教育とは、支配者に都合のよい人物を選び出すシステム

学校教育のテストにおける問題には、必ず正解とそれ以外があります。 テストでは如何に素早く正解を選択し、それ以外を思考の外に追いやるかが問われます。(時間制限がありますから。) このとき排除された選択肢に何ら思考を傾けることはしません。

ところが現実には、正解があるとは限りませんし、テスト問題よりはるかに選択肢があります。そもそも問題の有無さえもわかりませんし、例え問題意識を持っても解への方向(方策)がわかりません。

ですから、教育の程度が高い人ほど(自身が)選択肢から外したことにについて、興味を持ちませんし関心もありません。 従って切り捨てられた事項に対して、何らかの真実が潜んでいるかも知れないという想像もしません。切り捨てた者に対して冷酷です。

よって、教育レベルの高い人ほど、陰謀論・都市伝説を一笑にふした上で、嘲笑の対象にします。そこで思考を停止します。正解と思う方向へ思考を集中します。

陰謀論・都市伝説は、「存在する」からこそ嘲笑できるのです。宇宙において「無」であるものに対して嘲笑さえできません。 教育を受けた人ほど、非論理的な非科学的なものに対して「何らかの存在の意義があるかも知れない」ということに思い至らないのです。 これこそ支配者にとって都合のよい人物像です。 ゼロか1にしか考えが至らない人物像が理想なのです。仮に”1”が正解ならばゼロは切り捨てたのですから、ゼロに存在の意味を見いだすことは絶対にありません。 ですが現実の事象には、そのようなことはまずありません。実に複雑です。

ですから教育とは、支配者にとって都合のよい人物を選び出すシステムです。

形代とお金ご褒美は形代(かたしろ)であるお金です。(願いを込めて川に流してください。)

追記  現代に於ける「市民」とローマ時代に於ける市民とは異なります。ローマ時代の奴隷と比べると、日常自らの衣食住を自力で稼がねばならなくなったのが「現代の市民」です。現代の市民は、奴隷より条件が悪いようです。奴隷ならご主人が衣食住を与えてくれますから。代わりに市民には、自らが奴隷であることを気付かせないように配慮が必要です。

さらに追記20160928

「早く結論を言え!」と急かす上司に誰でもうんざりしたことがあるでしょう。彼も私も「市民」という奴隷です。

 

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現代は シャーマニズ ム全盛である

過去記事に漢字伝来以前に文字があったことを書きました。正しくは漢字渡来以前ということの様です。 漢字渡来以前の日本に文字があったならば、古文書等の記録があるはずです。  調べたところ古史古伝として幾つか存在しました。 「上記(うえつふみ)」「竹内文献」「カタカムナ」などです。 幾つもある古文書の中で、ヲシテ文献は、池田満氏によって非常に深く研究されております。

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動画1 【ヲシテ文献】 漢字渡来以前の日本を探る【ch桜】6-5

池田氏は、2:50あたりから縄文哲学におけるについて語っています。

魂 (タマ+シイ)  タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”

シイ=”欲しい、欲しい”の“シイ”であって、強いるの”シイ”、つまり、生命維持の欲求

魂(タマシイ)に地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シイ」は地球に残る。

と述べています。この魂(タマ+シイ)の説明が、他の文献とは比較にならないほどに深いのです。私の研究対象である紡錘図形の解析から得られた「弧理論の考え方」にほぼ等しいのです。そこで

池田満著 『ホツマツタヱ』を読み解く 

hotomayomi200_写真1

並びに ホツマ縄文日本のたから

hotuma200_写真2

の2冊を参考に考察したことを記します。

これまでの研究により、次の結論を得ています。物質科学である弧理論の考え方を追っていくと、

  1. G・アダムスキーによる宇宙哲学(因とマインド{感覚器官の心+ソウルマインド}
  2. 縄文哲学の魂(タマ+シイ
  3. 聖書の「在りて在りたる者(I am who I am.)」の「在る」と(相関がある)、さらには
  4. 日月神示の○(結果)とゝ(原因

などとほぼ等しいか相関があると考えられます。

1~4の説明: 1.の因(宇宙の意識)からソウルマインドは来る。 2.のタマは大宇宙の中心から来て、生命維持欲求であるシイと結びつく。タマシイに物質が集まって人となる。 3.の「在る」は「いつからいつまで」と「どこに」が無いという特徴は1&2に同じ。 4.の○(結果)は、1.の感覚器官の心、2.のシイに近い。また、ゝ(原因)は1.の因、2.のタマに近い。

弧理論の考え方は、

物質(結果)に実体(原因)図1

時間[T]を含まない真のエネルギーを持つE軸上の実体が、我々の存在するM軸に投影されることによって、物体(質量m)が位置をもって現れる。実体が持つ真のエネルギー値は、質量mに等しい。  弧理論の考え方は、無始無終かつ無辺で3.に示す「在る」に等しいです。 実体が(因)であり、タマの源泉、原因であると考えられます。 物質が(結果)です。シイに物質が集まって「感覚器官の心」を持つ人体ができます。

 

以上、弧理論の考え方を含めて、5つがほぼ等しいか相関があるということです。過去記事をキーワード(聖書や時間)などで検索ください。 これら5つの特徴をよく表している模型として

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動画2

万華鏡を挙げています。 鏡の組み合わせが(因)であり、覗く画像が(結果)に相当します。

文献:「ホツマ縄文日本のたから」p13にある表を参考に作成したものが

文化シャーマニズム曲線図2  (ホツマ縄文日本のたから p13表を参考作成)

です。  横軸が歴代アマカミの歴数です。 初代クニトコタチ(国之常立神:くにのとこたちのかみ)を1.として、ホツマツタエに登場するアマカミに番号をふったものです。そして、13番目が記紀での人皇初代タケヒト(神武天皇)ということですから、番号を1からふり直しています。 本来は、西暦に置き換えることは出来ないのですけれど、わかりやすい様にwikiを参考に西暦を入れています。 神武天皇が西暦でBC660であり、12代ヲシロワケ(景行天皇)がAD71とされています。(上古天皇の在位年と西暦対照表の一覧より)

縦軸は、池田氏がヲシテ文献の一つであるホツマツタエを詳しく解析された結果、文献に出てくる事象の頻度と事象の重要性を考慮して(縄文文化、シャーマニズム)の程度を比重として表したものです。 8アマテルカミの頃より次第に戦争が増加しています。(軍事曲線は省略)

図2において、気付くのは、「縄文文化が、戦争が発生するとともに次第に低下し、シャーマニズムが台頭している」ことです。 縄文文化とシャーマニズムが反比例しています。 恐らく、現在でもこの状況は変わっていないと思われます。

注意:日本ヲシテ研究所®の池田満氏は、ヲシテ文献の研究には、「ヲシテ」文字を直接読み書きでき、習熟することが必須であるとされます。

 

これまでの研究により、宇宙の仕組みとしてのテレパシー(想念)には、ブードゥーなどの呪術も含まれるらしいことが分かっています。オカルトの存在がこの宇宙において(無)であるならば、わざわざ否定する必要はありません。無いものを想像することはできませんから。  しかし、オカルトは現実として行われています。先の記事に記したようにボヘミアン・グローブたちは、悪魔崇拝の儀式をしています。(世界の要人たちの悪魔儀礼Bohemian Groveを暴く) 信じられなくてもよいのです。存在するのですから、調べるべきということです。
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動画3 ボヘミアン・グローブの正体

どうも、神(悪魔)崇拝は、シャーマニズムそのものです。 池田満氏によれば、シャーマニズムとは『神頼み』とのことです。

整理しますと、縄文哲学の(魂=タマ+シイ)とG・アダムスキーによる宇宙哲学(因とマインド)は同じものです。そして、私たちのマインドと宇宙の意識(因)は、テレパシー(想念の仕組み)により結ばれています。

結果として、宇宙哲学においては、ブードゥーなどの呪術もシャーマニズムとして、想念の仕組みに含まれると考えられます。

想念の仕組み縄文哲学(または宇宙哲学)並びにシャーマニズムの関係を示すと

1.宇宙の仕組みとしての想念は、主に以下の2つよりなる。

  2.縄文哲学(宇宙哲学) :統合的な想念  生まれ生きることを嬉しいという世界観

  3.シャーマニズム (神頼み)→考えることの放棄 :分析的であるが故に分裂的(思考停止へ至る) 己以外を排除、あるいは踏み台にする世界観 統合失調

となります。

2.統合的な想念をもってしか、1.の仕組みに気付くことはないと思われます。「生まれ、生きて尽きる」を繰り返すことによりタマ+シイは、新しい経験を積み重ねます。シイは地上において経験を続けますが、欲シイ欲シイの「シイ」が強すぎると転生のサイクルがうまく行かなくなるようです。(文明の崩壊=我欲による分裂から自壊に至る)

3.は、分析的であるが故に物質科学の進歩において2.に先んじることができ、戦争などでの優位性を発揮できます。転生の考えに思い至らず、宇宙の真の姿に気付くことが困難になります。行き着くところは、分裂的・破壊的な想念・苦悶と混乱です。

ここに、2.3.の間には、善悪の区分はありません。いわば想念の仕組みに於けるチャンネルの違いがあるということです。

極小の世界である素粒子や宇宙の地平線を観測できる様に発達した現代において、分析的な思考ではこれ以上先に進めなくなります。 何故なら数学者岡潔がいうように、極小の素粒子も極大である膨張する宇宙も人の五感でわかるものでない」からです。全人類の富を素粒子加速機の建設に使えば突き止められるというのは、事実上「ウソ」でしょう。 素粒子・宇宙を説明する究極の理論が幾つもあるというのも無意味です。破綻しています。その原因が「運動/時間」にあることは、過去に考察済みです。

図3 五感で分かる範囲は、赤い括弧の内側

 

シャーマニズムの「神頼み」において、その願いには、

katashiro図4  ひな人形の原型だったようです

象徴としての形代(かたしろ)があります。  神社での無病息災祈願では、形代に息を吹きかけることによって、自身の病を形代に預ける訳です。安全祈願祭が終わった後、形代は川に流すしきたりがあります。現在は川を汚すので行われることはないようです。

また、人を呪うには

waraningted写真 3

丑の刻参りのわら人形があります。売られているなんてびっくりです。

 

ここで現代のシャーマンがボヘミアン・グローブたちだと気付きます。そのシャーマンたちが祈祷する相手は神(悪魔)です。  漢字である「神」の成り立ちは

神 → 〒(祭壇)+音符の申(しん) です。

意味は、稲妻(申:カミナリ電気)のように不可知な自然の力に対して、〒祭壇である机を前にする、ということです。

ですから、漢字「神」の相手は、神様でも悪魔でも、何でもよいのです。 この「神頼み」と縄文哲学に象徴される縄文文明とのせめぎ合いこそが、図1の意味なのです。我々に与えられているのは、選択の自由のみなのです。善悪ではありません。

 

現代のシャーマンは、ボヘミアン・グローブか、青い血の一族か、その姻戚関係にある金融資本家なのかはわかりません。(どうもヒクソスの末裔らしいことがわかりました。後日、記事にする予定です。)

その形代(かたしろ)は、現代の偶像であるお金:貨幣・通貨であることに間違いありません。 ごく少数の人たちを除いて、地球人類ほぼ全員が通貨を形代としたシャーマンなのです

形代とお金

現代の偶像たるお金は、シャーマニズムにおける形代である

図5

シャーマニズム自体は、更に古くから世界各地に存在すると考えられます。

問題は、シャーマニズム(神頼み)の形代に偶像たるお金を持ち込んだのが誰かということです。

 

欲シイ欲シイのシイが、形代であるお金を媒介として極大化しつつあるのが現代なのです。

過去記事、

fpetimg5

養殖キツネの選択的交配によりできた白いキツネ

写真4

エリートキツネと闘牛士にあるように、何世代もお金に執着することを繰り返す中、生まれながらにお金に執着する世代の人口に占める割合が増加しています

dain1.3図6

これは、脳の古い皮質に焼き付けられますので、「我よし」を自らの意志で止めることが出来なくなります。  結果、タマ+シイのシイは、執着により転生がうまく行かなくなると考えられます。つまり、自らの文明を自らが破壊するのです。自らの暴走を自らが止められないのです。これは科学的な実験事実です。

今ならまだ、引き返せると思います。 闘牛士(金融資本家?ヒクソスの末裔?)のマントの色に誤魔化されることなく、上記の仕組みを受け入れることが出来るならば、人類の寿命も延びると信じています。 もし仮に人類が生き残ることができたならば、後世の人たちは我々の時代を「シャーマンの時代」と呼ぶかも知れません。

追記  気味悪い神(悪魔)崇拝の儀式について、分析しているサイトは他にないと思われます。  繰り返します。いかなる宗教も「神頼み」はダメです。ヒクソスの罠です。

 

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恐らく宇宙には、善悪の区分はなく、想念の違いがあるだけだろう

かなりの昔、ある酒席で哲学を専門とする年配の方に、哲学とは何ですか?とお聞きしましたところ、「哲学とは、真・善・美です。」と即答されました。

弧理論の考え方による宇宙の構造について考察を続けてきたところ、思わぬことから宇宙の哲学的考察に至りました。

神と悪魔、天国と地獄、仏・・・。そこには、人の考える善悪というモノサシが横たわり、何が本当なのか?何をもって善とするのか?善なるものには美しさがあるのか?など、宇宙に対する哲学があるのだと思います。

 

G・アダムスキーの伝えた宇宙哲学によれば、人の心の本体は宇宙の因より出てマインドになるようです。 マインドには2種類あって、センスマインド ソウルマインドです。

センスマインドは五感によります。 視覚・聴覚・味覚・臭覚・触覚(touch)の五つが感覚器官の心(センスマインド)です。 ここから喜怒哀楽などの印象が出ます。

ソウルマインドは、意識の本体である触覚(feel)です。ここから自己の印象が出ます。 2つのマインドが自分が自分であると認識する自我となります。

この2つのマインドをヲシテ研究家の池田満氏による魂(タマ+シイ)の解説と比べますと、

タマ = ソウルマインド=触覚(feel) で   シイ = センスマインド=感覚器官の心 になります。 池田氏によれば、シイは生命維持の欲求で、人体が死すればシイは地球に残るとのことです。

 

本題です。上記の哲学(神と悪魔・・・)は、善悪に根拠を求めていますが、G・アダムスキーによるテレパシーの考え方を適用すると、次の2点に集約されると思います。

人の自我(マインド)が持つ印象には、概ね2種類が混在しているのではないでしょうか。

(1) 明るくて、はっきりとしていて、一見いかにも善いことのように感じる「印象」。 行うことは容易い「印象」。

(2) いかにもちいさくて、微かであって、行うことは難しい「印象」。気付くのは困難な「印象」。

 

1.は、映画やTVのニュース、CMなど五感に訴えることにより、主にセンスマインドに”喜怒哀楽”として起きます。 その印象からの行動は、人にとって容易いことが多いです。お金さえあれば。 これらの印象は、ソウルマインドにもあって、恐らくヒトラーに憑いた「あいつ」もそうだろうと推測します。  ご承知のとおり、日月神示でいう「我よし」の行為であって、これら印象から起こす行為は、究極的には破滅に至ると考えられます。

音の大きさはデシベルdBで表されます。デシベルの計算は底が10の対数によります。非線形であるのですから、五感による印象は”すぐに飽和”します。 より大きな強い刺激を五感が受けてもすぐに慢性化して、これまでの刺激を小さく感じます。  ワインのことは分からないのですけれど、某番組で1本2000円のワインと数万円のワインを目隠しテストしたところ、違いは分からないようでした。コンマ数パーセントの違いにとんでもないお金が必要なのは、こういった理由からです。  そして、行き着くところセンスマインドを満たすためには、恐らく違法薬物や殺人・幼児虐待などに手を出すということになります。

2.は、(1)の印象にかき消されてしまう為に、ほとんど意識されないでしょう。 この小さな印象は、ソウルマインドにしか出ないような気がします。  その印象は、微かで小さいために「なんとなく」「そうなのかな?」という程度のものですから、その印象をもって「どのような行為に結び付けたらよいか」即座に分かることはありません。 意識的に意識するには、相当の時間が必要です、解釈は意識上でしますので、間違うこともしばしばです。 また、その印象から行動を起こすことは、非常に困難です。ほとんどの人が分かっているけれど、行動に起こすことはできません。たぶん、「虫の知らせ」は、この部類に入ると思われます。

ここに印象の善悪はありません。想念の違い(TVでいうチャンネル?)があるだけです。原因が想念で結果が現実だということが分かります。

 

ここで大事なのは、以下のとおりです。

過去記事「エリートキツネと闘牛士」にあるように、人が(1)の易きに流れることを何世代にも渡って行うことは、非常に危険だということが分かります。 これは、お金という現代の偶像を崇め続けることによって、強化されます。 その結果、既に我々の内には、「生まれながらに、お金に執着する」人の割合が高くなっています。この呪縛は、とても強くて例外は

arm76dfa27d写真1

arm_12_amish写真2 アメリカペンシルベニア州などに住み自給自足の生活を営む人たち

に見られるアーミッシュの人たちくらいしかいないと思われます。 ただし、世界がアーミッシュの様になればよいという訳ではありません。

 

G・アダムスキーによれば「ブードゥーやコックリさんをやってはいけない」と述べています。 彼は、「ブードゥーなどのオカルトが同じテレパシーの範疇にある」とは決して言いませんでした。しかしながら、考察を続けるとオカルトは(1)の範囲に入るだろうと推測できます。

地球の支配的立場の人たちが、「高貴な青い血」の一族なのか、それとも一族と血縁関係にある金融資本家なのか、フリーメーソン・イルミナティ、またはユダヤ人なのか?それともビルダーバーグ会議等に出た人なのかはわかりません。  しかし、彼ら、顔も名前もわからぬ支配的立場の人たちは、恐らくヒトラーに憑いた「あいつ」の様な印象を求める儀式を行っているのではないかと推測します。彼らも自らがどの方向へ行けばよいのか手がかりが欲しいのです。

そして、彼らの脳の古い皮質には、「口座に加速度的に入るお金の流れが枯渇することに耐えられない」という、柵(しがらみ)がしっかり焼き付いているのです。 彼らは、は虫類の様な脳を持つ身体になっているのです。 ですから、彼らから出る情報は、どこか恐怖が混じっているのです。

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動画1  恐怖が混じっている情報は嘘です

 

少し書きにくいですけれど、彼らの「シイ」は、この仕組みからいって、(いずれ)消去されるのではと危惧しています。 G・アダムスキーによれば自我の本体であるソウルマインドが受け継がれるとあります。ですから、いつまで経っても「我よし」のみの「シイ」では、ダメだろうということです。

 

追記

物質(結果)に実体(原因)図1

時間[T]を含まない真のエネルギー値を持つE軸上の実体が、M軸上の人体等に何らかの影響を与えるのが想念であると仮定すると、

E軸は、M軸に直交するのですから

20140516直交するE軸図2

4つの3次元空間に分けられます。 するとE軸上の実体がM軸上から見ると「いつから、いつまで」かつ「どこに」在るのかを特定できません。言い換えれば、想念は、どこにでも在るということです。

従って、実体から人体等に及ぶと仮定する想念もまた、「いつから、いつまで」かつ「どこに」を特定できないだろうと考えられます。  想念は、無始無終かつ無辺ということです。

想念は、瞬時に伝わる波だとされていますけれど、波ですらないということになります。 そして、一種の「真のエネルギー」である想念は、マインドに時間[T]を含むエネルギーを生じさせます。具体的には、脳に起きる生理学的な電気信号です。これが、脳や身体の役割だと思われます。

 

いつも引用するある科学者(アラン)はテレパシーについて、次のように述べています。ダニエル・フライに対して

「・・・君の心はうまく想念をキャッチする。実際、君が心のイメージを分析する練習をもう少しやってくれたら、君は母船に乗らなくても我々は母船の細部を君に見せることが出来るんだがね。」

「それはうんとやってみたいね」と私は言って「向上するのに最良の方法は練習することだ。・・・もし、ぼくが目を閉じて精神を統一すれば、少なくともこの円盤の断面を見せることができるんじゃないだろうか」

「まずだめだ」とアランは少々そっけなく答えた。一般地球人が超感覚的知覚力(ESP)と言っている現象を試みようとするときに、ほとんどしている誤りを君もおかしているのだ。まず第一に、それは全く超感覚ではないんだ。それは各感覚器官と同様に、肉体の普通の知覚装置の一つとほとんど同じなのだ。ただし地球人はそれを使用しないために、まだ発達の初歩的な段階にある。地球の動物やコン虫の多くは人間よりも高度にこの感筧を発達させているよ。
君は生まれたときから目をあけたままでイメージによる印象をキャッチしたり分析したりすることになれている。君が初めて顕微鏡の使用法を学んだとき、接眼鏡は一つしかなくても両眼を開いたままでのぞく方がよいと教えられた。だから両眼を閉じてはいけないんだ。ビューイング・ビームを切ることにしよう。そうすれば心が乱れるような影響はなくなるだろう。
次に、精神を集中させてはいけない。精神集中は(テレパシーの)送信の態度であって、受信にとってはほぼ完全な障害となる。正しく受信するには完全なリラクゼーションの状態に達しなければいけない。君はこれがやれる能力を持っている。地球人の或る種族の中で著しい能力だ。
実際、私が初めて君の心とコンタクトしたのは、この能力によったのだ。それは三夜前だった。君はベッドへ帰ったが、その日の出来事の心痛があまりに大きかったために眠れなかった。君は私にとって非常に興味ある精神的な方法を応用した。その簡単さと効果的な点で興味があったのだ。それをおぼえているかね?」
「おぼえているよ。すぐ寝つかれないときはときどきそれを応用しているんだ。完全な暗黒の部屋のイメージを心に描いて、その部屋のむかい側の壁面に十個の光る数字があるものとする。次に他のあらゆる想念が意識から排除されるまでこれらの数字に自分の注意を集中する。それか十個の数字を一つずつ消してゆきながら残りの数字に心を集中するのだが、一つ消すごとに集中の度合を弱めてゆく。普通ならまだ数個の数字が残っているあいだに眠り込んでしまうんだ。しかしどんな場合でもぼくは最後の数字が消えたあと数秒間もすれば眠り込んでしまう」
「そのとおりだ」とアランが答えて「そしてこの方法は顕在意識をリラックスさせるばかりでなく、他のあらゆる想念を潜在意識の戸棚の中に返らせることになる。こうした状態下では顕在意識がやるよりもはるかに容易に潜在意識は送受信を行なうんだ。
・・・
だがわれわれは手近な計画からそれてしまった。君は君自身の心のリラックス法を応用せよとすすめるつもりだった。今暗くなっているビューイング・スクリーンの部分に目を向けたまえ。そして心がリラックスしたら、君が乗っている円盤の内部のイメージを伝えるようにしてみよう」

・・・

その光の大きさは30センチメートルかそれ以上の直径をもっているようだし、照明装置にしては薄暗いものだった。急いでそっちに歩き出したとき、とつぜんの疑いが私の心に入ってきて、そのアランの声がすぐそばに立っているように聞こえてきたとき、すぐにそうだと確信した。「そうだよ、ダン。我々のものだよ。今は試料採取船を使っていないので、小型の通信用アンプを送るのが一番よいと思ったんだ。そんなものなしでもできるんだが、よいところもあるのさ。我々の会話でミスをするのをなくするんだ。」

(下線は管理人による)

 

ある科学者が言うテレパシーは、普通の人間が持つ普通の能力であると述べています。そして、この能力の特徴を説明した上で、この能力を手助けする装置を作製して用いていることを示しています。 ですから、想念は何らかの物理現象の特徴の一端を持っているということです。たぶん、脳やその他身体に生理学的な電気信号(いわゆる情報)を起こす作用を持っていることになります。 大事なことは、聖書を含む、古今の哲学や異星人が伝えた哲学とテレパシーの概念は、相性がよい、あるいは相関があるらしいということです。  宇宙のどこであろうと同一の原理により成り立っているということです。  気味悪い対象でしかないオカルトも含めて。 かつてビートたけしが言った言葉に「自ら堕ちていく自由もある」と。

 

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ローマ教皇 が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指すことについて

先月、カレイドスコープ氏のサイトに、ローマ教皇は、二大宗教の合一を唱え世界宗教を宣言したという記事がありました。

po20151001-4写真1 カレイドスコープより拝借

ローマ教皇 フランシスコは、2015年9月24日、マンハッタンのセント・パトリック大聖堂で演説しました。 このとき出された所感において、 ローマ教皇 は、キリスト教とイスラム教の二つを合一して世界統一宗教を目指すことを明らかにしたとのことです。

In New York, Pope Francis Embraced Chrislam And Laid A Foundation For A One World Religion  (ローマ教皇フランシスコは、ニューヨークで、クリスラム(キリスト教+イスラム教の合成語)を受け入れて、世界宗教の礎を築きました。)

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教は同じ起源ではありますが、3つの宗教は、いろいろな問題の発端になっていることは事実です。

記事によれば、キリスト教とイスラム教は異なる宗教ではあるものの、神に至る道であることには変わりがない、という考え方が世界中の他の多くの人たちの間で広がっているようです。  そして、キリスト教(Christianity)とイスラム教(Islam)を合わせた造語「クリスラム(Chrislam)」という言葉が、世界宗教運動を説明するときに用いられるようです。

 

このような宣言の背景となる、宗教的、政治的な思惑は記事を参照いただくとして、この記事を読んで思い出すのは、アメリカ主体のイラク戦争のときと、仏英米によるリビアへの軍事介入です。

アメリカ等の強国が、フセインカザフィー大佐をリンチのように殺害した記憶が生々しいです。サッダーム・フセインの死刑執行ムアンマル・アル=カッザーフィーの死を参照ください。

その結果、イラクとリビアには、混乱と憎悪が渦巻く泥沼が残るのみでした。(目論み通り、何らかの利権は、どこかの誰かに移ったのでしょうが。)  よく知られているとおり、戦争の結果、相手国においての占領政策がうまくいったのは日本しかありません。 アメリカの占領政策がうまく行き過ぎたのは、日本の特性によったのです。他の国でうまく行くわけがありません。 イラクとリビアには、「日本人にとっての天皇」のような存在がありませんでしたから、最高責任者を処刑したら終わりです。

ローマ教皇による演説には、統合の未来像も理念もありませんから、仮にキリスト教とイスラム教が合一されて世界宗教ができたとしても、世界宗教内における内戦になるだけのように思います。何も新たな展望・希望がないからです。甚だしく無責任です。

もし仮にキリスト教、イスラム教、ユダヤ教、3つの宗教がリセットされるような事が起きるならば、「神との契約」という箍(たが)がなくなるということです。 かろうじて「人」であり得た箍がなくることで恐ろしいことが起こりかねません。

しかし、考えてみれば、「神との契約」がなくても秩序だった国を構築し、高い倫理観と道徳心を持ち、かつ高い精神性の人たちがいます。そのルーツは古から培われた日本的なるモノを有する人たちです。 G・アダムスキーが教えた宇宙哲学より遙かに古くから縄文哲学に基づく日常を穏やかに営んできた人たちをお手本にすれば善いだけだと気付きます。(勿論、幾つか重大な欠点もあります。)

55.8%の人たちは、「神との契約」を結んでから、既に千数百年の経験を積んでいるのですから、できる準備は整っていると思うのですが、いかがでしょう?

sekainojinkou図1

追記

1.自分たちは選ばれた民だと思うのか。 2.イエスという生贄をたてるのか。 3.厳しい戒律を自分に科すのか。  どれも違うような気がします。

 

追記 2021/09/29 ここに詳しくすることは出来ませんが、その後の考察により、日本教の「日本人は、人間の都合が神仏に優先する」という特性の根幹にヨソヤコヱ(48音韻:アワウタ)があることがわかりました。

日本語の起源は、大和言葉であり、その元はヲシテ文献にあるヨソヤコヱです。ヨソヤコエは人の感覚でわかる母音5つ子音10個に配列しています。

図1 出典:日本ヲシテ研究所

神仏の”神”の字義は、示偏に雷です。”示”は祭壇です。の字義は祭壇の向こう側にある超越的な何かを意味します。超越的な何かとはオカルトやスピリチュアルなものを指します。

ところがヨソヤコヱには、感覚でわかる物と事の内に超越的な何かを含んでいません。これが元で日本教として言われる特性(人間の都合が神仏に優先する)が出てくるようです。ですから、日本人には原罪は関係ないのです。ですから、日本人に宗教の統一など無縁です。

 

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神と宇宙の関係について

随分昔のこと、どこかで読んだお話です。確か日本人が書いたと記憶していますが、未だに引っかかっています。曖昧ですが記します。

 

自然科学分野の研究者であるA氏(天文学だったか、物理学だったか?)は、平日は研究に取り組んでいます。 A氏は敬虔なクリスチャンで信仰を持っています。日曜日になると家族とともに教会へ礼拝に出かけ、神に祈りを捧げます。  神が宇宙を創ったと信じるA氏ですが、仕事として取り組む研究対象が宇宙のことなのですから奇妙なことです。

一般に研究とは、研究対象を客観視せねばなりません。研究にあたるA氏の頭の中において、彼自身を宇宙の外に置いているはずです。しかし、同時に彼は宇宙を神が創ったと信じています。 彼自身も神が創ったということを彼自身が受け入れているのですから何かが変なのです。

 

話の書き手である作者は、A氏の存在に何か分裂的なものを見て、奇妙だという意味のことを書いていた記憶があります。 管理人自身、何かを考えるとき常に”分析的”です。分けることにより分かるということは、紛れもない事実です。 しかしながら、宇宙について考えるときは、どうも分析的手法が通じないように思えるのです。 そこで、「神が宇宙を創った」という前提で、そのメリット・デメリットについて考えます。

 

「神が宇宙を創った」とするとき、2つの場合が考えられますので検討します。他の場合があるのかどうか見当つきません。

 

神と宇宙図1

の(1)において、神は、神の内に宇宙を創ったと想定します。神(イ)は、宇宙(ア)と(ウ)の領域になります。  図1(1) 宇宙の森羅万象は、神の表れであり、八百万の神、極端に言えば「全部一緒」です。ただ、我々には(ウ)の領域について、知り得ることはありません。

次に、右の(2)において、神(イ)は外に宇宙(ア)を創ったと想定します。  図1(2) 宇宙(ア)の全ては、神(イ)が創ったのであり、現象の中に神をみることは、ほとんどないと思われます。ただ歴史上の偉人たちは、彼らの研究に神をみていたようです。(科学者と信仰を参照)  ただし、一般の信仰とは異なるように思います。科学者は、最大限の努力の末に神を褒め称えているのであって、単に救済を求めるものではありません。

 

それぞれの場合のメリット・デメリットについて。 (1)は「何でもあり」で至極都合がよいです。どこか日本的なものを感じます。

(2)について、メリットから。

  1. 自己と他を「分ける」ことによって、「分かる」理解が進む。
  2. 神との「契約」という行為により、「法」の概念が根付く。
  3. 契約により、倫理・道徳が行われる。

自然・宇宙を理解しようとする行動は、太古からあるでしょうが、「分ける」ことにより、合理的に理解しようとする基本的な行動原理が明確になります。そして、同じ神を信仰する者同士の間で「憲法・法律」あるいは商いなどによる「契約」行為の習慣が根付くと考えられます。さらに、同じ神を信仰する者同士において、倫理・道徳などが行われ社会に秩序がもたらされます。

ただし、これら整然と秩序だった社会は、未だ完成していないことは周知のことです。

(2)について、デメリットです。

  1. 神と契約したという選民の意識が潜在的にある。
  2. 同じ神と契約した者の間のみ、商いなどによる「契約行為」が履行される。
  3. 同じ神と契約した者の間のみ、「法」による取り決めが履行される。
  4. 神との契約があるから、倫理・道徳が保たれる。
  5. 神から宇宙・自然に対しての信託を受けたと解釈して、自然に対して破壊・簒奪の自由があると解釈する。
  6. 極端な場合、己が神に等しいと解釈して行動する。

随分と荒い考察なのですが、どこか分裂的で傲慢であることは納得できます。 しかしながら、図1の(1)において、(ウ)の領域は、我々の与り知り得ないことですから、結局は宇宙に対する我々の側の姿勢の問題だということです。

図1の(1)だとしますと、理解の進捗度合いは比較的に遅いだろうと予想されますし、社会学者である小室直樹の言うとおり「何者にもなり得ない」日本人という特徴が出てくるのではないかと考えます。

図1の(2)だとしますと、理解の進捗度合いは速いと思われますが、分析的であると同時に分裂的になるという自己矛盾を抱えているように感じます。これが冒頭ご紹介した自然科学者A氏のお話に感じる違和感なのだろうと思います。

分析的(分裂的)にある自分と、統合感のある宇宙(図1の1)の間にせめぎ合いを抱えているのが現代の日本人なのではないだろうか、というのが結論めいた答えです。

ただ、日本的なるものは、天(アマ)と神(カミ)なのであって、西洋的な「神」とは異なるのかも知れません。 それでも尚、日本人の日本的なるものとして現れる倫理観と道徳の高さはいずれから生じているのだろうか疑問です。(ご承知のとおり、日本的なるものは絶滅の危機に瀕しています。)

 

これまでご紹介したとおり、

  1. G・アダムスキーによる宇宙哲学(因+マインド)
  2. 弧理論の考え方(E軸上の実体を原因とし、M軸に投影された物体を結果とする)
  3. 日月神示(原因である”ゝ”と結果である”○”)
  4. ホツマツタヱ:縄文哲学による魂(タマ+シイ)
  5. 「在りて在りたる者」との相関

の5つは、いずれも無始無終であるとともに無辺である点において、同一と考えてよいようです。これら5つは、いずれも宇宙の外という概念を含んでいません

ただし、2.弧理論の考え方は、物理現象を説明するためのモデルです。他の4つ(哲学的産物)とは根本的に異なります。 どう折り合いを付けるのかが大きな問題です。

宇宙の構造を示す「弧理論の考え方」に、我々の精神活動をどのように組み込むかが問題です。言い換えるならば、

宇宙と我(ワレ)の統合はあり得るのでしょうか?

 

追記  どうも、図1(2)の特徴を考えていますと、

sonnowa111図2 こちらから拝借

西遊記の孫悟空が頭にはめている輪を思い出します。この輪は、『緊箍児(きんこじ)』というようです。 「神との契約」によってかろうじて「人」であるとも読めます。 万が一契約が解除・無効となった場合、彼らはどうなってしまうのか考え込んでしまいます。 何故なら、上記1.~5.の情報の来歴は、異星人だと考えられるからです。(4.を除く)

sekainojinkou図3 こちらから拝借    3つの宗教で55.8%です。

 

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G・アダムスキーのテレパシー(宇宙哲学)と日月神示&大本神諭について

なぜ、大本神諭と日月神示に興味を持ったかについて、記します。

G・アダムスキーによれば、「ブードゥー教とコックリさんはやってはいけない」とのことです。  G・アダムスキーの宇宙哲学とテレパシーに深く影響を受けながら長らくG・アダムスキーから離れていたのは、幾つか受け入れられないことがあったからです。 その一つがブードゥー教、呪術を否定しているからでした。そもそも呪術が存在しない「無」であるならば、わざわざ否定する必要はないはずです。

最近になって、人の精神活動の原理はG・アダムスキーによるテレパシーであって、それには呪術やオカルトも含んでいるのではないかと思うようになりました。 しかし、G・アダムスキーの宇宙哲学を学ぶ人にテレパシーも呪術も同じでチャンネルが異なるだけだ」と説明したら混乱することは必至です。  だから、ただ「やってはいけない」とのみ説明したのだろうと理解しました。

信者の方々とっては、大本神諭は100パーセントなのは当然ですけれど、一般の人にとっては興味ありませんし、どうでもよいことです。管理人にとってもこれまで興味ありませんでした。

しかし、同じ原理でチャンネルが異なるだけだとするならば、話は別です。 多くの教義教典の内には、某かの真実が含まれていてもおかしくはありません。(信仰をお持ちの方には失礼ながら。)

つまり、管理人にとってG・アダムスキーによる宇宙哲学は100ではないし(※1)、大本神諭や派生した日月神示もゼロではないし、100でもないということです。

知られていますように、大本は何百万人の信者を獲得し、戦前、2回の大弾圧を受けています。ですから、神諭や神示の核心部分に「ゼロではなくて、何かがあるのではないか」、というのが興味を持つ切っ掛けだといえます。

G・アダムスキーは「彼自身を信仰の対象にしてはいけない」という意味のことを述べたと、どこかで読んだ記憶があります。日本には現在も尚、G・アダムスキーによる宇宙哲学を学び続ける人たちがいます。はっきり言いますと、彼らはG・アダムスキーのことを丸呑みしていて、端から見ると「信仰」を持つ「信者」に見えます。G・アダムスキーが「いけない」と述べたことを真面目が故に、「やっている」としか思えないのです。

G・アダムスキーのことから何となく何十年も離れていました。離れていた頃に、大本神諭や日月神示に決して興味を持たなかったのは当然でした。

 

※1 G・アダムスキーによる宇宙哲学が100でないのは、理解不足によるものと思います。 例えば、テレパシー、つまり想念の送受は、動植物は言うに及ばず、石ころやはたまた原子一つに至るまで、その能力(機能?)があるとされます。  これが当時も今も実感できないのです。

しかしならが、最近、G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈である弧理論の考え方から、ある程度理屈が成り立ちそうです。 弧理論の考え方とは、

物質(結果)に実体(原因)図1

に示すものです。

E-M軸平面において、実体が投影されることにより物体が質量と位置をもって現れます。時間[T]を含まない真のエネルギーを別の次元軸とするのが弧理論の骨子です。 つまり、宇宙を(X,Y,Z,E)の4次元と考えるのです。このエネルギー軸(E軸)の値を真のエネルギーと呼びます。 なお、弧理論において時間[T]は存在しません。運動のみが存在します。時間とは、過ぎ行く運動の記憶に過ぎません。

で、一般に情報を記録、あるいは記憶するに僅かながらも必ずエネルギーが必要です。HDDの盤面のトラック・セクターの該当する位置に強磁性体のヒステリシスを利用して記録します。どれだけ磁性体を小さな区分にしたところで、必ずエネルギーが必要です。

この考えを図1に当てはめると、投影されることにより現れた、「原子(陽子、中性子、電子)は、E軸上の実体が持つ真のエネルギー値を以て、あらゆる自らの位置と運動による変化並びに全ての原子の配置を記録、あるいは記憶できる」かも知れないと考えられます。 つまり、E軸上の実体は、宇宙の全物質にかかるすべての記憶を持ちうる究極の記憶装置だと考えることができるということです。

スピリチュアルでは、これをアカシックレコードというらしいです。 ですが、管理人はこのような手垢の付いた言葉を用いることは好みません。  過去記事にあるエリートキツネと闘牛士も考えようによっては、カルマ(業)というのかも知れませんが、簡単にそういう言葉に置き換えるのは躊躇します。

結論として、物質の基本である陽子・中性子・電子が自ら、記憶装置を持っているならば、これらで構成されている人も石も皆同じ能力(機能?)があってもおかしくないようです。


 

話は、逸れます。

いつも引用するある科学者は、物質科学、精神科学、社会科学について次のように述べています。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けな い。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するなら ば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ 物質科学の発達はありえないんだ。 (下線は管理人による)

 

道理で、G・アダムスキーが残した紡錘図形を解釈していくと、精神的なこと、哲学的なことなどが出てくる訳です。3つの科学には明確な仕切りが無いのならば、順を追って理解していくしかありません。 今のところ、物質科学である弧理論の考え方を追っていくと、

  1. G・アダムスキーによる(因とマインド)はもちろんのこと、
  2. 縄文哲学の魂(タマ+シイ)や、
  3. 聖書の「在りて在りたる者」が出てくる(相関がある)、さらには
  4. 日月神示の○(結果)とゝ(原因)

などが出てくるとうことに戸惑いを持っています。 ある科学者が言うように「まず、精神科学と社会科学が出てくる。」とのことです。  管理人は、紡錘図形を解析することによって、物質科学を追い求めているにもかかわらず、精神科学が出てくるということに非常な驚きを覚えています。 きっと社会科学は、古の日本の文明に在ると直観的に分かります。 大事なことは、

まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ 物質科学の発達はありえない

 

ということです。ある科学者がダニエル・フライに、精神科学と社会科学の基礎が必要だと述べたにもかかわらず、何故、物質科学的な内容を伝えたのかが最大の疑問でした

何のことはありません。我々の持つ物質科学は、彼らの科学から見たら原始人レベルだったというオチでした。

 

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古今の宇宙観 それぞれの出処は異なるが、全部一緒。違うのはビッグバン理論だけである。

先日の記事、日月神示 神一厘の仕組み その概要(「ス」のミタマ と アダムスキーの紡錘図形は同じである)において、ご紹介した幾つかの宇宙観・宇宙哲学は、それぞれの出どころは異なりますが、全部同じ内容について異なる表現をしたもののようです。 今回は、聖書と現代の宇宙論を加えて考察します。  先日のまとめを再掲の上で話を進めます。

 

(1) ヲシテ文献の研究者である池田満氏によれば縄文哲学におけるとは、

魂 (タマ+シイ)  タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”

シイ=”欲しい、欲しい”の“シイ”であって、強いるの”シイ”、つまり、生命維持の欲求

魂(タマシイ)に地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シイ」は地球に残る。

出処は、池田満氏によれば古代日本、縄文文明です。

 

(2) G・アダムスキーによる宇宙哲学(テレパシー)では、人の成り立ちとして

宇宙の意識(因)から「肉体の心=センスマインド(5つの感覚器官の心)」 と 「意識=ソウルマインド=(触覚:feel)」ができる。 意識=ソウルマインド

とされます。 出処は、G・アダムスキーによれば異星人とされます。

池田満氏の縄文哲学における魂(タマシイ)とG・アダムスキーによる宇宙哲学での宇宙の意識(因)による2つのマインドは、ほぼ等しいと認められます。

タマ が 宇宙の(因)からくるソウルマインド(意識)

シイ が センスマインド(感覚器官の心)    に対応します。

宇宙哲学を池田満氏の言葉に置き換えるならば、「宇宙の意識(因)からくるソウルマインドとセンスマインドが結びつくことで魂(タマシイ)となる。これに地球の物質が集まって人体になる」というのです。

 

(3) 日月神示では、

丸に点図1

の左、「ス」の神様について、「ス」の音は、根本であって、これが根源神とされます。略すと図1右のようになり、

丸の中に点がある。 丸のことを”とくさのかんだから”(十種神宝)と呼ぶ。 丸が結果であり、真ん中の点が原因である。  現在は、丸の中に点がない状態である。 点を入れることが一厘の仕組みであるとされます。

出処は、岡本天明によれば、国常立尊とされます。

 

(4) 弧理論の考え方による宇宙は、

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面でである。」との観点から、

物質(結果)に実体(原因)

図2

E軸上の実体は、真のエネルギーを持ち、M軸に投影されることによって位置を伴う質量を持つ物体となります。

我々には不可視なE軸上の実体が(原因)で、M軸上にある物体が(結果)であるということです。

出処は、ダニエル・フライによれば異星人とされます。

 

(5) 旧約聖書に出てくる神は、モーセに問われて自身のことを「在りて在りたる者」と応えました。 過去記事において、旧約聖書の神「在りて在りたる者」の「在る」は、日本教に似ていると記しました。

「在る」わけですから、「何時から何時まで」と「場所(どこに)」を特定していません。

出処は、モーセによればヤハウェ(YHVH、YHWH、JHVH、JHWH、IHVH) だとされます。

 

まとめ、

(1)~(5)において、出処はそれぞれ古代日本であったり、神であったり、あるいは異星人であるなどの違いはありますが、共通するのは

「何時から何時まで」、「何処に」が示されていない。「時間と場所が特定されていない」ということです。 つまり、「無始無終」かつ「無辺」だということです。

 

ただし、(1)(2)(3)(5)は、哲学的な内容ですけれど、(4)弧理論の考え方は物理現象を記述するためのモデルです。   自然科学というモデルは空間の他に「時間」を織り込んでるのが問題です。 問題のある自然科学を他との整合がとれた弧理論に置き換えようという目論みです。

 


 

(6) 現代、宇宙物理学において、宇宙はビッグバンによるとされます。

bigbang264図3

何処にあるか分からぬ宇宙の入れ物の中で宇宙は、点から始まり加速度的に膨張を続け、半径130億光年くらいの大きさだとされます。

極小の現象を記述する量子理論による素粒子物理学と、極大の現象を説明するとされる相対論は頗る相性が悪くて、2つをムリに結合したのがビッグバン理論です。

 

そこで、思い出すのが古代インドにおける宇宙観です。

(7)

zo_kame_hebi図4

半球の大地を数頭の象が支え、象を巨大な亀が支えています。全部をさらに巨大な蛇が支えているのですけれど、巨大な蛇は自身を支える仕組みを完結するために、やむなく自らの尻尾をくわえています

現代から見ると、滑稽の一語になりますけれど、「何処に」を完結しようとする思想においては、(6)と何ら変わるところはありません。 むしろ(6)の方が「何時から何時まで」という拘りがある分、始末が悪いです。

(7)の考え方を(6)に適用すると次のようになりそうです。

現代の宇宙論では、より大きな入れ物(時空間を含む超宇宙?)に宇宙が存在すると説明するのですから、超宇宙を説明するために、さらに次元の高い超・超宇宙という入れ物が必要になります。ついでに多元宇宙の存在も認めてしまいます。

dagenu485456図5

そして、超・超・超・宇宙は何処に入れるかを完結するために、やむなく自らの宇宙の中に組み込んでしまいます。 もう笑えません。

 

こう考えていきますと、聖書の神も日月神示の神も、すべてが、地球外の人々による支援だという気がしてきます。そして、地球に残り続ける貴重な哲学が縄文哲学であるならば、歴史に埋もれた骨(縄文哲学)にこそ地球の未来があるという気がします。日本人の内にある日本的なるものに希望を持ってよいと思います。  ただし、G・アダムスキーによれば呪術と同類と考えられる鎮魂帰神法・審神者(さにわ)などは、決して認めないと思います。

数学者岡潔は講演において、自然科学は最終的には五感でわかる必要があると述べています。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。 (下線は管理人による)

モーセは神と契約しました。自他を分けて、自らが他と契約をする行為により、「分ける」=「分かる:理解する」ことが進むようになりました。同時に法を持つ社会を創る礎ができました。自他を分けて契約することが宇宙を理解する手助けになったことは事実です。しかし、同時に「己が神と契約した」という選民意識から「自然を所有・管理する」という傲慢さがうまれ、やがては自らを神の位置に置く人が現れたのです。

分ける行為が「理解する」の基本としか分からない人が到達するのが素粒子です。素となる粒子が何百とあることを許容して自己を省みることのない人は、岡潔が言うように原始人的無知であるといえます。

 

(1)から(5)は、ずべて物質に原因を求めることの愚かさに気付けと伝えています。 いつも例える万華鏡に似ています。万華鏡の構造を知っていれば当たり前ですが、知らねば複雑な仕組みを想像してしまいます。
.


動画1  これ!ほんとに凄いきれいです。

 

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日月神示 神一厘の仕組み その概要(「ス」のミタマ と アダムスキーの紡錘図形は同じである)

研究を開始してすぐから、弧(Arc)が本当は弧(Ark)であると気付いていました。 G・アダムスキーのコンタクトと聖書の物語の間に深い関係があるだろうということです。 私は、G・アダムスキーが異星人とのコンタクトを必要以上に聖書と絡めて話すと感じ、彼が何かの意図をもって関連づけようとしているのではないかと訝しく思っていました。

今年前半、ファラデーの単極誘導モーターについての実験を一通り終えた後、私は理論でも実験でもない何かが胸につかえるのを感じていました。 G・アダムスキーの残した紡錘図形と足跡の解釈、つまり「弧理論の考え方」は、聖書との関係のみならず、日本との間にも何かあるのではないかということです。 そこで、日本の古史古伝、あるいは大本、日月神示などとも何らかの関係があるのではと調べ始めました。

先日、これまで分かったことの点と点を線でつなぐことができ、まとまった筋書きとなりましたのでここに記します。いろいろ荒い点はありますけれど、一応の納得はできるものです。 以下は、管理人であるΦ(nsw495kpr8)による見解であることをご理解ください。

 

地球の人口は急激に増加しています。いつかの近い時点で破滅的な出来事が起きるだろうことは必至です。それ以前に、第3次世界大戦を起こしたい連中も存在します。 そんな中、G・アダムスキーの伝えた宇宙哲学(因とマインド:テレパシー)は、次代の望みとなるものであることは間違いありません。しかしながら、いつも引用するある科学者は、「物質科学、精神科学、社会科学」の3つの科学が等しく発達せねば、やがて進歩は止まり、破滅すると述べています。

3つの科学の候補は、

1.精神科学 : G・アダムスキーの伝えた宇宙哲学

2.物質科学 : 異星人が持つ科学=弧理論の考え方から私たち自ら学ぶべき物質科学

3.社会科学 : これが不明

でした。 このうち3.が問題です。 私は、これの候補が日本にあるとの直観を持ちました。

調べていく内に、「日本的なるもの」として「日本教」があることを知りました。 その源流を辿ると大和時代(飛鳥時代)に行き着いたのですが、この時代に蘇我氏による焚書事件があったようです。この事件はおよそ日本人らしくないことです。ですから、その源流はもっと古いはずです。

更に調べると漢字伝来以前の日本には「日本固有の文字」が存在したことがはっきりしました。 で、ヲシテ文献に辿り着きました。(どうも、竹内文書は、不明瞭に過ぎます。)

上記、3つの科学を満たすべく調べた情報を列記します。

 

(1) 縄文時代に素晴らしい文明が存在したといいます。古史古伝たるヲシテ文献の研究者である池田満氏によれば

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動画1 【ヲシテ文献】 漢字渡来以前の日本を探る【ch桜】6-5

の2:50あたりからの、縄文哲学におけるについて語っています。

魂 (タマ+シヰ)  タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”

シヰ=”欲しい、欲しい”の“シヰ”であって、強いるの”シヰ”、つまり、生命維持の欲求

魂(タマシヰ)に地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シヰ」は地球に残る。

 

(2) G・アダムスキーによる宇宙哲学(テレパシー)について、GWSのハリー山科氏は

.

動画2 皆神山の謎 第四部 一厘の仕組 第二章 テレパシー

G・アダムスキーによる宇宙哲学について語っています。 人間とは何か?(7:50あたりから)

宇宙の意識(因)から「肉体の心=センスマインド(5つの感覚器官の心)」 と 「意識=ソウルマインド=(触覚:feel)」ができる。 意識=ソウルマインド

補足:喜怒哀楽は感覚器官から来るものです。私が私であるという意識(触覚:feel)がソウルマインドです。  また、感覚器官=視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚(touch) からくる心がセンスマインドです。

 

池田満氏の縄文哲学における魂(タマシヰ)とG・アダムスキーによる宇宙哲学での宇宙の意識(因)による2つのマインドは、ほぼ等しいと認められます。

タマ が 宇宙の(因)からくるソウルマインド(意識)

シヰ が センスマインド(感覚器官の心)    に対応します。

宇宙哲学を池田満氏の言葉に置き換えるならば、「宇宙の意識(因)からくるソウルマインドとセンスマインドが結びつくことで魂(タマシヰ)となる。これに地球の物質が集まって人体になる」というのです。

G・アダムスキーは、何も新しいことを伝えたのではなくて、古の日本に伝わる哲学を述べたのでした。

 

(3) 続いて、縄文哲学とはどのようなものか調べていたところ、同じくハリー山科氏は、かねてから気になっていた日月神示について、述べています。

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動画3 第三回「宇宙哲学」勉強会 「縄文文明と宇宙哲学」

55:00あたりから、日月神示に出てくる、

丸に点図1

の左、「ス」の神様について、次のように述べています。

「ス」の音は、根本である。これが根源神である。略すと図1右のようになる。

丸の中に点がある。 丸のことを”とくさのかんだから”(十種神宝)と呼ぶ。 丸が結果であり、真ん中の点が原因である。

現在は、丸の中に点がない状態である。 点を入れることが一厘の仕組みである。  この100年間、このことを知らせる運動が行われてきた。アダムスキーのコンタクトもこの一環である。

 

上記、(1)の池田満氏による魂(タマシヰ)も(2)ハリー山科氏による宇宙哲学(宇宙の意識【因】)も、そして(3)日月神示にある「ス」の原因(点)と結果(丸)のいずれもが非常に似通っていることに気付きます。 むしろ、同じものであると認識した方がすっきりします。

 

(4) これまで、弧理論の考え方によるE-M軸平面について、さんざん書いてきましたが、再度記します。

ある科学者によれば、「物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない」と述べました。 つまり、

20140421E軸上の実体図2

E軸上の実体は、真のエネルギーE2を持ち、M軸に投影されることによって位置を伴う質量mを持つ物体となります。物体が持つ質量mは、実体の真のエネルギー値E2に等しい訳です。

ある観測者に対して物体が運動するとき

20140421運動の状態図3

実体が持つ真のエネルギー値がE’となり、減少分をΔとするとΔE=E2-E’です。このΔEが物体の運動となります。 図2と図3で実体は、我々の存在するM軸に直交するため、観測者からは位置を特定できません。 ただし、

20140516直交するE軸図4

xy平面上で物体が回転運動するときのみ回転軸であるZ軸方向にE軸が重なることが分かっています。

ここで、E軸上の実体に視点を置いたときに、M軸上の物体は

20150820M軸は湾曲-コピー図5

のように、円弧に描かれます。つまり、M軸上の我々からは、実体は宇宙のあらゆる場所(位置)にでも存在すると考えて差し支えないのです。

弧理論においては、実体は円弧の中心にはありませんけれど、図1の右図と比較すれば非常に似通っていることに気付きます。

我々には不可視なE軸上の実体が(原因)で、M軸上にある物体が(結果)であるということです。

 

(5) 数学者岡潔によれば、「自然科学は間違っている」、その原因が「時間」にあるといいます。 これまでの考察によれば、西洋文明の根幹である自然科学は、時間が問題で「近似」であると思われます。極微細な素粒子の世界や宇宙の大規模構造にかかる領域においては、次元に時間[T]を含むエネルギーでは、正しく現象を捉えられないのです。よく知られていますように、いずれの領域も光の速さで素粒子も天体も運動しています。このとき自然科学で定義されるエネルギー[ML^2T^(-2)]では誤差が無限大になるようです。

どうも、100年あまり自然科学者は、時間の問題を放置してきました。何故なら、時間こそがお金:通貨を人々から掠め取るカギだからです。(注:時間でサイト内検索ください。)


ここまでのまとめ。

(1)池田満氏の縄文哲学に於けるタマシヰ(魂)と

(2)宇宙哲学によ宇宙の意識(因)とマインドは、同じものです。

(3)日月神示による「ス」のミタマ、点(原因)と丸(結果)は、

(4)G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)によるE-M軸平面でのE軸上の実体(原因)とM軸に投影された物体(結果)は、同じものです。

(5)自然科学は時間が問題で宇宙を正しく記述できない。恐らく近似です。


 

(6) G・アダムスキーが残した紡錘図形と足跡は、弧理論の考え方からすれば、宇宙の大きさは無辺で無始無終であって「宇宙は在る」 といえます。

これは、

20150831聖書の誤謬図6

旧約聖書のモーセが会ったという神「在りて在りたる者」と同じです。紡錘図形と足跡がG・アダムスキーの主張どおりであるならば、モーセが会ったというのは神ではなくて異星人であったということになります。(この人物が自ら神と名乗ったかどうか存じません。)

 

(7) 私は、紡錘図形と足跡を研究対象としてきました。紡錘図形の解析の結果、弧電磁気論(現弧理論)を展開しています。 これは、純然たる物理現象としての解析です。解析の結果を超効率インバーター「デゴイチ」に見られる第3起電力(正の起電力)仮説を説明できるように組み立てたのが「弧電磁気論から見た第3起電力のエネルギー源についての考察」でした。

現在でも弧理論をファラデーの単極誘導に適用することで、知見を得るべく研究を続けています。 自然科学では、説明ができないけれど、弧理論の考え方では、概ね理解できるという実験結果を得られればと思います。

 

以上、(1)から(7)において、幾つかの仮説が概ね満たされるならば、次のことが言えると思います。

  1. 実験の結果、既存の物理学で説明できないが、弧理論の考え方では理解できる。
  2. 弧理論の考え方が正しいならば、紡錘図形と足跡は事実である。
  3. 紡錘図形と足跡が事実ならば、G・アダムスキーとダニエル・フライの主張は事実である。
  4. 紡錘図形と足跡が事実ならば、モーセが会ったという「神」は異星人であったと考えられる。
  5. モーセが会ったのが異星人であるならば、「神との契約」はリセットされる。
  6. 従って、ユダヤ教、キリスト教(パウロ教?)、イスラム教は無効となる。
  7. 西洋文明の根幹である宗教並びに自然科学はリセットされる。
  8. 政治・経済・金融・主義主張のほとんどはリセットされる。
  9. ark of the covenant と noah’s ark は不思議な力を持つ箱あるいは四角い舟ではない。正しくは、Arkとはエネルギー源あるいは動力源という意味である。

紡錘図形の解釈から、宇宙人・UFOの実在とフリーエネルギーの実現、並びに現代文明の根幹である自然科学の限界、そして、世界の混乱の元である3つの宗教がリセットされることが見て取れます。これは非常に重要なことです。

宗教関連は、日本人にあまり関係しないことではありますけれど、フリーエネルギーの実現と異星人の実在、政治・経済・主義主張の混乱は非常に困ります。 人々が縋るお金、地位、名誉、権力全てはリセットされることになります。恐らく、地球上で難を逃れる人は一人も居ないだろうと思います。

もしこれら一連のことが実現するならば、日月神示にある「一厘の仕組み」に匹敵すると考えられます。

日月神示には、「天も地もまぜまぜになる」あるいは、「人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなる」と示されています。 3つの科学の種が揃うのですから、個人的には世界が善くなる方向を示していると信じるのですけれど、これらはどう見ても混乱の極致です。先日記したとおり猛悪の祟り神である「艮の金神(うしとらのこんじん)」の顕現というべきかと思います。

戦争のように人命とインフラの破壊とともに世界を放射能で汚染するのではなく、人命には一切触れることなく全てを破壊します。


 

ここで、9.の補足です。  9.について、何も知らない人に例えばジェット機を見せたと仮定します。「これはジェットだ」と説明したところ、何も知らない人は「ジェットとは金属で出来た大きな鳥」と理解するでしょう。四角い舟や箱ではなくて、Arkとは、飛行原理や動力源、あるいはエネルギー源だったのです。英語でArkの単語を調べました。Arkはヘブライ語で「箱」を意味するらしいことを確認しましたけれど、当時彼らはヘブル語を話していたようです。その意味では誤りかも知れません。

 

ここへきて、半年あまりに渡る胸のつかえがとれた思いです。 しかしながら、問題があります。

(1)池田満氏の縄文哲学に於けるタマシヰ(魂)

(2)宇宙哲学によ宇宙の意識(因)とマインド

(3)日月神示による「ス」のミタマ、点(原因)と丸(結果)

の3点が私が考察した

(4)G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)によるE-M軸平面でのE軸上の実体(原因)とM軸に投影された物体(結果)

と同じだという点です。 (1)(2)(3)は、精神科学について述べています。 私も宇宙哲学(縄文哲学)に基づくテレパシーをなにがしか認めています。 つまり、私自身に当てはまる訳です。

一方で、(4)紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)は、純然たる物理現象として扱うものです。かなり前から、紡錘図形と宇宙哲学(因:テレパシー)の類似性には気付いていたのですけれど、自身の精神活動と物理現象と認識している研究対象が同一であると認めたくありませんでした。

ある科学者は3つの科学について、次のように述べています。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物資を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造のカと無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。

 

単極誘導の現象の内に、自然科学の成果である物理学では説明できない現象を実現できるのではないかと研究を続けています。

 

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艮の金神(うしとらのこんじん)と奴隷Aさん

どうでもよい話です。あるとき奴隷の身であるAさんが、同じく奴隷であるBさんに自慢げに言いました。

(1)  A 「ほれ、見てくれ。私の首輪はB君のに比べて丈夫にできていて、大きくてしかも綺麗だ。君もうんと努力すれば私のようになれるから、ガンバレ!」

B 「(うっ..羨ましい) 今は、そうかもしれないけれど、いつか立派な首輪を手に入れられるよう努力するよ。」

こんな滑稽な話はないと思いませんか。これをお金に置き換えます。

A 「ほれ、見てくれ。私の年収は1,000万円を越えるんだ。同期より速く出世した。B君に比べてずっと多いんだ。君もうんと努力すれば私のようになれるから、ガンバレ!」

「あいつより出世したし、年収も多い。」と見下すことや、逆に羨ましいと思ったことはありませんか。 とても笑えない話です。 自身と家族を養うために稼がねばなりません。長時間労働によりお金は、何とか得たけれど、おかげで家族とのコミュニケーションがうまくとれなかった結果、家庭が崩壊した話は数多くあります。

(2) ある組織で、横領などの不正があると知ったCさん。Cさんも仲間に入れと強要されました。Cさんは悩んだ末に外部に不正を告発しました。そうしたら、その組織では告発した犯人捜しが始まりました。

 

お金・通貨・貨幣は現代の偶像です。何の宗教にも入っていないと自覚している多くの人たちも例外なく、お金教の信者です。 誰もが自覚なき奴隷です。管理人も含めて、ほぼ例外はないでしょう。

ですから、誰かが首輪をはずしてやろうと近寄ってきたら、大変な恐怖を味わうだろうと想像できます。  実際、厳しいノルマや長時間労働に苦しみながら、薄い自尊心を満たし、かつ羨望・妬みなど綯い交ぜの感情を抱きつつ、何とか生活とステータスを保っているのですから、収入源を絶って、楽にしてやろうといわれても困ってしまうだけです。 ましてや立派な首輪を持つ人(富裕層)はショック死するほどの恐怖だと思われます。

 

艮の金神」(うしとらのこんじん)とは、大本信徒連合会のサイトによれば

「艮の金神」とは、日本に古くから伝わる陰陽道の言葉です。「金神」とは“祟り神”のことで、また「艮」(うしとら)とは東北の意味で、もっとも恐れられている“鬼門”(きもん)の方位です。したがって、「艮の金神」とは数ある金神の中でも、もっとも恐ろしい鬼門の方位にわだかまる“猛悪の祟り神”ということになります。
普通の常識からすれば、出口なおはとんでもないドエライ祟り神にとりつかれてしまったということになります。

こともあろうに、わざわざ「艮の金神」という猛悪の神を名のって現われた神。その正体は何でしょうか?
それは判りませんでした。  - 一部省略 -

艮の金神の正体を正しく見分ける者はどこにもいませんでした。

金神(こんじん)あるいは、「艮の金神」について検索するととても多くの解釈が出ています。 ですが納得できる説明は、ほとんどありません。

(2)に示した様に、本当に善いことをするには勇気がいります。本当のことを言うと嫌われます。とても困難です。自浄能力がない場合は、全員が見て見ぬふりをします。VWw。

(1)に示した私たち自覚なき奴隷の首輪をはずしてやろうというのが“猛悪の祟り神”である「金神」です。 何も悪いことをしたから罰を与えるというような祟り神ではないと思われます。  悪魔は笑顔でやってくるといいます。 悪いことは「あたかも善いことのように」、本当に善いことは「最悪に」見えるということです。ここにも逆転が生じています。参考:バカボンのパパ「賛成の反対なのだ~」聖書の中で、何故これほど人を殺すのか

何故、「艮」(うしとら)という祟り神が東北をさす“鬼門”(きもん)の方位に出入りするのか、いずれわかるかも知れません。

 

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物質とエネルギーの簡単な同一性について

先般、「弧理論によるE=mc^2の解釈と物体の運動」という記事を書きましたけれど、もう少し細かく見てみます。

いつも引用するある科学者は次のように述べています。

あなたがたの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーの簡単な同一性をまだ充分に把握していない点にあります。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授は、ずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的にあらわした数式を発表しました。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達しています。つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなると言っていますが、実際は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎないのです。(下線は管理人による)

One of the principal obstacles to the rapid progress of your science is that your scientists have not yet fully grasped the simple unity of matter and energy. One of your greatest thinkers, a professor, Albert Einstein, published, many years ago, the mathematical formula which described quantitatively the equivalence of matter and energy. This formula, while perfectly correct mathematically, leads to the incorrect conclusion, that matter is convertible into energy and vice versa. The truth is that matter and energy are merely different aspects of the same entity.

エネルギーとは、wikiによれば

物体が仕事をなし得る能力」を意味したが、その後、自然科学の説明体系が変化し、熱・光・電磁気もエネルギーを持つことが知られるようになり、さらに、質量までがエネルギーの一形態である、と理解されるようになった。(下線は管理人による)

とされています。

物理学では、エネルギーの次元は[ML^2T^(-2)]です。 Mは質量です。Lは長さ(距離)ですからL^2は面積です。 Tは時間ですから、T^(-2)は「毎秒毎秒」でして、単位時間毎(速度)の変化、つまりは加速度です。

物理学でいうエネルギーを読み下すならば、wikiにあるように物体が仕事をなし得る能力、つまり質量mの物体が単位面積あたりに仕事(単位時間毎の変化)をなし得る能力と理解できます。

例えば引力のある地上で

tatasarerusyougakusei図1 こちらから拝借

水の入ったバケツを持って立たされた場合において、その努力感があってもバケツに仕事をなした訳ではありません。ただ立っているだけでは、人が仕事をしたことになりません。 引力があろうとなかろうとバケツを動かそうとする時(加速時)と静止させようとするとき(減速時)に物理学で定義されたエネルギーが存在すると考える訳です。

様々な形態のエネルギーが存在するのですが、物理学で定義されるエネルギーを一言でいうと、「物体を動かす能力」であって、エネルギーとは運動そのものを示しています。

 

冒頭のある科学者の言葉、「物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎない」は、次のように理解できます。

20140421E軸上の実体図2

いま、我々のいる3次元物理空間を一次元のM軸とします。M軸に直交するE軸を考えると、E-M軸平面上に実体が存在します。 実体が持つ値 E2真のエネルギーとします。実体が持つ真のエネルギー値E2がM軸に投影されることにより質量mを持つ物体が位置を伴って現れます。

次いで、物体が運動する場合を考えます。

20140421運動の状態図3

物体が運動するとき、実体がM軸に投影される角度θが変化すると考えます。そして投影されることによりM軸にできる線分が物体が持つ運動となります。このときの運動をとします。(注:この運動は時間[T]を含みません。)

そして、ある科学者の言うエネルギーとは図3の実体が持つE2あるいはE’を示していることに気付きます。そして、物理学で定義されたエネルギーは運動であるということになります。 同じエネルギーという言葉を用いていますけれど、全く異なるモノだということです。  驚くことに、運動する物体は静止時より真のエネルギー値より低くなるのです。真のエネルギー値の変化をΔEとすると、

ΔE=E2-E’

であって、ΔEが物体の運動として現れるということになります。 物理学でいうエネルギーとは実体が持つΔEが運動として現れたモノです。

ある科学者は用いる言葉の定義を意図的に明示していないということになります。何故なら我々が自ら学ぶべきことだからです。

管理人自身、この違いを明示的に意識するのにとても時間が必要でした。


ここで、物理学でのエネルギー[ML^2T^(-2)]の話に戻ります。

数学者岡潔は、講演自然科学は間違っていると述べました。 特に【2】自然科学者の時間空間において、次のように述べています。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。(下線は管理人による)

箇条書きにすると、自然科学者は

  1. 時間を表そうとすると運動を使う。
  2. 運動は時間に比例して起きると決めてかかっている。
  3. そういう時間が在ると思っている。
  4. そういう時間というものはわかると思っている。

さらに岡潔は言う。

  • 人は時の中に住んでいる。
  • 時には現在、過去、未来がある。
  • 時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。
  • 時の過去の属性の一つの性質を取り出して、観念化したものが時間である。

岡潔の言葉を管理人がまとめた結果

  1. 運動は時間から求め、時間は運動から求めている
  2. 運動は時間に比例して起きると確認した科学者はいない。
  3. 時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である
  4. 従って計測した時間を現在、未来に適用できるかどうか別物である。

となりました。 特に、1番目と3番目は重要です。

私たちは動き回ることにより時の経過を感じます。 その中で時間の実在を疑いません。 しかし、岡潔の言葉を切っ掛けによく考えてみますと、時間なるモノは実在せず、動きしか存在しないことに気付きます。 図3の運動の記憶、あるいは記録を時間だと思い込んでいるに過ぎないのです。 ですから、1番目に示した様に、運動は時間から求め、時間は運動から求めているのです。 直接わかるものではありません。

実在しない時間を基本物理量とする物理学とは何なのでしょうか。


 

ここで、

E=mc^2

について考えます。左辺の次元は、[ML^2T^(-2)]です。右辺は、質量Mと光速度cの二乗です。cは光の速度ですから、次元は[LT^(-1)]です。 両辺の次元に時間[T]が入っています。

突き詰めて考えると上式は、両辺とも「運動」を記述しているに過ぎません。 何かが変だと感じます。その原因は、恐らく考察の結果である上記の1番目にあると思います。

時間が本当に実在するならば、基本物理量として扱うならば、時間を直接に実験で求めるべきです。

時間・エネルギー・お金に関する過去記事がありますので、右検索欄を使って記事をお読みいただけるとありがたいです。 ただし、同じ題材でも過去記事ほどあいまい・誤りを含みますので、ご了解ください。

 

追記、 物理学が運動の時間変化分をエネルギーと定義している以上、その合算値は常に保存するのは、当然のことのように思えます。

 

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