電磁誘導と単極誘導は空間的に対称である  電磁気学 は間違っている

****追記9/21 電磁気現象をE-M軸での位相問題として考察しています。別の対称性について考えていて、電磁誘導の図化が間違っていることに気づきました。そこで、図6、図10、図12を削除します。ただし、記事に示したい対称性の考え方は間違っているとは考えていません。そこで、記事全部を削除せずに図を削除したまま考察を続けます。ご理解のほどよろしくお願いいたします。 **** → なお、削除した図において、正しくは「黒色で示した実線は起電力」、「緑色で示した破線は運動」と訂正しますので、読み替えてください。混乱を避けるため、図は差し替えません。あしからず。

 

電気磁気の性質を言うときよく用いられるのが次図です。

図1 ファラデーの法則とアンペールの法則

そして、 電磁気学 の成果である電磁波を説明するに次の図が用いられます。

図2 出展:電磁界・電磁波ってなに?

図2は図1に示した電場磁場を直交して組み合わせたものです。綺麗に説明できています。

しかし、管理人は 電磁気学 の教科書に違和感がありました。正直、わかりにくいです。その理由はいくつかあります。調べた限りの教科書や参考書に例外はありませんでした。

  1. 電気磁気のいずれも、力が何処と何処に働くか、ほとんど示されていない。力学的特性についての記述が皆無である。
  2. 単極誘導についての説明がほぼない。しかもローレンツ力と言い換えられている。
  3. 矢鱈と抽象的な(数学)モデルに置き換えている。

2013年から約3年間、主に単極モーターに生じる力の作用と反作用について調べた経験からして、現在の教科書では大事なことが抜け落ちてしまっていると感じます。

 

最近、電磁誘導と単極誘導の間には空間的に対称な形をしていると気づいたので、順を追って説明します。少し前置きが長いです。

恐らく、図1、図2以外の形で電磁気現象について空間的な対称性があるという考え方は、これまでの関連する資料に一切出てきてないと思います。少なくとも管理人が調べた中にはありませんでした。 続きを読む

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筑波大学の論文『ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~』への疑問

2017年9月に筑波大学による電磁気学に関する記事『ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~』を読んで、感想を書いて以来、幾つかの関連記事を書きました。当サイトを「ファインマン」で検索すると9件の過去記事があります。この論文の主旨は、かいつまんで説明すると以下です。

  • 『古典電磁気学で見られた2つの本質的に異なる方法での奇妙な一致』を「電子の量子状態を表す波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた」とわかった。

まとめると、古典的に2つの方法があるのを量子力学で波動関数による2重性に置き換えただけです。これでは、まったくわかった感がありません。過去記事を幾つかあげます。

これまでの記事をまとめると2点の疑問があります。

 

1.確かに単極誘導は、ローレンツ力として説明は出来ます。

図1

その結果として、電子は磁場に垂直な平面内で等速円運動をします。

図2 出展:ローレンツ力を慶應生がイラストで丁寧に解説!円運動との関係も!

ところが前に説明した通り、何処と何処に力が働くかの説明が抜けていますし、本質的な回転運動であるという特徴が削除されています。

単極誘導について、ベタな表現ですが 大事なのは「回す」ではなくて「回る」運動であることです。ローレンツ力を解説している人たちも実際に実験で確かめた人は皆無だろうと感じます。教科書で学んだだけでわかったつもりなのがよくわかります。「回る」とは、回転させる機構が不要な運動のことを示します。対して、電磁誘導は往復運動ですから回転運動に変換する機構が絶対に必要です。

写真1 出展:ニコラ・テスラ

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情報 に本質はない

管理人は、かなり前から「 情報 とは何か?」ということを考え続けてきました。漸く意味がわかりましたので、ここにメモします。

情報 とは何かについて、Wikiによれば、次のように記されています。

  1.  意味のあるデータの集まり
  2. あるものごとの内容や事情についての知らせのこと。
  3. 文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手において、状況に対する知識をもたらしたり、適切な判断を助けたりするもののこと。
  4. 生体が働くために用いられている指令や信号のこと。
  5. (情報理論(通信理論)での用法)価値判断を除いて、量的な存在としてとらえたそれ

同じく、情報とデータは異なるという記事があります。実は似て非なるもの!?「データ」と「情報」の違いとは? 書かれている内容を要約すると次です。

  • データは数字・記号。事実を集積しているだけ。読み解くには専門知識が必要。
  • 情報はデータから部分的に収集、加工したもの。次に何をすればいいのかの検討材料になるもの

管理人が知っている情報の定義はWikiにある5.です。詳しくは”情報量”に示されています。

弧理論には次の前提があります。

  • 自然(宇宙)は別の次元軸(E軸という)からの投影による映像(M軸という)

そこから、ヒトが出来ています。ヒトがわかるのがです。

  • ヒトの肉体に備わった器官でわかるわかるのが物と事
  • 物と事はE軸上にある実体の異なる面に過ぎない
  • 物とは3種類(陽子・中性子・電子)ある
  • 実体が90度以外の角度で投影されることにより事(運動)となる

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重力 は電磁力と何処かでつながっている

4年ほど前から、何度か 重力 と単極誘導は同種の?現象だと記事にしてきました。しかし、うまく伝わらない(あるいは、管理人の力不足)故に、あまり読まれないので、改めて順を追って書きます。

電磁気学では、マイケル・ファラデーが発見した単極誘導の現象は、ほぼ消し去られています。代わりにローレンツ力として教科書に載っています。

しかし、大事なのは回転運動そのものです。どの電磁気学の教科書にも何処と何処に力が働くのかまったく書いてありませんし、回転運動を軽く扱っています。(調べた限りで。)空間に固定された点がないことは誰でも知っています。ですから、空間において重要なのは回転運動です。

管理人は、単極誘導モーターの実験を通して「単極誘導は本質的な回転運動」だと確信しました。ベタな表現ですが、電磁誘導を「回す」、単極誘導を「回る」と表現しています。また、単極誘導を空間が持つ本質的な回転運動と位置付けています。

 

2017年9月に筑波大学から出された「ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~」という論文の概要を読みました。この論文の主旨は、かいつまんで説明すると以下です。

  • 『古典電磁気学で見られた2つの本質的に異なる方法での奇妙な一致』を「電子の量子状態を表す波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた」とわかった。

まとめると、古典的に2つの方法があるのを量子力学で波動関数による2重性に置き換えただけです。これでは、まったくわかった感がありません

そこで、論文で指摘のあったファインマンの電磁気学教科書を調べました。213ページからです。

われわれは物理学のほかのところではどこにも、このように単純で正確な一般法則がほんとうの理解のために二つのちがった現象による分析を必要とする場合を知らない

下線は管理人による。ここで、考えました。「二つのちがった現象による分析を必要とする場合を知らない」というが、管理人は、”よく似た現象があるじゃないか。”と思いました。 続きを読む

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研究 に数学は必須でない

2010年より 研究 を続けてきました。今年で13年目です。これまで、幾つかの資料を基に考察を続けてきました。研究と言っても計算ができるわけではなく、日常生活の中に考察するだけです。こんなやり方でよいのかと自問自答してきました。

ここまで来て、やっと 研究 に数学は必ずしも必要ではないと思えるようになってきました。管理人がやってきたのは創造です。発散トーラスであり、境界空間の仮説と模型であったりします。「自然が映像ならば近接作用はあり得ない」ことなども含まれます。

創造の仕組みはよくわかっていませんけれども、ヲシテ文献で言うトのヲシテであり、仏教でいう”他力”であり、”気づかされる”です。

図1 第1の心は「外のない内」 だから自然科学に”創造”の仕組みはない

紙と鉛筆があれば、”創造”できるというならば、誰にでも創造できます。ところが、脳という処理系には、どう考えても創造の仕組みはありません。

近頃感じるのは、「人は物や事を言葉でわかっているのではない」ということです。「わかっている」というのは「わかる」です。「わかる」の語源は「わける」です。人は物や事を「言葉でわける」ことよによりわかっているのではありません

どう考えても岡潔が言った通り「人には心が2つある」というところから話を進めねば始まらないです。第2の心(ヲシテ文献のタマ:心の本体:時の現在)により、何となくわかるというのがなければ創造はあり得ないです。

いつ、どこで、どのようにわかるのか、自分では如何ともしがたいのが”創造”です。わからないものに関心を集め続けるという行為。”弛緩と感心”しかありません。数学者でさえ”弛緩と感心”を持ち続けているから発見があるのです。

心が2つあることがわからない人にとって、当サイトは無価値です。

 

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現代 物理学 はアルキメデスの頃と変わっていない 物理学者に問う

学生の頃、相対性理論の教科書を見ても少しも相対的だと感じられませんでしたすべての物体の運動は相対的です。駅のホームに停車中の電車から見える景色は運動の相対性を実感します。

管理人の持っている相対論(平川浩正著:共立出版)の教科書には運動の相対性を論じているようには見えなかったです。

写真1

勿論、管理人の出来が悪かったからというのが一般的な評価であることは承知しています。

ところが、研究生活に入ってからいろいろ考察するにつけ、現代の 物理学 の歴史を振り返ると「現在の自然科学のおかれた状況はアルキメデスの梃子(テコ)の頃と同じだと」確信するようになりました。アルキメデスは、古代ギリシアの科学者です。彼は、次のように言ったとされます。

私に支点を与えよ。そうすれば地球を動かしてみせよう。

図1 出展:出てるかいpart4「私に支点を与えよ」

宇宙に固定された点がないことは誰でも知っています。ところが、地球上で最大と思われる実験装置であるLHC加速器でさえも粒子の加速に固定された地面を用いています。

写真2 出展:Firing up the LHC(CERN)

粒子の加速にかかる反作用を地面が受けています。これは図1の様子と同じです。

何かが変です。何となくですが、その発想の元はアインシュタインの相対性理論にあるような気がします。現時点では、何と表現すればよいかわかりませんが、実験系に観測者を含んでいると具合が悪いというか、そんな気がします。図1で言えばアルキメデスとアルキメデスを見ている(挿絵を描いた人)を含んでいるのがまずいような気がします。

あらゆる実験などに使う機械及び装置にかかる力学系は、その系で閉じていなければならないと考えます。何故なら宇宙に固定された点はありませんから。

このように考えると現代 物理学 はアルキメデスの梃子の頃から変わっていないとわかります。日常生活を含むほぼすべてにおいてです。 続きを読む

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ある科学者の言う 平和 のための「理解」とは何か

ある科学者は3つの科学(精神科学・社会科学・物質科学)について述べています。これまでの考察により、精神科学と弧理論による社会科学はわかっています。ある学者の言った3つの科学を管理人により解釈すると以下になります。

  • 精神科学 ・・・・2つの心の出処と仕組みと働きについての科学
  • 弧理論による社会科学 ・・・・2つの心の乖離を避けることによって社会に安定をもたらす科学
  • 物質科学 ・・・・2つの心から如何にして自然あるいは宇宙ができているかを探求する科学

上の2つはわかっているのですが、ある科学者によれば、 平和 を叫ぶ人はいるが、解決の方法を提示しないとも述べています。そして、地球に 平和 をもたらすには理解が必要だと説きます。 平和 と理解についての部分を(長いですが)引用します。

私たちが集めた証拠のすべてによれば、一般的な地球市民は、ある周期のあいだ、平和のための用意をしていたことを示しています。愚鈍だと思われるような人が彼らの指導者になっています。政治力または経済力の貧困さが人々を混乱させ、誤った方向に導いているように思えます。彼ら指導者は、いつも自分たちのしている事について、うまく論理のかなった誇張した弁解を行なっています。

数百世代の間、地球人は”平和・平和”と叫んできましたが平和はありませんでした。彼らの最も知的で教育を受けた男女の多くは、平和のための研究に自分たちの一生をささげてきました。そのことは、全く馬鹿らしいと思われるとしても、数百万の人々が、周期的に起こる戦争において、”すべての戦争を終わらせるために”戦って死んでいきました。彼らはどんな直接的な試みによっても平和は決して達成されはしないという単純な事実をまだ理解できていないようです。たとえ、どこを探せばいいかをだれかが知っているとしても、掘ってゆけば得られるような金でもなく、まだすぐ手に入る宝物でもありえません。『平和は単に、人と人、人種と人種、国と国、それに全ての人々の間の完全な理解と、神として地球人に知られている、あまねく広がる力と英知の副産物として自動的に得られるものです。』そのような理解が存在しているときには、平和を探すとか平和のために働く必要はありません。平和は自動的に存在します。しかし、これが理解されるまでは、どんな努力も成功はなしえません。
完全な理解は依然として地球人の達しているレベルを超えている一方、理解いのいくつかの位相は、私たちの達してるレベルをも依然として超えていますので、人が平和を見つけることができるということは、それが理解できるレベルに達しているときだけのことなのです。
一般的理解が人種または人種のグループによって達成される前に、納得されねばならないある特殊な段階があります。物理科学の分野において地球の進んだ人種は、この段階を数世代前に踏み出しました。それが彼らの技術が急速に進んだ理由です。

しかし社会科学の分野では同じ歩みがなされませんでした。重要なものと考えられることさえありませんでした。その結果、私が前に述べたように、彼らはどんな社会科学も持たず、後に続く人々のあいだに惑いと疑惑の念を起こさせるような違った方向に導きがちである指導者たちの信念と態度に頼った本質的な有意義な進歩さえできなかった社会技術だけしか持っていません。

年々、国家の政治的、社会的な問題を処理したり、論争を解決したりする能力を持った国際機構を作る努力がなされました。しかしまだこれらの努力で本当に成功したものはなく、政治的な緊張をいくらかゆるめることがときどき達成されただけでした。

個々の政府はどれ一つとしてその機構に自分たちの権威者や最高の地位にある人を代表として送る気は全くなく、したがって、そのような機構には彼らの結論を履行させる本当の力は何もなく、事実、単なる諮問グループであり、その宣言は、それを命じられた人々に無視される可能性があり、また常に無視されているのです」

下線は管理人による。意味がとりにくいので箇条書きします。

  • 愚鈍だと思われるような人が彼ら(地球)の指導者になっている。
  • どんな直接的な試みによっても平和は決して達成されはしない。
  • 人類すべての人々が(あまねく広がる力と英知)について完全に理解すれば、平和は自動的に存在する
  • 物理科学は進歩したが、どんな社会科学も持たなかった。
  • 人が平和を見つけることができるということは、それが理解できるレベルに達しているときだけ
  • 個々の政府はどれ一つとしてその機構に自分たちの権威者や最高の地位にある人を代表として送る気は全くなかった。

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弧理論による 社会科学 の目的

弧理論は3つの科学からなります。

  1. 精神科学
  2. 弧理論による 社会科学
  3. 物質科学

3つの科学をヲシテ文献にあるミクサタカラに例えて、タマ、カガミ、ツルギと呼んでいます。また、3つの科学は互いにラップしています。既に2つ、精神科学と弧理論による 社会科学 の根幹はわかっています。タマとカガミを手に入れたというところです。2~3年前から早く物質科学の研究に行きたくて焦っていましたけれども無理でした。

そして、2021年より仏教について調べてきました。その結果、世界にある多数の宗教は一つに帰納するだろうとの結論に達しました。

世の宗教を始めた人たちは皆、何かをわかって創始したのでしょうけれども、それが何かは決してわかりません。何とか言葉で言い表そうとしたのでしょうけれども、無理です。言葉は形式ですから、言葉(言語)の数以上に宗教ができるのは必然ではありました。しかしながら、自然がどういうふうにできているかが詳しくできれば、「言葉で言い表せない何か」について、少しは理解できるはずだと感じます。

わかりにくいですけれど、弧理論は特定の主義主張ではありません絵画と画材に例えれば、弧理論は画材に相当します。画材創造の仕組みがあれば、何か素晴らしい世界ができるはずと考えます。

管理人が経験した創造について、その仕組みは岡潔が書いた内容と同じです。

映画「ビューティフルマインド」は面白かったです。数学者ジョン・ナッシュが統合失調を抱えて研究を続けるドラマです。たぶん彼は、第1の心の肥大に第2の心が耐えられなかったのでしょう。

話がそれました。

早く物質科学:ツルギの研究へと進みたいと考えながら2021年から仏教について考察した結果を振り返りますと、仏教の話、あるいは世界の宗教の話は弧理論による社会科学(カガミ)の話であると気づきました。 続きを読む

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事象の地平線  弧理論による解釈

事象の地平線 について検索するとトップに天文学辞典での説明が出てきます。

時間方向に無限の未来まで行っても見えない時空の閉じた領域がある場合、その境界面を事象の地平線または事象の地平面という。イベントホライズンという英語名がそのまま用いられることも多い。
事象の地平線は未来方向に終点をもたない光の世界線でつくられる。事象の地平線が閉じた集合である場合,その内部はブラックホールとなり, 事象の地平線はその表面となる。中心から事象の地平線までの距離がシュバルツシルト半径である。
しかしこの定義からわかるように事象の地平線はブラックホール時空だけにあるものではない。たとえば時間的に有限な宇宙にも存在する。このとき一つ一つの時間的世界線に対して事象の地平線が存在する。また重力がなく平坦なミンコフスキー空間でも、一様な加速度運動をしている観測者に対して、3次元的速度が漸近的に光速度となるため事象の地平面が現れる。

wikiには事象の地平面として解説があります。

事象の地平面(じしょうのちへいめん、(英: event horizon)は、物理学・相対性理論の概念で、情報伝達の境界面である。シュバルツシルト面や事象の地平線(じしょうのちへいせん)ということもある。

情報は光や電磁波などにより伝達され、その最大速度は光速であるが、光などでも到達できなくなる領域(距離)が存在し、ここより先の情報を我々は知ることができない。この境界を指し「事象の地平面」と呼ぶ。

地平線、地平面のいずれも相対性理論の概念とのことです。これまで考察してきたように相対性理論は誤りです。

人がわかるのはです。角度から作った時間は”事”です。角度は物の量ではなくて事の質です。ですから、時間は10進数による12の倍数です。時間を光速度に置き換えて物差しにして時間空間を定義したのが相対性理論です。相対論物理学者に捧ぐ その4 でも、時間は物体の運動(あるいは運動に基づく角度)から作りました。理論の全体は循環です。

図1 運動→時間→光速度→時間空間→物質の運動→・・・・

引用の「時間方向に無限の未来まで行っても見えない時空の閉じた領域」がわかりにくいです。時間方向とは何を言いたいのでしょうか。【5】情の特色より。

時はありますが時間という計量的なものは無い。また、空間は量的に質的にありませんが、時については2種類、2つですね。過去と現在、それだけですが、新しい現在が古い現在に変わる。その古い現在が過去になっていくということは限りなく繰り返される。そういう意味で未来は無い。

管理人が引っかかっているのは「事象」です。弧理論では、事の定義は運動より来ています。弧理論による時間の定義です。 続きを読む

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自然あるいは 宇宙 を理解するに最も大きな制約は「自身の 心 」にある

岡潔は、”人に 心 が2つある”というところから始めねば仕方ないと述べました。【1】2つの心

2021年から仏陀や如来について調べていて感じることは、偉人たちの遺した言葉はいずれも同じことを異なる言語で伝えているということでした。前回の記事で書いたように多数の言語があり、言語の数以上に宗教がある理由は、言葉の成り立ちにあることが原因でした。皆が何を考えているかはバラバラで、偉人たちはそれぞれの言葉で表現したにもかかわらず、伝えたかったことは皆同じなのだとわかってきました。

ところが岡潔でさえ「 心 の本体は”情”にある」と決め打ちしてしまいました。これは間違いです。在ることは確かながら、それが何かは決してわかりません

論理の帰結として「決してわからない」のです

それを言葉で言い表すと様々に表現できるのであって、「情だ!」と決めつけるのは間違いです。なかなかに難しいです。

他の資料では、 心 の本体を「タマ、Buddha、仏、覚、soul mind」などとしています。他にもあるのは当然です。何故なら言葉互いに規定しあって成り立つ循環、繰り返しだからです。だから言葉が形式だと言えるのです。

因みに、ヲシテ文献で心の本体をタマと呼びます。そして、随心としてナサケエダアワレエダがあり、2つの随心をまとめてミヤビと呼びます。これは時の時制を意味します。

  • ナサケエダ 時の現在がわかる(静止画がわかる):岡潔のに相当:何となくその趣がわかる
  • アワレエダ 時の過去がわかる(動画がわかる):本居宣長のもののあわれに相当:わけることによりわかる

2つ合わせてミヤビです。図示します。

図1 ヒトの心に備わっているナサケエダとアワレエダによって、ヒトは(運動)がわかる

当たり前ながら、(動きがわかる)ミヤビには記憶が必要です。これでヒトに社会性が生まれます。ホツマ辞典―漢字以前の世界へ 池田満著にある「ミヤビ」の項よりの考察です。

言葉は互いに規定しあって成り立つ循環でネットワークです。その結果、言葉が”外のない内”だとわかります。インターネットの模式図を見れば誰でもわかります。

図2 インターネットの網目:すべてを覆っているが、外へは決して出てない

岡潔の言った「すべてを覆っているが、外へは決して出てない。」の意味です。2つの心の内、第1の心。即ち、意識を通し言葉で言える第1の心の制約がこれです。ですから、自然や 宇宙 を観察、読み解くという行為そのものには 心 の制約があるとわかっていなければ、決して先へ進むことはできません。

ヒトに心が2つあると十分に納得・会得してからしか科学はできません。現在の自然科学ではどう考えても無理です。

 

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