これまでの考察により、人の感覚器官による五感でわかる範囲は、
表1
の赤い括弧で括った範囲だとわかっています。 では人が持つ時間感覚はどうかというと、「運動する物体の質量に依存している」ようです。 わかりにくい点もあるでしょうけれど、掘り下げてみます。
考察した結果を表1を元に図表にしたのが
表2
です。以下、箇条書きにします。 続きを読む
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これまでの考察により、人の感覚器官による五感でわかる範囲は、
表1
の赤い括弧で括った範囲だとわかっています。 では人が持つ時間感覚はどうかというと、「運動する物体の質量に依存している」ようです。 わかりにくい点もあるでしょうけれど、掘り下げてみます。
考察した結果を表1を元に図表にしたのが
表2
です。以下、箇条書きにします。 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。世界の現状が行き詰まっていることは、誰の目にも明らかです。2010年より研究を始めて、その目的や手段を含めて曲折がありつつも、漸く各々の部品(電磁気学や岡潔の思想あるいは トコヨクニ などに関する要素)が出揃ってきました。これまでの研究を少し振り返って箇条書きにします。
※部分を追記 2017年3月24日
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。二重反転型単極誘導モーターの構造を実現できないかネットで「ターンテーブル」を検索したところ、オーディオ用の「二重反転ターンテーブル」というのがありましたのでメモします。
写真1 KRONOS社より
Vic’s Weblogさんのブログに二重反転ターンテーブル!という記事にありました。
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動画1
他にもMusic To Go!さんのサイトにも日本人の製作による
写真2 Music To Go!より
二重反転のターンテーブルがありました。製作者によると二重反転にしたのは「振動を打ち消してしまう効果を期待」したとのことです。
写真1のターンテーブルは、KRONOS PROの説明から分かるように筐体に取り付けたモーターにより、ベルトにて二重反転を実現しています。写真2も同じ構造であることが分かります。 この二重反転のターンテーブルは、回転トルクを打ち消す構造をしています。 もしかしたら、二重反転ターンテーブルは、筐体の捻れを防ぐ目的も含まれているかも知れません。
これらの二重反転ターンテーブルは一見したところ、管理人による同軸二重、あるいは三重反転型の単極誘導モーターと同じだと考えられますが、本質的に異なる点があります。 二重反転ターンテーブルの上テーブル(LPレコードが乗る方)はベルトを介して筐体に取り付けられたモーターにより「回され」ます。上テーブルの反作用は筐体が受けているということです。 そして、下テーブルもまたベルトを介して筐体に取り付けられたモーターにより「回され」ています。ですから下テーブルの反作用も筐体が受けていることになります。そして2つのターンテーブルの反作用は筐体において合成されています。
一方、過去記事、同軸反転型単極誘導モーターによる「反作用のない回転運動」実現の可能性について(動画) に示した様に、同軸二重反転型の単極誘導モーター
図1
並びに三重反転型の単極誘導モーター
図2
は、いずれも電流を流すことにより「回る」のであって、「回す」機構がありません。そして、内側のリングにかかる反作用は、外側のリングが受けます。外側のリングの反作用は筐体に固定された外側電極が受けます。つまり、内側のリングにかかる反作用は外側のリングにかかる反作用と相殺され、筐体には差分だけが伝わることになります。
まとめると
ということになります。
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動画2
ある科学者が地球の科学者を「木の枝の先を登るアリ」に例えています。曰く「地球人が木を登り続けるには、幹の分岐点まで戻る必要がある」と述べました。 研究を始めたころは、電磁気学の成立したころまで戻るのかと考えてきましたけれど、単極誘導モーターの研究でニュートン力学にまで遡らねばならなくなると思いました。 それどころか縄文哲学を知ってからは、人の精神の根幹にまで戻らねばならないことに気(キ)付いたのは衝撃でした。
それにしてもオーディオに熱心なマニアの方はいろいろなことを考えますね。とても興味深いです。
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昨日、近所の書店で見かけた本
写真1
現代洗脳のカラクリ ~洗脳社会からの覚醒と新洗脳技術の応用 苫米地 英人 (著)を手に取り中を見ると「世界中に拝金主義が蔓延している原因は1{c4de8a001cbcae7c382f1dd801287804055307794e3d216dc125c16c479c4f5b}の超富裕層にある」と書かれていました。 確か、報道されるところによれば「世界で最も裕福な85人が人類の貧しい半分の35億人と同量の資産を握っていることが判明」したとのことです。 彼によると、拝金主義が広がり、貧富の格差を助長している原因は、大多数を占める人たちではなくて、たった1%にしか過ぎない超富裕層がより「お金」を欲しがる結果だと述べています。
本の主題が「洗脳のカラクリ」ですから、1%の超富裕層がただの数字に過ぎない「お金」をより欲しがるのを「止めさせる」方法は書かれていませんでした。 続きを読む
電気と磁気の現象は例えば
図1 フレミングの法則 電気の資格とお勉強より出典
の様に互いに直交して現れます。必ず90度です。
写真1 美しい鉱物標本のまとめより出典
鉱物などは、90度以外の角度を持って現れます。 90度というのは何か特別な感じを受けます。
図2
ジャイロ効果や、それに伴う 続きを読む
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。当ブログにおいて、初めて地球の自転がファラデーの単極誘導モーターとして起きている可能性を示したのは、2013年5月10日の地球の自転はなぜ維持されるのか(地球は単極モーターである。)という記事でした。 この頃は単極誘導モーターの実験により同軸反転型単極誘導モーターを作っていませんでしたので、考察を進めることができませんでした。 その後の関連記事を揚げますと
ジェット気流と単極誘導モーターの類似性 2015年5月28日、地球は単極誘導モーターに似ている 2016年8月22日、地球は同軸反転型の単極誘導モーターか? 2016年11月14日 があります。
その後、水銀を用いた同軸反転型の単極誘導モーターの追加実験を含めてまとめた記事を同軸反転型単極誘導モーターによる「反作用のない回転運動」実現の可能性について(動画)2017年2月2日に記しました。 それで金属リングを用いることによって、反作用を相殺する単極誘導モーターが実現できそうなことに気付きました。
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動画1 続きを読む
これまで数学者岡潔の言葉について、いろいろ考えてきました。自然科学の一番大きな問題である「時間」については、概ね理解できました。 次に問題なのは、「五感で分かる」という点でした。これについても理解できました。 管理人の得た結論は、「自然科学は近似である」というものでした。「五感でわかるもの以外は、無いとしか思えない(唯物主義)」なのですから当然のことです。自然科学は古典的範囲において正しいといえそうです。 五感の限界が自然科学の限界だったのです。それをムリに補完したのが「時間」でした。 ただ過去記事にあるように何十年か前に自然科学は唯物主義を捨てていることも事実です。 以下に、少し補足します。
肉体に備わった
図1
「五感」は、基本粒子である「陽子、中性子、電子」で構成されています。極大の世界である宇宙は、距離がありますので、五感でわかる範囲が限られているのは、当然のことです。表1の右側。
表1 続きを読む
であるならば、「数」として扱えない「量」というのはあるのだろうか?
寝返りは、身体に生理的な信号が生じるわけですから、何らかの「量」があることは確かです。でも自身は「意識がない」ですし、信号をどこまで遡れるのかわかりません。小脳以下で完結するのでしょうか?そうとは思えません。大脳がほぼ活動を休止している状態でも寝返りはあるでしょう。 物や事の内において、数として扱えない量や嵩はあるのではないかと考えます。その一例が「寝返り」ではないでしょうか。
直観的には、物や事が生じる原因が五感で分からないところから来ているだろうと感じます。 「意識を通さない」「言葉で言えない」というのはとても難しいです。言葉遊びに近いような気がしなくもないです。 岡潔は、これを突破して「情」に辿り着いたのだから凄い。
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うまく書けるかどうか分かりませんけれど、やってみます。
自然科学は、五感による刺激によって感じる「物や事」を「分ける」ことによって、「分かる」ようにするのが目的です。 自然科学の対象とする「物や事」は、岡潔のいう「意識を通す」「言葉で言える」ものが対象です。 「意識を通さない」「言葉で言えない」物や事について、彼ら自然科学者は「無いとしか思えない」のですから、何も考えていないということになります。
図1
の様に、物や事を分類整理することにより、物や事の本質が「分かる」と思っています。しかし、実際は、研究者が全体を見渡すことが出来なくなっています。いつも引用するある科学者の言葉を示します。
我々は科学者たちが既成概念という鋳型で固められていることを知った。彼らは遠くまで進みすぎている。その結果遠い道のりを後戻りしなければならない。私の言う意味を比喩によってもっと易しく言ってみよう。科学知識を求める人間は木に登るアリのようなものだ。自分では上方へ動いていることがわかっていても、その視野は狭すぎて幹全体を見通せない。そのために幹を離れていることに気付かないで下方の枝の方へ移動するかもしれない。いっときは万事うまくゆく。自分ではまだ上方へ登れるし、進歩という果実を少し摘み取ることもできる。だがその枝が急に無数の小枝に分かれていろいろな方向に葉が散らばっているために本人はまごつき始める。同様に知識の探求者は常に確固たる者であった。基本的法則がいまや分かれ始めて、反対の方向に散らばり始めていることに気付く。すると科学者は心によって受け入れられる知識の限界に近づいていることや、あらゆる物理的法則は究極的には全く統計的なものになるという結論に達する。これは地下鉄の列車に乗って行くようなものだ。たぶん最後には目的地へ着くだろうが、どこへ行くのかがわからないために、同じ場所へ着くのにもっと短くて容易な方法があることを確かめることができない。
ある科学者の言った、「あらゆる物理的法則は究極的には全く統計的なものになる」というのは量子理論のことを云っています。 続きを読む
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