先日の記事、「心の成り立ち」と「想念の経路」において
図1
を用いて説明しました。 大分分かり易くなってきていますけれど、まだ不十分だと感じました。
そこで、
図2 印刷用pdf
の様に、変更します。「想念経路」の部分を図の一番左に配置し、想念の特徴を弧理論の考え方により示しています。以下は図2を印刷されて見比べると便利です。
図は、上下左右に4分割します。上半分に心の「顕在的」な部分を、下半分に「潜在的」な部分を置きます。一番左には、想念の経路を示します。紙面の右4分の3ほどには、心の仕組みを各種の表現にしました。 一番右から順に、G・アダムスキー、日月神示、記紀にある「シラスウシハク」、縄文哲学にあるタマ+シヰの構造、そして、数学者岡潔の表現です。
下半分の潜在的な心の仕組みで云えば、
岡潔では 情じょう(趣がわかる) 縄文哲学では タマ 日月神示では 気(キ) G・アダムスキーでは ソウルマインド の順になります。
上半分の顕在的な心の仕組みで云えば
岡潔では 意 縄文哲学では シヰ(生命維持の欲求) 日月神示では 意識? G・アダムスキーでは センスマインド の順になります。
一番左に想念の経路について。 想念の特徴として、弧理論の考え方によれば、
- 想念は伝わる。(位置を持たない)
- 想念は、E軸上の実体とM軸上の物体(物質)との間をつなぐ。(経路①) 伝わりにくく、弱い。
- 想念は、シヰ相互の間をつなぐ。(経路②) 伝わりやすい。強い。
となります。これが図2の左下に示したものです。これは、

E軸上の実体が原因。物体は結果。
図3 弧理論の考え方の基本形
に同じです。 図2は、過去記事に何度か示した
図4
と深い関係があります。 図2と見比べることにより理解が容易になります。だたし図4は未だ不完全ですから、手直しをして入れ替えたいと思います。
少し説明しますと、図4の C 想念のチャンネル は経路①と経路②の特徴を重ね合わせたものです。 T タマシヰの均衡 が想念のチャンネルをグラフにしたものです。 大事なのは、経路①及び経路②のいずれのチャンネルにも「善悪の区別はない」ということです。 携帯電話のキャリアに善悪の区別がないのと同じです。 携帯の電波帯は総務省が割り当てます。電波帯により到達距離等の違いはありますが、善悪の区別がないのと同じです。
図4の I 想念 は、携帯電話で云えば「通話内容」にあたります。 携帯電話のキャリアによらず通話内容は様々です。ただ、図2の経路②による想念は、人の意識を通します。ですから、言葉で言えますし、五感を通しますから強いです。同時に経路②にかかる想念は、強いですけれど内容が本当のことか、実際のことか分かりません。 これは例えれば、携帯電話の通話内容が事実かどうか分からないことと同じだからです。
一方、経路①にかかる想念は、意識を通しません。ですから言葉で言えません。ただ情じょうがわかるだけです。その趣おもむきが何となくわかるだけです。それは潜在的であるが故に意識しません。 その経路①により受けた情がやがて意となる過程が知であり、シラスウシハクのシラスの元となった「シル:知る」です。 また、日月神示で多用された「気(キ)付く」なのです。
図2の左下図に注目してください。縄文哲学によれば、欲しい欲しいのシヰ、つまり生命維持の欲求であるシヰに地上の物質が寄り集まって生命となります。 経路②は、シヰの間をつなぐということです。これは人の意識を通すと同じ意味です。 対して、経路①は、心の本体であるタマと物質をつなぎます。 恐らくはE軸上の実体上にタマは重なるのではないかと考えられます。これは日月神示で云う気(キ)に通じるものだとも云えます。
経路②にかかる想念の経路での「通話」は、即言葉で言える、かつ意識することができますから、その内容は具体的ではっきりしています。日常的ですから大切な内容を含んでいません。これは例え神からのメッセージであっても同じです。 かたや経路①にかかる想念の経路での「通話?」は、言葉で言えませんし、すぐに意識することができません。しかもとても弱いです。ですから「何となく感じる」程度に過ぎません。これが情じょうです。 しかしながら、本当に大事な内容を含んでいます。しっかり把握するには注意深くある必要があります。
ここで、「情 知 意」の知も「シル知る」も「気付く」もすべて経路①であることが分かります。
神も悪魔も天国も地獄も善悪という概念の全部含めて、そこには「仕組みが在る」だけです。
金融資本家達が悪魔崇拝の儀式を行っているのは、すべて経路②による想念に過ぎません。実にくだらないことです。 彼らは自らの家系において欲しい欲しいのシヰを暴走させてきた結果、行き着いたことなのです。彼らは生まれながらに貪欲で心が貧しいのです。存在しない「お金」の偶像を追いかけた結果なのです。 彼らが生まれながらにお金に執着することについて、参考として「エリートキツネ」でサイト内検索してください。彼らが人類を自滅に追い込むことが理解できます。
ESPカードを使って、何が書かれているかを当てるなどどいうことはくだらないことが理解できます。G・アダムスキーが「ブードゥー教やこっくりさんをやってはいけない」ということの真の意味がここにあります。 なお、図2について、縄文哲学の部分において、わからないことがありますので、変更もあり得ます。
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