日本語 の話者がいなくなれば、人類は滅びる

日本の人口は、約1億2000万人で、そのほとんどが 日本語 を話します。日本語の成り立ちはヨソヤコヱ(48音韻:アワウタ)にあります。

図1 出展:日本ヲシテ研究所

人の感覚でわかるのは、です。物と事にはがあります。そのいずれもが具体です。日常を生活するに衣食住は欠かせません。これが具体です。

ヨソヤコヱは、感覚でわかる具体を物と事にわけて出来ています。物を5つの母音事を10の子音とし、2つ空けてヨソヤコヱ(48音韻)となります。

つまり、日本語を話す人は感覚でわかる具体を基本としており、物や事の重要性を知らずの内に大切にしているわけです。恐らく、日本人の自然観というか宗教観とでもいう「自然とご先祖を大切に」というのは、ヨソヤコヱからきていると考えます。 

 

もっと云えば、日本教の元はこれです。 続きを読む

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改めて、 時間とは何か

既に、 時間とは何か 書き切っておりますが、参考にした岡潔の言葉をもとに整理します。参考にした言葉は次の3つです。

  1. 時間という計量的なものはない。
  2. 運動から時間を作る。
  3. 数は量のかげ。

1.はそのままです。量ではないならば、10進数による12の倍数である時間とは何の数なのかがわかりません。岡潔を知ってからの疑問でした。

2.は時計の機構が持つ運動を針の回転に替え、針が示す角度を時間に置き換えています。で、角度は量ではありません。機構が電子的であれ、原子の運動であっても同じです。

gif1

図1

ですから、1.のとおり、時間は計量的ではないのです。すると、最初の疑問になります。そこで、3.を参考にします。

岡潔は「数は量のかげ」と云いました。ところが、時間は量ではありません。そこからいろいろ思考をたどって今春に気づいたのが以下です。

人の感覚でわかるのはである。

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ヲシテ文献の タマシヰ と物質との関係

ヲシテ文献にある タマシヰ について漸くわかりました。タマは(心の主体)であり、シヰは強いるのシヰで、欲しい欲しいのシヰ、つまり(生命維持の欲求)です。結論を言います。

タマシヰは、一つの実体の異なる面に過ぎない。

結論は出ていたのに今まで気(キ)づきませんでした。これまでの考察により、わかっていることを箇条書きにします。以下については、過去記事を参照ください。

  1. タマシヰは、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  2. 第2の心(情)と第1の心は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  3. 人の感覚でわかるは、一つの実体の異なる面に過ぎない。(この春に気づいた。※↓)
  4. 物質運動は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  5. 時の現在過去は、一つの実体の異なる面に過ぎない。
  6. ヲシテ文献のナサケヱダアワレヱダは、一つの実体の異なる面に過ぎない。(併せてミヤビといい、他人を思いやる心。記憶も司っている。ホツマ辞典P226)
  7. 静止画動画は、一つの実体の異なる面に過ぎない。

7.について、例えば、次図をご覧ください。

写真1

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動画「スプレーのりによる ハチの巣駆除 」を掲載。

依頼により、スプレーのりを使った ハチの巣駆除 に行きました。その際の動画を作りましたので掲載します。

動画1

連日猛暑が続く中、ハチが巣を作っているとのこと。早朝ならば、蜂の活動も低く、ほとんど巣の中にいたようです。

先日も自宅の軒下に10cmほどのハチの巣ができたので同じ方法で駆除したばかりです。依頼のあったハチの巣は、閉じた巣でしたが、自宅の軒下に出来た巣は傘のように開いた状態の巣でした。10匹程度のハチが巣にとまった状態でしたが、スプレーのりを数秒ほど噴射したことで、2匹逃がしたけれど、後は動けなく出来ました。今回の動画では閉じたボール状の巣でしたから、より簡単です。 今回は、出入り口が一つなのでスプレーのり1本で対応できますが、2カ所から出入りできる巣ならば、スプレーのりが2本必要です。

10匹以上群がっている状態だと、この方法では危険です。そのような場合は業者に依頼しましょう。また、高所での作業は転落の危険があります。

 

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米空軍機撮影の UFO 映像 科学として地続きにできる

「米軍戦闘機が撮ったUFO映像「本物」と米海軍が認める」Navy Continues to Track UFOs as Area 51 Raid Still Looms  という記事がありました。

動画1

アメリカが原爆を開発した1940年代より、世界各地で度々目撃されUFO(未確認飛行物体)として騒がれてきたものについて、米海軍は「未確認航空現象(UAP)」と分類され調査されていることを認めたとあります。

「 UFO などインチキだw。いや本当だ。アセンションだ。携挙だ。」などという意見とともに、嘲笑の対象とするなど、大変な混乱が続いてきた歴史があります。正式に認めたからといって70年以上前と状況はまったく変わっていません。

管理人の研究では、自然科学にしっかりとした基礎がないということは既に明白になっています。上記の映像が直接の手がかりになりませんけれども、UFOのなんたるかを研究することの延長上に、地続きとなる科学ができてしかるべきだと考えます。”UFOなどインチキだ!”と嘲笑うのは簡単ですが、思考停止して80年ほど経ちます。


 

  1. 自然科学の(時間・空間)は簡単な模型。自然そのものではない。
  2. 角度から作る時間は量ではない。※1
  3. 自然科学は「物質と力」を粒子(量子)として説明。
  4. 粒子は量子場より。
  5. 量子場とは何かよくわからない。
  6. 人の心の仕組みと働きを度外視している。特に研究者自身を「自然の外」に置いている。←ありえない。岡潔の云う第1の心は、外のない内である。

人の感覚でわかるのはである。物は量で表せる。※2 事は質で表せる。※3

時間は事の質であり、量ではない。自然科学は物と事の区別ができてない。混同している。自然科学は最初からやり直し。

※1 岡潔「時間という計量的なものはない。」 ※2 岡潔「数は量のかげ」 ※3 管理人「数は(事の)質のかげ」即ち情報。

 

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平和 は全人類の間の完全な理解により自動的に得られる

ある科学者は、次のように述べています。少し長いです。

数百世代の間、地球人は” 平和 ・平和”と叫んできましたが平和はありませんでした。彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことは、全く馬鹿らしいと思われるとしても、数百万の人々が、周期的に起こる戦争において、”すべての戦争を終わらせるために”戦って死んでいきました。彼らはどんな直接的な試みによっても平和は決して達成されはしないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばいいかをだれかが知っているとしても、掘ってゆけば得られるような金でもなく、まだすぐ手に入る宝物でもありえません。『 平和 は単に、人と人、人種と人種、国と国、それに全ての人々の間の完全な理解と、カミとして地球人に知られている、あまねく広がる力と英知の副産物として自動的に得られるものです。』そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかし、これが理解されるまでは、どんな努力も成功はなしえません。
完全な理解は依然として地球人の達しているレベルを超えている一方、理解いのいくつかの位相は、私たちの達してるレベルをも依然として超えていますので、人が平和を見つけることができるということは、それが理解できるレベルに達しているときだけのことなのです。

注:原文にある”神”をあえてヲシテ文献に示される”カミ”に置き換えました。(”カミ”は本当のこと。) 下線部分を解釈するに、ヲシテ文献の内の「幾つかの位相が、彼らの達しているレベルを超えている」とするならば、意味が通じると考えるものです。

結局のところ、ヲシテ文献に示されるカミの仕組みと働き、即ちタマ:精神科学(心の仕組みと働きを別の次元軸に求める)と、そこから演繹的に得られるカガミ:社会科学の完全な理解があれば、地球の平和は自動的に得られると解釈できます。

ほとんどの人たちは、手段を目的に替えています。管理人も例外ではありません。2020年7月23日「皆、 本当のこと に興味はない。

 

どういう訳か、2020年は大変な年になっています。参考に次の動画をご覧ください。 続きを読む

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本当のこと とは何か?

ある科学者は、物質とエネルギー[LM2T-2]の関係について次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

時間は物理量ではなく、事の質です。エネルギーは時間を含むので時間を含まない運動と言い換えます。下線部分を言い換えると次になります。

  1. 物質も運動も一つの実体の異なる面に過ぎない。
  2. 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。

2.の解釈は今年わかったことです。人の肉体に備わった感覚でわかるのは、です。まとめると運動は、事であり、事の質とは情報です。で、 本当のこと とは本当の情報ということになります。

では、情報とは何でしょうか。情報を蓄えるには必ずわずかばかりのエネルギー([LM2T-2]、あるいは運動)が必要です。そして情報には質による特性があります。情報の特性は次です。

  1. 情報には発信源がある。これを1次とする。
  2. 情報は拡散する。2次、3次と伝搬する。
  3. 情報は拡散するとともに価値は下がる。
  4. テレビ、新聞等に掲載される情報は3次、4次情報。
  5. 例えば、1次情報に接する内部関係者がこれを利用して金儲けをするとインサイダー取引として罪に問われることがある。

情報は時とともに拡散し、陳腐化し価値は下がります。で、 本当のこと とは、拡散しても価値が下がらない情報と云うことです。そのような事があるのでしょうか。どのような理論、仮に宇宙根源理論、あるいは量子重力理論、その他究極理論があったとします。そのような理論にかかる情報が拡散しても世の中何もかわりません。つまり、その理論は究極理論と云いながら、 本当のこと が含まれていないのです。

本当のこととは、拡散、伝搬しても価値が下がらない情報のことです。時事問題、経済、金融、政治等など、どんな重大事も時の経過とともに必ず風化していきます。拡散しても価値が変わらない情報とは、(たぶん)フリーエネルギー、あるいは重力制御に関する情報とか、人の心の仕組みと働きなどに関する情報だと感じます。逆に言えば、古今東西、太古より伝わり変わらない情報に 本当のこと が含まれているように思います。ただ、誰もその価値に気(キ)づかない状況です。皆、本当のことに興味がないのです。

 

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科学の元 ”わかる”の過程について

既出として、”わかる”には2つあります。

  1. わけることによりわかるとする還元主義
  2. 何となくその趣がわかる

人の五感でわかるのは、物や事です。そのわかり方には、2つのわかり方があるということです。

自然科学のわかり方は1.によります。しかし、科学の発達は2.によります。その2.によるわかり方の過程についてです。それが、前回の記事にある”気(キ)づく”です。

 

岡潔は「わからないものに関心を集め続ける」、「やがて努力感のない精神統一に至る」「情的にわかり」、「それを知的に言い表すことにより文化はできてくる」と述べています。

簡潔に書いていますが、若い頃からの積み重ねによって言い表せるようになったと感じます。その過程について春宵十話に出てきます。引用したサイト(生野学園2017年8月)がありますので、そこから引用します。

岡潔は、ある数学の分野で当時はまだ誰にも解けなかった難問にチャレンジすることを決意したのですが、さすがに難しく、毎日朝から晩まで考えても全く手がかりもつかめません。
そんな状態が3ヶ月も続き、もうどんな無茶な、荒唐無稽の試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっているとはじめの十分ぐらいはなんとか集中できても、あとは眠くなってしまう状態になったそうです。

そんな時に友人に誘われて夏休みを北海道で過ごすことになったのですが、問題の方はあいかわらずで、夏の間は借りた部屋のソファーでほとんど寝て過ごしてしまったそうです。
岡潔はこの時のことを「(知人に)嗜眠性脳炎というあだ名をつけられてしまった。」と書いています。

ところが9月に入り、いよいよ帰らねばと思ったとき、朝食のあとふと考えが一つの方向に向いて内容がはっきりして、どうやって問題を解いたらよいかがすっかりわかってしまったそうです。

そしてその時の喜びを、
「このときはただうれしさでいっぱいで、発見の正しさには全く疑いを持たず、帰りの汽車の中でも数学のことなど何も考えずに、喜びにあふれた心で車窓の外に移り行く風景をながめているばかりだった。」 と書いています。

さらに、この経験について 「全くわからないという状態が続いたこと、その後に眠ってばかりいるような一種の放心状態があったこと、これが発見にとって大切なことだったに違いない。」、「緊張と、それに続く一種のゆるみが必要」と述べています。

一言で言うと「弛緩と関心」です。管理人がこの言葉を知ったのは高校生の時でG・アダムスキーの本からです。一朝一夕に実践できるものではありませんけれど、岡潔が「計算も論理もない数学」と表現したのはこのことです。 真似て云うならば「計算も論理もない科学」です。 ほぼ理解してもらえない手法ながら、わかりやすく云うと「気(キ)づく」です。 数学ならば計算することで検証できますが、管理人の図形や文章で表現したものは検証できないので説得力がないです。 科学の元 は気(キ)づくです。

現状、一部の芸術家が実践していますけれど、一番遠いのが1.の手法を用いている自然科学者です。1.の緊張と集中により行き着くのは「抽象」です。そこには混沌しかありません。人は1.によりわかっているのではありません

補足として、1.は時の過去で、「動画がわかる」で、それには記憶が必要です。(身体性)そのわかり方は、意識を通し言葉で言えるもので、生命維持の欲求です。 2.は時の現在で、「静止画がわかる」ということです。そのわかり方は意識を通さず言葉で言えないもので、心の本体です。

図1

要するに、科学するとか数学する、あるいは芸術するというのは、心の本体による活性の発露ということです。どんなに精密、緻密な論理であっても抽象では無意味です。

それにしてもツルギ:物質科学の切っ掛けがありません。ヒントは出そろった感があるのに。難しいです。「もうどんな無茶な、荒唐無稽の試みも考えられなくなってしまい、それでも無理にやっているとはじめの十分ぐらいはなんとか集中できても、あとは眠くなってしまいます。」 発散トーラスを組み合わせる楕円磁場(双極)のアイディアをヲシテ文献のフトマニ(モトアケ)から得たのですが、さすがに荒唐無稽なので自身で受け入れがたく、戸惑っています。ほかのヒントとの整合性が問題です。物質 科学の元 です。

 

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人に気(キ)づくことを強制できない。

岡潔の「わからないものに関心を集め続ける」というのは、わからないから考え続けるのであって、わからないものがあるかどうかさえ考えが及ばないのは、どうしようもありません。

岡潔は「情・知・意」の順に働くと云いました。は、「意識を通し言葉で言える」ものですが、情は意識を通さず言葉で言えません。情がなければ、何事も始まりません。「わからないもの」の有無に考えが及ばないのでは、何も始まらないのです。

岡潔は「情・知・意」の順を云いましたが、人にを強制することはできません。どうもがいても意味をわかっていただけないのです。

 

面白いことに、日月神示には、該当する部分があります。一部引用します。ひふみ神示 第八巻 磐戸(一八十)の巻より。

第二帖(二三八)
つけてくれよ、がもとざぞ、から生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはざぞ、総てのもとはであるぞ、(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。十二月三十一日、の一つ九

 

強調は管理人による。 とは、ヲシテ文献の「キ(東)・ツ(西)・ヲ(中央)・サ(南)・ネ(北)」のキです。漢字で書くと(気)です。日の昇る東(キ)です。命でありパワーであり、エネルギーの源というです。

図1

岡潔は「情」と云いましたが、ヲシテ文献ではトのヲシテですし、日月神示では気(キ)です。日月神示で最も力説しているのは、皆に気(キ)づくよう促しているのです。人から気(キ)づくよう強制することはできませんけど、日月神示ならOKです。

「気(キ)づく」ならば、現代人の誰でも意味がわかります。「がもとざぞ」ですから、日いずる我が国、ヒノモト(日本)に通じるのです。

図2 別の次元軸上にある中心が「ア」と「ワ」。「ア」は日月神示の「○+ゝ」に同じ。

は大宇宙の中心であるより来ます。岡潔のは、ヲシテ文献の心の隋心であるナサケヱダに同じです。情は「時の現在が(映像として意識を通さず言葉で言えないが)わかる」です。

人は、わけることによりわかっているのではありません。朝目覚めて、気(キ)づいてから漸く意識するのです。

 

「心の仕組みと働きを別の次元軸に求める」というのは、上記のことが事実だと認めることです。現在までのところ、そうとしか思えません。

 

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このまま 人類は滅びる が、防ぐ方法はある。

岡潔は、「世界は間違った思想の洪水である。このままでは 人類は滅びる 。」と述べました。岡潔は、何がどのように間違っているかを大雑把に述べています。

  • 自然とはこうだと決めて、これを科学したものの寄せ集め。
  • 人文科学・社会科学・自然科学の内、自然科学が怪しい。
  • 自然科学の時間・空間は簡単な模型。
  • 時間という計量的なものはない。

既に、時間は、物の量ではなくて事の質(情報)であるとわかっています。次に、各々が「自然とはこういうものだ」と決めつけて科学した「各々の科学」は、どのようであるかを整理しました。その上で、人類の文明はどの方向へ向かっているかを検討しました。それが次図です。

図1 ここで示す「ツルギ:社会科学」は「人文科学・社会科学・自然科学」の社会科学とは異なる。

訂正9/8 図1表題に誤りがありました。誤(ツルギ)正しくは(カガミ)です。

横軸に「具体~抽象」縦軸にその複雑さをとっています。岡潔の2つの心は、ヲシテ文献のタマシヰに同じです。心の主体であるタマが「わかる」のは映像として、その趣がわかるというものです。そのわかり方は意識を通さず言葉で言えません。 方やシヰの「わかる」は、「わけることによりわかるとする還元主義」と「五感でわからないものはないとしか思えない唯物主義」です。そのわかり方は、意識を通し言葉で言えるものです。

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