時には 思想 や哲学を捨てなければならない

思想哲学言葉により思考した産物です。言葉は互いに規定しあうことにより成り立つ循環です。ヒトは言葉により思考します。ですから、人の思考もまた循環です。2018年3月27日の記事「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」の答えは、「記号言語である数学もまた循環であって、人の心と働きとの不整合により心を病む」のだというのが管理人の得たものです。

厳密・緻密な論理であっても人の脳の処理系と「心の仕組みと働き」の間に乖離があると病むのだと考えられます。人の心の仕組みと働きを言葉に置きかえたのがヲシテ文献のヨソヤコヱ(48音韻:アワノウタ)です。

表1 出典:日本ヲシテ研究所

ミカサフミ1アヤ「キツヨヂのアヤ」より引用します。 続きを読む

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本当の 研究 をするには責任の伴わない環境が必要

管理人は、退職後に 研究 生活に入り今年で10年目です。右ガジェットの自己紹介の通り、次の資料を基に弧理論の研究を進めてきました。

  1. G・アダムスキーの遺したネガフィルムにある紡錘図形
  2. ダニエル・フライが伝えたある科学者の言葉
  3. ヲシテ文献に示されたヲシテ哲学(縄文哲学)の骨子(カミの仕組みと働き)
  4. 数学者岡潔の言葉

これら資料を組み合わせることにより、古より日本に伝わる哲学は、これからの科学を築く礎となると気付きました。 管理人は、資料となる1.~4.にかかるいずれの研究者の方からも常に部外者です。勿論のこと、学歴も学位もないし、学会にも所属していません。それ故に責任を伴わない発言・発表ができる環境にあると自覚してきました。

 

時折、見に行くフリーの物理学者である井口氏のブログに面白いことが書かれていたので引用します。『Q「英語の本を翻訳するっていう事をどう思われますか?」→俺「日本を豊かにすることだ!」

最近特に思うようになったことは、我々物理学者が本当に自分の頭で物理学を考えるようになれるのは、

還暦を過ぎてから=60歳になってから

ではないか、という気がするわけだ。

というのは、学者が大学の職員でいる限り、その学者さんは自分が学校の教科書として教える内容について否定的な見解を教育することは難しくなる。

ニュートン力学を今教えながら、そしてそれで試験をしたりしながら、

「実はニュートン力学は間違っているんだ!」

とは教えづらい。まあ、実質上不可能であろう。

また、今最も完全な理論が「一般相対性理論」と「量子力学」であり、その統合を目指しているさなかにあると教育している最中に

「実はエーテルが存在して、相対論は間違いだったんだ!

とは教えづらい。これまた実質上不可能だろう。大学の教程が崩壊してしまう。

同様に、いまそういういわゆる「標準的見解や標準理論に基づいて」研究論文を出して給料をもらっている学者が、それを疑うということはほぼ不可能だろう。

したがって、本当のリアルな現実理論を生み出そうとすれば、少なくとも

(あ)標準理論を教える立場にないこと
(い)標準理論で飯を食う必要のないこと

の2点が必要不可欠なことになる。

ということは、大学や研究職にいないか、やめるか、退職しているか、ということになる。

そう、研究で飯を食う必要のない状態であらねばなりませんし、誰かに阿おもねる必要があってはなりません。今も昔も科学者たちはパトロンに逆らうことはできません。

以前、「かの岡潔でさえ自らの立場を考慮しつつ、物理学者やその他自然科学者に幾分か配慮した説明をしていたのではないか」と記事にした記憶があります。 また、大学教授の1日について、24時間の配分を記事にした記憶があります。授業の準備や授業の後始末、学内の雑事に学内政治と食事と睡眠を除いた研究にあてる時間は、せいぜい2時間程度だった記憶があります。岡潔が云った「わからないものに関心を集め続ける」という態度など大学教授に望むべくもありません。

 

研究10年目にして、アウトライン(カミの仕組みと働きから物質【ウズ】の成り立ち)がわかってきたのは大きな成果です。

図1 アとワはつながり、ウをもたらし、ウよりヒトを生じさせる。ヒトはアのもの。ウとは渦(物質)。

正式な発表の場がないのは少し残念ですけど、管理人の研究が本当のことならば、時間はかかるが必ずその方向へ転がると確信しています。

岡潔が結論のみを云った「自然科学は間違っている」点について、概ね詳細がわかりました。ですから、自然科学の基礎(時間・空間というモデル)はより基礎的な「わかる」に置きかえられねばならないです。ヲシテ哲学は凄いです。日本語の基礎であるヨソヤコヱ(48音韻:アワノウタ)は凄いです。

最近、ことに思うのは「自然科学が見過ごした現象(意図して封印した現象)がきっと在るはず」と感じます。その現象は、人の肉体に備わった五感ではっきりわかるものです。そうでなければ、次なる発達はあり得ません。2014年1月27日の記事「物の理(ことわり)とは五感でわかること」の時点で、現代の物理学には何か欠けていると感じていました。 素粒子に本質が無いことは明白です。

ついでながら。加速器による素粒子実験は、例えばハーモニカの「ミ」の音波を計測して、「ミ」の音の質量を計算しているのに似ています。無意味です。

写真1

物質の質量と運動は、異なる次元にある実体の投影による異なる側面(映像)です。そして運動の一形態がです。素粒子という波を計測し、物理量ではない時間を含む数式にて質量に換算しています。無意味です。(GeV/c)ではダメです。

 

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Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の 非対称コンデンサー と発散トーラス

Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)による動画の説明に 非対称コンデンサー なる用語が出てきます。(動画の音声を自動翻訳の字幕にしました。)

写真1

ビーフェルド・ブラウン効果についてはよく知られています。しかし、重力制御の本質とは関係ないと考えます。 非対称コンデンサー と当サイトで説明してきた発散トーラスとの関係性をテスラコイルをはさんで説明します。

電磁気現象は、一般に過渡現象としてLCR回路によって説明されます。

図1

この場合のコンデンサーCは、2枚の電極が向かい合っていて、対称をなしています。このコンデンサーが非対称であるとAlexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)は説明しています。 一方の電極がないという意味になります。それは例えば、テスラコイルです。 続きを読む

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まずは 質量とエネルギー の関係を理解する

前回の記事「物や事の「わかり方」 物理学者の世界観」を踏まえた上で、物質の 質量とエネルギー の関係について説明します。改めてある科学者の言葉を紹介します。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

ある科学者による物質の 質量とエネルギー に関する言葉を図により示します。

別の次元軸(以下、E軸という。)を仮定して、E軸上の実体真のエネルギーを持つものとします。E軸上の実体が物質的自然(以下、M軸という。下図では物質面。)へ投影されることにより、質量を持つ物質が現れます。現れるというのは、位置を持つということです。ある観測者に対して静止しているならば、投影角は90度です。

図1

横から眺めるとM軸は見えなくなります。(質量は次元を失います。) 実体とM軸との間の距離が実体が持つ真のエネルギー値です。 実際は、眺める方向を変えるのではなくて、実体の投影角が変わります。

図2

上から眺めたとき、投影角の変化により物質は運動として認識できます。

ところで、ある科学者はエネルギーという言葉の定義を二重に使っています。物理学上のエネルギーの次元は[ML2T-2]です。これまでの考察によって時間は量ではないことがわかっていますので、エネルギー[ML2T-2]を使えません。ですから、E軸上の実体が持つ値を時間を含まない真のエネルギーとして区別しています。ここではエネルギー[ML2T-2]のことを時間を含まない運動と表記しています。

真のエネルギーと物理学上のエネルギー[ML2T-2]とを区別して、ある科学者云った言葉を置きかえると次になります。

物質は運動に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動も一つの実体が持つ真のエネルギーの異なる側面に過ぎない。

難しく思うかも知れませんけれど、図にすると凄く簡単です。

図3

物質の質量[M]は、運動に転換できますし逆にもなりす。しかし、本当は一つの実体が持つ真のエネルギー値の異なる面に過ぎないと云うことです。  質量とエネルギー [ML2T-2]を行き来しているに過ぎないということです。

ということは、地球上にあるありとあらゆる機械装置や化学機器、電子機器にかかる実体が持つ真のエネルギー値に変化は無いということです。化学反応を用いて作られた材料、あるいは太陽電池パネルなど自然エネルギーを利用する装置、核分裂・核融合を用いた発電設備や戦争兵器などもです。蒸気機関どころか、サーボモーターやブラシレスモーターを使った燃料電池車なども含めたありとあらゆる装置にかかる真のエネルギー値はどれも変化しません

写真1 メガソーラーと風力発電設備

質量とエネルギー の関係を正しく理解しない限り、重力の原因を理解することは不可能です。勿論、物理量ではない時間を用いた光速度[LT-1]を基準にした相対性理論が正しいと云うことはありません。2015年3月31日「アーサー・エディントンは向こう側の人か?」を参照ください。

図4

2019年7月22日の記事「負のエネルギー の解釈の間違い Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスク」で示したロシア人による浮揚ディスクの解釈も現行の物理学では不可能です。真偽の判定すらできません。   自然科学の基礎となっている「時間・空間」というモデルが間違っていることに早く気付くべきです。素粒子物理学は、まったくの無駄です。

 

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物や事の「わかり方」 物理学者 の世界観

物や事の分かり方には2つあります。 物理学者 の世界観(自然に対する姿勢)はその内の一つに過ぎません。現代の物理学における物や事の見方に直接の疑問を持ったのは、ある科学者の言葉からでした。知ったのは2010年頃でした。引用します。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

下線は管理人による。 数学は森羅万象を理解するに最強の道具だとされます。数学ができない管理人でも信じてきました。ところがこの科学者は、極小な世界を理解するに量子力学の「定義」は正当ではないと指摘しました。その理由として 物理学者 が描く数学による物や事の描像は「人の心で描くことができない」からとしています。 当時、数学を使ってどこが悪いのかと思いましたし、量子力学が心で描けない状態とするならば、心で描ける状態に対応する物理学とはどのようなものだろうかと疑問を持ちました。さらに「抽象的な」という部分に引っかかりを感じました。引用文からいきなりこのような疑問に至ったわけではありませんけれども、現在までを振り返るとそうなります。

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負のエネルギー の解釈の間違い Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスク

井口和基氏のブログ(Kazumoto Iguchi’s blog 2)にて紹介されているロシア人「Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)」による浮揚ディスクの記事『「ウチュウジンよ、よく聞け!われわれはちきゅうじんだ!」→地球製UFOに王手か!? 』について、元記事にある 負のエネルギー という概念は間違っているのでメモします。

紹介されている浮揚ディスクの概要は、次の動画です。 「Warp-Drive-Physics.com」より。

動画1

その他の動画は井口氏のサイトにリンクがあります。回路図の概要もわかっているようです。

写真1

井口氏は、浮揚ディスクの構造を大まかに次のように述べています。引用です。 続きを読む

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還元主義 を疑うこととなった切っ掛け

還元主義 とは、『「わけることによりわかる」と思っている』ということです。何故なら、「わかる」と言う語の語源は「わける」ですから、要素にわけることにより、その本質がわかるはずと思っているということです。 2015年頃に岡潔の講演録【4】情のメカニズムを読んだことにより『「わかる」というのは、物の理ことわりとか理解じゃない』と知りました。 難しいけれども、岡潔は『「わけることによりわかる」と思っている』のは、間違いだと指摘したと云うことです。

コンピュータは進化することで人工知能を実装して今や(一部)人の能力を凌駕し始めました。しかし、管理人は、還元主義に疑問を持つ切っ掛けとなった出来事が岡潔の講演録を読むはるか昔にあることを思い出しました。

学生の頃、授業で情報理論と数値計算法を学びました。社会人として就職してからだったか、ある月刊の科学雑誌に郵便番号読み取り機の構造に関する記事がありました。

郵便番号自動読取区分機(東京中央郵便局) 4-2写真1 出典:郵便番号自動読取区分機(東京中央郵便局) 4-2

名称は郵便区分機というようです。確か、読み取りにはパターン認識が使われているという記事です。その頃はまだ郵便番号は5桁だった記憶があります。パターン認識により郵便番号別に仕分けるという装置です。

記事におけるパターン認識についての内容はだいたい次のようでした。 カメラで郵便物の表面を走査します。取り込んだデータから郵便番号が書かれているだろう赤枠付近のテータを抽出します。 続きを読む

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ヨソヤコヱ (48音韻:アワノウタ)の特徴 表音・表意文字との比較

ヲシテ文献にある  ヨソヤコヱ  (48音韻:アワウタ)は、日本語の基礎です。表音文字や表意文字と比較することによって ヨソヤコヱ の特徴を示します。表音文字の代表は英語です。表意文字の代表は漢字です。 前回、追加記事の続きです。

(1) 表音文字の代表は、アルファベット26文字を使う英語です。文字に意味はありません。ときには発音しない文字が含まれます。少ない文字数でありながら、長いを作ることにより、より多くの物や事を表現できます

mountain (mάʊntn)  ,  river(rívɚ)   , God(gάd)

Godについて、weblioには、「 (特にキリスト教の)神、創造の神、造物主、(異教の)神、(神話などの)男神、神像、偶像、神のようにあがめられている人、崇拝の対象、(劇場の)天井桟敷席」とあります。

(2) 表意文字の代表は、漢字です。文字そのものに意味があります。物や事の数だけ文字が必要です。新しい物や事を表現するには新しい漢字を作るか、熟語を必要があります。文字そのものに意味があるので、曖昧さが入り込むかも知れません。人ごとに解する意味が異なることが考えられます。 幕末に西欧から入ってきた概念を言い表すに多くの和製漢語が作られました。

山(サン) 、川(セン) 神(シン) 音読み

神という字の由来は、示に申(雷)だとのことです。『「神」 最も恐れられた自然現象』を参照ください。 「示」はお供え物を置くテーブルです。「申」は、祭壇の向こうにある超自然的な何かを雷いかずちとして現したのです。

(3) ヨソヤコヱ (48音韻) アワノウタ 続きを読む

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数学者岡潔 の云う「 聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く 」ことの難しさ

数学者岡潔は、『”聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く”ことによって、次第にわかってくる。これを実践しなさい。』と述べています。意味がわかりませんし、どうすればよいのかもわかりません。 これまでにヲシテ文献や岡潔の言葉などから考察した人の心の仕組みと働きを参考に、その難しさについて説明します。

「わかる」ということについて、次のように述べています。「抜粋 岡潔の最終講義 (『 数学する人生 岡潔 』 森田真生編 から)」より引用します。

あるわからない「x」というものを、どこかにないかと捜し求めます。捜し求めるというより、そこにひたすら関心を集め続ける。そうすると、xの内容がだんだん明らかになってくる。ある研究の場合は、これに七年くらいかかりました。p37

xがどういうものかわかってやるのではありません。わかっていたらなにも捜し求めることはない。わからないから捜し求める。関心を集め続けるのです。

わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。

数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。p38

わからないものに、関心を集め続けているときは既に、情的にわかっている。情的にわかっているものを、知的に言い表そうとすることで、文化はできていくということです。 また、「関心を集め続ける」やり方について、「【10】 右の内耳」で次のように述べています。

生を知りたければ、生がよくわかりたければ、『右の内耳』に関心を集める。
『聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く』
こうせよ、そうすると生がわかる。わかり方は意識を通さないでわかる。どこがわかってるのかと云うと後頭葉がわかってる。この一番反対なことは『見る』ということをすること。見るというのは前頭葉がするのです。そうすると必ず意識を通してわかる。

「右の内耳に関心を集めて聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く」ということです。それから、「【27】西洋人の想像」の※解説27で岡潔が述べたことを紹介されています。

岡はこういっている。「精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている」と。

上記の引用部をまとめると、次になります。

わからないものに対して、右の内耳に関心を集め続ける。いつしか努力感を感じない精神統一になっている。そして、そのときには既に、情的にはわかっている。情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。

「努力感を感じない精神統一」は誤解を生みそうです。言い換えますと「完全なリラックス状態で関心を集め続ける」ということです。 続きを読む

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時間を含む 素粒子 論は抽象に過ぎない

数学者岡潔の言葉を頼りに考察した結果、自然科学のどこがどのように間違っているのかわかってきました。 岡潔は自然科学者が考える自然、即ち「時間・空間」を物質的自然と呼びました。

一番問題なのは時間だと云います。岡潔は、「時間という計量的なものはない」、「時間は人が持つ観念であり、時の過去である」、「運動から時間を作る」と云いました。岡潔の講演録から『自然科学は間違っている』などを参照ください。 以下は、時間についていろいろ考えた結果です。

  1. 時間は、太陽と地球の運動に基づき、地上にできる光の影の角度から作る。
  2. 物理量は一意の値である。
  3. 角度は一意ではなくて、量ではない。
  4. 角度から作る時間は量ではない。
  5. 従って時間は物理量ではない。
  6. 物理量は測るものであり、「時間は作る」ものであるから、その点でも異なる。
  7. 作られた時間が場所によって異なるのは一意ではないから。

それとは別に、岡潔は「物質は五感でわかるものでなければならない」と述べました。 つまり、五感でわかる太陽の運動から時間を作ったということです。現在、時間はセシウム原子時計により作られています。 しかし、元々時間は角度から作られたので、セシウム原子時計で作られた時間は現在も10進数による12の倍数です。これは角度とおなじです。まとめます。

人の五感でわかる運動から作られた時間は物理量ではなく、時間の適用範囲は人の五感でわかる運動に限られるということです。

岡潔は、「(自然科学者は、)運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間はあると思って、そういう時間はわかると思っている。」と述べています。そういう時間は物理量ではなく、人が持つ”時”という観念の内の”過去にかかる観念”に過ぎません。

図1

自然科学者が考える自然、即ち物質的自然を模型である「時間・空間」を含む図に示します。

図2

わかるように、自然科学は循環です。空間に物質があり、物質の運動から時間を作り、時間を含む理論によって、物質と物質の運動を規定する理論とします。相対性理論は、時間を光速度に置きかえます。光速度を用いて物質的自然の重力・時間・空間を再定義しています。 どうみても循環です。

 

さらに、岡潔は「西洋人は、五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べました。否定を3回も入れています。

次図は、大きさのスケールの表です。単位はメートル(m)です。

表1

赤い括弧で括った範囲が人が持つ五感でわかる範囲です。人の肉体に備わった五感は感覚器官によります。感覚器官はタンパク質でてきています。タンパク質は炭素などの元素でできています。元素は原子でできています。原子の大きさは、だいたい10-10mくらいです。ですから、におい分子も可視光線の波長も原子の大きさと関係しています。 原子の大きさより小さい物質は五感でわからない範囲になります。極大も同様です。顕微鏡や望遠鏡などを用いることにより、その範囲は広げられますけれども限界はあります。

唯物主義者は、その限界がないとしか思えないということになります。 また、自然科学の科学的手法は「わけることによりわかる」というものです。これを要素還元主義といいます。

  1. 唯物主義・・・・五感でわからないものはないとしか思えない
  2. 還元主義・・・・「わかる」というのは、「わからないもの(ブラックボックス)をわける事によってわかる」とする。

上の2つの主義により、自然科学者は、表1の極大も極小も還元主義により何処までも突き進んでいる状態にあります。極小の方向の先端が素粒子物理学です。(自然科学者は、岡潔の云う「わかる」は、別にあることを知りません。)

 

前回までの記事で、地球の文明は抽象へ向かっていると書きました。

図3

 

次に表1における極小の物理現象と素粒子物理学による 素粒子論 、並びに抽象との関係について考えます。

これまでの考察により、物質的自然は、別の次元軸からの投影による映像であるようです。ある科学者は次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。

2次元平面を考えるとき、平面に直角の位置に立てば、実体は物質として認識できます。

図4

横から眺めると、実体のエネルギー面として認識できます。実際には、視点を変えずに投影角がかわります。

図5

上から眺めると物質として認識できます。投影角が浅くなると運動として認識できます。時間は物理量ではないので時間を含んでいるエネルギーという文言を用いることができません。ここでは時間を含まない運動と呼んでいます。実体が持つ値を時間を含まない真のエネルギー値と呼んでいます。

上を踏まえて、ある科学者の言葉を言い換えます。

物質は運動に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動も真のエネルギー値を持つ一つの実体の異なる側面に過ぎない。

投影角が浅くなるにつれて物質の運動は増大し、質量はM軸(物質面、物質的自然を云う。)に対して次元を失い観測できなくなります。すべて運動になるとき”波”として観測されます。つまり、運動の一形態が波動です。例えば、電子はすべて運動であるとき質量は観測されず、観測できるのは”電子波”です。これを量子化したのが”光子”です。光子は別の次元軸で説明ができるということです。

上記の通りある科学者の言葉を参考にして、岡潔が名付けた物質的自然(M軸)は、別の次元軸上(E軸という。)にある実体の投影による映像だと考えます。 まとめます。

別の次元軸からの投影による映像である物質は、運動が増大するに従い質量は観測できなくなり、運動の一形態である波動として観測できる。

 

素粒子物理学の理論は、図2により循環だとわかります。これには物理量ではない時間を含んでいます。大事なのは、人の五感でわかる運動から作った時間は、五感でわかる範囲にしか適用できないということです。

 

話しをわかりやすくするために、万華鏡の映像を引き合いにして続けます。 万華鏡の映像は例えば次のようです。

図6

万華鏡は、鏡を組み合わせて、一方にプラスチックなどの破片を入れたものです。仮に破片について、鏡に1回だけ反射した映像を「人の五感でわかる範囲」とします。赤い線で囲った範囲になります。外側の映像は2回以上反射した映像ですから、五感でわかる範囲の外になります。映像は繰り返し(循環)ですから、五感でわかる範囲にAあるいはA’の規則性を見いだすことができます。これを理論化して破片の動きを予測する理論ができます。 観測技術が発達するに従って、外側の映像にA’’を見いだすことができるようになります。しかし、問題があります。五感でわかる範囲にある規則性から時間を作り、この時間を用いて規則性を予測できる理論を作り上げたことです。理論は循環です。かつ、時間は物理量ではありません。

観測はAやA’、あるいはA’’もできます。では、観測値A’’は何を観測したかということです。 理論から予測する理論値観測した結果は、等しい(有意である)と言い切れます。これをどう解釈したらよいかということです。

 

話しを素粒子物理学に戻します。運動が増大するに従い質量は観測できなくなります。しかし、何らかのは観測できます。観測値を量子化し質量とします。 ここが問題です。質量はGeV/cで現されますが、あくまで素粒子が持つ持つ運動を観測して得た値であって、その値が質量ということではありません。何故ならGeV/cには物理量ではない時間を含んでいるからです。

理論は、五感でわかる運動から作った時間を用いています。だから、五感でわかる運動の範囲を示す理論と観測値は合致します。(古典的範囲においては問題ありません。) しかし、五感でわかる範囲を越えるところにかかる規則性には適用できません。観測は質量を観測しているつもりですけれどその実、観測して得た値はの持つ運動であって、質量ではありません。これは誤解です。

以前にも書きましたけれど、 素粒子 を大量に浴びることで人体に影響が出るとしたら、恐らく火傷であろうと思います。

電子などの 素粒子 群や亜原子である陽子・中性子は、別の次元軸からの投影による映像だと考えられます。 陽子も中性子も内部構造を持たない映像です。単独で取り出せないクオークは存在しないと考える方が合理的です。 素粒子という波は存在するようですが、五感でわかる素粒子は電荷を持つもので人体の組織に影響を与えるもののみのようです。素粒子は、本質ではない破片に過ぎないと考えます。恐らく、表1の両端(極体・極小)の領域は、物理現象の終端だと考えます。基本粒子は陽子・中性子・電子であって、素粒子群も含めて別の次元軸からの投影による映像という以外に説明はできないと考えます。物理現象の(極大の方の)終端というのは、近づけば消える蜃気楼のようなもので、近づいて五感でわかる範囲に入れば同じ宇宙であるようです。(どうも極大・極小の領域はE軸方向に曲がっているらしい。運動せざるを得ない。)

やはり現代の文明は素粒子物理学を含めて、抽象へ向かっているようです。

長らく疑問であった「上手に組み立てた誤魔化しのプロェクト」の仕組みがなんとかわかってきました。「The manuscript of survival – part 68 5 January 2012日本語文」には次のようにあります。

この物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクトなのです。

その発端は、相対性理論にあると言えそうです。__な理論を一世紀以上持ち上げ、今なお続いているのは異様に感じます。

 

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