ずっと心とは何かについて、岡潔の言葉から探る内に、 言葉 の本質について考えるようになりました。岡潔の言う2つの心のわかり方についてです。
- 第1の心・・・・物の理ことわり、理解、わかるの語源はわける(還元主義)相手は常にブラックボックス わかり方:意識を通し言葉で言える
- 第2の心・・・・何となくその趣おもむきが直じかにわかる わかり方:意識を通さず言葉で言えない
自然科学の内、物理学者は還元主義である第1の心しか知りません。彼らは、すべてが数学を含む言葉で言えると思っています。
ところが、人は言葉でわかっているのではありません。言葉は互いに規定し合って成り立つ循環でありネットワーク、かつ外のない内です。研究の対象(宇宙や素なる粒子等)は、どこまで行ってもブラックボックスです。 次は幾度も引き合いに出す図です。
図1 物理学者による「物とは何か」がどこまでも続く
物理学者たちが200年以上かかって、行き着いたのが場の量子論です。場と量子は、互いに規定し合って成り立つ循環でしかありません。それは匙とスプーンの関係に同等です。注:第1の心の特性です。この特性は決して変わりません。
ところで、過去記事に次があります。
元の記事は、筑波大学による2017年9月6日の記事「ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~」にあります。その概要は、国立大学法人筑波大学 計算科学研究センター小泉裕康准教授についてのpdf「ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~」にあります。
当該pdfが指摘する電磁気学に関する根本的な疑問点は次です。
- 磁場を横切る導線に生じる誘導起電力が「ファラデーの電磁誘導の法則」と「ローレンツ力」という2つの本質的に異なる方法で求めることができるのはなぜか。
例えば、「ある時点で起電力が○○ボルトあったとすると、その○○ボルトの内、どれだけが電磁誘導によるのか、それともローレンツ力によるものかの判別ができない」ということです。このような例は、他に見られないとしています。
小泉准教授は、電子の運動を量子力学的な波動関数で記述すると同時に、電磁場をゲージ場とし、電場、磁場の代わりにゲージポテンシャルを用いることにより、この問題を解いたとします。小泉氏は「電子の運動→波動関数」に、電磁場→ゲージ場(ゲージポテンシャル)」に置き換える手法を用いたようです。
で、論文の成果、要点を抜き出しますと、2点に絞られます。
- 位相因子が、1つの見方では電子の導線に沿った方向のローレンツ力による並進運動を表す。
- もう1つの見方では電場を生む時間依存したゲージポテンシャルと見なせる
2つの見方は「電子の量子状態を表す波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた」と結論づけています。
管理人は、ゲージ場がどのようなものかわかっていません。しかし、問題はゲージ場にあるのではなく、電磁気学での「2つの本質的に異なる方法で結果が一致する」という問題点が上記の「2つの見方に置き換わる」という点です。
冒頭に戻って鑑みるに、匙とスプーンの関係が場と量子の関係に置き換えても本質は変わっていなかったのと同様に、電磁気学での疑問が量子力学とゲージ場に置き換わっただけであって、本質的な解決になっていないように見えます。きっちりスッキリ納得した感がありません。
このような疑問を冒頭の2017年9月9日および2018年1月8日の記事の時点で書きました。その頃はまだ、言葉という道具の本質に明確に気づいていませんでしたが、それでも電磁気学での疑問を量子力学とゲージ場に置き換えたところで、電磁気学が持つ2つの関係が「2つの見方に置き換わる」という様子を変えただけで2つの関係のままだと感じていました。実のところ何も解決していません。
科学者たちが言葉の本質に気づくまで、自然科学の手法を如何に深めようとも解決に至らないと感じます。「このような関係がいつまでも続く」という例は他にもありそうです。
参考に弧理論での考え方を過去記事からあげます。
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