エイリアンインタビュー で気になる点 2つについて

コメントで教えていただいた本「エイリアンインタビュー」-エイリアンインタビュー:ローレンスR・スペンサー編集2015年-を読んで気になる点が2つあったのでメモします。Alien Interview

1947年ニューメキシコ州ロズウェルの近くでUFOが墜落し、空飛ぶ円盤からエイリアンが救出されました。そのエイリアン(以下「エアル」と呼び、彼女はパイロットであり士官です。)に当時従軍していた看護師マチルダ・オードネル・マックエルロイがインタビューした記録です。1947年の7月から8月にかけてエアルにインタビューをテレパシーにて行われたとあります。この記録はマチルダの個人の感想等の記録並びに機密にあたるエアルとの質疑等により構成されています。これら資料が事件から60年経ってから エイリアンインタビュー として編集者スペンサーに送られてきました。

ざっと読んで気になることは幾つもあります。例えば、なぜ公表が60年も過ぎてからなのか。信憑性はどうなのかなどです。 ここで管理人の姿勢はいつも同じです。「寛容であり、徹底して懐疑的であるべき」でして、理解できないことは何処かに留め置くことです。

 

気になる点の内、2点を取り上げます。1つは、時間に関することで、もう1つは空間に関することです。

エアルはマチルダの問いに応える形でインタビューは進んでいきます。エアルはある時期、多数の書籍を読んで英語をマスターしたといいます。そして、エアルは独自の概念を含む造語をしました。以下、エアルの造語(IS-BE)に関するエアルの説明です。p70より引用します。

個人的に私は、全ての感覚のある存在たちは不死のスピリチュアルな存在であるという信念を持っている。これは人間も含まれている。正確性と単純さのために、私は自分の造語を使う:「IS-BE(イズ・ビー)」。なぜなら不死の存在の第一の性質は彼らが時間の無い「IS(存在する)」という状態の中で生き、彼らの存在の唯一の理由は彼らが「BE(そうなる)」ということを決めるからである。

確か「IS-BE(イズ・ビー)」は、自己を客観視した状態だと説明した箇所がありました。自分の頭を上から俯瞰して見るようなものです。

(1) エアルは、時間とは何かを説明しています。p77からです。

あなたが歴史という題目を理解するには、まず時間という題目を理解しなければならない。時間とは単に、空間を通り抜ける物体の運動を任意に計測しているにすぎない。

言い回しは英語からの翻訳ですからわかりにくいですけれど、要は「時間とは物体の運動を計測すること」と述べています。 時間という別の次元軸はありません。時間は空間(にある物体)の性質を切り取ったに過ぎないのです。

これは数学者岡潔が著書で述べていることと同じです。岡の著書「自然科学は間違っている」の【2】自然科学者の時間空間より一部引用します。

自然科学者は初めに時間、空間というものがあると思っています。絵を描く時、初めに画用紙があるようなものです。そう思ってます。時間、空間とはどういうものかと少しも考えてはいない。これ、空間の方はまだ良いんですが、わかりますから。時間の方はわかりませんから。

時間というものを表わそうと思うと、人は何時も運動を使います。で、直接わかるものではない。運動は時間に比例して起こると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって、そして、時間というものはわかると思っています。空間とは大分違う。

下線は管理人による。

これまで考察してきたことによれば、時間は「人の五感でわかる物体の運動から作る」のです。 例えば、太陽と地球の自転にかかる位置から時間を作る日時計や歯車の運動から時間を作る機械式時計があります。

clock

高精度なセシウム原子の振動(運動)から時間を作る原子時計も同じです。

セシウム原子時計

写真1 http://jjy.nict.go.jp/mission/page2.html
次表に示すとおり、人の五感でわかる赤い括弧の範囲内にある物体の運動を使って時間を作るという点において、日時計も、機械式時計も原子時計も同じです。

表1

問題は、

人の五感でわかる物体の運動を使って作った時間で、表の範囲外にある極大の天体の運動や極小の素粒子の運動とを比較している

ことです。 岡潔が述べたように自然科学者は、「運動は時間に比例して起きると決めてかかって、そういう時間というものがあると決めてかかって」いるのです。

問題の本質は以下です。

時間は運動を使って作りますが、運動そのものではありません位置に数字を割り振って、その数字を差し引きしているということです。

Time and position図1

位置とは住所地番と同じです。 「2点間の住所地番同士を差し引きしてどうするの」です。  それでも、そうやって作った時間を用いて上表の「赤い括弧の範囲にある運動と比較する」のは問題ありません。この範囲にある、例えば電車の運動と比較するにはまったくもって問題はありません

表の外側にある(天体や素粒子の)運動と比較するのが問題なのです。  過去記事(時刻は位置であり量ではない 例えば3分間は、距離(長さ)であって時間そのものではない)や(時間 は独立した物理量ではない 空間の性質に依存したものである)あるいは(時間とは、過ぎゆく運動の記憶である)などを参照ください。

 

これまでの考察によって、どうも「空間は曲がっている」ようです。勿論、相対性理論による「空間の曲がり」などではありません。 相対性理論の根幹は「運動から作った時間を光速度に置き換える」ということですから、ダメです。

自然科学の問題点を簡略に示したのが次図です。

 Material nature図2

自然科学は複雑ですけれど、要は「運動から作った時間を用いて、素粒子など物質の運動を定義している。更には時間を光速度に置き換えて、時間・空間を再定義している」に過ぎません。

自然科学は、還元論の形をとりながら循環論ですから、矛盾してます。

これが自然科学すべての問題の本質です。

 

(2) 次にエアルは、この「IS-BE(イズ・ビー)」造語を用いて空間とは何かについて説明しています。p77より。

空間*1とは直線的ではない。空間*1とはある物体を見ているIS-BEの視点によって決定される。あるIS-BEと見られている物体の間の距離が「空間*1」と呼ばれる

空間*2の中の物体、またはエネルギーの塊は、必ずしも直線的な形で動くわけではない。この宇宙では物体は不規則に、または曲線的なパターン、または同意された法則に基づいて動く傾向がある。

※番と下線は管理人による。

この文章は理解が難しいです。 「IS-BE」を弧理論と同じ別の次元軸に置くことを前提に考える必要があると認識します。 また、※1はエアルが説明したい「空間」で、※2が我々が認識している空間だと思われます。

 

弧理論の発端の一部は、ある科学者の言葉にあります。

物質はエネルギーに転換するし逆にもなるというが、本当は一つの実体の異なる面に過ぎない。

これを弧理論では次図のように考えます。

entity and mass図3

別の次元軸(E軸)を「真のエネルギー値を持つ実体が存在する」と定義します。上から見ると実体が持つ物質面だし、横から見ると「真のエネルギー値」がわかります。  実際は視点を変えずに実体の物質面への投影角が変化します。

enrgy and motion図4

の運動は、投影角によって増減します。真のエネルギー値の変化分が運動として認識されます。

一方、エアルが述べた「空間」について、別の次元軸と考えて図示します。

図5 物質面とは、我々が認識している(空間*)のこと。

エアルによれば『IS-BEと見られている物体の間の距離が「空間*1」』だとのことです。そして、空間※2についての説明が「空間の中にある物体、またはエネルギーの塊」と限定されています。 この「エネルギーの塊」とは、図4の「運動」に相当しそうです。ですから、※2に示される空間とは「エアルが説明する空間※1」とは別のものだと推測します。

図4と図5は似ています。たぶん、弧理論による実体とエアルによる造語「IS-BE」は同じものではないかと感じます。 すると我々が認識している「空間」とはかなり趣が異なってきます。

 

図4において、実体が物質面に並行となった場合、実体が持つ「真のエネルギー値」はゼロとなり、すべて運動になります。(時間を含まない運動としてと表す。) このとき我々には物質は見えなくなり、質量を観測できません。これは「波」であると考えられます。 例えば、電子が光速度で量子化されたら光子です。

弧理論において、物質面(M軸)にすべて運動として現れるとき、このCがエアルの言う「IS-BE」なのだろうか?

JIttai and Undou図6

において、運動は、「IS-BE」?  そうだと考えると空間は曲がっている?  よくわかりません。 これまでの考察によれば、表1の両端(極大及び極小の世界)は、運動の状態(波の状態)にあると考えています。 素粒子も宇宙の巨大な構造も観測者に対して常に運動していて「静止し得ない」のです。

E=mcという数式の理解が曖昧だから混乱します。 物質と運動(物理学でいう時間を含むエネルギーを意味する。)との関係が理解できていないから混乱します。

整理すると「弧理論において(観測者に対して極大・極小の世界は静止し得ない)=空間は両端で曲がっている」となります。 ただし、極大の世界は相対論により曲がっているのではありません。別の次元軸方向に曲がっていると考えます。

エアルの「空間は直線的ではない」とう発言と近いことは確かだが、何処がどう違うのか理解できません。  運動は、エアルの言う「空間は曲がっている」と同じとして理解して良いのだろうか? 「空間とは何か」意味をもう少し考えます。

 

自然科学の問題点と矛盾を列挙します。

  1. 時間は存在しない。人が経験的に持つ観念に過ぎない。
  2. 重力レンズの現象は別の次元軸の存在を示唆している。相対論ではない。
  3. 量子もつれの突然死は空間の曲がりによって説明できる。同時でなくなり、相関が崩れる。
  4. 陽子中性子は内部構造を持たない。別の次元軸の存在を考えれば、陽子中性子とも映像だと説明できる。単独で取り出せない物質:クオークは不要。多数の素粒子群は物質未満の破片に過ぎない。実体は6種×投影元2あるから最大12種の運動が考えられる。だから素粒子群が12種に分類できる。素粒子群は、運動を量子化したもの。時間を使って質量に換算したに過ぎない。「GeV/c
  5. 物理的時間は人の感覚でわかる運動から作る。だから人の感覚でわからない運動と比例関係にあるかどうか証明できていない。素粒子物理学も宇宙物理学も理論計算できるが正しいかわからない。 GeV/cは、運動を時間を使って質量に換算しなおしたもの。光年も時間を使って距離に換算したもの。もし空間が別の次元軸方向(E軸)へ曲がっているならば正しくない。
  6. 科学の根幹に時間を用いていることによって、自然科学は近似になる。その適用の範囲は表1の赤い括弧の範囲、いわゆる「古典的範囲」にしか適用できない。大きく3つの範囲に分断されている。だから、重力が統一できない。
  7. 還元論であるにもかかわらず、科学の根幹となる部分において循環している。
  8. 自然科学の問題点は「時間」にあることは明白。
  9. 解決の方向として、「自然は、別の次元軸からの投影による映像だ」という開放系理論しかない。

ついでながら、我々五感で生きる世界(観測者の立場)と極小の世界の運動とはE-M軸平面において、「位相」が異なるだけです。 欲しいのは運動です。位相をずらすことができれば、フリーエネルギーは可能です。その具体的な方法がわかりません。 回転体を云々すれば実現できるはずです。2つの発散トーラスが打ち消しあっている状態にある回転体の位相をどうやってずらすかです。  トランスにパルスを入れるのも一つの発想なのですが、本質的ではありません。

 

マチルダによれば、エアルは、目が大きく、鼻も口も耳もなく、小さくて細くて用意した椅子が大きいくらいで、かつ目を閉じることがないのでじっとしていると生物かどうか判別できないと記しています。 いわゆるグレイと呼ばれるもののようです。 本にエアルの写真や絵はないのですが、管理人はカゲロウを思い出します。

Haft.jpg写真 2 https://ja.wikipedia.org/wiki/カゲロウ

エアルによれば、地球は牢獄あるいは監獄惑星だとのことです。歴史的経緯はどうあれ同意です。もっとも管理人は、第7章古代史のレッスン以降ほぼ読んでいません。

高野 誠鮮氏のお話しから想像するにエアルは生体ロボットかも知れません。 G・アダムスキーが異星人とコンタクトした際に外部に漏らせないあるものを見たとの話しをどこかで読んだ記憶があります。農作業など機械で代替えできない労働は彼らにやらせるとのことです。

 

 

何が本当で、何がウソなのかわかりません。でも、参考になるものは受け入れます。いずれわかってくるかも知れません。  あらかじめ「答えと解法が存在する」とわかっている問題ばかりやっているとYes か No(全肯定か全否定)どちらかの反応しかできなくなります。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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エイリアンインタビュー で気になる点 2つについて への10件のフィードバック

  1. shibuchin のコメント:

    こんにちは。
    私も「ホツマツタエ」に興味を持っているのですが、感想として「絶対無の概念が無い?無は有の相対的なイメージだけど同じもの」の様に思いますが、その後「心身の神癒」と言う本に出会いました、こちらも「時間と空間」の問題の難しさを書いています。

    「人に憑依して語らせる存在」とは一体なんでしょうね、人類史を微妙に誘導しながらその実態は不明「エイリアン」と「神」の区別はつくのでしょうか。

    「ホツマツタエ」も「心身の神癒」も同じ想念から違う表現で語られている?

    「ホツマツタエ」も数学的なアプローチでぐっと見方も広がるものなのですね、参考にさせて頂きます、有り難うございました。

    • Φ のコメント:

      ありがとうございます。お返事遅れました。私が常々考えるのは、一つの資料を100としてはいけないということです。高野誠鮮氏のように一次資料にあたれない以上、鵜呑みにしてはいけないです。全部本当ではないし、全部間違いでもありません。難しいのは何に引っかかるかです。ホツマツタヱも写本です。インタビューも3次資料くらいです。複数の資料から共通に合理的に理解できることを選択するしかできることはありません。
      無とは何?エイリアンとは何?時間とは?神とは?言葉とは?思考とは? これまでの考察によれば、岡潔の指摘のとおり現在の科学は基礎をおろそかにしています。どうも、見えて聞こえる物や事を自明として出発してはダメなようです。ヲシテ文献もインタビューもゼロではないし100でもありません。岡潔すら全部肯定ではありません。ありとあらゆる資料に分散されているようです。結構計画的な感じです。

      • shibuchin のコメント:

        Φ さんこんにちは、興味深いお返事有り難うございます。

        全部本当ではないし、全部間違いでもありません。難しいのは何に引っかかるかです。
        ありとあらゆる資料に分散されているようです。結構計画的な感じです。

        「結構計画的な感じです」、頂いた返事を読んでいて思い出したのが聖書の下の一節でした。

        「エホバはすべてのものをご自分の目的のために造られた。邪悪な者をも悪い日のために」箴言16-4

        だいぶ前から「引っかかっていた何か」だとおもいます、「悪い日の為に必要な悪って何」みたいな。

        「無限の時間の中で繰り返し無限に学び続ける事」って何の意味があるのでしょう??。

        「週末の僅かな彼との時を つなぎ合わせて君は生きてる」
        何だか浜田省吾の歌を思い出してしまいました。?

        自分も情報の断片をつなぎ合わせて生きている、のでしょうか「Ark」と言えば「ホツマツタエ」のテーマも「浮き橋=仲人=架け橋」みたいですよね、そして昔一つだったものが分かれてしまい、その記憶が失われてから再び出会う、その時どうするか?みたいな。

        ホツマツタエの「道の奥」とは?世界は未知に満ちている!

        「悪い日のために」を「良い日のために」に書き換え中?「悪い日を知らないと本当の良い日の意味もわからない」みたいなものなのでしょうか。

        数学・物理学が苦手な私は「フリーエネルギー」が今一つピンと来ません、結果的に「沢山有れば行き渡るはずだ」よりも「限りあるものを分かち合う」の方が難しいのは何故だろうか?に方向が向いてしまうのだと思います。

        「我々が持つ感覚では分からない何かから、宇宙自然が出来ている」には興味が有るので、ユルユルで脱力系のブログで恥ずかしい気もしますがURLを載せておきます。

        「フリーエネルギー」も本当は凄く気になってはいるのですが、、生産と分配は車の両輪にも思えます、お金が余っているのに格差が広がるのは何故??みたいな、突き詰めると「地球は誰のもの」になってしまいますが。

        人生は、何とか悟りが開けそうな感じのするところまで行った辺りで、程よくお迎えが来る様になっているのでしょうか、ますます謎は増えるばかりなので先が見えそうで見えないのは良い事なのかも知れませんね。

        色々と有り難うございます。

        • Φ のコメント:

          聖書の話と云えば、ある科学者は云っています。「過去において、私たちや私たちの祖先が真の文明化への途上で援助してきた十二種族よりも、この人類は悪くはない」意味深です。
          >「沢山有れば行き渡るはずだ」よりも「限りあるものを分かち合う」の方が難しいのは何故だろうか?
          情知意の順で働いて「意」に至るとシヰに等しいです。シヰは欲しい欲しいのシヰです。人の五感が非線形だから遠くにあるもの程欲しいのです。すぐに五感は麻痺して、あればあるほど欲しいのです。
          岡潔といえども、すべてを調べ尽くすことはできません。「あるかないかわからないxについて考えているとき、情的には既にわかっている。それを知的に言い表そうとすることにより文化はできていく」と云っています。何かを読んで何に引っかかるかは、xを求めているからです。求めていなければ引っかかりません。
          >程よくお迎えが来る
          生まれ変わりがないなら、双六を振り出しからやり続けるのに同じですね。それだと結構むなしい。あるなら、双六の上がりはどんなのか考えてしまいます。

          • shibuchin のコメント:

            Φさんこんにちは、返信有り難うございます。

            シヰは欲しい欲しいのシヰです。人の五感が非線形だから遠くにあるもの程欲しいのです。すぐに五感は麻痺して、あればあるほど欲しいのです。
            だとすると
            仏教は「シヰ」を煩悩として消してしまおう(無視?)とします、キリスト教では「シヰを肉、サタンとして滅ぼそう」とします。
            神道では「シヰを穢れとして払う」わけですが「祓えば光る」として「シヰに取り付いた汚れを落とす」のようなニュアンスでしょうか。

            「ホツマツタエ」も「日月神示」も「心身の神癒」も「シヰ」を滅するのではなくその役割を理解して尊重(慈しむ)する必要性?を示している様に感じるのですが。

            「欲シヰ」の「ホ」は「ホツマのホ」、「シヰ」は「ホ」で満たされないと孤独の恐怖から自虐的になってしまっている。

            双六の上がりはどんなのか考えてしまいます。

            久しぶりに「日月神示」を読んでみました、「太神の心は大きすぎて人間心では見当もつかない」そうですし、「一足飛びに」もいかない様ですね。

            度々有り難うございます。

            昨晩、「ITER(イーター)国際協力によって核融合エネルギーの実現性を研究するための実験施設」の現状を紹介する番組が有りました、40年程前に槌田敦さんが資源物理学の中で書いていた「核融合(トカマク型)は装置が大掛かりになりすぎて実用的ではない」と語っていた壁に突き当たっている様です。
            「クリーンなエネルギーを得るためには、膨大な資源の消費も仕方がない」みたいな話です。
            素人からすると「量子コンピュータや暗号・人工知能」の話もイタチごっこみたいだし、いま話題のGAFA(ガーファ)も政治家も「誰が主導権を握るのか」これも「シヰの欲シヰ」の現れ?

            フリーエネルギーがなかなか実用化されないのは「フリーエネルギーは、富の再配分が見直されるまでは実用化されない」でなきゃ「フリー」とは言えない、のでしょうか(フリーの意味が違う?)。

            長くなってしまいすみません。

            だんだん話題(ニュース等も)について行けなくなってきました。

          • Φ のコメント:

            そうですね。騒然とした日々は、考えることに飽きる方向へ仕向けられていると考えるのは穿ちすぎでしょうか。血穢などの穢れ思想は後から入ってきたものです。ヲシテに禁欲的なものはないと感じます。日月神示の一部が他と整合性がとれています。その点を受け入れています。全部ではないです。日月には「気(キ)付け」等の(キ)が頻出しています。それで、岡潔の情知意とシラスウシハクのシラスの元が「知る」だとわかりました。我々には気付くが一番分かり易いです。日月研究では予言ばかりが話題です。誰も(キ)に言及しません。たぶん精神科学と社会科学の基礎がなければフリーエネルギーは破壊にしかなりません。
            基本的なことは至極簡単です。複雑→抽象へと導き「抽象=高尚・高級」というイメージを持ちますが、たぶん嘘です。岡潔は本質を考え抜いて嘘を見抜いていた人です。

  2. ys のコメント:

    時間と空間の問題ですが、もっと単純に考えて下さい。
    霊魂=is-be 今存在するもの。と、定義します。
    霊魂には、状態の変化と自己のスフィア(領域=物理学での重力場)が存在します。
    時間も空間もありません。霊魂の心の変化のみで、瞬時に場所も過去も未来も関係なく移動できます。神の存在する天においては、愛のみが存在し、愛は光です。希望は、天において現実となり満たされ、信仰は、天において神と会いまみえ不要となります。そこで、天においては、愛のみが存在し、活動します。愛における状態の変化のみです。神の存在する天の中にいる霊魂は、瞬時に神の叡智に浸され、あらゆる事がわかり、人間の言葉には言い表せない事柄もわかるでしょう。天から地球を見ると、人体は、is-be としての牢獄でしょう。 中世のベギンだった、マルグリット・ポレートは、彼女の著書「素朴な魂の鏡」に別な表現を用いて、類似の意味を残しています。

  3. takutaku のコメント:

    お久しぶりです。前回、書き込みをしたときのエイリアンインタビューを購読なされたようですね。私は素人ですから、Φ氏のように理解することはできませんが、私の感覚的には、空間も時間も人間が認識しているようなものではないということが、感じ取れます。量子論の瞬時にして情報が伝わる現象、或いは波と粒子の性質などΦ氏の理論的考察を突き詰めていくと、答えが出てきそうな気がします。イズビーの言う空間が曲がっているというのは、かなり昔のアブダクションされた女性の本で、引力とは天の川銀河からの圧力の影響で空間が湾曲しているからだ、というような文を読んだことがあります。
    このアブダクションされた女性は、政府や軍も介入し念入りに調査も行われたようです。

    • Φ のコメント:

      これまで考えてきたことと繋がりそうな点があるので、参考にしました。話しの全体が嘘か本当かまったくわかりません。ただし、興味深いのは、取り調べをまとめた文章を証しするため、軍幹部がマチルダを通してエアルに自筆のサインを求めたところ。エアルは理由を述べてサインを拒否しました。軍幹部はエアルを電気ショックにかけて「死なせ」ました。地球がいかにも劣等惑星であることの信憑性を高める部分でした。ウソならサインをもらったとしておけばよいからです。エアルが言うように証言に対するサインや異星人の死体や破片など物的証拠など信憑性を高めるに何の役にも立ちません。愚かです。
      映像であるというのは、岡潔が僧侶山崎上人を引用したのであって、その他の資料からも合理性があるのです。思いつきだけではありません。映像であるならば、と思考を続けると”曲がっている”の結論に至ります。百年以上前に相対論が出てこなければ、危うく「曲がりの原因は別の次元軸からの投影映像」という方向へ発達していたかも知れません。そうなると人類は「愚か」を最大限に発揮して既に自滅していたと考えられます。
      因みに「極大での湾曲」について、「地平面が湾曲している」の次元を上げた考えです。遠くの銀河系ほどより速く遠ざかっていることを湾曲していると表現しています。だから湾曲が等方なのです。ビッグバンでは宇宙の中心が地球だとなってしまいます。
      >アブダクションされた女性の本で、引力とは天の川銀河からの圧力の影響で空間が湾曲している
      圧力の原因として「質量が原因で空間が湾曲」という相対論の考えならば理解できません。何が(空間が)何に対して曲がっているのか?「長さが変わらない光」に対して空間が湾曲、というのが相対論の根拠です。光速度は時間から、時間は手元にある機械装置の運動から作ります。それだと運動は空間の湾曲に依存していることになり、循環です。最初から空間とは何かという問いが抜けています。だから相対論を除外して重力レンズは別の次元軸を示唆していると考えています。

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