数学者の岡潔は【3】西洋の唯物主義において、次のように言いました。
- 五感でわからないものはないとしか思えない。これが唯物主義です。
自己の存在を否定する人はいません。その自己の存在が岡潔の言った第2の心にあることを知らねば、唯物主義者になります。
彼らは論理的に神など存在しないと信じ切っています。しかし、彼らは論理に限界があることをわかっていません。
- 言葉は互いに規定しあって成り立つ繰り返し(循環)であり、ネットワークであるし、形式である。
これは、岡潔が言った「この心(第1の心)は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。」に対応します。
岡潔の言葉は、第1の心の限界である「外のない内」を意味します。
インターネットが普及してだいぶ経ちます。ネット内の情報はすべてを覆っていますが、同時にネットにのらない情報などいくらでもあります。つまり、インターネットは外のない内です。これほど理解の容易な話はないです。
図1
人の脳も人工知能(AI)も同じで、外のない内です。
図2
おまけに、言葉は繰り返し循環です。ですから論理的思考に終わりがない。これが論理的思考の限界です。唯物主義者にも自己が在ることは確かです。では、自己とは何なのかです。在ることは確かですが、何なのかがわかりません。因みにヲシテ文献においてヒトは次です。
- ヒト=タマ(第2の心:心の本体)+シヰ(第1の心:生命維持の欲求)+肉体(処理系:記憶を司る)
- ヒトとは、ヒフミヨイムナナヤココトのヒトであり、経験して成長する存在。
- ヒトが肉体に備わった器官でわかるのは、物と事である。

