量子脳理論は不自然だし、ムリがある 岡潔「2つの心」、「 弧理論 による宇宙」との比較検討

最近、物質とその運動並びに情報との関連について 弧理論 の考え方を元に考察しています。

その過程で量子脳理論という分野があることを知りました。よくわからないのですが、人が人であることの理由唯物主義たる自然科学者が追い求めて行きついた先なのだろうと思います。 今回は、管理人が量子脳理論は奇妙だと感じることを記した上で、岡潔の【1】2つの心、ならびに弧理論の考え方と比較検討します。

(1) 近年とみに人工知能(AI)の研究が進んできました。


動画1

有名なチェスや将棋プログラムだけでなく、クイズの回答でも人に迫る、あるいは越えるものが出てきました。 古くは人口無能のELIZAやエキスパートシステムなどの研究がなされたことの記憶があります。

(2) 一方で、従来のスパコンを越えるものとして、

写真1 出典:量子コンピューターの種類と原理

量子コンピューターが作り出されています。

 

岡潔の云う「五感でわからないものは無いとしか思えない」唯物主義者たる自然科学者たちが、(1)人工知能やこれから発達するだろう(2)量子コンピューターにより「人の能力を超えてきた場合」は、人の尊厳をどこに求めるのだろうかと考えました。 続きを読む

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寺田寅彦 「物理学と感覚」 ”感覚というものの意義効用を忘れるのは極端な人間中心主義でかえって自然蔑視と言われる”

Amazonにて、物理学に関して調べていたところ、寺田寅彦の「物理学と感覚」という随筆がKindle版でありました。iPad にアプリを入れて読んだところ興味深かったのでメモします。 この随筆は著作権が切れていて青空文庫からのもので無料でした。公開されている寺田寅彦の作品中、作品IDNo.2342にありました。(HTML版「物理学と感覚」で読めます。)

この随筆には、多くのことが含まれていて示唆に富んでいます。まとめるのは難しいです。このうち強く感じたことを記します。

「人間がその周囲の自然界の事物に対する知識経験の基になる材料は、いずれも直接間接に吾人の五感を通じて供給されるものである。」として、

図1

目の不自由な人などを例として説明した上で「象と盲者のたとえ話は実によくこの点に触れている。」と述べました。

外界の存在を認めその現象を直接に感ずるのは吾人ごじんの感官によるほかはないのにその感官がすこぶる粗雑なものであってしかも人々個々に一致せぬものである。それで各人が自分の感覚のみをたよって互いに矛盾した事を主張し合っている間は普遍的すなわちだれにも通用のできる事実は成り立たぬ、すなわち科学は成り立ち得ぬのである。

下線は管理人による。 「感官は粗雑で、しかも各人で一致しない」ものです。ですから、物理学者は、感覚をはなれた見方をどこまでも徹底させて行くことにより科学の発達を促せました。

宇宙自然を人がどう捉えるかによる訳ですけれども人の感覚はいい加減ですから、「人を排除するため」、モノサシをあてることによって普遍的事実を抜き出すということです。 岡潔によれば「(自然科学者は)自然を時間・空間とした」ということです。 時間空間というのは、人の感覚を排除した一つのモデルだということです。

物理学を感覚に無関係にするという事はおそらく単に一つの見方を現わす見かけの意味であろう。この簡単な言葉に迷わされて感覚というものの基礎的の意義効用を忘れるのはむしろ極端な人間中心主義でかえって自然を蔑視べっししたものとも言われるのである。

と結論づけています。 寺田寅彦は、「簡単な言葉」と述べていますけれども、下線の部分の意味が難しいです。 管理人は、この言葉について、岡潔が云ったように自然科学(時間・空間)は一つの簡単な模型であって、それは自然そのものではなくて、自然を観る際の一つの見方に過ぎないということだろうと思います。

このような「五感でわかる」というものの粗雑さを排除することによって科学を進歩させたとしても、感覚の基礎的な意義や効用を忘れるのは極端な人間中心主義であって、自然を蔑視したものだということです。

一見、岡潔の言葉である「唯物主義」に矛盾しているようですが、そうでもありません。つまり、人の感覚を排除するという前提の元、実験をした結果について、モノサシを読むのはどこまでも人の感覚によります。そう考えると「五感でわからないものは無いとしか思えない」唯物主義は生きていると云えます。

ところが、寺田寅彦の頃に提唱されていた素量説(今の量子理論)の進歩につれて唯物主義を捨て去っていました。(2016年11月29日物理学はとうの昔に唯物主義を捨て去っていた) 管理人が自然科学(ことに物理学)は「五感でわかる」ということを蔑ろにしていると感じたことを遙か昔に寺田寅彦は指摘していたということです。

 

2017年7月19日群盲象を評す 自然科学の「統合失調」は意図したものか?という記事を書いたのは、上記の「自然科学の前提である(人の感覚を排除)した」上でなお、統合失調ではないか?との考えでした。

今、仮に

  1. 実験、結果と 理論
  2. 実験、結果と 理論
  3. 実験、結論と 理論

があったとします。例えば、「電子は粒子であり、波である」は実験の事実です。(電子の比電荷の測定二重スリット実験粒子と波動性の二重性)「光は波であるし、粒子でも」あります。 そして、「電子はほぼ完全な球体」でもあります。 量子もつれに至っては、実験と結果は事実なのに、理論は通常の意味でほとんど理解できません。

1,2,3のそれぞれに実験があり、人の五感でわかる結果に置き換えた上で、それぞれに矛盾無く合致する理論があります。 ところが前述の人の感覚を排除してなお、1,2,3の間には人の感覚を満足させる何かが欠けていると感じます。管理人にとって、これは致命的です。 これは最初に戻って、モデルが自然そのものに合致していないからだと考えます。 それぞれは正しいのに全体を眺めるにどうにも腑に落ちないのです。(統合失調と感じる。) どこまで行っても人は五感の内に生きていることから離れてはいけないのです。感覚を持つ人が生きていることを蔑ろにしてはいけないと感じます。 このような例は他にも見つかると思います。

 

これまでにも繰り返し「おそらく自然科学は近似だ」と述べてきました。

表1

の両端は、人の持つ五感でわかる現象が消失する領域だろうということです。 その誤りの元がモデル「時間・空間」の時間にあるとの結論です。時間は基本物理量として不適です。

自然科学が示す自然というものが統合失調だと感じる原因は、我々の五感を通じて得る感覚というモノや事が映像だからと考えると納得できます。 検索サイトにて「岡潔 素粒子 映像」で検索すると上位5つまで岡潔思想研究会の講演録からの資料が出てきます。 それだけ岡潔は、この考えを強く持っていたということです。

弧理論は、別の次元軸から投影により現象が起きているという開放系の理論です。弧理論の考え方によれば、自然の現象は「見方によっては、幾通りにも見える」らしいことがわかっています。 そして幾通りに見える現象の背景には情報が関係しているようです。

 

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電磁誘導と ローレンツ力 はなぜ同じ起電力を与えるか~ とね日記よりメモ

ブログ「とね日記」の9月8日の記事「自然法則: 量子力学による古典物理学の謎の解明」に ローレンツ力 に関する記事がありましたのでメモします。 記事は2つあり、メモするのは後者です。

ブログの元記事です。 筑波大学 ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~

以下、リンク等もそのまま引用します。(ただし画像のリンクははずしてます。)


ファインマンも解けなかった問題を解明
~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~

国立大学法人筑波大学 計算科学研究センター小泉裕康准教授は、磁場を横切る導線に生じる誘導起電力が「ファラデーの電磁誘導の法則」と「ローレンツ力」という2つの本質的に異なる方法で求めることができるのはなぜかを明らかにしました。この誘導起電力を求める問題は高等学校の物理の教科書にも載っており、馴染み深い問題です。しかしそれにもかかわらず、2つの本質的に異なる方法で結果がなぜ一致するのか、これまで明らかにされていませんでした。

1. 磁場を横切る導線に生じる誘導起電力が2つの本質的に異なる方法、「ファラデーの電磁誘導の法則」と「ローレンツ力」で求めることができるのはなぜかを明らかにしました。

2. 電子の運動を量子力学的な波動関数で記述すると同時に、電磁場をゲージ場とし、電場、磁場の代わりにゲージポテンシャルを用いることにより、この問題を解きました。

3. 高等学校の物理の教科書にも記載されていた奇妙な一致に対する理論的な回答が得られると同時に、量子コンピュータの開発にも貢献する成果です。

「ファインマンも解けなかった問題」という部分については無料公開されている「英語版のファインマン物理学」ではVolume II、Mainly Electromagnetism and Matterの「Chapter 17: The Laws of Induction」の冒頭に書かれている。また日本語版では「第3巻:電磁気学」の「第17章: 誘導法則」の最初の3ページに対応している。

  

この中でファインマンは次のように書いている。

We know of no other place in physics where such a simple and accurate general principle requires for its real understanding an analysis in terms of two different phenomena. Usually such a beautiful generalization is found to stem from a single deep underlying principle. Nevertheless, in this case there does not appear to be any such profound implication. We have to understand the “rule” as the combined effects of two quite separate phenomena.

われわれは物理学のほかの所ではどこにも、このように単純で正確な一般法則がほんとうの理解のために二つのちがった現象による分析を必要とする場合を知らない。普通にはこのような美しい一般化は唯一の深い、基礎原理から導かれることがわかる。しかるに、今の場合にはこのような深い意味は見られない。われわれは“規則”を二つの全く別の現象を結び合わせた効果と理解するより仕方がない。

この奇妙な一致の謎は、もちろんファインマンだけでなく、誰にも解けていなかった。

樺沢宇紀先生によると「古典電磁気学で見られた2つの本質的に異なる方法での奇妙な一致は、電子の量子状態を表す波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた結果」だということである。


「古典電磁気学で見られた2つの本質的に異なる方法」とは、ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力のことです。 「奇妙な一致」とは、「同じ誘導起電力」が得られることです。 「電子の波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた結果である」とのことです。

 

管理人には理解できないです。以下、感想です。

何か本質的な説明になっていないような気がします。「位相因子の2重性」て何だ? ではなぜ「2重」なのだろうか? 何か本質から逸れて、矮小化したような気さえします。 まさか電子が「粒子で波動性の2重性を持つ」と定義した延長上にあるのでしょうか? 実に奇妙な一致です。

直観からすれば、物質の「運動とは何か」という本質から来ているような気がします。もっと簡単な。   基本粒子である陽子、中性子、電子の3種類の組み合わせによる「相互の運動」の違いから来るように感じます。何か抜け落ちてる。

 

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数学者岡潔「時間と云う量は無い」 やはり「時間」は基本物理量に不適切!

これまで、数学者岡潔の主に2つの言葉を元に時間と空間について考えてきました。以下に、2つの部分について引用します。

1.岡潔の言葉【2】自然科学者の時間空間から引用。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。
時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。
人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。
時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。
が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です

2.【3】五感でわかるものから引用。

 物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。
それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない
一部省略。
ところが、空間といわないで、時間、空間といいました。だから空間の中に物質があって、それが時間と共に変化するということでしょう。だから物質があれば働きが出る。それで自分の肉体とその機能とが自分である。自然科学者はこう思っています。
これはしかし、自然そのものではなくて、自然の極く簡単な模型だと、そう感じます。それで、これに名前をつけて物質的自然と、そういうことにします、のちに要るでしょうから。

引用文の下線は管理人による。 最初は時間について、次いで空間について考えてきました。 続きを読む

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数学者岡潔は、人あるいは日本人の精神について、学問・科学したかったのではないか?

タイトルの通りです。特に書くことはありません。

数学者岡潔の講演録と解説

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空間とは何か?真空とは何か? 五感でわかる空間が3次元と認識される理由

前提が少し長いです。

数学者岡潔は「自然科学は間違っている」として、【2】自然学者の時間空間について次のように述べました。

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。
自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。
時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

下線は管理人による。 自然科学者は、「初めに時間、空間というものがあると思っている」としています。時間とは何か、空間とは何か少しも考えていません。 岡潔は、特に時間に問題があると述べています。

管理人は、時間について考えた結果、時間tを基本物理量として使うのは不適切だと結論づけました。 物体の運動にかかる位置数字を割り振って単位(時分秒)を付けたのが時間です。

図1

岡潔の言葉に「数は量のかげ」があります。物理量は五感でわかるものであって量や嵩でなければなりません。位置ではダメです。例えば東京は位置であって「量」ではない 時間も同じを参照ください。 他にも原因(後述)がありますが、結果的に自然科学は近似であろうと結論します。自然科学は五感でわかる範囲に適用できるのであって、例え時間を介して精密に計算できても五感とずれるというか乖離しています。 続きを読む

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金澤氏「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」

先般、お教えいただいた金澤喜平氏のサイトYoshihiraのスペースの記事で『静電界は磁界を伴う』の解説に気になる部分がありますのでメモします。

1.ページ③より一部引用します。

数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしいと考えてよい。

2.いつも引用するある科学者は、次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。 電子は粒子であるとともに、波であることは実験的事実です。  当時の物理学者たちは、この困難を「電子の空間における存在を確率の分布で表す」いう手法を用いて乗り越えました。 当時、頭の中で思い描けるモデルを考案する努力を怠ったといってよいでしょう。

3.数学者岡潔は、その講演にて「自然科学は間違っている」と主張しました。その中で【3】五感でわかるものより一部引用します。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

下線は管理人による。

上記の3つの引用は、互いに関係しない様に観られます。しかし、よく読むと似たことを述べていることに気付きます。

 

2.に示したある科学者の云う「心で描ける」というのは、3.で示した岡潔の云う「五感でわかる」に通じると思います。 電子は実験的に(五感でわかるという意味で)粒子であると同時に波でもあります。 当時の物理学者たちは、2つの互いに矛盾するように感じる実験結果(五感でわかる事実)をうまく説明できるモデル(統合するモデル)を探すべきだったのです。

「心で描ける」、「五感でわかる」、「日常生活用語で説明できる」というそれぞれの言葉は、互いにほぼ同じ事を指すようです。 言い換えますと「物理現象とは、五感でわかり、頭の中にその様子を思い描くことができて、かつ平易な言葉で説明できる」はずだということです。  素粒子物理の実験結果は、ほとんどこれに該当しません。 これが過去に記した物理学における「理論、実験結果、人の五感」の間にある乖離だと考えます。同時に自然科学は近似だという主張も補完できそうです。

 

現代の物理学においてその理論は、1.に示す金澤氏の云うとおり、日常生活用語で説明できませんし、頭の中で思い描けるものでも五感でわかるものでもありません。 数学を用いて抽象的だが、精密な理論だから先進的だというのは誤解です。 その綻びが「時間」から来ているというのが管理人の主張です。物理学はもっと、もっと基本的なところから躓いています。

追記 2017/09/02

実は、何年か前より「宇宙は再帰的(Recursive)な構造をしているのではないか?」と感じてきました。自然にはフラクタルな構造は多く観られます。 我々が日常生活における物や事の内に宇宙の構造に似たものがあって、これらを参考に真の宇宙の姿に気(キ)付くようにできているのではなかろうかということです。 例えとして適正かどうかわかりませんけれども、お釈迦様の掌てのひらと孫悟空、万華鏡やX線回折は、弧理論の考え方の構造に似ていると感じて、幾度も参考に使ってきました。  我々が日常生活に見聞きする「物や事」の中に宇宙の構造のサブセット、あるいは雛形のようなものがあるとするならば、金澤氏の直観は正しいはずです。これれらは数式を使わないで平易な言葉で説明できます。

 

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日本人の心の内奥にあるのは「縄文哲学」のようだ

2015年9月12日の記事、漢字伝来以前に文字は間違いなくあった。 聖徳太子と蘇我氏の功罪
において、

.

動画1

を参照しました。 日本教の特徴として「行動規範がないのが日本人」でして、そのため「日本人は何者にもなり得ない」と説明されました。 動画を見て管理人は、律令制度国家の礎となった十七条憲法が制定されたときに日本が中世ヨーロッパのような暗黒時代に入らなかった理由がなんとなく理解できそうと書きました。


そして、なぜ日本に中世はなかったのかという疑問に関して次を引用しました。

われわれは中世と言えば武士が台頭してきた時代だと教わってきた。しかし、それは政治的王権の移動だけのことで、信仰という国家哲学(アイデンティティ)の根幹部分である宗教改革はまったく起きていないのだ。わずかながらに王となろうとした織田信長や、権現となった徳川家康にその片鱗を見るが、信長は殺され、日光東照宮もまた伊勢・出雲ほどの日本人の信仰の中心にあるとは言えない状況である。

また、「日本の戦国時代にも中世がなかったのは事実のようです。また、憲政史家の倉山満氏によれば江戸時代は、江戸時代(Edo Period)であって中世ではないとのことです。」とも書きました。


上記の「何者にもなり得ない日本人」「中世のない日本」がどこから来ているのか知りたくて調べてきました。 だいたいの結果を得られたようなので以下に記します。 疑問を箇条書きにします。

  1. 日本人は何者にもなり得ない
  2. 日本には中世がない
  3. 八百万の神
  4. 権威と権力

以下、順に説明します。 続きを読む

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弧理論の”考え方”について

2010年、研究を始めるにあたって久保田八郎氏のニュースレター全部(Cosmic Consciousnessサイトの「UFO contactee」誌バックナンバー)について2回ほど通しで読みました。 改めて研究について何かのヒントがないかとNo.1を読んでみたところ、興味深いところが2箇所ありましたのでメモします。

(1) JAPAN GET-ACQUAINTED PROGRAM NEWS LETTER NO.1 p15より

アダムスキは私にたいして「自分の体験を信じてくれ」と要求したことは一度もなく、ただ「ものの考え方」を教えてくれたとしか云えませんが、ほんとうの真理の伝え手ギヴァーは”思想”そのものを伝えることはせず、それでもって”如何に考えるべきか”のヒントを与えるものであると私は思う

久保田八郎氏に対して、信じてくれと要求しなかったとのことです。そのかわりに「どのように考えるかのヒントを与えてくれた」と記述しています。

 

弧理論の考え方の基本形は

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図1

です。その考え方に至ったのは、G・アダムスキーによる

図2

でした。その根拠は、ある科学者の次の言葉でした。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーの簡単な同一性をまだ充分に把握していない点にある。 地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授は、ずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的に全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎないのだ。

下線は管理人による。 余分な次元軸を考える根拠はここにあります。

図3

当初、時間を含めて5次元だとの認識をしていましたけれども、岡潔による時間に関する言葉を考察することによって、図1の想定で必要十分だと気付き、以来、弧理論の考え方はE-M軸平面の4次元でよいとの結論に至っています。岡潔【2】自然科学者の時間空間

最初、弧電磁気論と名付けて研究を始めたのですけれども、やがて物質とその運動の本質を扱っていることに気付いて弧理論(Ark Theory)という名称に改めました。

 

段々と管理人は「本当の弧理論」を未だ知らないのだと意識して、いつしか「弧理論の考え方」という表現を使うようになりました。 そのことを端的に表した図が以下です。

図4

左下に示したのような部分が核心部分だとすると紡錘図形は、それを簡略化したものです。雲はクラウドコンピューティングをイメージして描いたものです。 雲の中身は我々自身が自身の意志で学び取るべきことを意味しています。その資料が紡錘図形やヲシテ文献だという意味です。

こう考えてみますに、冒頭の文は、紡錘図形や足跡に当てはまることが理解できます。 管理人は、何を信じるに値するかを「誰もが知っている、誰もが信じている、権威である、査読が通った、歴史上の偉人」かどうかなどで判断しません。 中に記されたことに価値があると感じるかどうかが全てです。  (もう少し詳しくすると、読んだときに「ん?」と頭の中に何か感じることがあれば、それを頭の中の何処かに仕舞い込んで置きます。永久に思い出さないか、後日別のこととリンクして新たなことがわかるかどうかは、その時点ではわかりません。)  「江戸時代の作者が写本の形で創作した偽書かどうか、G・アダムスキーが適当に作画したのかどうか、ダニエル・フライがウソを云ったのかどうか」をまったく気にしません。逆に一つ感じることがあるからと云って全部肯定はしません。アダムスキー教ではないということです。 先日の記事「ネコの言葉 「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」」が典型例です。 実際の所、どんなに奇妙奇天烈な話であっても参考に出来るところは覚えます。 付け加えるならば、岡潔の云う「五感で分からないものは無いとしか思えない」を一歩踏み出すということでもあります。【3】五感でわかるものを参照ください。 だからといって「何でもあり」ではありません。この辺りが難しいです。オカルトでもスピリチュアルでも呪術でも神頼みでもない目には見えないが宇宙を成している、かつ自然科学を包含する何かです。その仕組みがわかれば神頼みに陥ることがないと感じます。

 

(2)同じく日本GAP NEWS LETTER NO.1 p13より。  豪州ブリスベンのロイ・ラッセル氏から久保田氏へ宛てた書簡からの引用です。

西欧のキリスト教は主としてパウロの書簡を土台としていますが、しかるにパウロは個人的にはイエスに会ったことはなく、それゆえに彼の書いたものはその性質においてしばしば「わけのわからぬ」ものとなっています。どうやら「誤った解釈」をする者は真理の伝え手ギヴァーのあとで出て来る”学のある人”であるように思われます。

「学のある人」というのは言い得て妙です。実に面白いです。 過去記事、ローマ教皇が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことについて において、何の展望もなく道を示すことなく統一を宣言することは、無責任だと記しました。パウロ教は無責任だと感じるのは、管理人だけではなかったということです。あえて混乱を招くような「わけのわからぬ」ことは普通しません。

 

管理人にとって異星人が実在するかどうかは、どうでもよいことです。書いてある中身が重要です。そして、往々にして優れた資料は、直接答えを教えるのではなくて、自身が考える方法、手立てを示してくれるようです。 弧理論の考え方が重要なのは、こういうことです。メタ思想。

ただし、地球を

月探査衛星「かぐや」から見る地球

俯瞰して何らかの援助計画があるならば、という仮定で行動することは有意であると考えます。

 

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今更 玄箱/HGの2TB化 メモ

これまでiPad Retina と iPad mini を使ってきましたけれど、OSのアップデートにより、いよいよ遅くなってきました。しかも音が出ない。 iPad miniのダウングレードできないか調べましたけれど無理みたい。やむなく新しい

写真1

を買いました。 居間にはほとんど使わない

写真2

Apple TVがありまして、さらには放置した

写真3 改造後

玄人志向の玄箱/HGがあります。 で思いついたのが、玄箱 → iPad → Air Play → Apple TV → TV で動画を見るということでした。

棚から玄箱/HGを出してきますと、かつてセットしたIDEの80GB HDDが取り付けられていました。完全に忘れてる。  2TB化の資料をネットで調べて、「玄箱HGにSATAのハードディスクを載せてファイルサーバーに」を参考にしました。近くの電気店で2TBのSATA WD20EZRAを購入。玄箱用のIDE→SATA変換基板は廃番のようです。参考ページの写真をよく見るとサンワサプライのシリアルATA用IDE変換アダプタTK-AD40IDEと同型のようです。これも注文しました。 上のサイトを参考にシリアルアダプタを改造します。

写真4

のようにシリアルアダプタの電源コネクタを延長します。ジャンパピンは

写真5

の様に折り曲げます。  ケースは

写真6

4箇所を切り取ります。シリアルケーブルのコネクタが出っ張りますので金のこで切り落とし整形します。HDD を取り付け変換基板とメイン基板をつないでケースに納めます。

写真7

こんな感じで

写真8

納めますと写真9

の様にできます。 改造後が写真3です。 ここから手こずりました。

管理人のPCであるWin7にHDDを取り付けます。HDDは2TBですからMBRでイニシャライズしました。

普通に幾つかのサイトを参考に

    1. 玄人志向 KURO-BOX/HG(玄箱)にSeagate ST2000DL003を搭載する
    2. 初期の玄箱+KURO-SATAでHDD2Tでセットアップができません。
    3. Windowsを使わずに玄箱/HGを初期状態に戻す
    4. 玄箱無印のHDDを2TBにしたときのメモ

セットアップしたのですが、A.のサイトのようにいきません。まず、HDDをKuroBoxSetup.exeが認識しません。 どうも、B.によれば変換基板のSATAの側が玄人志向純正なら転送速度が1.5Gだとのこと。サンワサプライの変換基板では3.Gが最高だということですので、WDのHDDのサイト

図1

参考にジャンパピンをpins5-6(3Gb/s)に設定しました。 B.によれば3Gb/sによるセットアップ成功例があるので、これで試したところKuroBoxSetup.exeは

図2

2TBのHDDを認識しました。 ところがいつまで経ってもフォーマットが完了しません。一晩放置しても完了せずに失敗で終了します。 同様の報告が各所にあります。どうもB.によればフォーマットに時間がかがりすぎてKuroBoxSetup.exeがタイムアウトするようです。  ノートPCにクロスケーブルにつないでセットアップしたり、いろいろ試しましたがダメでした。

結局、D.を参考にしてできました。通常の通りEMモードの玄箱にTelnetでつなぎます。KuroBoxSetup.exeを実行時に作ったパーティションをmfdiskを使って消します。

mfdisk -e /dev/hda

次に初期化して、標準のシステムファイルを作ります。

/sbin/mkfilesystemu.sh

ここらあたり記録がない。

/bin/mount/ -t ext3 /dev/hda1/mnt

/bin/mount -t -ext/dev/hda3/mn2

/bin/mkdir -m777 /mnt/share

だったかな? 結局やったことは、事前にEMモードでhda1 hda2(swap領域) hda3 をフォーマットしておいて、KuroBoxSetup.exeがタイムアウトすることなく処理を終えるようにするということです。D.を参考に。

で、

図3

無事に2TB化できました。 因みにファームウエアの1.02はなぜか通りませんでした。

iPadのLAN経由で再生するソフトは幾つか試した中でnPlayer Plusが駒落ちせず便利です。 手持ちの動画isoをmp4vに変換するのには、フリーソフトHandbreakを使っています。

これでiPadに写真や動画をダウンロードせずに楽しめます。

 

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