神と宇宙の関係について

随分昔のこと、どこかで読んだお話です。確か日本人が書いたと記憶していますが、未だに引っかかっています。曖昧ですが記します。

 

自然科学分野の研究者であるA氏(天文学だったか、物理学だったか?)は、平日は研究に取り組んでいます。 A氏は敬虔なクリスチャンで信仰を持っています。日曜日になると家族とともに教会へ礼拝に出かけ、神に祈りを捧げます。  神が宇宙を創ったと信じるA氏ですが、仕事として取り組む研究対象が宇宙のことなのですから奇妙なことです。

一般に研究とは、研究対象を客観視せねばなりません。研究にあたるA氏の頭の中において、彼自身を宇宙の外に置いているはずです。しかし、同時に彼は宇宙を神が創ったと信じています。 彼自身も神が創ったということを彼自身が受け入れているのですから何かが変なのです。

 

話の書き手である作者は、A氏の存在に何か分裂的なものを見て、奇妙だという意味のことを書いていた記憶があります。 管理人自身、何かを考えるとき常に”分析的”です。分けることにより分かるということは、紛れもない事実です。 しかしながら、宇宙について考えるときは、どうも分析的手法が通じないように思えるのです。 そこで、「神が宇宙を創った」という前提で、そのメリット・デメリットについて考えます。

 

「神が宇宙を創った」とするとき、2つの場合が考えられますので検討します。他の場合があるのかどうか見当つきません。

 

神と宇宙図1

の(1)において、神は、神の内に宇宙を創ったと想定します。神(イ)は、宇宙(ア)と(ウ)の領域になります。  図1(1) 宇宙の森羅万象は、神の表れであり、八百万の神、極端に言えば「全部一緒」です。ただ、我々には(ウ)の領域について、知り得ることはありません。

次に、右の(2)において、神(イ)は外に宇宙(ア)を創ったと想定します。  図1(2) 宇宙(ア)の全ては、神(イ)が創ったのであり、現象の中に神をみることは、ほとんどないと思われます。ただ歴史上の偉人たちは、彼らの研究に神をみていたようです。(科学者と信仰を参照)  ただし、一般の信仰とは異なるように思います。科学者は、最大限の努力の末に神を褒め称えているのであって、単に救済を求めるものではありません。

 

それぞれの場合のメリット・デメリットについて。 (1)は「何でもあり」で至極都合がよいです。どこか日本的なものを感じます。

(2)について、メリットから。

  1. 自己と他を「分ける」ことによって、「分かる」理解が進む。
  2. 神との「契約」という行為により、「法」の概念が根付く。
  3. 契約により、倫理・道徳が行われる。

自然・宇宙を理解しようとする行動は、太古からあるでしょうが、「分ける」ことにより、合理的に理解しようとする基本的な行動原理が明確になります。そして、同じ神を信仰する者同士の間で「憲法・法律」あるいは商いなどによる「契約」行為の習慣が根付くと考えられます。さらに、同じ神を信仰する者同士において、倫理・道徳などが行われ社会に秩序がもたらされます。

ただし、これら整然と秩序だった社会は、未だ完成していないことは周知のことです。

(2)について、デメリットです。

  1. 神と契約したという選民の意識が潜在的にある。
  2. 同じ神と契約した者の間のみ、商いなどによる「契約行為」が履行される。
  3. 同じ神と契約した者の間のみ、「法」による取り決めが履行される。
  4. 神との契約があるから、倫理・道徳が保たれる。
  5. 神から宇宙・自然に対しての信託を受けたと解釈して、自然に対して破壊・簒奪の自由があると解釈する。
  6. 極端な場合、己が神に等しいと解釈して行動する。

随分と荒い考察なのですが、どこか分裂的で傲慢であることは納得できます。 しかしながら、図1の(1)において、(ウ)の領域は、我々の与り知り得ないことですから、結局は宇宙に対する我々の側の姿勢の問題だということです。

図1の(1)だとしますと、理解の進捗度合いは比較的に遅いだろうと予想されますし、社会学者である小室直樹の言うとおり「何者にもなり得ない」日本人という特徴が出てくるのではないかと考えます。

図1の(2)だとしますと、理解の進捗度合いは速いと思われますが、分析的であると同時に分裂的になるという自己矛盾を抱えているように感じます。これが冒頭ご紹介した自然科学者A氏のお話に感じる違和感なのだろうと思います。

分析的(分裂的)にある自分と、統合感のある宇宙(図1の1)の間にせめぎ合いを抱えているのが現代の日本人なのではないだろうか、というのが結論めいた答えです。

ただ、日本的なるものは、天(アマ)と神(カミ)なのであって、西洋的な「神」とは異なるのかも知れません。 それでも尚、日本人の日本的なるものとして現れる倫理観と道徳の高さはいずれから生じているのだろうか疑問です。(ご承知のとおり、日本的なるものは絶滅の危機に瀕しています。)

 

これまでご紹介したとおり、

  1. G・アダムスキーによる宇宙哲学(因+マインド)
  2. 弧理論の考え方(E軸上の実体を原因とし、M軸に投影された物体を結果とする)
  3. 日月神示(原因である”ゝ”と結果である”○”)
  4. ホツマツタヱ:縄文哲学による魂(タマ+シイ)
  5. 「在りて在りたる者」との相関

の5つは、いずれも無始無終であるとともに無辺である点において、同一と考えてよいようです。これら5つは、いずれも宇宙の外という概念を含んでいません

ただし、2.弧理論の考え方は、物理現象を説明するためのモデルです。他の4つ(哲学的産物)とは根本的に異なります。 どう折り合いを付けるのかが大きな問題です。

宇宙の構造を示す「弧理論の考え方」に、我々の精神活動をどのように組み込むかが問題です。言い換えるならば、

宇宙と我(ワレ)の統合はあり得るのでしょうか?

 

追記  どうも、図1(2)の特徴を考えていますと、

sonnowa111図2 こちらから拝借

西遊記の孫悟空が頭にはめている輪を思い出します。この輪は、『緊箍児(きんこじ)』というようです。 「神との契約」によってかろうじて「人」であるとも読めます。 万が一契約が解除・無効となった場合、彼らはどうなってしまうのか考え込んでしまいます。 何故なら、上記1.~5.の情報の来歴は、異星人だと考えられるからです。(4.を除く)

sekainojinkou図3 こちらから拝借    3つの宗教で55.8%です。

 

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G・アダムスキーのテレパシー(宇宙哲学)と日月神示&大本神諭について

なぜ、大本神諭と日月神示に興味を持ったかについて、記します。

G・アダムスキーによれば、「ブードゥー教とコックリさんはやってはいけない」とのことです。  G・アダムスキーの宇宙哲学とテレパシーに深く影響を受けながら長らくG・アダムスキーから離れていたのは、幾つか受け入れられないことがあったからです。 その一つがブードゥー教、呪術を否定しているからでした。そもそも呪術が存在しない「無」であるならば、わざわざ否定する必要はないはずです。

最近になって、人の精神活動の原理はG・アダムスキーによるテレパシーであって、それには呪術やオカルトも含んでいるのではないかと思うようになりました。 しかし、G・アダムスキーの宇宙哲学を学ぶ人にテレパシーも呪術も同じでチャンネルが異なるだけだ」と説明したら混乱することは必至です。  だから、ただ「やってはいけない」とのみ説明したのだろうと理解しました。

信者の方々とっては、大本神諭は100パーセントなのは当然ですけれど、一般の人にとっては興味ありませんし、どうでもよいことです。管理人にとってもこれまで興味ありませんでした。

しかし、同じ原理でチャンネルが異なるだけだとするならば、話は別です。 多くの教義教典の内には、某かの真実が含まれていてもおかしくはありません。(信仰をお持ちの方には失礼ながら。)

つまり、管理人にとってG・アダムスキーによる宇宙哲学は100ではないし(※1)、大本神諭や派生した日月神示もゼロではないし、100でもないということです。

知られていますように、大本は何百万人の信者を獲得し、戦前、2回の大弾圧を受けています。ですから、神諭や神示の核心部分に「ゼロではなくて、何かがあるのではないか」、というのが興味を持つ切っ掛けだといえます。

G・アダムスキーは「彼自身を信仰の対象にしてはいけない」という意味のことを述べたと、どこかで読んだ記憶があります。日本には現在も尚、G・アダムスキーによる宇宙哲学を学び続ける人たちがいます。はっきり言いますと、彼らはG・アダムスキーのことを丸呑みしていて、端から見ると「信仰」を持つ「信者」に見えます。G・アダムスキーが「いけない」と述べたことを真面目が故に、「やっている」としか思えないのです。

G・アダムスキーのことから何となく何十年も離れていました。離れていた頃に、大本神諭や日月神示に決して興味を持たなかったのは当然でした。

 

※1 G・アダムスキーによる宇宙哲学が100でないのは、理解不足によるものと思います。 例えば、テレパシー、つまり想念の送受は、動植物は言うに及ばず、石ころやはたまた原子一つに至るまで、その能力(機能?)があるとされます。  これが当時も今も実感できないのです。

しかしならが、最近、G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈である弧理論の考え方から、ある程度理屈が成り立ちそうです。 弧理論の考え方とは、

物質(結果)に実体(原因)図1

に示すものです。

E-M軸平面において、実体が投影されることにより物体が質量と位置をもって現れます。時間[T]を含まない真のエネルギーを別の次元軸とするのが弧理論の骨子です。 つまり、宇宙を(X,Y,Z,E)の4次元と考えるのです。このエネルギー軸(E軸)の値を真のエネルギーと呼びます。 なお、弧理論において時間[T]は存在しません。運動のみが存在します。時間とは、過ぎ行く運動の記憶に過ぎません。

で、一般に情報を記録、あるいは記憶するに僅かながらも必ずエネルギーが必要です。HDDの盤面のトラック・セクターの該当する位置に強磁性体のヒステリシスを利用して記録します。どれだけ磁性体を小さな区分にしたところで、必ずエネルギーが必要です。

この考えを図1に当てはめると、投影されることにより現れた、「原子(陽子、中性子、電子)は、E軸上の実体が持つ真のエネルギー値を以て、あらゆる自らの位置と運動による変化並びに全ての原子の配置を記録、あるいは記憶できる」かも知れないと考えられます。 つまり、E軸上の実体は、宇宙の全物質にかかるすべての記憶を持ちうる究極の記憶装置だと考えることができるということです。

スピリチュアルでは、これをアカシックレコードというらしいです。 ですが、管理人はこのような手垢の付いた言葉を用いることは好みません。  過去記事にあるエリートキツネと闘牛士も考えようによっては、カルマ(業)というのかも知れませんが、簡単にそういう言葉に置き換えるのは躊躇します。

結論として、物質の基本である陽子・中性子・電子が自ら、記憶装置を持っているならば、これらで構成されている人も石も皆同じ能力(機能?)があってもおかしくないようです。


 

話は、逸れます。

いつも引用するある科学者は、物質科学、精神科学、社会科学について次のように述べています。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けな い。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するなら ば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ 物質科学の発達はありえないんだ。 (下線は管理人による)

 

道理で、G・アダムスキーが残した紡錘図形を解釈していくと、精神的なこと、哲学的なことなどが出てくる訳です。3つの科学には明確な仕切りが無いのならば、順を追って理解していくしかありません。 今のところ、物質科学である弧理論の考え方を追っていくと、

  1. G・アダムスキーによる(因とマインド)はもちろんのこと、
  2. 縄文哲学の魂(タマ+シイ)や、
  3. 聖書の「在りて在りたる者」が出てくる(相関がある)、さらには
  4. 日月神示の○(結果)とゝ(原因)

などが出てくるとうことに戸惑いを持っています。 ある科学者が言うように「まず、精神科学と社会科学が出てくる。」とのことです。  管理人は、紡錘図形を解析することによって、物質科学を追い求めているにもかかわらず、精神科学が出てくるということに非常な驚きを覚えています。 きっと社会科学は、古の日本の文明に在ると直観的に分かります。 大事なことは、

まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ 物質科学の発達はありえない

 

ということです。ある科学者がダニエル・フライに、精神科学と社会科学の基礎が必要だと述べたにもかかわらず、何故、物質科学的な内容を伝えたのかが最大の疑問でした

何のことはありません。我々の持つ物質科学は、彼らの科学から見たら原始人レベルだったというオチでした。

 

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古今の宇宙観 それぞれの出処は異なるが、全部一緒。違うのはビッグバン理論だけである。

先日の記事、日月神示 神一厘の仕組み その概要(「ス」のミタマ と アダムスキーの紡錘図形は同じである)において、ご紹介した幾つかの宇宙観・宇宙哲学は、それぞれの出どころは異なりますが、全部同じ内容について異なる表現をしたもののようです。 今回は、聖書と現代の宇宙論を加えて考察します。  先日のまとめを再掲の上で話を進めます。

 

(1) ヲシテ文献の研究者である池田満氏によれば縄文哲学におけるとは、

魂 (タマ+シイ)  タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”

シイ=”欲しい、欲しい”の“シイ”であって、強いるの”シイ”、つまり、生命維持の欲求

魂(タマシイ)に地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シイ」は地球に残る。

出処は、池田満氏によれば古代日本、縄文文明です。

 

(2) G・アダムスキーによる宇宙哲学(テレパシー)では、人の成り立ちとして

宇宙の意識(因)から「肉体の心=センスマインド(5つの感覚器官の心)」 と 「意識=ソウルマインド=(触覚:feel)」ができる。 意識=ソウルマインド

とされます。 出処は、G・アダムスキーによれば異星人とされます。

池田満氏の縄文哲学における魂(タマシイ)とG・アダムスキーによる宇宙哲学での宇宙の意識(因)による2つのマインドは、ほぼ等しいと認められます。

タマ が 宇宙の(因)からくるソウルマインド(意識)

シイ が センスマインド(感覚器官の心)    に対応します。

宇宙哲学を池田満氏の言葉に置き換えるならば、「宇宙の意識(因)からくるソウルマインドとセンスマインドが結びつくことで魂(タマシイ)となる。これに地球の物質が集まって人体になる」というのです。

 

(3) 日月神示では、

丸に点図1

の左、「ス」の神様について、「ス」の音は、根本であって、これが根源神とされます。略すと図1右のようになり、

丸の中に点がある。 丸のことを”とくさのかんだから”(十種神宝)と呼ぶ。 丸が結果であり、真ん中の点が原因である。  現在は、丸の中に点がない状態である。 点を入れることが一厘の仕組みであるとされます。

出処は、岡本天明によれば、国常立尊とされます。

 

(4) 弧理論の考え方による宇宙は、

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面でである。」との観点から、

物質(結果)に実体(原因)

図2

E軸上の実体は、真のエネルギーを持ち、M軸に投影されることによって位置を伴う質量を持つ物体となります。

我々には不可視なE軸上の実体が(原因)で、M軸上にある物体が(結果)であるということです。

出処は、ダニエル・フライによれば異星人とされます。

 

(5) 旧約聖書に出てくる神は、モーセに問われて自身のことを「在りて在りたる者」と応えました。 過去記事において、旧約聖書の神「在りて在りたる者」の「在る」は、日本教に似ていると記しました。

「在る」わけですから、「何時から何時まで」と「場所(どこに)」を特定していません。

出処は、モーセによればヤハウェ(YHVH、YHWH、JHVH、JHWH、IHVH) だとされます。

 

まとめ、

(1)~(5)において、出処はそれぞれ古代日本であったり、神であったり、あるいは異星人であるなどの違いはありますが、共通するのは

「何時から何時まで」、「何処に」が示されていない。「時間と場所が特定されていない」ということです。 つまり、「無始無終」かつ「無辺」だということです。

 

ただし、(1)(2)(3)(5)は、哲学的な内容ですけれど、(4)弧理論の考え方は物理現象を記述するためのモデルです。   自然科学というモデルは空間の他に「時間」を織り込んでるのが問題です。 問題のある自然科学を他との整合がとれた弧理論に置き換えようという目論みです。

 


 

(6) 現代、宇宙物理学において、宇宙はビッグバンによるとされます。

bigbang264図3

何処にあるか分からぬ宇宙の入れ物の中で宇宙は、点から始まり加速度的に膨張を続け、半径130億光年くらいの大きさだとされます。

極小の現象を記述する量子理論による素粒子物理学と、極大の現象を説明するとされる相対論は頗る相性が悪くて、2つをムリに結合したのがビッグバン理論です。

 

そこで、思い出すのが古代インドにおける宇宙観です。

(7)

zo_kame_hebi図4

半球の大地を数頭の象が支え、象を巨大な亀が支えています。全部をさらに巨大な蛇が支えているのですけれど、巨大な蛇は自身を支える仕組みを完結するために、やむなく自らの尻尾をくわえています

現代から見ると、滑稽の一語になりますけれど、「何処に」を完結しようとする思想においては、(6)と何ら変わるところはありません。 むしろ(6)の方が「何時から何時まで」という拘りがある分、始末が悪いです。

(7)の考え方を(6)に適用すると次のようになりそうです。

現代の宇宙論では、より大きな入れ物(時空間を含む超宇宙?)に宇宙が存在すると説明するのですから、超宇宙を説明するために、さらに次元の高い超・超宇宙という入れ物が必要になります。ついでに多元宇宙の存在も認めてしまいます。

dagenu485456図5

そして、超・超・超・宇宙は何処に入れるかを完結するために、やむなく自らの宇宙の中に組み込んでしまいます。 もう笑えません。

 

こう考えていきますと、聖書の神も日月神示の神も、すべてが、地球外の人々による支援だという気がしてきます。そして、地球に残り続ける貴重な哲学が縄文哲学であるならば、歴史に埋もれた骨(縄文哲学)にこそ地球の未来があるという気がします。日本人の内にある日本的なるものに希望を持ってよいと思います。  ただし、G・アダムスキーによれば呪術と同類と考えられる鎮魂帰神法・審神者(さにわ)などは、決して認めないと思います。

数学者岡潔は講演において、自然科学は最終的には五感でわかる必要があると述べています。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。 (下線は管理人による)

モーセは神と契約しました。自他を分けて、自らが他と契約をする行為により、「分ける」=「分かる:理解する」ことが進むようになりました。同時に法を持つ社会を創る礎ができました。自他を分けて契約することが宇宙を理解する手助けになったことは事実です。しかし、同時に「己が神と契約した」という選民意識から「自然を所有・管理する」という傲慢さがうまれ、やがては自らを神の位置に置く人が現れたのです。

分ける行為が「理解する」の基本としか分からない人が到達するのが素粒子です。素となる粒子が何百とあることを許容して自己を省みることのない人は、岡潔が言うように原始人的無知であるといえます。

 

(1)から(5)は、ずべて物質に原因を求めることの愚かさに気付けと伝えています。 いつも例える万華鏡に似ています。万華鏡の構造を知っていれば当たり前ですが、知らねば複雑な仕組みを想像してしまいます。
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動画1  これ!ほんとに凄いきれいです。

 

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日月神示 神一厘の仕組み その概要(「ス」のミタマ と アダムスキーの紡錘図形は同じである)

研究を開始してすぐから、弧(Arc)が本当は弧(Ark)であると気付いていました。 G・アダムスキーのコンタクトと聖書の物語の間に深い関係があるだろうということです。 私は、G・アダムスキーが異星人とのコンタクトを必要以上に聖書と絡めて話すと感じ、彼が何かの意図をもって関連づけようとしているのではないかと訝しく思っていました。

今年前半、ファラデーの単極誘導モーターについての実験を一通り終えた後、私は理論でも実験でもない何かが胸につかえるのを感じていました。 G・アダムスキーの残した紡錘図形と足跡の解釈、つまり「弧理論の考え方」は、聖書との関係のみならず、日本との間にも何かあるのではないかということです。 そこで、日本の古史古伝、あるいは大本、日月神示などとも何らかの関係があるのではと調べ始めました。

先日、これまで分かったことの点と点を線でつなぐことができ、まとまった筋書きとなりましたのでここに記します。いろいろ荒い点はありますけれど、一応の納得はできるものです。 以下は、管理人であるΦ(nsw495kpr8)による見解であることをご理解ください。

 

地球の人口は急激に増加しています。いつかの近い時点で破滅的な出来事が起きるだろうことは必至です。それ以前に、第3次世界大戦を起こしたい連中も存在します。 そんな中、G・アダムスキーの伝えた宇宙哲学(因とマインド:テレパシー)は、次代の望みとなるものであることは間違いありません。しかしながら、いつも引用するある科学者は、「物質科学、精神科学、社会科学」の3つの科学が等しく発達せねば、やがて進歩は止まり、破滅すると述べています。

3つの科学の候補は、

1.精神科学 : G・アダムスキーの伝えた宇宙哲学

2.物質科学 : 異星人が持つ科学=弧理論の考え方から私たち自ら学ぶべき物質科学

3.社会科学 : これが不明

でした。 このうち3.が問題です。 私は、これの候補が日本にあるとの直観を持ちました。

調べていく内に、「日本的なるもの」として「日本教」があることを知りました。 その源流を辿ると大和時代(飛鳥時代)に行き着いたのですが、この時代に蘇我氏による焚書事件があったようです。この事件はおよそ日本人らしくないことです。ですから、その源流はもっと古いはずです。

更に調べると漢字伝来以前の日本には「日本固有の文字」が存在したことがはっきりしました。 で、ヲシテ文献に辿り着きました。(どうも、竹内文書は、不明瞭に過ぎます。)

上記、3つの科学を満たすべく調べた情報を列記します。

 

(1) 縄文時代に素晴らしい文明が存在したといいます。古史古伝たるヲシテ文献の研究者である池田満氏によれば

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動画1 【ヲシテ文献】 漢字渡来以前の日本を探る【ch桜】6-5

の2:50あたりからの、縄文哲学におけるについて語っています。

魂 (タマ+シヰ)  タマ=大宇宙の中心にある宇宙の根源から来る”心の主体”

シヰ=”欲しい、欲しい”の“シヰ”であって、強いるの”シヰ”、つまり、生命維持の欲求

魂(タマシヰ)に地球の物質が集まって人体になる。命が終わると「タマ」は大宇宙の中心に帰って行き、「シヰ」は地球に残る。

 

(2) G・アダムスキーによる宇宙哲学(テレパシー)について、GWSのハリー山科氏は

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動画2 皆神山の謎 第四部 一厘の仕組 第二章 テレパシー

G・アダムスキーによる宇宙哲学について語っています。 人間とは何か?(7:50あたりから)

宇宙の意識(因)から「肉体の心=センスマインド(5つの感覚器官の心)」 と 「意識=ソウルマインド=(触覚:feel)」ができる。 意識=ソウルマインド

補足:喜怒哀楽は感覚器官から来るものです。私が私であるという意識(触覚:feel)がソウルマインドです。  また、感覚器官=視覚、聴覚、味覚、臭覚、触覚(touch) からくる心がセンスマインドです。

 

池田満氏の縄文哲学における魂(タマシヰ)とG・アダムスキーによる宇宙哲学での宇宙の意識(因)による2つのマインドは、ほぼ等しいと認められます。

タマ が 宇宙の(因)からくるソウルマインド(意識)

シヰ が センスマインド(感覚器官の心)    に対応します。

宇宙哲学を池田満氏の言葉に置き換えるならば、「宇宙の意識(因)からくるソウルマインドとセンスマインドが結びつくことで魂(タマシヰ)となる。これに地球の物質が集まって人体になる」というのです。

G・アダムスキーは、何も新しいことを伝えたのではなくて、古の日本に伝わる哲学を述べたのでした。

 

(3) 続いて、縄文哲学とはどのようなものか調べていたところ、同じくハリー山科氏は、かねてから気になっていた日月神示について、述べています。

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動画3 第三回「宇宙哲学」勉強会 「縄文文明と宇宙哲学」

55:00あたりから、日月神示に出てくる、

丸に点図1

の左、「ス」の神様について、次のように述べています。

「ス」の音は、根本である。これが根源神である。略すと図1右のようになる。

丸の中に点がある。 丸のことを”とくさのかんだから”(十種神宝)と呼ぶ。 丸が結果であり、真ん中の点が原因である。

現在は、丸の中に点がない状態である。 点を入れることが一厘の仕組みである。  この100年間、このことを知らせる運動が行われてきた。アダムスキーのコンタクトもこの一環である。

 

上記、(1)の池田満氏による魂(タマシヰ)も(2)ハリー山科氏による宇宙哲学(宇宙の意識【因】)も、そして(3)日月神示にある「ス」の原因(点)と結果(丸)のいずれもが非常に似通っていることに気付きます。 むしろ、同じものであると認識した方がすっきりします。

 

(4) これまで、弧理論の考え方によるE-M軸平面について、さんざん書いてきましたが、再度記します。

ある科学者によれば、「物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない」と述べました。 つまり、

20140421E軸上の実体図2

E軸上の実体は、真のエネルギーE2を持ち、M軸に投影されることによって位置を伴う質量mを持つ物体となります。物体が持つ質量mは、実体の真のエネルギー値E2に等しい訳です。

ある観測者に対して物体が運動するとき

20140421運動の状態図3

実体が持つ真のエネルギー値がE’となり、減少分をΔとするとΔE=E2-E’です。このΔEが物体の運動となります。 図2と図3で実体は、我々の存在するM軸に直交するため、観測者からは位置を特定できません。 ただし、

20140516直交するE軸図4

xy平面上で物体が回転運動するときのみ回転軸であるZ軸方向にE軸が重なることが分かっています。

ここで、E軸上の実体に視点を置いたときに、M軸上の物体は

20150820M軸は湾曲-コピー図5

のように、円弧に描かれます。つまり、M軸上の我々からは、実体は宇宙のあらゆる場所(位置)にでも存在すると考えて差し支えないのです。

弧理論においては、実体は円弧の中心にはありませんけれど、図1の右図と比較すれば非常に似通っていることに気付きます。

我々には不可視なE軸上の実体が(原因)で、M軸上にある物体が(結果)であるということです。

 

(5) 数学者岡潔によれば、「自然科学は間違っている」、その原因が「時間」にあるといいます。 これまでの考察によれば、西洋文明の根幹である自然科学は、時間が問題で「近似」であると思われます。極微細な素粒子の世界や宇宙の大規模構造にかかる領域においては、次元に時間[T]を含むエネルギーでは、正しく現象を捉えられないのです。よく知られていますように、いずれの領域も光の速さで素粒子も天体も運動しています。このとき自然科学で定義されるエネルギー[ML^2T^(-2)]では誤差が無限大になるようです。

どうも、100年あまり自然科学者は、時間の問題を放置してきました。何故なら、時間こそがお金:通貨を人々から掠め取るカギだからです。(注:時間でサイト内検索ください。)


ここまでのまとめ。

(1)池田満氏の縄文哲学に於けるタマシヰ(魂)と

(2)宇宙哲学によ宇宙の意識(因)とマインドは、同じものです。

(3)日月神示による「ス」のミタマ、点(原因)と丸(結果)は、

(4)G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)によるE-M軸平面でのE軸上の実体(原因)とM軸に投影された物体(結果)は、同じものです。

(5)自然科学は時間が問題で宇宙を正しく記述できない。恐らく近似です。


 

(6) G・アダムスキーが残した紡錘図形と足跡は、弧理論の考え方からすれば、宇宙の大きさは無辺で無始無終であって「宇宙は在る」 といえます。

これは、

20150831聖書の誤謬図6

旧約聖書のモーセが会ったという神「在りて在りたる者」と同じです。紡錘図形と足跡がG・アダムスキーの主張どおりであるならば、モーセが会ったというのは神ではなくて異星人であったということになります。(この人物が自ら神と名乗ったかどうか存じません。)

 

(7) 私は、紡錘図形と足跡を研究対象としてきました。紡錘図形の解析の結果、弧電磁気論(現弧理論)を展開しています。 これは、純然たる物理現象としての解析です。解析の結果を超効率インバーター「デゴイチ」に見られる第3起電力(正の起電力)仮説を説明できるように組み立てたのが「弧電磁気論から見た第3起電力のエネルギー源についての考察」でした。

現在でも弧理論をファラデーの単極誘導に適用することで、知見を得るべく研究を続けています。 自然科学では、説明ができないけれど、弧理論の考え方では、概ね理解できるという実験結果を得られればと思います。

 

以上、(1)から(7)において、幾つかの仮説が概ね満たされるならば、次のことが言えると思います。

  1. 実験の結果、既存の物理学で説明できないが、弧理論の考え方では理解できる。
  2. 弧理論の考え方が正しいならば、紡錘図形と足跡は事実である。
  3. 紡錘図形と足跡が事実ならば、G・アダムスキーとダニエル・フライの主張は事実である。
  4. 紡錘図形と足跡が事実ならば、モーセが会ったという「神」は異星人であったと考えられる。
  5. モーセが会ったのが異星人であるならば、「神との契約」はリセットされる。
  6. 従って、ユダヤ教、キリスト教(パウロ教?)、イスラム教は無効となる。
  7. 西洋文明の根幹である宗教並びに自然科学はリセットされる。
  8. 政治・経済・金融・主義主張のほとんどはリセットされる。
  9. ark of the covenant と noah’s ark は不思議な力を持つ箱あるいは四角い舟ではない。正しくは、Arkとはエネルギー源あるいは動力源という意味である。

紡錘図形の解釈から、宇宙人・UFOの実在とフリーエネルギーの実現、並びに現代文明の根幹である自然科学の限界、そして、世界の混乱の元である3つの宗教がリセットされることが見て取れます。これは非常に重要なことです。

宗教関連は、日本人にあまり関係しないことではありますけれど、フリーエネルギーの実現と異星人の実在、政治・経済・主義主張の混乱は非常に困ります。 人々が縋るお金、地位、名誉、権力全てはリセットされることになります。恐らく、地球上で難を逃れる人は一人も居ないだろうと思います。

もしこれら一連のことが実現するならば、日月神示にある「一厘の仕組み」に匹敵すると考えられます。

日月神示には、「天も地もまぜまぜになる」あるいは、「人民四つん這ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなる」と示されています。 3つの科学の種が揃うのですから、個人的には世界が善くなる方向を示していると信じるのですけれど、これらはどう見ても混乱の極致です。先日記したとおり猛悪の祟り神である「艮の金神(うしとらのこんじん)」の顕現というべきかと思います。

戦争のように人命とインフラの破壊とともに世界を放射能で汚染するのではなく、人命には一切触れることなく全てを破壊します。


 

ここで、9.の補足です。  9.について、何も知らない人に例えばジェット機を見せたと仮定します。「これはジェットだ」と説明したところ、何も知らない人は「ジェットとは金属で出来た大きな鳥」と理解するでしょう。四角い舟や箱ではなくて、Arkとは、飛行原理や動力源、あるいはエネルギー源だったのです。英語でArkの単語を調べました。Arkはヘブライ語で「箱」を意味するらしいことを確認しましたけれど、当時彼らはヘブル語を話していたようです。その意味では誤りかも知れません。

 

ここへきて、半年あまりに渡る胸のつかえがとれた思いです。 しかしながら、問題があります。

(1)池田満氏の縄文哲学に於けるタマシヰ(魂)

(2)宇宙哲学によ宇宙の意識(因)とマインド

(3)日月神示による「ス」のミタマ、点(原因)と丸(結果)

の3点が私が考察した

(4)G・アダムスキーが残した紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)によるE-M軸平面でのE軸上の実体(原因)とM軸に投影された物体(結果)

と同じだという点です。 (1)(2)(3)は、精神科学について述べています。 私も宇宙哲学(縄文哲学)に基づくテレパシーをなにがしか認めています。 つまり、私自身に当てはまる訳です。

一方で、(4)紡錘図形の解釈(弧理論の考え方)は、純然たる物理現象として扱うものです。かなり前から、紡錘図形と宇宙哲学(因:テレパシー)の類似性には気付いていたのですけれど、自身の精神活動と物理現象と認識している研究対象が同一であると認めたくありませんでした。

ある科学者は3つの科学について、次のように述べています。

(1)肉体あるいは物質の科学で人間の肉体や彼が住んでいる物理空間の自然の必要性と要求を処理する分野だ。この中には、生活・安楽・安全等に必要な物資を際限なく作り出す研究はもとより、物理・化学・天文学等の主要なものがこの分野に入っている。

(2)人間関係や、その関係がよりうまく、生産的に、しかも耐えていけるような方法を処理する社会科学である。この中には社会・政治・精神分析学それに経済学の非物質的な部分などが入っている。

(3)精神科学で、人間と君たちが神といっているすべての自然にあまねく浸透し、制御する偉大なる創造のカと無限の英知との間の関係を処理する分野だ。

宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つの分野の中に入るんだ。もちろん、この三つの分野の間には明確な分離線は引けない。お互いにラップしているからだが、しかし、それらを支配する基本的な法則は全く同じものなんだ。宇宙において文明が完全にしかも成功して発展するならば、進歩のこの三つの支流に同程度の努力と勤勉さがなされなければならない。しかしながら、まず精神科学と社会科学が出てくる。その二つの基礎がなければ物質科学の発達はありえないんだ。

 

単極誘導の現象の内に、自然科学の成果である物理学では説明できない現象を実現できるのではないかと研究を続けています。

 

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艮の金神(うしとらのこんじん)と奴隷Aさん

どうでもよい話です。あるとき奴隷の身であるAさんが、同じく奴隷であるBさんに自慢げに言いました。

(1)  A 「ほれ、見てくれ。私の首輪はB君のに比べて丈夫にできていて、大きくてしかも綺麗だ。君もうんと努力すれば私のようになれるから、ガンバレ!」

B 「(うっ..羨ましい) 今は、そうかもしれないけれど、いつか立派な首輪を手に入れられるよう努力するよ。」

こんな滑稽な話はないと思いませんか。これをお金に置き換えます。

A 「ほれ、見てくれ。私の年収は1,000万円を越えるんだ。同期より速く出世した。B君に比べてずっと多いんだ。君もうんと努力すれば私のようになれるから、ガンバレ!」

「あいつより出世したし、年収も多い。」と見下すことや、逆に羨ましいと思ったことはありませんか。 とても笑えない話です。 自身と家族を養うために稼がねばなりません。長時間労働によりお金は、何とか得たけれど、おかげで家族とのコミュニケーションがうまくとれなかった結果、家庭が崩壊した話は数多くあります。

(2) ある組織で、横領などの不正があると知ったCさん。Cさんも仲間に入れと強要されました。Cさんは悩んだ末に外部に不正を告発しました。そうしたら、その組織では告発した犯人捜しが始まりました。

 

お金・通貨・貨幣は現代の偶像です。何の宗教にも入っていないと自覚している多くの人たちも例外なく、お金教の信者です。 誰もが自覚なき奴隷です。管理人も含めて、ほぼ例外はないでしょう。

ですから、誰かが首輪をはずしてやろうと近寄ってきたら、大変な恐怖を味わうだろうと想像できます。  実際、厳しいノルマや長時間労働に苦しみながら、薄い自尊心を満たし、かつ羨望・妬みなど綯い交ぜの感情を抱きつつ、何とか生活とステータスを保っているのですから、収入源を絶って、楽にしてやろうといわれても困ってしまうだけです。 ましてや立派な首輪を持つ人(富裕層)はショック死するほどの恐怖だと思われます。

 

艮の金神」(うしとらのこんじん)とは、大本信徒連合会のサイトによれば

「艮の金神」とは、日本に古くから伝わる陰陽道の言葉です。「金神」とは“祟り神”のことで、また「艮」(うしとら)とは東北の意味で、もっとも恐れられている“鬼門”(きもん)の方位です。したがって、「艮の金神」とは数ある金神の中でも、もっとも恐ろしい鬼門の方位にわだかまる“猛悪の祟り神”ということになります。
普通の常識からすれば、出口なおはとんでもないドエライ祟り神にとりつかれてしまったということになります。

こともあろうに、わざわざ「艮の金神」という猛悪の神を名のって現われた神。その正体は何でしょうか?
それは判りませんでした。  - 一部省略 -

艮の金神の正体を正しく見分ける者はどこにもいませんでした。

金神(こんじん)あるいは、「艮の金神」について検索するととても多くの解釈が出ています。 ですが納得できる説明は、ほとんどありません。

(2)に示した様に、本当に善いことをするには勇気がいります。本当のことを言うと嫌われます。とても困難です。自浄能力がない場合は、全員が見て見ぬふりをします。VWw。

(1)に示した私たち自覚なき奴隷の首輪をはずしてやろうというのが“猛悪の祟り神”である「金神」です。 何も悪いことをしたから罰を与えるというような祟り神ではないと思われます。  悪魔は笑顔でやってくるといいます。 悪いことは「あたかも善いことのように」、本当に善いことは「最悪に」見えるということです。ここにも逆転が生じています。参考:バカボンのパパ「賛成の反対なのだ~」聖書の中で、何故これほど人を殺すのか

何故、「艮」(うしとら)という祟り神が東北をさす“鬼門”(きもん)の方位に出入りするのか、いずれわかるかも知れません。

 

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物質とエネルギーの簡単な同一性について

先般、「弧理論によるE=mc^2の解釈と物体の運動」という記事を書きましたけれど、もう少し細かく見てみます。

いつも引用するある科学者は次のように述べています。

あなたがたの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーの簡単な同一性をまだ充分に把握していない点にあります。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授は、ずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的にあらわした数式を発表しました。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達しています。つまり物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなると言っていますが、実際は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎないのです。(下線は管理人による)

One of the principal obstacles to the rapid progress of your science is that your scientists have not yet fully grasped the simple unity of matter and energy. One of your greatest thinkers, a professor, Albert Einstein, published, many years ago, the mathematical formula which described quantitatively the equivalence of matter and energy. This formula, while perfectly correct mathematically, leads to the incorrect conclusion, that matter is convertible into energy and vice versa. The truth is that matter and energy are merely different aspects of the same entity.

エネルギーとは、wikiによれば

物体が仕事をなし得る能力」を意味したが、その後、自然科学の説明体系が変化し、熱・光・電磁気もエネルギーを持つことが知られるようになり、さらに、質量までがエネルギーの一形態である、と理解されるようになった。(下線は管理人による)

とされています。

物理学では、エネルギーの次元は[ML^2T^(-2)]です。 Mは質量です。Lは長さ(距離)ですからL^2は面積です。 Tは時間ですから、T^(-2)は「毎秒毎秒」でして、単位時間毎(速度)の変化、つまりは加速度です。

物理学でいうエネルギーを読み下すならば、wikiにあるように物体が仕事をなし得る能力、つまり質量mの物体が単位面積あたりに仕事(単位時間毎の変化)をなし得る能力と理解できます。

例えば引力のある地上で

tatasarerusyougakusei図1 こちらから拝借

水の入ったバケツを持って立たされた場合において、その努力感があってもバケツに仕事をなした訳ではありません。ただ立っているだけでは、人が仕事をしたことになりません。 引力があろうとなかろうとバケツを動かそうとする時(加速時)と静止させようとするとき(減速時)に物理学で定義されたエネルギーが存在すると考える訳です。

様々な形態のエネルギーが存在するのですが、物理学で定義されるエネルギーを一言でいうと、「物体を動かす能力」であって、エネルギーとは運動そのものを示しています。

 

冒頭のある科学者の言葉、「物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎない」は、次のように理解できます。

20140421E軸上の実体図2

いま、我々のいる3次元物理空間を一次元のM軸とします。M軸に直交するE軸を考えると、E-M軸平面上に実体が存在します。 実体が持つ値 E2真のエネルギーとします。実体が持つ真のエネルギー値E2がM軸に投影されることにより質量mを持つ物体が位置を伴って現れます。

次いで、物体が運動する場合を考えます。

20140421運動の状態図3

物体が運動するとき、実体がM軸に投影される角度θが変化すると考えます。そして投影されることによりM軸にできる線分が物体が持つ運動となります。このときの運動をとします。(注:この運動は時間[T]を含みません。)

そして、ある科学者の言うエネルギーとは図3の実体が持つE2あるいはE’を示していることに気付きます。そして、物理学で定義されたエネルギーは運動であるということになります。 同じエネルギーという言葉を用いていますけれど、全く異なるモノだということです。  驚くことに、運動する物体は静止時より真のエネルギー値より低くなるのです。真のエネルギー値の変化をΔEとすると、

ΔE=E2-E’

であって、ΔEが物体の運動として現れるということになります。 物理学でいうエネルギーとは実体が持つΔEが運動として現れたモノです。

ある科学者は用いる言葉の定義を意図的に明示していないということになります。何故なら我々が自ら学ぶべきことだからです。

管理人自身、この違いを明示的に意識するのにとても時間が必要でした。


ここで、物理学でのエネルギー[ML^2T^(-2)]の話に戻ります。

数学者岡潔は、講演自然科学は間違っていると述べました。 特に【2】自然科学者の時間空間において、次のように述べています。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。(下線は管理人による)

箇条書きにすると、自然科学者は

  1. 時間を表そうとすると運動を使う。
  2. 運動は時間に比例して起きると決めてかかっている。
  3. そういう時間が在ると思っている。
  4. そういう時間というものはわかると思っている。

さらに岡潔は言う。

  • 人は時の中に住んでいる。
  • 時には現在、過去、未来がある。
  • 時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。
  • 時の過去の属性の一つの性質を取り出して、観念化したものが時間である。

岡潔の言葉を管理人がまとめた結果

  1. 運動は時間から求め、時間は運動から求めている
  2. 運動は時間に比例して起きると確認した科学者はいない。
  3. 時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である
  4. 従って計測した時間を現在、未来に適用できるかどうか別物である。

となりました。 特に、1番目と3番目は重要です。

私たちは動き回ることにより時の経過を感じます。 その中で時間の実在を疑いません。 しかし、岡潔の言葉を切っ掛けによく考えてみますと、時間なるモノは実在せず、動きしか存在しないことに気付きます。 図3の運動の記憶、あるいは記録を時間だと思い込んでいるに過ぎないのです。 ですから、1番目に示した様に、運動は時間から求め、時間は運動から求めているのです。 直接わかるものではありません。

実在しない時間を基本物理量とする物理学とは何なのでしょうか。


 

ここで、

E=mc^2

について考えます。左辺の次元は、[ML^2T^(-2)]です。右辺は、質量Mと光速度cの二乗です。cは光の速度ですから、次元は[LT^(-1)]です。 両辺の次元に時間[T]が入っています。

突き詰めて考えると上式は、両辺とも「運動」を記述しているに過ぎません。 何かが変だと感じます。その原因は、恐らく考察の結果である上記の1番目にあると思います。

時間が本当に実在するならば、基本物理量として扱うならば、時間を直接に実験で求めるべきです。

時間・エネルギー・お金に関する過去記事がありますので、右検索欄を使って記事をお読みいただけるとありがたいです。 ただし、同じ題材でも過去記事ほどあいまい・誤りを含みますので、ご了解ください。

 

追記、 物理学が運動の時間変化分をエネルギーと定義している以上、その合算値は常に保存するのは、当然のことのように思えます。

 

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重力制御装置? 3種類は同じモノ

昨日、ネット上を徘徊していたところ、奇妙な装置の動画がありましたのでメモします。

(1) 超発明株式会社のAi On Ice On Iceさんによる

.

動画1

重力制御装置だとのことです。  三つ叉になった棒の先に金属のオモリが付けてあり電動モーターにより回転するというもので、装置がデジタル秤に載せられています。

回転することにより、自重1kgが半分(0.52kg)近くになるというものです。 感想として2点ほど。

1.三つ叉の回転体を取り付けてある電動モーターが秤の上に直接置いてあります。 デジタル秤は磁気の影響を受けますので、電動モーターを上皿に直接置かない方がよいです。 電子式よりバネを使った野菜秤の方が説得力があります。

2.電動モーターに電気を供給するケーブルの処理が気になります。

まあ、普通に考えたら、このような仕組みで重量が軽減するというのは、あり得ません。

 

(2) 先日、佐々木さんに教えていただいたTakashi Tsuda さんによる重力制御装置は

ttp://web.archive.org/web/20080329152410/http://www13.big.or.jp/~redsky/grav/

 

mate写真1

の様に、地球ゴマのコマの片面に真鍮のオモリを貼り付けて

top写真2

としたものを、回転させた独楽をテーブルの上に、恐らく横倒しの状態で置くと

地球ゴマ  動画2(リンク先ファイルをダウンロードの上で、ご覧ください。)

の様に、テーブルの上を滑るようです。動画が荒いので分かりにくいですけれど、そう見えます。

動画2もまた、まったく意味不明なのですけれど、ここで、動画1について既視感がありました。 それは、

(3) 1950年代に活動したUFOコンタクティーで

H Menger写真3 こちらから拝借

ハワード・メンジャーが作った模型(Howrd Menger’s Magnet Motor )です。

061017_0001~0001写真4 こちらから拝借

H_MENGER'S_M_MOTOR_S図1 同じく上から拝借

ハワード・メンジャーの装置が(1)(2)と異なるのは、回転の機構に永久磁石が使ってあるということです。 管理人は、書籍「天使的宇宙人とのコンタクト」から知っていたのですけれど、意味不明でした。

ハワード・メンンジャーが彼のマグネットモーターを動かしている動画が

.

動画3
の5:50あたりから見られます。 図1のU字型磁石を手で左右に振ることで、オモリを回転させているだけです。

ただ、同書に出てくるオムネク某は信じられませんでした。内容から新規性のある話が含まれていなかったからです。(こちらを参照ください。)  本を読んだときには、ハワード・メンンジャーの撮ったUFOがアダムスキーのモノと同じタイプなので何かの意味があるのかも知れないとは考えていましたけれど、装置についてメンジャーが個人的に考案したものだから、何らかの新規性を含むのかどうか疑わしく判断できませんでした。

 

力学的には、3種類の装置ともに回転体の重心が回転軸上にあります。 回転させることにより重心位置が軸上を移動するわけでもなさそうです。意味がわかりません。  ただ弧理論の観点から言えば、回転体の回転軸とE軸は平行ですから何らかの効果があるのかも知れません。(回転により真のエネルギー値が変化するかも、という意味です。)

結局、上の3種類は同じ考え方で作られているということは理解できます。

 

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重力制御&フリーエネルギーは原理が示されねば皆に受け入れられることはないだろう

いろいろ調べていましたところ、興味深い動画がありましたのでメモします。

 

エアー駆動モーターという名称で特許出願されたとの説明があります。

.

動画1 マグネットモーターによるクリーンエネルギー

開発したのは神奈川県の栃平博敏という人のようです。

動画では、仕組みは分かりませんけれど、湊弘平氏の

figminato1図1 こちらから拝借

photominato3写真1 上記に同じ

磁力回転装置を思い出します。

 

このような永久磁石を使ったモーターを開発したという話は数多くて
.

動画2

というのもあります。  昨年あるところで湊モーターが実際に動くところを見たという人にお会いしたことがあります。

確か佐野千遥氏が主張されていたのも永久磁石永久機関モーターでしたけれど、佐野氏は実物を公開されたということはないようです。

 

永久磁石の磁場による吸引反発は、保存力ですので近づいたら元の位置にまで引き離すには同じだけのエネルギーが必要だと考えます。ですから、このような装置からエネルギーを取り出し続けることは不可能だというのが一般的な意見です。

過去にはこれら以外に様々なフリーエネルギー装置が開発公開されています。水で動く自動車など探せば幾らでも見つかります。 そのほとんどが偽物であったとしても、僅かには本物があってもおかしくはありません。

しかし、いくらこのような装置が開発公開されたとしても、ある程度納得できる基本原理が示された上で公開されなければ多くの人が受け入れることはあり得ないと考えます。

でなければ、しかるべき学会で査読を通った論文として発表されるものは受け入れられる余地があるでしょう。 それでも、ほとんど拒絶されるか無視、あるいは非難されるでしょう。 過去において、かなりの数の研究者たちが亡くなっています。  それらの経緯の上で専門家たちが認めるようになるならば、今度は無条件で受け入れることになるだろうと思えます。

結局の所、ほとんどの人は、自分で考えようとせず権威にある専門家たちの意見を丸呑みするか、拒絶・嘲笑するかの2択でしかないのが現実です。  ほとんどの人にとって、未知のことを探求する行為は、錬金術やオカルトとなんら変わりないのです。

ただ、私利私欲からこのような装置を開発している人たちは、気をつけるべきです。 これらの発見に著作権を与え、私有財産として認めることは許されません。すべては、人類の進歩のためにのみ用いられます。 ある筋の話によれば名誉・権力・利権目的で行動すれば、非常に厳しい報復を受けるだろうと警告されています。 他人を犠牲にして利益を得ようとする者がいれば、その眼前で、それは文字通り爆発させると警告されています。

If it is tried to be taken by force, it will retaliate in a very strong manner indeed, and it will literally blow up in the face of those trying to make a profit at the expense of others.

 

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弧理論によるE=mc^2の解釈と物体の運動

弧理論(Ark Theory)による宇宙は全てが必然的に運動することが示されます。 第3者から見たら相変わらず妄想ですけれど、ここ最近の考察です。 このままでは実験につながらないことが残念です。

ある科学者がアインシュタインのE=mc^2について言うには

物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる面にすぎない。(This formula, while perfectly correct mathematically, leads to the incorrect conclusion, that matter is convertible into energy and vice versa.   The truth is that matter and energy are merely different aspects of the same entity.)

とのことです。

20140421E軸上の実体図1

の様に新しくM軸(3次元物理空間を一次元で表す)に直交するエネルギー軸という次元軸を想定します。 そしてE軸上に存在する実体が我々の3次元物理空間(M軸)に投影されることにより位置と質量mを持つ物体となります。 ここで実体の持つ真のエネルギー値E2が投影された物体の質量mとなります。

 

自然科学では、時空間という考えを持っていますが、弧理論において時間軸は存在しません。時間[T]とは過ぎゆく運動の記録に過ぎません。ですから、過去に起きた運動(つまり時間)を未来に起きる出来事(運動)に適応できるかどうかは確認が必要です。このことを確認した人は恐らくいないでしょう。ですから、自然科学における時間を含む運動は使えません。時空間というモデルを持つ自然科学は恐らく近似です。

図1はE軸上の実体がM軸に対して位置を持っているように見えますが、意味はありません。つまり、図1はM軸上の観測者から見たものです。 M軸上に存在する我々は、E軸がどこに存在するかを特定することはできません。(注:ただし回転運動するときのみE軸が回転軸方向に重なると考えられます。)

20140516直交するE軸図2 (例えばxy平面で物体が回転運動する場合、Z軸方向にE軸が重なる)

 

ここでE軸上の実体に視点を移します。すると

20150820M軸は湾曲-コピー図3

の様に、M軸が湾曲したように見えます。 観測者(ア)に対して近傍に位置する物体(イ)が静止状態にあるとします。ことのき(ア)から見た投影角度は概ね90度になります。観測者から見て静止状態とは投影角度が90度を指します。 次に、(ア)から相当の距離にある物体(ウ)を見ますと、投影角度θは鋭角です。つまり、ある観測者から相当の距離にある物体は全て速度を持っていることを示します。このときの運動をと表します。(注:今のところ、時間[T]を含まないで運動を表すことができないでいます。)

弧理論ではE軸上の実体は、図2に示す実体A、B、Cの他に

20151005M軸は湾曲1図4

の様に、G、H、Iがあります。図2と比較すると湾曲が逆になります。 この3種類の実体は

20151005E軸上の9つの実体図5

の様にエネルギーレベルE1を持っています。 実体H、G、Iを併せて6種類あります。(注:事実上直接観測できないクオーク6種と同じ数です。)  投影角度90度、つまり観測者に対して静止状態で安定なのはD(陽子)、E(中性子)、F(電子)の3種類です。 合計9種類が全ての基本です。その他の素粒子は、投影角度が鋭角の静止し得ない寿命の短いものとなります。

図1、3、4並びに図5を合わせると

 

20151005紡錘図形

図6

の様になります。我々のいるM軸上、ある原子を観測者としたとき、6種類ある実体は直接観測できないが投影角度が鋭角な状態を実現しているようです。

よく知られていますように、物質も宇宙空間もその隙間はとても大きくて、「相当の距離」に該当します。つまり、原子の大きさから見てその他の物体は全て運動をもっているということです。 また、惑星から相当の距離にある全ての恒星・惑星・銀河系、あるいは暗黒物質/暗黒エネルギーは運動しているということです。

原子から見て相当の距離にある他の原子や素粒子、あるいはある惑星から見た遠くにある恒星や銀河系が常に運動している理由を弧理論は与えます。

管理人には、原子の大きさに於けるこの状態が物理学でいう自由エネルギーのように思えますし、天文学での宇宙の膨張がこの理由によるように思えます。

このような理由で、自然科学は観測者に対して静止に近い状態にしか適用できないと考えます。つまり、観測者から見て微視的な、あるいは巨視的な物性を時間[T]を含む運動系として記述する自然科学は現象を正しく捉えられないということです。 時間を含むエネルギーも近似になります。

 

余談です。 図1において、E軸からM軸への最初の投影を1回目とカウントすると複数の物体どうしの運動によりE軸上の実体へ影響が及ぶと考え、これを2回目とカウントします。同様に実体どうしの作用が再度M軸に投影されます。これを3回目とカウントします。

20140421積分7回図7

のように1回目の投影から見て②がカウント3ですので、以下④はカウント5となります。 こうして、微視的な現象は最初の投影から数えて1,3,5、7の様に整数で運動が現れます。 微視的には、現象(運動)が離散的にかつ3,5,7のように現れます。 このような構造が運動つまり原子のエネルギーが離散的かつ素数と関係する原因ではないかと考えています。

素空間や素時間など、分析的に探求しても統合的な見解を得ることは難しいと感じます。 やはり宇宙は万華鏡のような構造をしているようです。

 

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単極誘導モーターにおける水銀の盛り上がりについて 追試

水銀を用いた単極誘導モーターの内、同軸二重反転の単極誘導モーターでは、同軸二重反転の水銀の渦ができるとともに内側の水銀がネオジム磁石に乗り上げることを報告しましたが、今回、以下の通り追試を行いました。

先般報告しました実験

.

動画1

においての条件は次の通りでした。

電極は、中心軸(-)、外側電極(+)としまして、銅仕切り板には無接続です。 そして、内側の水銀をA、外側の水銀をBとしたとき、二重反転で水銀Aが盛り上がりました。 これを二層型とします。

これでは、一層(水銀A)のみのときの状態がわからないので、今回、下記のとおり追試を行いました。

まず、動画1と同様、二重反転で水銀が盛り上がることを確認します。

vlcsnap-2015-10-02-09h06m35s202写真1

中心軸(+)、外側電極(-)、銅の仕切り板(無接続)  水銀Aは時計方向、水銀B反時計方向  ネオジム磁石は渦と同方向に回るとともに、水銀Aが乗り上げました。

次に、電源を逆につないで試しました。

vlcsnap-2015-10-02-09h19m47s264写真2

中心軸(-)、外側電極(+)、銅の仕切り板(無接続)  水銀Aは反時計方向、水銀B時計方向  ネオジム磁石は渦と同方向に回るとともに、水銀Aがネオジム磁石に乗り上げました

 

電流の方向によらず、水銀Aがネオジム磁石に乗り上げるというのは、逆にネオジム磁石が沈んでいると考えた方が本当らしいと気付きました。  渦は、回転とともに中央がへこみます。すると水銀の上に乗っているネオジム磁石は、自重を支える面積が小さくなり落ち込むことによって、沈み込むと同時に、仕切り板に盛り上がった水銀がオネジム磁石を越えているということです。結果、水銀が乗り上げているように見えるということのようです。

そこで、動画1では比較していなかった、中心軸(-)、銅仕切り板(+)という組み合わせで実験しました。

vlcsnap-2015-10-02-08h42m06s428写真3 水銀Aの回転とともに仕切り板(+)を乗り越えて外側(水銀Bの領域)に溜まった

その結果、ネオジム磁石は水銀Aの渦と同方向に回るとともに水銀が乗り上げました。 正確にはネオジム磁石が水銀の渦のへこみに落ち込むということが分かりました。

考えてみれば当たり前の結果なのですけれど、一人で考えていると中々わからないものです。思わぬことから長い期間停滞していたのだと感じました。 昨日の記事のとおり、改めて仕切り直すことにします。

追記

複雑な仕組み(システム)は構築や維持・管理が困難です。事故の確率も高まります。既に進歩は止まりつつあると言わざるを得ません。 どう考えても簡単で容易なシステムに移行すべきだと感じます。そのような切り口があるように思います。

 

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