科学 を統一するという発想は間違い

先日の記事にて、「自然科学は応用の一つに過ぎない」と述べました。 さらに 科学 を統一しようという発想自体が間違いです。

統一科学ということばがあります。以下に引用します。

物理学主義 physicalismともいう。ウィーン学団に属する R.カルナップ,O.ノイラートらが唱えた論理実証主義的な立場の主張。彼らは,物理学的言語は普遍言語であって,単にいわゆる自然科学だけではなく哲学や心理学などのいわゆる精神科学の命題もプロトコル命題 Protokollsatz (検証可能な原子命題) に還元され,物理的言語で表現され,物理学的命題から構成されうるとして,従来の新カント派などの科学の区分に反対して,個別科学を一つの統一的科学としてとらえようとした。

より簡潔な別の解説は以下です。

すべての科学はその方法において一つであるという認識に立ち、論理実証主義の立場から物理学を基礎にして諸学を統一しようという主張およびその運動。

”その方法”とは、還元主義と唯物主義です。それぞれは以下です。

  • 還元主義・・・・物や事を「わけることによりわかる」とする
  • 唯物主義・・・・数学者岡潔によれば、「五感でわからないものは無いとしか思えない」というもの

統一科学とは、還元主義と唯物主義による物理学を基礎にして統一しようということです。 しかし、その発想自体が間違っています。

人が物や事をわかるのは、「わけることによりわかる」のではないですし、人の肉体に備わった五感でわかる物や事には、あきらかな限界があります。

で、肝心の物理学はといえば、究極の素なる粒子素なる領域素なる時間を求めつつ、4つの力を統一しようと努力が続けられています。

表1 続きを読む

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弧理論による原子模型は 制限のある 三体問題 になる

最近は、原子模型を 三体問題 として考察を続けています。 元号が令和に入って直ぐに2つの発散トーラスを組み合わせた楕円磁場の意味がわかりました。(正しい形状に気付きました。) 楕円磁場をこれまで誤解していました。

図1

正負2つの発散トーラスを組み合わせた楕円磁場について、これまで次のような図で説明していました。

写真1

これが誤りでした。正式な形状を示す模型と説明はまだできていません。 しかし、楕円磁場の理解により考察は、弧理論による原子模型へと移っています。

フリーエネルギー研究者のトム・ベアデンによる手紙にあった「ヘヴィサイドが発見した回転性電磁エネルギー流」がこの楕円磁場のことであるとほぼ確信しました。一部引用します。

ヘビサイドは比較的小さな発散性ポインティング成分に加え,あらゆる電池や発電機の端子から放出される巨大な回転性電磁気エネルギー流を発見しました。このヘビサイド回転成分の大きさは,比較的弱いが発散性であるポインティング・エネルギー流成分よりも 1 兆倍以上も大きいのです! 任意の座標系(特殊相対論の状況)において,回転の発散はゼロです。そのため,通常このヘビサイド成分 – 発電機のシャフトを回す単位時間当たりの機械的エネルギー入力の 1 兆倍以上 – は,何かと相互作用を起こすことも,また外部回路に発散していくこともありません。代わりに,それはただ空間に向かってうなり続け,浪費されます。

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自然科学 は応用の一つに過ぎない

自然科学  は、「人の五感でわかる」という働きを自明のこととした上での応用に過ぎません。

数学者岡潔は人が持つ「わかる」について、講演録の「【4】 何故見えるのか」で次のように述べています。

 自然科学 、さらに詳しくいえば医学です。医学は、見るということについて、どう言っているかというと、視覚器官とか、視神経とか視覚中枢とか、そういった道具があって、この道具のどこかに故障があると、見えない、そこまでは言っている。

 しかし、故障がなければ、何故見えるのかということについては、一言半句も言っていない。即ち、これも物質現象の説明にとどまる。眼をふさぐと見えないというのと同じことです。

 それでは、人は、何故眼をあけると見えるのか。大抵は、これについて疑問すら抱かない。知らないということも知らないのです。

また、「【 4】 自然科学 と生命現象」では次のように述べています。

自然のできるだけ簡単な模型を考えて、その中を科学するということは、知ってやってるのだとすれば確かに一つの研究方法に違いない。知らずにやってるんですけど、それでもある結果は出るだろう。

人は生きている。だから見ようと思えば見える。何故であるか。自然科学はこれに対して本質的なことは一言も答えない。

余計なことはいっています。視覚器官とか視覚中枢とかいうものがあって、そこに故障があったら見えないという。故障がなかったら何故見えるかは答えない。だから本質的なことは何一つ答えられないのです。

いずれも下線は管理人による。 人の「わかる」について、岡潔の述べた言葉とヲシテ文献の一文を元に参考に考察したのが次図です。

図1 物や事の現在と過去が「わかる」のは、心の仕組みと働きによる

前回記事の末尾に「 自然科学 者、殊に物理学者たちは、家族や食事をモザイク(素粒子の寄せ集め)として観ているのか」という皮肉を書きました。

人が映画やテレビ、あるいはモニターにオレンジを観ても変化するドットの寄せ集めとは観ません。

写真1

写真2

「見える・聞こえる・嗅げる・触れる・味わえる」のは、岡潔の云った「人が持つわかる」があるからに他なりません。決して自明ではありません。

ですから、人の「わかる」が自明のこととして「(部分を)科学した寄せ集め」に過ぎない 自然科学 は、基礎ではありません。自然の一部を応用したものに過ぎないです。 岡潔は、「【1】 このままでは人類は滅びる」でこう述べています。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。 ・・・・  大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です。

やはり、人の心の持つ「わかる」の仕組みと働きは、{物質的自然をして「別の次元軸からの投影による映像」だと考える}以外にあり得ないようです。 人の心の持つ「わかる」の仕組みと働きがなければ、テレビやモニターに映る物や事は、ただの「変化するドットの寄せ集め」としか認識できないはずです。

以下は別の話です。

人が物や事現在過去が「わかる」のは、心の仕組みと働きによります。対してAI(人工知能)は、ドットの寄せ集めを解析したに過ぎません。これは脳と同じです。 ただし、人工知能は「人のわかる」の仕組みと働きを持っていません。脳も人工知能も「意識を通し、言葉で云える知識(情報)を処理する」働きしかありません。意識を通さない言葉で云えないがしかし、物や事が「わかる」仕組みと働きは、別に在るはずです。何となくその趣がわかる仕組みと働きは、脳にも人工知能にもありません。

岡潔は、心の仕組みと働き、即ち「第2の心は頭頂葉に宿っている」と云いました。「【2】 第2の心と大脳」を参照ください。 この点について、管理人と認識の違いがあります。「わかる」の仕組みは別の次元軸(E軸)にあると考える点です。

岡潔の頃に人工知能は存在しませんでした。 仮に当時、人工知能があれば、岡潔は心の働きと仕組みについて、人工知能と脳を比較して何かを発言したことでしょう。脳を模して人工知能を開発したのですから、違いを明確にする必要が出てきます。

人は結晶ではありませんけれど、もし人の肉体の(原子の)構成が結晶に似て「回転軸がある程度、一方向に揃っている」ならば、軸方向にE軸は重なりますので、肉体からE軸へアクセスできると考えられます。

図2 E軸は、常に運動と直交している。

E-M軸の定義は、「E軸は物質の運動に直交している」とするものでした。物質の任意の運動に対してE軸の方向を特定できませんけれど、XY平面内で回転運動する場合のみ、回転軸(Z軸)方向にE軸は重なります。 仮に人の肉体の構成が結晶に似て「回転軸がある程度、一方向に揃っている」ならば、軸方向にE軸は重なると云えます。

図3

人がZ軸方向に非対称なのは重力が原因だと考えられますけど、人の肉体に何らかの回転軸があると見るならばZ軸方向に非対称なのは納得できます。岡潔が頭頂葉と云ったのも偶然ではないような気がします。 身体の上下方向に真のエネルギーによる勾配が存在するかも知れません。

 

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力は 遠隔作用 による(と考えるしかない)

現在の物理学では、力は近接作用だと説明されますが、どうも 遠隔作用 としないと無理があります。

前回の記事で、200種ほどもあるとされる素粒子群は、3種類ある基本粒子(陽子・中性子・電子)の影だと考えられると述べました。 だから、物質粒子である素粒子群は、常に3の整数倍に整理できるのです。今後、さらに強力な素粒子加速器が建設されれれば、新たな素粒子群が発見されて、その整理には、3の倍数である12×2=12種類に整理されるはずと考えます。

写真1 出典:失念

では、力を伝えるとされる素粒子はというと、これが問題です。

図1 出典:失念

力は近接作用だとされます。力を伝えるのは大きく4種類あるとされる素粒子です。物質に質量を与える粒子もあるとされます。 2013年から2015年頃まで主にファラデーの単極誘導モーターについて実験を行いました。その結果、「物と物が接する」ということは、どういうことなのかを強く意識しました。その内に量子もつれと量子もつれの突然死について考える様になりました。 サイト内を検索すると「接する」という語に対して33件、「量子もつれ」には28件がヒットしました。いずれも2014年からの記事です。

弧理論の基本は概ね次です。 続きを読む

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素粒子 は基本粒子の影に過ぎない

自然科学の物理学に於いて、  素粒子  は、物質の最も小さな構成要素だとされます。2019年4月10日の記事「素粒子物理学はどれくらい抽象か」に於いて、「時間は物理量ではない。だから、 素粒子 物理学は具体ではなくて、抽象に過ぎない」ということを書きました。

この「素粒子物理学は抽象である」という考えは、かなり前から持っていました。では、素粒子加速器にて観測されるいわゆる”素粒子群は、一体何なのか?”と問われるとうまく答えられませんでした。

以下は、これまでに何度も書いてきた万華鏡の映像を例え話として「素粒子物理学者たちが観測している素粒子群は、基本粒子(陽子・中性子・電子)の影に過ぎない」ということを説明します。

 

下図は、2016年5月24日の記事『「量子もつれ」について』で用いた万華鏡の映像です。因みに当サイト内を”万華鏡”で検索すると21件の記事がヒットします。

図1

この万華鏡の映像は、黄色い○印を中心にした対称図形です。今、赤いAの図に注目します。その繰り返しとして、少し離れた位置にA’ が確認できます。更に左側には薄く赤い図形を確認できます。これをA’’とします。周囲には、さらに暗いA’’’があるはずです。

これを例えとして、図形Aが基本粒子であり、A’ あるいはA’ ’は、基本粒子Aの影に過ぎないことがわかります。この考え方を延長すると「 素粒子 群は3種類の基本粒子の整数倍だけ現れて、整数倍の群に整理できる」ことが理解できます。 力の粒子は、まは別の話です。

図2 出典:失念

拙い例え話ですが、このような考え方は「数学者岡潔が紹介した山崎弁栄上人の話」に合致します。

山崎弁栄上人いわく、「自然は心があるために映写されている映像に過ぎない」とのことです。 【3】 西洋の唯物主義 【5】自然は映像 を参照ください。  これまでの考察により、『物質的自然(弧理論で云うM軸)は、別の次元軸(E軸)からの投影による映像』だと考える以外に人の五感でわかる物や事を合理的に理解する方法が無いとわかっています。

素粒子の質量(GeV/c)には、時間が含まれていますので、正しくないです。

余談です。そういえば、過去に時間が物理量ならば、「宇宙絶対時があるはずだ」と書いた記憶があります。時間が物理量であるならば、時間は一意であるはずです。誰が何処でどのようにしても同じにならなければなりません。例えば、机の大きさです。真値はわかりませんけれども、最確値はあります。誰が机の大きさを測っても必ず同じ大きさ(真値)に近いはずです。

このように、時間が物理量であるならば、魚の鱗や耳石あるいは、樹木の年輪などに似た宇宙の始まりを示す絶対時がわかる現象があるはずです。 (そのような物は無いと確信しますが)月の裏側でも日本でも同じ時間でなければなりません。  しかし、協定世界時に9時間を足したのが日本の標準時です。これだと時間は一意ではないです。だから時間は物理量ではありません。(岡潔「時間という計量的なものは無い」) 【5】 情の特色 を参照ください。時間は運動(による角度)から作りますが角度は量ではありません。

人が物や事を五感でわかるということの本質に関わるとても大切な話です。この辺りが弧理論による3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)における、精神科学と物質科学の接点です。

 

追記5/29 自然科学は上記の万華鏡の映像を見えるがままに解析したものに相当します。知ってのとおり万華鏡は、見えるままがその構造や仕組みではありません。どういう訳か現象が確率的に起きるという点では万華鏡とも似ています。

弧理論は、自然科学を包摂しています。例えどんなに奇妙に思えても(自然科学)より大きな仕組みの内にあるはずです。でなければ小手先の仮説で次へ進める訳がありません。 物質的自然が循環である以上、微細な構造に循環が入り込んでいるという考えは、至極当然のことと思えます。

 

実は、正負2種類の発散トーラスを組み合わせた楕円磁場の解釈がこれまでの考察より進みました。(注:磁場とはいっても、電場・磁場とは異なるものです。) これにて原子の構造のおおよそがわかります。(弧理論ではヘリウム原子はわかるけど、水素分子が謎です。) ただ幾つもの疑問があり、かつ仕組みの根幹にこれまでの常識では考えられない部分があります。今のところ自身が受け入れられずにいます。

トム・ベアデンが手紙で指摘した「ヘヴィサイドが発見した回転性電磁エネルギー流」と同じ構造をしていることがわかりました。さらに、その先にフリーエネルギーの仕組みがあるらしいことがわかってきました。

図3 発散トーラスを組み合わせた楕円磁場(上図)にかかる解釈を一部変更しなければならない

手紙から該当部分を一部引用します。

ヘビサイドは比較的小さな発散性ポインティング成分に加え,あらゆる電池や発電機の端子から放出される巨大な回転性電磁気エネルギー流を発見しました。このヘビサイド回転成分の大きさは,比較的弱いが発散性であるポインティング・エネルギー流成分よりも 1 兆倍以上も大きいのです! 任意の座標系(特殊相対論の状況)において,回転の発散はゼロです。そのため,通常このヘビサイド成分 – 発電機のシャフトを回す単位時間当たりの機械的エネルギー入力の 1 兆倍以上 – は,何かと相互作用を起こすことも,また外部回路に発散していくこともありません。代わりに,それはただ空間に向かってうなり続け,浪費されます

下線は管理人による。2種の発散トーラスを組み合わせて楕円磁場を作ると発散はゼロになります。これが新しい解釈です。(解説図は省略します。まだうまく説明できるモデルができてません。) この楕円磁場により”ただ空間に向かってうなり続け,浪費”される構造が原子の内部にあるのです。当時は原子の構造がまだわかっていませんでした。 発散トーラスは、井出治氏によるトランス(超効率インバーター)にかかる正の起電力仮説を弧理論の考え方を適用することにより見いだした「距離の7乗に逆比例する力の場」をいいます。途轍もなく強力だが到達距離は極端に小さい力の場です。

単極誘導の現象はその(原子の構造からくる)差分であるらしいです。マイケル・ファラデーが発見した単極誘導は、微弱ですけど物質の成り立ちに関係するとても重要な現象である可能性が高いです。それと現代に於いて、電場・磁場より本質的な現象だとされるベクトル・ポテンシャルは、楕円磁場が作る差分である可能性があります。

これまでの考察によれば、電磁気学の成立する1800年代中盤頃に起きたことと関係します。当時の物理学者たちが金融資本家より命じられて修正し、削除しようとしたのはマイケル・ファラデーの単極誘導だろうと思います。たぶんそうです。

写真1

図4 ヘヴィサイドが発見し、ルードウッィヒ・ローレンツが消したのだろうか?現代科学史最大の闇

いつも引用するある科学者がわざわざ特定の個人名(アインシュタイン)を引き合いに出してエネルギーの本質について語ったことにとても違和感がありました。歴史的経緯がその違和感の原因であったと感じます。ある科学者が云ったエネルギーの本質にかかる部分を引用します。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

数式とは、E=mcのことです。ある科学者は、アインシュタインの解釈が間違いだといいます。素粒子の質量(Gev/c)が正しくないというのは、ここから来ています。重ねて時間も物理量ではないという点において、二重で間違っています。

研究の肝心な部分でありますから、時間をかけて考察に取り組みます。

 

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クラインの壺 を自作3Dプリンターで印刷

中華部品を集めて自作した3Dプリンターの設定がだいたい煮詰まったので、クラインの壺を印刷しました。 データはネット上のものを使わせていただきました。オリジナルは高さ20cmくらですので、1/2にしています。積層は0.3ミリピッチです。

.stlデータをslic3rに読み込んで大きさを1/2にして、スライスします。

pronterface に読み込んでエラー無く表示できるか確認した上で、SDカードにコピーします。

後は、スタンドアロンで印刷しました。

先日のトラブルシューティングの際にベンチマークでボートを印刷しました。その際にわかったのはオーバーハングと膨張&収縮です。

クラインの壺も印刷から5ミリくらいまでのオーバーハングが一番の問題だと予想していました。だいたい予想の通りでした。 以下、印刷中の写真です。

フィラメントの一部が宙に浮いています。 続きを読む

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「 ローレンツ力 には2つある」ことについて

フリーの物理学者である井口和基氏のブログを時折読みます。最近、以下の記事が気になったのでメモします。

2019年 05月 16日の『思わず買った学研ムー6月号:「UFOの電磁的飛行原理」と「保江邦夫の超常現象事件簿」 があった! 』より一部引用します。

問題の松島仮説では、「ローレンツ力を使う」ということだが、ここで注意しなければならないことは、ローレンツ力には2つあるということである。

実は、マックスウェルとヘヴィサイドのオリジナル方程式には存在したが、現在のマックスウェル方程式からは脱落した項が存在するのである。

電流Jにも2つある。いわゆる直流電流と交流電流である。

ここにも厄介な混乱があるわけだが、電流は荷電密度ρ✕速度v=ρvと書かれる。これが直流電流に対応する。電荷-eの電子が速度vで直線運動すれば、そこにj=-evの負電流が流れる。

しかしながら、電気回路には交流が流れる場合があり、そういう場合の電流は必ずしも電子が流れるのではなく、分極電流が流れる場合がある。分極はDとかかれるが、D=<qx>である。電気分極=電気双極子の平均値である。qは電気双極子の電荷qである。

これが時間変化する場合、dD/dtとなるが、この場合、

dD/dt =<qdx/dt>

となって、やはり電流と同じものになる。これがマックスウェルの変位電流である。

つまり、電流Jにも二種類存在し、

J=j+dD/dt

となるわけだ。

普通のローレンツ力は、定常電流が直流を想定し、

F=qv✕B=J✕B

と書ける場合である。これに対して、マックスウェルおよびヘヴィサイドの時代には、もう一つのローレンツ力が想定された。それが、

F’=B✕dD/dt

である。ヘヴィサイドの論文集や電磁気の本では、ちゃんとこの力の効果を議論している。

上の松島氏の主張は、交流電流を用いた場合、この変位電流による、ローレンツ力が無視できない効果を発揮するということなのである。

ところで、ファラデーとマックスウェルとさらにヘヴィサイドの時代では、まだもう一つ別の未知の項も残されていた

それが、起電力である。起電力にも2種類あって、一つが我々が知る電場E。もう一つが、上の誘電体のローレンツ力が生み出す起電力である。誘電体が速度vで運動すると、その周りに直交する起電力v✕Bが生じるのである。これは電荷に無関係とした。

我々の現在のゲージ場に基づく電磁気学では、ローレンツ力は電荷にのみ働くと仮定する。だから、中性の物体にはローレンツ力は生じないと考える。

したがって、マックスウェルとヘヴィサイドは起電力は

E’ = E – v✕B

同様に、磁場Hの場合にも2つあり、誘電体Dが速度vで運動すると、その周りに直交する方向にD✕vの誘導磁場が生じると考えた。したがって、

H’ = H – D✕v

と書いた。

これをマックスウェル方程式:

curl H’ = curl(H – D✕u) = J = ρv + dD/dt,
curl E’ = curl(E – w✕B) = dB/dt

として解くと、

V = (u+w)/2±√{c^2 + (u-w)^2/4}

ただしcは真空中で静止系での光速度。

つまり、誘電体の磁場中と電場中の運動により、その速度が違う場合、光速度は真空中の光速度より速いものと遅いものに分かれるという結論であった。

20世紀の電磁気では、この両方の項は存在しないことになり、おそらくその項の一つにローレンツ力と名を残すことになったオランダの ローレンツ が消去したと思うが、その結果、光速度は一つのみになったのである。

そこからアインシュタインの特殊相対性理論が生まれたため、ヘヴィサイド以前の思想は歴史の彼方に消えたのである。

下線は管理人による。

元の疑問は、かつて黒月氏に質問した「マクスウェルの原方程式」に関することでした。黒月氏による解説は氏のサイトの次にまとめられています。

  1. 1864年のマクスウェル方程式にある ローレンツ力 には…
    The Lorentz Force in Maxwell Equations at 1864 …
  2. 1864年のマクスウェル原方程式についてOn Maxwell’s Original Equations at 1864

井口氏の解説も黒月氏による解説もよくわからないのですけど、ヘヴィサイドの頃には”物理現象”として認識されていたものに(少なくとも)2つ以上あったということのようです。上記の引用部によれば、「マックスウェルとヘヴィサイドのオリジナル方程式には存在したが、現在のマックスウェル方程式からは脱落した項が存在」したのであって、それが2つの ローレンツ力 であったようです。わかりにくいですけど、井口氏の記事の引用部をまとめると以下のようです。 続きを読む

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自作 3Dプリンター (中華部品)トラブルシューティング

3月末から中華製の部品を集めて 3Dプリンター を作りました。5月上旬にはおおよそ完成していました。

写真1

ただ印刷できなければ3Dプリンターモドキ、”のような何か”に過ぎません。そこで試し印刷をしながらのトラブルシューティングを行いました。その備忘です。

初めての印刷にはフィラメントリールを乗せるスプーラを選びました。以下の写真以外に10回くらい試し印刷しています。

写真2

写真3

写真4

検索するとスプールホルダーは幾つもあります。その内の一つです。試しの段階ですので充填率は40%くらいです。  当たり前ながら大きな不具合から対処します。

続きを読む

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電磁気学 は片肺状態

電磁気学 は主に電子の挙動に関するものです。

図1

その後、20世紀にはいって極性が反対で電気量が等しい陽子が発見されました。単純に考えて電子と同じだけ陽子にかかる 電磁気学 があってしかるべきです。でもありません。知る限り核磁気共鳴くらいしか知りません。 電磁気学 は双発機の片肺の状態にあると考えます。

図2

原子核の発見とともに化学は適正に修正を受けました。しかし、電磁気学はそのままでした。


 

どうも目指すフリーエネルギーの仕組みは、この辺りにありそうです。 具体的には、外村彰氏によるベクトルポテンシャルの話に関連します。 続きを読む

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物質的自然 は映像である

西洋の格言に「神は細部に宿る God is in the details」というのがあります。これは誤解です。

時折、フリーの物理学者である井口和基氏のブログを読みます。「ムー4月号はヴェンターの「人工生命の誕生」:ついに白人は禁断の領域に踏み込んでしまったのか!? 」より一部引用します。

この問題は、西洋世界でも結構古くからある哲学的問題につながるのである。

いわゆるホルンクルスの説である。これは、ライプニッツの時代にも遡る。

生命個体が生殖細胞でできるのなら、その生殖細胞の中には人間個体のすべての情報が入るはずだ。その生殖細胞には生殖細胞の作り出す情報も入っているはずだ。もし生殖細胞に染色体があるなら、その中には人間の全情報も生殖細胞の情報も全部入っているはずだ。その染色体に人間の情報も生殖細胞の情報も入っているなら、その内部のDNAの中には、人間の情報も生殖細胞の情報もDNAの情報も全部入っているはずだ。そのDNA情報の中には、DNAの構成もすべて入っているはずだ。

とまあ、フラクタル的に

内部の中に内部の中に内部の中に、。。。内部の中に。。。

と永遠に続くのではないか?というわけだ。一番右の。。。のその先は、素粒子の中の内部から、その内部にまでずっと続くはずだ、つまり、この宇宙の全情報は、その究極の粒子の内部に入っていなければならない
これが、ライプニッツのモナド論である。

下線は管理人による。ライプニッツのモナド論として紹介されている「この宇宙の全情報は、その究極の粒子の内部に入っていなければならない」というのは、言い方は異なりますが、意味は同じです。これが誤解です。 以下は既出の記事の組み合わせです。

 

(1) 数学者岡潔『 山崎弁栄 上人によると「自然は心があるために映写されている映像にすぎない。」そう云っている。』と述べました。そして、人の「わかる」とは物の理ことわりだとか理解するとか云うがまったく違うと云います。それでは何が「わかる」かというと「何となく、その趣おもむきがわかる」と云います。これが岡潔の云う「情」です。 情について、例えで説明します。

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