自然科学のいう「非科学的」とはどういうことか?

前回のおさらいと続きです。

まずは、おさらいです。 数学者の岡潔は、彼の講演「【3】西洋の唯物主義」と「【2】自然科学者の時間空間」において、次のように述べています。

  1. 西洋人は五感で分からないものは無いとしか思えない。これを唯物主義という。
  2. 自然科学では、自然は存在ではないことがわかっている。
  3. 素粒子物理学において、不安定な素粒子について、「少なくとも、一部は映像と云ってよい。」
  4. 自然科学者は、時間・空間とはどういうものかと少しも考えていない。
  5. 人は(現在・過去・未来)という時の中に住む
  6. 時間を表すに運動を使う。直接わからない。
  7. 時の過去の属性の一つを取り出して、それを観念化したものが時間である。

岡潔は、自然を物質的自然と呼んで、2.と3.で自然は存在ではなくて一部は映像だと云いました。

管理人は、安定な陽子について次のように考えます。

  1. 陽子衝突 → 陽子崩壊 → 素粒子群発生
  2. 陽子衝突 → 陽子消滅 → 素粒子群発生

1.と2.のそれぞれについて、衝突の前後において原因と結果は同じではないかと云われますけれども、過程が違います。 2.においては、陽子は内部構造を持たないことがわかります。そして、1.では、陽子はクオークによって出来ているとされますが、クオークはクオークの閉じ込めによって外に出てこないとされます。 単独で取り出せない物質など物質と云えるのでしょうか。  むしろ2.が正解で陽子は映像だと考えると辻褄が合います。 同じく陽子によく似た中性子も映像だと考えます。そして電子もその様々な状態を持つ映像だと考えます。  これら安定な陽子・中性子・電子を当サイトでは基本粒子と呼びます。

映像であると考える根拠は、ある科学者の言葉によります。

物質はエネルギーに転換するし、逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。

図1

の様に、上から見た場合、実体は質量を持った物質として認識できます。次に視点を右方向からの面に平行に観ますと、実体が持つエネルギー面と認識できます。 実際は面を取り替えたのではなくて、物質面に対して実体がどれだけ回転したかによって、見え方が違ってくるといいます。 それで得たのが

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図2

です。 E軸上に実体が存在します。そして、実体はM軸に投影されることによって位置を伴う質量が現れます。 また、投影の角度が変化しますと

図3

のようにエネルギー(ベクトル)として認識できます。(※当サイトではエネルギーのことを運動1や運動2表しています。)

図3の解説:エネルギーを次元解析すると[ML2T-2]となります。つまり次元に時間[T]が入っています。 岡潔の云うとおり時間は運動から作ります。ですから、M軸方向での見え方(ベクトル1、2)を表すにエネルギー[ML2T-2]という用語を使えません。時間は問題が多いです。その代わりに運動を用いています。 (※E=mcの光速度cの二乗の内に時間[T]が入っています。つまり、相対性理論が循環論であることがわかります。両辺に時間[T]が入っているということです。杉岡氏の相対論物理学者に捧ぐ その4、または、過去記事を参照ください。)

E軸のことをエネルギー軸と呼びます。そして、実体が持つ値を真のエネルギーと呼び、物理学でいうところのエネルギー[ML2T-2]と区別しています。  上記のある科学者の言葉を読み替えますと次のようになります。

物質は運動に転換するし逆にもなるというが、本当は真のエネルギーを持つE軸上の実体の異なる面に過ぎない。

これが投影映像の仕組みを考える根拠です。

そして、この考え方を推し進めた結果得られたのが宇宙の仕組みを表す

図4 (カミの仕組み)

です。そして、図4に

表1

に示す大きさをスケールを織り込んだのが

図5

です。 ここから本題です。

 

図2~図5はいずれも開放系のモデルです。 一方で自然科学は孤立系のモデルです。熱力学を観ればよくわかりますし、孤立系をイメージするのは容易いです。 ところが開放系の方はイメージが困難です。

上記、岡潔の言葉「【3】西洋の唯物主義」に語られる山崎弁栄上人について、先般、山崎弁栄上人記念館を訪ねました。その資料の中に開放系をとても理解しやすい言葉がありました。これを使って説明します。山崎弁栄記念館のサイトの「山崎弁栄について その生涯と宗教芸術」の文章の中程にある言葉です。 それが「外のない内」です。図に示しますと

図6

です。 図6に図4と図5を考慮して、入れ込みますと次のようになります。

図7

は「外の無い内」です。 勿論、内側は「内」ですし、「外」を示す境界線はありません。この図は開放系だということです。 その内に、孤立系である自然科学があります。 自然科学の対象は、岡潔の云う物質的自然です。その取り組み方が唯物主義だということです。つまり、自然科学の対象となるのは、五感でわかる領域です。 一般的に、多くの自然科学者は唯物主義です。それは、五感で分からないものは無いとしか思えないのですから物質的自然と重なるのです。 ここで、前回述べたように、岡潔の云った「第1の心」と領域は重なります。美味しい、嬉しい、楽しい、哀しいの「シヰ」に同じく、生命維持の欲求の領域に等しいと考えられます。

自然科学の云う「非科学的」というのは、図7の内、そのほとんどの領域を否定するということです。岡潔は「自然科学は間違っている【3】五感でわかるもの」において、

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。

と述べています。 図7を考慮すると、西洋人の原始人的無知という意味がよく分かります。

 

1950年代初頭、G・アダムスキーが得たネガフィルム

写真1

の下部に写っていた図は、図4左図にある2つの円の重なった部分(紡錘図形)です。この紡錘図形は弧理論の骨子となる原子模型です。

図8

2つの円は2つある宇宙の中心「ア」と「ワ」のことです。この2つの円がつながることによってM軸(物質空間)をもたらしています。このM軸が図7に示した「外の無い内」という開放系を形成しているということです。

このM軸(物質空間)は例えると、

図8

2台の映写機を持つ、スクリーンのようなものです。M軸を中心に据えて考えるならば、(言い換えると、我々観測者を中心に考えるならば)物質空間は、「外の無い内」であって、しかもそれは2つあることになります。 それがG・アダムスキーが遺した足跡です。

図9

「五感でわからないものはないとしか思えない」という西洋人が写真1と図9の意味に気付き、その謎を解き明かすことは、到底出来そうもありません。

素粒子物理学者たちは、素粒子に宇宙の本質を見つけようとしています。しかし映画は、画素にはありません。物質空間あるいは物質的自然が投影による映像であるならば、当たり前のことです。

写真2 DMD(デジタル・マイクロミラー・デバイス)

 

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物質的自然が映像ならば、「投影と映像」による「時制と記憶」の仕組みはどのようなものなのか? 弧理論(Ark Theory)による仕組みについて

11月8日の記事「人間とは何か 人の「創造性」と人の思考における「時制」について」の続きです。

前回のおさらいです。前回は、数学者の岡潔の言葉「【1】 2つの心」を元に「心の時制」について考えました。

第1の心」は、「意識を通し」、「わたくしというものを入れなければ金輪際動かない」がしかし、一旦、私わたくしというものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」という心でした。

第1の心は、ヲシテ文献にある縄文哲学に示されるタマ+シヰのシヰに近いものでした。 シヰとは「強いる」のシヰであり、生命維持の欲求(喜怒哀楽)です。 は、嬉しい・哀しい・楽しい・美味しい・悔しい・腹立たしい・貧しい・・などのことです。 そして、この第1の心=「シヰ」は、時制で云うところの

図1

現在」です。 第1の心は、「私の心」、「意識を通す心」、「生命維持の欲求の心」、「現在の心」ということです。そして、岡潔によれば、第1の心は前頭葉に宿っていると云います。

次に、「第2の心」はというと「無私の心」です。私のない心です。いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない(じか)にわかる心です。そして、岡潔によれば、第2の心は頭頂葉に宿っていると云います。

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当サイトは kodenjiki.com からの移行サイトです

当サイトは2011年11月に開設した kodenjiki.com「弧理論(旧弧電磁気論)」 からの移行サイトです。

弧電磁気論 → 弧理論(Ark Theory) と名称変更後も、ドメイン kodenjiki.com を使ってきました。 先般、レンタルサーバーの更新があってから、kodenjiki.com の配下にあるブログソフトに関する設定が現状に合わなくなってきました。また、サーバー会社による関連ソフトのサポートも近く終了する見込みとのことを鑑み、今回、新たなドメイン名 arktheory.com を取得しました。新ドメインにより、当サイトもSSLに対応しました。 ただホームページは単にコピーしただけですので、近く整理したいと思います。

今後、こちらに引っ越した上で、旧サイトを閉じる見込みです。今後ともよろしくお願い申し上げます。

追記 11月20日

新サイトへの移行にかかる経緯を備忘としてメモします。(詳しくはないので、間違いがあるかも)

  1. レンタルサーバーは当初PHP5.3のセイフモードであったため、弧電磁気論のブログソフトであるWordPressをcgiにて稼働していた。このため負荷が大きく遅かった。一応動作したのでこれまで放置してきた。
  2. 10月下旬レンタルサーバー増強に伴い、動作環境はPHP7.1推奨になった。
  3. 今回10月28日頃からの障害
  4. 対策として.htaccessからcgiの記述を外した。サポート情報を元にPHP5.3からPHP7.1に対応するため、ポートの変更を行った。11月2日頃復旧。
  5. しかし、4.(ポートの変更)での対応は暫定でサポートは来年3月末で終わるとのこと。セキュリティ上も不安が残る。
  6. 暫く稼働していたが、11月14日頃から2回目の障害。何故か(旧)ブログ用データーベースの一部が壊れたようでサポートの方で修復した(同17日)との連絡があった。(旧)ブログでの記事件数435件、掲示板を含めてのコメント数790件であった。
  7. WordPressのデーターベースを新しい形式に対応させる方法が分からないのと、バックアップを元にきちんと復元できるか自信がない。
  8. そこで、懸案であった、もう一つのドメインarktheory.comを取得した上で、配下に新データベースを用意、バックアップを元に移行を実施した。同時にレンタルサーバー提供の無料SSLを利用した。(幸い、.comは、まだ使われてなかった上に手頃な価格だった。.jpは高い。 arkという主なドメインは既に使われていた。)

一応は動いていますが、リンク切れがあるので、外観なども併せて修正しながら様子を観ます。

 

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人間とは何か 人の創造性 人の思考における「 時制 」について

管理人が初めてコンピューターというものを知ったのは、学生時に学んだ情報理論と、数値計算法でした。 余談が長いです。

初めて接した電算機は

写真1 出典:コンピュータ博物館

富士通のFACOMでした。初めて見たマイコンは

写真2 出典:Apple II

でした。 授業ではサイバネティクスからの歴史と理論、パターン認識の事などを学んだ記憶があります。言語はFORTRANでした。授業とは関係なく電算機センターにLIFEゲームの(パンチカードによる)プログラムを持ち込んで遊んでいました。(結果はラインプリンタによる紙で返ってきます。)

友人が買ったマイコンは確か 続きを読む

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宇宙は「 外のない内 」である

研究を始めた当初から、どう表現したらよいのか悩み続けてきたことについて、適切な言葉として「 外のない内 」という考え方を見つけましたので記します。

2010年に研究を始めた切っ掛けはG・アダムスキーが遺した

写真1

ネガフィルム並びに

図1

足跡でした。ネガフィルムから紡錘図形を切り出して 続きを読む

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唯物主義者は要素還元の「終点」に気付けない

ここ3年近くの間、数学者岡潔の言葉を参考に考察を進めてきました。岡潔思想研究会の資料より主に【2】自然科学者の時間空間 並びに 【3】五感でわかるもの を参考に考えてきました。

岡潔は唯物主義について次のように述べています。【3】西洋の唯物主義より引用します。

西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。

下線は管理人による。 「ない」という否定語を3回も使っています。

図1

で云えば、半径無限大の円ということになります。 そして、【3】五感でわかるものにおいてこの唯物主義を痛烈に批判しています。

物質は、途中はいろいろ工夫してもよろしい。たとえば赤外線写真に撮るとか、たとえば電子顕微鏡で見るとか、そういう工夫をしても良い。しかし、最後は肉体に備わった五感でわかるのでなければいけない。こう思ってます。

それじゃあ、どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

五感でわからないものはないというのは、既に原始人的無知です。しかも、自分がそう仮定してるということにさえ気付かない。それについて考えるということができないというのは、実にひどい無知という外はありません。

下線は管理人による。 物質を観察するに拡大する工夫をしてもよいけれど、最後は人の肉体に備わった五感で分かるものでなければならないと述べています。 それは

表1 続きを読む

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障害&復旧 メモ

先日、レンタルサーバーの更新に伴いPHP5.3からPHP7.1になりました。これに伴い当ブログの一部に不具合が生じました。 また、11月2日の記事『唯物主義者は要素還元の「終点」に気付けない』並びに一部コメントが消失しております。

復旧に関しては サーバーのPHP 7.1へのアップデートによるワードプレスのウェブサイトトラブルと対処メモ:2017年10月29日 を参考にして一応復旧しました。

消失した記事に関しては、バックアップがない状態ですので、いずれ記述して再掲載する予定です。消失したコメントに関してはメールにて原文がありますので後日掲載したいと思います。 ご迷惑をお掛けしますが、よろしくお願い申し上げます。

 

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弧理論 の考え方から見た「電子が粒子で波動性をもつ」ことについて

このところ考えるべき事が多く戸惑っています。今回は、ある程度まとめられたこと( 弧理論 から見た電子について)を記します。

研究の発端は次の通りでした。

電気磁気現象が必ず直交して現れるのは、原因は一つの何かであって、我々はその異なる側面を電気・磁気として観測しているのかも知れないという発想からでした。 それがG・アダムスキーによる

図1

紡錘図形のヒゲではないか、というものです。(赤い枠の部分)   その考察の延長上に「第3起電力のエネルギー源について」があります。  この考察の結果得られたのが

E軸上の実体が原因。物体は結果。

図2

弧理論の考え方の基本形です。 その根拠を基礎付けたのは、いつも引用するある科学者による次の言葉でした。 続きを読む

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時間 は独立した物理量ではない 空間の性質に依存したものである

前回の続きです。  時間 と云う言葉は曖昧です。 岡潔の言葉を出発点として得たのは

  1. 時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である。
  2. 時間とは、位置であって量ではない。
  3. 運動は 時間 に比例して起きるかどうかわからない。

というものでした。 これまでに時計(という機械装置)の運動を

図1

のように直線に直して考えたりしました。 前回わかったのは、

ア) 時刻は時計という機械装置の示す位置である。

イ) 正午から15時までには、3時間ある。という場合の時間距離(長さ)である。

としました。上記.と(ア)を比較してみて、2.について訂正が必要だとわかります。正確には「時刻は位置である」となります。

また、アナログ時計の時針・分針・秒針の長さは決められておりませんから、距離(長さ)そのものではありません。では時計という機械装置は何を表しているのでしょうか。

 

道路などの

写真1 出典:ロードカウンタ

直線や曲線の距離を測る機械にロードカウンタがあります。人が手に持って押して歩くことにより道路などの距離を計る装置です。写真1のホイールは直径約19.7cmです。ホイールの回転数から距離を割り出します。

 

国鉄標準型時計

時計はというと針の長さに決まりはありません。 時計の針の半径を決めれば、一定の距離を求めることができます。 ただし、その場合において時計という機械装置の運動が「時間」に比例して起きることが求められます。 (管理人は古典的な範囲に於いては、1.時計という装置の運動は、人の観念としての時間と比例している。2.時計という機械装置と被測定物の運動との間には比例関係が成り立っている、と考えています。このことは、前回書きました。)

アナログ時計であれば、歯車を使った回転機構ですが、電子式のデジタル時計であれば素子の往復運動であったり振動の機構を持っていて、その往復運動が「観念としての時間」に比例している必要があることになります。

難しいのは岡潔が、人が持つ時間と云う観念を指して議論していることです。 管理人はこれまで、時間と云うものについて、観念から物理的な側面に向かって考察を進めてきました。  結果として云えるのは、時間とは独立した物理量ではなくて、空間の性質に依存した性質、あるいは付随した、もしくは派生したものだということです。

その空間の性質というものが何なのかいまいち理解できませんけれど、少なくとも

時間・空間という自然科学の枠組みは誤り

です。 別の言い方では、「時間は、空間とは別の基本物理量ではない」ということです。 個人的には、時間は物理量ではないと感じます。何故なら、人の感覚(五感)で分かるのは、「物質が持つ質量にかかる位置運動だけ」だからです。紡錘図形からは、力も因果性も時間も読み取れません。

人の持つ感覚(五感)で分かる範囲、

表1

の赤い括弧の範囲から外れる領域にある現象は、時間を適用できないだろうということです。 当たり前ですが、自然科学の限界は、人の感覚の限界に等しいと考えます。岡潔曰く「五感でわからないものは無いとし思えない」のですから。(自然科学者は自覚なしに、そう理論を組み立ててきました。)

 

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時刻は位置であり量ではない 例えば3分間は、距離(長さ)であって時間そのものではない

時間についての考察は、凡人である管理人にとって長い期間を要するものでした。 考察の出発点である数学者岡潔の言葉は、以下の通りです。 「自然科学は間違っている」から【2】自然科学者の時間空間より一部を引用します。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

人は時間の中なんかに住んでやしない。時の中に住んでいる。

時には現在、過去、未来があります。各々、全く性質が違うんです。それ以外、いろいろありますが、時について一番深く考えたのは道元禅師です。

が、その時の属性のうちに、時の過去のうちには「時は過ぎ行く」という属性がある。その一つの性質を取り出して、そうして観念化したものが時間です。非常に問題になる。

下線は管理人による。

これまでの結論として

  1. 時間とは、過ぎ行く運動の記憶、あるいは記録である。
  2. 時間とは、位置であって量ではない。
  3. 運動は時間に比例して起きるかどうかわからない。

というものでした。時計(という機械装置)の運動を 続きを読む

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