物や事において、遠隔であるか近接であるかは、人の五感でわかる 通りとしてよいと考えます。 2013年から2015年頃にマイケル・ファラデーが発見した単極誘導モーターについて実験を行いました。実験を通じて、そのころから「接するとはどういうことか?」ということを断続的に考えてきました。「近接」に関連する記事は2014年11月28日『「接する」ということ 』ほか11件あります。「接する」という語句でも幾つかあります。
弧理論の考え方の骨子は、数学者岡潔の名付けた物質的自然 は「別の次元軸からの投影による映像 だろう」という仮説 です。別の次元軸を考える理由は幾つもありますが、列挙すると前置きが長くなりますので省略します。ここで、前回記事の一部を再掲します。
(1) 物質的自然について、人が持つ一つの観念 であって、かつ量ではない時間 を用いて記述した自然科学は循環論法 になります。人が持つ時間という観念は、五感でわかる範囲に限られます 。ここがミソです。時間を用いて計算はできても五感でわかる範囲を越えて時間という観念を適用できません。これが自然科学の限界です。
図1
数学者岡潔は、唯物主義 を「五感でわからない ものはない としか思えない 」と表現しました。管理人は、「五感でわかる」物や事は、下表1の両端で消失している と考えています。五感でわかる範囲はおおむね次表に示す括弧の範囲です。
表1
測定装置や観測装置の発達によって、人が確認できる物や事は表の両端に伸びています。だからといって、観測や測定の結果をもって時間の観念をその現象に適用できるかどうかは別のこと です。 「物理現象とは何か?」という問いに関係します。管理人は、「物理現象とは五感でわかる範囲の物や事である」と考えます。逆に云えば、五感でわかる物や事が物理現象である と云ってよいと考えます。
(2) 遠隔作用であるか、あるいはまた近接作用であるかをわかる のは人の五感によります。「人が持つわかる には3つあります 」。
わける ことによりわかる 。物の理ことわり 。理解する。意識を通し言葉で云える。
直じか にわかる。何となく趣おもむき がわかる。岡潔が云った情じょう 。静的 にわかる。ヲシテにあるナサケエダ。
直じか に動きがわかる。動的 にわかる。本居宣長が云った「もののあはれ 」。ヲシテにあるアワレエダ。
(3) 人の五感でわかる 物や事の内から2つについて示します。
gif 1 出典:via GIFMAGAZINE
ボールが重力により落下し机の上で跳ねる様子です。皆が学んだとおり作用と反作用が成り立っています。 下は反復横跳びの運動です。
gif 2 出典:ザグザグのマスコットキャラザグちゃんが反復横跳びに挑戦するGIF画像
反復横跳びは、足と床にある摩擦 によって踏ん張ることができます。机にボールが跳ねることや床を足で蹴って踏ん張れる摩擦について、古典的な説明は普通にわかります 。(意識を通し言葉で云える理解)
摩擦や作用反作用について、原子の構造との関係(原子論的シミュレーション)を示したものは、ナノトライボロジー と呼ばれ研究されているようですが、読んでもあまり「2.3.でのわかる」気がしません。上の2つのgifと比べると「1.人の(意識を通し、言葉で云える)ところのわかる」と乖離しています。つまり、「1.わけてわかる 」の説明が複雑になりすぎています。そうして得た科学で物や事を再構築すると「手が出ないほど複雑」になります。(最後は、それ以上進めなくなる。) そして、最初の疑問「接するとは何か」に行き着きます。
以上を踏まえて、弧理論による仮説(別の次元軸からの投影による映像)を重ねることにします。
写真1
ここにオレンジがあります。1個と半分です。(写真1が何故オレンジだとわかり 、1個と半分だとわかる のかを考えてください。) 貴方は、PCまたはタブレット等で写真1をご覧です。当然のこと画像は液晶によります。写真1の部分を拡大します。きめ細かさはいろいろありますが、だいたい次になります。
写真2 画素
仮に、オレンジがgif 1のように、机の上を転がったとします。オレンジは机に接しているのは当然ですが、写真2のように拡大したところ、画素が動くわけでも画素どうしが接するわけでもありません 。これまでの考察によれば、物質的自然も数学を含む言語も、それに伴う人の思考も循環 です。さすれば、人の五感でわかる「接する」という事も写真1の内 であり、それを越える事はありません。映像としての人の持つ五感においてボールやオレンジに重力が働き、そして机に接することで作用・反作用がおき、摩擦が起きると「わかる 」ことをそのまま受け入れるしかない と考えます。 もし別の次元軸から観ることができれば、映像である物や事の作用が遠隔作用か 近接作用 かは映像での話であって、映像の内に完結しています。画素には無関係です。映像である物がオレンジであるかどうかさえ画素には無関係です。すべての原因は投影元にあります。映像には一切の原因はないです。
詰まるところ、人が持つ五感でわかる通りに受け入れるしかないと考えます。単極誘導モーターについて云えば、力は電流路にある接点において生じているとして問題ないと考えますし、放電による単極誘導モーターは放電中における電子間で力が働いていると考える以外にないようです。 光子や素粒子は五感でわかる範囲に(関係)ありません。はっきり書けば、人の感覚とズレがある物理学に意味は見いだせません 。
表1の両端において「わかる」は次第にフェードアウトしています。こうしてタイプしていても凄くもやもやします。どうにも割り切れない部分を感じます。 それでも「人が物や事をわかる 」の根幹は、上記の2. と3. にあります。それ以外に循環 の外はあり得ません。 物や事は「わけてわかる 」のではありません。 この循環の外とは別の次元軸(E軸)しか考えられません 。次第にフェードアウトするという部分に もや を感じています。たぶん、唯物主義 かつ わけてわかる と信じ切った人から自信満々のどや顔で説明されるのに戸惑っているというところです。そう、自然科学は統合失調です。全体はバラバラなのに専門の部分にしか興味が無くて無頓着なのがどうにももやる のです。投げやりな文ですが、ご了解ください。
追記 2/14 注:岡潔は、唯物主義を「五感でわからない ものはない としか思えない 」と述べました。唯物主義である自然科学者、特に物理学たちは表1の両端について、(量ではない)時間を用いて際限なく突き詰めるしかないのです。「The manuscript of survival – part 68日本語版 」において、「この物理学の聖杯探しには、正当な理由もなく、多額のお金がつぎこまれてきました。実際のところ、それは、非常に多くの賢い頭脳を間違った方向に向けさせている、上手に組み立てた誤魔化しのプロェジェクトなのです。」と指摘したことの意味は、ここにありました。2012年にこの翻訳文を読んで、理由を考え続けて得た結果が、岡潔の指摘どおり「自然科学は間違っている」ということでした。
ちょっと前に、確率は結果 だと書きました。その点について補足します。 物質的自然を横軸にM軸とします。別の次元軸をE軸とします。E軸上の実体は真の エネルギー値をもっています。この実体がM軸に投影されることにより、位置と質量を持った物質となります。これが映像です。
図2
投影角が90度以外になると、実体が持つ値がΔEだけ減少し、その分が運動P となります。運動P は時間を含みません。時間を含むとエネルギー[ML2 T-2 ]と表記されます。 運動P が大きくなるにつれて質量はM軸に対して次元を失います。(質量を観測できなくなる。) ですから、質量はエネルギーに転換するとされるE=mc2 は間違いです。物質の質量は運動が増大するにつれて観測できなくなるというのが正しいです。
運動P の一形態が”波”です。例えば、電子が運動P とだけ観測される場合、質量は測定できず”波”として観測されます。これを量子化したのが光子です。ここで、質量と位置と運動量との間にあるのが確率です。電子が確率的に現れるという”確率”は、別の次元軸からの投影による映像だと考えると「結果」です。つまり、不確定性原理は別の次元軸を考えると原理ではなくて、結果だと云えます。物や事が離散的に現れる原因も投影による映像だとすると合理的です。
追記 2/15 写真2を眺めていて思ったこと。これまで別の次元軸を考える際には、映画の映写を例えに使っていました。
図3 投影元(映写機)が2箇所あれば、スクリーンは空間と認識できる
それと比べて液晶画面の拡大写真2は「画素を並べたマトリックス だな」と考えたら、映画マトリックス を思い出しました。
写真3 出典:【徹底解説】映画『マトリックス』の謎を解き明かす!
仮想現実VRは、本記事の内容とは根本的に異なります。我々の本質は「投影元にある」からです。ネオのように仮想空間に取り込まれたのではありません 。岡潔は山崎弁栄上人をして「本当に実在しているのは心だけである。自然は心があるために映写されている映像にすぎない」と述べています。「【3】 西洋の唯物主義 」・【5】 自然は映像 」 人の本質は第2の心にあるということで、仮想空間に囚われたのではありません。 心に上記(2) に示した2.と3.のあることを知らねば映画マトリックスのように感じるかも知れません。
映画マトリックスは確かTV番組としてかDVDでも観た記憶がありますけれど、何も印象に残っていず何が面白いのかわかりませんでした。 似た映画にトロン があります。
写真4 出典:トロン
こちらもTV番組で観たような記憶がありますが、その程度の印象です。トロンは、むしろ薄気味悪いとさえ感じます。その辺りの理由がなんとなくわかってきました。
ところで、液晶画面の制御は、行と桁を指定せねばなりません。言い換えると長さ です。液晶パネルの生産は面積が大きくなるにつれて困難になります。長さの2乗だから大きくなるにつれて歩留まりが極端に悪くなる。 一方の映画はというと、解像度は別として投影角にのみ依存しています。 宇宙の本質はこれに似て、長さより角度 に本質があります。10進数より12進数が便利なはずです。
因みに仮想現実に入れ込む人はアブナイです。昨今、ゴーグルを付けてするドローン競技があります。百歩譲って、ここまでです。eスポーツというのがありますけれど、とても不健康です。
写真5 出典:ドローンシミュレーターの使い方
過去に何度か「考え方が不健康」ということについて記事を書きました。サイト内検索で幾つか出てきます。やっと「考え方が不健康」ということの原因がわかってきました。
そういえば、ラジコンシミュレータで練習するにバンダイ(ナムコと合併前)だったかのVRゴーグルとシミュレータとを併せて使ったことがあります。当時、それぞれの性能がいまいちで使い物にならなかった記憶があります。ドローンという言葉もありませんで、唯一はキーエンスのジャイロソーサーでした。これで結構遊びました。
写真6 出典:ドローンの祖先 キーエンス ジャイロソーサー
今なら、VRゴーグルも安くなったしRCシミュレータ もVR対応にすれば売れるかな。いや地味なラジコン練習より、直にドローン競技の方が面白いか。管理人には耐えられませんけど。
VIDEO
動画1
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