(自己:Buddha)を含めて「ア」のものですから、ヲシテ文献にあるカミの仕組みの内にあります。

ヲシテ文献によるカミには、一神教の 神 に示すような「超自然的な何か」がありません。田中英通氏が言う「日本人はを信じていない」という場合の神は、一神教の 神 を言います。

「自己ととなるのが自然界」であって、これをBuddhaといいます。ヲシテ文献では自己をタマと言います。これが心の本体です。自然界は自己の表れであって、日本人にとって「超自然的な何か」は存在しません。日本人にとって、自然が大事なのです。日本人にとって、自己が大事なのです。これは、田中英通氏が言う自然崇拝、自然道と同じです。

何せ、自然は自己の表れですから、神様仏様より人間の都合が優先します。これを日本教と言います。また、タマ:Buddhaの働きの部分が「わかる:時の現在」です。これを岡潔は「情」と言いました。善導大師は「覚」と名付けました。

  • 自己:Buddha ⊃ 情、覚

 

とても複雑な関係にありますが、過去の記事も併せて読み込んで頂けると有り難いです。

 

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なぜ、 宇宙 に物質粒子は3種類なのか? 空間と物質との関係について

弧理論の前提である「自然(M軸)は別の次元軸(基軸)からの投影による映像」だとすると、 宇宙 空間に基本となる物質粒子が3種類になることがわかりました。

ただ、3種類の基本粒子(陽子・中性子・電子)が異なる質量と運動を持っているのかはよくわかっていません。現在、簡単な模型を作るべく材料を検討しています。以下に概略をメモします。

 

4次元は4つの3次元よりなる

M軸(x,y,z)に基軸(気軸:K軸)を足すと4次元になります。4次元は、M軸(x,y,z)を含んで4つの3次元に分解できます。

図1

岡潔の言葉によれば、「空間は量的質的にない。」とのことで、いくつかの模型を経て境界 空間 の仮説に行き着きました。

 

境界空間模型

gif1 灯油と水による境界面の模型

この模型でわかるとおり、境界面(2次元平面)は存在しません。境界面は量的に、質的にありません。本当にあるのは、灯油と水ですから、これらがわかるから存在しない境界面がわかるのです。

 

基軸上にある3つの境界面

同様に、図1の右側3つの3次元空間(x,y,K、z,x,K、y,z,K)にgif1と同様の境界面が存在するとします。すると、右側3つの3次元空間にそれぞれ異なった泡と波が出来ます。これが3種類の異なる粒子に相当します。

泡がであるとともに波が事(運動に相当すると考えます。右側3つの3次元空間にある境界面(x,y平面、z,x平面、y,z平面)並びに3種類の泡が組み合わさることによって、M軸(x,y,z)ができます。これが宇宙空間であり、物:基本粒子(陽子・中性子・電子の3個)です。

本当に存在するのは、右側3つの3次元空間(x,y,K、z,x,K、y,z,K)にある灯油と水です。つまり、図1並びにgif1の模型を鑑みて、2液×3つの3次元=6種類の異なる交わらない液体(のような何か)が基軸上にあれば、M軸(自然界:宇宙空間)が出来る訳です。

このままでは、想像しにくいですが、3つの境界面3つの泡とその運動組み合わさること投影という仕組みだと言うことになります。

 

まとめますと、M軸を含めた4次元で(かつ、それぞれに境界面が)あれば、空間の性質とそこに基本粒子3種が現れるということです。

  • 空間は量的質的に無い。
  • 物質は、基本粒子3種類

この条件を満たすのは、自然が映像だからということになります。

管理人的には極めて簡潔できれいな模型です。そして、電磁気現象は、M軸と基軸との位相問題として扱えるだろうと考えます。 この模型は、曖昧なことやわからないことが多くありますが、かなり良い線を行っているように思います。宇宙 空間 と物質との関係を簡潔に示せたのは初めてかも知れません。

 

素粒子群は物ではなく、事

補足します。数多く観測される素粒子群は、粒子とされますがではなくて波の一種である(運動)です。

図2 物と事は一つの実体の異なる面 現在と過去は一つの実体の異なる面

基軸上にある6種類の実体が互いに干渉してM軸上にとして現れる訳です。ですから、素粒子群は基本粒子の数3の整数倍になります。

図2 標準模型 クオーク6種 レプトン6種 力4種 ヒッグス1種

そして、単独で取り出せないクオークは存在しません。なぜなら、泡に内部構造はないからです。更に補足です。力の粒子4種類はあり得ません。自然が映像ならば、近接作用はあり得ないからです。遠隔作用でしか理解のしようがありません。

 

追記12/16 わかりにくいので、もう少し説明したいのですが、改めて模型が出来てからにします。

 

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本居宣長 の何が凄いのか

本居宣長 については、2016年頃から参考にしてきました。検索すると 本居宣長 を含む記事は42件ありました。

興味深い動画がありましたので、メモします。

動画1 中二階の巨人・本居宣長/江戸時代の再発見05

動画で浜崎洋介氏は難しいことを述べていますが、管理人はヲシテ文献との比較において、もののあはれ(もののあわれ)を解釈しました。

  • ナサケヱダ・・・・岡潔の(物がわかる)
  • アワレヱダ・・・・本居宣長(もののあわれ
  • ミヤビ・・・・ヒトに社会性が備わる。記憶を司る。

2つあわせてミヤビと言います。ミヤビ(ナサケヱダ、アワレヱダ)については、ホツマ辞典を参考にしました。

ヲシテ文献から、逆に本居宣長の「もののあわれ」の意味を解釈したことになります。

  1. 物がわかる・・・・情的にわかる
  2. 事がわかる・・・・(動きがわかる)

1.岡潔の言う「情」であり、本居宣長の言う「もののあわれ」が(1.物がわかり、2.動きがわかる)だと解釈したということです。図に示します。

図1

まず、1)がわかり、2)(動き)がわかります。そこから、物事に3)意味づけできます。そうして4)言葉で言えるのです。それが5)知識です。そこから、6)価値がわかります。そうやって、人は7)意識を通して8)価値が判断できます。また、往々にして9)価値は反転します。物事は19)相対的だからです。

注)西洋人は、4)からしか知りません。下図2を参照下さい。

 

動画1で浜崎洋介氏も本居宣長は、35年に渡る研究で、「知識、意識以前に何があるのか(心に腑に落ちる:理屈じゃなくなる)」を探求したとでも言える発言をしています。

人が持つ価値に矛盾があることをどう考えるかについてのお話です。日本人は理念が大嫌いだというお話はよくわかります。つまり、日本人は言葉以前に感じるところを探っているということです。

本居宣長は、「あいうえお」を漢字に宛てた文章を読み解くところから、日本人の心の仕組みにまで踏み込んだ訳ですから本当に凄いです。惜しむらくは、本居宣長は、漢字渡来以前からあったホツマツタヱなどの存在を知らなかったことです。

図2

感想として、Buddhaや如来は凄いです。しかし、Buddhaのままでは、科学になり得ないのでヲシテ文献の示すところへ進めねばなりません。

 

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如来 と岡潔「自然数の1は決してわからない」の関係

前回の記事(図1)において、 如来 の仕組みと※2に示した岡潔の言葉との関係について補足します。

図1 「わかる」を時の順に仕分け

自然数の1は決してわからない

岡潔思想研究会の講演録【6】数学の使えない世界、解説8において、「自然数の1は決してわからない」と述べた事が紹介されています。当サイトにおいて、従前は、次のように説明してきました。

自然数「1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11、12、13・・・」の1は決してわからないとしています。10進数は、0~9の10個の文字を使ってを表します。このままでは意味がわかりませんので、2進数の場合を考えます。

0、1、10、11、100、101、110、111、1000・・・

2進数は、使う文字が2つしかありませんので、すぐに桁上がりします。これはソロバンの玉が1つしかない状態に似ています。さらに簡単に2進数1桁の数を考えます。

  • 0、1

ここで、1とは0でない数ですし、0とは1でない数です。つまり、最も簡単なである1は0と互いに規定し合って成り立っているという意味です。ですから、1はわかり得ないのです。(規定し得ない。)そして、2進数で桁が増えても同じですし、これが10進数であっても16進数であっても同じで「1は決してわからない」と納得できます。

因みに、コンピュータは2進数を半導体の電流のオンオフに置き換えて計算を実現しています。

 

如来の仕組みはスイッチ

如来とは、読んで字の如しです。

  • ~のような、のような、のような、のような・・・

ずっと続きます。この文の「~」にいろいろ入れた例があります。

  • 善は悪の如し、悪は善の如し
  • 右は左の如し、左は右の如し
  • 真は偽の如し、偽は真の如し
  • 男は女の如し、女は男の如し
  • 天国は地獄の如し、地獄は天国の如し
  • 神は悪魔の如し、悪魔は神の如し
  • ・・・・

これは二元論に等しいです。もう少しわかりやすいように、如来の仕組みについて、模型で説明します。

 

スイッチのオフ(OFF)だけを取り出せない

gif1 壁スイッチは如来の仕組みに似ている

これは、壁に取り付けるスイッチです。このスイッチは蛍光灯などのオン・オフに使います。このスイッチには、2通りの使い方があります。

  1. 常時、オフで必要なときオンにする
  2. 常時、オンで必要なときオフにする

このスイッチには、左右の区別がありませんので、右側に押してオン(ON)とするのか、それとも左側に押してオン(ON)とするのかは、取り付ける人の自由です。

これが意味づけですし、意味づけすることによって価値がわかります。

つまり、スイッチを壁に取り付ける際に、スイッチを押す側にするかにするのか、あるいはにするのかにするか、それとも、オンとして使うか、オフとして使うかです。壁スイッチの使い勝手(シヰ:価値の押しつけ)による訳です。

  • 壁にこのスイッチをこのように取り付けて配線して欲シヰ

当たり前ながら、このスイッチからオフ(OFF)だけを取り出すことは、決して出来ません。これが、岡潔が言った言葉と同じであることに気付きます。

  • スイッチのオン(ON)は決してわからない
  • スイッチのオフ(OFF)は決してわからない

大事なこととして、 如来 の仕組みには、価値の押しつけがないということです。仕組みを示しているだけです。

  • 善か悪かは立場による
  • 真か偽は立場による

価値相対的ですし、価値は反転します。図1の説明欄に「価値は反転する」を入れた図を下に再掲します。

図2 再掲

 

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人が「わかる」順を「 時 」に沿って仕分けた

2015年頃に数学者の岡潔とヲシテ文献の存在を知ってから、人の心の仕組みと働きについて、考察を続けてきました。そして、2021年頃より、仏教についても考察に組み入れるべく研究を続けてきました。

最近では、Buddha如来、また、一神教のを含んで一覧にすべくあれこれ考察してきました。これらを 系列にまとめたのでメモします。特にBuddhaと如来の関係を一枚に入れ込めたのでかなり満足しています。

以下、説明は省略しますが、ご興味のある方は、下図を印刷した上で、過去の記事と併せて参照して、読み込んで頂きたいです。

図1 「わかる」の順序【時による仕分け】

追記12/7 図1を修正しました。できるだけ1枚に納めるために、説明をより詳しくしました。

ここで、特徴的なことを一つ示します。

すべては、ヲシテ文献によるカミの仕組みに集約します。弧理論(Ark Theory)は、カミの仕組み同じです。

図2 カミの仕組み=アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる

ヲシテ文献によれば、ヒトハノモノです。

図3 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない

図3は、図2に示す部分の概略図です。

一神教のとヲシテ文献によるカミの仕組みは、まったく別のものです。日本人は神を信じていませんし、原罪もありません。

 

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如来 は二元論のこと

Buddhaと 如来 の関係をうまく説明するに苦心しています。それで、 如来 の仕組みについて、あれこれ説明を続けています。

 

如来 は二元論と同じだが、価値の押しつけはない

如来は読んだ通りです。

  • ~の如し、の如し、の如し・・・・

~のような、のような、のような、と続きます。具体的には次のようです。

  • 善は悪の如し、悪は善の如し
  • 右は左の如し、左は右の如し
  • 真は偽の如し、偽は真の如し
  • 男は女の如し、女は男の如し
  • 天国は地獄の如し、地獄は天国の如し
  • 神は悪魔の如し、悪魔は神の如し
  • ・・・・

それで、気付いたのが、如来は二元論と同じだと言うことです。ただし、如来に二元論のような価値の押しつけはありません。如来の仕組みがあるだけです。そこに人格性はありません。

以下はヲシテ文献によるヒトの仕組みです。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物質)

タマは心の本体です。シヰは強いるのシヰでヒトが持つ欲求です。注)ヒトから何もかも剥ぎ取った心の本体、これを自己と呼んでいます。また、自己と”対”となるのが自然界であって、これをBuddhaと言います。自己の現れが自然界です。【3】西洋の唯物主義

 

心の働く順番

心は、岡潔が言ったように(情・知・意)の順に働きます。

詳しくは省きますけれど、ヲシテ文献によるミヤビ(ナサケヱダ+アワレヱダ)の働きにより、わかります。この部分が岡潔の”情”と本居宣長の”もののあはれ”に相当します。

物と事がわかると、物事に味づけできます。そうして言葉で言えます。これがです。それで物と事の価値わかります。その結果、情的にわかり、知的にわかり、意識してわかる訳です。つまり、意識を通してわかる(言葉で言える)段階においては、既に二元論による価値の押しつけがある訳です。価値の押しつけがシヰによる訳です。

心の仕組みと働きの順は、岡潔が言った(情・知・意)ような簡単な順ではないようです。

如来には価値の押しつけがありません。価値はあくまで、人間の置かれた状況によります。貴方の司は、そのまた上司から見たら部です。偉いか偉くないかなどの価値の反転は日常茶飯事です。というか、価値は相対的です。

つまり、二元論は(西洋人が)「ヒトとは何か」ということがわからないまま物事を言い表したということです。如来はそういった仕組みがあると示しただけです。

  • 二元論は絶対的
  • 如来は相対的

ヲシテ文献の凄いところは、最初から物と事を区別して意味づけしてヨソヤコヱ:48音(アワウタ)を創っているところです。日本語の起源であるアワウタの価値観は、相対的であって、押しつけがありません。

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神 は如来の内にあり、神は人々に価値を押しつける

人々の信仰の対象である神仏における は、仏教にある如来の仕組みのにあります。

特に西洋の神は、人々に価値を押しつける存在です。神はシヰの現れです。

注)シヰは強いるのシヰ

神の字義

漢字の”神”の字義は、偏にすと書きます。

写真1 八足台

示は祭壇のことです。祭壇(机)にお供え物(神饌物)を置きます。”申”は、雷いかずちという意味です。祭壇である机の向こう側にある雷、即ち、超自然的な何かを示すのが”神”という字の意味です。

 

人がわかるのは物と事、必ず「対」となる

ヒトがわかるのは、物と事です。わかるの語源はわけるです。わけることによってわかるとされます。そして、物と事は必ず”対”となって現れます。万物の表れであって、一切の例外はありません。これは弧理論の根幹です。

図1 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎず、自然は別の次元軸からの投影による映像

 

如来の仕組み

仏教にある如来は、ある仕組みを言います。如来に人格性はありません。

  • ~の如し、の如し、の如し、の如し・・・・
  • ~のような、のような、のような・・・・

これは、合わせ鏡や鐘と撞木に例えられます。互いに規定し合って成り立つ繰り返しを例えて「如来」と言い表したようです。

写真1 鐘が鳴るか撞木が鳴るか

 

如来の具体例と二元論

如来の仕組みは、詰まるところ二元論に行き着きます。如来の具体的な例をあげます。

  • 善は悪の如しであり、悪は善の如し
  • 右は左の如しであり、左は右の如し
  • メはヲの如しであり、ヲはメの如し (メ:女 ヲ:男)
  • 表は裏の如しであり、裏は表の如し
  • 真は偽の如しであり、偽は真の如し
  • 上は下の如しであり、下は上の如し

右隣の人から見ると、貴方は左です。前後は向きによります。宇宙空間では、上下はありません。ある人には本当で、ある人に嘘です。

如来の仕組みは、物と事の組み合わせ(対)が繰り返し・循環だからです。そして、これらの例は二元論そのものです。

 

物と事がわかって始めて意味づけできる

それで、物と事がわかって始めて、物事に意味づけできます。これが言葉(言語)です。物と事に意味づけできると物事についての価値がわかってきます。

 

意味づけによって、価値がわかり、欲とつながる

意味づけによって、価値がわかるとヒトにが出ます。ヲシテ文献によるヒトの定義です。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦)

心の本体がタマです。生命維持の欲求をシヰと言います。強いるのシヰです。漢字の”魂”では意味が通りません。ウ(渦)は現在で言う物質です。心であるタマシヰに物質が結びついてヒトになります。

  • ヒトは経験を積んで成長する存在(ふみよいむなやこ)のヒト

 

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ヲシテ文献の「カミ」{Buddha:タマ 如来 神} 科学になり得るのは( カミの仕組み )のみ

自然科学に問題があって、ある科学者の言うことに従い、分岐点まで遡って検討してきました。その結果、ヲシテ文献に示される”カミ”だけが新しい科学になり得ることがわかりました。

自然科学の問題点

自然科学にはいくつかの問題があります。

  • ”自然”はわかりきったものとして、部分を科学したものの寄せ集め
  • 区別が無い
  • 時間は物の量ではなく、事の質である
  • 自然科学全体は時間をパラメーターとする循環である
  • (時間を光速度に置き換えて、光速度は不変であるとして、この循環を断ち切った
  • だから、一定の成果があった
  • しかし、何が何だかわからないままに、福祉の役に立っている

 

Buddha(タマ)

ヲシテ文献によれば、ヒトは以下です。

  • ヒト=タマ+シヰ+ウ(渦:物質)

タマ心の本体です。シヰは生命維持の欲求です。タマシヰに物質がくっついたのがヒトという訳です。

物と事は、必ず”対”になります。そこから言葉が出来ます。物と事に音韻を割り付けて、意味づけしたのが言葉です。言語です。だから、自然界の物と事を音韻にて意味づけできます。ですから、自然界の物と事は、必ず”対”とならねば、言葉で言えません

ところが、”対”にならない唯一の存在があります。それは自己です。これをヲシテ文献ではタマと言います。自己の存在は、言葉で説明する必要はありません。自己の存在は銘々わかっているからです。自己以外が「自然界の物と事」であるとわかります。つまり、自己の表れが自然だと言うことです。お釈迦様はこれをBuddhaと言いました。

 

如来の仕組み

如来は字のごとく「~の如し、の如し、の如し・・・・」です。言葉で言える物と事のすべては”対”として、如来の仕組みとして言えます。

  • 善は悪の如し、悪は善の如し
  • 上は下の如し、下は上の如し
  • 右は左の如し、左は右の如し
  • 真は偽の如し、偽は真の如し
  • ヲはメの如し、メはヲの如し・・・・

要は、言葉が”対”にして言えるのですから、その仕組みを如来と表現した訳です。如来に善悪や地獄も極楽もありません

神様

上記の通り、神と悪魔は”対”でしかありません。天国と地獄に同じです。言葉の仕組みから、如来の仕組みが出ています。そして、如来の仕組みの内に「神」はあります。善悪や真理に拘った人が「神様」に行き着きます

 

二元論

言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返し循環・ネットワークです。ですから、如来も神も言葉の仕組みにおいては、同じ性質を持っていることがわかります。これらの仕組みを二項対立二元論と言います。二項対立や二元論は、言葉の仕組みから出ているということです。 続きを読む

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