オスプレイ 2機の飛行を目撃

驚きました。ウォーキングの際のことです。2月4日午後2時15分頃でした。山の麓を歩いていたとき、ヘリコプターの様なバラバラという感じの音が近づいてきたので見上げたところ、山陰から2機のオスプレイが現れました。2機は、北西から南東の方向へ飛び去りました。

「キアサージ」から発艦した海兵隊所属のMV-22写真1 出典:V-22(航空機)

山は標高200mほどです。ですから、たぶん300m~400mくらいの飛行高度のようです。機体はかなり大きく見え、はっきりと巡航時の姿勢で飛行するのを確認しました。ただ曇天で下から見上げるだけですから、機体の文字等は確認できませんでした。

帰宅後確認したところ、次のようなニュースがありました。京都新聞「饗庭野演習場で日米共同訓練 オスプレイ参加、ルート示さず」 2013年にも合同訓練はあったようです。知らなかった。

動画1

空を飛ぶのは、何でも好きですからよいのですが、沖縄に配備されているくらいの知識しかないので、いきなり本物を見たので驚きました。垂直に離着陸できるからといってオートローテーションはできませんので中途半端な機体です。機体の作りからいって離着陸時に不安定だろうということはわかります。ヘリもそうですけど、着陸時に追い風だと危ないです。

 

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シラス・ウシハク と数学者岡潔

前回と前々回の記事に続いた「精神科学」の解説です。 シラス・ウシハク の一般的な解釈をねずさんのブログ「ねずさんのひとりごと」より引用します。ねずさんは「シラスとウシハク」で次のように説明しています。

そしてこのときの言葉の中に、
1 大国主が領(うしは)ける国
2 我(あ)が御子の知らさむ国
という、明確な対比が出てきます。

この「知らさむ国」の「知らさむ」が、「シラス」です。
「シラス」は、古い日本の言葉で、「シラス、シロシメス」などと活用されています。
「シラス」は、「シメラフ」とも活用され、これを漢字で書くと「統(し)めらふ」、つまり「統(す)めらみこと、いやさか」の「統(す)める」となります。

どういう意味かというと、これは「知らしめる」で、いま風にいうと、何かをやろうとするときの情報の共有化です。
つまり「知らせ」を聞いたみんなが情報を共有化し、互いに必要な役割を定め、みんなで一致団結、協力して国造りをする。
そのときの中心核が「シメラフ」御存在となります。

どうも管理人の理解ではシルは「領る」であり、シルの尊敬語がシラスであったと記憶しています。ねずさんの記事ではシラスは、「知らしめる」との解釈です。転じて「統(す)める」と解釈出来ると説明しています。 概ねOKですけれども、シラスは単に情報を共有するという消極的なものではありません。それでは現在の状況と変わりありません。

図1

岡潔は、「(あるかないかもわからない)何かに関心を集め続けることにより知的に言い表せるようにする」作業を推奨していました。前回記事の引用を再掲します。岡潔に関する著書「数学する人生」より。 続きを読む

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「考える」ということの仕組みを 考える

いろんな本や難しい数学の問題について考えた結果、何かを知ったり理解が進んだりします。人はこのような活動をします。 ところがほとんど誰も「自分自身がどのような仕組みで、その理解なり感想なりに至ったか」について考えることはありません。 これまで管理人が自分で考え、懸命に説明してきたのがこの仕組みについてです。 「人が考える」ということの仕組みを考えてきました。 一言で云えば人とは何か、どのようなものなのかを考えてきました。 過去、何年もの記事の多くは「人が考える」ということの仕組みについて考えてきたことを記したものです。

数学者岡潔が云ったように、自然科学は間違っています。自然科学は明らかに統合失調です。このままでは人類は滅びます。誰しもが感じる不安はこれです。しかし、どのような平和活動も実を結ぶことはありませんでした。ある科学者は、「単に問題を提起するだけで解決方法を与えていないからだ」と云いました。そして、「人類と文明と社会に最も必要なものはかんたんで、人と人との間、国と国との間、すべての人々と自然を制御している偉大な力と英知の間の基本的な”理解”なんだ。”理解”が君の人類が生き残るための鍵だ。もし人々の間に理解がなかったら、政府間の協定、協約や保証などにおける価値は全く少ないことになる。」と云いました。

これまでの検証で地球には、精神科学と社会科学はほとんど無く、物質科学の一部として自然科学があります。しかも自然科学は、量では無い時間をもってエネルギーの量を測っています。これらは一重に精神科学・社会科学が未発達だった結果です。

図1 物質科学の発達は、精神科学と社会科学の発達が無ければあり得ない

前回の記事「新しい 天皇 に期待すること」の意味がわからない方は、残念ながらこれからの発達は見込めません。

ある科学者が云ったように”理解”が必要です。この理解は、「意識を通さず、言葉で云えない。何かを知的に言い表していく」以外に方法はありません。これを「気(キ)づく」と言います。山崎弁栄上人や岡潔などごく少数の人を除いてあまりに未発達だからほぼ誰も気(キ)づけないのです。

岡潔に関する著書「数学する人生」より一部引用します。

大宇宙は一つの心なのです。情だといってもよろしい。その情の二つの元素は、懐かしさと喜びです。p35
情は常に働いていて、知とか意とかはときに現れる現象だから、情あっての知や意です。「わかる」というのも、普通は「知的にわかる」という意味ですが、その基礎には、「情的にわかる」ということがあるのです。
わたしは数学の研究を長くやっていました。研究中は、あるわからない「x」というものを、どこかにないかと捜し求めます。捜し求めるというより、そこにひたすら関心を集め続ける。そうすると、xの内容がだんだん明らかになってくる。ある研究の場合は、これに七年くらいかかりました。p37
xがどういうものかわかってやるのではありません。わかっていたらなにも捜し求めることはない。わからないから捜し求める。関心を集め続けるのです。
わからないものに関心を集めているときには既に、情的にはわかっているのです。発見というのは、その情的にわかっているものが知的にわかるということです。
数学に限らず、情的にわかっているものを、知的にいい表そうとすることで、文化はできていく。p38
情の働きがなければ、知的にわかるということはあり得ません。知や意は、情という水に立ついわば波のようなもの。現象なのです。

下線は管理人による。 冒頭の理解とは、知的にわかるということです。平和へ向けての解決方法は、このような方法で示される以外にあり得ないと考えます。新しい天皇に期待するのは、このようなことです。形骸化した式典・儀式や呪術などではありません。

 

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新しい 天皇 に期待すること

ご高齢故に今上天皇の譲位が決まっています。譲位は平成31年4月30日です。新しい元号は5月1日に発表されるようです。(天皇陛下譲位は平成31年4月30日 改元は5月1日) 新元号がどうなるかについて盛んに予想されているようです。

管理人は、新しい天皇になられる現皇太子殿下に期待することがあります。2016年2月1日の記事『シラス・ウシハク  シラスは「領る」ではない 「知る」である』より、一部引用します。

古事記・日本書紀にある「シラス」のように、天皇お一人に「シル:知る」を押しつけて、<知る>を<領る>と誤解した上で、<シル>という行為を王権と考え違いをした結果、<シラス>としているように思えます。

平城京あるいは平安京の御所にある清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」がありました。古より天皇は、「石灰の壇」にて毎朝、遙拝が行われていました。 現在、皇居の宮中三殿(賢所、皇霊殿、神殿)において三種の神器への祈りがなされているようです。 皇祖・天照大御神の御霊とされる八咫鏡は賢所に祀られています。現在では遙拝について、誤解された上で形骸化していると考えられます。

図1 出典:「賀茂真淵の書簡について」 Iさまより

清涼殿内の東ひさしの東南に、床を漆喰で固めた「石灰の壇」にて、毎朝、遙拝を行われてきたようです。どういう所作かは存じませんけれども、四方拝に似た儀式ではないかと想像します。 続きを読む

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動画「 12進数 によるタイマーと時間について」を掲載しました

動画、「12進数によるデジタルタイマーと時間について」を掲載しました。

動画1
同じ12進数でもアナログ時計の方は、”数字”を角度に合わせて配置してますからまだ分かり易いです。 デジタルの方はわかり辛いです。

時間とは何か、考え出したのが確か2014年か2015年頃からです。すでに5年ほど経っています。漸く簡潔に言えるようになってきました。角度を量だという人は居ませんよね? バカみたいに簡単でした。逆に何故気付かなかったのか不思議でさえあります。

そういえば、若い頃から中島敦の山月記が好きでした。奇異を衒てらうわけではありませんけれど、自身、向こう側(12進法の数学世界)へ行くことを望んでいるのかも知れません。別に虎になりたいと思っていませんが、何か惹かれます。

 

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空間とは  物より「事」の方が重要

これまで何度か「宇宙は長さ(距離)より角度の方がより大切だ」という意味のことを書きました。 これまでの考察の結果、人の五感でわかる「物や事」の内、物とは何かを言い表すことはできないと結論づけました。それはパズルとピースの関係に似ています。

写真1

パズルから観てピースが”どういう物”であるかを答えることはできません。ピースがどういう物であるかよりもたくさんのピースを如何に組み合わせるかというの方が重要です。これはピースではなくて「事」あるいは「出来事(動きのある”事”)」です。 人と人、人と物、物と物などの関係が「物」より重要だということです。

皆これが何かは、直じかにわかります。言葉によらないことはこれまでに考察してきたことです。

写真2 匙はスプーン、スプーンは匙、「言葉は循環、言葉に物の本質はない」

匙は匙なりの趣おもむきがわかるのです。これが数学者岡潔が云った情じょうです。言葉もピースである音素に意味はありません。 言葉イコール思考ですから、思考(識)も同じです。 その意味で人の思考を人工知能で置き換えることができます。これも考察済みです。 人が、写真2が何であるかを「わかる」のは言葉や思考でわかるのではなく、直にわかるのです。人工知能との違いはここにあります。 そして数学も同じだろうと感じます。記号に意味はありません。複数の記号の関係に意味を持たせるのです。その意味をくみ取るのは人間です。識と「直にわかる」のとは別なのです。(ここに、岡潔の云った「情→知→意」の関係が入っています。)

時間は運動から作りますし、運動は角度が大事です。 角度は量ではありません。角度は人と物、物と物の関係(つまり、事)です。角度は「事あるいは出来事」です。

日常生活の「事や出来事(動きのある事)」の内に宇宙の構造に似た事があって、これらを参考に真の宇宙の姿に気(キ)付くようにできているのではなかろうかということです。 例えとして適正かどうかわかりませんけれども、「お釈迦様の掌てのひらと孫悟空」、「万華鏡やX線回折」の例えは、弧理論の考え方の構造に似ていると感じて、幾度も参考に使ってきました。  我々が日常生活に見聞きする「事」の中に宇宙の構造のサブセット、あるいは自然の雛形のようなものがあると感じます。 続きを読む

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12進数による webアナログ時計 と12進数のデジタルタイマー

12進数による webアナログ時計 を作りました。「CreateJS でアナログ時計の開発に挑戦しよう」を参考にしました。(一応、IE 、google clrome 、Opera、Firefox で確認。)


12進数を表すに0~9とA及びBを用いました。 アナログ時計の文字盤には、10時→A、11時→B、正午→1012進を置いています。

一日は12進数で20時間、1時間は50分、1分は50秒です。(訂正:1時間は60分、1分は60秒に訂正します。もの凄く混乱します。)文字盤がAとBと10に置き換わっただけで一見、何の変哲もないアナログ時計に見えます。 しかし、よく見ると秒刻みが”6”刻みだとわかります。例えば3時から4時までの間に6の刻みがあって、秒針はPCなどからの時刻をとってきますので5秒刻みです。ですから、赤い秒針の進みと文字盤の刻みとの間にずれができています。

時間は、10進数を用いた12の倍数で表現しています。時間を本当に12進数にするには「1秒の定義を変更しなければならない」ということです。

現段階では、12進数による時計の必要性を具体的に述べることはできません。ただ、これまでの考察から云えるのは、物質的自然は距離ではなくて角度がより重要であるだろうというという事です。基本物理量である「長さと質量」は10進数ですが、時間だけは10進数による12の倍数です。時間を10進数に改めることは不可能に近いです。 むしろ長さも質量もその他の物理量も12進数に統一すべきだとの考えです。webアナログ時計はその一つです。

時間は角度から作ります。地球上において、1日の長さ(運動)は変えられません。というか、人は1日を基準に活動している以上、これを基準にするしかありません。ですから、時間を作る際には、1日(昼夜)の長さを無視して時間を作れません。 続きを読む

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知恵 は絞り出すものではない

先日の記事、『岡潔 的思考 右の内耳について』の続きです。どうもわかってもらえません。 岡潔の思考方法は、岡自身の解説から読み取るのは困難です。ほとんどの人が仏教思想とか禅との比較などからわかったつもりになっているようです。 大事なのは実践です。岡潔が指摘しているように、ほぼ誰もやりません。

右の内耳に関心を集めるという、それだけで別の見え方をします。そうすると成程とわかって来るからやってみなさいと云ったんだけど、勿論やらなかったでしょう。やらなかったと云う顔をしてるから(笑いながら)。やったら顔つきが変わる。しかしね、僕の云うことを少し ― 僕は哲学してるんですよ、こういう時はね。それを少しついて来るようになった。だからそういう修業をしたんじゃないでしょうが、だいぶん右の内耳に関心が集められるようになって来たのかもしれない。本当の哲学はそうしなきゃ出来ないんですね。

どうも岡潔講演録の解説に適切なものがありました。「【27】 西洋人の創造」からです。

岡はこういっている。「精神集中をつづけていると、いつしか努力感を感じない精神統一になっている」と。

「努力感を感じない精神統一」、これが管理人の云う「弛緩」です。だからといってサボっているわけではありません。今、問題だと感じていることについて、あれこれ思考しながら関心を持ち続けるのです。 ですから、知恵は頭を絞ることによって出てくるものではありません。知恵は心に浮かぶものです。『聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く』とは、そういうものです。決して緊張と集中からは出てきません。

近頃、陸上短距離走において、リラックスした状態で走る方がよい記録が出ることが知られるようになりました。 岡潔は難しいことを述べている様で、実は簡単なことを云っています。 ガチガチに力一杯走るより、リラックスした方がよいのです。貴方は全身に力を込めて考えて(走って)いますか?それともリラックスして考えていますか? 岡潔の話は、スピリチュアル系でもオカルトでもなくメンタルの話をしているに過ぎないのです。 考える際の姿勢のことを云っているのです。

余談です。

「(答えが)わかる」において、「理解する(物の理ことわり)」との違いはここにあります。2018年12月4日『人が持つ「 わかる 」には3つ在る』の結論を再掲します。

人の「わかる」には3つあります。

  1. 第1の心・・・意識を通す。言葉で云える。わけることによりわかる。要素還元主義。物の理。
  2. 第2の心・・・意識を通さない。言葉で云えない。何となく趣おもむきがわかる。情じょう。静止画がわかる。ナサケエダ
  3. 第3の心?・・・意識を通さない。言葉で云えない。何となく動きがわかる。動画がわかる。「もののあはれ」「アワレエダ」

ここで、1.の「わけることによりわかる」には緊張と集中が必要です。しかしながら、新しい「知」である発見は、1.では出てこないのです。

これには、理由があります。物質的自然は互いに規定し合ってできている循環だからです。 おまけに自然科学は時間を用いることによって更に複雑になっています。時間という物理量はありません。

図1

究極、物質的自然は、わけることによってわかることはありません。 専ら「わかる」というのは、直にわかるのであって、「わけることによりわかる」のではありません。これが岡潔の云った2.情じょうです。

言語は互いに規定し合う循環です。ですから、人の思考にも循環の要素が入っています。記号を用いる数学で心を病むのは際限のない循環によると思われます。2018年3月27日の「宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?」を参照ください。

目一杯力を込めて考えてもダメです。「わかる」の本質は2.と3.にあります。

 

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どうもE=mc^2は間違っている  エネルギー について

素粒子物理学者のやっていることは、例えば次のようなことです。

リコーダーの音をマイクで拾い、音の強さ(運動)を質量に換算している。音に質量があるなどと誰も言いません。

写真1 出典:KENJI 的 Blog

どう考えても変です。この件については、これまでに何度か取り上げていますが再度記します。

ある科学者の云った言葉を2つ引用します。

(1) 1つめ。

君たちの科学の急速な進歩に対する根本的な障害の一つは、科学者たちが物質とエネルギーのかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。地球の最大の思索家の一人であるアルバート・アインシュタイン教授はずっと以前に物質とエネルギーの同一性を量的に表した数式を発表した。この式は数学的には全く正しいのだけれども、誤った結論に達している。つまり、物質はエネルギーに転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質もエネルギーも一つの実体の異なる側面に過ぎない

下線は管理人による。 数式とはE=mcのことです。 「一つの実体」というのは、別の次元軸上にあるとするものです。これについては別に説明がありますけれど省略します。図では次になります。

図1

我々のいる空間を2次元平面とすると、直交するのがE軸(エネルギー軸)です。ここで、物理学でいうエネルギーの次元解析では[ML2T-2]ですが、時間[T]を含みますので使えません。時間のマイナス二乗(加速度)が入っているので図1では、物理学での エネルギー は運動として表してE軸上の実体が持つ真のエネルギーと区別しています。上から見ると実体は質量を持つ物質と認識できますが、投影角が浅くなり運動が大きくなるにつれて質量は次元を失います。(直交から平行になる。)投影角がゼロになると質量は観測できなくて運動のみになります。これが”波”です。波は位置と質量が不定です。

(2) 2つめ。

たとえば地球の科学者は電子が粒子で、波動性の二重性をもつものと定義せざるを得ない状態にある。彼らは電子は確率波をもつ粒子だということによってこれを正当化させようとしている。これは心で描くことのできない状態であり、そのため進歩の唯一の方法として抽象的な数学に頼らねばならなくなる。

極微の世界では、粒子は波としての性質を持ちますが、その現れ方は確率によります。現れ方というのは「位置と質量を計測できる」ということですが、どうも落とし穴がありそうです。別に記します。

 

少し前に、「確率は結果」だと書きました。上の2つの言葉はリンクしています。図1の(弧理論の)考え方によれば、”波”は運動の一形態です。物質は運動とともに質量を計測しにくなり、位置と質量は不定になります。これが”波”です。 例えば電子は加速するにつれ電子波になります。図1の投影角がゼロになると運動のみになります。これは波であり量子化したものが光子です。光子は波であって質量は観測できないということです。

電子も素粒子ですけど、話を素粒子に戻します。素粒子物理学者は200種にも及ぶ「波」を観測し、その運動を数式:E=mcを使って質量に換算していると云うことです。これが冒頭のリコーダーの話に通じます。

 

で、落とし穴の件です。電波は電磁波です。アンテナが電波を捉えると表現しますが、厳密には誤りです。

図2

電磁波はアンテナを構成する良導体にある電子に運動(高周波電流)を起こします。高周波電流を増幅し検波して音声なり映像なりを取り出(復調)します。 電磁波を直接に捉えてはいません。ついでに云えば聴覚は音を直接捉えていません。音波は内耳の蝸牛にある有毛細胞、つまり聴覚神経内に電子の運動(電気信号)を起こします。(間違っていたらご指摘ください。)

同様に、素粒子加速器のセンサーもセンサーを構成する物質内の電子が波(素粒子)によって運動します。これを処理して(素粒子の)運動を求めます。求めた運動を質量に換算しているということです。 繰り返します。弧理論の考え方によれば、運動の一形態は波であり、波の位置と質量は不定です。運動を質量に換算するのはどうも間違っています。言い換えますと「物理学で定義されるエネルギーを質量に換算することは間違い」ということです。

冒頭のある科学者の云った「 エネルギー 」を運動に置き換えます。

物質と運動のかんたんな同一性をまだ十分に把握していないことだ。・・・・ 誤った結論に達している。つまり、物質は運動に転換するし、その逆にもなるというが、本当は物質も運動も一つの実体(が持つ真のエネルギー値から)の異なる側面に過ぎない。

どうも2つの引用文について、およそ7~8年くらいは考えてきました。これでだいだいは飲み込めたようです。物理学上の定義にある エネルギー は時間を使えないので(時間を含まない)運動に置き換えることは早い段階でわかりましたけれども、運動の一形態が波であるという考えを受け入れるに相当な時間がかかりました。(ここで確率が関係してきます。) ある科学者は答えを直接云わないので大変です。教育ということの大切さがわかります。岡潔も指摘したように詰め込み教育なんて実にくだらないです。

 

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岡潔 的思考 「右の内耳」について

数学者 岡潔 について、最初の記事を書いたのは2013年10月15日『「時は金なりTime is money.」の本当の意味』というものでした。「岡潔」で検索してみますと項目数184件という結果でした。現時点での記事の総数532件からすると相当の数です。 弧理論を含む全体像がわかったのは2016年11月頃のことでした。切っ掛けは京都ヲシテの会に出席したときに教えられた”カミ”の定義からです。ヲシテ文献に関しての最初の記事は2015年9月12日「漢字伝来以前に文字は間違いなくあった。 聖徳太子と蘇我氏の功罪」ですから、岡潔の思想について考え出した時期は、ヲシテ文献について調べ始めるより2年ほど先でした。

管理人が 岡潔 の思想に関心を持つ理由がなんとなくわかってきました。この件についてのメモです。

考察の過程でヲシテ文献に示された人の心のあり方をまとめたのが次図です。

図1

図は2016年11月ですから丁度、全体像である「カミの仕組み」がわかってきた頃の図です。

管理人は若い頃にG・アダムスキーによる「テレパシー」なる本を読みました。

写真1

当時、”こんな考え方があるんだ!”という驚きがあり、大変影響を受けた記憶があります。だけれども管理人はアダムスキー原理主義者にはなりませんでした。G・アダムスキーの考えに腑に落ちない点もあったからです。この点は幸いでした。「これはこれ、あれはあれ」という姿勢は現在でも変わりません。

岡潔とヲシテ文献を同時並行で考える内に図1に示したとおりの相関があると気付いたのです。あれこれ考えて2017年と2018年にかけて弧理論を取り巻く全体像(カミの仕組み)と自然科学の問題点のそれぞれについてがだいたいわかってきました。

こういった経緯で岡潔が考えたであろう事について自分なりに考察を続けてきました。

で、本題です。 どうも、管理人の思考方法が岡潔のそれに近いというか、近づいているというか、何と表現してよいかわかりませんけれども、「究極まで(基本的なことを)究極まで簡単化して考える」という方法をとっているようです。

記事を書く際には、よく「数学者岡潔思想研究会」のサイトを利用させていただいているのですけど、先日、岡潔講演録(21)「1971年度京都産業大学講義録第11回」の「【10】 右の内耳」が気になりました。この記事にある「右の内耳に関心を集め続ける」ということの意味を貴方もわからないでしょうし、なぜ右の内耳なのか管理人もわかりません。

岡潔が”関心を集め続ける”ことを「精神統一」と言った言葉で表現したのは誤解を招くと前々回の記事で記した通りです。 実はG・アダムスキーが最も重視したのは「想念観察」でした。よく考えると岡潔が「右の内耳に関心を集め続ける」という動作というか思考方法は想念観察そのものです。 「目はつぶらずに、しかし目に入るものに興味は移らず、問題に関心を集め続ける」、そして『聞こゆるを聞き、見ゆるを聞く』というのは、まぎれもなく想念観察であり、ある科学者の云った「受信の態度」そのものです。道理で管理人のそれと似ているはずです。 ただし、右の内耳に関心を集め続けるのは、岡独自の方法であって一般的ではないようです。

そういえば、FE研究者のI氏から似たことを聞いたことがあります。I氏曰く「右の耳(右肩・右の方向?)にラップ音がある」とのことでした。これは管理人がこれまでの経験について話したことの返答でした。こういうのをラップ音というのをこのとき知りました。

どうも岡潔の述べた言葉は、途轍もなく凝縮されています。平易な言葉であるけど、噛めば噛むほどに深くて味があります。管理人は最近まで岡潔講演録の内のわずか4ページ分ほどを参考に考察を進めてきました。大量にある岡潔のほとんどをまだ読んでいません。それほどに深くて凝縮されています。ネット上の岡潔の著作に関する感想を読んで思うのは、感想のいずれも速読したように見受けられることです。大量に読み込んで簡単に感想を述べています。その感想のいずれもが薄すぎます。岡潔が自らの長い長い時間をかけて考えた結果を「さらり」と述べているので、その深さに気付かないのかも知れません。一気に読み飛ばさず気になる部分だけについてじっくり「興味を集め続け」ては如何でしょう。

そうすれば、現代が如何に奇妙で不自然な状態にあるかわかってくるはずです。過去記事に「近い未来の人たちは、我々の文明のことを(信仰の時代)と呼ぶだろう」と書いた記憶があります。お金は皆が信じているから成り立っています。皆が信じなくなった瞬間に全崩壊します。人類史上、最強最大の信仰です。世界中の宗教は、最強最大の信仰に添える「刺身のつま」でしかありません。 岡潔が当時、人類の危機を云ったのは、深く深く考えた結果です。「間違った思想の洪水」とは何だったのか考えてしまいます。立場上、云えなかったことも多かったと推察します。「【 5】 自然科学の無知

一つ注意があります。日常生活はとても忙しいです。想念観察は、埋没すると自身を危険に晒します。散歩やウオーキング、入浴や就寝時などが適当ですけれども、街中では事故に遭う危険があります。皆が忙しすぎるため、ムリな面もあります。 一方でどこかの誰かは皆に時間の余裕ができることを嫌っています。だから皆が忙しいとも云えます。皆が自覚のないSheepleのままで居て欲しいのです。また、「小人閑居して不善を為す」とも云います。対して、岡潔の場合は環境があったからこそとも云えますが、同時に岡潔の天才は、「環境からして不善を為さなかった」という自身の努力があったからのようです。『岡潔: 「天才ですか?」 いいえ、努力の人間です』 暇だとつい怠けてしまいます。

 

追記 ちょっと面白いので掲載します。第一部は実に興味深いです。

動画1

動画2

動画3

 

追記19/01/12  ほとんどの人が冒頭で示した岡潔の云うことに興味を持てないような気がします。偉大な数学者だから何か凄いことを云っているのだろうと耳を貸すだけです。正直に云うと”己が持つ常識と照らし合わせて”、G・アダムスキーはインチキ臭いです。岡潔と同列に扱うなと云われるかも知れません。管理人は、動画に示した高野誠鮮氏のように一次情報を集められる環境も能力もありません。過去記事に情報は陳腐化すると記したことがあります。一次情報がすべてです。 ですから、管理人の環境下において何が本当なのか見極めることは極めて困難です。鵜呑みになんかできません。自分で考えるしかありません。で、直接の証拠がないならば、G・アダムスキーやダニエル・フライやヲシテ文献などなど惹かれるものから学んで、古今東西のあれこれに”共通”する何かがあれば、それらにはきっと普遍性があるはずだと考えます。岡潔は仏教思想をわかりやすく現代の言葉で解説してくれます。その他の資料とつきあわせて合理的に判断して共通する何かがあればそれは本物だと考えてよいのではと思います。 異星人やUFOが本当かどうかは後から付いてくるのだと思います。きっとそうです。UFOの破片や目撃情報などほとんど価値はありません。むしろどうでもよいことです。UFOや異星人などの話は宇宙の話などではなく、我々個々人の内なる問題なのだと感じます。

その意味で、異星人がG・アダムスキーにコンタクトした理由がわかります。G・アダムスキー:久保田八郎訳になる「空飛ぶ円盤の真相」(高文社)から一部引用します。

写真2

さて、この象形文字が私に与えられたおもな理由の一つは、地球人が欲しがっていることを宇宙人が知っていたという〝具体的な証拠〟を与えるためであった。

宇宙の兄弟たちは次の事実を認めている。すなわち地球の古代文明の歴史やその文明の哲学のなかには、彼らの遊星上で知られていて、そこに住む人々によって保たれている歴史や哲学と一致するものがあって、それが例の象形文字のなかに述べられているというのだ。
それで、ずっと以前に私に与えられたあの象形文字の完全な説明をすることは現在でも私にはできないけれども、その文字はおそらく目的を果たしたであろう。宇宙人たちは満足の意を表わしている。

「私」とはG・アダムスキーのことです。象形文字とは、G・アダムスキーが遺したネガフィルムに映っていた宇宙文字と呼ばれるものです。

写真3

2018年7月2日『弧理論 (Ark Theory)の意味するところ → 「異星人の持つ哲学」=「古代縄文人の哲学」』を参照ください。

詰まるところ、”共通の何か”をはっきりさせれば、UFOや異星人のことがわかってくるはずです。彼らの目論見はここにあります。

 

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