空間とは何か?真空とは何か? 五感でわかる空間が3次元と認識される理由

前提が少し長いです。

数学者岡潔は「自然科学は間違っている」として、【2】自然学者の時間空間について次のように述べました。

自然科学者は自然というものをどういうものだと考えているかということを代りに言ってやって、そして、それを検討するより仕方がない。
自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。
時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

下線は管理人による。 自然科学者は、「初めに時間、空間というものがあると思っている」としています。時間とは何か、空間とは何か少しも考えていません。 岡潔は、特に時間に問題があると述べています。

管理人は、時間について考えた結果、時間tを基本物理量として使うのは不適切だと結論づけました。 物体の運動にかかる位置数字を割り振って単位(時分秒)を付けたのが時間です。

図1

岡潔の言葉に「数は量のかげ」があります。物理量は五感でわかるものであって量や嵩でなければなりません。位置ではダメです。例えば東京は位置であって「量」ではない 時間も同じを参照ください。 他にも原因(後述)がありますが、結果的に自然科学は近似であろうと結論します。自然科学は五感でわかる範囲に適用できるのであって、例え時間を介して精密に計算できても五感とずれるというか乖離しています。 続きを読む

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金澤氏「数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしい」

先般、お教えいただいた金澤喜平氏のサイトYoshihiraのスペースの記事で『静電界は磁界を伴う』の解説に気になる部分がありますのでメモします。

1.ページ③より一部引用します。

数式を使わないで、日常生活用語で説明できなければ、その論理は疑わしいと考えてよい。

2.いつも引用するある科学者は、次のように述べています。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波を持つ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。 電子は粒子であるとともに、波であることは実験的事実です。  当時の物理学者たちは、この困難を「電子の空間における存在を確率の分布で表す」いう手法を用いて乗り越えました。 当時、頭の中で思い描けるモデルを考案する努力を怠ったといってよいでしょう。

3.数学者岡潔は、その講演にて「自然科学は間違っている」と主張しました。その中で【3】五感でわかるものより一部引用します。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

下線は管理人による。

上記の3つの引用は、互いに関係しない様に観られます。しかし、よく読むと似たことを述べていることに気付きます。

 

2.に示したある科学者の云う「心で描ける」というのは、3.で示した岡潔の云う「五感でわかる」に通じると思います。 電子は実験的に(五感でわかるという意味で)粒子であると同時に波でもあります。 当時の物理学者たちは、2つの互いに矛盾するように感じる実験結果(五感でわかる事実)をうまく説明できるモデル(統合するモデル)を探すべきだったのです。

「心で描ける」、「五感でわかる」、「日常生活用語で説明できる」というそれぞれの言葉は、互いにほぼ同じ事を指すようです。 言い換えますと「物理現象とは、五感でわかり、頭の中にその様子を思い描くことができて、かつ平易な言葉で説明できる」はずだということです。  素粒子物理の実験結果は、ほとんどこれに該当しません。 これが過去に記した物理学における「理論、実験結果、人の五感」の間にある乖離だと考えます。同時に自然科学は近似だという主張も補完できそうです。

 

現代の物理学においてその理論は、1.に示す金澤氏の云うとおり、日常生活用語で説明できませんし、頭の中で思い描けるものでも五感でわかるものでもありません。 数学を用いて抽象的だが、精密な理論だから先進的だというのは誤解です。 その綻びが「時間」から来ているというのが管理人の主張です。物理学はもっと、もっと基本的なところから躓いています。

追記 2017/09/02

実は、何年か前より「宇宙は再帰的(Recursive)な構造をしているのではないか?」と感じてきました。自然にはフラクタルな構造は多く観られます。 我々が日常生活における物や事の内に宇宙の構造に似たものがあって、これらを参考に真の宇宙の姿に気(キ)付くようにできているのではなかろうかということです。 例えとして適正かどうかわかりませんけれども、お釈迦様の掌てのひらと孫悟空、万華鏡やX線回折は、弧理論の考え方の構造に似ていると感じて、幾度も参考に使ってきました。  我々が日常生活に見聞きする「物や事」の中に宇宙の構造のサブセット、あるいは雛形のようなものがあるとするならば、金澤氏の直観は正しいはずです。これれらは数式を使わないで平易な言葉で説明できます。

 

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日本人の心の内奥にあるのは「縄文哲学」のようだ

2015年9月12日の記事、漢字伝来以前に文字は間違いなくあった。 聖徳太子と蘇我氏の功罪
において、

.

動画1

を参照しました。 日本教の特徴として「行動規範がないのが日本人」でして、そのため「日本人は何者にもなり得ない」と説明されました。 動画を見て管理人は、律令制度国家の礎となった十七条憲法が制定されたときに日本が中世ヨーロッパのような暗黒時代に入らなかった理由がなんとなく理解できそうと書きました。


そして、なぜ日本に中世はなかったのかという疑問に関して次を引用しました。

われわれは中世と言えば武士が台頭してきた時代だと教わってきた。しかし、それは政治的王権の移動だけのことで、信仰という国家哲学(アイデンティティ)の根幹部分である宗教改革はまったく起きていないのだ。わずかながらに王となろうとした織田信長や、権現となった徳川家康にその片鱗を見るが、信長は殺され、日光東照宮もまた伊勢・出雲ほどの日本人の信仰の中心にあるとは言えない状況である。

また、「日本の戦国時代にも中世がなかったのは事実のようです。また、憲政史家の倉山満氏によれば江戸時代は、江戸時代(Edo Period)であって中世ではないとのことです。」とも書きました。


上記の「何者にもなり得ない日本人」「中世のない日本」がどこから来ているのか知りたくて調べてきました。 だいたいの結果を得られたようなので以下に記します。 疑問を箇条書きにします。

  1. 日本人は何者にもなり得ない
  2. 日本には中世がない
  3. 八百万の神
  4. 権威と権力

以下、順に説明します。 続きを読む

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弧理論の”考え方”について

2010年、研究を始めるにあたって久保田八郎氏のニュースレター全部(Cosmic Consciousnessサイトの「UFO contactee」誌バックナンバー)について2回ほど通しで読みました。 改めて研究について何かのヒントがないかとNo.1を読んでみたところ、興味深いところが2箇所ありましたのでメモします。

(1) JAPAN GET-ACQUAINTED PROGRAM NEWS LETTER NO.1 p15より

アダムスキは私にたいして「自分の体験を信じてくれ」と要求したことは一度もなく、ただ「ものの考え方」を教えてくれたとしか云えませんが、ほんとうの真理の伝え手ギヴァーは”思想”そのものを伝えることはせず、それでもって”如何に考えるべきか”のヒントを与えるものであると私は思う

久保田八郎氏に対して、信じてくれと要求しなかったとのことです。そのかわりに「どのように考えるかのヒントを与えてくれた」と記述しています。

 

弧理論の考え方の基本形は

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図1

です。その考え方に至ったのは、G・アダムスキーによる

図2

でした。その根拠は、ある科学者の次の言葉でした。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーの簡単な同一性をまだ充分に把握していない点にある。 地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授は、ずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的に全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎないのだ。

下線は管理人による。 余分な次元軸を考える根拠はここにあります。

図3

当初、時間を含めて5次元だとの認識をしていましたけれども、岡潔による時間に関する言葉を考察することによって、図1の想定で必要十分だと気付き、以来、弧理論の考え方はE-M軸平面の4次元でよいとの結論に至っています。岡潔【2】自然科学者の時間空間

最初、弧電磁気論と名付けて研究を始めたのですけれども、やがて物質とその運動の本質を扱っていることに気付いて弧理論(Ark Theory)という名称に改めました。

 

段々と管理人は「本当の弧理論」を未だ知らないのだと意識して、いつしか「弧理論の考え方」という表現を使うようになりました。 そのことを端的に表した図が以下です。

図4

左下に示したのような部分が核心部分だとすると紡錘図形は、それを簡略化したものです。雲はクラウドコンピューティングをイメージして描いたものです。 雲の中身は我々自身が自身の意志で学び取るべきことを意味しています。その資料が紡錘図形やヲシテ文献だという意味です。

こう考えてみますに、冒頭の文は、紡錘図形や足跡に当てはまることが理解できます。 管理人は、何を信じるに値するかを「誰もが知っている、誰もが信じている、権威である、査読が通った、歴史上の偉人」かどうかなどで判断しません。 中に記されたことに価値があると感じるかどうかが全てです。  (もう少し詳しくすると、読んだときに「ん?」と頭の中に何か感じることがあれば、それを頭の中の何処かに仕舞い込んで置きます。永久に思い出さないか、後日別のこととリンクして新たなことがわかるかどうかは、その時点ではわかりません。)  「江戸時代の作者が写本の形で創作した偽書かどうか、G・アダムスキーが適当に作画したのかどうか、ダニエル・フライがウソを云ったのかどうか」をまったく気にしません。逆に一つ感じることがあるからと云って全部肯定はしません。アダムスキー教ではないということです。 先日の記事「ネコの言葉 「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」」が典型例です。 実際の所、どんなに奇妙奇天烈な話であっても参考に出来るところは覚えます。 付け加えるならば、岡潔の云う「五感で分からないものは無いとしか思えない」を一歩踏み出すということでもあります。【3】五感でわかるものを参照ください。 だからといって「何でもあり」ではありません。この辺りが難しいです。オカルトでもスピリチュアルでも呪術でも神頼みでもない目には見えないが宇宙を成している、かつ自然科学を包含する何かです。その仕組みがわかれば神頼みに陥ることがないと感じます。

 

(2)同じく日本GAP NEWS LETTER NO.1 p13より。  豪州ブリスベンのロイ・ラッセル氏から久保田氏へ宛てた書簡からの引用です。

西欧のキリスト教は主としてパウロの書簡を土台としていますが、しかるにパウロは個人的にはイエスに会ったことはなく、それゆえに彼の書いたものはその性質においてしばしば「わけのわからぬ」ものとなっています。どうやら「誤った解釈」をする者は真理の伝え手ギヴァーのあとで出て来る”学のある人”であるように思われます。

「学のある人」というのは言い得て妙です。実に面白いです。 過去記事、ローマ教皇が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことについて において、何の展望もなく道を示すことなく統一を宣言することは、無責任だと記しました。パウロ教は無責任だと感じるのは、管理人だけではなかったということです。あえて混乱を招くような「わけのわからぬ」ことは普通しません。

 

管理人にとって異星人が実在するかどうかは、どうでもよいことです。書いてある中身が重要です。そして、往々にして優れた資料は、直接答えを教えるのではなくて、自身が考える方法、手立てを示してくれるようです。 弧理論の考え方が重要なのは、こういうことです。メタ思想。

ただし、地球を

月探査衛星「かぐや」から見る地球

俯瞰して何らかの援助計画があるならば、という仮定で行動することは有意であると考えます。

 

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今更 玄箱/HGの2TB化 メモ

これまでiPad Retina と iPad mini を使ってきましたけれど、OSのアップデートにより、いよいよ遅くなってきました。しかも音が出ない。 iPad miniのダウングレードできないか調べましたけれど無理みたい。やむなく新しい

写真1

を買いました。 居間にはほとんど使わない

写真2

Apple TVがありまして、さらには放置した

写真3 改造後

玄人志向の玄箱/HGがあります。 で思いついたのが、玄箱 → iPad → Air Play → Apple TV → TV で動画を見るということでした。

棚から玄箱/HGを出してきますと、かつてセットしたIDEの80GB HDDが取り付けられていました。完全に忘れてる。  2TB化の資料をネットで調べて、「玄箱HGにSATAのハードディスクを載せてファイルサーバーに」を参考にしました。近くの電気店で2TBのSATA WD20EZRAを購入。玄箱用のIDE→SATA変換基板は廃番のようです。参考ページの写真をよく見るとサンワサプライのシリアルATA用IDE変換アダプタTK-AD40IDEと同型のようです。これも注文しました。 上のサイトを参考にシリアルアダプタを改造します。

写真4

のようにシリアルアダプタの電源コネクタを延長します。ジャンパピンは

写真5

の様に折り曲げます。  ケースは

写真6

4箇所を切り取ります。シリアルケーブルのコネクタが出っ張りますので金のこで切り落とし整形します。HDD を取り付け変換基板とメイン基板をつないでケースに納めます。

写真7

こんな感じで

写真8

納めますと写真9

の様にできます。 改造後が写真3です。 ここから手こずりました。

管理人のPCであるWin7にHDDを取り付けます。HDDは2TBですからMBRでイニシャライズしました。

普通に幾つかのサイトを参考に

    1. 玄人志向 KURO-BOX/HG(玄箱)にSeagate ST2000DL003を搭載する
    2. 初期の玄箱+KURO-SATAでHDD2Tでセットアップができません。
    3. Windowsを使わずに玄箱/HGを初期状態に戻す
    4. 玄箱無印のHDDを2TBにしたときのメモ

セットアップしたのですが、A.のサイトのようにいきません。まず、HDDをKuroBoxSetup.exeが認識しません。 どうも、B.によれば変換基板のSATAの側が玄人志向純正なら転送速度が1.5Gだとのこと。サンワサプライの変換基板では3.Gが最高だということですので、WDのHDDのサイト

図1

参考にジャンパピンをpins5-6(3Gb/s)に設定しました。 B.によれば3Gb/sによるセットアップ成功例があるので、これで試したところKuroBoxSetup.exeは

図2

2TBのHDDを認識しました。 ところがいつまで経ってもフォーマットが完了しません。一晩放置しても完了せずに失敗で終了します。 同様の報告が各所にあります。どうもB.によればフォーマットに時間がかがりすぎてKuroBoxSetup.exeがタイムアウトするようです。  ノートPCにクロスケーブルにつないでセットアップしたり、いろいろ試しましたがダメでした。

結局、D.を参考にしてできました。通常の通りEMモードの玄箱にTelnetでつなぎます。KuroBoxSetup.exeを実行時に作ったパーティションをmfdiskを使って消します。

mfdisk -e /dev/hda

次に初期化して、標準のシステムファイルを作ります。

/sbin/mkfilesystemu.sh

ここらあたり記録がない。

/bin/mount/ -t ext3 /dev/hda1/mnt

/bin/mount -t -ext/dev/hda3/mn2

/bin/mkdir -m777 /mnt/share

だったかな? 結局やったことは、事前にEMモードでhda1 hda2(swap領域) hda3 をフォーマットしておいて、KuroBoxSetup.exeがタイムアウトすることなく処理を終えるようにするということです。D.を参考に。

で、

図3

無事に2TB化できました。 因みにファームウエアの1.02はなぜか通りませんでした。

iPadのLAN経由で再生するソフトは幾つか試した中でnPlayer Plusが駒落ちせず便利です。 手持ちの動画isoをmp4vに変換するのには、フリーソフトHandbreakを使っています。

これでiPadに写真や動画をダウンロードせずに楽しめます。

 

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自作CNCに3Dプリンターはどうだろう

研究の合間に、3Dプリンタなんかどうだろうと考えました。

以前作ったCNC(端材MDF板+Arduino uno+CNC shield+grbl controller)

写真1

には、ミニルーター(MM100)と1000mw青色レーザーがとりつけてあります。 ここにホットエンドを取り付ければ3Dプリンタにできそうです。

ヒートベッドは大きさから既製品があいませんので自作するしかないようです。 こちらを参考に

写真2

写真3

試作しようと考えました。どうも紙フェノールだと高温で反ってしまうようです。押し出しの材料にPLAを想定して、こちらを参考にすると60度くらいでよいかも知れません。ダメならガラスエポキシ基板で試そうか。

どうも自作CNCが強度不足なので、補強作業などをしながら必要な材料をポチります。

買ったのは写真1に示す様なものです。電源DC12V20A RAMPS1.4セット押し出しの部品ホットエンドドライブギアです。押し出しに使うステッピングモーターは以前買ってあった秋月のバイポーラ型モーターST-42BYH1004を取り付けました。ホットエンドと分けて取り付けるタイプです。これだとZ軸にかかる負荷は小さくて済みます。

ヒートベッドは、まだできてません。とりあえずRAMPS1.4にMarlinをインストールしてサーミスターの温度表示にて動作を確認しました。 PC側のソフトは

写真4

Pronterfaceを用いています。  次に

写真5

ジャンクのステッピングモーターを取り付けて・・・・これが動きませんでした。 調べてみたら

写真6

CNCshield3.0のモーター結線は左から「B2 B1 A1 A2」でして、RAMPS1.4のそれは左から「2B 2A 1A 1B」なのです。 これではダメです。 写真でのモータの線の色は、左から「赤 黄 橙 青」ですけれどRAMPS1.4のときには、「赤 青 橙 黄」の順に入れ替えれば動くということです。

そこで、RAMPS1.4にてgrblが動けば、コネクタ配線の順をいちいち入れ替えなくてもよいはずで、調べたところ既にありました。 Programming hex file on Mega2560というサイトです。まだArduino Mega2560にアップロードしていませんけれど、なんとかなりそうです。 これでRAMPS1.4にてCNCを動かせますし、ファームを入れ替えてヘッドを交換すれば3Dプリンタになるはずです。 でも、うまくできたとしても印刷領域は130×100×30㎜くらいなので、小さすぎます。   まあ、ここまででちょっとやる気が萎えてきています。

 

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ネコの言葉 「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」

面白い記事を読んだので一部引用します。楽しいことないかな速報より、上司『獣医はビジネス!高い薬で利益をあげろ!』→ある日、老婆「ネコを助けて」しかし急にネコが昏睡状態になり・・・・・

ネコの言葉とされる部分です。

「人間はいつも忙しない。そんなに急ぐな」
「お前は何も知らないんだな」
「知識だけで分かった気になるな。目に見えないものもある」
「目に見えないものこそ今のお前には必要だ」

 

これまで数学者岡潔の言葉を元に幾つかの考察を進めてきました。その内の一つに次のような言葉があります。講演「2つの心」【3】西洋の唯物主義から

 西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。この仮定のもとに調べてきた。それが自然科学です。そうすると、とうとう素粒子というものにいき当った。不安定な素粒子というものがあって、生まれてきてまたすぐ消えていってしまっている。無から有が生じるということは考えられない。そうすると、五感でわからないものは無いという仮定は撤回しなければならない。それで西洋の学問は、一番始めからもう一度調べ直さなければならないところへきているんです。

下線は管理人による。  岡潔は簡潔な言葉で述べていますけれども、凡人にはわかりづらいです。むしろ上記の獣医師が扱ったネコの言葉の方がしっくりきます。 確かに我々は、知識だけで分かった気になっていますけれども、目に見えないものがあると直接云ってもらった方が分かり易いです。

目に見えないものこそ必要だと感じます。それが唯物主義の元に進めた自然科学が行き着いた結果なのですから。 自然科学者たちの研究よりネコの言葉の方が余程的を射ています。

そういえば、某TV局の宇宙はこれからどうなるのか?にて村山斉氏がダークエネルギーの説明に「真空エネルギー(弾性エネルギー)」という言葉を使っていました。

管理人が研究・考察を進めているのはまさに空間そのものの性質についてです。

ついでながら、弧理論の考え方によれば、基本粒子である陽子・中性子・電子は、おそらく12種の極めて強いが到達距離の短い力合成による差分によって成り立っているのではないかと考えられます。 12種の力は引力と斥力に分けられ、それぞれが均衡を保っています。M軸に投影されることによって回転力となっているようです。 差分は、物質とその回転の他に電磁気力、2つの核力となっているようです。(差分だけが観測できる) あまりに奇妙な仮説ですが、多くの基本的な謎を説明できるものと考えます。真空だからと云って何も無いというのではありません。

 

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例えば、東京は位置であって「量」ではない 時間も同じ

前々回の記事、「位置(A)に数を附し単位を付けるのは誤り 何故なら位置は「量」ではないからの続きです。

先日、某TV番組を観ました。メンバーがスマホなしで集まれるかというものです。「都内にある大きな看板とか有名な橋とかの目印になるところへ時間内に集まる」というものです。

観ていて思い出したのが子供の頃からの疑問でした。 例えば、東京と云えば、ピンポイントで何処をいうのか?

写真1 出典:東京都庁

新宿の都庁か。それとも

写真2 出典:東京駅丸の内駅舎

東京駅なのか。 あるいは、日本の道路の起点である

写真3 出典:まち日本橋

日本橋なのか。 仮に日本橋だとすると橋のどの辺りなのだろうか?礎石?中央の橋脚部?公図に附される丈量図に対応する地面に打たれたピン? そのピンを東京と呼ぶのか?  など、今考えてもくだらないことが疑問でした。

 

これまでの考察の結果、

図1

時間とは運動の記憶でした。それは

図2

本質的に歴史年表と同じでした。

 

例えば歴史的な事件について。

写真4 出典:よど号ハイジャック事件

1970年に起きた日航機よど号のハイジャック事件を考えます。

誰でも記録を読み羽田空港という場所と年月日時刻を特定できます。 けれども事件のあった「位置」は、太陽系

図3 出典:私たちの太陽系

3番惑星の地球上であり、太陽系は銀河系の端の方に位置します。 年月日時刻は西暦0年を基準とした相対的な位置です。

ハイジャック事件があった1970年での地球と太陽系と銀河系の同じ位置に戻ってくることは絶対にありません。特定の事件について考えることはあっても、それにつれて太陽系や銀河系の位置を考えることは、まずありません。

冒頭の「東京」の位置も もの凄い速さで3次元空間を移動しています。もとの位置ではありません。

位置である東京に単位を附けることはありません。同様に時間に単位を附けることは誤りです。例えば「東京」は位置であり「量」ではないように、時間も二度と同じに戻ることがない位置であり「量」ではありません。 時間を基本物理量として扱うのは不適切です。

 

あるのは、物体の質量と運動ならびに波により引き起こされる遠隔の運動だけです。これが五感でわかるすべてだと思います。 非測定対象物が光の速さに近ければ近いほど人の五感でわからなくなります。

図4 E軸上の実体が持つ真のエネルギーは投影により質量mと運動として現れる

余分な次元軸上にある実体からの投影角が浅くなるからです。 だから時間をパラメーターに使う自然科学は近似なのです。

 

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あなたの科学にあなた自身は含まれているか?

正確に言えば、あなたの信じている科学に、あなた自身の精神は含まれていますか? あなた自身を成り立たせている精神の仕組みは含まれますか?

 

岡潔は【3】西洋の唯物主義にて述べました。

五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。

そして、岡潔は自身の精神は五感でわかるもの以外から来ていると考え、大宇宙の本体は情であると結論しました。 管理人は岡潔の云うように大宇宙の本体が「情」であるかどうかわかりません。 しかしながら、縄文哲学の核心部分に「アワレヱダ」「ナサケヱダ」があるように、何か縄文哲学と共通するものがあると感じます。

もし、人の信じる科学に人の持つ精神が含まれていないならば、意味不明な物や事(例えば心霊現象など)に対して、その人はこう言うでしょう。「そのようなことは非科学的だ。ありえない。」

一般に、自然科学に入らない(扱えない)ことは非科学として排除します。  現に存在するありとあらゆる「物や事」について、部分を排除することが適切だとは思えません。 それらは、どうにか合理的に解釈することができるはずです。 きっとそれらが存在する何かの理由があるはずです。

何かを非科学として排除したならば、それは科学ではありません。

岡潔の述べたことについて調べていますと、一部にはトンデモに近いとみる向きもあるようです。しかしながら(五感でわかるもの以外を)排除したことにより、その論は科学ではなくなります。 岡潔が対象にしたのは人の心あるいは精神です。 人の心・精神も宇宙の内であり、五感でわかるもの以外の何かかも知れないという認識がなければ、岡潔の述べたことは、ただトンデモに感じられるということです。

岡潔は誰もが認める天才です。故に人々は岡潔の著書を読みます。しかし、岡潔の伝えたかったことの入り口に立ち止まってしまう人もいるでしょう。そのような人は唯物主義なのだろうと思います。 そして唯物主義の極致が神の数式であったりします。ですから数式を考える人たち自身の精神は数式に含まれていなさそうです。 彼らは彼ら自身(の精神)を彼らの神と同列に置くことに戸惑いがありません。

図1 出典:宇宙誕生の様子、スパコンで計算

 

縄文哲学は、縄文の人たちによる永い歴史の上にできあがった人類の「たから」です。岡潔は一代でそれに匹敵するほどの域に到達したのですからまさに天才です。

 

管理人には、岡潔が言った第2の心と第1の心は縄文哲学の「ノヲシテ」と「ノヲシテ」に比しうると感じます。 同時に

図2

弧理論の考え方による、想念の経路(1)が岡潔の第2の心で、想念の経路(2)が第1の心に相当するようです。 人の心や精神の働きは、善いも悪いも含めて、そういう仕組みの元に在ると感じます。

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位置(A)に数を附し単位を付けるのは誤り 何故なら位置は「量」ではないから

これまで、数学者岡潔の「時間」について語った言葉を起点に考察を続けてきました。岡潔【2】自然科学者の時間空間)より引用します。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。

 

(1)考察を続けた結果、管理人は

時間とは過ぎ行く運動の記憶(記録)である。

と結論づけました。

 

(2)時間は運動を元に作られます。 時計は

国鉄標準型時計

機械装置の運動を回転に変えて盤の中心の針を動かします。盤面を区切り、数字を割り当てます。針の位置(角度)を数に置き換えたのが時間です

今、この時計の運動を直線に置き換えます。

図1

のように、短針を直線に合わせます。時間の経過とともに文字盤は右から左方向へ転がります。こうして、1~12の数を附した数直線が得られます。 この数直線はおよそ36時間(1日半)を表しています。

ここで図1の(左右を反転した上で)縮尺を極端に大きくして、起きた出来事を書込ことにより

図2 出典:輝き始めた日本より世界史対照年表表

を得ることができます。 ご存知の通り、この歴史年表は西暦0年を基準にしたものです。

時計の運動からから得た歴史年表を観てわかるように、冒頭の考察(1)「時間とは過ぎ行く運動の記憶(記録)」というのは図2の歴史年表と本質は同じであることがわかります。

 

本題です。ここに1本の色鉛筆があります。

写真1

鉛筆の左端の位置を(A)、右端の位置を(B)とします。位置と位置の隔たりを距離または長さといいます。これに基準となる定規(モノサシ)をあてます。単位はミリメートルです。 (A)が50で(B)がだいたい222を示しています。差し引き色鉛筆の長さは172ミリメートルです。

定規を取り除きます。

写真2

そして、色鉛筆を除きます。

写真3

位置(A)と(B)が意味を持つのは量としての色鉛筆(被測定物)定規(測定基準)があったからです。 岡潔が言った「数は量のかげ」ということの意味がここにあります。

ここで、写真3と図1を比較します。 位置(A)(B)に数を附すことができるのは、定規があったからです。 同様に時計から位置を示す数直線が得られたのは、時計という機械装置の運動が位置を持つからです。 しかし、時計の場合、位置に対応する「量」は存在しません。色鉛筆やモノサシが無いのと同じです。

図1の場合、モノサシが時計の運動です。運動そのものではありません。運動を位置に置き換えたものです。対応する量がありません。ですから、時間に対する単位「年月日時分秒」をつけることは不適切です。時間を基本物理量として使うことに同意できません。

岡潔が述べたように時計という機械装置の運動が位置に附した「数」(つまり時間)に比例して起きるかどうかわかりません。 何故なら、過ぎ行く運動の記憶ですから、

図3

時間を時(とき)の現在と時(とき)の未来に適用できるかどうかわからないのです。計測により得た結果は既に過去です。 「運動が時間に比例して起きるかどうか」の意味はここにあります。

こうして時計という手元にある機械装置を元にして作られた時間は、

表1

赤い括弧の内側に適用できることは確かです。 被測定物が光の速度(運動)に近い場合(図4の両端)は、疑問であると管理人は考えます。 表1の両端は、手元の時計(モノサシ)を使って光速で運動する色鉛筆を測定することに相当します。

誰もが知っていることとして、位置と運動は相対的です。それ故、運動から作られた時間も相対的であってしかるべきです。ですから歴史年表は、西暦0年を基準にしているのです。どこに基準を置いてもよい。  ビッグバンが本当なら魚の鱗や木の年輪のような宇宙絶対時を示す痕跡があるはずです。その痕跡を探すべきと過去に書きました。

 

上記について、第3者に説得力があるかどうかよくわかりません。 天才である岡潔は、熟考の末に結晶化した結論のみを簡単な言葉でサラリと述べて終わります。これが凡人である管理人にはわからないのです。本当に大変です。

 

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