運動 の相対性。研究を始めたころからの疑問です。考えるようになったきっかけは、ある科学者の次の言葉です。
君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。
二つの次元を持つ幾何的な平面を考えてみたまえ。この面が君の視線に対して直角をなすとき、君はそれを平面と感じる。これはその実体の物質面をあらわす。次に君がその面を九十度ほど回転させると、その面は君の視界から消えて一次元のみとなる。これはその実体のエネルギー面だ。君はその面をとり変えたわけではない。ただ観点を変えただけだ。技術的に言えば関係位置を変えたのだ。一定の物体に含まれていると思われるエネルギーの量は、一定の観測者にとって質量エネルギー軸を中心にそれがどれくらい回転したかにかかっているのだ。別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見るだろう。
宇宙空間を進行している二個の惑星のそれぞれに一人ずつ観測者がいると仮定しよう。この惑星はいわば光速の半分の速度で動いているとする。しかしどれも等速度で平行に進行しているのだ。もし宇宙空間に他の天体が存在しないとすれば、二人の観測者は当然のことながら自分たちの惑星は 運動 エネルギーを持たないと考えるだろう。なぜなら二人の関係位置が同じエネルギー・レベルにあるからだ。そこで三番目の惑星を置いたとして、これが空間に静止しているとすれば、二人の観測者は自分たちの惑星が相関的には運動エネルギーを持たないのに、第三の惑星に関してはすさまじいエネルギーを持っていると感じるだろう。しかし実際にはどの惑星が動いているかを決定する方法はない。ただ惑星間に相対的な運動または異なるエネルギーがあると言えるだけだ。
「別な関係位置から同じ物体を見ている別な観測者は、まったく異なる量のエネルギーを見る」として、3つの惑星の運動について説明してます。その結果、「惑星間に相対的な 運動 または異なるエネルギーがある」との結論を述べています。注↓
この運動の相対性は誰もが認める所なのですが、自然のあらゆる現象を見るにつけ、「エネルギー保存の法則」に至るというところに納得できないで来ました。勿論、閉じた環境(孤立系)での総量は保存することに異議はありません。空間全体?で本当に保存しているのかがよくわからないのです。知られているように保存の法則は、一連の実験や観測事実のみに基づいた経験則です。例外があってもよいと考えてきました。ある科学者が言うように別の観測者から見ると「すさまじいエネルギーを持っている」のは誰もが認める所です。
運動の相対性についての解説を探してみました。北大のHPにある第8章 光と相対性理論より引用します。
人間は歩いたりすれば簡単に位置を変えられます。一方、時間に関しては別で、ある時間からある時間まで行くといったことはできません。たとえば、ある時間ごとの位置というのはありますが、時間は位置と別のものということが常識的な考え方です。
- 略 -
重力が働いていない状況をはっきりさせるためにまず、宇宙に出てみます。もちろん、実際には行けないので想像してみましょう。宇宙遊泳に友達と二人で出かけたとします。
友達を押してみると押し返されて自分も友達から離れていくでしょう。こちらから見ると友達が離れていき、友達からみるとこちらが離れていきもう2度と会えないなんていえば悲しい話となりますね。ともかくどちらが静止しているといった言い方はできません。そのため、運動というのも、誰かを基準にしてそこからのずれを問題にしているだけです。この意味ですべての運動が相対的で、絶対的に優位な人はいません。また、これはある程度実験で確かめられた仮説として、宇宙には中心がないと言えます。これはすべての人や物に対する平等の考えかたです。これを相対性と言います。
時間と位置は別のものだとの考えは当然です。位置と位置の隔たり(距離)は量ですが、角度から作る時間は量ではなく”事の質”だからです。上記の引用でも運動の相対性を説明する際の例として重力が働いていない宇宙空間に出た場合を説明しています。 続きを読む
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