何度か 日月神示 (ひふみ神示)を参考にしましたけれども、それはヲシテ文献と似たところがあったからです。参考にした点は後に書きます。 知られているように日月神示は岡本天明に降ろされたものです。少し遡って調べてみまたところ、参考になる理由が大凡わかりました。以下、箇条書きにします。
- 日月神示(ひふみ神示、または一二三神示)は、1944年(昭和19年)~1961年(昭和36年)までの期間に渡って岡本天明により降ろされた。(自動書記)
- 岡本天明は、江戸時代後期の国学者である山口志道(1765-1842)の水穂伝(みずほのつたえ)を研究して復刻版を出すなどを行ったようだ。 水穂伝は、日本の創世神話の神々についての言霊的解釈が記されている。参考:国文学研究資料館に「水穂伝」の写真jpgがある。
- 上記資料館にある水穂伝の13コマ14コマ目には、日月神示に頻出する(○にゝ)あるいはΘまたは㋹「読みは、神、マルチョン、ス、御霊」がある。写真1 資料館サイトより写真2
- 写真を見て解るように、山口志道は、古事記や稲荷古伝、あるいは布斗麻邇秘伝を研究したようだ。 古事記は漢文にて記されてるのでマルチョン㋹は出てこない。
- 荷田訓之による『稲荷古伝』(『水火の御伝(いきのみつたえ)』)にはマルチョン㋹が出てきている。※注1
写真3 出典:竜徳霊諭【神通秘道を示す(53)】より
ちょっとわかりにくいですが、マルチョン㋹は、布斗麻邇秘伝からきているようです。で、布斗麻邇秘伝がどこから来ているのかわかりませんでした。 ネットには古書として「稲荷古伝布斗麻迩 日本言霊奥伝 口述」という和綴じの本が売られていることがわかりました。
写真4 出典:稲荷古伝布斗麻迩 日本言霊奥伝 口述
ここまで辿って、布斗麻邇秘伝はヲシテ文献のフトマニと同じものなのかどうかということです。2016年1月末、滋賀県高島市にある中江藤樹記念館へ行ってホツマツタヱの写真版を観た際には、中にフトマニ図が描かれていた記憶があります。
図1 フトマニ図
このような図形化は江戸時代までの写本研究者が工夫して創ったものではないかと想像します。失われた原本にはなかったのではないでしょうか。
一方で、ヲシテ文献「ホツマツタヱ」は、昭和41年松本善之助氏によって再発見されています。ですから、少なくとも岡本天明はホツマツタヱ他のヲシテ文献を見たことはなかったはずです。
で、布斗麻邇秘伝とヲシテ文献の「フトマニ」は同じ発音ですから、恐らく日月神示のマルチョン㋹はヲシテ文献からの流れではないかと類推します。 どおりで似ている点がある訳です。
ここからは、ヲシテ文献の核心(縄文哲学)と弧理論の形が似ているというか、ほぼ同じ形であることを示します。また、ヲシテ文献と日月神示の似ている点も示します。
ヲシテ文献において、カミとは「つながり、もたらし、生じさせる」でした。図1のフトマニにある中央部「ア・ウ・ワ」と組み合わせることで、カミの意味がわかります。 「カミ」を書き下すと以下になります。
「ア」と「ワ」はつながり、「ウ」をもたらし、「ウ」よりヒトを生じさせる。ヒトは「ア」のもの。ヒトは「ウ」なり。
どうも、アとワは、「アワ:泡」であって、宇宙の大規模構造になっているようで、「ウ」は「ウズ:渦つまり回転運動」のことのようです。
弧理論において、宇宙の構造は「別の次元軸」をもって表します。
図2
横軸がM軸(3次元物理空間:物質空間、岡潔の云う物質的自然に相当)です。縦軸がE軸(真のエネルギー値)です。 宇宙の中心は2つあります。それぞれ「ア」と「ワ」です。「ア」と「ワ」がつながることによって、紡錘図形(弧理論による原子模型)になります。これが「ウ」です。弧理論による原子模型は「E軸上の実体が弧(Ark)を描いてM軸上に現れる」ことで、原子(陽子・中性子・電子)として現れます。紡錘図形は本質的な回転を与えます。これが渦ですし、渦の基本は発散トーラスです。複数の発散トーラスの組み合わせ(楕円磁場:楕円双極)によって、M軸上で物質が持つ「真のエネルギー値」が決まります。 物質の持つ真のエネルギー値によって、重力が決まります。 これまでの考察によって、自然科学においては、エネルギーを正しく計算できないことが解っています。原因は、時間にあることがわかっています。自然科学は近似です。 因みに、陽子・中性子・電子以外の素粒子群は皆、実体の投影角の違いによる物質未満の破片(波の一種:ソリトン孤立波)です。
お気付きのように、宇宙の中心は「アとワ」であって、図2こそ、日月神示ほかに現れてくるマルチョン㋹そのものです。 マルチョン㋹は、決して神仏などの宗教ではありません。「カミ」とは宇宙の仕組みをいいます。なんとなくアとワは、「メ」と「ヲ」に対応するかも知れません。陰と陽でもありそうです。父性と母性と表現してよさそうです。
図3
図2右と図3に示した「想念の縦の経路(ヲシテでいう【ト】です。)」を「気(キ)付く」だと気付いたのは日月神示のお陰です。日月の道にある全文検索において「気」を検索すると多数の用例が出てきます。
図4 参考:記紀でいうシラス・ウシハクのシルは「知る」であって気(キ)付くに同じ
用例でわかるように気(キ)付くの「キ」は、「気力、気持ち、パワー、力、エネルギー」のことであり、大宇宙の中心「ア」にあるのが気(キ)の元(パワーの源)である訳です。
日月神示の白銀の巻 第一帖(六一二)には、以下があります。
天から気が地に降って、ものが生命し、その地の生命の気が又天に反影するのであるが、まだまだ地には凸凹あるから、気が天にかへらずに横にそれることあるぞ。その横の気の世界を幽界と申すのぢゃ。幽界は地で曲げられた気のつくり出したところぢゃ。地獄でないぞ。
想念の縦横を前提に読めばよく解ります。因みに想念の縦の元、宇宙の中心からやってくるのが「タマ」で、地上の「シヰ」に物質がまとわります。これが「タマ+シヰ」を持ったヒトである訳です。シヰは「欲しい欲しい」のシヰですから、「気」即ちタマが「天にかへらずに」横にそれた世界が幽界だということです。シヰは必要ですが、強すぎるのも問題だということです。
また、「キ」は、ホツマツタヱで示された東でもあります。太陽は東(キ)より昇り、力、パワーの象徴でもあります。
図5 出典:ヲシテ文字が消されたわけ その1 物部氏より
日月神示にある「神の世から人の世に移った」ことについても2017年1月の記事「シャーマニズム(神頼み)は、渡来人によってもたらされたのだろうか」が参考になります。
それにしても、日月神示研究者のどなたかでヲシテ文献との関連を指摘する方は居るのでしょうか。
2018年に入る頃から、物質科学について考察を続けています。最近、発散トーラスによる楕円磁場のモデルを作ったのですけれど、解らないことが多すぎます。 E軸上の6種の実体がM軸に投影されるとき、物質(陽子・中性子・電子)は12の方向を持つらしいことは解ったのですが、発散トーラスとの関係がわかっていません。そもそも発散トーラスは軸対称ではあっても空間的な非対称性はありません。陽子・中性子・電子がそれぞれ持っている発散トーラスが互いに干渉するしかありません。 楕円磁場のモデルから 「電気現象←→磁気現象←→発散トーラス(楕円磁場)←→E軸上の真の値」の関連性があることは確からしいです。しかし、発散トーラスの渦を制御して物質が持つ真のエネルギー値を変化させる方法を思いつかない状態です。複数の発散トーラスの間に差動を付けられればz軸方向に真のエネルギー値の勾配ができるはずなのです。 するとz軸方向に運動Pの流れができるはずと考えます。方法の一つにパルスを用いることがあります。(このPがEMAモーターのシャフトにケーブルを取り付ける理由です。Pは例の冷たい電流と同じだと予想します。) 単極誘導モーターにパルスを重畳させるのは発想としてうまくありません。どうしたものか。
注1:水穂伝について、「日月神示」対談 飛鳥昭雄×中矢伸一 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス) 」のp74~を引用します。
『水穂伝みずほのつたえ』という書物の冒頭にある「火の巻」を開くと、まず「一」として「布斗麻邇ノ御霊ふとまにのみたま」の図があり、そこに「㋹」のマークが見られるのです。次の「二」の項には、「稲荷古伝いなりこでん」となっていまして、水と火の基本的な形を示した図とともに、「この古伝の形は布斗麻邇の御魂」から割き分かれた水火イキの形であります。これをもって天地の気イキを知る『御法』であります。」との解説がつけられています。
つまり、「㋹」のマークは「天地の気イキを知る法」だというのです。これは、記紀の「シル:知る」並びに、「気(キ)付く」と同意味にとれます。同時に岡潔が述べた「情・知・意」の情と知の働きでもあります。 また、図2、3、4に示した「想念の縦の経路」のことです。 弧理論で云うところの精神科学とは、この気(キ)の働き様を「E-M軸平面」で科学することです。 気(キ)付くには、「弛緩と関心」が必要でして、数学するときの「緊張と集中」とは相容れないことは確かです。
追記2021/09/29 最近気付いたことに、日月神示は度々「気(キ)付け」と述べています。管理人はかなり昔から、仏教の他力の意味を知っていました。また、岡潔の言葉「わからないものに関心を集め続ける」というのは、いわゆる”待ち受け”だとの認識がありました。
先日のこと、ある人が「気付かされる」だと言いました。つまり、他力とは「気付かされる」です。そこでわかったのは、日月神示は”向こう側”から「気付け」と言っているのは、仏教の”他力”の別の表現だと言うことです。まさに、「わからないものに関心を集め続ける」というのは待ち受けの状態であって、自力では如何ともしがたいのです。気付かされるまで関心を集め続けるしかないのです。
日月神示は”うまい表現”をしていると感じます。
追記2021/10/25 ヲシテ文献では、ヒトとは「ヒ・フ・ミ・ヨ・イ・ム・ナナ・ヤ・ココ・ト」と数の1(ヒ)と10(ト)のこと。つまり、ヒトは成長することを意味します。そして、ヲシテ文献のフトマニの流れを汲む日月神示の大きな命題が「一二三(ひふみ)、三四五(みよいづ)、五六七(みろく)」であり、「ヒトの成長を促す」ことですから、見事合致します。
追記2022/07/21 人は心が2つあるとわかってからヒトとしての進歩が始まります。ひふみ神示の示す通りです。心が2つあるとわかるまでは、どんなにもがいてもダメです。
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