先日、すべての宗教は一つに帰納することが可能だとわかりました。ついで、仏教の如来とキリスト教にある「アルファでありオメガである」は同じものだと記しました。
- 2022年11月11日 ローマ教皇に伝えたい すべての 宗教 は一つに帰納することが可能だと
- 2022年11月14日 仏教とキリスト教は 既に一つ( アワウタ )に帰納している
さらに、面白いことがわかりましたのでメモします。以下は、弧理論の前提です。
- 人の肉体に備わった器官でわかるのは、物と事である。
- 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。(自然は映像であることの言い換え。)
- 物と事は互いに規定しあって成り立つ、繰り返し、循環を含むネットワークである。
- 物は現在、事は過去である。
- 事とは「動きがわかる」ということ。
- 過去がわかるためには記憶の仕組みが必要である。必ず媒体となるハードが必要。
- 物と事は同時に成り立たない。(現在≠過去)
- 物と事を音素である5つの母音と10の子音に割り付けて、意味付けたのがヨソヤコヱ(48音)、アワウタである。
- 物と事は同時にわからないのだから、人は物や事を言葉でわかっているのではない。
横軸に母音のアイウエオを縦軸に子音のアカハナマタラサヤワをとって、5つの物と10の事を割り付けたのがアワウタです。前提からして、アはワの如し、ワはアの如しです。アは決してわかりません。繰り返し、循環だからです。
仏教の如来は、アとワそのものですし、キリスト教の「アルファでありオメガである」は、同じく「アルファはオメガの如し、オメガはアルファの如し」であって、繰り返し、循環です。如来にも「アルファでありオメガである」にも人格性はありません。
大事なのは、アワウタに自然における、物の初めである「ア」から、事の終わりである「ワ」にすべてが収まっているということです。
それ以外はありません。言い換えると「超自然的な何か(神)」は含まれていません。
つまり、如来も「アルファでありオメガである」もアワウタに帰納するということです。言葉は互いに規定しあって成り立っている繰り返しで循環です。だから、その仕組みからして世界中に多くの言語がある訳です。 続きを読む
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