これまでの考察により” 唯識論 は間違っている”と結論づけてきました。
先日、ある方から「気付くというのは、気付かされるということ。」とのお話しを聞きました。参考 2021年7月3日「日月神示 は”他力”を説いている」
昨日、同じ方から「唯識は、第6識、第7識、第8識、とあり、岡潔は第9識と述べていますが、唯識の考えを続けていくと繰り返しになっている。だから、唯識については、これ以上考えないということになっている。」とのお話しを聞きました。口頭ですので、ソースは聞き漏らしました。
管理人はこれまで、唯識論の詳しいことは読んでいませんので、わかりませんけれども、第1の心の特性である。言葉が循環でありネットワークでり、外のない内であることを何度も強調してきました。この「繰り返し」というお話しを聞いたとき、まさに我が意を得たりとの気持ちでした。
岡潔が最晩年に取り組んでいたという唯識論が間違いであると気付いたのは2019年8月24日に高知市で開催された「数学者 岡潔思想研究会夏期合宿」に参加したときでした。参考 2019年8月26日「時には 思想 や哲学を捨てなければならない」
唯識の繰り返しについての、説明では”合わせ鏡”を例えに述べられていました。
写真1 出典:合わせ鏡
後から思ったのは、例えるならば、これまでブログで何度か取り上げてきた万華鏡の方が理解が深まると考えました。過去記事を万華鏡で検索すると29件ほど出てきます。
ブログランキングの応援と広告のクリックをお願いします。
