希望ある未来を示さない 変革 は「破壊」に過ぎない

オバマ前大統領が演説に使った使った言葉に「change 変革 」があります。「Change」から4年……オバマ大統領が使った言葉は? 人は希望が持ててはじめて努力でき、苦しい状況に耐えることができます。 未来に希望が持てない変革は、単に破壊に過ぎないと考えます。

過去記事に「重力制御&フリーエネルギーは原理が示されねば皆に受け入れられることはないだろう」としました。

幾年か前にネット上にある掲示板にコメントがありました。いわく「フリーエネルギーが実用化されたら地獄だぞ!」というものでした。 今検索しても出てきませんけれど、全同意です。 聖書や日月神示をはじめとする預言めいたものには、アルマゲドンに代表される終末の様子が描かれています。それら終末思想には、人々の不安が反映されたものだと考えます。 おそらく皆の本心は「悲惨な現状を変えたい。けれども未来が見えないままでは変えられない。」だろうと思います。

数多くの終末思想は、本質的には変革と同じです。ただ希望ある未来とそれに至る道のりが示されていないから、アルマゲドンなのです。こちら「日本と世界の情報ブログ」にある「フリーエネルギーの封印について(1)」の記事には、人類の抱える問題を解決する革新的な技術が100年以上前から存在し、今なお封印されたままでいるとのことです。それら技術を封印しているのは「金融資本家・軍事産業・石油産業・製薬産業など」のようです。

4年ほどかかって、自然科学のどこがどう間違っているのか概ね理解できました。そこからが問題だと強く感じます。間違いの分岐点まで遡らねばなりません。でなければ、危機的状況を脱することなく自滅するだろうと思います。 つまりは、フリーエネルギー装置の実現とその仕組みがわかるだけでは不十分だということです。 いつも思い出すのは、古代中国のの時代、争いの末に人口が10分の1になったというお話しです。戦争に明け暮れて来年の種籾まで喰ってしまったようです。「中国古代史における人口減少の意味」 また、どこかの惑星で不要な人を減らしたら10分の1まで減って、危うく絶滅しかけたと、どこかで読んだ記憶があります。 地球はそんな状態にあります。

 

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実験 こわい

何も 実験 が危険だという意味ではありません。落語「饅頭こわい」を模したものです。

動画1

2016年10月末に弧理論の核心部分がわかって、2017年にかけて全体像(精神科学・社会科学・物質科学)が見えてきました。 3つの科学は同時に進めねばなりませんので、今年に入ってからは、主に物質科学について考察を進めてきました。

主にファラデーの単極誘導モーターについての実験でして、これまで思惑どおりにいったことがありません。それでも数式に表されていない現象を観察したのですから、一定の成果があったと考えています。

今回、あるアイディアに行き着いて「井出治氏による超効率トランス(第3起電力のエネルギー源について)」に関する考察から得られた発散トーラスの(複数の)

組み合わせによって、いわゆるローレンツ力と同じ現象を示すらしいことがわかりました。(井出治氏のトランスはローレンツ力に関係する可能性があるということです。)  ようやくアイディアを実験レベルに落とせたのですが、やはり実験で「思惑どおりにならずに失敗する」かどうか確かめるのが怖いです、という意味の実験こわいです。

それにしても実験は億劫です。

 


参考図と解説

いわゆるE=mcについて、ある科学者は次のように述べています。「物質はエネルギーに転換するし逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。」 (注:物質は別の実体が投影されることによって現れる映像だということです。)

図1 物質の質量と運動は実体の投影による映像

これが別の次元軸を考える根拠です。別の次元軸をエネルギー軸とします。以下、E軸という。 そして、別の次元軸上にある実体の持つ値を真のエネルギー値とします。 一方で、物理学で定義されたエネルギー運動として、真のエネルギーと区別します。 別の次元軸(E軸)は、空間に直交します。ですので、一般に運動する物体にかかるE軸の方向を特定することはできません。

図2

唯一の例外があります。 図2のように4次元は4つの三次元に分解できます。 空間で運動する物体に直交する方向にE軸は存在すると考えますので、xy平面内で回転運動する物体にかかるE軸は、z軸方向に重なります

発散トーラスには4種類あります。

図3

4種の内、2つがE(+)で2つがE(-)を示します。 回転体においては、これがz軸に重なるということです。

図4 右上に示した弧(Ark)のM軸との接する部分の空間での形状が発散トーラスである。

回転する物体の真のエネルギー値(E2-E1:差分)は、2つ発散トーラスの組み合わせによります。 図において、左回転の物体の例を考えると「右手系、左回転」では、真のEはプラスです。これがE2です。「左手系、左回転」での真のEはマイナスです。これがE1です。

弧理論によれば物体は、このE2-E1の値に相当する重力を持つことになります。これはあたかも表面張力による引力斥力に例えられます。だから他の3つの力(電磁気力、弱い核力、強い核力)とは格段に弱いのです。  重力は質量が原因ではないとの結論です。

動画1

また、物質の真のエネルギー値は、二層型の浮沈子に似ています。

動画2

浮沈子の浮き沈みの具合(真のE=E2-E1)が、物質にかかる図2の発散トーラスの組み合わせによる回転の具合いにかかっているということです。

EMAモーターの回転軸から出ているケーブルの意味がようやくわかってきました。モーターは回転軸方向に非対称である必要がありそうです。 放電に関しても疑問がありますが。

写真1 出典:Electro-Magnetic Association (EMA) Motor より


面白い記事がありましたので、メモします。 「フリーエネルギー監視委員会_ほとんどがニセモノです!」のサイトより、2018年4月28日 井出治氏の超効率インバータの続報 とのことです。第3者による追試がうまくいっているようです。

パルスかあるいは磁気回路を非対称にするなどのノウハウがあると考えます。(2つの発散トーラスが打ち消し合うため。如何にバランスを崩すかがカギです。)  勿論、測定器の誤差かも知れません。 リンク先のReplication of the Ide transformer deviceDetailed measurements of Ide transformer devicesではよくわかりません。

大事なのは、真のエネルギー値と、物理学上のエネルギー[ML2T-2]を区別して考えることです。 エネルギー保存の法則は、質量と運動の関係を述べたに過ぎません。(図1を参照ください。) (真の)エネルギーの量を正しく計る方法を知らないのです。


どうでもよいこと。

ローレンツて何者でしょうか? マクスウェル方程式を(非対称な部分を切り捨てて)現在の対称的なベクトル表記にした人物がローレンツ。 電磁気学におけるローレンツ力のローレンツ。 そして、相対論の元になったローレンツ変換のローレンツ。

図5

複数人いることはわかっていますが、歴史上大事な時期に出てくるのが「ローレンツ」。一体何者だろうか?  ファラデーが発見した単極誘導の現象を無かった事にしようとしたように見えるのは管理人だけでしょうか。 その意味でトム・ベアデンはディスインフォーマーではないかと疑ってしまいます。スカラー波からは何も出てきません。

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弧理論による 精神科学 とは? 唯一、数学者岡潔による第2の心に近い

弧理論は、 精神科学 ・社会科学・物質科学という3つの分野に分けられます。

図1 互いに重なり合っており、明確な境界はない

これまで3つの科学について、詳しくは説明しませんでした。一般に精神という語も科学という語も馴染みがありますから、精神科学とすれば理解容易と思われます。 しかし、ここでいう精神科学は単なる熟語ではありません。検索して出てくる精神科学は、「心理学・倫理学・言語学・経済学。歴史学・社会学などの総称」であるようです。あとは精神科医の学会などです。

まったく異なるものです。 実際のところ、精神科学は地球上にほとんど存在しません。例を示しながら説明します。

弧理論によれば、空間は別の次元軸からの投影による映像だと考えられます。質量を持つ物質は投影されることにより位置を持ちます。 我々の存在する空間を一次元のM軸とし、別の次元軸をE軸とします。 続きを読む

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自然 という基本を無視してはいけない しかし、自然科学の基礎を鵜呑みにしてもいけない

自然 を基本とすることは大前提です。しかし、自然科学による基礎を鵜呑みにしてはいけません。 数学者岡潔は、「自然科学は間違っている」として、「自然科学は思想」であり、「自然科学は 自然 そのもではなく、簡単な模型だ」と述べました。 岡潔は、自然科学者が考える模型を「物質的自然」と名付けました。 つまり、自然>物質的自然であるわけです。

岡潔の云う自然とはどういうものか調べましたが、よく分かりませんでした。どうも岡潔が考えたかも知れない(物質的自然)以外の自然として「精神的自然」があるように思います。ただ、「岡潔 精神的自然」で検索してもそれらしいものは出てきませんでした。

基本とは、自然から得られる物や事に対する経験です。これを無視してはいけません。

経験は人間の感覚でわかる所謂「物理現象」からしか得られません。

自然科学の素粒子物理学では「単独で取り出せないクオーク」を物質と認めてしまいました。自然という基本から逸脱しているということです。

また自然科学での基礎を鵜呑みにしてはいけません。 例えばエネルギー保存の法則があります。あくまで自然を(思想としての)自然科学として眺めたとき得られる経験則です。 ですから「エネルギー保存の法則があるから○○は不可能だ」という言説は正確ではありません。 これまでの考察によれば自然は映像である可能性が高いからです。自然が映像であるならば開放系だろうし、エネルギーが保存しない場合もあると考えられます。

基本を無視してはいけないし、基礎を鵜呑みにできません。自然科学が誤った方向に進んでしまった直接の原因は、電磁気学の歴史にあると考えます。

わかりにくいので追記

幾つかのフリーエネルギー装置だとされるものを検討したことがあります。例えば、ある動画の装置はスタティックジェネレータに似ていました。

動画を何枚もキャプチャして検討したことがあります。あるいは永久磁石を使ったモーターのデモ動画を検討しました。しかし、何も得るものがありませんでした。動画サイトには多数の装置が示されています。そのどれも基本的な原理が示されていません。フェイクなのかどうかさえ判断できない巧妙な物もありそうです。(勿論、本物もあるでしょう。)

磁石も重力も保存力です。一度取り出したらおしまいです。磁石や重力と云った現象を現象のまま利用しようとする装置は(基本的に)あり得ないと考えます。つまり、経験できる(自然)現象を基本として考える必要があるということです。 同時に(常識とされる)自然科学の基礎を鵜呑みにして「あり得ない」と断言するのもどうかと思います。

自然科学は、人間が自然をどう捉えているかという一つのモデルに過ぎません。そういうモデルに応じた文明ができあがっているに過ぎないのです。これは明白なことです。 自然を異なる見方で捉えるならば、まったく異なる文明を築くことができるはずと考えます。 過去に度々「万華鏡に観る様子と万華鏡の仕組み」の関係に例えてきました。

これまでの考察によれば、多くの物理量の内、基本とされるものは3つに過ぎません。長さ質量時間です。他に電流や熱力学温度、物質量、光度などがあります。それ以外は基本物理量を組み合わせたもので組立物理量と云います。 ここで、時間が物理量として相応しくないことがわかっています。適用に限界があるとわかっています。自然科学の限界は時間の適用限界からきています。

追記 2018/05/21

どうもうまく書けてない。

自然科学は間違っている。 基礎がなければ進めない。しかし、基礎を鵜呑みにしては拓けない。

 

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これは ボールベアリングモータ ーか? ・・・・ 米村でんじろう[公式]アルミホイル玉の回転について(実験動画)

ボールベアリングモータ らしき面白い実験動画がありましたのでメモします。

動画1 【大発見】アルミホイル玉に電気を流すと無限に転がり続ける / 米村でんじろう[公式]/science experiments

 

どうも管理人には ベアリングモータ ーのように見えます。(参考資料

動画2

のコメントにもありますように、ベアリングモーターは「ローレンツ力」で回転可能のようです。ということは、動画1のアルミ玉の回転もローレンツ力で説明が可能かも知れません。 動画1のアルミ玉もボールベアリングモーターと同じ特徴を持っているかどうか気になります。

ベアリングモーターは、電流方向が同じとして初動の回転方向へどちら向きでも回ります。 動画1のアルミ玉は、どうなんでしょう? 動画1に疑問をコメントしておきました。回答があればありがたいです。

 

似た動画「単極誘導モータ」を挙げておきます。

動画3

管理人は、動画3に似ているものを試したことがあります。 真鍮の棒2本をレールのように平行に置いて、棒の間に電圧をかけます。棒磁石をレールの上を転がるように動く単極誘導モーターです。電流は、棒→磁石→棒の順で流れます。  →1989年発刊のパリティ4巻12号p80-83に掲載された霜田光一氏による「やさしくて難しい電磁気の実験」を試した物です。動画はありません。

動画3は「単極誘導モーター」ですから、動画1や動画2とは特性が異なります。転がる方向は電流の向きにより決まります。

 

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高野誠鮮 氏「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と書いてあります。

UFOや地球外生命体などについて書かれた本は書店で手にしても、ほとんど買うことはないのですが、 高野誠鮮 、飛鳥昭雄、竹本良、3氏による対談本「宇宙人UFO軍事機密の【レベルMAX】:ヒカルランド」に、幾つか興味深いことが書かれていたので購入しました。

ヒカルランドにより開催されたセミナーを元に編集された本だということです。対談において、高野誠鮮氏は次のように述べています。 少し長いですが引用します。P69~

アメリカ空軍大学(Air University)では面白い教科書を出しています。「Research study」と書いてあります。ここの中に「次にUFOの調査をするときにはCIAに邪魔をされないように」とあります。つまり、前回CIAに邪魔されたということを暗に示唆しているのです。これは不思議なものでした。これは空軍の司令部です。アメリカの空軍士官学校(アカデミー)で使っている教科書なので、本当はコピーも撮影もいけないのです。

僕は、それを現職の士官からいただだきました。そろそろ出してもいいころかなと思っていたのです。『宇宙科学入門』というタイトルです。(図7)。これをよく見てください。33章はすべてUFOの話です。コンクルージョン(結論)には、とんでもないことが書いてあります。士官学校で何を教えているのか。「UFOというのは、実に不愉快だけど、今から5万年以上前からこの地球上にやってきている」と書いてあるんです。(図8)有史以来ですよ。誰がこれを調べたんですか。しかも、ほかの惑星からエイリアンがコントロールして乗ってきているのがUFOだと結論づけているのです。

この次のフレーズがちょっと不気味です。「3種類の異なったエイリアンが、もう既に地球にやって来ている」と書いてあります。その次に「maybe four」と書いてあります。ひよっとすると、4つの異なったグループが来ています。別の1種類が来ている。これを空軍士官学校で使っている教科書で教えているのです。学ぶのはぺいぺいの一兵卒とかそういうレベルではなく、士官候補生だけです。士官たちには教えているのに、議会や国民に対しては否定しているのです。

この教科書には「寛容で懐疑的な態度は絶対失ってはいけない」と書いてあります。つまり、いることは間違いない。3種類から4種類来ていることを教えています。しかも、「今から5万年以上前から地球に既にやって来ている」と書いてあります。彼らは敵ではありません。5万年以上前から来ていて、侵略しようとか、そんなふざけたことは考えていませんよ。侵略とかではなく、まったく違うことを考えているわけです。

図は省略。

従前管理人は、研究に対しての姿勢として次のように考えてきました。 続きを読む

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人工知能 (AI)と人の頭脳の違い

自身、プログラミングはまるでダメなのですが、コンピュータのことは好きですし、 人工知能 (AI)についても少し興味があります。一番の目的は「人とは何か」を知ることです。その点においてコンピュータは、「人について考える」ことができる格好の材料です。 今朝思い出した事がありましたのでメモします。

人工知能(AI)研究は、1960年代に始まったようです。(第1次ブーム) 管理人が覚えているのは、第2次ブームのあった1980年代からです。

図1 出典:(2)人工知能(AI)研究の歴史より 右クリック「新しいタブで表示」により拡大表示

第2次ブームの頃、ファジーコンピュータやエキスパートシステムなどがあったと記憶しています。当時、知識データベースができれば人工知能は比較的簡単に実現できると考えられていました。 そして、現在、人工知能は機械学習(深層学習)により飛躍的に進歩しました。(第3次人工知能ブーム) 最近、TV番組や書籍などマスコミでよく取り上げられます。

当サイトでも深層学習に用いられるニューラルネットワークを構成するニューロン続きを読む

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数学者岡潔「( 自然科学 は)学問とはいえない。単なる思想です。」 映像だと気付いてからが始まり

これまで数学者岡潔の言葉を手がかりに 自然科学 の問題点を洗ってきました。大凡のことは理解できたのですが、少しまとめます。

岡潔思想研究会の講演録(4)「自然科学は間違っている」の【1】このままでは人類は滅びる から引用します。

今は間違った思想の洪水です。世界は間違った思想の洪水です。これから逃れなければ人類は滅びてしまう。

で、その為に思想の間違いの根本はどこにあるか、それを調べましょう。

一番怪しいと思えるのは自然科学です。それで自然科学から調べます。大体、自然科学というものは、自然とはどういうものかということを言わないで、自然というのはわかり切っていると一人決めにしている。そして、これについて科学した結果を集めたものです。

だから、かようなものは学問とはいえません。これは単なる思想です

下線は管理人による。

岡潔は、世にある大量の間違った思想の源流は 自然科学 にあると判断しています。自然科学は自然はわかりきっていると一人決めにして、これを科学したと云います。このようなものは学問ではないとしています。単なる思想の寄せ集めだと云うことです。

ここで思い出すのが「群盲象を評す」です。 続きを読む

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数学 者岡潔「数は量のかげ」 人形(量)がなければ影絵(数学)はできない

数学 者岡潔がよく取り上げたという言葉「数は量のかげ」に関する記事は、調べてみたら2016年7月9日の記事『数学者岡潔「数は量のかげ」・・・・本当は天地が逆だろう 他2題』から数えて16本ありました。 先日いただいたコメントにおいて管理人は、「物(量や嵩)から離れて 数学 のみ存在できるはずありません。」と返しました。このことについて改めて書きます。

インドネシアのジャワ島・バリ島に伝わる伝統芸能に影絵芝居「ワヤン・クリッ(Wayang Kulit)」というのがあるそうです。

写真1 出典:東南アジア影絵人形芝居探訪より

どうも影絵芝居の人形は牛の皮で作られているそうです。

話は簡単な比喩です。

影絵芝居(数学)は、人形(量や嵩)がなければできません。だから「物(量や嵩)から離れて数学のみ存在できるはずありません。」とお応えしました。 やはりここでも、人が感覚器官でわかる物理(量)は、「投影による映像」だろうとの示唆を得ます。

大事なのは人の頭脳も(量や嵩)であることです。認識するというがなくては意味を成さないことは明白です。人も量の内です。 人の脳内にある情報としての数式(概念?)も何らかの量の裏打ちがあります。それは生理的な電気信号だと考えられます。 紙に書かれた数式もランダムにインクが散らばった紙とは異なります。

岡潔が好んで使ったという「数は量のかげ」という言葉は、「新式算術講義」によれば、数学者高木貞治によるようです。リンク先の記事にある高瀬正仁の解説文の一部を引用します。

「数とは何か」という問いに厳密な様式で答えようとする試みを通じ,量の概念は急速に消失する方向に向かったが,形式論理上の厳密性はこれで確保されるとしても,見る者の心に「唐突の感」が起こるのは避けえないところである.数学は論理のみで構成されている学問ではないから,たとえ知的には申し分のない説明であっても,「情」がそれを拒絶することはありうるのである.現に,今日の大学の微積分の教育現場でも,「数」をはじめとする基礎的諸概念の取り扱いには困惑が見られ,おおむね省略される傾向にあるのではないかと思う.数の概念や極限や連続性などの厳密な説明は定着度が低く,数育効果にとぼしいというほどの理由がしばしば語られている.

当初の解析学は量に寄せる素朴な観念に支えられて歩みを運び始めたのであり,その足取りは,少くとも19世紀半ばのりーマンにまで及んでいる.そうであれば量の概念を完全に放棄するのではなく,高木がそうしたように「数」の概念の背景に「量]の概念を配置するのは,よいアイデアである. 

下線は管理人による。

数学を考えるにおいて、自己の存在を忘れての追求は何か空虚に感じます。 そういえば、数学バリバリの物理学者たちは、数学を用いることによってビッグバン理論や超ひも理論を打ち立てているにもかかわらず

図1 出典:ビッグバン宇宙論は本当に正しいのか?

どこか孤立系から抜け出ていないのは数学の本質(「分ける」ことにより分かる)にかかわることなのかも知れません。

ある科学者が述べた言葉に次のようなものがあります。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

下線は管理人による。  この一文の意味がようやく分かってきました。

表1

大きさのスケールを表す表の左端(人の感覚で分からない領域)では「量」の概念を放棄せざるを得ないのであって、研究を進めるに「心で描くこと」を諦めたということです。 ぶっちゃけて云えば『電子の「スピン」といっても何かがクルクル回っている訳ではない』というのですから、物理が面白くなくなるのです。 上記解説にある引用文でも『たとえ知的には申し分のない説明であっても,「情」がそれを拒絶することはありうるのである.』と述べています。「心で描けない」と同じ事です。 唯物は捨ててはいけないです。

 

何気なく表1を作ったのですが、岡潔の「自然科学者の時間空間」において時間に問題があるということの意味が理解できます。 時間と云うを伴わない「」を用いることによって表の両端を数式で表したということです。

写真1 出典:解説:NHKスペシャル「神の数式」第1回:この世は何からできているのか

 

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常識 というブレーキ

「 常識 とは」で検索してみると、ブリタニカ国際大百科事典などからのサイトがみつかります。最上部に出てくる 常識 では、「健全な一般人が共通に持っている、または持つべき、普通の知識や思慮分別。」とあります。 次には『常識とは18才までに積み上げられた先入観の堆積物にすぎない』というのもあります。ここでアインシュタインが出てくるのは、ちょっと胡散臭いですが。 常識には、合理的なものもありますでしょうけれども、山本七平の空気(の研究)といった、その時々の社会の雰囲気といったものもあるでしょう。

いつも引用するある科学者は次のように述べています。少し長いです。

我々は君の国の多くの一流科学者の精神を調べてみたんだ。大抵の場合、我々は科学者たちの精神が既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くへまで進みすぎている。その結果、遠い道のりを後戻りしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっと易しく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのような物だ。自分では上方へ動いている事が分かっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。その為に幹を離れている事に気づかないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。一時は万事上手く行く。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取る事も出来る。だがその枝が急に無数の小枝に分かれて色々な方向に葉が散らばっている為に本人はまごつき始める。同様に、知識の探求者は常に確固たる物であった”基本的法則”が今や分かれ始めて反対の方向にちらばり始めている事に気づく。すると科学者は心によって受け入れられる知識の限界に近づいている事や、あらゆる物理的な法則は究極的には全く統計的な物になるという結論に達する。

下線は管理人による。 ある科学者は、人間を比喩として「木に登るアリ」に例えました。低い位置にある一つの枝を幹の全体だと勘違いして登っているようなものだといいます。

数学者の岡潔は、人の心には2つあると云いました。一つは「私」というものが入らねば金輪際働かない心。これを第1の心と云います。もう一つは決して私が入らない心。これを第二の心としました。 そして、人の心の働きは「情、知、意」の順で働くとしました。 まず、情じょうが働きます。情とは「何となくわかる」「何となくその趣おもむきがわかる」ということです。 次に「知」が働きます。そして「意」に至る訳です。 「知」の段階において「言葉」で表せるものとなっているでしょう。そして「識」する段階においては、意欲、欲望となります。これが縄文哲学で云うところの「シヰ」です。(欲しいしいのシヰであり、タマシヰのシヰです。恐らく、縄文哲学のタマが第2の心に相当します。ただ、岡潔のものより、縄文哲学の方がなお詳しいです。) 続きを読む

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