” 他力 ”とは創造の仕組みを言う

仏教には 他力 本願という言葉があります。「他力本願」は、一般に自分の力でなく、他人の力によって望みをかなえようとすること。もっぱら他人の力をあてにする、他人まかせという意味で、いろんな場面で使われています。

しかし、仏教が示す本来の意味はまったく違います。

「本願」は仏が修行しているときに立てた誓い。本来は阿弥陀如来の本願によって極楽往生を得ること。

ただ、他力 」についてのみ言えば、過去記事に書いたように”他力”とは「気づかされる」という意味です。しかも、次のような”他力”の例は本来の意味ではないと考えます。

  • 「友人から”君は~だというが、本当は△なんだよね。”と言われ、今更ながら友人の言葉に気づかされた。」

確かに、人の肉体に備わった感による”わかる”の根底には「仏(Buddha)あるいは善導大師の名付けた””」があります。 注)だから、視・聴・味・嗅・触が働くのです。しかしながら、これだけでは不十分です。

 

ここで、岡潔が言った「情・知・意の順で働く」ということを考えます。 続きを読む

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場の量子論 は行き止まりである

物理学者たちが追い求めてきた”物質とは何か?”という問いに対する彼ら自身の答え(途中経過?)が 場の量子論 です。(量子場の理論、場の理論などの呼び方があるようです。)
管理人自身 場の量子論 をよくわかっていませんけれども、いろいろ調べると琉球大学理学部物質地球科学科による「量子場の理論」がわかりやすく、まとめると次のようです。

  1. 物質は「場」と呼ばれるものの振動である。
  2. すべては「波」でできている。
  3. 素粒子は「場」による。
  4. 例:電場、磁場
  5. 粒子は「場」の振動
  6. つまり、粒子は場の励起状態
  7. ただし、場=粒子 ではない。
  8. 真空は「何もない」ではない。
  9. 振動する何かはあるが、振動が最低エネルギー状態になっている。
  10. それが真空
  11. 物質が波の性質を持っているとして形成されたのが量子力学
  12. 「原子核という粒の周りを電子という粒が回っている」というイメージは正しくない。

そして、「」をwikiで調べると、「空間の部分」であることが書かれています。歴史的な流れをわかりやすい図にしたのが次です。

図1 場ってなに? -量子力学から場の理論へ

このままではわかりにくいのですが、管理人がまとめると次のようです。 続きを読む

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宇宙に 物質粒子 は3個しかない?

もし宇宙が別の次元軸からの投影による映像であるなばら、宇宙には 物質粒子 として基本粒子(陽子・中性子・電子)の3個しかありません。もちろん何百とある素粒子群ではありませんし、3種類でもありません。基本となる 物質粒子 は宇宙でたったの3個です。

もし自然が映像ならば、当然のことなんらかの投影元があるはずです。弧理論においては、投影元を別の次元軸(E軸という。)として、投影の結果が自然、即ち我々の”宇宙”なわけです。映像をM軸(物質空間、物質的自然、あるいは宇宙)といいます。弧理論はこの投影元であるE軸とM軸(自然もしくはその一部)との関係を突き詰めようという理論です。

そう考えると、宇宙には、物質である基本粒子は陽子・中性子・電子の3個しかないという結論になります。3種類ではありません。3個しかないのです。また、100種とも300種ともされる素粒子群は”物”ではありません。”波”の一種である孤立波(ソリトン)であり、音波と同じ”事”に過ぎません。弧理論では、物と事は別の次元軸上にある一つの実体の異なる面に過ぎません。

図1 物(物質)と事(運動:速度・加速度・波etc)は一つの実体の異なる面

自然が映像ならば「宇宙に 物質粒子 は3個しかない」というお話は、(弧理論のE軸とM軸の位相の関係)ですから、これをカラーブラウン管の構造に例えることができます。

 

次図は、今では見かけることのないカラーブラウン管(カラーモニター)の構造です。 続きを読む

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物理学者たちは、何故 素粒子 や場にこだわるのだろうか?

これまで、管理人はすべての起源は何にあるのだろうかと考えてきました。かつてより、元素は原子から、原子は素粒子から、 素粒子 は空間より出て、その起源は空間の部分である”場”にあると(なんとなく)信じてきました。つまり、固体や液体、気体などの元は空間の場であったり、素粒子の集合であると。

ところが、いろいろ調べてわかってきたのは、我々の住む宇宙はE軸からの投影による映像だということです。その結果、考え方が変わってきて、今では”なぜ物理学者たちは、素粒子 や場にこだわるのだろうか?”と思うようになりました。

 

例えば、「物質と空間(あるいは場)」を「映像と画素」に置き換えます。

写真1 ニュートンのゆりかご(Newton’s cradle)

すると、Newton’s cradleの本質は、その画素に無いことがわかります。

写真2 吊り下げられた金属球とその動きの本質は画素にないし、金属球間の力は画素間で伝わっている訳でない 画素と力は無関係

つまり、物質とその運動の本質は、空間や場には無いということです。もちろん、素粒子にもありません。映像の元となる何かは別にあるのです。空間にすべての起源を求めることに無理があります。

ついでながら、金属球が接するということも画素に注目するとあり得ないことがわかります。自然が映像ならば、近接作用はあり得ないこととなります。この辺りは過去記事を参照ください。どうも、自然科学はを混ぜこぜにしています。

そもそも4つの力を近接作用で統一するという考え方自体に問題があるように思えます。

図1 力の統一の歴史

この20世紀からの混乱の元は電磁気学成立の過程にあるようです。

 

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E軸上の実体とは” 渦 ”のことらしい

いつも引用するある科学者の言う「E軸上の実体」とは、どうも” 渦 ”であるらしいことがわかりました。

先日、電磁重力理論を取り上げて考察しました。考察の結果、どうもE軸上での回転運動( 渦 )により、E軸の境界面(即ち”境界空間”)が歪み、その結果、境界面内において、物質が引力を受けることになります。それが重力のようです。このような考えが成り立つには、次の前提があります。

  1. 岡潔が山崎弁栄上人の言葉として紹介した「自然は心があるために映写される映像に過ぎない」のとおり、自然は映像である。
  2. 岡潔は、自然が映像であるとほぼ認めたが、映像の仕組みを考えていなかった。
  3. ある科学者が言う通り「物質空間は別の次元軸(E軸)にある実体の投影」を1.と組み合わせて考える。
  4. つまり、自然は別の次元軸上(E軸)にある心が在るために映写される映像(M軸:物質軸、物質空間、空間、あるいは宇宙)と考える。
  5. その上で、弧理論においては「宇宙(M軸)の中心はE軸上に2つ」ある。
  6. 2つの中心から出ている二種類の”何か”の接する境界に空間(M軸、宇宙)ができる。これが弧理論による境界空間の仮説

注)二種類の”何か”を弧理論ではヲシテ文献にちなんで””及び””と呼んでいます。岡潔は「自然数の1は決してわからない」と言いました。(【6】数学の使えない世界)0~9を使う10進数ではなく、0と1を使う2進数で考えると「1は0でない数、0は1でない数」となって、1は決してわかりません。つまり、”ア”とは ワでない何かであり、”ワ”とは アではない何かです。つまり、E軸上にある2つに中心であるアとワは決してわからないのです。

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悟り とは心が2つあると知っていること

これまで、意図的に使ってこなかった幾つかの言葉のうちに” 悟り ”があります。その他、絶対とか真実などという言葉も用いてきませんでした。しかしながら、岡潔の言葉について考え続けている内に岡潔の云った「人に心が2つあることを知っている」のを 悟り といってよいのではないかと考えるようになりました。【1】2つの心より。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

 それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。

 これは心理学者は知らないんだけど、子供の生い立ちを見てますと、第4年目にはこうなりますからわかります。人とはどんなものか、子供の生い立ちを見るのが一番よくわかる。第4年目にこうなる。それが前頭葉に宿る心です。

欧米人はこの第1の心しか知らない。しかし人にはもう1つ心がある、第2の心。心は2つしかないのです。1つじゃない、もう1つある、第2の心。この第2の心は頭頂葉に宿っている。この心は無私の心です。私のない心。どういう意味かと言うと、いくら入れようと思っても私というものは入れようのない心です。それから、この心のわかり方は意識を通さない、じかにわかる。

下線は管理人による。

前にも書きましたが、人に心が2つあることを最初に共通のこととして話を合わせねば何も始まらないのです。そして、欧米人は第1の心しか知らないと言います。また、岡潔は仏教の問題点として「仏教には心という言葉がない」と言います。 続きを読む

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日本学術会議 会員有志による「 特殊相対論 入門」メモ

「 特殊相対論 入門」というサイトがあり、興味深いのでメモします。

サイトの末尾に「copyright©2019 日本学術会議 会員有志 all rights reserved.」とありますが、本当かどうかわかりません。しかしながら、書いてある内容が過激なので面白いです。

理論物理学はとにかくデタラメ、出鱈目だと主張し続けています。相対性理論も量子力学のいずれもです。どうも根拠とする部分が次のようです。少し長いですが「素粒子物理学理論」より引用します。

素粒子物理学の歴史
1930年代までにに電子、陽子、中性子が全て発見される。 1940年代位から「特殊相対論」や「量子力学」などの登場とほぼ同時期に素粒子なるものが次々発見され始める。その種類は3百種類以上あるとされるが具体的な性質や内容の記述はほとんど存在しない。またどの様に素粒子を実験により特定し分類したのかの資料も存在しない。つまり、設定がほとんど固まっていない創作、作り話である。 50年代になりπ中間子、ミューオン、Σ粒子、Λ粒子など次々名前がついた粒子の種類が増えた。 60年代になり、反物質、ニュートリノなどさらに素粒子概念と用語は増えた。 70年第になり、素粒子の内部構造という設定のクォークが現れる。 80年~2019年 素粒子やクォーク、ニュートリノ、ヒッグス粒子が加速器実験で確認されたとされる。

素粒子とクォークの構成
1940年代から1960年代に3百以上の素粒子が発見されたとされる。その大部分は不安定で他の安定な素粒子に崩壊転換し素粒子の中、陽子は唯一安定に存在する素粒子とされる。 陽子と中性子は6種類のクォークにより構成されるとされる。

存在が確認されている物理学的存在
物質:陽子、中性子、電子、原子核(陽子と中性子で構成される)
物理場:重力場、電磁場、強い力場
物理量:質量、電荷
物理的性質:電子のスピン
存在が確認されていない物理学対象:
我々が作成した資料”素粒子物理学 実験”で明らかにしたように素粒子、クォーク、中間子、μ粒子、τ粒子、ニュートリノ、ヒッグス粒子、弱い力、反物質等々

クォークや素粒子の物理量であるB:バリオン数(重粒子数)、L:レプトン数(軽粒子数)、J:スピン(電子を除外)、P:パリティ、I:アイソスピン、S:ストレンジネス、Y:ハイパーチャージは存在しない。

つまり、創作、嘘、フェイク、物理学風な出鱈目である。

次元(単位)解析 次元(単位)解析 物理単位の統一確認
小学校理科の復習:
1+2=3 (無次元の算数)
4[kg]+2[kg]=6[kg]
5[m]+10[m]=15[m]
は正しい。
6[kg]+4[m]=10[kg]
6[kg]+4[m]=10[m/s]
は正しくない。
単位はそろえなければならないと明確に学習したことが一度もなかったとしても、これらは小学生でも間違いなく正しく理解できると考えられる。

参考資料:
「E-MANの物理学」―>「力学」―>「物理量の次元(力学編)」を参考にしました。

次元解析
物理学では基本となる概念の組み合わせでいろんな量が作られているため、あらゆる量がこのような(物理学的な)次元を持っている。

異なる次元を持った量どうしを足し合わせることには物理的な意味がないとみなされる。また、式の右辺と左辺の次元は同じになっているはずである。そうでなければならない。
次元(単位)解析 物理単位の有効性
次元(単位)は既知の有効な物理単位でなければならない。

未知の物理単位が使用された場合は、具体的に何をどう表現しているのか説明する必要がある。

世界唯一独自式
中学理科の復習:

力:秒t[s]、重さ m[kg]、距離L[m]、速さV[m/s]、加速度a[m/s^2]、位置X、Y、Z[m]
電気:電圧 E[V]、電流 I[A}、R[Ω]
世界唯一独自式:
ある中学生が空想や想像で独自の物理式を作成したとする。
例えば、tmLV^2+√(Z)=PV
この中学生は、この式は当然、出鱈目であり数学的物理学的に意味のないことは百%理解している。また、正しいと主張するならば物理式の発見か発明として、この式が正しいことを証明する必要があると理解している。
この式は奇跡的な偶然がなければ世界で唯一な独自式である。
また次元(単位)解析をすると
tmLV^2[skgm・m/s^2]+√(Z)[√m]=PV[PV]
tmLV^2[kgm^2/s]+√(Z)[√m]=PV[PV] となり。
(単位が不明な記号はそれ自身を単位と置く。)出鱈目であると客観的かつ簡単に証明可能である。では物理学博士が作成した世界唯一独自式は何であるのか?当然、誰が作成しようが全く同様である。

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電磁重力理論

電気磁気現象と重力との間には、何らかの関係があるのではないかと多くの人が考えるようで、世に多くの 電磁重力理論 が存在します。かく言う弧理論も(Ark Theory) 電磁重力理論 と言えます。

 

先日、書棚を整理したところ、故清家新一氏による超相対性理論や「宇宙艇」とともに、写真(宇宙研究所を訪ねた際に撮った先生とのスナップ写真)が出てきました。そういえば、超相対性理論もまた 電磁重力理論 の一つです。管理人が知る電磁重力理論関連の資料を幾つかあげます。

  1. 超相対性理論 (清家新一)
  2. 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 重力渦動による反重力推進の可能性 電磁型フォワード・エンジンの検討) (武捨貴昭)
  3. Brief overview of the Honda experiment by using AC voltage impressed to the capacitor (Takaaki Musha)
  4. 電磁場と重力場の関連性について相対論的考察 (ToM)
  5. 電磁場と重力場の簡単な統一 (渡辺 満)

 

5.の渡辺満氏による論文は、改めて清家新一氏について調べる過程で知ったものです。

いずれの理論も重力と電磁気現象との間に何らかの関係があるかも知れないとの推察により組み立てられており、1.は回転する電場によるとの理論です。2.に示されたフォワード・エンジンの理屈がよくわかりません。3.はよく知られる Biefeld-Brown effect (B-B effect)での実験レポートです。4.は電磁気現象と重力との関連性を相対性理論との関係で考察したようです。5.は電磁気現象のより基層と位置づけされるベクトルポテンシャルに注目した考察のようです。

1.について。管理人は2012年~2014年頃まで行った単極誘導モーターの力学的性質を確認する一連の実験を行った結果、単極誘導の現象は本質的な回転運動であるとの認識を持ちました。

電磁誘導は「回す」です。電磁誘導による力は吸引・反発であり、生じる誘導電流は交番電流です。また、この力を利用するにはスイッチング素子やブラシなどを用いて回転運動に変換する必要があります。ベタな表現ですが、これを「回す」と表現します。

それに対して単極誘導の現象は「回る」であり、生じる誘導電流は直流です。電磁誘導は、必ず何らかの変換機構が必要であって、とても効率が悪いです。その最たるものが素粒子の実験に使う円形加速器です。それはLHCのそれでも、日本に計画のあるリニアコライダーでも同じです。投入するほぼすべての電力が無駄になります。

清家新一氏の超相対性理論は、三相交流モーターや誘導モーターの磁気回転運動を電場の回転運動に置き換えたものです。残念なことにこれも「回す」に属します。つまり、とても効率が悪いです。やってみればわかりますが、ノイズの塊です。

3.の実験レポートについて、よく似た実験をやってみたことがありますが、問題が2つあります。一つは電子はかりにはドリフトがあることです。時間の経過とともにゼロ点がズレるようです。もう一つは実験装置から生じる熱により電子はかりの周囲に上昇気流が起き、その影響で軽くなるようです。なかなかに難しいです。

4.について、これまでの考察により相対性理論は最初から転けていますので、論外です。光速度不変の原理が成り立つにはその前に時間がわかっていなければなりません。その時間は物体の運動から作ります。その物体は空間の内にあります。これが特殊相対論の前提です。一般相対性理論は時間空間を規定しています。全体としてこれは循環です。

図1 自然科学の時間・空間は、量ではない時間を元にした循環

しかも、時間は量ではない角度から作りますから、時間は「物」の量ではなくて「事」の質です。岡潔による「時と時間」に関する言葉を考察した結果、時間とは、過ぎゆく運動の記憶に基づいて人が抱く観念に過ぎないのです。時間は時の過去です。参考

ですから、NHKの時報は過ぎてからしか知り得ません。

図2 時間は時の現在を含まない。だから古典物理学は決定論になり得ない。精度の問題でもない。

2.と5.がよくわかりません。2.をよくみると表1に「Heaviside重力理論」というのがあります。 Heavisideに重力の部分があったのでしょうか。これまで調べた流れは次です。

図3 マクスウェルの電磁理論は電磁気学の教科書が作られる前に書き換えられた

1884年にヘヴィサイド・ギブス等によって書き換えられたようですが、その論文がどのようなものか知りません。ヘヴィサイド・ギブスの論文には、電磁気現象の記述に加えて重力の記述が含まれていたのでしょうか。わかりません。ToM氏が示すようにHeavisideの電磁理論には重力が含まれしかも重力に「渦動」という記述があったのでしょうか。但し、図3のヘヴィサイドがToM氏の論文にあるHeavisideと同一人物かどうかは未確認です。

ToM氏の論文には、零点エネルギーとか真空エネルギーという語句が出てきます。かねてより、管理人は「物理現象は差分だ」との考えを持っています。零点エネルギーとか真空エネルギーという語は差分という考えに近いものを感じます。

弧理論もまた電磁重力理論です。説明不十分ですが、参考記事です。

これまでの考察により、電磁気現象は空間にあるポテンシャルによるらしいと感じます。そのポテンシャルを発散トーラスと呼びます。4種類ある発散トーラスを組み合わせたのが楕円双極です。複数の発散トーラスを組み合わせた差分がどうも単極誘導の現象として現れているようです。楕円双極の形状は本質的な回転運動を示します。

それと単極誘導の現象は、磁石の周囲を運動する電子と磁石を構成する原子核との相互作用のようです。つまり、単極誘導の現象は原子力の一種?かと考えます。これならば、単極誘導が持つ本質的な回転運動との考えに納得できます。この辺はまだわかりません。ただこの考え方は電磁気学の外になります。

図4 原子核の存在は、電磁気学成立時には知られていなかった

20世紀前半、原子核(陽子・中性子)が発見されたときに、電磁気学は修正されるべきだったと考えています。


”回る”と”回す”というベタな表現をしていますが、上記の類似点を示す過去記事にあるとおり、一見、区別の付かない加速度には種類があるのではないかと推測しています。重力による加速度と遠心力による加速度は、なぜ加減できるのでしょうか。重力と遠心力は同じですか?違うでしょう。まったくの別物です。

gif 1 人工重力を備えた「宇宙ホテル」が2025年に建設開始予定 宇宙旅行が当たり前の世の中になる?

 

図5 画像でわかる高校数学bot

物理学では、加速度は速度の時間変化です。加速度の記述はただの一種類としか表されません。重力による加速度と遠心力による加速度は、区別は付かないけれども、別物だろうということです。

これでは物理学において、重力と電磁力との間に関係を見いだすことは不可能です。ヘヴィサイド理論にあった(かも知れない)重力を含む渦動をうまく丸めてしまったのが、ルードウイッヒ・ローレンツではないかと考えます。

図5 加速度には種類があるのか

余談ながら、重力(の加速度)に種類があるとするならば、うまく利用できれば惑星間航行が可能になるかも知れません。この点は清家新一氏が示された逆重力という考え方に同意です。


上記のAlexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスクは単極誘導を(直接に)用いていません。磁石と高電圧と回転させる機構(モーター)を持っておりますが、図4に示すように磁石を構成する原子核との相互作用を何らかの方法により利用しているのではないかと推測できます。ただし、この装置は自らエネルギーを補給する機構がありません。

動画1

動画2

それにしても、Heavisideの重力理論、重力の渦動とは一体何なのでしょう。因みに弧理論では「渦が原因で質量と真のエネルギー値が決まり、真のエネルギー値による凹凸により引力と斥力が生じる。」と説明できます。質量2つの斥力を持つポテンシャルの差分のようです。模型で示すと次のアルミホイルと1円玉を使った動画になります。

動画3 引力と斥力

水面(M軸:我々の物理空間)の凸凹が別の次元軸(M軸に直交するE軸)での真のエネルギー値であり、その原因が渦(本質的な回転運動)との考えです。その渦の原因が回すであって、区別が付かない回るとは異なるということです。gif1の宇宙船の説明にある”人工重力”は重力などではありません。

 

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「個の不思量底、いかんが思量する」と「 外のない内 」の関係

先日10月23日の弧理論研究会で用いた資料に岡潔講演録(20)1971年度京都産業大学講義録第6回の【4】禅の非思量があります。一部引用。

あるとき『禅師』が座禅から立ち上った。それで弟子が聞いた。「何をしてられましたか」と聞いた。そうすると禅師は『個の不思量底を思量する』。まだ誰も考えてないところのひとつのことを考えていたのだ、こんなふうな意味です。そうすると弟子は「個の不思量底、いかんが思量する」と聞いた。

不思量というのは、「まだ誰も考えてない」何かです。弟子は「誰も考えたことのない何かをどのように考えるのですか」と聞いたというのです。

「誰も考えたことのない何か」について議論しても仕方ありません。むしろ「考える」ということがどういう仕組みであるかがわかれば不思量底の意味がわかってきます。

岡潔は【1】 2つの心において、次のように述べています。

人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心はわたくしというものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸で笑いカワセミのようにうるさい。

 それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。

人には心が2つあるというところから言わなければ仕方がないのです。管理人も弧理論の話を進める前に2つの心について徹底的に掘り下げてきました。この前の研究会でも人に心が2つあり、それぞれどのような仕組みで、どのように働くのかを詳しく説明しました。当たり前に、自然科学教育を受けた私たちにはまったく馴染みがない話ですから、とてもわかりにくいのです。 続きを読む

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E軸(真の エネルギー )の意味

ある科学者の言葉から、別の次元軸をE軸と呼び習わし、E軸上の実態が持つ値を真の エネルギー 値として、物理学上のエネルギー[ML2T-2]と区別してきました。

ある科学者の言葉は以下の通りであり、E軸での真の エネルギー を※1、物理学上のエネルギーを※2とします。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギー※1のかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギー※2の同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギー※2に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギー※2も一つの実体の異なる側面に過ぎない。

E=mcという場合のEは物理学上のエネルギー※2にあたります。彼は”映像”という言葉を用いていませんけれど、明らかに「物理現象は別の次元軸(E軸)からの投影による映像」であることを述べています。そして、我々のいる空間を2次元平面に例えて物質面(M軸)と呼んで次のように解説しています。

二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面※1だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギー※1の量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸※1を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギー※2を見るだろう。

図1 面を九十度ほど回転させると視界から消える 続きを読む

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