自然科学 は何処でどう間違ったか?

これまでの考察により 自然科学 の間違いは概ねわかっています。

図1

電磁気学の成立過程において、電気磁気現象の非対称部分を意図的にそぎ落としたらしいことはわかっています。

 

一方で図1とは異なる観点から整理できます。何度も引用しているイタリアの理論物理学者カルロ・ロヴェッリの著書「すごい物理学講義」より引用します。

写真1 すごい物理学講義

図2 出展:上記書籍p191より図7-8

この図に加筆したのが下図です。 続きを読む

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皆、 本当のこと に興味はない。

近頃感じるのは、世の中の人たちは皆、 本当のこと に興味がないということです。2年ほど前に某会にてスピーチする機会を得ました。その会の方たちは、 本当のこと に興味を持って参加しておられると思っていました。ところ後で考えると、何にでも興味は持たれるが、本当かどうかに興味がないのだとわかりました。

最近は、専門家でも 本当のこと などどうでもよいという方ばかりだとわかってきました。真実を知って、事実を知って、皆に知ってもらおうと活動している歴史家、評論家、ジャーナリスト、科学者など一部を除いて、手段に過ぎないお金を目的に平気で嘘を言っているようです。

学者は、役に立つかどうかなどどうでもよくて、本当のことを知りたいという欲求により活動する人です。ところが、大学教授の9割方は、本当のことなどどうでもよいそうです。研究費の調達に汲々として、研究がおろそかだといいます。ほとんどの大学教授は科学者ではないのです。

新型コロナウイルスでの騒動や中国での集中豪雨被害の状況を見ていると気分が落ち込みます。指導者やマスコミは科学的な根拠などどうでもよくて、支持率、視聴率や販売部数にのみ関心があります。こんな事態でもなお権力闘争にあけくれています。

 

このような状況になった原因について考えるとどうも「科学が面白くない」ことに原因があるのではないかと思います。これまで調べてきたことを総合すると19世紀のある時点で、金融資本家により科学が歪められた結果ではないかと考えます。ボタンの掛け違いは現在まで続いているように思います。 続きを読む

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時間 とは事の「質」である。

時間 とは何かについて、これまで散々考えてきましたが、まだ気づくことがありました前回記事にて、ご紹介した動画の内容について、解説します。

動画1

人の五感でわかるのは、「物と事」です。最初に「」について気になりだしたのは、本居宣長の云う「もののあわれ」からです。(本居宣長研究ノート「輪間と心とは」本論第九回「もののあはれ」の巻

ホツマ事典p226によれば、タマの「隋心」としてミヤビ(ナサケヱダ、アワレヱダ)があります。岡潔の云う「情」は、ナサケヱダであり、本居宣長の”もののあわれ”がアワレヱダに対応すると感じました。ナサケヱダは、時の現在(静止画がわかる)であり、アワレヱダが時の過去(動画がわかる)だと判断しました。ホツマ事典にあるように、ミヤビは記憶が関係します。情報を記憶するには、わずかばかりのエネルギーが必要です。タマとシヰには、記憶の仕組みがありませんので、身体か必要だということです。

それらの仕分けを整理すると次になります。

図1

  1. 物質も運動(エネルギー)も一つの実体の異なる面。
  2. 物も事も一つの実体の異なる面。
  3. 時の現在も過去も一つの実体の異なる面。
  4. ナサケヱダもアワレヱダも一つの実体の異なる面。
  5. 静止画も動画も一つの実体の異なる面。

人の五感でわかるのは、物と事です。そのわかり方は、物は量がわかり、事は質がわかるのです。ですから、事は時の過去であり、事の質です。岡潔は「数は量のかげ」と云いましたが、同時に、「数は質のかげ」でもあるのです。正確に言えば、「数は事の質のかげ」なのです。 運動には質が対応するということです。

これまで 時間 とは、人が過ぎゆく運動に抱く意識であるとしました。 時間 は時の過去の観念に過ぎないのですが、同時に「時間は運動を数とした」だったのです。

これが、岡潔が「数は量のかげ」と云いながら、「 時間 という計量的なものはない。」と云ったことの意味がわからなかった理由です。ここまでモヤモヤ感がはれなかった訳がわかりました。でも、なぜ、岡潔は「数は質のかげ」と云わなかったのかは不明です。岡潔はいろいろと端折りすぎます。

 

写真1

今年の初め頃より度々、引用するカルロ・ロヴェッリによる著書「時間は存在しない」において、著者は次のように述べています。p99より。

かりにこの世界が物で出来ているとしたら、それはどのようなものなのか。原子なのだろうか。しかし、原子がもっと小さな粒子で構成されていることはすでにわかっている。だったら素粒子なのか。だが素粒子は、束の間の場の揺らぎでしかないことがすでにわかっている。それでは量子場なのか。しかし量子場は、相互作用や出来事について語るための言語規範に過ぎないことがすでに明らかになっている。物理世界が物、つまり実体で構成されているとは思えない。それではうまくいかないのだ。

ポイントは2つです。

  1. 量子場は言語規範に過ぎない。
  2. 物理世界が物で構成されているとは思えない。

1.は既に記事にしました。2.について、著者の疑問が「事」にあると(恐らくは半分)気づいています。別の箇所にあります。p131第九章「時とは無知なり」より。

この世界の基本原理に含まれず、何らかの形でただ「生じる」にすぎないものはたくさんある。

著者は、なぜか「生じる」ものはたくさんあるとして、例を次々と挙げています。物理世界は物ではなくて、出来事であると。

ただ、著者は、人には心が2つあることを知りません。だから、著者が例に挙げた「猫は存在しない」という著者の疑問は晴れないままです。

面白いことに、著者の思考はエントロピーへと向かっています。第十一章「特殊性から生じるもの」「エネルギーではなくエントロピーがこの世界を動かす」にあります。さらに別の著書「すごい物理学講義」の第4部第12章「情報--熱、時間、関係の網」に動画で取り上げたボルツマンの公式(S=k logW)が取り上げられています。

結局の所、情報は人の五感でわかる事の質であって、情報エントロピーも熱力学のエントロピーも運動の一形態だと気づいていないのだろうと思われます。それらのいずれも人の五感でわかるに過ぎません。

 

著者を含める自然科学者が(彼らが考える)自然(時間・空間)というものを数式で表すとき、入れ子になっていることをどう思っているのでしょうか? 自然の一部に過ぎない人が自然を表現しようとして表した数式は、当たり前ながら自然の一部です。ここで、彼らの思考は自然の外に置いている訳です。これは矛盾で、傲慢だと感じます。当サイトで何度でも指摘しているシヰ(第1の心)は、循環でネットワークであり、外のない内です。超えることなど、はなからあり得ません。著者は、言語規範だと気づいているのに入れ子に気づかないのは不思議です。それを回避するには別の次元軸からの投影による映像だと解釈する以外にこれを(当面の間)回避する方法を思いつきません。

量ではない時間を用いずに、かつ「物と事」を区別する科学を別の次元軸からの投影による映像として構築するしかないと確信します。

 

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動画「 自然 という映像の仕組み。熱力学エントロピーと情報エントロピーは同じ事」を掲載しました。

動画サイトに「#06 自然 という映像の仕組み。熱力学エントロピーと情報エントロピーは同じ事」を掲載しました。

動画1

ここのところ、当サイトの過去記事を元に、まとめを動画にしてきたのですが、漸く一山越えたようです。岡潔が「時間という計量的なものはない。」と云います。では時間はどういう「数」なのかがわからない状況が続いてきました。今回、やっと整理が付きました。詳しくは、動画をご覧ください。

まだまだわからないことダラケなのですが、どうもフリーエネルギーのカギは「情報の質」にありそうです。(動画には入れていません。)

 

先日観た動画についてメモしておきます。科学者の 武田邦彦 氏は、わかりやすく解説されるのでよく観ています。(たまに得心できないものもありますが。)たまたま、虎ノ門ニュースを観ていたら12進数について言及されていました。

動画1 DHC】2020/7/10(金) 武田邦彦×須田慎一郎×居島一平【虎ノ門ニュース】

有名な方が12進数について発言されたのは初めてのはずです。

 

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唯物主義と還元主義 の末路は”人類の滅亡”

5月26日の記事「唯物主義と共産主義」にて、感じたことの続きです。

岡潔は、「五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べました。その行き着く先が「共産主義:非宗教という宗教」なわけです。はなから自己矛盾を抱えています。

管理人は、自然科学の間違っている点を追求してきました。自然科学の進め方は、上記の唯物主義ともう一つ、還元主義です。還元主義は「わかるの語源はわける」だから、「わけることによりわかる」というものです。

岡潔の言い方を真似ると次になります。

わけることによりわからないものはないとしか思えない

わからないものを「わける」ことによりわかりきり切るということです。一方で、これまの考察により、還元主義には終端があるとわかっています。量子場理論は、(たぶん)還元主義の終端です。それは循環であり、ネットワークであり、外のない内です。それは、岡潔の云った第1の心の特性からきています。

しかし、唯物主義と相まって、還元主義者は「わけて考えられない人なんて人に非ず」と言い切ることになります。唯物主義の「非宗教という宗教」に対応した言葉を思いつかないのですけれど、とにかく人類全てを「そうあらねばならない」と断罪するということです。(うまく言い表せませんw。)

 

これまでの考察により、還元主義の行き着く先は、すべての抽象化でした。どうせ第1の心は、循環でネットワークであり、外のない内だから、答えなどありません。

図1

最後は、何が何だかわからない状態に陥ります。間違いなく。問題は、2つの心(ヲシテ文献のタマとシヰ)の乖離です。第2の心、即ちヲシテ文献のタマは、ごく具体的な物と事について「何となく趣おもむきが直にわかる」働きしかありません。第1の心(シヰ)の特性として抽象化する過程において、次のことが考えられます。

 

最近、動画にてMMT(現代貨幣理論)を観ています。お金の仕組みは、昔いろいろ調べたのと動画”money as debt”でわかっていました。

動画1 money as debt

MMTは、三橋貴明氏のがわかりやすいです。

動画2

図1のように、お金は抽象化の最たるものです。で、どうも、唯物主義かつ還元主義である連中は、上記の通り、極限まで突っ走るようです。そして、彼らは「お金を究極の目的」にします。 お金は人々の生活を満たす手段に過ぎません彼らは、手段を目的にしているのです。

財政破綻論は、理論的にも現実としても破綻しています。

図2 出展:【日本政府の長期債務残高(左軸)と長期金利(右軸)】

財政破綻論者は、手段を目的に替えた財政破綻主義者です。ただのカルトです。理屈なんてどうでもよいのです。自己矛盾を抱えているのです。もう云っていること、やっていることが無茶苦茶です。しかし、彼らもタマとシヰを持っています。たぶん心の奥底は誤魔化せません。

唯物主義と還元主義の行き着く先は滅亡です。岡潔は、「現代は間違った思想の洪水」と云ったのは、上記の「抽象化へ向かう思想群」のことです。

 

2つの心(タマとシヰ)の乖離は不健康です。弧理論におけるガガミ(社会科学:図1)のキモはここにあります。 自然科学の間違っている点と正しい方向を示せば、向かう方向は変えられると思います。でなきゃやってられません。事の本質は、お金の話でも、金融でも産業でも科学技術でもありません。

因みに、数学を用いて究極の理論を打ち立てようと努力されている方。無駄です。数学を含む言葉は、第1の心によります。外のない内です。 自然 > 第1の心。 予め規定することはできません。(当面)回避するには”別の次元軸からの投影による映像の仕組み”を科学する以外に方法はありません。だからこそ未来があり得るとも云えます。

 

動画による解説に鋭意集中しています。うまく表現できないまま進んでいますけれども、何とかなりそうです。最近感じるのは、全体をわからねば、わかった気になれないようです。弧理論の概要を説明しようとすると全体を説明せねばわかってもらえないということです。つまらない導入部が続くのは観る方としては苦痛ですね。

日本人は、自らの頭で考える力が衰えてきています。たぶん、何もかもが抽象化しているせいです。ほんの一握りの人たち(超専門家)にしか(理解し進められない世界。ほとんどの人が理解ではない世界)なんて、知れています。 中学生にもわかる内容でなければ先に進める訳がないです。

 


追記7/10 第1の心(ヲシテ文献のシヰ)、つまり生命維持の欲求は、「意識を通し、言葉で言える。」というものでした。言葉には数学も含みます。言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環でネットワークであり、閉じた「外のない内」でした。人は、物や事をわけることによりわかっている訳ではありません。循環だから、そこに答えなどありません。だから、際限なく求め続けるのです。シヰ(生命維持の欲求)により循環に陥るということです。行き着く先は抽象の極地です。何も得るものはありません。こんな簡単なこと、誰も指摘しないのは不思議です。

 

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動画「二つの心(後編)その2」を掲載しました。

岡潔による「2つの心」について、第2の心を解説した動画を掲載しました。

動画1

実は、簡単すぎて誰も考えないから説明されてもいまいちわからないのです。 これで2つの心の仕組みと働きについて、「別の次元軸からの投影による映像」だという仕組みについて、まとめられそうです。

いろいろ考察してきましたが、どう考えても別の次元軸はありそうです。時間は物理量ではありませんから除外して、空間(M軸、物質的自然)に人の心があるというのは無理があります。

前回、記事にてお伝えしたように「情報エントロピーと熱力学エントロピー」について解説するとともに、別の次元軸からの投影の仕組みと併せて解説しようと考えています。

自然科学はどう考えても間違っています。

 

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動画「 2つの心 (後編)その1」を掲載しました。

数学者岡潔の言葉より考察した「 2つの心 」について、動画サイトに掲載しました。

動画1

2つの心 の内、第1の心の詳細について説明した後、ヲシテ文献にあるタマシヰとの比較をしました。参考しにしたのはヲシテ研究者の池田満氏による解説です。

動画2

できれば、『【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6』の1~を順に観ていただいた方がわかりよいです。

ヲシテ文献について、漢字直訳では絶対にわからないことです。ネット上に多くある漢字直訳はすべて駄目です。

これまでの考察により、岡潔の「 2つの心 」はヲシテ文献のタマシヰに等しいことがわかります。タマは「第2の心」でシヰは「第1の心」です。 これまでわかりにくい動画が続きましたが、ようやく核心に近づいてきました。大事なことは、各部の説明がバラバラではなく、全体を把握して初めて(心の仕組みと働き)が理解できると云うことです。

いよいよ、「自然は心を映写するためにある映像」について、「(自然は)別の次元軸からの投影による映像」の仕組みによってできているという解説になります。

仮に岡潔が生きていたならば、上記の解説を聞かれて喜んでもらえるでしょうか。

 

つい先頃、長年の疑問が解けました。これは学生の時に感じた疑問です。これまで何度か記事に書いてきたことです。サイト内を(エントロピー)で検索ください。

疑問:情報エントロピー熱力学的エントロピーには、なぜ同じ数式が出てくるのか?

EMAN氏の記事「二種のエントロピー」にあるように「それらは区別する必要のない全く同じものだ」と考える意見と、「形式が同じというだけの全く別概念だ」と考える意見とが存在しています。この疑問に決着が付きました

次回の動画の解説に採用するつもりです。2つの心と何の関係がある? ヒントは2つ。「時間は物理量ではない」と「自然は、別の次元軸からの投影による映像」にあります。この2つがなければ気づきようがありません。

 

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動画「 2つの心 (前編)」を掲載しました。

動画サイトに「03 2つの心 (前編)」を掲載しました。

動画1

これまで数学者岡潔の言葉より考察した内容のうち「2つの心」について、「第1の心」の仕組みと働きを解説しました。

神の数式なるものがありますけれど、インチキです。

図1

物質的自然は、自然科学者が研究対象としている自然のことです。神の数式は、この物質的自然を決して出ていません。自然とは何かをあらかじめ定めることは、原理的に不可能です。何故なら、第1の心は循環(ループ)で、閉じているからです。

自然 > 自然科学の時間空間というモデル

そんなことを解説する動画です。

第1の心は、意識を通し言葉で言えます。意識を通すということは、記憶に付随するということだと思います。というのも数字で表すことができる時間は、過ぎゆく運動の過去の出来事についての記憶(情報)があるからこそ持ちうる観念なのです。NHKの時報が過ぎてからしか知り得ないは、第1の心が記憶に頼っているからです。記憶を蓄えるにはハード(脳)が必要です。

第1の心は、ヲシテ文献におけるシヰです。タマ+シヰの腹心にミヤビがありました。ミヤビはアワレヱダとナサケヱダからなりました。このあたりのことを岡潔の2つの心と比較した図を近いうちに示したいと考えています。

 

ヒトはタマシヰ(生命維持の欲求)に物質を伴うことによりできています。タマにもシヰにも記憶装置がありません。だから身体の脳(記憶装置)が必要なのです。脳の仕組みは、人工知能に置き換えられます。しかし、ヒトは人工知能と異なります。脳の処理系としては人工知能と同じですけれども、ヒトにはハードとしての処理系(身体)とは別にタマとシヰがあります。人工知能には、これがありません。

2040年にはロボットが人を襲うという話があります。仮に人を襲うロボットがあるならば、そのロボットの背後に必ず人がいます。そのようなロボットの人工知能には、あらかじめ人を襲うという学習をさせたか、プログラムを潜ませる人が居るということです。ロボットの人工知能には、生命維持の欲求がありません。

 

この動画、見た目が悪くて、つまんなくて申し訳ありません。内容も簡潔にまとめきってないです。こんな難しい動画、誰も観ないです。

 

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動画「 自然科学 は循環である」を掲載しました。

当ブログにて、考察した中からまとめた部分を動画サイトに「#02 自然科学 は循環である」として掲載しました。

動画1

録音、録画、編集とも下手くそながら、内容に誤りはないと考えます。

 

自然科学は量ではない時間をパラメータとする循環ですから、宇宙物理学でいうところの宇宙の初期状態(ビッグバンにおけるt=0)を計算しようとすると不定になります。

相対性理論は、光速度を不変として、質量が原因で空間が歪み重力になるし、重力が原因で空間が歪む?とか。そもそも質量と重力は空間を介して互いに規定し合っているという説明は無意味です。何も説明したことになりません。

岡潔は「空間は量的に質的にありません。」と述べています。【5】情の特色を参照ください。空間というモデルも駄目です。過去記事で述べたように、空間は境界面にそっくりです。境界には何もありません。

gif 1 青と透明の液体があるだけで、境界面という何かがあるわけではない。空間も同じ。

ループ量子重力理論は、自然科学の循環の呼び方を変えたものに見えます。(違いない。)

図1

このような量子場の説明では空間に何かあるように誤解します。

上のgif1において、青い粒子は透明の液中にできます。透明の粒子は青い液中にできます。これは青い粒子と透明の粒子は互いに規定し合うことにより成り立つ循環(の状態を示すモデル)です。 カルロ・ロヴェッリが著書「時間は存在しない」で述べたように、「(量子場は)言語規範と同じである。」という条件を満たしています。このあたりのことは既出です。

 

自然科学は、量では無い角度から作った時間をパラメーターとする循環です。循環とはループであり、互いに規定し合うことにより成り立つネットワークであり、孤立系であり、「外のない内」です。 今までの考察により、明らかなようにこれが「第1の心」の特性です。

わからないものに関心を集め続けて、情的にわかったものを知的(言葉)に言い表したならば、ネットーワーク「外のない内」に取り込んだことになります。ここから第1の心の範囲になります。 当たり前のことなのに、何でみんな気づかないのでしょう。岡潔が云ったように人には、心が2つあります。

 

追記 やっと「具体抽象」の意味合いがわかってきました。長年、疑問であった「熱力学エントロピーと情報エントロピーの関係」がもう少しでわかりそうです。そのうち、記事にします。毎年、少しずつ核心に近づいています。

 

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自然科学は何も説明しない。 現代宇宙論 は破綻 している。

2018年に自然科学は循環であるとわかりました。

図1

自然科学の時間空間というモデルは、初めに「空間があり、物質がある。時間の経過により運動する。」というものです。量ではない角度から作る時間は物理量ではありません物理量ではない時間を変数に持ち循環である自然科学は何も説明しない事は明白です。

時間・空間→物質→運動→時間→光速度(相対性理論)→時空→物質→運動→時間→・・・・

 

ここで、現代宇宙論について考えます。これまでビッグバン宇宙論には矛盾があると書いてきました。加速度的に宇宙が膨張しているから、時間を遡ればビッグバンに至ると考えたようですけれども、遠くがより速く遠ざかる様子に偏りがありません。多少揺らぎはあります。それだと、ビッグバンの中心は地球だと云うことになります。どう考えても変です。地球が宇宙の中心だというのは、かつて聞いた言葉です。サイト内を「ビッグバン」で検索ください。10件出ます。

 

昨年末に続けて記事にしたカルロ・ロヴェッリ著(以下、著者という。)の「 時間は存在しない 」には、「現在に意味は無い」とあります。

写真1

著者は、論理的に「時間は時の過去である」ことを導いています。 しかし、結論はまったく逆です。 時の現在は第2の心のみです。ここに意味があります。第1の心は時の過去です。 続きを読む

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