自然科学」タグアーカイブ

適切な「基礎」を用意しないと、私たちの文明は終わる

前回記事の続きです。 昨年より当ブログで何度か取り上げてきた3つの科学、『精神科学・社会科学・物質科学』について、ある科学者は次のように述べています。 宇宙における科学のすべて、真実の探求と理解の追求のすべては、この三つ … 続きを読む

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自然科学から「岡潔の思想」は、「あっち系」「そっち系」と見られる

これまで数学者岡潔の言葉について、いろいろ考えてきました。自然科学の一番大きな問題である「時間」については、概ね理解できました。 次に問題なのは、「五感で分かる」という点でした。これについても理解できました。 管理人の得 … 続きを読む

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「分ける」ことにより「分かる」のは、「物と事の関係性」であり、行き着くところは「統合失調(分裂)」だろう

うまく書けるかどうか分かりませんけれど、やってみます。 自然科学は、五感による刺激によって感じる「物や事」を「分ける」ことによって、「分かる」ようにするのが目的です。 自然科学の対象とする「物や事」は、岡潔のいう「意識を … 続きを読む

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想念の役割と3つの比較 「縄文哲学」、岡潔による「情 知 意」、「弧理論(Ark Theory)」

昨年末までで、ヲシテ文献に記されている縄文哲学と数学者岡潔による「情 知 意」、並びに弧理論の考え方での想念の経路の3つについてを、幾つかの図にまとめました。 その内の2つを示すと 図1 pdf 並びに

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科学的でないことは、「考える値打ちもない」というのは誤り

何故なら、自然科学は間違っているからです。(これまでの考察により、言い切れます。) 「非科学的だ」という理由で考えることを放棄するのは適切な態度ではありません。 示している対象が実在しようが、しまいがオカルト(を信じてい … 続きを読む

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唯物主義の限界について

数学者岡潔は、次に様に述べました。 西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。この仮定のもとに調べてきた。それが自然科学です。そうすると、とうとう素粒子というものにいき当った。不安定な素粒子と … 続きを読む

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時間[T]を使わずに「量」を表せるならば、「お金」の制度は意味を失うだろう

前回の記事において、人々の収入は概ね 労働 ∝ 時間 ∝ お金 の関係にあると書きました。 パートの時給であったり、月給、年収であったり、講演の報償などです。経営者やスポーツ選手の年俸もこれに当てはまります。 労働とは( … 続きを読む

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岡潔「数は量のかげ」ならば、「お金」は既に「量」を捨て去っていた

前回に続いて、岡潔の言葉を起点にお金と時間に関して考察します。 写真1 こちらより 1971年8月ニクソン・ショックにより「お金」は「量」の裏打ちを無くしました。 恐らく「量」が無くて成立するのは数学とお金だけになります … 続きを読む

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岡潔「数は量のかげ」 ならば、「言葉、イメージ」も「量のかげ」

前回の記事での管理人の主張は、「物理現象は(量)であり、五感でわからねばならない。量を離れて数は存在しない」でした。 弧理論の考え方では、陽子・中性子・電子が基本粒子ですから、物理(量)の基本単位は原子(陽子中性子電子) … 続きを読む

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岡潔1「数は量のかげ」 2「(物質は)五感でわかるものでなければならない」 ならば自然科学の限界は明らか

本年7月9日の記事にて数学者岡潔「数は量のかげ」・・・本当は天地が逆だろう 他2題を記しました。その後にわかったことを記します。 (1) どうも岡潔の言葉「数は量のかげ」について、いろいろ解釈はあるようですけれど、新式算 … 続きを読む

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