唯物主義と還元主義 の末路は”人類の滅亡”

5月26日の記事「唯物主義と共産主義」にて、感じたことの続きです。

岡潔は、「五感でわからないものはないとしか思えない。これを唯物主義という。」と述べました。その行き着く先が「共産主義:非宗教という宗教」なわけです。はなから自己矛盾を抱えています。

管理人は、自然科学の間違っている点を追求してきました。自然科学の進め方は、上記の唯物主義ともう一つ、還元主義です。還元主義は「わかるの語源はわける」だから、「わけることによりわかる」というものです。

岡潔の言い方を真似ると次になります。

わけることによりわからないものはないとしか思えない

わからないものを「わける」ことによりわかりきり切るということです。一方で、これまの考察により、還元主義には終端があるとわかっています。量子場理論は、(たぶん)還元主義の終端です。それは循環であり、ネットワークであり、外のない内です。それは、岡潔の云った第1の心の特性からきています。

しかし、唯物主義と相まって、還元主義者は「わけて考えられない人なんて人に非ず」と言い切ることになります。唯物主義の「非宗教という宗教」に対応した言葉を思いつかないのですけれど、とにかく人類全てを「そうあらねばならない」と断罪するということです。(うまく言い表せませんw。)

 

これまでの考察により、還元主義の行き着く先は、すべての抽象化でした。どうせ第1の心は、循環でネットワークであり、外のない内だから、答えなどありません。

図1

最後は、何が何だかわからない状態に陥ります。間違いなく。問題は、2つの心(ヲシテ文献のタマとシヰ)の乖離です。第2の心、即ちヲシテ文献のタマは、ごく具体的な物と事について「何となく趣おもむきが直にわかる」働きしかありません。第1の心(シヰ)の特性として抽象化する過程において、次のことが考えられます。

 

最近、動画にてMMT(現代貨幣理論)を観ています。お金の仕組みは、昔いろいろ調べたのと動画”money as debt”でわかっていました。

動画1 money as debt

MMTは、三橋貴明氏のがわかりやすいです。

動画2

図1のように、お金は抽象化の最たるものです。で、どうも、唯物主義かつ還元主義である連中は、上記の通り、極限まで突っ走るようです。そして、彼らは「お金を究極の目的」にします。 お金は人々の生活を満たす手段に過ぎません彼らは、手段を目的にしているのです。

財政破綻論は、理論的にも現実としても破綻しています。

図2 出展:【日本政府の長期債務残高(左軸)と長期金利(右軸)】

財政破綻論者は、手段を目的に替えた財政破綻主義者です。ただのカルトです。理屈なんてどうでもよいのです。自己矛盾を抱えているのです。もう云っていること、やっていることが無茶苦茶です。しかし、彼らもタマとシヰを持っています。たぶん心の奥底は誤魔化せません。

唯物主義と還元主義の行き着く先は滅亡です。岡潔は、「現代は間違った思想の洪水」と云ったのは、上記の「抽象化へ向かう思想群」のことです。

 

2つの心(タマとシヰ)の乖離は不健康です。弧理論におけるガガミ(社会科学:図1)のキモはここにあります。 自然科学の間違っている点と正しい方向を示せば、向かう方向は変えられると思います。でなきゃやってられません。事の本質は、お金の話でも、金融でも産業でも科学技術でもありません。

因みに、数学を用いて究極の理論を打ち立てようと努力されている方。無駄です。数学を含む言葉は、第1の心によります。外のない内です。 自然 > 第1の心。 予め規定することはできません。(当面)回避するには”別の次元軸からの投影による映像の仕組み”を科学する以外に方法はありません。だからこそ未来があり得るとも云えます。

 

動画による解説に鋭意集中しています。うまく表現できないまま進んでいますけれども、何とかなりそうです。最近感じるのは、全体をわからねば、わかった気になれないようです。弧理論の概要を説明しようとすると全体を説明せねばわかってもらえないということです。つまらない導入部が続くのは観る方としては苦痛ですね。

日本人は、自らの頭で考える力が衰えてきています。たぶん、何もかもが抽象化しているせいです。ほんの一握りの人たち(超専門家)にしか(理解し進められない世界。ほとんどの人が理解ではない世界)なんて、知れています。 中学生にもわかる内容でなければ先に進める訳がないです。

 


追記7/10 第1の心(ヲシテ文献のシヰ)、つまり生命維持の欲求は、「意識を通し、言葉で言える。」というものでした。言葉には数学も含みます。言葉は、互いに規定し合うことにより成り立つ循環でネットワークであり、閉じた「外のない内」でした。人は、物や事をわけることによりわかっている訳ではありません。循環だから、そこに答えなどありません。だから、際限なく求め続けるのです。シヰ(生命維持の欲求)により循環に陥るということです。行き着く先は抽象の極地です。何も得るものはありません。こんな簡単なこと、誰も指摘しないのは不思議です。

 

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動画「二つの心(後編)その2」を掲載しました。

岡潔による「2つの心」について、第2の心を解説した動画を掲載しました。

動画1

実は、簡単すぎて誰も考えないから説明されてもいまいちわからないのです。 これで2つの心の仕組みと働きについて、「別の次元軸からの投影による映像」だという仕組みについて、まとめられそうです。

いろいろ考察してきましたが、どう考えても別の次元軸はありそうです。時間は物理量ではありませんから除外して、空間(M軸、物質的自然)に人の心があるというのは無理があります。

前回、記事にてお伝えしたように「情報エントロピーと熱力学エントロピー」について解説するとともに、別の次元軸からの投影の仕組みと併せて解説しようと考えています。

自然科学はどう考えても間違っています。

 

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動画「 2つの心 (後編)その1」を掲載しました。

数学者岡潔の言葉より考察した「 2つの心 」について、動画サイトに掲載しました。

動画1

2つの心 の内、第1の心の詳細について説明した後、ヲシテ文献にあるタマシヰとの比較をしました。参考しにしたのはヲシテ研究者の池田満氏による解説です。

動画2

できれば、『【ヲシテ文献】漢字渡来前の日本を探る【ch桜】6』の1~を順に観ていただいた方がわかりよいです。

ヲシテ文献について、漢字直訳では絶対にわからないことです。ネット上に多くある漢字直訳はすべて駄目です。

これまでの考察により、岡潔の「 2つの心 」はヲシテ文献のタマシヰに等しいことがわかります。タマは「第2の心」でシヰは「第1の心」です。 これまでわかりにくい動画が続きましたが、ようやく核心に近づいてきました。大事なことは、各部の説明がバラバラではなく、全体を把握して初めて(心の仕組みと働き)が理解できると云うことです。

いよいよ、「自然は心を映写するためにある映像」について、「(自然は)別の次元軸からの投影による映像」の仕組みによってできているという解説になります。

仮に岡潔が生きていたならば、上記の解説を聞かれて喜んでもらえるでしょうか。

 

つい先頃、長年の疑問が解けました。これは学生の時に感じた疑問です。これまで何度か記事に書いてきたことです。サイト内を(エントロピー)で検索ください。

疑問:情報エントロピー熱力学的エントロピーには、なぜ同じ数式が出てくるのか?

EMAN氏の記事「二種のエントロピー」にあるように「それらは区別する必要のない全く同じものだ」と考える意見と、「形式が同じというだけの全く別概念だ」と考える意見とが存在しています。この疑問に決着が付きました

次回の動画の解説に採用するつもりです。2つの心と何の関係がある? ヒントは2つ。「時間は物理量ではない」と「自然は、別の次元軸からの投影による映像」にあります。この2つがなければ気づきようがありません。

 

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動画「 2つの心 (前編)」を掲載しました。

動画サイトに「03 2つの心 (前編)」を掲載しました。

動画1

これまで数学者岡潔の言葉より考察した内容のうち「2つの心」について、「第1の心」の仕組みと働きを解説しました。

神の数式なるものがありますけれど、インチキです。

図1

物質的自然は、自然科学者が研究対象としている自然のことです。神の数式は、この物質的自然を決して出ていません。自然とは何かをあらかじめ定めることは、原理的に不可能です。何故なら、第1の心は循環(ループ)で、閉じているからです。

自然 > 自然科学の時間空間というモデル

そんなことを解説する動画です。

第1の心は、意識を通し言葉で言えます。意識を通すということは、記憶に付随するということだと思います。というのも数字で表すことができる時間は、過ぎゆく運動の過去の出来事についての記憶(情報)があるからこそ持ちうる観念なのです。NHKの時報が過ぎてからしか知り得ないは、第1の心が記憶に頼っているからです。記憶を蓄えるにはハード(脳)が必要です。

第1の心は、ヲシテ文献におけるシヰです。タマ+シヰの腹心にミヤビがありました。ミヤビはアワレヱダとナサケヱダからなりました。このあたりのことを岡潔の2つの心と比較した図を近いうちに示したいと考えています。

 

ヒトはタマシヰ(生命維持の欲求)に物質を伴うことによりできています。タマにもシヰにも記憶装置がありません。だから身体の脳(記憶装置)が必要なのです。脳の仕組みは、人工知能に置き換えられます。しかし、ヒトは人工知能と異なります。脳の処理系としては人工知能と同じですけれども、ヒトにはハードとしての処理系(身体)とは別にタマとシヰがあります。人工知能には、これがありません。

2040年にはロボットが人を襲うという話があります。仮に人を襲うロボットがあるならば、そのロボットの背後に必ず人がいます。そのようなロボットの人工知能には、あらかじめ人を襲うという学習をさせたか、プログラムを潜ませる人が居るということです。ロボットの人工知能には、生命維持の欲求がありません。

 

この動画、見た目が悪くて、つまんなくて申し訳ありません。内容も簡潔にまとめきってないです。こんな難しい動画、誰も観ないです。

 

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動画「 自然科学 は循環である」を掲載しました。

当ブログにて、考察した中からまとめた部分を動画サイトに「#02 自然科学 は循環である」として掲載しました。

動画1

録音、録画、編集とも下手くそながら、内容に誤りはないと考えます。

 

自然科学は量ではない時間をパラメータとする循環ですから、宇宙物理学でいうところの宇宙の初期状態(ビッグバンにおけるt=0)を計算しようとすると不定になります。

相対性理論は、光速度を不変として、質量が原因で空間が歪み重力になるし、重力が原因で空間が歪む?とか。そもそも質量と重力は空間を介して互いに規定し合っているという説明は無意味です。何も説明したことになりません。

岡潔は「空間は量的に質的にありません。」と述べています。【5】情の特色を参照ください。空間というモデルも駄目です。過去記事で述べたように、空間は境界面にそっくりです。境界には何もありません。

gif 1 青と透明の液体があるだけで、境界面という何かがあるわけではない。空間も同じ。

ループ量子重力理論は、自然科学の循環の呼び方を変えたものに見えます。(違いない。)

図1

このような量子場の説明では空間に何かあるように誤解します。

上のgif1において、青い粒子は透明の液中にできます。透明の粒子は青い液中にできます。これは青い粒子と透明の粒子は互いに規定し合うことにより成り立つ循環(の状態を示すモデル)です。 カルロ・ロヴェッリが著書「時間は存在しない」で述べたように、「(量子場は)言語規範と同じである。」という条件を満たしています。このあたりのことは既出です。

 

自然科学は、量では無い角度から作った時間をパラメーターとする循環です。循環とはループであり、互いに規定し合うことにより成り立つネットワークであり、孤立系であり、「外のない内」です。 今までの考察により、明らかなようにこれが「第1の心」の特性です。

わからないものに関心を集め続けて、情的にわかったものを知的(言葉)に言い表したならば、ネットーワーク「外のない内」に取り込んだことになります。ここから第1の心の範囲になります。 当たり前のことなのに、何でみんな気づかないのでしょう。岡潔が云ったように人には、心が2つあります。

 

追記 やっと「具体抽象」の意味合いがわかってきました。長年、疑問であった「熱力学エントロピーと情報エントロピーの関係」がもう少しでわかりそうです。そのうち、記事にします。毎年、少しずつ核心に近づいています。

 

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自然科学は何も説明しない。 現代宇宙論 は破綻 している。

2018年に自然科学は循環であるとわかりました。

図1

自然科学の時間空間というモデルは、初めに「空間があり、物質がある。時間の経過により運動する。」というものです。量ではない角度から作る時間は物理量ではありません物理量ではない時間を変数に持ち循環である自然科学は何も説明しない事は明白です。

時間・空間→物質→運動→時間→光速度(相対性理論)→時空→物質→運動→時間→・・・・

 

ここで、現代宇宙論について考えます。これまでビッグバン宇宙論には矛盾があると書いてきました。加速度的に宇宙が膨張しているから、時間を遡ればビッグバンに至ると考えたようですけれども、遠くがより速く遠ざかる様子に偏りがありません。多少揺らぎはあります。それだと、ビッグバンの中心は地球だと云うことになります。どう考えても変です。地球が宇宙の中心だというのは、かつて聞いた言葉です。サイト内を「ビッグバン」で検索ください。10件出ます。

 

昨年末に続けて記事にしたカルロ・ロヴェッリ著(以下、著者という。)の「 時間は存在しない 」には、「現在に意味は無い」とあります。

写真1

著者は、論理的に「時間は時の過去である」ことを導いています。 しかし、結論はまったく逆です。 時の現在は第2の心のみです。ここに意味があります。第1の心は時の過去です。 続きを読む

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唯物主義 と共産主義

岡潔によれば 唯物主義 を次のように述べています。「【3】五感でわかるもの」より。

どんなに工夫しても五感でわからないものはどうなのかというと、そういうものはないと思っている。「ない」といってるんじゃありません、「ない」としか思えないのです。だから、仮定とも何とも思ってやしませんから、それについて検討するということはしない。

また、この 唯物主義 を見直すべき時に来ていると述べています。「【3】西洋の唯物主義」より。

西洋人は五感でわからないものは無いとしか思えない。これが唯物主義です。この仮定のもとに調べてきた。それが自然科学です。そうすると、とうとう素粒子というものにいき当った。不安定な素粒子というものがあって、生まれてきてまたすぐ消えていってしまっている。無から有が生じるということは考えられない。そうすると、五感でわからないものは無いという仮定は撤回しなければならない。それで西洋の学問は、一番始めからもう一度調べ直さなければならないところへきているんです。

この唯物主義者は、共産主義に通ずるといいます。知識としては知っていましたけれども、理由がわかりました。

 

前回の記事に追記した興味深い動画です。

茂木誠氏の言葉です。「非宗教家という宗教が教科書を席巻している。」これです。

 

無宗教の人は、「神を信じない。」だけであって、他人には「神の存在の有無と信じる、信じない」を強制することはありません

しかし、唯物主義者は、「五感でわからないものはないとしか思えない。」のですから、「神の存在を信じないし、認めない」のです。これが非宗教という宗教へつながります。だから、唯物主義者は、「万人が神を否定すべき」と考えます。これは非(否)宗教という宗教です。これは自己矛盾です。 共産主義の元となったカール・マルクスは、ドイツ・プロイセン王国の出身で、墓はイギリスにあります。

岡潔は、 唯物主義 は見直すべきところに来ていると述べています。突き詰めると、彼らの共産主義は、見直さざるを得ないところに来ていると云うことです。 さらに、1960年代~1970年代にかけて単独で取り出せないクオークを物質と認めたときから唯物主義ですらありません。 主義思想の面からして破綻しています。右検索欄にて「クオーク」を参照ください。10件記事があります。

 

こう考えると「五感でわからないものはないとしか思えない。」というのは、毒を含んでいるように思えます。これまで何度か書いたように「自然科学は統合失調」の状態にあると感じます。

でも、偽ユダヤ人たちが旧約聖書の成就を願っているらしいことと整合しません。何故だろう?もっと激しい選民思想か?わかりません。

 

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日月神示 の「理屈は悪じゃ」は、弧理論の「カガミ:社会科学」に同じ

昨日、「 日月神示 、神一厘のシナリオ:中矢伸一著、徳間書店」を読んでいたら、「理屈は悪じゃ」という一文がありました。管理人が主張している社会科学の基本にかなう合理的な解釈だと感じ、メモします。

 

まず、弧理論のブログではヲシテ文献を参考にしています。日月神示とヲシテ文献との関係です。 日月神示 は、岡本天明が自動書記しました。岡本天明は、山口志道の稲荷古伝布斗麻迩いなりこでんふとまに日本言霊奥伝を研究していたと言われます。この布斗麻迩は、ヲシテ文献のフトマニから来ていると推測されます。もしかしたら山口志道は、古くに焚書されたヲシテ文献の中から散逸したフトマニの断片を読んだのかも知れません。いずれにしても管理人は、何でも(ほぼ合理的に解釈でき)参考になればよいという姿勢です。

日月神示-岡本天明-山口志道-布斗麻迩-フトマニ(ヲシテ文献) のつながりです。

2018年6月14日 の記事「日月神示 ひふみ神示は、なぜ弧理論の参考になるのか?」を参照ください。

 

日月神示をネットで検索してみると以下のような文が出てきました。

夜明けの巻~第7帖

神の臣民しんみんに楽なことになるぞ。
理屈無い世にするぞ。
理屈は悪と申してあろうが、
理屈ない世に致すぞ。
理屈くらべの気負きおい無くして仕舞うぞ。

松9帖

悪の終わりは共食いじゃ、共食いして共倒れ、理屈が理屈と、悪が
悪と共倒れになるのが、神の仕組みじゃ。

ほかにもありますが、松9貼が興味深いです。

 

当ブログで述べてきたミクサタカラとは、タマ:精神科学、カガミ:社会科学、ツルギ:物質科学のことです。日月神示の上文はカガミ:社会科学と同じ意味になります。

弧理論によるカガミ:社会科学の基本は次図によります。

図1 人の心の健全性をはかる基準

岡潔によれば、人には心が2つあります。これを第1の心、第2の心と名付けています。岡潔講演録の【4】情のメカニズムを参照ください。この2つの心の特徴は以下です。

  1. 第1の心 物の理ことわり。理解。還元主義「わけることによりわかる(はず)」、意識を通し言葉で言える。時の過去。動画がわかる。互いに規定し合うことにより成り立つ循環、ネットワーク、孤立系(外のない内)、私心(生命維持の欲求)、特徴:理屈(過度に複雑な理論)により抽象へ向かう。記憶・記録・情報と関連する。
  2. 第2の心 意識を通さず言葉で言えないが、しかし何となくその趣おもむきがわかる。時の現在。静止画がわかる。無私。特徴:具体がわかる。映像がわかる。

ヲシテ文献におけるタマが第2の心であり、シヰが第1の心に同じだと考えられます。また、ヲシテ文献において、復心としてミヤビがあり、ミヤビはナサケヱダとアワレヱダからなります。このナサケヱダが第2の心、アワレヱダが第1の心に通じるようです。

長くなりました。この第2の心でわかるのが(映像=具体)で、第1の心でわかるのが(抽象)なのです。わけることによりわかるとする還元主義の行き着く先は、抽象です。これは第2の心で描けない状態です。だから、抽象的な数学に頼るのです。

この抽象へ向かう源泉が生命維持の欲求であるシヰ(私心)です。その行き着く先は、共食いです。関連する記事としてサイト内を「エリートキツネ」で検索して参照ください。エリートキツネには飼い主として生物学者が居ますが、人類が何世代にも渡る共通の指向(還元主義)を持つことについて、これを差し止める飼い主はいません。誰も止められないのです。

先般の新型コロナウイルスの騒動もどちらかというと人災です。直接に人を喰らう訳ではありませんけれど、経済活動を通じて人々を貧困に追いやります。最後は、経済のために純消費である戦争を起こします。 保守も革新も中道も、資本主義も社会主義も共産主義も、環境を訴える連中も、神を信じる人もそうでない人も、誰も彼も全員が同じ方向へ向かっています。第1の心の特性である循環、即ち、堂々巡りの輪に気づかない限り自滅します。間違いなく。

最大の問題は、第1の心と第2の心の乖離にあります。岡潔が「間違った思想の洪水」だから「人類は滅びる」と云った意味がこれです。乖離により人は心を病むのです。2018年3月27日の記事「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」を参照ください。

 

世の中の移り変わりは、ますます早くなっています。めまぐるしいです。わけることによりわかるとする還元主義によれば、早いこと、速いことは絶対の善です。しかし、そうではありません。 例えば、音楽の拍子やビートについて、2拍子より3拍子が、4ビートより8ビートが善であると云っているのと同じです。それだと8ビート・16ビートより256ビートの方がよいはずです。名曲はそれらの内にあるのであって、256ビートになどありません。

 

実は、図1を眺めて考察を続けていて、抽象化の行き着く先は人類の滅亡であることを確信しますが、何と表現したらよいか考え続けていました。そうして、先日思いついたのが人類による「共食い」という言葉でした。偶然にも日月神示に共食いという言葉があるのを知りました。 現代は、信仰の時代です。※↓ 自覚はありませんけれど、間違いなく信仰の時代です。皆が同じ方向へ向かっています。 サイト内を「信仰の時代」で検索してください。また、2019年7月13日の記事『「 聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く 」ことの難しさ』を参照ください。

一つ疑問が残ります。理屈(理論)が循環に陥り、心の乖離を引き起こすから理屈はだめだと云うのならば、文化・文明の発達はだめという事になります。 問題は還元主義の先端まで突き詰めることに問題があるということです。第1の心にある循環を根本的に避ける手段はありません

 

ここで、別の次元軸にすべての根源を求めることによって、当面の間これを回避することができます。つまり、心の仕組みと働き、並びに物質の成り立ちを別の次元軸からの投影による映像だという理論を確立すれば、当面の間、この矛盾を回避できます。この当面というのは、恐らく1000年くらいです。即ち、フリーエネルギーと重力制御の理論と実践を目的として考察と実験を続けることで当面(約一千年)の間、回避できるということです。 ただし、その前にとんでもない災難が待ち受けているはずです。

かつてオバマ米大統領は、「Change Yes We Can!」と云いました。これは、現在持っているものはそのままで、進む方向を変えるという意味です。しかし、別の次元軸にすべての原因を求めることは、現在持っているもののほとんどを捨てた上でのことになりそうです。自然科学を捨てるのですから、当然そうなります。よほどの覚悟がなければ難しいです。

例えば、社会全体のシステムを12進数に変える必要があるならば、お金から教科書、経済システムから、何から何まで全部変える必要が出てきます。お金持ちも貧乏人も、大学教授も小学生も、それこそ全員もれなく影響を受けます。想像するだけでゾッとします。ここに人類史上最大の試練があります。2016年3月1日の記事「五つ玉のそろばんは、12進数の計算に使える」 を参照ください。あるいは「そろばん」で検索してください。

 


 

追記5/21 サイト内を”統合失調”で検索してください。10件ほど記事が出てきます。自然科学を基本とする世界は、分裂状態の世界を形成します。古典力学と量子論の間につながっている感はありません。ジェット気流の向きが自転と同方向であることに、誰も異を唱えないのは変です。 もっと云えば、世に何かあれば何々の”専門家”とされる人が湧いて出てくるのは異常です。全体を観る人がどこにもいません。すべてはどこかでつながっているという直観があります。これまでの考察で「わけることによりわかる(はず)」という還元主義には終点があるとわかっています。ですから、この直観は正しいと思います。あまりに複雑な理屈はだめです。第2の心にかなう説明でなければなりません。参考までにサイト内を”スプーン”で検索してください。

余談です。これまで弧理論の解説をブログに書いてきました。今年11年目です。 研究の過程と理論的な成果をブログに書くに、レンタルサーバーとドメインの維持に年5000円ほどかかります。現時点で具体的な実験(フリーエネルギーや重力制御など)に到達できるかどうか未知数です。仮に到達できなかった場合、いつまでサーバーとドメインを維持できるかわかりません。弧理論の解説は事実上サーバーにしかありません。だから、無料で解説を残せる動画にしようと考えました。

しかし、実際やってみると相手の居ないマイクに向かって喋るのは、凄い違和感のある行為だとわかりました。人前で話すのは何も問題はありませんけれど、一人で喋るのは、はっきり言って苦手です。これからシリーズ化して、動画にて解説するかどうか戸惑っています。おまけに、動画を観てる人に飽きさせずにアピールする内容に仕上げるセンスはゼロです。絶望的にだめです。なぜ、テレビやラジオで対談形式にするのかわかりました。録音や編集に慣れるまで続けるかどうかです。

 

世界には、大変な量の情報があふれています。YouTubeには毎分400時間以上の動画がアップされているそうです。情報は拡散するとともに陳腐化し風化します。お金と株や為替の仕組みを調べてた時にわかったことです。流行のビッグデータなど忽ち価値がなくなります。

岡潔の「情の発見」は、ヲシテ文献のミヤビ(ナサケヱダ・アワレヱダ)のナサケヱダに相当します。つまり、2000年とか4000年前に岡潔と同じ事を考えていた人たちがいたのです。逆に言えば、次のことが言えます。

仮に岡潔の言葉を出発点にして考察した内容が正しいならば、ここから発信した情報は、陳腐化・風化しません。どれだけ拡散しても永遠に変わらないし、風化しません

この情報の質の違いはどこから来るのかが最大の疑問です。

  1. 物質と時間を含んだエネルギーは、一つの実体の異なる側面に過ぎない。
  2. 物質と運動Pは、一つの実体の異なる側面に過ぎない。
  3. 運動Pには、時間を含んだ速度、加速度がある。
  4. 運動Pには、熱、圧力がある。
  5. 運動Pには、波がある。(時間を含んだ波動)
  6. 運動Pには、ソリトン(孤立波、素粒子)がある。

以上をまとめると「は一つの実体の異なる側面」に過ぎません。とは情報に等しいです。だから、時間を含んだエネルギーと情報の間には密接な関係があります。

この情報に質の違いがあるのです。これは実に不思議です。恐らく、この疑問とフリーエネルギーとの間には密接な関係があるはずです。

この考えに至る発端は、「the-manuscript-of-survival-part68日本語」にあります。一部引用します。

 ちょっと待って、我々は、その反対側を目指している、一握りの発明家を話題にしていたのではなかったですか? ええ、そうでした。希望を持って下さい。あなた方の中に混じった光の者たちが、これまで隠されてきた多くの知識を、これらの男女の頭に植えつけることに成功しています。それらの知識は埋もれないように、”理性”の声として、彼らの頭の中で存在を主張し始めています。知っていますか、知識には活力があり、生命力もあることを。

情報=知識です。情報には活力があり、生命力があるとのことです。これが上記のお話しにつながります。永遠に変わらぬ情報とほかの情報と何が違うというのでしょうか。疑問です。情報エントロピーと熱力学的エトロピーについては、EMANの「二種のエントロピー」を参照ください。

 

もう一つ追記 極小の世界では、運動Pは離散的に現れます。何故なら別の次元軸からの投影だからです。投影の回数は整数です。1.34回の投影などあり得ません。ですから、事は離散的に現れます。これがすべての物性に表れます。ということは、物と事には、整数の関係があるはずです。で、この物性を人の五感でわかる、かつ、意識を通して言葉で表すならば、離散的な物と事を整理して言葉を構築すればよいはずです。

これがヨソヤコヱ(48音韻)、アワウタです。

出展:日本ヲシテ研究所

を横軸に5つの”態”として、を縦軸に10の”相”としています。5×10から2を差し引いて48音韻としてます。だから、英語などのほかの言語と違い日本語は、無駄(余計な概念)が入りにくいし、生じないのです。そもそも素粒子など不要です。必要なのは、基本粒子(陽子・中性子・電子)だけです。恐らく、素粒子群は”抽象”に近いはずです。なぜなら、量ではない時間を用いて記述しているからです。

考えれば考えるほどヨソヤコヱ(48音韻)、アワウタ、つまり日本語は素晴らしい。恐ろしくシステマチックであり、むしろ人工的ですらあります。だから、いかなる言語が入ってきても飲み込めるし自身は変化しないのです。具体から離れすぎてはいけません。自然科学者の自信満々は疑わしいです。

はっきり言って、投影による映像は投影の角度によるのですから、ヨソヤコヱは12の倍数なのです。ものすごく大事なことです。

 

※ 興味深いので追記

動画1

非宗教家という宗教が教科書を席巻している。

 

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重力と電磁力 との類似点について

2017年9月9日の記事で、「電磁誘導と ローレンツ力 はなぜ同じ起電力を与えるか~ とね日記よりメモ」を書きました。電磁誘導と単極誘導は、誘導起電力に差がなく、まったく区別が付きません。ですから、数式では、2種類の起電力の和になっています。

式1 右辺は、電磁誘導と単極誘導の和になっている。

上記「とね日記」を読んでも意味がわかりませんでした。2種類のものを量子論的に言い換えただけに見えました。----古典電磁気学で見られた2つの本質的に異なる方法での奇妙な一致は、電子の量子状態を表す波動関数の位相因子の2重性により繋がっていた結果----  これでは本質的な解決とは言えないと思います。何か直感的に”わかった感”がないのです。

 

2013年から2015年にかけてファラデーが発見した単極誘導のうち、主に単極誘導モーターにかかる作用・反作用の実験を30回あまり行いました。そのうちの幾つかを動画サイトに掲載しています。よろしかったらご覧ください。 一連の実験を通して感じたことは、以下でした。

図1

化学は、19世紀中頃に周期律表が完成して以後、20世紀初頭、原子核が発見されるとともに、修正を受けました。(◎印で示される部分。) ところが、電磁気学はマクスウエルが出した方程式群をヘヴィサイドやギブスらによってベクトル表記されて以後、原子核発見の際に修正を受けていません。(実際は、それ以後にローレンツLorentzによって、さらに改変されているようです。図2参照)

図2 改変されてできた電磁気学から相対論へつながった

電磁気学は、ローレンツによって改変されたけれど、修正は受けていないということです。 で、力の統一は困難を極めて現在に至るわけです。

 

ここで、単極誘導モーターにかかる作用・反作用の実験を通じて、考えたのは、「単極誘導は、磁石を構成する原子核と周囲を運動する電子との相互作用ではないだろうか?」ということです。 考察の結果、加速度には2種類あるのではないかと考えるようになりました。

ベタな表現ですけれど、同じ加速度でも2種類あって「回す」と「回る」では異なるのではないかということです。「回す」とは、回転運動させる為の機構が必要な運動と云うことです。例えば、内燃機関は、「吸気、圧縮、爆発、膨張、排気」という往復運動を回転に変換します。

図3

これが電磁誘導に当たります。直流のブラシモーターもブラシレスモーターも交流誘導モーターも磁石の吸引・反発を回転運動に変換する機構を持っています。

対して、単極誘導によるモーターは、ブラシ(接点)は存在しますが回転させる機構を持ちません。直接に回転運動を起こします。(空間が持つ本質的な回転運動と云っても過言ではないという気がします。何故なら、電磁気現象が別の次元軸からの回転投影だと考えているからです。)

homopolar motor

写真1 水銀を用いた単極誘導モーター

この実験と考察を通じて、 2018年6月29日に「楕円磁場による 重力理論」を書きました。これでは、なかなかわかり辛いので、2018年9月10日に「重力の 加速度 は遠心力と区別できない。重力は回転運動と深い関係にあるはず。相対性理論では納得できない。
を書きました。 これをまとめたのが下図です。

図4  重力と電磁力 の類似点

当たり前のことのようですが、重力と遠心力による加速度には差がありません。これは何故か? 誰も疑問に思わないほど当たり前です。しかし、よく考えると理由がわからないのです。 重力と遠心力が釣り合うのは何故だろうか?

同じく、電磁誘導と単極誘導に関して生じる加速度に違いがあるのでは?との疑問に至ります。その結果が前出の仮説です。ですから、重力は空間が持つ本質的な回転運動に起因する現象なのではないかと考えました。

 

で、思い当たるのが以下です。

ベクトル表記では、「加速度がある」としか表示されないということです。この表記の起源は電磁気学の成立過程で編み出されたものです。管理人は、ルードウィッヒ・ローレンツLorentzが原因ではないかと疑うようになりました。

”ベクトル”の歴史を少し調べてみました。(ベクトル小史) するとギブスの名前があがってきました。トム・ベアデンの手紙の内容と少しずれるのかどうか、よくわかりません。もしかしたら、ヘヴィサイド・ギブスらの表記は非対称であったが、後にローレンツLorentzが対称に改変したのかも知れません。どなたかご存じであればご教示ください。

 

いずれにしても、重力遠心力による加速度電磁誘導単極誘導による加速度における類似性を強く感じます。管理人の中では、重力は単極誘導に近い現象ではないかとの思いがあります。(もっと云えば、研究開始当初からスカウトシップは単極誘導の応用だと感じています。本当にそっくりです。)

 

改めて、図1を掲載します。

電磁気学において、磁気の起源は、原子を構成する周囲にある軌道電子にあります。管理人の実験での感じるところによれば、単極誘導は、原子核を構成する原子核との相互作用ではないかと感じます。すると20世紀初頭に原子核が発見された当時に、電磁気学が修正されるべきは、単極誘導による部分であったかもと思います。そうすれば、冒頭に記した「とね日記」の記事に抱く「わかった感のなさ」は解消します。

因みに、電磁気学の教科書には、単極誘導に関する記述は申し訳程度しか記載されていません。ファインマン物理学〈3〉電磁気学 (日本語)において、単極誘導は、約300ページの内、1ページほどです。扱いが不当に小さいです。

 

余談です。過去、外村彰氏による実験「電子波で見る電磁界分布 【 ベクトルポテンシャルを感じる電子波 】」を何度か取り上げています。外村氏の実験は、電子線(波)が磁石近傍を通過するときベクトルポテンシャルが電子波を曲げる現象をとらえたということです。 電磁気現象はもっと基礎的な何かが元で起きているらしいことはわかっています。それがベクトルポテンシャルそのものか、スカラーポテンシャルかもとかなり考えたのですが、わかりませんでした。何も出て来ませんでした。

現在の”力”を統合できない状態の原因が相対論であり、遡って電磁気学にあるというのは、ほぼ確定です。研究開始当時から単極誘導は不当に小さく扱われている。無いものとして扱われていると主張してきました。もっと真剣に検討すべきです。教科書を勉強してわかったつもりではいけないです。電磁気現象に何かあるというのは確かです。単極誘導に関する一連の実験から何年も経ちました。けれども、あれ以来誰も実行した人はいないと思います。ニコラ・テスラも何度か記事に書きましたけれど、失意の元亡くなった後に遺された資料の中には、単極誘導にかかる研究資料が必ずあったはずです。現象が微弱だから意味が無いということはありません。

何故かフリーエネルギーに関する考察は進みません。本記事のように重力に関することが先に出てきます。何故なんだろう。重力に関して考察すると別の次元軸を考えるしかありません。

写真2 空間(風船の表面)に対して伸縮しない光速度を物差しとするのが相対論

量ではない時間を光速度に置き換える相対論はそもそも間違いですから、相対論は論外です。するとどうしても別の次元軸からの投影という仕組みの内に重力を考えるしかないのです。(重力をうまく説明するには、上に示した金属の物差しを風船の表面に直交に配置するしかない。=別の次元軸)

自然が別の次元軸からの投影だとするとフリーエネルギーの基本原理はわかるのに具体的な仕組みに落とせません。”運動Pの相対性に帰結する簡単なこと”であるはずなのにわからないというもどかしさがあります。

動画1

 

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動画 「 時間は物理量ではない 。」を掲載しました。

漸く、解説の動画「 時間は物理量ではない 。」をYouYubeにアップしました。

研究は11年目を迎え、2017年頃より弧理論の全体像がつかめてきました。それ以降、幾つかについて、まとまってきたものの文字では伝わりにくいと感じてきました。

最近の動画サイトは、高画質化しており、2015年頃まで単極誘導モーターにかかる作用・反作用の実験の動画を掲載した頃と、環境がかわってきました。パソコンと録画、録音の環境を整えるのに時間がかかりました。

慣れない編集作業に手こずるとともに、よく見せるセンスがないと痛感します。今回の動画の自己評価は60点くらいです。コンテンツはいくらでもあるけれど、表現するのは難しいです。

 

2012年頃、The manuscript of survival日本語版を読んで、「(地球の科学者は)エネルギーの量を正しく求める方法を知らない」らしいことが気になっていました。岡潔の言葉から時間とは何かを考え続け、「量ではない角度から作る時間は物理量ではない」ことがわかりました。

けれども、なぜ素粒子加速器での実験が「非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェクト」なのか釈然としませんでした。 今回の動画編集で次のことがわかりました。

ある科学者は、相対論の帰結であるE=mcについて、次のように述べています。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない。

事の発端は上記なのですが、これを図示します。

図1 別の次元軸を時間を含まない真のエメルギー値を持つ実体のある軸としてエネルギー軸(面)と呼ぶ。

当サイトでは時間を含まない運動をPに”_”アンダーバーをつけて運動Pと呼んでいます。ある科学者の言葉を言い換えると「物質の質量mと運動Pは、異なる次元軸上にある実体の異なる面に過ぎない」となります。物質と時間を含むエネルギーは、互いに転換するのではなくて、異なる側面が見えているということです。

運動Pにはつぎのようなものが含まれます。

  1. 物体の速度、加速度、躍度(jerk)・・・いずれも時間を含む表記
  2. 熱、圧力
  3. エネルギー・・・次元は[ML2T-2]であり、時間を含む。真のエネルギーとは別。
  4. 波・・・電磁波、電子波(を量子化すると光子)、ソリトン(各種素粒子

素粒子は波の一種であり、その中でもソリトン(孤立波)です。つまり、素粒子は運動Pの一種です。かたや時間は運動Pから作る、量ではない「数」に過ぎません。

次の数式を見ます。

m=E/c

エネルギーEは、運動Pの一種です。光速度cも運動Pの一種です。

上の式は、運動Pと運動Pの比を質量mとしているのです。これは間違いです。こんな簡単なことがわからなかったのです。

これだけ、「時間は観念に過ぎない。運動から作る」とわかりながら、頭の中に時間という観念が固定されていたのです。

 

ついでに云えば、電気と磁気は一つの実体の異なる面に過ぎないようです。M軸上で位相が進行方向に直交して現れるだけです。だから、電磁波は横波です。相対論は歴史上どのような意味があったのでしょうか。

図2

化学は、原子核の構造がわかるとともに修正を受けたのに、電磁気学は修正されませんでした。

図3 ◎化学は修正を受けたのに、※電磁気学は修正を受けなかった。

電磁気学の成立過程に問題があることは明白です。同じ起電力が2つのまったく異なる方法(電磁誘導、単極誘導)で生じるのはどう説明するのでしょうか。誰も答えてくれません。

 

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