ローマ教皇に伝えたい すべての 宗教 は一つに帰納することが可能だと

かつて、アメリカ合衆国のオバマ元大統領の発言した「Yes we can(イエス・ウイ・キャン/change(チェンジ)」と、ローマ教皇 が、「クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことを宣言した」ことについての記事を書きました。

オバマ元大統領の発言もフランシスコ ローマ教皇 の発言のいずれも自身の希望を言ったか、単なる思いつきに過ぎないと考えます。そこには論理的な思考は何もなく、実に無責任です。

記事を書いた当時は、そのような論理が成り立って、世界中のあらゆる 宗教 が一つに帰納する可能性があるなどと夢にも思いませんでした。

しかし、考察を続けるうちに、ヒトは物と事を言葉でわかっているのではないとわかりました。それ故に形式である言語が世界中に多数あって、それ以上に多くの 宗教 があるのだとわかりました。

 

早い話が、ローマ教皇に「(これこれ、こういった理由で)世界のすべての宗教は一つに帰納することができる。」と伝えたいです。

ただし、仮に現在10持っているものを、幾つか保持しつつ新しい(帰納する宗教?、科学?)を手に入れたいということはあり得ません。現在あるすべてを差し出さなば、成しえないことです。つまり、変革には全破壊が必須だといううことです。当然、教皇という役職もなくなります。

もし、人々が可能性に気づいたとしても、非常に手厳しい選択を迫られるものになるだろうと予想します。勿論、管理人にそのような責任をとれるはずはありません。専ら、人々の自由意思による選択だということです。

そして、まったく同じ理由で、互いに押し付けあっている主義主張も意味がないことに気づいていくと思われます。

岡潔の言う「意識を通し言葉で言える第1の心」がすべてであるならば、多数の言語とおびただしい数の宗教など存在するはずありません。(一つの言語で十分です。) 言葉でわかっているのではないと何となく感じているからこそ多数の 宗教 が存在するのです。

 

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お詫びします でも、 引力 は単極誘導とどこかでつながっている(はず)

前々回の記事「引力と遠心力は合成できるのか?」として、管理人が間違った点を書きました。しかし、まだ思い違いがありました。お詫びします。ただ、過去、かなりの回数の記事について間違いがあります。訂正が大変だからといって、削除することはせず、このまま考察を続けます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。

習慣的に遠心力と表記してきましたけれども、不適切だとされています。

水を入れたバケツを鉛直面内で回転させたとき、「水がこぼれ落ちないのは遠心力のおかげ」などと言うことがありますが、この「遠心力」という言葉の使用法は厳密には不適切とされています(Wikipedia参照)。

正しくは「そのままでいつづけようとする性質」あるいは「向心力反作用の力」とでも言うべきです。

正しくは「向心力の反作用の力」というべきのようです。

図1 出展:遠心力

回転運動において、運動の接線方向に速度vがあり、回転運動の中心へ向かって向心力(求心力)があります。向心力の反作用として遠心力があります。遠心力は見かけの力です。

 

事の発端は、管理人が行った(主に)単極モーターにかかる力学特性を調べる実験にあります。その実験の結果から電磁気学は歪められていると感じていました。 続きを読む

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進歩 とは 自明に疑問を持つことかも

研究を続けていて感じること。 進歩 とは、「自明だと考えられてきたことが実は、もっと基礎的な仕組みと働きによる結果に過ぎない気づくこと」のようです。

  • 時間は量ではなかった
  • 区別できないけれども運動には種類があるかも
  • なぜ、異なる種類の力が合成できるのか
  • なぜ、運動は相対的なのか
  • そもそも空間とは何なのか

学生の頃、学んだことの多くが「よくわからない」状態でした。科学全般について、どこか胡散臭く感じていました。今考えると、すべて自明とされることが自明ではなかったということです。自然科学には確固たる基礎がありません。

さらに、学問の間に隙間があると感じたりしました。例えば、地球の自転と順方向にジェット気流があることなど、誰も疑問視しないのは不思議でしようがなかったです。サイト内にはジェット気流の語を含む記事が27件あります。

図1 北半球におけるジェット気流

何だろう?自然科学者たちは、「わからないこと(都合の悪いこと?)は、見なかったことにして来た」のかとすら思えます。科学全体を見ると分裂していると感じてきました。サイト内には統合失調の語を含む記事が37件あります。

最大の疑問は、電磁気学において、単極誘導の現象が存在しないかのように扱われてきたことです。しかし、科学に誤魔化しはききません。これも事実です。

全体に、正確で、より細密・緻密に分析することが科学の方向であり、それについて考えられる人ほど性能がよいと認められています。最近は、逆に緻密な科学は、些末で些細なことだと管理人には感じられます。

図2 大きさのスケール

人がわかる”事”の複雑さには際限がなく、図2の両端にある「事:~理論、~学」は、正直、人にとって(些末で些細で)どうでもよいことに感じられます。それより、全体を形作っている仕組みの方が大事だと感じます。精密・緻密であることが進歩だというのは、間違っています。

例として、超ひも理論があります。理論物理学者の言う多元宇宙や10次元、あるいは11次元だという根拠を問われています。超弦理論の変遷より。

仲田:超弦理論の話では多次元宇宙,10次元時空や11次元時空といった話がでてきますが,それはどういう根拠なんでしょうか。

江口:根拠は,数学的な理論の整合性から来るんです。

抽象的な”事”である数学の整合性から来るという理論の何処に具体があるのでしょうか。それを進歩とは言いません。

彼らが作った数式の中に見ているのは、「スプーンは匙、匙はスプーン」というのと本質的に同じです。一歩も出ていません。

 

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なぜ、引力と遠心力は合成できるのか?

最近、加速度に種類があるのではないかとの疑問について考察してきました。ところが、うまく質問の型式に言い表せなくて悩んできました。

それで、「区別できないが、運動には種類があるかも」という仮説に到達しました。加速度にこだわったのは、寺田虎彦の随筆があったからです。

寺田寅彦「物理学と感覚」よりについて一部引用します。

たとえば力という観念でも非人間的傾向を徹底させる立場から言えばなんらの具体的のものではなく、ただ「物質に加速度が生じた」という事を、これに「力が働いた」という言葉で象徴的に言いかえるに過ぎないが、普通この言葉が用いられる場合には何かそこに具体的な「力」というものがあるように了解されている。これは人間としてやみ難い傾向でまたそう考えるのが便宜である。

というのは人が持つ観念であって具体的なものではなく、人の便宜だと説いています。しかし、力の合成と言う意味ではうまく説明できないで来ました。

図1

結局のところ、力が合成できるのは、「(区別できないが)運動に種類があるから」という仮説に至りました。

  • 運動: 速度→加速度(力が働いた)→力は合成できる

ということですから、(区別できないが)運動に種類があるならば、速度も加速度も力も合成できるということになります。

しかし、発想の発端が電磁気学において、電磁誘導と単極誘導の扱いに極端な差があったらで、そこから「(区別できないが)加速度に種類があるかも」という仮説に至った経緯がありました。それにしても、頭が精神科学と弧理論による社会科学に偏りすぎたきらいがありました。

気を取り直して、疑問形になりそうです。

  • 異なる種類である引力と遠心力は、なぜ合成できるのですか?

しかし、この質問形ではひきが弱いです。「当たり前だ(自明)」と言われてしまいます。ニュートン以来、自明とされてきたことですから、当然です。

違う表現ではどうでしょう。

  • 引力と遠心力は加減(合成)できます。であるならば、引力は遠心力ですか?

答えは「はい」か「いいえ」、もしくは「どちらでもない」になりそうです。いずれの場合も明確な理由が必要です。自明だというのは理由になりません。

異なる力であっても加減できるのですから、2つは同種の現象ということになってしまいます。しかし、引力と遠心力は明らかに異なる現象です。何とも腑に落ちません。

gif1 重力と遠心力が合成できるのは何故?

もう少し考えます。

 

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区別は出来ないが「 運動 」には種類があるかも ”宇宙背景放射”は違う意味を持つかも知れない

これまで、区別できないが、加速度に種類があるかもしれないという仮説を述べてきました。どうもうまく説明できないので、考え続けてきました。もっと基礎をたどって、もしかして 運動 に種類があるかも知れないと考えたのでメモします。

弧理論の前提が2つあります。

  1. 人の肉体に備わった器官でわかるのはである。
  2. 自然は別の次元軸からの投影による映像である。

別の次元軸をE軸といいます。自然(映像)をM軸(物質空間、物質的自然)といいます。物には3つあります。

  1. 陽子
  2. 中性子
  3. 電子

それ以外は”事”です。事を運動と呼んでいます。運動には次があります。

  • 角度、時間(過行く運動にかかる記憶に基づいて、人が抱く観念:量ではない。)
  • 速度、流速
  • 加速度、躍度(加速度の時間変化)
  • 圧力、気圧
  • 温度、熱
  • エネルギー
  • 波動(時間の観念を含む)
  • 孤立波(ソリトン)
  • ソリトンの一種である素粒子
  • 電磁波、光子
  • 確率
  • 情報(記憶) 他にもあるかも。

余談です。言葉の一種である””には2種類あります。

  1. 数は物の量のかげ
  2. 数は事の質のかげ
  3. 自然科学は、物の量と事の質の区別がなく、混同している。

 

さて、これまでの考察において、重力と電磁気現象には何らかの関係があるらしいとわかっています。その考えに至った経緯です。

一つの起電力は、まったく異なる2つの方法、電磁誘導と単極誘導で説明できます。ファインマンの電磁気学教科書で次のように述べています。213ページからです。

われわれは物理学のほかのところではどこにも、このように単純で正確な一般法則がほんとうの理解のために二つのちがった現象による分析を必要とする場合を知らない

下線は管理人による。いや、他にもあるだろうとして、考えたのが重力と遠心力による加速度です。注)管理人は引力と重力を混同していました。重力は引力と地球の自転による遠心力を合成したものです。お詫びして訂正いたします。

図1 出展:万有引力の法則

ただし、話の根幹は変わりません。「引力は遠心力ですか?」という疑問は残ります。これまでの話をまとめます。 続きを読む

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誤魔化せないもの  陰謀論 はプロパガンダ

この世には誤魔化せない物や事があります。どういったことか考えてみました。2つあります。

  1. 普遍・・・・人のほとんどが認める物や事。例えば、岡潔の言った言葉や聖書や仏教が教える内容など。
  2. 科学・・・・実験的事実をまとめたもの。

1.普遍について、辞書を調べると次のようにあります。

1 全体に広く行き渡ること。例外なくすべてのものにあてはまること。「人類―の原理」⇔特殊。

2 哲学の用語。ア 宇宙や世界の全体に関していえること。イ 特殊・個物に対して、ある範囲のすべての事物に共通する性質。

例外なくすべてのものにあてはまる。ある範囲のすべての物ごとに共通する性質」とあります。

例えば、岡潔は普遍性を理由に自然科学の医学のダメ出しをしています。「【4】 何故見えるのか」で次のように述べています。

 自然科学 、さらに詳しくいえば医学です。医学は、見るということについて、どう言っているかというと、視覚器官とか、視神経とか視覚中枢とか、そういった道具があって、この道具のどこかに故障があると、見えない、そこまでは言っている。

 しかし、故障がなければ、何故見えるのかということについては、一言半句も言っていない。即ち、これも物質現象の説明にとどまる。眼をふさぐと見えないというのと同じことです。

 それでは、人は、何故眼をあけると見えるのか。大抵は、これについて疑問すら抱かない。知らないということも知らないのです。

下線は管理人による。医学は何故見えるのかについて、一言半句も言っていません。「眼をふさぐと見えない」のと同じです。これなど、反論の余地がありません。

2.科学も最終的には、科学者たちの合意によるところが多いのですけれども、その時点では、理論と実験的事実は正しいと認められているということです。

管理人が問題視している電磁気学においては、現在でも問題になっているのに放置と言うか無視されてきていることがあります。

  • 何故、起電力を求めるのに異なった2つの方法があるのか?

一つの起電力を得る方法に、電磁誘導単極誘導(ローレンツ力)というまったく異なった2つの方法が存在します。その理由が現在でもわかっていません。管理人が知る限り、大学で使われる電磁気学の教科書参考書において、単極誘導の現象を異様に小さく扱っています。まるで無いものとしようとしているか、小さい問題であるかのような扱いです。

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不確定性関係 は、自然が映像である証拠 量子論の終焉

かなり前から、不確定性原理( 不確定性関係 )について考察を続けてきました。直近の記事に追記した内容を個別の記事とします。

考察にかなりの期間を経て「 不確定性関係 」は、自然が映像であることの証拠ではないか、と考えるに至りました。発端は、ある科学者のE=mc2についての言葉からですから、彼の発言の意図を汲み取るのは並大抵のことではありません。

琉球大学の講義、「初等量子力学2006年度講義録第8回第6章 不確定性関係と、波の重ね合わせ」に次のとおりあります。

不確定性というのは観測する前の状態ですでに存在している。

誰がどのように観測するか否かにかかわらず、∆x∆p > [h/2]という関係は成立しているのである。 ∆x や∆pは測定誤差ではなく、「値の広がり」を表す。つまり、「粒子は∆xの幅のどこにいるのかわからない」というよりも「∆xの範囲に広がっている」と考 えるべきである。「どこにいるのか わからない」という考え方をすると、測定手段(実験機器など)の責任で∆xが生じているような印象を与えるが、不確定性は、実験機器の責任によって生じる のではなく、物質の波動的性質によって必然的に生じるものと考えなくてはならない。

現実において存在している粒子も、不確定性関係を守っている。我々は原子や原子核の大きさをこれくらい、と測定しているが、実際にその物質がそれだけの サイズを持っているというより、その粒子がだいたいそれぐらいの範囲の中に広がって存在している(∆xがその程度の大きさである)と判断せねばならない。

下線は管理人による。 不確定性関係 は、測定機器の誤差や精度の問題ではありません

弧理論によれば「自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸)」です。この前提から得たのが、「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない」です。そこからわかるのは、次です。 続きを読む

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お金 とは何か? バブル景気と戦争(純消費)を繰り返す知られたくない理由

お金 について興味を持ったのは約20年前で、FX(外国為替証拠金取引)を少しやってからです。その後研究の対象として、「お金とは何か」について考察を続けてきました。おそらく、根底となる お金 の本質に気づいたのでメモします。これまでに調べた経緯を記してから本題に入りますので、前提をお読みいただくに長いです。

お金と時間の関係に気づいてから、 お金 と言う語句を含む記事を書いた件数は142件です。その内から幾つかをあげます。

ミヒャエル・エンデは、小説でお金時間に置き換えて「モモ」を書きました。また、「Money As Debt」によるお金ができる仕組みについての歴史的経緯を知りました。

動画1

ある科学者は、「我々は時間の奴隷にならない」と意味深なことを述べています。ここから、岡潔の「時間と言う計量的なものはない」という言葉とともにお金、時間について考え始めました。行き着いた結果を次にまとめました。

しかし、昨日、もっと基礎的なことがあることに気づきました。参考にした動画です。 続きを読む

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宇宙 物質的 自然 は”一筆書き”

前回までで、大和言葉の起源であるヨソヤコヱ(48音:アワウタ)のできる過程のおおよそがわかりました。

図1

人の肉体に備わった器官でわかるのは物と事です。物と事を時制(現在と過去)にわけて、ミヤビとしました。「わかる」は、5+1とわけられ、過去については5つのクラ(記憶)となります。それぞれ物と事を音素(ネコヱ)に割り振ってヨソヤコヱ(アワウタ)ができます。

図2 出展:日本ヲシテ研究所

「どうも 自然 (岡潔の言う物質的 自然 )あるいはM軸(物質空間)は、一筆書きである」という記事を書きました。一筆書きという考え方の新たな視点がありますので、メモします。

最初の発想は2018年ころだったようです。組みひもを例に出しています。

写真1

前回までで、人の肉体に備わった器官でわかるのは、物と事であって、物と事を5つの母音と10の子音に割り振ったのがヨソヤコヱ(アワウタ)でした。 続きを読む

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人工知能 が実現すれば、心が2つあることを知らない人は絶望する

数学者の岡潔は、人に心が2つあると説きました。ヲシテ文献にもタマ+シヰとして、心が2つあることを示しています。

現在のところ、人々は、自らの心が2つあることを九分九厘知りません。こうした中で、高性能なAIがGoogleによって開発されました。先日の記事にて、googleが開発したAIの「LaMDA」を取り上げました。 人工知能 を取り扱った過去記事は43件あります。

 

わけることによりわかるとする還元主義は「わからないもの」を常にブラックボックスとして扱うことにより発展してきました。よく考えると以下は、すべてブラックボックスであり、外のない内であり、ネットワークであることに気づきます。

脳の神経細胞(ニューロン)も、評価式もブラックボックスです。

式を実現するトランジスタもブラックボックスです。

トランジスタは、半導体による接合面(NPNやPNP)を持つブラックボックスです。

還元した要素は、常に状態を変化させるブラックボックスです。如何なる局面においても、相手がブラックボックスであることは決して変わりません。現に、素粒子物理学も同じ状態にあります。

 

このように比較的単純なブラックボックスを膨大に組み合わせてAIは作られています。

多くの人が「自身がこなす仕事はAIにとって代わられる」ということを認めざるを得なくなります。すると自己とは何か」という根幹が揺らいで絶望することになります。

考察の中で、「九分九厘」という言葉に引っ掛かりを感じました。日月神示(ひふみ神示)に示される「九分九厘と一厘」の話です。10%と言わず、いや、1%でさえありません。ほとんどの方は、ヒトに心が2つあることを知らない世界ですから、AIが実現すると、ほとんどの人は「自己」の存在に意義を見出せなくて絶望するだろうと感じます。

第二十八帖 (二八)
世界中まるめて神の一つの詞(王)で治めるのぞ。それが神のやり方ぞ、百姓は百姓、鍛冶は鍛冶と、今度はとことはに定まるのぞ、身魂の因縁によりて今度はハッキリと定まって動かん神の世とするのぞ、茄子の種には瓜はならんぞ、茄子の蔓に瓜をならすのは悪の仕組、今の世はみなそれでないか。これで世が治まったら神はこの世に無いものぞ。神とアクとの力競べぞ。今度はアクの王も神の力には何うしてもかなはんと心から申す所まで、とことんまで行くのざから、アクも改心すれば助けて、よき方に廻してやるぞ。神の国を千切りにして膾(ナマス)にするアクの仕組は分りて居る、アクの神も元の神の仕組を九分九厘までは知ってゐて、天地ひっくり返る大戦となるのぞ。残る一厘は誰も知らぬ所に仕かけてあるが、この仕組、心で取りて呉れよ、神も大切ざが、この世では臣民も大切ぞ。臣民この世の神ぞ、と言ふて鼻高になると、ポキン折れるぞ。七月一日、ひつ九のか三。

残された仕事は、創造的な活動を伴う仕事か工夫の余地のない単純な肉体労働になるでしょう。しかし、自然科学には、創造の仕組みはありません。そのかわりに絶望はあります。

 

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