五つ玉のそろばんは、12進数の計算に使える

将来、10進法の数学より12進法の数学が便利だと気付かれたならば、一気に増す計算の困難を乗り切る一つのアイディアとしてメモしておきます。

itutudama写真1

は、昔懐かしい五つ玉そろばんです。これが12進数の計算に使えます。 上の玉は「5」です。下の玉と併せて10になります。 なぜ下の玉が5つのそろばんがあるか調べたところ、こんなのがありました。 一の桁に「10」が揃ったら、一の桁を”払って”10の桁に1を置いたようです。4つ玉のそろばんは、この繰り上がり繰り下がりを暗算することで、1つ玉を減らしたようです。

ここで、12進数の計算を五つ玉のそろばんでやるためには、12進数の一桁暗算が必要になることに気付きます。つまり、「一の桁が揃ったら払って10の桁に1を置く」ためには、6つ玉のそろばんが必要になるということです。

一桁の暗算のために補数を使うことになります。10進数でいえば、

2と8、3と7、4と6、5と5・・・・が補数です。 10進数は、0~9の10個の文字を使いますので、12進数は12個の文字を使います。

今、仮に12進数を0~9と ”a” 並びに ”b” の12個の文字を使って表すとします。

0 1 2 3 4 5 6 7 8 9 a b の後、桁上がりをして「10」となります。青字の10は12進数の10です。 これを5つ玉のそろばんで表すと

newimage1写真2

となります。(gif が動かないので、以下写真を並べて説明します。)

newimage1

CIMG2113CIMG2114

3~4 の後

CIMG2117

5ときて

CIMG2118

下の玉5つを払って、上の玉が6になります。続いて7~8ときて

CIMG2121

9の次が

CIMG2122

aになり、

CIMG2123

bときて、

CIMG2124

桁上がりして10になります。

 

ここからが問題です。 まず、12進数の10について、補数を出します。

1ならb   2はa   3は9  4は8   5は7  6は6 ・・・・

例題として、10-1=b  10-2=a なら簡単ですけれど 16-8は?となるともう分かりません。

CIMG2125

16と置いて、これが問題です。  えーっと、10を払って、8の補数は4だから

CIMG2126

下の玉を4と置く、答えは「a」となります。 では、

21-4は?

CIMG2127

まず21と置いて。  4の補数は8だから、10の桁から1引いて、

CIMG2128

上の玉と下の玉を足して、答えは19です。

これ、例え12進数の電卓があっても使えないことはお分かりいただけることでしょう。いちいち10進に置き換えて考える癖が出てきてしまい混乱します。5つ玉のそろばんなら、なんとかできそうです。

 

先日の記事に

12進分度器-1

12進数による分度器をあげました。 何が便利なのか、今はピンと来ません。まして12進数の計算となると、何がしたいのかと思われそうです。 以下は例えばの話です。

 

水H2Oは、摂氏4度で最大密度になり零度で凍ります。非常に多くの物質を溶かし込むことが出来ますし、雪になると

{c4de8a001cbcae7c382f1dd801287804055307794e3d216dc125c16c479c4f5b}3A{c4de8a001cbcae7c382f1dd801287804055307794e3d216dc125c16c479c4f5b}2F{c4de8a001cbcae7c382f1dd801287804055307794e3d216dc125c16c479c4f5b}2Fpdss{c4de8a001cbcae7c382f1dd801287804055307794e3d216dc125c16c479c4f5b}2696角形になります。水の結合は

atermolecule

こちらより拝借

104,45°になるようです。この点を質問された方がありまして、こちらに回答されています。 しかし読んでも何かよくわかりません。  ここから当サイトのやりかたです。

物理でいうエネルギーには、時間を含んでいますから、使えません。 我々に分かるのは「運動」だけですから、

20140421運動の状態

図1

エネルギー[ML^2T^(-2)]を図1の運動と言い換えます。E軸上の実体が積分を伴って投影されることで質量を持つ物質が位置を伴って現れます。この投影角θに応じたE軸上の変位(E2-E’)が運動となります。

(1)E2-E’ と(2)θ 並びに(3)運動(物理でいうエネルギー)の間について、適切に繋げることができれば、つまり、(2)に3次元空間を等しく分けることができる12進数を使い、(3)のエネルギーにかかる定義を適切に扱えば、上記の水が持つ数々の性質を統一的に、理解の容易な形で表せるのではないか?と考えています。

 

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考え方が「不健康」ということ & 想念のチャンネル

前回の続きです。 想念のチャンネルの説明において、シヰの特性曲線がお金の特性に似ている例として、ジンバブエドルのハイパーインフレをあげました、

(1) ジンバブエドルの解説の一般的な例として

.

動画1 ジンバブエ驚愕の100兆円ジンバブエドル インフレで無茶苦茶 池上彰

並びに

.

動画2 経済崩壊・ジンバブエドルを壮絶なインフレに追い込んだ欧米諸国の経済制裁!

があります。動画1は池上彰氏、動画2は武田邦彦氏による解説です。   動画1は、ジンバブエ大統領による経済無知無謀による自己責任的崩壊と説明しています。 動画2では、大統領の経済無知によるのは事実だけど、欧米のやり口は酷く、農業を破壊した上で、経済制裁を加えて、かつ崩壊後に「揶揄」していると「ジンバブエが酷い」理由が自国の責任だけではないと強調しています。

この場合、お二方の解説により受ける

想念とチャンネル

図1

I 想念は、人それぞれですけれど、池上、武田両氏自身がどのような想念を持っていたかによって解説の内容も決まってくると思われます。  また、動画を見られた視聴者がどのような想念を持つかもご自身の経験などによって決まってくると思います。

その判断の基準は、「どちらの主張が本当なのだろうか。真実に近いのはどっちか?」だと思います。全ての基準は、「善悪あるいは本当はどれが正しいか?それとも正義はどちらにあるか?」ではないでしょうか?

話は変わって、

(2)作家の太田龍氏による動画

.

動画3 太田龍_二・二六事件の真相、全面開示

をご覧ください。 長時間ですので、太田龍氏の解説をほぼ全文書き下した太田龍&デビッド・バーガミニ(David Bergamini)の「天皇の陰謀」考をお読みいただいた方が速いと思います。

私たちの知らない(学校の歴史で習っていない)事を丁寧に掘り起こして解説しています。興味深い話です。 一方で、なわ・ふみと氏による2012年の黙示録のなわのつぶや記において、なわ氏は、「陰謀論」こそ世界支配層の作戦では?と題して、太田龍氏や太田龍氏が支持しているデービッド・アイクのことも含めて「陰謀論者が無事に活動できるのは世界支配層にコントロールされているからではないか」と述べています。

99の真実に1の猛毒を混ぜるのは、常套手段のようです。管理人も太田龍氏の動画3による主張には、なるほどと思います。同時にデービッド・アイクが

爬虫類型宇宙人レプティリアン

図2

レプティリアンなるものを出してくる意味が分かりません。単純に考えて、恐怖を煽るお話しは、無視するのがよいと思います。

なわ・ふみと氏は、太田龍やデービッド・アイクの話に真実が含まれているだろうけれど、彼らが平穏無事に活動できるのも「どこかに居るであろう支配層が認めているからだ」と、一歩退いた形で書いています。

同じ陰謀論者でジャーナリストのベンジャミン・フルフォード氏は、動画だったか(ソース失念)で、「自分は、体制側に不都合な事を暴露するけれど、ソースをHDDやDVDなどにして分散の上保管している。もし私が不審死したら、ソースが出てくるように手配している。」と牽制していました。ところが彼は、欧米、ことにアメリカに巣くっているとされるナチス残党に反感を持っているのか、中国寄りの連中に与するような動きをしていると、一部から批判されています。

 

さて、(1)や(2)において何か言いたいかといいますと、人は「何かの話題」について、「善悪や好み、あるいは信条、正義の有無など」で、「A陣営かB陣営かを支持する、あるいは批判する」ということです。

図1における I 想念の幅は、(1)や(2)の例で見るように人によって様々です。 重要なのは、「真実がどこにあるか、善悪の判断を含めて、すべてがI 想念の幅の内に在る」ということです。 思想・信条・宗教・政治経済の体制も含めて全部です。 99の真実に1の猛毒を混ぜることは、これまでにわかりきったことです。

これすべて、二項対立の構図に過ぎません。(エリートキツネと闘牛士を参照ください。)大事なのは、

I 想念の幅という仕組みが存在するということです。

そして、上記の I 想念の幅とC想念のチャンネルの間には、相関がありません。 しかし、同時に

あらゆる I 想念に基づく行動は、C想念のチャンネルに応じた結果を生みます

いかなる I 想念の幅の内にあろうとも、対応するC想念のチャンネルは、人の心のタマ+シヰの配分によって決まるからです。(図1の下段グラフ)  シヰが勝った個人的・支配的欲求から出た行動は、(1)(2)のどのような賛成反対の立場であったとしても、結果的にはエゴになります。 C想念のチャンネルは、他人にも自身にも分かりません。管理人にも自身のことは分かりません。

欲しい欲しいの「シヰ」に基づく考え方は不健康です。

何故なら、全ての話の背後にあるのは、(お金というG偶像)だからです。 なわ・ふみと氏の自問する世界支配層が、何をしてもどうしても世界の全員に持っていて貰いたいのが「お金に対する執着」だからです。 お金への執着は、最終的には全員を巻き込んだ自滅以外にあり得ません。

G偶像としてのお金は、C想念のチャンネルを「う→え」へと引き込む作用を持っています。 「い」のチャンネルを持つ人は「う」へ、「う」の人は「え」へ、「え」の人は「お」へと落ち込んでいきます。シヰは、より強い刺激を求めるからです。 シヰ=五感、つまり(眼・耳・鼻・舌・手指皮膚etc)に直接うったえる刺激がメディアそのものなのです。

ご存知のように世界は、混乱の極みです。毎日、犯罪やテロが報道されています。どうもスイスに居るらしい支配層は、毎日毎日騒乱を起こして人々を思考停止に置いておきたいハズです。バカボンのパパ「賛成の反対なのだ~」では済まない

(1)や(2)の本当の狙いは、人々が混乱し思考停止に陥って何も考えられず、諦めてしまうことです。そして、人々が「もうお金の世界はいらない」との考えに行き着かないことです。 そのために世界支配層には、どうしてもユダヤ差別が必要なのです。

管理人自身、図1に示す「想念の仕組みが在る」ということを知り、わきまえることによって、いずれの事柄からも距離を置いて考えることができればと思います。まあ、どうしても気持ちを入れ込んでしまいますが。

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「お金」という偶像の持つ想念の「幅」と「チャンネル」

皆が暗黙の内に知っている事だと思うのですけれど、明示的に示されたことがないように思いますので、メモします。 この記事は、過去記事「想念の仕組み(イメージの幅と事実)」「想念が持つチャンネル」に一部重なります。

お金は現代の偶像です。

想念とチャンネル

図1

の様に、上の段から、G偶像、I 想念、C想念のチャンネル(並びにグラフ)において、上段右にあげました。 恐らく「お金」は対応する I 想念の幅が最も大きいものと思われます。およそ考えられる如何なるものとも交換が可能だからです。

日常の買い物から、一生に一度くらいしかない不動産の購入、あるいは慈善団体や宗教団体への寄付などのあらゆる場面にG偶像であるお金が登場します。 その際の、人々が持つ I 想念は実に幅広いと思われます。 例えどのようなお金の使い方であってもC想念のチャンネルとの相関は認められないのではないかと考えます。

C想念のチャンネルは、左端の あ~お にかけて分布すると考えられます。想念のチャンネルの構成比率は最下段に示した(T タマシヰの均衡グラフ)によります。 タマシヰは、タマ+シヰであって、シヰは、縄文哲学では「生命維持の欲求」です。つまりシヰは、個人あるいは個体の「欲求」であって、「強いる」のシヰです。欲しい欲しいのシヰです。

ですから、G偶像であるお金が使われる場面において、個人がどのような I 想念を持っているとしても、その発するところが個人の強い欲求(シヰ)から出ているならば、図1のTタマシヰの均衡は、「う」より右端の「え~お」にかけてであろうと思われます。 ですから、I 想念とC想念のチャンネルに相関がないのです。

シヰは、五感(視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚)に繋がっています。

kankaku

図2

そして、五感は肉体に備わった各器官(眼・耳・舌・鼻・手指等皮膚など)に繋がります。  ほとんど全ての刺激は、シヰに及びます。

一本2千円のワインと

wine55high

写真1

の一本25,000千円のワインとの違いは、五感においては僅かの差です。 ホンの少し他人より満足感を得るためには、常識外のお金を払ってしまうというのが、シヰの特性なのです。 これが図1下段右に示したシヰの特性曲線の意味です。

面白いことに、お金の特性もシヰの曲線によく似ています。最近ではジンバブエにおける

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写真3 こちらより拝借

ハイパーインフレが記憶にあります。「35000000000000000ジンバブエ・ドル=米1ドル廃止に!」だそうです。

人は、シヰがなければ生きていけません。しかしながら個人的なシヰのみで世界が構成されるならば、終いには自らに火を放って自殺するでしょう。シヰが求める最大の刺激は自殺です。しかも他人を巻き添えにして。 音楽家の多くが難聴であったり、スポーツ選手あるいは芸能人などが薬物に手を染めるのも同じ傾向だといえそうです。

何故このようになるのかといえば、過去記事、エリートキツネと闘牛士幾世代も行動原理の強化を続けるのは危険を並びに戦争の動機をなくすをご覧ください。

ロシアの科学者による養殖キツネを使った実験の結果を人間に当てはめて考えると、次のようにいえるでしょう。  何世代も「お金に執着する」行動をとり続けていると、生まれながらにして「犯罪者」の素質を持って生まれ来るという確率が高くなるだろうということです。

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日本人のルーツ

昨年読んだ長浜浩明氏の「韓国人は何処から来たか」に関して、

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動画サイトに興味深いビデオがありましたのでメモしておきます。

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動画1 長浜氏の講演

著書並びに動画1と符合する研究についての動画

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動画2 日本人のルーツ DNA解析 日本人と中国・韓国人は別人種

長浜浩明氏の著書によれば、朝鮮半島には、一時期人の住んだ痕跡が無い時代があり、そこに九州あたりから韓半島に移り住んだ人たちが居たようです。 そのころの九州から渡った人は、今で言われる熊襲と呼ばれる人たちの一部でした。

そこへ中国大陸から攻めてきた人たちが土地を占領したようです。 男だけでやってきて、奴隷とする人を残し、男性やお年寄りを皆殺しにした上、捉えた女性に子を産ませた。これが現在の韓半島に住む人たちの祖先だとのことです。著書では、韓国女性のDNAは日本人に近いが男性は、近くないとのことでした。

その前提で、動画2を見ますと符合しているように思えます。因みに韓国の建国は、壇君によって成されたとなっています。(壇君神話) wikiによれば

檀君(だんくん)は、13世紀末に書かれた『三国遺事』に初めて登場する、伝説上の古朝鮮の王。『三国遺事』によると、天神桓因の子桓雄ととの間に生まれたと伝えられる。

とあり、熊襲の女性との間にできた人たちの子孫であろうという主張も、面白い符号です。

縄文哲学を学んでいます中、血統的に縄文の血は残り僅かという印象です。 動画2は、削除されそうとのことですから、気になる人は落とされてはいかがですか?

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弧理論の考え方との比較(縄文哲学・宇宙哲学・日月神示etc)

弧理論の考え方に辿り着くまで、これまでの経緯を簡単に記した上で、他と比較して似ていることを示したいと思います。

数学者岡潔は、自然科学は間違っているとして、「時間に問題がある」と述べました。この手がかりを元に考察した結果、我々が観念的に持っている「時間というのは存在しない」ことが分かりました。何故なら「時間は運動から求め、運動は時間から求めている」からです。我々がやっていることは、時計と呼ぶ装置の運動と対象物の運動を比較しているだけで、そこに時間は存在しません。 その上で、「時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である」と結論づけました。右リンク「時間とは何か」を参照ください。

また、岡潔は顕微鏡などを使ってもよいが最後は、「肉体に備わった五感で分かるものでないといけない」と述べました。 先頃、発表された「重力波の検出」というトピックも100年あまり前に行われたマイケルソン・モーレーの実験を大規模に行ったものです。 五感で分かるのは、

五感でわかるスケール

図1

に示す赤い括弧で括った範囲であって、あらゆる素粒子も重力波も到底この範囲にありません。宇宙の構造や原子殻内部の様子を知る必要はあるのでしょうけれど、本質的な問題として「五感で分かる範囲を越えている」のだと認識しています。自然科学者は、宇宙自然のことを「分けることによって分かる」と思い込んでいる所が誤りだと気付くべきです。ここに自然科学の限界があると考えます。 語弊はありますが、究極的にはどうでもよいのです。 「分けるによる分かる」に代えて「シル:知る」を提唱しています。過去記事を参照ください。

時間に問題があるということは、基本物理量である時間[T]は使えないことになります。 我々がエネルギーとする物理量の持つ次元は、[ML^2T^(-2)]です。かみ砕くと(質量×面積×(時間の)加速度)とでもいう物理量ですからエネルギーとは「物体の運動」を時間という存在しない観念で表したに過ぎないことが分かります。存在するのは物体の質量と、その位置と位置の変化、即ち運動だけです

岡潔は、「どうすればよい」という解決策を用意していなかったようです。では、どうするのかが問題です。 いつも引用するある科学者は、次のように解決策を示しました、

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

ある科学者は、アインシュタインの特殊相対性理論にでてくるE=mc^2の式が示す内容の意味について、アインシュタインが誤って解釈したと述べました。  彼の言葉に出てくる一つの実体が持つエネルギーを「時間を含まない真のエネルギー(E軸)だと理解した上で、3次元物理空間を一次元に代表しM軸としました。このE-M軸平面という本来、時間を含まない4次元空間を2次元平面に置き換えたのが

物質(結果)に実体(原因)

図2

です。これが弧理論の考え方です。 E軸上に実体があり、この実体が持つ(時間を含まない)真のエネルギー値は、M軸に投影されることによって物体の質量となります。同時に位置が定まります。 そして、3次元物理空間内において、物体が運動するとき

20140421運動の状態

図3

のように、投影角が変化し、実体の持つ真のエネルギー値の変化分(E2-E’)が物体の運動として現れます。

現在の技術において、電子を単独で閉じ込めることが出来るようです。 勿論のこと、単独の電子は波の性質を表しますが、仮に電子が観測者に対して静止した状態(図2の様に投影角が90度)のとき観測者の視点をE軸上の実体に置くならば、

物質(結果)に実体(原因)

図4

の右図に示すように、実体の持つ(真の)静止エネルギーE2を半径とする円になります。実体から見るとM軸は、曲線に見えるということです。逆に言えば3次元物理空間に居る我々からすると、E軸上の実体は、3次元空間内で位置を特定できないということです。(3次元物理空間に直交するのがE軸であると定義したのですから当然です。)

 

ところで、過去の記事に、次の5つのことは全部同一のことを示していると記しました。

  1. 大本や日月神示にある○+点=ス(身魂)
  2. ヲシテ文献にある ○+点=ア アモト アウワ タマシヰ 縄文哲学
  3. 聖書ヤハウェ 在りて在りたる者 αでありω →無始無終 無辺
  4. 宇宙哲学 宇宙の意識(因)と結果(物質は結果である) 想念
  5. 弧理論(Ark Theory)の考え方 E-M軸平面 物質科学モデル

改めて記しますと

1. 大本教と日月神示では自動書記により数字あるいは記号で書かれた文字に「○+チョン」があります。これを「」と読みます。 日月神示では「○」が身体で あり、点がであるとしています。現代は身体である「○」だけがあり「魂」が無い状態であって、○に点を入れる必要があるとされています。これを身魂とい います。

2.ヲシテ文献には、五七調の「アワのウタ」があります。特に文字「」の形が○+点であって、アで始まる用例が非常に多いです。(アメ、アマ、アモト、アウワなどすべて宇宙を意味します。) ○に点の「ア」を漢字で示すならば宇宙と表現してよいと思います。

3.聖書に登場するヤハウェは、自らを「在りて在りたる者」あるいは「αでありω」としています。他とは異なる表現ですけれど、言い換えるならば無始無終かつ無辺とでも表現できます。

4.G・ アダムスキーによれば宇宙哲学では、まず宇宙の意識があり、それが全ての原因である。この「因」から物質ができ人が出来ているといいます。物質は結果であ り、人は結果だということです。 そして、宇宙の意識(因)から2つのマインドができます。ソウルマインドセンスマインドです。ソウルマインドが心の本 体で、センスマインドが五感にある「感覚器官の心」です。 (因)と2つのマインドを「想念」が結んでいます。 当然のこと物質は結果ですので、原子単位で想念は「在る」ということになります。ちょっと受け入れがたいですけれど理論的にはそうなります。

5.弧理論(Ark Theory)の考え方は、上に示した図2,3,4です。

こうしてみますと5.の弧理論の考え方は、1.の日月神示にある

丸に点

図5

と同じですし、2.のヲシテ文献に出てくる「ア」の文字は、図5右に同じです。

kotsuma図6 こちらより拝借

1.日月神示 2.縄文哲学 5.弧理論の考え方 は、全く同じ形をしています。 弧理論の考え方は、宇宙に最初も終わりもありません。かつ投影された物体が存在する所が宇宙ですので、自然科学が示すところの宇宙の外という意味不明の概念もありません。 つまり、1.2.5.に加えて3.の聖書に登場するヤハウェ「在りて在りたる者」={無始無終かつ無辺}も同じと考えてよいようです。

4.のG・アダムスキーが残した宇宙哲学のキモは、【宇宙は「宇宙の意識(因)とソウルマインドとセンスマインド」の3つから出来ている】でした。 これは、2.の縄文哲学に驚くほど似ています。 縄文哲学の骨格は、アモト(宇宙の中心)とタマ+シヰで出来ており、丁度、宇宙哲学の3つと同じ形をしています。    総合すると1~5は皆同じものを示していると考えてよいようです。

 

弧理論の考え方である図4は、E軸上の実体6種類を代表したものですので、これを詳しくしたのが

20151005E軸上の9つの実体

図7

になります。実体のABCとGHIは、位置を持ちませんので注意が必要です。実体を図4右に当てはめますと

E軸での全回転とアウワ

図8

右の様になります。 実体の3種類は上下2つの点で代表されますので、図の様に2つの円になります。重なり合った部分が我々の存在するM軸ということです。そして、この重なりあった部分がG・アダムスキーが残したネガフィルムにあった

図32ネガ

図9

に示す紡錘図形でした。  つまり、G・アダムスキーの残した宇宙哲学とネガフィルムにあった紡錘図形は、基本的に同じものだったのです。

先日来、フトマニ図について、記しましたけれど

フトマニ図

図10 フトマニ図

の中心にあるのが「アウワ」です。 ヲシテ文献では、宇宙の中心ことを「アモト」といいます。アとウとワは、図6のホツマ文字表と合致しません。図10のアウワは、それぞれが特殊文字に分類されています。「ア」は左渦巻きの「ぐるぐる」、「ワ」は右渦巻きの「ぐるぐる」、そして、中央の「ウ」は鼻のような文字です。  これまでの考察で、アウワはアモト(宇宙)をもう少し詳しくしたもののようです。

「ア」と「ワ」は、図8右に示した様に、E軸上の実体に符合しそうです。 従って図8の「ウ」が我々のM軸ということになります。

弧理論の考え方においては、宇宙の構造は

足跡

図11

の様になります。右図の上部にあるのが紡錘図形です。右下にあるのが紡錘図形の内側だけを描いたものです。 まだ、はっきりしませんけれど、拙著弧電磁気論(現弧理論)において、この左右の図形が宇宙の大規模構造だとしました。

弧理論の考え方では、宇宙の力は主に斥力」によりできています。図7左において、E軸上の実体で真のエネルギーレベルE2を持つA、B、Cと真のエネルギーレベルE1を持つ実体G、H、Iは互いに斥力を及ぼし合っているようです。そしてそれぞれの実体はM軸上に巨大な構造を作ります

電子と実体に働く斥力

図12

右の様に示すように、宇宙の約5%に過ぎない物質は残り95%ほどの暗黒物質と暗黒エネルギーと呼ばれるとらえどころのない存在がそれです。 原子(陽子、中性子、電子)から見てそれぞれの実体は、事実上の無限遠に投影されているのが宇宙の大規模構造だと考えられます。それを象徴的に描いたのが図11だということです。我々(紡錘図形=惑星・銀河系など)を2種類の大規模構造が取り巻いているという図です。

観測された構造は

ss372320d

図13

のようなものです。  少し漫画的に描いたのが

bubble

図14 こちらから拝借

です。 図8右に示しましたように、上方の実体が「ア」で、下方の実体が「ワ」であり、かつ、図11の右が「ア」で左が「ワ」に相当するのではないかと考えています。

それが、図14に「ア」と「ワ」の構造、つまりアワ(泡)構造になっているようです。 ヲシテ文献では、宇宙をアモトと呼び、アウワが宇宙の構造を示しているようです。

ある科学者は、「精神科学、社会科学、物質科学の3つの内、前の2つが基礎になる。基礎がない物質科学だけの文明は、いずれ崩壊する。」という主旨のことを述べています。 そして、基礎に立ち返ってやり直すならば、「まず、精神科学と社会科学が出てくる」と言いました。 「この3つの科学の間には、明確な分離線は引けない」と述べています。  まさに、上記のことがそれです。

ヒッグス粒子や重力波が発見、検出されても何も分かっていないと感じるのは管理人だけでしょうか?    管理人の妄想に過ぎないのですけれど、このように符合するのは面白い。あまりにもよくできています。 7000年以上に及ぶ壮大な計画の一部のようです。

追記 本来当サイトは、物質科学(弧理論:Ark Theory)の研究の為に書いておりますけれど、上記の理由により、精神科学並びに社会学の基礎と融合した内容となっております。サイトのカテゴリーも今のところ分類できない状態です。ご了承ください。

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やはり「ネコヱ」は「想念」のことだろう

弧理論の考え方において、想念は物理現象の一端を担っているのではないかと考えてきました。 E軸は3次元物理空間であるM軸に直交しており、(x,y,z,E)の4次元ですから

20140516直交するE軸

図1

のように、4つの3次元空間に分けられます。 E軸上の実体がM軸に投影されることによって

物質(結果)に実体(原因)

図2

のように、物質が質量mと位置を持って現れます。物質である我々から見てE軸上の実体は、方向も位置も分かりませんから、「無始無終」かつ「無辺」である訳です。 これは聖書でいう「在りて在りたる者」に近いです。

もし、想念が実体からM軸へ直接投影されるものならば、

20140421運動の状態

図3

のように、人体の神経繊維内にある外殻電子が移動(運動)することによって、物質が、イオン化することがあり得ます。これは神経繊維に生理的電気信号が起きることを意味します。 想念は頭に浮かぶ考えのことですから、どちらが原因か結果か分かりませんけれど、想念によって頭の中に考えが浮かぶということです。

そして、想念が実体からの投影であるならば、M軸上の我々から見て、想念はAからBへ、あるいはBからAへ伝わるものでは無いことになります。何故ならE軸上の実体は「無始無終」かつ「無辺」だからです。     以上が弧理論の考え方から得られる想念の性質です。

ところで、

動画1  「ヲシテ国学」第05講 「フトマニ」構造

において、「ミカサフミ ワカウタのアヤ」 ワ095~ について、原文は

①シカワソノ アウワハコヱノ

②ヱナナラン イヤトヨアウハ

③ネヲワケス ステニワカルル

とあります。 解説は8:30あたりから10:00にかけてです。妹君であるワカヒメさんの問いにアマテルカミさんが答える部分です。 池田氏の解説を大凡の文章にすると、次のようになります。

①ワカヒメが兄に問いました。 「(アウワ:宇宙の中心)からコヱが

②来るのですか。(源なのですか。)」 アマテルカミが応えた。「ワカヒメよ。そうではない。アウワは、

③コヱの「ネ」を分けるものではない。」  「アウワはネコヱを分けるものではない。初めから分かれていたのだ。」

アウワとは「アとウとワ」を繋げたものです。 アモトは宇宙のことで、アウワは宇宙(アモト)の構造をもう少し詳しくしたもののようです。  ネコヱは音声を分ける=48音(単音)という意味があります。  肺にためた空気を、横隔膜を収縮させて吐き出します。このとき声帯を振動させて空気の粗密波を起こします。これが音声です。  同時に我々は、何かを考えるとき、母国語で考えます。このとき空気の粗密波を出しません。この頭の中の様子をネコヱと呼んでいるようなのです。

問答に戻りますと、「コヱの「ネ」は、アウワから来るのですか」との問いに、アマテルカミさんは、「そうではありません。アウワはネコヱのネを分けるものではなくて、アウワ(宇宙の構造)が出来たときには既に分かれていたのですよ。」と応えています。

弧理論の考え方により、仮に想念が物理現象の一端を担っているならば、E軸上の実体がM軸上に投影されることによって物質としての宇宙(アウワ)が出来る前から、想念はE軸上の実体として存在したのですから、アマテルカミさんの答えと合致します。

ここで思い出すのが新約聖書、ヨハネによる福音書 第1章の出だしです。

  1. 初めにに言(ことば)があった。言は神と共にあった。言は神であった。
  2. この言は初めに神と共にあった。

この場合の神は、何を示すのか分かりませんけれど、少なくとも聖書の記述とアマテルカミさんのお考え、並びに弧理論の考え方の三者に大きな相違はないようです。 1.の言(ことば)が縄文の人たちにとってのネコヱと同じに思えます。

G・アダムスキーによる「想念は伝わる」という意味がようやく分かってきました。生物は勿論のこと、無生物どころか、無機物さえも想念を持つというのも、意識的には受け入れ難いながら、原理としてはありそうに思えます。 また、精神科学(タマ)・社会科学(カガミ)・物質科学(ツルギ)に境目がないことも頷けます。 洋の東西を問わず、時代を超えて全部一緒のことを示しているというのは、素晴らしいです。 「誰だ、世界をこんなに曲げてしまったのは!」という気持ちです。

 

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なぜ1年は12ヶ月なのか? フトマニ図 とホツマツタエから分かること

4年ほど前から素数について考えてきました。昨年末よりヲシテ文献にある縄文哲学について勉強しているのですけれど、縄文の人たちがどのような思考過程を経てきたかについて素数と関連することを記します。  昨年末に12星座と1ダースは、どうしてできたのか?素数との関係を書きました。その後の考察です。 一般に知られている事だろうながら、自らが考えた結果です。

フトマニ図図1 こちらから拝借

は、フトマニ図と呼ばれるものです。ヨソヤコヱ(48音)を円形に配置したものです。中心に特殊文字で縦に「アウワ=宇宙の構造のこと」と書かれています。 その周囲には、内側から「トホカミエヒタメ」8文字、外に「アイフヘモヲスシ」8文字が並べられ、その外側2周に残りの32文字を16文字、16文字に分けて円形に配置されています。 ネットで調べますとフトマニ図は、オカルト的な説明ばかりが目立ちます。 フトマニ図は、どうも後世のヲシテ文献研究者が作成したもののようです。 このあたりのことが

.

動画1  「ヲシテ国学」第05講「フトマニの構造」

に述べられています。

「トホカミエヒタメ」は、トコヨクニを建国されたクニトコタチさんの8人の子の名です。クニトコタチさんは、近江のアツミ(滋賀県高島市安曇川平野)を本拠地としていましたから、アツミから8方向に8名を本州から四国九州までに遣わされたのが始まりでして、東西南北を8方向に分割したという意味合いがあります。

動画では、だからといってヨソヤコヱ(48音)を方角や季節に当てはめるのは根拠がないと述べています。

図1のフトマニ図は、どうもヨソヤコヱと「方位」を念頭において作成されたようです。そこで、図1にグレゴリオ暦を重ねたのが

図2

です。 フトマニ図にグレゴリオ暦を重ねて描いたものです。だからといって季節とは関係ありません。(注:図2は、ホツマ辞典、池田満著、展望社のp262にある図からヒントを得、参考にしたものです。)

goo辞書によれば「方向/方角/方位」はそれぞれ意味や用法が異なります。図2で気になるのは、各文字がどのように配置されているかではなくて、「分割」にあります。  北に動かぬ北極星があり、東から日が昇り、西に沈むことで東西南北並びに季節が分かります。これを2分割しているのが図2の「青い線」です。 「アウワ」を中心に数列にしますと、

4・8・16・32・64・128・256・(384)・512・・・・

となります。

一方で、縄文の人たちは、天体の観測で一年が365日余りであったことを知っていました。 以下について、「ホツマ縄文日本のたから:池田満著:展望社」から引用します。

ホツマツタエ  キツのナとホムシサルアヤ の原文ホ-228

ミソフナリ イマミソヒトハ
コノヲシエ アメノメクリノ
ミムソヰエ ヨツミツワケテ
ミソヒナリ
「一年の日のめぐりは三六五日よりすこし多いぐらいの日数があります。 これを四季に分け、前中後の三節に分けると三十一日になります。」
注:本文P210、解説P214から、下線は管理人による

 

ミムソヰエ が「365日余り」のようです。そして「ミツヨツワケテ」が「四季を前中後の三節に分ける」ことです。 ホツマツタエでは、暦・季節と8人の子を8方向に遣わす方角を明確に区別しています。

図2において、グレゴリオ暦は赤い線で「四半期を三分割」しています。ホツマツタエも同じです。しかし、結果しか書いてありませんから、何故4×3=12にしたのか分かりません。

ここで一年が365日余りですから、これに近い360に注目します。これを数列にしますと、

2・3・4・5・6・8・9・10・12・24・48・60・180・270・(360)・720・・・・

となります。360から見れば、いずれの数も割り切れるからです。 2分割の場合の数列にある「256・(384)・512」では、365日余りをうまく等分できません。 その結果、四半期を3分割するという考えに至ったと思われます。

恐らくエジプト、黄河、メソポタミア、シューメル、南米などの各文明でも同じ思考過程をたどったはずです。

vaus352

図3

現代天文学では、星座は88あります。でも、星座を12としたのは、異なる地域で同じ思考過程を経たからではないでしょうか。

縄文の人たちは、時代に応じてそれぞれ目的を持っていたようです。

  1. 天体の観察から方位を求める。 → 地理把握と海洋の航行を図る
  2. 季節を知る → 農業技術、祭祀を司る
  3. 時間(月と日) → 農業技術、祭祀
  4. 時刻(時と分) → 生活の基準を決める
  5. 測地測量(角度) → 土木建築技術の向上

上の3.と5.は、並行だったかも知れません。4.は少し後かも。 5.の測地測量技術が1.や2.あるいは3.から出来てこなければ、縄文の(縄文あるいは弥生から続く古墳時代の)人たちに巨大な古墳や大規模な建築物を構築することはでないはずです。※括弧書きに訂正2017/2/16

12ヶ月、24時間、60分、60秒、360度、いずれも12を一括りとしています。それでも手指の数である10進数を基本としています。

何度も記事にしてきましたけれど、「12は2,3,4,6で割り切れるが、10は2と5でしか割り切れない」のですから、3次元空間を等しく分けるには、12進法が便利なはずだと思います。 過去に物理現象は「2π」より「360度」に馴染むと記事に書きました。 本当のところは、10進法による角度(360度)より12進法で2πを表す、

12進分度器-1

図4

例えば「100度」の方が分かりよいと思います。  図4は、12進法による分度器です。恐らく初の試みです。

 

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ブログの体裁を変更

当ブログは、WordPressを用いています。ブログの体裁を整えるのにNitrousというテーマを使ってきましたけれど、公式テーマでありませんし、更新もされませんから脆弱性があるかもと危惧してきました。

昨年10月頃に「人類史上最大の計画が存在する」ことに気付いたのを切っ掛けに、今回ブログの体裁を公式テーマであるTwenty tenに変更しました。 今は一部不具合がありますけれど、すっきりした読みやすい体裁だと思います。

尚、ヘッダー画像は、管理人が時折ウォーキングに行く某公園を撮ったものです。

IMG_1952

 

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艮(うしとら)の金神(こんじん)と契約の箱について

前回の記事において、自然科学は縄文哲学の象徴であるミクサタカラの「ツルギの一部」であるとしました。 また、聖書に登場する契約の箱は、「契約」即ち「律法・憲法・法律など」とともに現代物質文明の根幹である「自然科学」を象徴しているとしました。

つまり、現代人の根幹にある宇宙に対する考え方「分ける」ことにより「五感で分かる」を基本としているから、複数者間での「契約行為」並びに「自然科学」が成り立つ訳です。その起点を象徴するのが契約の箱であるという解釈です。

更に、アブラハムの宗教であるユダヤ教・キリスト教・イスラム教の信者の数は、世界人口70億人の内半数を超える凡そ36億人です。この人たちは多少なりとも契約の箱に関心があるはずです。 何より日本は、憲法を根幹とする法治国であり技術立国ですから、私たちは象徴である契約の箱の立ち位置にあると考えます。視点(原点)は契約の箱に置くべきということです。

 

さて、管理人は大本教・日月神示には何らかの真実が含まれていると考えています。通常であれば、自動書記や神からのお告げの類は、「神がかりや狐憑き」としてオカルトに過ぎませんけれど、過去記事に記しましたように

想念とチャンネル

図1

「想念にはチャンネルがあり、あらゆる(I想念)と(Cチャンネル)との間には相関がない」のです。つまり、外見は「神がかり」であっても、某かの真実を伝える(想念のチャンネルが図の左寄りのもの=宇宙的な事柄)である可能性がある場合があるということです。

その理由は、同じく過去記事に記しましたように、次の5つが同一のことを示していると考えられるからです。

  1. 大本や日月神示にある○+点=ス(身魂)
  2. ヲシテ文献にある ○+点=ア アモト アウワ タマシヰ 縄文哲学
  3. 聖書ヤハウェ 在りて在りたる者 αでありω →無始無終 無辺
  4. 宇宙哲学 宇宙の意識(因)と結果(物質は結果である) 想念
  5. 弧理論(Ark Theory)の考え方 E-M軸平面 物質科学モデル

1.は 大本教と日月神示で示されたものです。2.はヲシテ文献に記された、縄文哲学の根幹です。3.は聖書の”神”とされる存在が述べたことです。4.はG・ アダムスキーによる宇宙哲学の根幹です。5.について、弧理論(Ark Theory)は、G・アダムスキーが残したネガフィルムとダニエル・フライがコンタクトした人物アランが述べた科学的な内容をまとめたものです。

管理人には、この5つが「非常に似通っている」というより「同じ」だと思えます。つまり、1.の大本や日月神示には、誰しも感じる「宇宙は単一の原理でできているのではないか」ということを実感させてくれる「某かの真実」を含んでいる、ということです。 逆に言えば、1.~5.のそれぞれ単独では、それほどの説得力を感じないのです。

で、上記を前提にしますと、次のことが言えそうです。

 

大本並びに日月神示において、「日本は世界のひな形(縮図)である。世界で起きることはまず日本で起きる」とされます。 また、「艮(うしとら)の金神(こんじん)」は「東北の祟り神」だともされます。 そして、この祟り神は国常立尊(クニトコタチノミコト)だとされます。

これまで、艮(うしとら)は、東北だということで東北地方(青森、岩手、宮城、秋田、山形、福島の6県)だとされてきました。これでは意味がわかりません。

大本並びに日月神示は、陰陽道の影響があるとされます。  陰陽道の艮(うしとら)とは24hougaku図2

の中央から見て北東の方位、丑・寅あるいは「艮」を指します。 これが鬼門です。  ここで、大事なのは絶対方位ではないということです。

例えば、滋賀県大津市坂本にある比叡山延暦寺(天台宗の本山寺院)は、

hieizan_kyoto

図3

京都御所から見て鬼門(艮)の方向にあります。 面白いことに、比叡山を挟んで近江(滋賀県)は人口10万人当たりの寺院数は全国1位です。(寺院数ランキング) 京都を中央と考えることにより見えてくるものがあります。 鬼門とは相対的な東北を意味するのです。

 

①.大本・日月神示による金神(祟り神)は、国常立尊(クニトコタチノミコト)だということですから、ヲシテ文献によるクニトコタチさんということです。 クニトコタチさんは、近江のアツミ(滋賀県高島市安曇川平野あたり)を本拠地としていたようです。

②.「契約の箱」に関して、その所在は多数の人の関心の的です。一説によればエチオピア正教会によればエチオピア北部のある町の聖所に安置してあるとのことです。 一方で、日ユ同祖論で知られるように契約の箱は、「四国徳島の剣山」に伝わるとされます。

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写真1

少なくとも、4C頃までには渡来した人たちがあり、何回にも渡り日本に入ってきたことは事実です。その中には所謂失われた十支族も居たと思われます。 徳島剣山のみならず日本各地で御神輿を担ぐお祭りが行われていることは周知のことです。何らかの関係があると見て良いように思います。

大事なのは、契約の箱が実在するかどうかではありません。 何故なら、例えば

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写真2

のような黄金のマスクは、遺産・遺物として考古学的な意味で重要ですけれど、何かを象徴して人類普遍に影響を及ぼすものではないからです。

大事なのは、私たちの文明の根幹を「契約の箱」が象徴しているということと、日本が世界のひな形であるということです。

 

これまでのことを地図に落としますと

艮の金神と契約の箱の位置

図4

の様になります。 私たちの文明の根幹を「契約の箱」が象徴している、即ち、「契約の箱」の伝説がある四国徳島の「剣山」を中心として見るならば、トコヨクニを建国したクニトコタチさん(国常立尊)の本拠地であった近江のアツミ(滋賀県高島市安曇川平野)は、北東(艮)の鬼門であることになります。

これが何故、金神たる「祟り神」なのかは、難しいところです。 クニトコタチさんに端を発する縄文哲学を象徴するのはミクサタカラです。 ミクサタカラは、タマ(精神科学)、カガミ(社会科学)そしてツルギ(物質科学)でできています。 縄文時代のツルギとは、文字通りサカホコであり、銅剣であったようですし、象徴的には地面をならし家を建て、土地を整備し収量の多い木の実がなる樹木を植え、あるいは水路を整備し農業を営むということです。 つまり、ツルギは文化文明の礎である「科学技術=土木・建築・農業生産の技術」だったのです。(同時に人に刑罰を与える道具でした。)

古墳を建造するような豊かな国家になるにつれて、人々は富や地位や権力に群がり、大事なミクサタカラを単なる権力の象徴である「三種の神器」に貶めてしまったのです。(シル:知る)を忘れてシラスとしてしまいました。 そして、外国より入った自然科学には対抗できなかったのです。  一方で「契約の箱」に象徴される物質文明は、強力なツルギではありましたけれど、残念ながらタマ(精神科学)とカガミ(社会科学)に弱点がありました。 契約を交わした者以外は、ヒトとして扱わないという、シナや朝鮮の儒教の様な行為は、本来日本人には馴染まないのです。

管理人の解釈では、契約の箱=シヰ(=センスマインド=感覚器官の心=五感で分かるの意)であり、シヰの暴走は必然だと感じます。(五感の麻痺によって、より大きな強い刺激をシヰが欲する。) このままでは、我々の文明は自滅するでしょう。 西欧の物質文明には、十分な精神科学と社会科学が存在しないからです。  図1の「想念のチャンネル」は、タマ+シヰの合成によります。タマは、ココロバ(真心)とミヤビからできています。ミヤビとは、アワレヱダ(哀れみの心)とナサケヱダ(情けの心)からなります。 自然科学を代表とする物質文明には、これらが足りないのです。

契約の箱は、(分けることにより五感で分かる)のですし、縄文哲学は(シル:知る)のですから、自然科学に馴染みすぎた人には、このことはお分かりいただけないかも知れません。これが自然科学の限界です。

五感でわかるスケール

図5

自然科学に馴染みの人たちは、「五感で分かる」と思っているのですから、悪魔崇拝や呪術はオカルトとして排除するだけです。 なぜこのような世界が現実として在るのか理解できないで居ます。人類の行為は、すべてが「想念の幅:図1のI想念」に収まり、「C想念のチャンネル」と相関しないことをご理解いただければ、納得できると思うのです。 因みに弧理論の考え方によれば、想念は物理現象である可能性があります。

縄文哲学の核であるタマ+シヰの構造と宇宙哲学を基に精神科学と社会科学が整備されるならば、より進んだツルギたる物質科学を構築できると信じています。 そうすれば、ツルギの一部である自然科学は、ツルギの全体に吸収されることになります。 これが、ある科学者が述べた「低い枝の先から分岐点まで戻り、再び登り始める」ことだと理解しています。 一言で言えば<シル:知る>は、<分けるによる五感で分かる>を包含(または包摂)するのです。 これは現代の物質文明の全否定ですから「祟り神」に相当するでしょう。

 

1.「契約の箱(Ark)の伝説が剣山」、2.「ミクサタカラのツルギの候補に挙げている弧理論が(Ark Theory)」、そして、1.と2.が地図上で艮(うしとら)の関係位置にある、というのは結構意味深だと思います。上記の内容と1.2.を対比させて考えると興味深いです。 この壮大なお話にSF〖space fantasy〗を感じます。だれがこんな計画を立てたのでしょう?

注:Wordpress の仕様変更か?図がサムネイル表示されなくなりました。 図を原寸で表示するには、マウスの右クリックにて「画像だけを表示(I)」を選択してください。

追記 図1下段に示した図について。タマ+シヰに基づく図表は、池田満著、ホツマ辞典(展望社)を参考に、管理人が宇宙哲学との比較検討をした結果を図表にしたものです。 日本ヲシテ研究所®とは関係ありません。 図1に関して、ご質問等ありましたら管理人までお願い申し上げます。

 

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自然科学は、ミクサタカラの「ツルギ」の一部分である

これまで、縄文哲学と宇宙哲学を融合させるべきだと述べてきました。 何故なら自然科学の思想は「五感でわかる」ことを「分ける」事からはじまりました。自ずと限界があるからです。

五感でわかるスケール

表1 五感で分かる範囲

限界を超えるには縄文哲学(と宇宙哲学)の<シル:知る>を学ばねばならないということです。

では、自然科学は、縄文哲学との間にどのような関係にあるのでしょうか。

これまでの考察から、(五感で)

分ける→分かる→理解する→物の理(ことわり)を解する→字面のとおり「物理」のこと→自然科学

でした。 では、「分ける」はどこからかと考えますと、どうも「契約」からきているように思われます。 言わずと知れた「神<ヤハウェ>との契約」のことです。

契約の成立には、両者の合意が必要です。 まず、「両者」を分ける必要があります。 すると

自と他を分ける → 更に「他」を分ける となります。 {己と他を分ける。すると「他」には、神とモーセ率いる民衆がある}となります。 平たく言えば「物心がつく=世の中のいろいろなことがなんとなく分かる」ということです。

で、契約とは

  1. 誰と誰が(ヤハウェとモーセ他が)
  2. 何を(十戒などを)
  3. いつから(モーセが神に会ったときから)
  4. いつまで
  5. どうする(2.を守る)

ということです。 4.については、後ほど問題になります。

ですから、ヤハウェとモーセ率いる彼らは、十戒を象徴とする諸々の「倫理、道徳、規律、規範」を「守る」ことに合意した訳です。 当然のこと、律法・憲法などによりモーセと彼らの間でのみ「秩序」が保たれることになります。

裏を返せば、契約外の人たちには、彼らの規範を適用する必要がないということです。  契約の内には、自然科学の発達とともに選民思想と差別意識や契約外の者には侵略・簒奪してもよいという考えを内包しているとみてよいようです。

地球人口約70億人の半分にあたる人たちはアブラハムの宗教を信じています。3つの宗教の間には、差別や紛争が続いています。 分けることにより互いに争うのです。 実際は、これらを利用している者たちがおりますが割愛します。

 

上記の契約を刻んだ石版とモーセの兄が持つアロンの杖、そして出エジプト後に砂漠をさまよう間、彼らに食料を供給した不思議なマナの壺

三種の神器

三種の神器

図2

納めたのが

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写真1

契約の箱(Ark of the Covenant)です。 箱に収めた三種の神器の内、石版はヤハウェとの契約を象徴しています。 アロンの杖は、エジプト脱出時にモーセが杖をかざすと海が割れたといわれています。また、マナの壺は前述の通りです。

結局、契約の箱には、象徴的な意味において「倫理道徳的規範となるもの」並びに暗喩として「自然科学発達の萌芽となるもの」が含まれていたことになります。 アロンの杖とマナの壺は、具体的な行為(杖を掲げる、食料を供給する)に使われたので象徴的な意味はないと判断します。

ところで、石版に刻まれた内容は、我々日本人にとってはわざわざ「神と契約しなければ守れない」内容だと思われません。失礼ながら姦淫、略奪はダメですし、殺人もダメです。しかも、契約外の人たちにはOKというのも理解できません。

多くの国は法治国家ですけれど、頭の中で何を考えようと自由なのは当然ながら、見つからなければ何をやってもよいはずがありません。

 

まとめますと、契約の箱(Ark of the Covenant)には、最小限の倫理道徳と、自然科学の基底となる考え方の2つが入っていたといえそうです。

自然科学は、人の世の生活を善くすることに役立ってきたことは、事実です。ですから、ミクサタカラのツルギに相当すると認められます。  草薙の剣は、草を薙ぎ払い人々の生活を拓く道具です。同時に、使う人たちの精神に応じた働きをします。 契約外の人たちを、草を薙ぎ払わずに殺す道具に使うのは許されないことです。

 

縄文哲学のミクサタカラは、タマ(精神科学)カガミ(社会科学)並びにツルギ(物質科学)でした。それぞれの象徴を持っていました。

ツルギは物質科学を象徴しており、縄文哲学と宇宙哲学が適正に融合されるならば、弧理論(Ark Theory)が新しい物理モデルとして物質科学、つまり新しいツルギになり得るだろうと述べました。

過去記事に

201404224分の1に削られた

図3

弧理論によるE-M軸平面において、古典電磁気学は、①の下半分を削り、②と③は本来非対称であろうと思われるのに、②を削ってしまったと記しました。(実際には、電磁気学は赤い線分のみ) 電磁気学に限っていえば、弧理論から見て古典電磁気学は、恐らく6分の1~8分の1を占めるくらいだと考えられます。

ここに、契約の箱(Ark of the Covenant)の Ark と 弧理論(Ark Theory)の Ark は、同一です。 ですから、冒頭、ヤハウェとの契約の要件である 「4.いつまで」というのは、

縄文哲学と宇宙哲学が適正に融合されることによりタマとカガミが整備され、その後、宇宙自然の構造が弧理論の考え方によるE-M軸に近い、あるいは等しいということが示されれば、契約は満了すると考えます。 これからの時代に必要なミクサタカラができあがるだろうということです。

 

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