電磁重力理論

電気磁気現象と重力との間には、何らかの関係があるのではないかと多くの人が考えるようで、世に多くの 電磁重力理論 が存在します。かく言う弧理論も(Ark Theory) 電磁重力理論 と言えます。

 

先日、書棚を整理したところ、故清家新一氏による超相対性理論や「宇宙艇」とともに、写真(宇宙研究所を訪ねた際に撮った先生とのスナップ写真)が出てきました。そういえば、超相対性理論もまた 電磁重力理論 の一つです。管理人が知る電磁重力理論関連の資料を幾つかあげます。

  1. 超相対性理論 (清家新一)
  2. 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 電磁型フォワード・エンジンの検討) (武捨貴昭)
  3. Brief overview of the Honda experiment by using AC voltage impressed to the capacitor (Takaaki Musha)
  4. 電磁場と重力場の関連性について相対論的考察 (ToM)
  5. 電磁場と重力場の簡単な統一 (渡辺 満)

 

5.の渡辺満氏による論文は、改めて清家新一氏について調べる過程で知ったものです。

いずれの理論も重力と電磁気現象との間に何らかの関係があるかも知れないとの推察により組み立てられており、1.は回転する電場によるとの理論です。2.に示されたフォワード・エンジンの理屈がよくわかりません。3.はよく知られる Biefeld-Brown effect (B-B effect)での実験レポートです。4.は電磁気現象と重力との関連性を相対性理論との関係で考察したようです。5.は電磁気現象のより基層と位置づけされるベクトルポテンシャルに注目した考察のようです。

1.について。管理人は2012年~2014年頃まで行った単極誘導モーターの力学的性質を確認する一連の実験を行った結果、単極誘導の現象は本質的な回転運動であるとの認識を持ちました。

電磁誘導は「回す」です。電磁誘導による力は吸引・反発であり、生じる誘導電流は交番電流です。また、この力を利用するにはスイッチング素子やブラシなどを用いて回転運動に変換する必要があります。ベタな表現ですが、これを「回す」と表現します。

それに対して単極誘導の現象は「回る」であり、生じる誘導電流は直流です。電磁誘導は、必ず何らかの変換機構が必要であって、とても効率が悪いです。その最たるものが素粒子の実験に使う円形加速器です。それはLHCのそれでも、日本に計画のあるリニアコライダーでも同じです。投入するほぼすべての電力が無駄になります。

清家新一氏の超相対性理論は、三相交流モーターや誘導モーターの磁気回転運動を電場の回転運動に置き換えたものです。残念なことにこれも「回す」に属します。つまり、とても効率が悪いです。やってみればわかりますが、ノイズの塊です。

3.の実験レポートについて、よく似た実験をやってみたことがありますが、問題が2つあります。一つは電子はかりにはドリフトがあることです。時間の経過とともにゼロ点がズレるようです。もう一つは実験装置から生じる熱により電子はかりの周囲に上昇気流が起き、その影響で軽くなるようです。なかなかに難しいです。

4.について、これまでの考察により相対性理論は最初から転けていますので、論外です。光速度不変の原理が成り立つにはその前に時間がわかっていなければなりません。その時間は物体の運動から作ります。その物体は空間の内にあります。これが特殊相対論の前提です。一般相対性理論は時間空間を規定しています。全体としてこれは循環です。

図1 自然科学の時間・空間は、量ではない時間を元にした循環

しかも、時間は量ではない角度から作りますから、時間は「物」の量ではなくて「事」の質です。岡潔による「時と時間」に関する言葉を考察した結果、時間とは、過ぎゆく運動の記憶に基づいて人が抱く観念に過ぎないのです。時間は時の過去です。参考

ですから、NHKの時報は過ぎてからしか知り得ません。

図2 時間は時の現在を含まない。だから古典物理学は決定論になり得ない。精度の問題でもない。

2.と5.がよくわかりません。2.をよくみると表1に「Heaviside重力理論」というのがあります。 Heavisideに重力の部分があったのでしょうか。これまで調べた流れは次です。

図3 マクスウェルの電磁理論は電磁気学の教科書が作られる前に書き換えられた

1884年にヘヴィサイド・ギブス等によって書き換えられたようですが、その論文がどのようなものか知りません。ヘヴィサイド・ギブスの論文には、電磁気現象の記述に加えて重力の記述が含まれていたのでしょうか。わかりません。ToM氏が示すようにHeavisideの電磁理論には重力が含まれしかも重力に「渦動」という記述があったのでしょうか。但し、図3のヘヴィサイドがToM氏の論文にあるHeavisideと同一人物かどうかは未確認です。

ToM氏の論文には、零点エネルギーとか真空エネルギーという語句が出てきます。かねてより、管理人は「物理現象は差分だ」との考えを持っています。零点エネルギーとか真空エネルギーという語は差分という考えに近いものを感じます。

弧理論もまた電磁重力理論です。説明不十分ですが、参考記事です。

これまでの考察により、電磁気現象は空間にあるポテンシャルによるらしいと感じます。そのポテンシャルを発散トーラスと呼びます。4種類ある発散トーラスを組み合わせたのが楕円双極です。複数の発散トーラスを組み合わせた差分がどうも単極誘導の現象として現れているようです。楕円双極の形状は本質的な回転運動を示します。

それと単極誘導の現象は、磁石の周囲を運動する電子と磁石を構成する原子核との相互作用のようです。つまり、単極誘導の現象は原子力の一種?かと考えます。これならば、単極誘導が持つ本質的な回転運動との考えに納得できます。この辺はまだわかりません。ただこの考え方は電磁気学の外になります。

図4 原子核の存在は、電磁気学成立時には知られていなかった

20世紀前半、原子核(陽子・中性子)が発見されたときに、電磁気学は修正されるべきだったと考えています。


”回る”と”回す”というベタな表現をしていますが、上記の類似点を示す過去記事にあるとおり、一見、区別の付かない加速度には種類があるのではないかと推測しています。重力による加速度と遠心力による加速度は、なぜ加減できるのでしょうか。重力と遠心力は同じですか?違うでしょう。まったくの別物です。

gif 1 人工重力を備えた「宇宙ホテル」が2025年に建設開始予定 宇宙旅行が当たり前の世の中になる?

 

図5 画像でわかる高校数学bot

物理学では、加速度は速度の時間変化です。加速度の記述はただの一種類としか表されません。重力による加速度と遠心力による加速度は、区別は付かないけれども、別物だろうということです。

これでは物理学において、重力と電磁力との間に関係を見いだすことは不可能です。ヘヴィサイド理論にあった(かも知れない)重力を含む渦動をうまく丸めてしまったのが、ルードウイッヒ・ローレンツではないかと考えます。

図5 加速度には種類があるのか

余談ながら、重力(の加速度)に種類があるとするならば、うまく利用できれば惑星間航行が可能になるかも知れません。この点は清家新一氏が示された逆重力という考え方に同意です。


上記のAlexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスクは単極誘導を(直接に)用いていません。磁石と高電圧と回転させる機構(モーター)を持っておりますが、図4に示すように磁石を構成する原子核との相互作用を何らかの方法により利用しているのではないかと推測できます。ただし、この装置は自らエネルギーを補給する機構がありません。

動画1

動画2

それにしても、Heavisideの重力理論、重力の渦動とは一体何なのでしょう。因みに弧理論では「渦が原因で質量と真のエネルギー値が決まり、真のエネルギー値による凹凸により引力と斥力が生じる。」と説明できます。質量2つの斥力を持つポテンシャルの差分のようです。模型で示すと次のアルミホイルと1円玉を使った動画になります。

動画3 引力と斥力

水面(M軸:我々の物理空間)の凸凹が別の次元軸(M軸に直交するE軸)での真のエネルギー値であり、その原因が渦(本質的な回転運動)との考えです。その渦の原因が回すであって、区別が付かない回るとは異なるということです。gif1の宇宙船の説明にある”人工重力”は重力などではありません。

 

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「個の不思量底、いかんが思量する」と「 外のない内 」の関係

先日10月23日の弧理論研究会で用いた資料に岡潔講演録(20)1971年度京都産業大学講義録第6回の【4】禅の非思量があります。一部引用。

あるとき『禅師』が座禅から立ち上った。それで弟子が聞いた。「何をしてられましたか」と聞いた。そうすると禅師は『個の不思量底を思量する』。まだ誰も考えてないところのひとつのことを考えていたのだ、こんなふうな意味です。そうすると弟子は「個の不思量底、いかんが思量する」と聞いた。

不思量というのは、「まだ誰も考えてない」何かです。弟子は「誰も考えたことのない何かをどのように考えるのですか」と聞いたというのです。

「誰も考えたことのない何か」について議論しても仕方ありません。むしろ「考える」ということがどういう仕組みであるかがわかれば不思量底の意味がわかってきます。

岡潔は【1】 2つの心において、次のように述べています。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

 それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。

人には心が2つあるというところから言わなければ仕方がないのです。管理人も弧理論の話を進める前に2つの心について徹底的に掘り下げてきました。この前の研究会でも人に心が2つあり、それぞれどのような仕組みで、どのように働くのかを詳しく説明しました。当たり前に、自然科学教育を受けた私たちにはまったく馴染みがない話ですから、とてもわかりにくいのです。 続きを読む

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E軸(真の エネルギー )の意味

ある科学者の言葉から、別の次元軸をE軸と呼び習わし、E軸上の実態が持つ値を真の エネルギー 値として、物理学上のエネルギー[ML2T-2]と区別してきました。

ある科学者の言葉は以下の通りであり、E軸での真の エネルギー を※1、物理学上のエネルギーを※2とします。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギー※1のかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギー※2の同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギー※2に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギー※2も一つの実体の異なる側面に過ぎない。

E=mcという場合のEは物理学上のエネルギー※2にあたります。彼は”映像”という言葉を用いていませんけれど、明らかに「物理現象は別の次元軸(E軸)からの投影による映像」であることを述べています。そして、我々のいる空間を2次元平面に例えて物質面(M軸)と呼んで次のように解説しています。

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面※1だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギー※1の量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸※1を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギー※2を見るだろう。

図1 面を九十度ほど回転させると視界から消える 続きを読む

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イタコ芸と 自然科学

幸福の科学の大川総裁の長男である宏洋氏が、父親である総裁による霊言について、「あれはイタコ芸だ。」と説明しています。 前置きが少し長いです。

 

映画などのエンターテインメントは、その基礎に 自然科学 に基づく映像・通信技術が根底にあります。 管理人は、これら西洋文明の成果である映画などのエンターテインメントについて、ある疑問を持っていました。

どういう訳か映画の一部門にSF(Science FictionあるいはScience fantasy)があり、その行き着くところおどろおどろしい魔法や魔術、あるいは呪術の世界を彷彿させる物語になりがちです。なぜ科学の時代と言われるなかで、エンターテインメントにオカルトや呪術のようなものを持ち込むのかずっと疑問に思っていました。

よく知られていることに、アイザック・ニュートンは物理学者であるとともに錬金術師でした。端的に言えば、 自然科学 の源流に錬金術があるということです。アイザック・ニュートンのオカルト研究

「呪術 魔法 魔術 錬金術 天文学 化学 力学 → 自然科学 」 という歴史的な流れがあって現代に至ったのです。つまり、当時学者といえどもわからない現象物質の解明に「科学者の分析的な目呪術的な取り組みが混在していたのではないかと推測します。

ですから、中世において現代と同じ科学的価値観や観念を持っていた訳ではなかったと考えます。

ところで、2015年9月8日『G・アダムスキー「ヴードゥー教とコックリさんをしてはいけない」 キリスト教の十字架もサタニストの儀式も同類である』があります。

 

岡潔は、人には心が2つ(第1の心、第2の心)あるとしました。2つの心はヲシテ文献のタマとシヰに等しいです。タマは心の本体です。シヰは”欲しい欲しい”のシヰであり、生命維持の欲求です。

岡潔は「わからないものに関心を集め続ける」と述べています。これは岡潔の思索の方法を具体的に示したもので、第2の心(タマ)の発露を目指した実践方法(弛緩と関心)を言います。最近では、管理人はこれを”待ち受けの状態”といい、仏教で言うところの他力に相当します。

対して、錬金術は呪術・オカルトに端を発し、これらはごく私的な欲求によります。つまり、第1の心(シヰ)から来ています。方法としては、現代もそうであるように”緊張と集中”によるだろうと考えます。

実は、第2の心による思索と第1の心による行為は、外見的にとても似ています静かな思索と対極にある祈祷のようなものです。似てはいるけど、まったく異なるのです。これが当サイトでオカルトやスピ系を避けてきた理由です。

 

大川総裁による霊言が呪術的であり、オカルトの類いであるというのがわかりやすい見方でしょう。ですから、ご本人が本当に信じているのか、それとも演じているのかわかりませんが、宏洋氏の言うようにイタコ芸であるというのは正しいようです。というか大川総裁による霊言はとても現代的だということです。大川氏は現代のシャーマンだということです。

 

以上のように、岡潔が”天才で変人”であると見なされる一因なのですが、本当に理解されにくいです。次の記事が参考になります。

 自然科学 には「創造の仕組み」がありません。

図1 各資料における2つの心を上段と下段に対比(自然科学には創造の仕組みがない)

古い記事で、現在ではもう少し詳しく説明していますが、ご参考まで。

 

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先人が” 如来 ”に気付いたのは言葉の仕組みから?

先人達、特に宗教家は、「管理人が進めている別の次元軸の存在に気付いたから” 如来 ”に行き着いた」という訳でないことは確かです。

では、どういう経緯で宗教家達が” 如来 ”という表現に行き着いたのでしょうか?

やはり、言葉が循環・ネットワークだと気付いたところから来ているように感じます。過去記事に示したとおり唯識に繰り返しが現れると気付いたところからも言葉の仕組みから”如来”に行き着いたように思います。

岡潔は気付いていたかどうか不明ですけれど、彼の次の言葉と如来の意味は同じです。

  • 如来・・・・何々のようなものであり、そのまた「のようなもの」、そのまた「のようなも」、そのまた「のようなも」・・・・と続く。たとえて言うならば、合わせ鏡。
  • 岡潔・・・・自然数の1は決してわからない。

2進数の1は0でない数です。0は1でない数ですから、0と1は合わせ鏡のような関係にあります。

まあ、管理人の進めている弧理論にある”カミの仕組み”にあるアとワも同じです。

  • アはワではない何かであり、ワはアではない何か。

別の次元軸上にある2つの中心”ア”と”ワ”は決してわかりません。

因みにカミの仕組みは以下です。 カミとは、「繋がり・齎もたらし・生じさせる」です。この「カミ」の定義において「何と何が」「つながり」「何を」「もたらし」「何を」「生じさせる」のかについて、補うことにより理解が深まります。 続きを読む

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人類史上最大の 発見

2010年より研究を始めて12年目です。2012年に「The manuscript of survival part 68 5 January 2012日本語版」を知り、以来ずっと気になっていたことがあります。一部抜粋です。

これまで科学者たちは、原子核の中を調べてきました。そして、どんどん小さい物質へ進み、世界を構成する上でこれ以上小さいものは存在しないと思えるレベルまで、見つけました。しかし彼らは、それらの物質が発する光の一部分しか、検出できていません。我々の宇宙全体に広がる、見えない大量のエネルギーを、彼らがダークマタおよびダークエネルギーと呼んでいるのは偶然ではありません。それらの物質は、実際は検出できないことを、あなた方はよく知っています。その通りです。どのような方法によっても、それらを検出することも測定することも許されていません。ダークマターこそが、尽きることなく利用されているエネルギーの唯一の源だからです。それは根源的な永久機関であり、もし、悪の手に渡ったら、いえ悪の脳と言うべきですが、文字通りあらゆる面で大混乱を起こすでしょう。これは、脳によって理解されるものではないのです。何故なら、脳には大きな制約があるからです。人間は脳を、文明を進化させる崇高な考えを生み出す知識の座と考える傾向がありますが、まったく違います。脳は単に、人間を最低のレベルで機能させるための装置に過ぎないのです。

-略-

これまで隠されてきた多くの知識を、これらの男女の頭に植えつけることに成功しています。それらの知識は埋もれないように、”理性”の声として、彼らの頭の中で存在を主張し始めています。知っていますか、知識には活力があり、生命力もあることを。今、我々が言及している知識とは、All there is(創造主)から我々の尊敬すべき僚友を経て、あなた方の勇敢で輝ける魂を通じ、感受性のある数人の選ばれた科学者の精神と心に伝えられたものです。今、それらは根付いて、芽を出したところです。肥沃で、正しい種類の土に植えられたので、急速に成長し、近いうちに息を呑むほど素晴らしい花を咲かせることでしょう。その噂は、最初は、仲間内の小さな輪の中で広まります。
スクリーンや試験管内に表れる実験結果は、説明すらできないような現象です。結果は疑問視され、実験が繰り返されます。しかし、結果は毎回、正確に一致し、信じる他はなくなります。

-略-

発見 を許されるのです。それが、今この時に起こるというのは偶然ではありません。ダークマターに関する知識の貯蔵庫はこれまでもずっと存在していましたが、あなた方が覚醒のレベルを十分に上げた今だからこそ、あなた方の科学者が、その扉を叩くことが許されるのです。あなた方が 発見 するものは、史上あなた方が目にしたあらゆるものの中で、最も闇からは遠いものです。最も純粋な魂、最も純粋な心だけがアクセスを許されるのであり、
偽装して近づく者はたちまちのうちに、それ以上進むのを阻まれます。ですから、安心して下さい。このプロセスにおいて開発されるものは、事態を悪化させる方向で用いられることはなく、あなたにも、あなたの大切な小さな地球にも、何ら害を及ぼしません。

「ダークマターとダークエネルギーこそ根源的な永久機関である」という部分です。このことは2011年に自費で出した弧電磁気論に書いていることです。ヲシテ文献と岡潔を知った2015年以降、次第に見えてきて、先日、10月3日にこの部分の意味がわかりました。

 

以下の前提があれば管理人の理解は正しいだろうし、やがては実験に落とせるのではないかと感じます。

  1. 自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸:物理空間・物質的自然)である。

  2. M軸は境界空間の構造を持つ。

現状、いろいろわからないことが多いし、理解していただくには、弧理論が現在の物理学とまったく異なりますから、無理があるとわかっています。

しかし、この知見は宇宙に終焉は決してないことを明確に示しています。しかも、この仕組みが誰にでも容易に理解できるものだということが意外でした。いつも引用するある科学者の言葉が正しいことがわかりました。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であって、そのために進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易なのだ。

だから幹の上から眺めれば、枝は”枝″として簡単な、理解の容易なものになる。てっとりばやく言うと、君らの科学が進歩し続けるために必要なのは、君たがとまっている枝から枝との分岐点まで降りて、ふたたび登り始めることだ。

”正しく眺めれば、基本的な真理は常に簡単で理解が容易”というのは本当です。また、”科学が進歩し続けるためには、分岐点まで降りて、ふたたび登り始める”必要があると説明しています。自然科学に問題があるのですから、当然のことです。

境界空間の仮説は実に興味深いです。 境界空間の模型を管理人自ら作っておきながら、その意味を理解するまでに結構、時間がかかっているのは我ながら笑えます。


下記の研究会にて、弧理論による物質科学の基本的な事柄について説明の予定です。

日時 令和3年(2021年)10月23日(土) 13時00分~17時
場所 滋賀県立文化産業交流会館
〒521-0016 米原市下多良二丁目137 TEL 0749-52-5111
第3会議室
催物名 弧理論研究会


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10/7追記 冒頭の引用文について、いきなり文全体を信用しているわけではありません。気になったのは「(地球の科学者が)エネルギーの量を正しく求める方法を知らない」とあるからです。

ある科学者が”物質mとエネルギー[ML2T-2]は一つの実体の異なる面に過ぎない”と述べたことと符合するからです。

我々の空間に直交する別の次元軸(E軸)上に実体があります。この実体が持つのが(真の)エネルギー値です。この値がM軸上に映像として現れます。で、映像は物質mと運動{エネルギー[ML2T-2]}という異なる面として現れるということです。これは、冒頭の引用文にある指摘「(地球の科学者が)エネルギーの量を正しく求める方法を知らない」に完全に合致します。

図1 物と事(運動)は一つの実体の異なる面に過ぎない

このことについての古い記事は以下です。そのほかにも関連記事が多数ありますので、気になる語句でサイト内を検索ください。

2012年3月9日 私たちはエネルギーの正しい測定方法を知らないらしい
2015年10月16日 物質とエネルギーの簡単な同一性について

 

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物理学 の”物質”あるいは”質量”という表現は間違っている

2015年頃に数学者岡潔の言葉「自然科学は間違っている」を読んでから考察を続けてきました。そして、昨年頃より 物理学 の”物質”や”質量”という言葉に違和感を持つようになりました。 物質と質量という語について、どうも明治期までに西洋思想の文物が入ってきた際に和製漢語として作られたようです。

自然科学の問題点と限界については下記を参考に。

自然科学は何処までも近似です。その他、右検索欄で”自然科学の限界”で検索すると10件記事があります。

 

これまでの考察の結果、自然は別の次元軸(E軸という。)からの投影による映像(M軸という。)らしいことがわかってきました。

人の感覚でわかるのは物と事です。

物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない

図1

E軸上にある実体(ここではCと呼ぶ。)が投影されてM軸ができます。M軸というのは物質軸あるいは岡潔が名付けた物質的自然をいいます。物と事について、つまり映像を次のように表現します。 続きを読む

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言葉は 自然 を篩(ふるい)にかけるフィルター

自然 を予め規定することは出来ません

岡潔は 自然 科科学者が考える”自然”について、次のように述べています。【3】五感でわかるものより。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。そう感じます。

で、そういう物質が自然を作っている。その一部分が自分の肉体である。

ところが、空間といわないで、時間、空間といいました。だから空間の中に物質があって、それが時間と共に変化するということでしょう。だから物質があれば働きが出る。それで自分の肉体とその機能とが自分である。自然科学者はこう思っています。

これはしかし、自然そのものではなくて、自然の極く簡単な模型だと、そう感じます。

「五感でわからないものはないとしか思えない」というのを唯物主義と言います。その上で、自然科学者は 自然 をわかり切ったものとしていますが、この(わかり切ったものと決めてかかった)自然を(時間・空間)としました。しかし、これは「自然そのものではなくて、自然の極く簡単な模型」だと言いました。つまり少なくとも自然科学者のモデルは「自然>模型(時間・空間)」であるということです。

 

同時に、数学を含む言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環・ネットワークです。度々例えてきた匙とスプーンです。

写真1 上は、スプーンであり、スプーンは洋風の匙 続きを読む

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10月23日(土) 弧理論 研究会開催について(参加者募集)

「 弧理論 研究会」を下記の通り開催します。

弧理論 の原子模型に基づき物質科学について考察します。ご興味のある方で参加をご希望の方は下記宛てご連絡ください。

日時 令和3年(2021年)10月23日(土) 13時00分~17時
場所 滋賀県立文化産業交流会館
〒521-0016 米原市下多良二丁目137 TEL 0749-52-5111
第3会議室
催物名 弧理論研究会
アクセス  JR米原駅 西口徒歩10分くらい
研究テーマ
弧理論にかかる物質科学についての考察です。現時点で考えられる原子模型を示し、かかる概念模型を示した上で、今後の進展について考察します。

これまでの研究は、3つの科学に分類できます。精神科学弧理論による社会科学、並びに物質科学です。当サイトでは、3つの科学を三種の神器(ミクサタカラ)になぞらえています。

ミクサタカラとは、タマ:精神科学、カガミ:弧理論による社会科学とツルギ:物質科学です。3つの科学は、基礎にタマとカガミがあり、その上にツルギ:物質科学があります。

図1

3つの科学は互いに一部重なっており、境界が曖昧な部分があります。これまでの考察によりタマ:精神科学とカガミ:弧理論による社会科学の概要はつかめています。そろそろ3つめのツルギ:物質科学に関して考察を続けて良いころかと存じます。

そこで、今回の研究会では、これまで十分に説明できなかった弧理論の原子模型について、(現在わかっているところまでの)概要を説明し、概念模型について説明する予定です。ご興味のある方は、メールにてご連絡ください。

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時間 とは、E-M軸からの投影の角度の表れである

この 時間 に関する記事には、かなりな前提があります。


数学者の岡潔は 時間 について、おおむね次のように述べています。

  1.  時間 という計量的なものはない。
  2. (自然科学者は)運動に比例して起きると勝手に決めてかかって、そういう時間はあると思って、時間はわかると思っている。
  3. 時には現在と過去がある。
  4. 現在は次の現在に置き換わり過去となる。次々と過去に置き換わり、そういう意味では未来はない。
  5. 時は過ぎゆくという属性があり、その性質を観念化したのが時間である。

これらをまとめると次になります。ただし、以下は岡潔による時間に関する以外の言葉も含んで考察したものです。

  • 時間は太陽が地上にさす光の角度から作る。
  • あるいは、物質の運動、例えばセシウム原子の振動を数えることにより時間を作る。
  • 角度は量ではない。
  • 従って時間は量ではない。
  • だから、時間は10進数による12の倍数。
  • 時間は数で表される”知”であるから「情・知・意」のうち、知識と意識に属する。
  • 時間は時の現在を含まない。
  • 従って、時報は過ぎてからしか知り得ない。
  • つまり、時間は意識を通し、言葉で言えるから第1の心の表れである。

そのほかに岡潔は山崎弁栄上人の言葉を引用し、自然が映像であることを認めています。

  • 自然は心があるために映写される映像に過ぎない。
  • (自然科学は)無から有はなく、有は無へ帰さないという前提でやってきた。
  • ここへきてこの前提を見直す時期にはいってきた。少なくとも幾つかの素粒子は映像と言ってよい

しかしながら、岡潔は「自然は映像」と認めながら、映像の仕組みまで考えていなかったようです。


 

自然が別の次元軸からの投影による映像だということを指摘した科学者がいます。

アインシュタインの特殊相対性理論について、ある科学者が次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

数式とはE=mcのことです。この数式の説明に”映像”という言葉は使っていませんけれども、映像の仕組みについて次のように述べています。 続きを読む

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