第1の心「 外のない内 」の限界について

ヒトには心が2つあります。岡潔が名付けた第1の心と第2の心です。

  1. 第1の心 意識を通し言葉で言える。私心 全部を覆っているが外へは決して出ていない
  2. 第2の心 意識を通さず言葉で言えないがしかし、情的にわかる。(何となく趣がわかる)無私の心

ヲシテ文献では、第1の心をシヰといいます。強いるのシヰ、つまり、生命維持の欲求です。言葉は互いに規定し合って成り立つ繰り返し、循環であり、ネットワークでした。「全部を覆っているが外へ出てない」という奇妙な言い回しを 外のない内 と言います。

図1 第1の心は、循環であり、ネットワーク 外のない内

ヒトが持つ心の本体は第2の心であり、ヲシテ文献では心の本体をタマと呼びます。これが2つの心、タマシヰです。

第1の心は、言葉の特性のとおり 外のない内 です。このことをおわかりの方は、ほぼ皆無です。外のない内である第1の心の限界について、議論されている動画がありましたので貼っておきます。とても大事な内容を含んでいます。

動画1 啓蒙主義とプロテスタント/ジェイソン・モーガン先生に聞く01

余談です。7:00~ 話の中に出てくるFBIについて、関連する過去記事です。FBIもCIAも本当に偏っていますし、秘密警察だと感じます。

啓蒙主義や保守主義などの話は、とても参考になります。 続きを読む

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別の次元軸 の名称をE軸から「基軸」に変更します

これまで、 別の次元軸 の名称をE軸(エネルギー軸)と呼んでいましたが、基軸に変更します。基軸とは基本軸ですけれども、(気)であり、(キ)でもあります。

研究の発端となったある科学者が言ったエネルギーについての解釈について、表現が紛らわしくて困っていました。物理学上のエネルギー[ML2T-2]には、量ではない時間[T]が入っています。それでいて、ある科学者は別の次元軸エネルギー軸とも言いました。

図1 物理学上のエネルギー[ML2T-2]は「事」であり、運動である 時の過去であり、現在を含まない 時の現在は「第2の心により(物が)わかる」ということのみ 何時何分何秒と言葉で言える時間は過去であり、現在を含まない

ヒトの肉体が持つ器官でわかるのは物と事です。自然は別の次元軸からの投影による映像です。別の次元軸の名称をE軸から基軸と変更します。

基軸とは、基本となる軸という意味です。

弧理論は、「自然は映像である」という前提(仮説)です。

  • 自然は別の次元軸(基軸)からの投影による映像(M軸)

図2

今回、名称を変更する基軸の「基」について。基は、気(キ)に同じです。つまり、気(キ)なる軸です。

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ホツマツタヱなどの ヲシテ文献 は、歴史書・道徳の教えであり科学書である 宗教書ではない

某ホツマツタヱを紹介する動画を見ていて感じたことをメモします。

どうも「神道には教義がないが、ホツマツタヱは、書き換えられているし、教義があるから偽書だという意見もある。」と紹介されていました。

2015年からヨソヤコヱ(48音:アワウタ)について考察を続けてきて、漸くアワウタがどのような仕組みで出来ているかわかりました

ホツマツタヱ、ミカサフミ、フトマニとして知られる ヲシテ文献 に書かれている内容は、歴史書であり、修身・道徳であり、かつアワウタという科学です。管理人は歴史に興味がありませんので省略します。

本当のことをヲシ(ゑ)テ(教えて)、ツタヱ(伝え)ているのが ヲシテ文献 です。宗教書ではありません。

宗教の教義を伝える経典に書いてあることは、神様仏様から信者に対する戒律です。信者は、自らの行いを戒律により強制されることによって、何とか人間でいられるということです。言葉を置き換えるならば、「人間に原罪があるから、戒律で縛るしかない。」ということです。縛る方法としてユダヤ教のように「契約という形をした信仰」がとられた訳です。

  • 上念司 アメリカ人から宗教 取ったら中国人

対して、ヲシテ文献は、ヒトの始まりからの歴史を記し、かつ、ヒトとは何か、ヒトはどう生きるべきかのミチをヲシヱテ、ツタヱているのであって、強制しているのではありません。ですから、ヲシテ文献は宗教書ではありません。

 

特に、アワウタ(ヨソヤコヱ:48音)は、の初めをとし、の終わりをという音おんにより意味付けした科学です。日本語の元である大和言葉(和語)の起源は、最初から物と事を明確に区分した科学です。以下は、2017年ころより考えてきた自然科学の問題点です。幾つかあげます。

直近では、アワウタの仕組みを考えることによって、仏教の「如来」、キリスト教の「アルファでありオメガである」とユダヤ教の「在りて在りたる」が同じ意味であって、アワウタに含まれるとわかりました。それどころか、相対論や不確定性関係で示されることのいずれもが物と事の関係を説明しているに過ぎないらしいとわかってきました。

図1 極大極小において、”物”は次元を失って視界から消える 両端にある複雑な”事”は論理的ではあっても大きな科学にならない 自然は映像

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新世界秩序(New World Order)はうまく行く訳ない

新世界秩序 (New World Order)という言葉をよく聞きます。wikiより。

新世界秩序(しんせかいちつじょ、英: New World Order、略称:NWO)とは、国際政治学の用語としては、ポスト冷戦体制の国際秩序を指す。また陰謀論として、将来的に現在の主権独立国家体制を取り替えるとされている、世界政府のパワーエリートをトップとする、地球レベルでの政治・経済・金融・社会政策の統一、究極的には末端の個人レベルでの思想や行動の統制・統御を目的とする管理社会の実現を指すものとしても使われる。

図1 出展:newworldorder 369blog

グローバリズムという言葉もよく聞きます。

グローバリズム(英: globalism)とは、地球全体を一つの共同体と見なして、世界の一体化(グローバリゼーション)を進める思想である[1][2]。字義通り訳すと全球主義であるが、通例では、多国籍企業が国境を越えて地球規模で経済活動を展開する行為や、自由貿易および市場主義経済を全地球上に拡大させる思想などを表す。

主に金融資本家たちが目指しているのがNWOであり、グローバリズムの一環です。2つの語を組み合わせます。

「多国籍企業の主である金融資本家たちは、市場主義経済を全地球上に拡大させる目的で、世界政府のパワーエリートをトップとする、地球レベルでの政治・経済・金融・社会政策の統一、究極的には個人レベルでの思想や行動の統制・統御を目的とする管理社会の実現を指す。」

肝はパワーエリートです。このパワーエリートは、公選されていません。欧州連合(EU)のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長がそれです。金融資本家が実質のトップになるべく組織されています。

 

この新世界秩序(New World Order)という言葉を聞いて思い出すのが「ローマ教皇 が、クリスラム(Chrislam)を宣言して世界統一宗教を目指す」というお話です。 続きを読む

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唯物主義 では、オカルト、占い、スピリチュアルの存在を説明できない

数学者の岡潔は、 唯物主義 を次のように述べています。

例えば、完璧な論理で思考するならば、神仏どころか、オカルトや占い、あるいはスピリチュアルなどあり得ません。通常、論理的思考に長けた人は、オカルトなどは一笑に付すものです。ところが、これまでの考察によって、言語の多さや宗教の多さの理由は、「人が物や事について、言葉でわかっているのではない」からだということがわかりました。

これまた同じ理由で、オカルトや占い、心霊などのスピリチュアルが存在します。ただ、これらに意味があるかどうかはわかりません。

ですから、自らを科学的思考に長けており、自分は論理的人間だと自任している人、あるいは唯物主義者は、オカルトや占いが存在することを説明できません

岡潔は、人に心が2つあって、その第1の心は、「意識を通し言葉で言える心」と言いました。言葉で言えるというところがミソです。言葉は互いに規定しあって成り立つ、繰り返し循環です。ですから、第1の心も繰り返し循環です。

岡潔は、自然科学者の考える自然を物質的自然と名付けています。岡潔は、「(第1の心は)物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」と述べています。【1】2つの心

(注:自然科学者は、物質的自然を時間・空間と言いいました。この時間・空間は簡単な模型であって、自然そのものではありません。)

この「すべてを覆っているが、外へは決して出ていない。」を外のない内と呼んでいます。その理由が上記の「互いに規定しあって成り立つ繰り返し循環、ネットワーク」だからです。

図1 第1の心(言葉で言える心)は、すべてを覆っているが、外へは一切出ていない

ですから、幾ら論理的に思考する唯物主義者であっても、以外の何かが存在することは当然なのです。何しろ人は言葉でわかっているのではありませんから。その何かが、宗教であったり、スピリチュアルであったり、占いであったりするという訳です。 続きを読む

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日本は十字架の国ではない  アワウタ は何でも飲みこんでいく

ずっと以前から、生まれた国、日本が不思議でした。日本人は何でも真似をするけれど、出来上がったものは、元とは似ても似つかない物にしてしまう。この特性はいったい何なのか、実に不思議でした。昔、揶揄されたのが現パナソニックのブランドを持つ松下電器を「マネ下電器」と言われたことがあります。その特性をして日本教と言うことを2015年ころ知りました。日本教を含む記事は27件あります。

縁あって2021年より、仏教について調べてきました。興味を持ったきっかけは、地獄極楽とキリスト教にある天国と地獄があまりにも似ているからでした。岡潔→ヲシテ文献の アワウタ (48音韻:ヨソヤコヱ)と解析した結果、書いた記事が以下です。

要は、仏教の如来とキリスト教の「アルファでありオメガである」、並びにユダヤ教の「在りて在りたる者」は、いずれも同じ意味であるということです。

この3つは、既にしてアワウタ(48音韻:ヨソヤコヱ)に含まれているということです。そして、アワウタは、既にして新しい科学だということです。

ヒトの肉体に備わった器官でわかるのは物と事です。アワウタは、物の初めであるから事の終わりであるまでを含んでいて、アは決してわかりません

つまり、アはワの如しであり、ワはアの如しですから、アは決してわかりません。だから、如来です。また、アルファはオメガの如しであり、オメガはアルファの如しですから、アルファは決してわかりません。そして、初めは終わりの如しであり、終わりは初めの如しですから、初めも終わりもありません。つまり、「在りて在りたる者」という意味になります。 続きを読む

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旧約聖書 「在りて在る者」と新約聖書「アルファでありオメガである」は同じ

先日、すべての宗教は一つに帰納することが可能だとわかりました。ついで、仏教の如来とキリスト教にある「アルファでありオメガである」は同じものだと記しました。

さらに、面白いことがわかりましたのでメモします。以下は、弧理論の前提です。

  • 人の肉体に備わった器官でわかるのは、である。
  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。(自然は映像であることの言い換え。)
  • 物と事は互いに規定しあって成り立つ、繰り返し、循環を含むネットワークである。
  • 物は現在、事は過去である。
  • 事とは「動きがわかる」ということ。
  • 過去がわかるためには記憶の仕組みが必要である。必ず媒体となるハードが必要。
  • 物と事は同時に成り立たない。(現在≠過去)
  • 物と事を音素である5つの母音10の子音に割り付けて、意味付けたのがヨソヤコヱ(48音)、アワウタである。
  • 物と事は同時にわからないのだから、人は物や事を言葉でわかっているのではない

図1 出展:日本ヲシテ研究所

横軸に母音のアイウエオを縦軸に子音のアカハナマタラサヤワをとって、5つの物と10の事を割り付けたのがアワウタです。前提からして、アはワの如し、ワはアの如しです。アは決してわかりません。繰り返し、循環だからです。

仏教の如来は、アとワそのものですし、キリスト教の「アルファでありオメガである」は、同じく「アルファはオメガの如し、オメガはアルファの如し」であって、繰り返し、循環です。如来にも「アルファでありオメガである」にも人格性はありません

大事なのは、アワウタに自然における、物の初めである「ア」から、事の終わりである「ワ」にすべてが収まっているということです。

それ以外はありません。言い換えると「超自然的な何か(神)」は含まれていません。

つまり、如来も「アルファでありオメガである」もアワウタに帰納するということです。言葉は互いに規定しあって成り立っている繰り返しで循環です。だから、その仕組みからして世界中に多くの言語がある訳です。 続きを読む

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国家観のない人を グローバリスト と言う

最近、田中英通氏の動画を幾つか観ていて感じたことをメモします。

田中氏は、渡来系である蘇我氏や氏はユダヤ人だったと言います。そして、田中氏は、どれかの動画で述べていたこととして、印象的だったのは、「(渡来人に)国家観がない」と言われたことでした。

秦氏は日本に同化したが、蘇我氏は同化せず、国家を乗っ取ろうとした末に刺殺され、あるいは自害して絶えました。

田中氏による講演の一つをあげます。

動画1

動画2

 

一方で、歴史家の林千勝氏による著書や動画を拝見していて、林氏は、常に三角形の図で、グローバリストについて述べています。この グローバリスト がどういった人たちなのかわかりませんでした。

写真1 出展:林千勝氏の動画より グローバリズムを進める左右の グローバリスト とマネー主義を統括するグローバリスト

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物理学 はなぜ、これほどに混迷しているのか?

重力の謎6選という動画を見ていて、次図が参考に挙げられていました。

図1 出展:物理学の地図

なぜ、こんなに複雑なのでしょうか?これまでの考察からいえることは、自然科学において、物と事の区別がついていないからのようです。

弧理論の前提は以下です。

  1. 人の肉体に備わった器官でわかるのは、物と事である。
  2. 自然は別の次元軸からの投影による映像である。

別の次元軸をE軸といいます。映像をM軸といいます。M軸は、物質的自然、あるいは物理空間を言います。研究の取っ掛かりになったある科学者の言葉から、自然科学にある問題点を挙げていきました。だいたいまとまったのは2020年ころでした。

前提より、得たのは次です。 続きを読む

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仏教とキリスト教は 既に一つ( アワウタ )に帰納している

本記事は、次の記事を1.として書いた直後に、もっと大事なことに気づいたため、続けて2.を書いて一本の記事としてまとめたものです。

 

1.仏教の如来は、景教ネストリウス派に由来するのだろうか? それとも普遍なのだろうか?

ずっと以前から仏教とは何かよくわかりませんでした。

  • 仏教にある地獄極楽と聖書にある天国と地獄がどう見ても同じであること。

素朴に疑問でした。

昨年、 如来 の意味がわかりました。

右は左の如し、左は右の如し、善は悪の如し、悪は善の如し、表は裏の如し、裏は表の如しです。合わせ鏡のようですし、繰り返し、循環です。つまり、すべては相対的です。言い替えると物事は二項対立として成り立ちます。どう考えても如来に人格性はありません

地球上において人類は、主義主張による二項対立の構図にあることを否めません。

そして、 如来 は、先人たち言葉の仕組みと働きから気づいたのではないかと考えました。

ここに人類普遍の思考が働くことによって、 如来 と言う言葉をいつか何処かで誰かが言い出したのだろうと推測しました。

ところが、如来について、いつ、何処の誰が言いだしたのかを調べましたが、わかりませんでした。意味を調べても管理人が考えるものとまったく異なるものです。困りました。しかも如来は、仏の一部だとあります。仏の一覧に如来部として記載があります。 続きを読む

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