太陽が地平に沈むとき「陰」は無限長になる

 

これまで弧理論への入り口や過去記事に何度か書いてきたことですが、うまく表現できませんでした。再度書きます。

第3起電力のエネルギー源について(第2版)の考察より得た

clip_img166図1

右の図形は「発散トーラス」といいます。 左側に示したトーラスの赤い破線、赤道の半径を無限大にした形状をしています。 この発散トーラスの中心に描いた円の位置に装置あるいは原子・銀河系などが存在すると考えてください。

 

galax23図2 出典はこちら

発散トーラスが何を示しているかは以下の通りです。 続きを読む

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | タグ: , , , , , , , | コメントする

自然科学者は根本的な問題に気付いていないのだろうか?

 

ここ2年ほど数学者岡潔の講演録、特に「(4)自然科学は間違っている」の【2】自然科学者の時間空間【3】五感で分かるもの【5】自然科学の無知を中心に自然科学の問題点について考えてきました。

考察の流れは、次の通りです。

  1. 自然(宇宙あるいは物理現象)は、人に備わった五感で分かるものでなければならない。
  2. 五感で分かるのは運動だけである。直接、時間はわからない。
  3. 時間を知ろうとすると運動を使う。
  4. しかし、運動が時間に比例して起きるかどうか誰も確かめていない
  5. 時計を使い時間を知ろうとする行為は、時計の機構が持つ運動と他の運動とを比較する行為に過ぎない。
  6. 従って時間は存在しない
  7. あえて定義するならば、「時間とは、過ぎ行く運動の記憶」である。

箇条書きの7.について補足します。 「時間」を知るために時計を見ます。 時計を見て「今、何時何分と知った」という過去形でしか表現できません。 時間を知る行為は必ず過去形になります。 つまり「時間とは、既に過ぎた去った運動の記憶」です。 ですから「時間」を知るため、時計を見る行為に現在形と未来形はないということです。時間とは、過ぎ去った運動の記憶を観念化したものといえます。時間は存在しません。 続きを読む

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | タグ: , , , , , , | コメントする

ウイジェット「時計」のタイトルを変更

当ブログ、右サイド下段に表示している「時計」の

タイトルを変更しました。

運動が「時間」に比例して起きるか誰も確かめていない。時計は針の運動を表示する装置に過ぎない。時間そのものでないことに気付くべき。時計は「時間」の偶像である。
数学者岡潔の講演録より「時間」に関して考察した結果をまとめた文章です。管理人の考え方です。参考まで。

少し修正

時計は「時間」の偶像。人の五感で分かるのは「運動」だけ。運動が時間に比例して起きるかどうか誰も確かめていない。時計は水晶の「運動」と別の「運動」を比較する装置。時間はどこにも存在しない。時間とは過ぎ行く運動の記憶を観念化したものである。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 雑感 | コメントする

原子~人~宇宙 ・・・大きさの比較と「運動P_」

いつも使う

五感でわかるスケール

表1

において、人の五感で分かる「範囲」=距離を比較してみます。 単位はメートル(m)です。

人の大きさは概ね、 人~10^0 です。

表の左方向で基準とするのは

H-atom写真1 出典はこちら                              APS/Alan Stonebraker

水素原子の半径で、ボーア半径として定義されています。

ボーア半径 0.529×10^-10 です。

表1の右方向で基準とするのは、太陽系の中の木星です。(木星を選ぶに、特に意味はありません。)

planets図1 出典はこちら

木星の軌道半径 5.2au (au:天文単位=149 597 870 700m) です。

おおよそ、7.8×10^11 となります。 大きさの順に並べると

極小領域10^-20 < 原子半径10^-10 < 10^0 < 太陽系半径10^11 < 極大領域10^21

となります。 3次元空間はスカスカの空間であることがわかります。

極小領域あるいは極大領域は、「人」を基準に見ると、いずれも光の速さに近い運動をしていることになります。   表1は「人10^0」を中心に「左右対称」とでもいえる構造になっていることに気付きます。

 

弧理論の図形

20140421運動の状態図2

でいえば、観測者から見て「極小あるいは極大」の現象は、常に運動を持っているということです。

言い換えますと、 観測者の視点から極小・極大の現象は

20150820M軸は湾曲図3

左(イ)の様に常に運動を持っていると解釈出来ます。実体のM軸への投影角θが90度以外は運動を持っていることになります。

見方を変えれば、観測者(人)の大きさから見て「極小あるいは極大」の現象は、いずれもM軸が湾曲しているのと同じだと考えられるということです。

ある科学者は次のように述べています。

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面に過ぎない。

二つの次元を持つ幾何学的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面を表す。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視線から消えて一次元のみとなるこれはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり替えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を替えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、全く異なる量のエネルギーを見るだろう。

(強調と青色は管理人による)

実体の回転図4  引用文を図化

図3左を見て思うのは、極小の世界は、身近な『人の世界に「隣りあわせ」で存在する』ということです。 これまで、ある科学者のいう「E-M軸を中心に回転させる」ということしか念頭にありませんでした。 原子の世界には、「五感で分かる世界」と比べて「非常に高い(時間を含まない)エネルギー(運動)」が存在する、ということです。

ここで発想を替えて、極小の現象を「五感で分かる」ものに変えることができれば「関係位置を替える」ことが実現するはずと思います。


磁石は磁区毎の小さな磁石です。磁石の原子は磁区毎に向きが揃っています。故にきれいな磁力線が生じます。 しかし、個々の原子の運動はばらばらで、その結果としてマクロな磁石の温度他の物性が決定します。 この個々の磁石原子の回転を統一的に制御できれば、「原子の運動=マクロな磁石の特性」として、ある科学者のいう「異なる量のエネルギーを見る」ことができるはずと考えます。 (まるでマクスウェルの悪魔です。)

管理人は、これまでの実験による経験から「単極誘導の現象は周囲の電子と磁石を構成する原子核との相互作用である」という仮説を持っています。ここに単極誘導の現象を用いることによって、磁石を構成する殻電子もしくは原子核の回転を制御できるのでは?と直観します。 具体的な実験に落とすことはできていませんけれど、核磁気共鳴のイメージに近いです。  超巨大な単原子が実現できたら面白い。これがいわゆるUFOとして観察されるものです。

それにしても、写真1と図1は、よく似ています。自然(宇宙)の本質は、回すではなくて「回る」だと感じます。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | コメントする

EMドライブ等における 「五感による認識・理論・実験結果」 間の乖離 について

(1) EMドライブは、

EMdrv00

写真1 出典Gigazineより

のような円筒容器に

emdrive02写真2 出典NPO法人 アドバンストサイエンステクノロジー研究機構より

のように、マイクロ波を反射・共振させる装置です。円筒容器の断面積の大きい面に向けて推進力が生じるもののようです。次の

.

動画1

のように、回転台の上に円筒容器を水平に(回転軸からずらして)設置して駆動すると、台ごと装置が回転します。 次の 続きを読む

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | タグ: , , | コメントする

数学者岡潔「数は量のかげ」・・・・本当は天地が逆だろう 他2題

2年あまり、数学者岡潔の講演録を元に考察を進めてきました。主に「自然科学は間違っている」の中から【2】自然科学者の時間空間【3】五感で分かるものを参考にしてきました。

それ以外はというと、簡単な言葉で語られているけれども内容が難しくて、ほとんど読んでいませんでした。 時間はかかりましたが上記の事柄についてだいたい理解できました。 自分なりにまとめたものが右リンク先の 1.時間とは何か と 2.五感で分かるもの という文章です。そして、2つの結論を弧理論の考え方に適用したものが「3.時間を含まない真のエネルギーについて」でした。

昨年、G・アダムスキーの残した宇宙哲学とヲシテ文献に記された縄文哲学の根幹が「たぶん」同じものだと気付いたのですけれど、岡潔の講演録にも「第1の心、第2の心」として似たものが出てきているようです。 他にも気付いたことがありますので、まとめていきたいと思います。

1・

岡潔は、「数は量のかげ」という色紙を残しているようです。講演録(3)「一滴の涙」【3】数学の使えない世界にある(※解説8)に出てきます。 調べてみましたら解説8に示されたリンク先の他に青空学園だよりというブログの新式算術講義に色紙を遺してる旨の記事がありました。 続きを読む

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | タグ: , , , , , | 2件のコメント

文明・文化にはそれぞれの完成形がある・・・・現在の文明もその一つに過ぎない

かなり昔のバラエティ番組での記憶です。  南米かパプアニューギニアだかの原住民数人を日本に招待し、観光してもらうというTV番組でした。 検索してみましたけれどでてきませんでした。

日本に来る際には弓矢は持ち込めなくて、服装も少し異なりますが、

gennjyuu3

写真はこちらから

のような感じでした。(番組と写真は関係ありません。)

都内のあちらこちらを観光してまわったあと、隠しカメラを取り付けたマンションの一室に到着。 夕食は、霜降り牛による焼き肉でした。 彼らは脂が多すぎるとカリカリに焼いていた記憶があります。

食後の一服ということで取り出したのは、植物の繊維を乾かした蔓状のものと麻の繊維のようなものでした。

麻の繊維のようなものを床に置き足先で抑えて、蔓状の紐を繊維に掛けて紐を両手で持って、ごしごし擦るとあっという間に火をおこしていました。ほとんど一分以内でした。マンションの一室で火をおこすのは危ない話です。

このようなことが誰でもできるのものか、疑問に思い調べてみましたところ、古式発火法検定というのがありました。

.

動画1

動画では、30秒以内に発火しています。30秒以内だと1級合格だそうです。説明の記事リンク、古式発火法検定に行ってきた 古式発火法検定協会

検定協会では、キリモミ式

kiromo1-57

ヒモギリ式

himogiri-55

ユミギリ式

yumigiri6

の3つの方法による発火検定を行っているようです。(図はいずれもこちらより)

上記TV番組での発火法は、3つの方法とは異なるものです。持ち歩く道具も3つの方法よりかさばりませんので、より優れていると思います。

現代では、ライターなどで火をつけるかしますし、IHか電子レンジならば直接に火を使うこともありません。昔の生活は、

fudousano

写真はこちらから

かまどに薪をくべてご飯を炊く。あるいは、照明は石油でランプを使う、または菜種油で灯心・行灯を使いました。   これらはたいそう不便だったろうと想像しますけれど、案外、その生活が当たり前なものです。ときどきの人々が知る技術なりを駆使することによって、生活の最終形なるものを目指してきたのではないかと感じます。 そうして、どの文明にもある種の完成形があるのだろうと思います。他を知らないのですから当然です。

翻って考えますと、現代の生活も「この文化・文明の完成形の一つに過ぎない」と気付きます。今は、知らないだけで、まったく異なる基礎の元に組み上げられる文明が存在するように思います。

それにしても、子どもの頃、ファミコンもパソコンも携帯もありませんでした。何をして時間を過ごしていたのでしょう。外でよく遊んだ記憶があります。 「かまど」はなぜか「ふどうさん」と呼んでました。また、東西の出入り口のことを「ヒガシラ」あるいは「ニシラ」と呼んでいました。  ホツマツタエのきつのなとほむしさるあや【東西の名と蝕虫去る文】にある「ヒノイツル カシラハヒカシあるいは「ヒカシラヤ ニヱハナミナミと同じです。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 雑感 | コメントする

「シル:知る」は「streaming」だけではない「zip」形式があるようだ

これまでの考察の流れを次に示します。

1.ホツマツタエにある「ヰクラムワタヲ ネコヱワケ」の「ネコヱワケ」は音声である「コヱ:声」を要素に分けること(48音「ヨソヤコヱ」)であるとともに、心の内の「思考」そのものも示している。つまり、ネコヱは「想念」も示しているのではないか。 ほつまつたえ きつのなとほむしさるあや【東西の名と蝕虫去る文】

2.想念は伝わる。弧理論の考え方では、想念は物理現象の一旦を担っている可能性がある。

3.古より天皇の役割は、「天の恵み(宇宙からの叡智)を受け、民を導く」ことにあった。 その手法がネコヱに依ったのではないか。でなければ文明の発祥時の過程が成り立たない。 いつまでも「タミクサノ アナニスマエハ ヒトナラス」を抜け出せない。 これを抜け出したのがクニトコトチだったのではないか。

4.時代が漢字文化に至ってからは、ネコヱワケの意味は忘れ去られ、シラス・ウシハクのシラスと解釈されるようになった。 天皇は、国並びに民草を「シル:領る」であると。 だから尊敬語の「シラス」になった。

5.しかし、「シラス」の本当の意味は、「シル:知る」ことにより民を導くことにある。

6.歴代アマカミの「シル:知る」をまとめたものが、アウワやアモトあるいは、タマ+シヰの構造であった。

というものです。まとめますと

シル:知る」は、想念をしてヒトとヒトとのコミュニケーションをとり、あるいは宇宙の叡智を知ることができるのであって、天皇のみならず民草(万人)が行えることです。 これが人に本来的に備わる能力です。 そして、人の肉体に備わる五感による「分けることにより分かる」の限界を越えることができるのです。

この万人に備わった能力は、G・アダムスキーによればテレパシー(精神感応)だということになります。 ついでながら、G・アダムスキーによるsoul mind と sense mind がタマとシヰに相当します。

一般に「シル:知る」は、個別のイメージを「streaming」するように考えられているようです。  個人的なことながら管理人の「シル:知る」のほとんどは、zip file の様な圧縮形式になっています。そういうのもありだと思っています。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | コメントする

LD用定電流電源の回路について

以前、自作CNCに取り付けた青色LD

CIMG2359p1

駆動用に定電流電源を

CIMG2444p2

作りました。ネットからの

ttl-diode-driver(1)を参考に

レーザードライバ回路(2)を書いて

TTL_LD_driver_sc(3)と決定して、作ったのがp2でした。ところが電流が不安定で使い物になりませんでした。調べてみたらねがてぃぶろぐさんのサイトに「EJ No.3にちょこっと写真が載りました」という記事に解説により意味が分かりました。 OPアンプの入力を固定にしてはダメということです。(2)のR11の分圧抵抗からOPアンプの入力を取るのが正解です。(1)は、そうなっています。

なひたふ新聞様の

teidderyuu

定電流回路の解説にも示されています。勉強になりました。  レーザーダイオードに興味が薄れつつありますので、回路を修正して作り直すかどうか分かりません。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 未分類 | コメントする

「まず精神科学と社会科学が出てくる。二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえない」・・・・なぜ素粒子物理学ではなくて、「物質科学」なのか?

当サイトにおいて、これまでの考察により出尽くしたことながら、改めて記します。

ある科学者の言葉を引用します。少し長いです。

知識や生きる目的の探求は議論とよりよい理解の目的で三つの大きな区分に分けられるほどの広いスペクトルになっている。この区分は次のように定義される。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物質を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造の力と無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解のすべては、この三つの分野に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。

宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。 (青色と強調は管理人による)

(1)が物質科学で、(2)が社会科学、(3)が精神科学です。

右リンク先の「3.時間を含まない真のエネルギーについて」で考察したとおり、自然科学の守備範囲は

五感でわかるスケール

赤い括弧で括った範囲だと考えられます。同時に人間に備わった五感で分かる範囲でもあります。その基礎は赤い矢印の部分にあります。 つまり、「陽子・中性子・電子」で構成される「物質」です。一方で、素粒子は「物質」の破片に過ぎません。

五感を持つ人間であるが故に、人間の為の科学だから、「素粒子物理学」ではなくて「物質科学」だということになります。

ある科学者は、人類が理解すべきとして三つの科学を挙げました。そして「それらを支配する基本的な法則は全く同じもの」であること、その内二つ(精神科学と社会科学)が最初に出てくると述べています。

管理人には、精神科学と社会科学、物質科学の三つが縄文哲学の象徴であるミクサタカラの「タマ、カガミ、ツルギ」に重なります。 数千年前、縄文の人たちは既に精神科学と社会科学を身につけていたと確信します。  翻って現代の私たちは己のことに無知です。 タマ(精神科学)とカガミ(社会科学)の基礎がないからツルギ(物質科学)が発達しないということです。 生命維持の欲求であるシヰ、欲しい欲しいのシヰの暴走を許している訳です。人類、自滅まっしぐら。

 

過去に書いたことながら、表の極大と極小を無理矢理ビッグバンにより統一しようと四苦八苦している様子は

zo_kame_hebi

自らの尻尾を飲み込む蛇に似ています。

 

ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。 にほんブログ村 科学ブログへ  学問・科学ランキング  
カテゴリー: 解説 | タグ: , , , | コメントする