磁石の 磁束 を見る器具を作りました

磁石を使った実験を行ってきましたが、どうせなら 磁束  が見えるような器具を作ろうと思い立ちました。 呼び方はいろいろありまして、磁力線、磁束、磁界、磁場などです。天気図で示される等圧線と同じで仮想なのでしょうけれど、目に見えると理解しやすいです。

一般的な砂鉄を使う方法です。 いちいち砂鉄を片付けるのは面倒ですので容器に入れて観察できるようにします。 材料は、グリセリン 砂鉄 透明のプラスチック容器 アクリルネジ(6ミリボルトとナット)です。

写真1

15センチくらいの角形の容器2つ購入しました。蓋2枚を向かい合わせに接着すると丁度良い大きさと厚みになります。 蓋の片方の角に5ミリの下穴を開けて6ミリのタップをたてます。6ミリのアクリルナットを下穴に合わせて接着します。蓋にナットの接着ができたら、蓋2枚を向かい合わせにして接着します。

写真2

グリセリンが漏れ出さないように適当なパッキンを取り付けます。ねじ穴から砂鉄を適量いれてから、グリセリンをめいっぱい入れます。少々空気が残りますがやむを得ません。使用したグリセリンはおおよそ、250ccくらいでした。また、グリセリンの温度変化による膨張収縮はプラ容器の構造からして気にしなくて良いと思われます。

で、完成です。容器をよく振って机に置くと砂鉄はだいたい均一に散らばります。

写真3

気泡が残ってますが、それほど邪魔になりません。

机に立てると、

写真4

写真5

砂鉄はみるみる沈下します。 容器の大きさにあった、10センチのアルニコ棒磁石を使います。

写真6

よく振って写真3の状態にして、アルニコ磁石の上へ近づけると、砂鉄が模様を描きます。

写真7

部屋の照明とカメラ自身が映り込んでしまうので、真上からは撮りづらいです。

写真8

それなりの写真が撮れました。 磁石の中心を通るようにできればよいですが、そのためには容器に穴を開けて、磁石を半分容器に埋め込まねばなりません。そこまでする気はないのでこれでよしとします。


2月14日の記事「発散トーラスによる 重力 の理解」に続いて、発散トーラスによる磁気双極の説明を考察していますけれども、やはり磁気は非対称な現象だろうと考えます。 一見、写真8のように完全対称に思えますが、磁気双極はS極ならびにN極の独立した(単極の)発散トーラスの組み合わせのようです。その差分が電磁誘導と単極誘導の現象のように思えます。 ただ、差分が出る理由として、原子核内の陽子中性子が関係ありそうに思えます。 発散トーラスは、「距離の7乗に逆比例する力」です。重なり合って、打ち消しあって、その差分が「距離の2乗」として現れるのかも知れません。トム・ベアデンが指摘しているようにどこにでも転がっている磁石には途轍もない組み合わせが潜んでいる様に思います。

元が非対称だからこそ、起電力を「両極:電磁誘導」+「極の中央:単極誘導」の2つの合算として説明せねばならなかったように感じます。 それは、「座標系の違い(という発想)」→「運動する物体にかかる電磁気現象」→「光速度不変」→「時間空間の歪み」という理論展開とは異なってきます。 でも、まだわかりません。

1800年代初頭から中頃過ぎまでにおいて、物理学者で電気磁気の研究をしていた30人ほどの内、いくらかは電気磁気の現象が非対称だと考えていた人が居たのではないでしょうか。そんな気がします。重要なこととして、現象が非対称で(開放系の)E軸が本当ならば、いわゆるフリーエネルギーなる仕組みは可能だということになります。バランスを崩す方法がカギになります。パルスを使うか、回転を使うということになりそうです。ニコラ・テスラはパルスの方です。

 

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米エネルギー省エネルギー先端研究局長官へ宛てた トム・ベアデン の書簡の要約文から考えること

かねてより、 トム・ベアデン の書簡について、日本語に翻訳された文章は、とても読みにくく感じてました。偶々要約された文を掲載されたサイトがあると知りましたので、参考に引用するとともに、考察します。

原文 Bearden’s response to ARPA-E

日本語文pdf 公開プロジェクトの摘要書 ビールデン博士のエネルギー先端研究局への返答

上記の概略 思想家ハラミッタの面白ブログさんより

1864年マクスウェルが発表した原論文には電磁気現象について、20個の変数を含む20個の常微分方程式で示されていた。1890年代の電磁気研究者(当時電気工学は存在せず物理学者たち)は、真空に負のエネルギー状態(非対称性方程式群には含まれていた。)が存在し、空間からエネルギーを取り出せる可能性を見出しており、この電気力学の知識を知っていたのは世界で30数人にとどまっていた。 ベクトル表記に表したのはヘビサイドやギブス等であったが、このときも負のエネルギー状態を含む非対称性方程式群のままであったらしい。 1890年頃ニコラ・テスラは”媒質からのフリー電磁気エネルギー”を世界に供給しようとしていた。 空間からエネルギーを取り出せる可能性の発見について、ヘビサイドのこの発見に金融資本家のJ・P・モルガンは、「もしこの事実が学生たちに教えられたら、通常は発散してしまう空間のエネルギー流の一部を補足する方法を見つけられてしまう。そうなると、燃料その他の支配ができなくなる」ことを恐れた。 そこでモルガンは、科学顧問にその可能性を封じるよう命じた。彼の顧問たちはヘビサイド-ローレンツ(Heaviside-Lorentz)方程式群から非対称性を排除し、その結果、性能係数(COP)1.0未満という禁則を自らに課するシステムのみを含むことになった。 こうして、今日まで意図的に無能化された方程式群が電気工学モデルとして教えられてきた。 H・A・ローレンツ( t のつく Lorentz)が最初に対称性をもつマクスウェル方程式を作ったとされるが、最近の歴史研究によれば、本当はルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)が最初にマクスウェル方程式群を対称的にリゲージした。つまり、負のエネルギー状態を排除し、空間からエネルギーを取り出す可能性を方程式より排除した。

これで流れがわかりました。

 

素粒子脈動原理サイトにある「自然界の力の統一と歴史」図を元に、上記の歴史を重ね合わせたのが

図1

です。

アインシュタインが相対性理論を構築するにあたって、マイケルソン・モーリーの実験(1880年代)はほとんど眼中になかったようです。アインシュタインが出発点としたのは電磁波の理論における矛盾でした。アインシュタインとマイケルソンを関連づけて考えるのは、マイケルソンの実験後何十年も経過したあとから、誰かが勝手に作り上げた話しだということです。参考(七つの科学事件ファイル 科学論争の顛末:化学同人

図1から読み取れること。アインシュタインが相対論を構築するにヒントを得たのは、ルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)によるベクトル表記された、しかも1864年のマクスウェル方程式群(20の変数をもつ、20の方程式群)を対称的にリゲージしたものだろうということです。

 

参考までに岡潔の名付けた物質的自然における、自然科学の間違っている点を書き出したものです。説明します。

図2 図は、数学者岡潔の講演録より考察して得たものです。サイト内を「岡潔」で検索ください。

  1. 時間は物質の運動から作る。
  2. 時間を用いた数学を用いて素粒子物理学は成り立っている。(孤立系かつ循環論)
  3. アインシュタインは、時間を光速度に置き換えることによって、「時間・空間」を定義し直した。
  4. かつ重力の原因を空間の歪みに求めた。
  5. 相対性理論もまた、孤立系かつ循環論
  6. 時間を光速度に置き換えたので、「電磁気力・弱い核力・強い核力」と「重力」は、恐らく統合できないだろう。

となります。

ところで、トム・ベアデンの手紙には、「ルードウィッヒ・ローレンツ(t のつく Lorentz)が最初にマクスウェル方程式群を対称的にリゲージした。つまり、負のエネルギー状態を排除し、空間からエネルギーを取り出す可能性を方程式より排除した」とあります。しかし、トム・ベアデン自身が注目しているのは、スカラー・ポテンシャルです。 どうもそれは不自然に感じます。 彼の視点が現代だからです。ベクトルポテンシャルに物理的意味合いがあると実験で証明される現代であるからこそ、スカラー・ポテンシャルもまた物理的存在であるかも知れないと考えるのであって、1800年代中頃までにスカラー・ポテンシャル云々を現実的に考えていたようには思えません。 フェライト磁石もネオジム磁石も発明されていないし、超伝導も発見されてない時代です。どこかずれていると感じます。

で、肝心の電磁波の理論における矛盾なのですが、これが何なのかはっきりしません。 たぶん「座標変換において対称ではない(数式の表記が変わってしまう?)=美しくない」というところあたりではないかと考えていますが、わかりません。

その点、気になるのは、以下です。

  1. とね日記にある自然法則:量子力学による古典物理学の謎の解明
  2. 筑波大学による「ファインマンも解けなかった問題を解明 ~ファラデーの電磁誘導の法則とローレンツ力はなぜ同じ起電力を与えるのか~
  3. 電磁誘導とローレンツ力

見当外れかもしれません。複数居たというローレンツ(tがついたり、tつかなかったり)は何をどうしたのだろうか。

 

特殊相対論に関して調べたところ、興味深いサイト「電磁波について、色々考えてみる」に【特殊相対性理論】があったので、一部引用します。 注:何かからのコピペらしくて、誤字が多いですが、そのままです。

相対性理論が解き明かしたマクスウェル方程式の矛盾
アインシュタインが登場する前に『ヘンドリック・ローレンツ』らにによる運動座標系における電磁場理論の探索をしている半面で、マクスウェルの方程式には根本的に不可解な点が存在していた。

これはとある実験によってその矛盾を説明できる。例えば、棒磁石とコイルによる電磁誘導現象において、コイルを固定して棒磁石を動かすときにコイルに流れる電流の原因として、マクスウェル方程式の電磁誘導の法則から起電力が発生するためと説明されている。ところが棒磁石を固定してコイルを動かすときのコイルに流れる電流の原因としては、電子に対してローレンツ力が働くためと説明されている。

こうした棒磁石とコイルの相対運動だけで定まる現象であるにも関わらず、古典的な電磁気学は観測する系によってその現象を説明する理論が異なっているという非対称な体系を証明することになるのだった。

こうした理論の非対称性の下位賞に関心のあったアインシュタインは互いに等速直線運動をする座標系で観測されている同一の現象は理論として同一の形式であるべきだ、という前提の下でこの非対称性を解消する理論を提唱したのだった。そうした非対称性を解消することを目的にしたのが『特殊相対性原理』である。

上記、とね日記や筑波大学の資料と同じことのようですが、よくわかりません。もう少し調べたいです。


図3

化学は原子の構造が解明されるとともに適宜変更されてきたのに対して、電磁気学は影響を受けてこなかったように見受けられます。 自然科学の不自然な発達。

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お金も時間も 量 の裏付けはない。どうも素粒子物理も相対論も究極「量」の裏付けがない「数字」に行き着くようだ

数学者岡潔は「数は 量 のかげ」と云いました。1971年8月15日に当時のニクソン大統領は、米ドル紙幣と金の兌換を停止しました。(ニクソン・ショック)これ以後、お金は量(この場合は金Gold)の裏付けはなくなり、単なる数字になりました。 また、これまでの考察により、時間は「過ぎ行く運動の記憶、即ち過去」であり、物質の運動にかかる位置から作ることがわかりました。伴って時間は運動そのものではないし、岡潔の云う 量 を伴っていないこともわかりました。

ふと思ったのですが、お金も時間も量の裏付けはないし、どうも素粒子物理も相対論も究極、「量」の裏付けがない数字に行き着くようだと思いました。

のように、大きさのスケールにおいて、人の持つ感覚で分かる範囲は赤い括弧の範囲内です。範囲を越える位置は、時間に対応しないと考えられます。

時間は人の感覚で分かる運動から作ります。例えば、日時計や機械式時計あるいはセシウム原子時計などです。

物質未満である素粒子が人の基本になり得ると考えるならば、素粒子の運動を元にした素粒子時計ができるかも知れません。(管理人はそうは思いませんが。)

 

ここで「計測・測定・観測」について考えます。

図1

自転車が位置Aから位置Bへ運動する場合です。手元のアナログ時計の長針がAにあるとき、自転車はAの位置でした。自転車がBの位置に来たとき、時計の長針はBの位置でした。時計の円板に割り付けた数字を読むと「Aは30で、Bは46」でした。結果、自転車は16分でLの距離を走ったと云うことです。注目すべきこと。距離は物理量[L]ですけれど、時間は位置と位置に数字を置いたものであって、量に対応していません。数字を差し引きして何分という時間[T]を求めました。時間は過去ですし、量を伴っていません。運動から求めますが位置でもありません。

岡潔の講演録【 2】 自然科学者の時間空間より引用します。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

下線は管理人による。 「運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。」の部分に大いに引っ掛かってました。岡潔の云ったこのことは、人が持つ「観念としての時間」だと理解するに苦労しました。こちらはどうしても「物理的な時間」をイメージしていました。 つまり、図1に示した時間です。 物理的な時間は、いくら「計測」について考えても表の赤い括弧の内側において「運動は時間に比例して起きる」と考えざるを得ません。ところが被測定対象物が図1の自転車ではなくて「天体や素粒子」になると人の感覚で分からない範囲になります。時間を用いている限り限界が見えています。 人の時間感覚は人が感覚として分かる運動にしか適用できません。何故なら(当該運動を)経験していないからです。 これが「物理的な時間」という事です。

岡潔が云った時間は、観念としての時間です。子どもの頃の1年は、大人になっての3年から4年にも相当します。 長らく悩んだのはこの点でした。 やはり、表の両端においては、量の裏付けのない数字に過ぎないようです。(被測定対象物が素粒子や超巨大な天体) 事実、教養番組で紹介されるブラックホールや素粒子あるいは超ひもなどはほぼ100%CGです。

 

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宇宙の真理を探究するに最適の道具は 数学 だという。ならば何故、数学の難問に挑むと心を病むのだろうか?

物理学者たちは宇宙を 数学 の数式で表せると考えています。 数学 が宇宙の真理を探す最適な道具だというならば、何故 数学 の難問に挑む学者は心を病むのでしょうか?

自然科学者とくに物理学者たちは、物を「分ける」ことによって、分かる(理解できる)と思っています。分かるの語源は「分ける」です。  数学 は、分けて考える道具として最適であることは間違いありません。しかしながら、数学の難問に挑む学者たちの中には心を病んでしまう人が多いとのことです。

このことは、何を意味しているのでしょう。管理人によるこれまでの考察によれば、自然の内、宇宙の仕組みが「分ける」ことにより、分かるものではないからだと考えます。 数学者の岡潔が一部認めたように、物質は「投影による映像」だろうからです。  「分けて分かる」と思っているのは、岡潔の云った「第1の心」です。数学は第1の心に発するようです。西洋人は心が2つあることを知らないということです。岡潔が指摘したように、実際のところ、「物質は分けて分かる」には、ほど遠い状態です。

恩師のF先生は、あるとき あることに対して「考え方が不健康」と云われました。第1の心の指向が「分けて分かる」ということであり、その行き着く先が「不健康」ということにつながると理解します。

哲学は「真・善・美」を求めると云います。数学が最適だというならば、「病」を付け加えるべきかも知れません。(冗)

 数学 で表せる大きさのスケール

人の感覚で分かる範囲を大きく越えて、理論計算できます。大規模実験によって確かめることができます。しかし、理論や実験を解説する際には、ほとんどがCGによります。 行き着くところ何も得る物がないようです。


研究は8年を終えて9年目に入ろうとしています。この3月に短時間ながら弧理論について発表の機会がありました。 終えてからは、これまでの数年分をまとめることにしました。とりあえずプレゼンの資料を作成中です。プレゼン資料の作成作業は、頭の整理ができます。その後論文形式にしようと考え中です。これまで、空想理論のようでしたが、段々とつながってきました。ここのところ記事の更新は滞っています。

  1. 自然科学は間違っている (時間空間というモデルの時間が問題)
  2. 時間は運動から作る
  3. 人の感覚で分かる「物質の運動」から時間を作る
  4. 時間は運動そのものではない
  5. 上表の左(極微の世界)と右(極大)の世界は人の感覚で分かる範囲を越えている
  6. 五感でわかる(赤い括弧内の)運動から作った時間と人の五感で分かる範囲を越えた物質の運動とを比較している (運動と運動を比較しているのではない。)
  7. 人の時間感覚は、表の両端では消失している
  8. ついでながら、相対論は、運動から作った時間を更に光速度に置き換えて基準としている(孤立系のまま基準をすり替えただけ)
  9. だから、素粒子物理学(表の左端)と相対論(表の右端)は相性が悪い

結局の所、人が持つ時間感覚は、表の赤い括弧で括った範囲にしか適用できないと考えられます。時間を用いるに「日常生活には支障がない」ことは明らかです。しかし、表の両端においては、時間は意味をなさないと考えます。 表の両端において立ち止まって考えることができないのは、「五感でわからないものは無いとしか思えない」という唯物主義なるが故だと考えます。

岡潔の言葉を元に時間について考えて早3年ほど経ちました。未だにすっきりしません。よくこんな誤魔化しを考えたものだと感心します。 1900年代初頭に孤立系である自然科学から開放系の理論に気付く機会を逸しました。 相対論の罪は重いです。

 

追記2022/6/30 この記事を書いてからだいぶ月日が経ちました。今では心を病む原因がわかっています。 原因は2つの心が乖離するからです。ヲシテ文献にあるタマシヰ、つまり、2つの心であるタマ(心の本体:岡潔の第2の心)とシヰ(生命維持の欲求:岡潔の第1の心)のバランスが崩れるからです。

人がわかるのは物と事です。弧理論においては、物と事は一つの実体の異なる面に過ぎません。

上から眺めると物質面(M軸という)が見えます。これがです。

図1

は、物質の運動です。これを運動と言います。物と事(運動)は同時には見えません。これが「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない」という意味です。

人の心の本体は、岡潔が言ったように「第2の心(タマ)は、何となくその趣がわかる」という程度です。弧理論では静止画がわかると言います。これが時の現在で、”がわかる”です。

一方では運動であり、第1の心(シヰ)にあたります。これは時の過去です。弧理論では動画がわかると言います。これには時の現在(物がわかる)を記憶できる働きが必要です。その意味で人に肉体が必要です。

図3 タマ=時の現在(物がわかる:静止画がわかる) シヰ=時の過去(事がわかる:動画がわかる)→記憶する肉体が必要

事の複雑さに際限はありません。例えば、計算であれば、人の脳による生理的な電気信号の現れですし、これを紙と鉛筆を使うことで、論理としての整合性を維持したまま複雑化できます。これを抽象と呼んでいます。つまり、第1の心(シヰ)がわかるの複雑さに際限がないということです。

現代は偏差値が高い人ほど社会的に優位です。つまり、抽象的な論理を素早く入出力できる人が優位なわけです。概して(すべてとは言いませんが)知能の高い人ほどタマとシヰの乖離が大きい傾向にありそうです。これがタイトルの「数学の難問に挑むと心を病む」ことの原因です。

次図にまとめます。

図2

人は時の現在(ヲシテ文献にあるナサケエダ)と時の過去(ヲシテ文献にあるアワレエダ)がわかることにより社会性ができます。その結果、社会全体の文化文明の発達があり得ます。ただ、その行き着く先が図2に示す「すべての抽象化」です。繰り返します。事(運動)の複雑さに際限はありません。

例えば、おそらく多くの人にとって胡散臭いと感じるのが仮想通貨です。仮想通貨は論理的ではありますけれども、物ではなく抽象の極致であるです。

「物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない」という基礎がなければ2つの心の乖離により社会は崩壊すると感じます。2つの心の乖離はなんとしても避けねばなりません。

最近の記事で書いている通り、弧理論は、主義主張や思想信条などではありません。心の仕組みと働きを探っているにすぎないのです。絵画と画材に例えられます。絵画がありとあらゆる思想信条哲学宗教であって、弧理論により示そうとしているのは画材に相当します。 数学 は事を解析する道具ではあっても心の仕組みと働きがわかっていないと病む原因になります。

 

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量 とは、五感でわかる「物や事」

数学者岡潔は「数は 量 のかげ」と云いました。また、「物質は顕微鏡などで拡大するなど工夫してもよいが、最後は人の肉体に備わった五感でわかるものでなければならない」とも云いました。

これまでの考察によれば、時間もお金も「 量 の裏付けがない」単なる数字でした。 次表によれば、人の五感でわかる範囲は赤い括弧で括った範囲です。 この範囲が「物理現象」と云ってよいように思います。

では、現代の物理学が対象としている範囲(表の両端)はどうでしょう。時間は手元の運動から作ります。(しかし、時間は運動そのものではありません。) 手元の運動から作った時間と被測定対象物にかかる運動を比較しているに過ぎません。具体的には時間を含む数式で表しています。前回の記事を参照ください。

量 とは何でしょう。管理人は 量 とは人の五感でわかる「物や事」だと思います。つまり、(概ね)表の赤い括弧で括った範囲だと考えます。その範囲を越えて計算するということは、単に数式遊びに過ぎないと考えます。計算を可能にしているのが量の裏付けのない時間だと考えます。では、素粒子実験はどうかというと、そういう粒子は存在するでしょうけれども、そこに意味を見いだすことは出来ません。自然は存在ではなく映像だからです。自然は投影による映像だというのが弧理論の骨子であり、仮説です。 続きを読む

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宇宙 を数式で表そうとするとき、時間を含んだ数式で表すことはできない

自然科学において時間は特別であって、 宇宙 を数式で表そうとすると必ず時間を含みます。例えば 宇宙 を近接作用として表したとき

式 出典:こちら

上式のように、物質粒子力の粒子と物質に質量を与える粒子の合計になります。 この式の各項には時間を含みます。しかし、これまでに書いたように、時間は(物質の)運動から作ります。(日本標準時をつくる岡潔「自然科学者の時間空間」

物質の運動から時間を作り、かつ時間を用いて物質の運動を記述しています。これは循環論であり、矛盾しています。

これまでの考察によれば、時間は運動から作りますが、運動そのものではありません。運動の位置や角度です。しかも現在を含みません。過去です。

図1

例えていえば、A地点とB地点があったとき、「A住所-B住所」の差をとって時間と呼んでいるに等しいと考えます。時間は位置や角度であって、量ではありません。基本物理量に不適です。岡潔は「数は量のかげ」と云いましたが、時間は量の裏付けがないということです。 (注:これは大変重要なことです。”数”という一見確固たるモノサシ(量)であると認識されるのに「物の運動」に対して伸び縮みするようです。お金に似たところがあります。お金も数なのに量の裏付けがなく、これまた「物や事」に対して伸び縮みします。これが詐欺の構造です。)

振り子について随分考えましたけれど、振り子の運動について等時性は(一応)成り立っていると思います。しかし、(振り子など)手元の運動から時間を作っても、上表の両端の運動に時間を適用できるかどうかが問題です。数学的には計算できても、手元の運動から作った時間を表の両端に示す運動に適用できないのではないかとの疑問を持ちます。 事実自然科学者は1960年~1970年代にかけて単独で取り出せないクオークを物質と認めてしまってからは、抽象的な数学理論を優先してしまいました。これは唯物主義を放棄したということです。このことは過去にも書きました。

では、どうすればよいか。それは別の次元軸を想定して、物質的自然を記述するほかありません。勿論のこと時間を用いずに。 自然科学は孤立系です。そして、上式も孤立系のままです。しかも自然科学の枠組みである「時間・空間」という枠組みでは無く、事実上「空間」の内に理論は閉じています。空間を空間の性質のみで説明しようとするのが自然科学だということです。これはムリな注文です。

量子もつれや量子もつれの突然死、あるいは宇宙背景放射や赤方偏移にゆらぎはあっても方向に偏りが見られないこと。(ビッグバンの中心は地球になってしまう。)さらに重力によって空間が曲がるなどの現象は「余分な次元軸」を想定することによって楽に理解できるようになると考えます。何より上記の空間の性質を以て空間を説明しようという矛盾を回避できると思うのです。

もう一つ。「物質とエネルギーと情報」、この3つの間には密接な関係があります。同時に「物質の運動と時間」には関係があります。 どうも情報時間には似たところがありますし、何か関係がありそうです。もう少し考えます。

こう考えると相対性理論はもの凄く胡散臭く感じます。 ミヒャエル・エンデのモモの「時間とお金」を想起します。思いっきり何処かの誰かに都合良くつくられた世界です。

 

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発散トーラスによる 重力 の理解

2017年5月24日の記事「 発散トーラス の性質について」に続いて発散トーラスによる 重力 について説明します。その前にこれまでの考察を振り返ります。

  1. 自然科学の枠組み「時間・空間」は自然そのものではない。簡単な模型である。
  2. 時間は運動から作る。
  3. 運動は空間の性質の一部である。(空間に物質が存在し運動していると考える)
  4. 時間は空間の持つ性質の一部から作ったものである。
  5. 時間は過ぎ行く運動の記憶である。(人が持つ観念に過ぎない)
  6. 時間は、運動の現在を含まない。(時間は過ぎてからしか知り得ない)
  7. 従って、古典力学・量子力学とも決定論になり得ない。(確率とも精度の話しでもない)
  8. だから自然科学の「時間・空間」という枠組みは間違っている。(空間という枠組みならまだよい)
  9. 自然科学は、時計という装置の運動と被測定物の運動を比較しているに過ぎない。
  10. 量子力学にかかる無限大の問題は「9.」に原因があるのではないか。

E=mcについて、「物質→エネルギー、エネルギー→物質」へ転換するとされるが本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。言い換えると物質もエネルギーも別の次元軸に在る実体が投影されることによって現れる映像であるということです。これが別の次元軸を考える根拠です。 少なくとも自然科学では自然が存在ではないことがわかっています。

 

発散トーラスには次の4つがあります。 続きを読む

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ゲージ 場の理論 「場」や「エーテル」は投影による映像だろう

管理人は、ゲージ 場の理論 について、理解できていません。ただゲージ場の理論 は電磁気学から考え出された理論であって、の伝わり方を近接作用として表したもののようです。 物理学者たちは力の伝わり方を近接作用として理解しようとしたということです。観測できる現象と仕組みが同じとは限らないと云うことは、これまでにお伝えしたとおりです。(例えば万華鏡に似ています。)

力が近接作用あるいは遠隔作用であるかの違いは、力の現れ方に対する考え方の違いによると考えます。 マイケルソン・モーレーの実験に見られるように、物理学の発達は時代の流れに影響を受けてきたことは明らかです。(そのあたりの事情は「七つの科学事件ファイル 科学論争の顛末:化学同人」に詳しいです。)

19世紀後期から何回かの実験によってエーテルの存在は(一応)否定されたのですが、「場」というのもよく理解できません。はっきりいうならば、空間というものが理解できていないからです。

これまでの考察によれば、空間は2つの宇宙の中心「アとワ」から出た実体投影されることによって現れる映像だと云うことです。

図1 古語であるカミを幾何学的に表現

漢字渡来以前の日本語にある古い言葉である「カミ」とは、「つながり、もたらし、生じさせる」でした。フトマニの「アウワ」と組み合わせることにより、カミとは次になります。

「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの。ヒトは「ウ」なり。

「ウ」とは、空間であり物質です。岡潔が云った自然科学が対象とする物質的自然です。また弧理論(Ark Theory)で云うM軸(物質空間)のことです。そして、渦(ウズ)の「ウ」でもあるようです。更に宇宙の大規模構造(アワ:泡構造)となっています。

人間が空間を立体として認識できるのは、投影元が「ア」と「ワ」の2つ在るからです。

図2

その空間が投影による映像であるならば、考えられる 場の理論 の背景にある「場」や「エーテル」も映像ではなかろうかと考えるのは当然のことです。 ステファン・マリノフは、絶対静止があると考えたようですけれど、同意しません。身も蓋もないことですが、場もエーテルもあるかも知れないし、ないかも知れません。 量子もつれは近接作用でも遠隔作用でも理解できないことは周知のことです。元を正せば場やエーテルという考えで説明できないということです。 すべては投影による映像だと考えるならば納得のいくところです。 超ひもなどど云わず背後にある投影の仕組みを考えるべきと思います。

真空は何もない空間のことではありません。真空からはみ出したのが物質だと考えられます。真空は2つの中心より出た実体が投影されて均衡がとれた状態のようです。 丁度、二層型の浮沈子における境界面に例えられます。

動画1

で云えば、浮沈子が水と油の境界面に出た状態が「空間に物質が現れた」状態に相当します。当然、境界面には緊張があります。場やエーテルは均衡が取れた結果であって現象の原因ではないと考えます。

 

電磁気学が金融資本家からの影響を受けているらしいことは、過去記事、「電磁気学 の発達は不自然 化学の発達との比較(トム・ベアデンの手紙を受けて)」に書いたとおりです。ならば、なおさら現代の「ゲージ場の理論」に裏付けされた素粒子物理学は(曲げられた)その先にあると理解する方が自然です。

図3

200種もあるという素粒子を17種に分類したと云っても、一つでも例外が出てきたら台無しです。はっきり云って少しも美しくないです。 すべてがE軸上にある実体の投影による映像だと考えるならば素粒子は破片であって、素粒子の分類に意味が無いことを理解できます。

図4 当サイトではエネルギー[ML2T-2]のことを運動と呼ぶ

E軸上の実体は6種類あって、基本粒子(陽子・中性子・電子)を含むすべての素粒子は投影角の違いによって、異なって見えるだけです。

過去に何度も書きましたようにリーマン予想に出てくるゼータ関数の(零点のペアに関する相関を表す式)が原子のエネルギー準位を表す数式と似ているのは偶然でないと感じます。 注:「零点のペアに関する相関を表す式」は、E軸上の実体が持つ真のエネルギー値に対応するとも考えられます。 図5 出典:未征服の最高峰「リーマン予想」 裾野を歩く (3)

これによってある科学者がE=mcについて述べた「物質の質量とエネルギーの同一性についての誤解」が解けるだろうと思います。 素数について考えると云っても12進数による素数である必要があります。 そうすれば真のエネルギー値と投影された映像である物質の質量、運動(エネルギー[ML2T-2])の3つの間における関係が投影角θあるいは「12進の素数」を介して理解できるようになると考えます。

カミの仕組みがわかったのは、2016年11月のことでした。以前は、支離滅裂でしたけれども、大枠から段階を追って説明できるというのは気持ちの良いものです。それにしても、管理人が「七つの科学事件ファイル 科学論争の顛末:化学同人」の古本を購入した際には千円までの値段だった記憶があります。とんでもない値が付いているのに驚きです。

写真1

 

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TOPPING21 故障修理ならず の続き

昨年12月20日の記事「 TOPPING21 故障修理ならず」の続きです。

TOPPING21は、Tripath社のD級デジタルアンプIC、TA2021Bを使っています。

写真1

管理人のTOPPING21(改)は(恐らく)ICが故障したため、格安のデジタルアンプを購入してました。

写真2 ELEGIANT Bluetooth 2チャンネル パワーアンプ ステレオ スピーカー HI-FI アンプ ゴールド 電源アダプタ付き

写真2やお馴染みのLepy デジタルアンプ LP-2024A + Tripath TA2024などです。そして、FOSTEX AP20dを購入しました。

写真3 上からLepy(改)(基盤の赤と黒のやつ)   FOSTEX AP20d と TOPPING20(改)

しかし、どれもいまいち足りません。FOSTEX AP20dはもう少し音が柔らかく出て欲しい。それと後ほんの少し低域が出て欲しい。ネットで検索した低音域改善する改造をTOPPING20(改)にてやってみましたけど、ボソボソした低音でとても聞いてられません。  諦めがたくTripath社のD級デジタルアンプIC、TA2021Bを載せたデジタルアンプに期待してWINGONEER TA2021デジタルアンプ2021B 12Vアンプを買いました。

ところが・・・やってしまった!

写真4

買って直ぐに試聴したところ、ジーッというハム音に似た音が常時出ています。(格安の中華アンプだから、最初からわかりきったことながら、)ICの入力周辺を指で触ると、場所によって少し変化します。一部入力に回り込んでいる? そこでマイナスの小型ドライバでヒートシンクをはずすべく、少しこじたところICのピンごと取れてしまいました。開封してから僅か30分のことでした。  写真4ではわかりづらいですけど、ピン間においてブリッジしているところがあります。データシートと見比べてパターンがそうなっている箇所もありますが、そうでないところもありそうです。写真の通り再度ハンダ付けで付け直すことは不可能です。周囲の電解コンデンサを一旦外すという手もありますがかなり面倒です。ブリッジを手直ししてもハム音?が改善されるとは限りません。

もうICを故障したTOPPING21に移植しようかとも考えます。でも既に部品取りしてこの有様です。

写真5

部品取りしたTOPPING21の基盤にICをハンダ付けすることはかなり難しいけど、出来なくはなさそうです。でも15個ほども部品取りした後ですから、他のアンプから取り戻さねばなりません。なんてこった。思案です。 他にも衝動買いした格安デジタルアンプがありますが、出せません。我ながら病んでます。 そりゃかつてTOPPINGのアンプが売れた訳だ。

 

追記 1月27日 結局 、「WINGONEER TA2021デジタルアンプ2021B 12Vアンプ」のICは逝ってしまった。  思案の末、TOPPING21への移植はせず、元に戻すと決めました。

写真5 何とか元に戻した

ICの右隣の電解コンデンサ2個を取り除いて、再ハンダ付け作業。

写真6 一旦修理できたところ

 

写真7

試聴したところ、一応元には戻ったのですけど、当たり前ながらハム音?(電源からのハム音よりかなり高いです。)は続いてます。発振とは違う、どれかの部品からノイズが乗っている感じがします。パターンからの設計ミスなら全品不良で出荷できないはずです。

仕方ないので、付近のコンデンサを別のものに交換しながら試聴を繰り返したところ、大失敗。ポップ音すらしなくなった。  デジカメのスーパーマクロで撮って確認したら、コンデンサ交換の時にハンダくずが飛んでICのピン間をブリッジしてました。 ICはタヒんだ。TOPPING21修理の方がよかった、といっても後の祭り。

写真8 写真6の一旦修理出来たところからの比較。2-3-4ピン間でブリッジが!!

その後、ブリッジを除去して試したけどダメでした。

修理を検討しているとき、どこかで見かけたのですけど、壊れたTOPPING TP21のIC(TA2021B)に秋月電子の激安アンプ「10W+10WステレオD級アンプモジュール(USBI/F付き)」に使われているTA1101Bを移植してました。ピン配置が違うだけでいけるのでしょうか。

写真9

凄いことする方もいます。

 

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電磁気学 の発達は不自然 化学の発達との比較(トム・ベアデンの手紙を受けて)

トム・ベアデンの手紙(Tom Bearden’s Response to ARPA-E) に 電磁気学 の発達は、金融資本家であるJ・P・モルガンの命令により歪められたと指摘されています。そこで 電磁気学 の歴史と化学の発達史とを比較しました。

写真1 出典:ジョン・モルガン

化学の発達は18世紀後半からの産業革命と切り離せないものがあります。

図1 出典:Tech Note

図1によれば無機化学の基盤が整ったのは1740年~1780年にかけてであり、火薬や写真・塗料への展開が続きます。1820年頃からは種々の化学工業が興り、有機化学工業の基盤が成立したのもこの頃です。 図1を参考にしながら、物理学上の発見と電磁気学の発展を「原子」という視点から整理しました。 続きを読む

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