かなり前から、不確定性原理( 不確定性関係 )について考察を続けてきました。直近の記事に追記した内容を個別の記事とします。
- 2021年8月20日 不確定性原理の解釈「ΔxとΔp_は一つの実体の異なる面か?」
考察にかなりの期間を経て「 不確定性関係 」は、自然が映像であることの証拠ではないか、と考えるに至りました。発端は、ある科学者のE=mc2についての言葉からですから、彼の発言の意図を汲み取るのは並大抵のことではありません。
琉球大学の講義、「初等量子力学2006年度講義録第8回第6章 不確定性関係と、波の重ね合わせ」に次のとおりあります。
不確定性というのは観測する前の状態ですでに存在している。
誰がどのように観測するか否かにかかわらず、∆x∆p > [
h/2]という関係は成立しているのである。 ∆x や∆pは測定誤差ではなく、「値の広がり」を表す。つまり、「粒子は∆xの幅のどこにいるのかわからない」というよりも「∆xの範囲に広がっている」と考 えるべきである。「どこにいるのか わからない」という考え方をすると、測定手段(実験機器など)の責任で∆xが生じているような印象を与えるが、不確定性は、実験機器の責任によって生じる のではなく、物質の波動的性質によって必然的に生じるものと考えなくてはならない。現実において存在している粒子も、不確定性関係を守っている。我々は原子や原子核の大きさをこれくらい、と測定しているが、実際にその物質がそれだけの サイズを持っているというより、その粒子がだいたいそれぐらいの範囲の中に広がって存在している(∆xがその程度の大きさである)と判断せねばならない。
下線は管理人による。 不確定性関係 は、測定機器の誤差や精度の問題ではありません。
弧理論によれば「自然は別の次元軸(E軸)からの投影による映像(M軸)」です。この前提から得たのが、「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない」です。そこからわかるのは、次です。 続きを読む
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