以前からエネルギーの本質について記事を書いてきました。2014年3月18日エネルギーって何?や同年4月21日の物質とエネルギーの同一性などに始まって、これまで重要なテーマの一つでした。
そういえば、弧理論の考え方によれば、観測者に対して運動Pにある物体にかかる真のエネルギー値は低いことを述べてきました。 このことについて、G・アダムスキーは「太陽は熱くない」と語ったとされたことを思い出して調べてみました。
黒月解析研究所のサイトのこちらには、
③「太陽の表面は熱くない」も、「科学的に誤っている」かどうか、具体的に調べる探査機は、まだ、太陽大気圏を突っ切って、太陽表面に向かっていないはず。地球の科学者たちは、太陽大気圏上層の様子を見ているだけかもしれないのに、そのことを、なぜ、問い直そうとしないのか。太陽が「核融合炉」であるというのも、地球の科学者が勝手に仮定しただけにすぎない。
常識的には、「太陽は熱い」とされる訳ですから、G・アダムスキーはインチキとなります。本当に熱いかどうか探査機を送って調べるべきとの考えは常識的です。 ただ弧理論の考え方によれば「太陽の表面は熱くない」というのは、別の意味で一理あります。 以下、説明です。
物理学でのエネルギーの次元は、[ML2T-2]です。言葉に直してみますと、「質量×長さの二乗×(毎秒毎秒)」となります。つまり質量を持った物質の単位面積当たりの加速度とでもいう値であることがわかります。平たく云えば物質の運動のことです。
いつも引用するある科学者は物質とエネルギーについて、次のように述べています。
君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面に過ぎないのだ。
Daniel Fry Dot ComのサイトよりThe White Sands Incidentの原文を抜粋しますと、
One of the principal obstacles to the rapid progress of your science is that your scientists have not yet fully grasped the simple unity of matter and energy. One of your greatest thinkers, a professor, Albert Einstein, published, many years ago, the mathematical formula which described quantitatively the equivalence of matter and energy. This formula, while perfectly correct mathematically, leads to the incorrect conclusion, that matter is convertible into energy and vice versa. The truth is that matter and energy are merely different aspects of the same entity.
下線は管理人によります。
ある科学者の言葉を図に示しますと
図1
の様になります。 これを簡略化したのが「弧理論の考え方の基本形」でして、
E軸上の実体が原因。物体は結果。
図2
の様になります。これは観測者に対して物質が静止しているときを表しています。 このときE軸上の実体が持つ値を当サイトでは「真のエネルギー」と呼びます。 ある観測者に対して物質が運動しているときには、
図3
の様に、投影角が90度以外になり、M軸に投影された線分Pができます。このPが冒頭で述べた物理学で定義されたエネルギー[ML2T-2]に相当します。 お気づきのように、観測者に対して運動Pの状態にある物質にかかる真のエネルギー値は低くなります。図3で云えば、運動P1の状態より運動P2の状態にある方がより低い(真の)エネルギー状態にあるということです。 物質、例えば液体分子の運動が大きいということは、即ち「温度が高い」ことを意味します。
太陽の表面温度の話に戻します。 弧理論の考え方によれば、太陽から放射されるエネルギー[ML2T-2]に相当する分、太陽の持つ真のエネルギー値は低いということになります。 ですから、G・アダムスキーの語ったという「太陽の表面は熱くない」という言葉は、ある意味妥当性があるのではないかと考えます。
ある科学者が云ったように、我々は、物質とエネルギーの簡単な同一性をまだ理解していないのだろうと感じます。 今朝ほど、ぼんやりとE軸上の実体が持つエネルギーについて考えながら部屋の天井からぶら下がった蛍光灯を眺めていました。 「明るいからといって、手に触って熱いからといって、真のエネルギー値は低いんだ。 見た目と真の値は異なるということ。 五感でわかる世界とE軸上での(真の)エネルギー分布は異なるんだろうな~。」 と考えていてG・アダムスキーの太陽の温度について語ったことを思い出しました。 回転する物体の回転軸方向にのみE軸は重なるのですから、原子の構造や地球の自転、あるいは太陽系における惑星の公転、銀河系の回転軸にE軸は重なるだろうことがわかります。 いつも、ここで発散トーラスを想起します。
書くべき考察が随分とたまっています。実験は億劫です。弧理論の考え方によるフリーエネルギーの仕組みは大凡かたまっていますけれど、肝心の「(M軸上に)真のエネルギーの流出を見る」あるいは「(M軸上に)エネルギー[ML2T-2]の流出を見る」仕組みに至っていません。 E軸は回転軸(Z軸)に重なるのですから、Z軸方向に非対称な同軸反転型単極誘導モーターを実験すればよいのですけれど、そのままではダメで、もう一ひねり必要です。それが何かわかりません。 言い換えますと、デファレンシャル・アキュムレーターの「デファレンシャル(差動)」はわかるけれど「アキュムレーター(累算・蓄積)」の仕組みがわかりません。「differential accumulator」についての原文は、以下の通りです。
The large drum like structure just above the central bulkhead is the differential accumulator. It is essentially a storage battery which is capable of being charged from any of a number of natural energy differentials which may be available. By the word `charged,’ I merely mean that a potential difference is created between two poles of the accumulator.
大事なこと、時間[T]は基本物理量ではあり得ません。 時計という機械装置の運動を回転角に変えて、円板上に附した「数字」を「時間」と読み替えただけです。「在る」のは時計という機械装置の運動だけです。時間は人が持つ観念の一つに過ぎません。 観測者に対する時計という機械装置の運動と測定対象物の運動を比較しているだけです。 そこに「時間」なる物理量はありません。 繰り返します。「在る」のは、M軸に位置を伴って現れた質量を持つ物質とその運動だけです。 物理学でいうエネルギー[ML2T-2]を運動Pと読み替えたのは、時間[T]を使えないという理由からです。また、運動Pについて、運動量Pと区別して「_(アンダーバー)」を付けています。
国鉄標準型時計
従って、冒頭に示したある科学者の言葉にある「エネルギー」は、二つの事柄を混ぜて述べていることに注意が必要です。E軸上の実体が持つ真のエネルギーと物理学で定義されたエネルギー[ML2T-2]です。 ある科学者の言葉は、数学者岡潔の言葉と同じで十分に読みこなす必要があります。
追記 アインシュタインは「真空中の光速度cを用いて時間を定義」したようです。光速度c [LT-1]を用いて時間[T]を定義しては意味がありません。 ある科学者がアインシュタインを物理学者と云わず「最大の思索者(greatest thinkers)」としたのは意味深です。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。