前回、意識とは何か、それは欲しい欲しいのシヰの表れではないかと書きました。
では、 知識と意識 の違いは何か、互いの関係はどうかを考えます。
「わかる」の順序
「わかる」の概略を示します。
- 物がわかる(現在)
- 事(動き)がわかる(過去)
- 物と事が対となる
- 物と事を音韻に割り当てて
- 物と事に意味づけ出来る
- これが言葉(言語)
- そうやって、価値がわかる
- これが知識(記憶、情報、記録)
- 知識は事の一種
- だから、知識には必ず物(媒体)が必要
- それから、意識を通してわかる
岡潔は、1.を「情」と言いました。同じく善導大師は、「覚」と名付けました。G・アダムスキーは、Soul mindと言いました。1.以降はすべて過去です。
岡潔の言った通り、情・知・意の順に働いています。
意識は広がる
さて、知識・意識は、いずれも識ですが、随分と様子が違います。前回に書いたとおり、意識は身体の内にありながら、ときに何かに思いを馳せるという、広がりがあります。
知識は閉じている
それで、知識はと言うと、肉体という媒体が必要です。物と事(知識)は必ず対であるからです。肉体は同時に処理系です。脳も脳を模したAIも同じ処理系です。知識は、紙や電子媒体、クラウドなどを媒体として利用できます。
知識は、互いに規定し合って成り立つ繰り返しです。かつ、語どうしは関係し合うネットワークです。
写真1 出展:三省堂 国語辞典 第八版(小型版)
例えば、上の国語辞典は84,000語を収録しています。
- 聞く、話す、読む、書く
国語辞典ほどの知識をもって、聞けて話せれば、日本語話者と云ってよいです。しかし、おわかりの通り、知識は閉じています。にもかかわらず、意識はときに広がりがあります。
外のない内
ここで、岡潔の言葉を思い出します。2つの心より。
人には、ここから何時も言わなきゃ仕方ない、心が2つある。心理学が対象としている心を第1の心ということにしますと、この心は前頭葉に宿っている。それから、この心は私というものを入れなければ金輪際動かん心です。その代り、一旦、私というものを入れたら、「私は悲しい、私は嬉しい、私は愛する、私は憎む、私は意欲する」と、丸でワライカワセミのようにうるさい。
それから、この心のわかり方は意識を通さなければ決してわからない。それから、ここまで来ればもう心理学は知らないんだけど、この心は物質的自然界の全部を覆うている。しかし、それより外へは決して出てない。物質的自然界というのは、自然科学者が研究の対象としている自然です。
下線は管理人。
自然科学者の知識をもって、意識を通してわかるという自然について、「全部を覆っている。しかし、それより外へは決して出てない。」と言います。これが知識と意識の違いです。これを何度も何度も書きましたが、外のない内と言います。
知識は閉じているのに、意識は広がりがあります。この齟齬は大きな問題です。
お金を支配する者たち
金融資本家を代表とする連中は、物を事であるお金と交換する仕組みにおいて、人々から物(財産・財物)を収奪することができます。
恐らくは、彼らの意識は限りなく広がり、自身を神に置き換えているのではないかと感じます。
図1 出展:バフォメット
いや神ではなくて、ルシファー(バフォメット)です。還元論、二元論の行き着く先は、抽象であり、倒錯です。それは、タマとシヰの乖離による統合失調です。残念なことに、そのお先棒を担いでいるのが自然科学ですし、経済学です。
自然科学には、最初から物と事の区別がありません。だから、お金の存在に矛盾を感じないのです。
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>働き
波動方程式を教わった時に、何故それが動き出す際の記述が無いんだと思いました。アンテナ工学などが分離している。それ電磁気学の範疇でできなくては片手落ちだろう。断片とつぎはぎの学問。子供にもわかる質問で答えが無い典型が「どうして磁石はくっつくの?」
面白い記事があった。真ん中あたり。ttps://hokakebune.wordpress.com/2024/03/02/虹と理科教育/
『虹の七色をどの様に解釈するのか。水滴と光の波長との関係として理科、物理学では解説される。光の波長によって屈折の角度が異なるとして解説される。その解釈法を皆が記憶して、理科の知識として人並みの共通認識に至る。しかし、それ以上の疑問に対しては追究しない。物理学の解釈法を記憶して、自然世界を理解したと満足する。』
-解釈法を記憶して- これが子供の質問に答えられない理由だ。得られる情報・記憶は妥当なのか?
>当サイトに書いてあることは哲学ではない
大学で受けた講義はあくまで過去の偉人?の思想紹介でしたね。それでどこが哲学なのか、哲学するって何なのか?とは当時から。偉人の思想をコピペすることが哲学ではなく、言葉に依らず考え続けることではあると思うけど、社会生活してると忘れる。乖離する。心の栄養が欠落していく離人症の世界観。この社会にはホントウのことが少なく、出会えるのは一生で1つか2つだと思う。
>円盤の整備士の夢
格納庫に駐機している円盤を点検している。どこにでもありそうな飛行機の格納庫で、天井から/下から斜めに、薄暗く照明が点いている。外は遠くに丘があり、砂埃が舞わない程度の平地。円盤はレールの上に載せられ、下から(自動車整備工が使う)台車で潜りこんでギアやフランジの傷の具合を懐中電灯で確認している。それを第三者視点でも観ている、夢だからあり得る構図。
>12進数
最後の質問の答えは? ttps://www.youtube.com/watch?v=nw80DqsOAvg
進数は基数表現でどうにでもなるが、何故可分性に拘るのだろうと考え思い付き。2次元や3次元での単位を考えるのに有効だからかも。円や球は表現単位の次数を下げることができる。円も球も単位が半径rで示せる。これが平面・空間での”有限な要素”を示すのに役立つからかも知れない。円も球もその範囲が閉じている=有限。
整体治療家から教わった話。「人間の腕・手の骨は、上腕骨=1本、尺骨・橈骨=2本、手根骨=3・4本、中手骨・指骨=5本となっている。1から5へと1+1=3の原理で枝分かれしていく。」つまり、1から一足飛びに5にはならなくて、中間過程で必ず1→2への分岐、2(1と1)→次の1の生成、が繰り返される。1+1=3はアダムスキーも言っていたことで、U-con 130号の19頁に明解な説明がある。
示されたリンク先の紹介記事より上、「体温と肺機能」、体温『36度5分』の物理的意味は。の部分。シェーカーにプロテインを解くときの水の温度、低いと溶けにくいが、40度を超えても溶けにくくなる。タンパク質は実に不思議。これが平熱と関係ある。
岡潔「(自然科学は)単なる思想であって、学問ですらない」
いつもイメージするのは、川の流れの中流から下流へ向けての科学、それより上流や源流は無視する。
>言葉に依らず考え続ける
これが岡潔の情的な意味であるならば同意。必要なのは「弛緩と関心」ただ、離人症とは違うと思う。その結果。
>一生で1つか2つ
これが発見・創造であり、仏教で言う他力。益川氏は(クオーク)3つを6つとひらめいた。
>格納庫に駐機している円盤を点検
U-conを読んで思い出すシーン。G.Aは母船に招かれ、スカウトシップから降りた際に見た光景。駐機している他の円盤に男がケーブルをつないでいる。固定する為か、充電の為か。その男は、顔に傷があった。事故によるものなのか。男に軽く会釈して客室へ向かった。機器を維持するにいろんな仕事が必要。
足跡の解析の結果。スカウトシップは動力を母船に頼っているため補給が必要。スカウトシップは、地球に対して反発しているだけで、惑星間を移動する機能はない。自前の重力は作れない。アランの使う貨物船と同じ。機体は単原子と同じ働きをする。船体は発散トーラスと同じ形状をしている。中心部の部材は、磁石と同じ原子の向きが揃っているはず。ただ、磁力が強い必要はなく、例えば単結晶シリコンのような物であるかも。また、中心部材自体が回転する必要はない。(私の実験の結果のとおり。)
下部には二重反転、三重反転の機構がある。それぞれ陽子中性子電子の役割。ただ、古典物理で言われる光速度を上回る回転速度にする必要はない。反転するリングの相対速度による差分があればよい。これにより船体が持つ真のエネルギー値を制御する。それと三点着地式の着陸装置は姿勢制御に使われるようだ。
UFOの内幕P65、66、75、76が参考になる。
ttps://www.amazon.co.jp/UFO%E3%81%AE%E5%86%85%E5%B9%95%E2%80%95%E7%AC%AC3%E3%81%AE%E9%81%B8%E6%8A%9E%E9%A8%92%E5%8B%95%E3%81%AE%E7%99%BA%E7%AB%AF-%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF-%E3%82%B9%E3%82%AB%E3%83%AA%E3%83%BC/dp/4884811372
ただ、疑問なのは、アランが言った永久宇宙船の重力は地球の半分程度。G.Aが乗った母船の重力は地球と同じであったことになる。葉巻型の母船は、惑星間航行はできても永久宇宙船より小型ということ。
>可分性に拘る
よくわからない。固体物理は結晶構造から始まる。なぜ結晶なのかは言わない。構造の説明を量子論に求める。私の中で結晶構造と量子論はつながらない。その疑問を示す記事を書いた。記事のために8面体の蛍石CaF2を買った。基軸からの投影が原子。原子の構造は投影角と関係あるはず。原子のエネルギー準位は投影角と関係がある。そこから12進数の素数が出てくる。
>次数を下げる
前から述べているとおり。「円も球もその範囲が閉じている」そのまま「空間はその範囲が閉じている」空間の中心は基軸上に2つある。
ttps://www.arktheory.com/wp-ark/wp-content/uploads/a7d32856690feca0d6588fa84a30d8bd-2.png
2つの中心をアとワと名付けた。この構造は原子を形作っている。
>1+1=3はアダムスキー
U-con 130号の19頁に示された図6は、紡錘図形に補助線を入れたものと同じ。それと著者の遠藤氏とは何回かお会いした。研究を始めた頃だったので、こちらの意図は汲んでいただけなかった。
ttp://schwarzblau.blog.fc2.com
Alexey Chekurkov(アレクセイ・チェカーコフ)の浮揚ディスクについて考えている。いくつもの疑問がある。過去記事は2本ある。
G.Aがコンタクトした彼らからの情報は、3段階くらい離れた部分しか示されない。断片を集め、1万数千年間のヲシテなどと統合して初めて考察の対象とできる。彼らが示したいのは、トンでも宇宙人などではなく、私たちヒトと同じ普遍な何か。
>体温と肺機能
タンパク質と熱ですか。何故熱が発生するのかも不思議ですよね。細胞間質液と胸腺などの関係も、人間の身体ってよくできているなあと感動したことがある。腰痛になって、まともに歩けなくなった時に仕入れた人体の知識。
>言葉に依らず考え続ける これが岡潔の情的な意味であるならば
まあそうですね。感覚的というか、無感覚的というか、いつも心の中にある小さな炎というか。何かを希求している自分が居る。
>円盤を点検
印象的なのが、円盤以外のどれもが地球にある機材とほぼ同じだったことですね。照明が薄暗いのは点検の為だし、レールは加重物を支えるのに必要だし、描写が理にかなっている。あと、普通の人間でした。これは当たり前。
>UFOの内幕
スカリーの本ですか。あれも半分以上わからない内容だったな。もっとも宇宙船の記述にしか興味がなかった。記憶に残っている面白かった内容は「(円盤は)磁力線を横断する」ですね。別の記事でも触れられているように、3次4次情報でしかないから、あまり言葉に引き摺られないようにしてる。自然の摂理を直に知りたい者にとって情報は厄介です。特に平易に語られると、わかった気になり同一視の間違いを犯す。
>可分性に拘る 固体物理は結晶構造から
すみません。単なる思いつきでした。理解できない部分のひとつ。
>著者の遠藤氏
氏は屈指のテレパシー遣い、という表現が良いのかはわからないが、それです。年に5百回ほど氏の記事を読んでいたこともあった。あのテレパシー盛り盛りの学術論文に私は圧倒された。ほとんどの人はそうは読まないだろうけどね。それで文明を切り拓く力とは何なのかを考えるようになった。どうも影響を受けすぎてね。力が強すぎる。それだけの感受性が自身にあることは再発見できました。
弧電磁気理論を見つけたのはその幾分後です。
>彼らが示したいのは
ひとつは、暴力的でなく、人々が温かい気持ちになれるような科学がある、ということかなと。同じヒトがやれることが、可能性は未だ残されている。可能性が無い、持続可能な社会を造りたい人たちも居るようだけれど。下流しか見てないとそうなる。AI社会になっても金星文字や足跡は解けない。それだけの極簡単な仕掛けがある、と考える。
しかしまいった。大半わからないです。人と人は点接触。それがあちこちに現れ、より良い社会が造れるように祈るばかりです。本来の多様性が持つ可能性を信じる。
>希求
私利私欲が元でなければ、発見に至るかも。
>普通の人間
高野誠鮮によれば、米軍はこれまでに5種類の異星人とコンタクトしているとのこと。異形の宇宙人は意図したデマか?それとも生体ロボか。
>磁力線を
多くの人が電磁気現象と重力はどこかでつながると考えている。自然科学が無視している点。
>わかった気
同意。他の資料、実験の結果との整合の上で「わかった」と考えて書いた。本のほとんどはわからないまま。
>単なる思いつき
いや、マネーに振り回されている人類を解放するにはお金を無効にするしかない。12進数はその唯一の可能性。その前途はあまりに多難。
>テレパシー
この言葉が嫌い。易きに流れるし、その仕組みは不明のまま。言葉を使わず会話というのは表面的。ヲシテ文献において、発見・創造の「手法」をトノヲシテという。発見・創造は、アランの言う崇高な叡智より来る。脳や脳を模したAIにその働きはない。
>温かい気持ちになれるような科学
同意。自然科学には自己が抜けている。4つ感覚とtouchを除いたのが自己。自然科学には自己がない。
>極簡単な仕掛け
同意。私はアランの言うとおり図が「自然は映像」を示していると解釈。図に、よくもこれだけの情報を詰め込んだものだと感心する。
>本来の多様性
同意。多様性と言って、人々の自由を縛る。やつらは言葉遊びをする。過度な抽象化は自己を滅ぼすことがわかっていない。
>大半わからない
日本語の起源であるヨソヤコヱ(48音韻)の仕組みによって、常に「わからない(何か)」があると納得する。日本語を例えるならば、両の手で水をすくうようなもの。物と事が揃わない何かは、両手から抜け落ちる。だから、常にわからない何かが存在する。
岡潔「(自然科学者は)自然はわかると思っている。」この前提が間違い。言葉にならない部分は必ずある。言葉は外のない内。
遣っている語へのイメージが違うようです。日本語が通じて言葉が通じない。よくあることですが、これをどのように解決するか。
知情意の”意”は意思のことだと一般には言われています。それを意識としたのはどういった経緯でしょうか。つまり、自説に組み込む動機となったものです。意思と意識では、だいぶ違いますよね。
おそらくは岡潔の以下の記事などに依るのでしょうが。(全てを読めてなく、また難解です)
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-29-05.html ここで岡は意欲と言っている
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-itteki01.html ここでも意欲と言っている
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-shizen4-05.html
ttp://www.okakiyoshi-ken.jp/oka-16-02.html
岡のいう語”意識”を採用したのでしょうか?
前記事”意識 とは?シヰの表れか”の図1で示されていたことに気付いたのですが、階層は分離ではなくて、包含ではないでしょうか? 第2の心⊃第1の心。だいたい第2の心と第1の心を繋げるものは一体何なのだ、もう一階層必要になるではないか、ということになるからです。分離すると、必ず、さらなる階層が必要になってきます。明確な分け方ができるのかどうか。
私の捉え方では1が”意識・意識する”です。それに「位置が無い」。身体の内外に遍く広がりを見せている。多くのものに染み込んだ水のように。そして自他という問題が出てくる。
意識というものの定義が人によって曖昧です。定義とか言いだすと非常に問題になるんですが。日本人は日本語をそれこそ”意識せず”に遣っています。11の”意識を通して”は人によっては1と捉える。また、それはいわゆる顕在意識というやつではないか、潜在意識や無意識にも共通して使われる用語”意識”とも別なのでは、などなど。
私はそれ以上の、全てを貫くもの、として意識という語を使っている。一般にはどういう意味で、それが自分の考え方とどう違うのか、よくわかっていません。
弧理論でいうところのそれ(意識)も、一般的な比較対象が示されず、そうと決めればそう言えることになる。だから経緯・動機を聞きました。
>イメージが違う
同意。どこまでも付きまといます。
>知情意
いえ。岡潔は情知意の順だと言います。
>”意”は意思
岡潔は大量の資料を遺しています。岡潔が伝えたかったのは、人には「心が2つある」ということです。
知と意は、情の後です。「情的にわかり、それを知的に言い表すことで、文化は出来てくる」と言います。「情:何となくその趣がわかる」「大宇宙の中心は情」「これがなければ、一切は存在しない」
言葉で言えない何かを「何とか」言い表そうと四苦八苦した訳です。過去多くの宗教家は、皆そうしてきたようです。
問題の意は、言葉で言えるかどうかです。知識、意識は言葉で言えると考えます。それと唯識の”識”と同じだと考えました。唯識は心を「階層だ」としています。これは間違いです。ある方が「唯識には繰り返しが現れる」と言われました。これで唯識が間違いだとわかりました。心に階層はありません。そもそも岡潔が言葉で言えない何かを伝えようと苦心したのですから、情知意の意は、知識意識だと考えます。
では、意思とは何かです。意思は言葉で言えるのでしょうか。言葉で言えるならば、情より後です。言えないならば、情に近いか、同じだと考えてよいです。
しかし、本来言葉で言えない何かですので、いろんな言い方があるのも事実です。善導大師の覚、G・アダムスキーのfeel(soul mind)も同じです。それで、シヰ(生命維持の欲求)の表れが意識だと考えます。
それと、Buddhaとヲシテ文献のタマはほぼ同じです。岡潔の情とヲシテ文献にあるナサケヱダは同じです。タマ+シヰでして、漢字の魂ではダメです。
>階層が必要
数学を含む言葉は互いに規定し合う繰り返し、ネットワークです。当たり前に再帰も出てきます。これが「心が病む」原因ではないかと考えます。知識は閉じているのに、意識は広がる。これに再帰があれば、妄想は限りなく続きますw
>定義とか言いだすと非常に問題
そもそも、言葉で言えない云々。正確を期するべく、岡潔、山崎弁栄上人、ヲシテ文献、仏教、本居宣長、G・アダムスキー、ダニエル・フライなどを参考にしています。一つだけに絞るとぼやけます。
>全てを貫くもの、として意識
私は、寝ているとき意識はありません。それこそ、寝ても覚めても”それ”はあります。それを情というか、覚というかfeel,soul,あるいはBuddhaかそれともタマかということです。
また、それぞれの関係と順序はどうなのかです。
>動機を聞き
関心を持っていただいて有り難いです。岡潔も、このサイトも「定義」自体できない何かを何とかしようと悪戦苦闘してきました。
岡潔『「わかる」というと理解とか物の理というが、全然理解じゃない。』ほとんどの人たちは、この言葉すらわかりません。
特に高等教育を受けた人や知能・知識の高い人ほど、頑としてわかりません。恐らく、一生わからずに終わるでしょう。
ヒトとは何かです。長くヒトが「物や事がわかる」という仕組みに取り組んできました。
調べてみたら、初めての佐々木さんのコメントは、2014年12月でした。2015年頃より、心の仕組みと働きについての記事は、たぶん400件以上あるでしょう。
ひとえにアランの「基礎を用意しなければ、人類の文明は終わる。分岐点まで降りて、再び登れ。」という言葉を拠り所として続けてきました。
ホツマツタヱが再発見された頃、岡潔は存命でした。その頃、ヲシテの研究が進んでいれば、岡潔は大いに参考にしたろうと考えます。
ヰクラムワタヲ ネコヱワケ フソヨニカヨヒ ヨソヤコヱ
すべては、ここに始まっています。日本語は最初から「科学」です。漢字でも英語でもダメです。これが2015年から考察した結論です。
>知と意は、情の後 言葉で言えない何か 心に階層はありません
解決した。私の”意識”、岡の”情”、Φさんの”それ”は多分同じもの。後は些末なことでしょう。様々な資料からあることがΦさんの琴線に触れた。それはわかる。一部、岡の思想やオシテ、仏教などは相当かみ砕かないとわからない。ここや金澤氏のHPが体系化されないかなと思うのですが、体系化する時にAbstractするから本質が失われてしまうのでしょうね。
>岡「心が2つある」
すらっと読めるけど数学者が言ったのが面白い。数字の2はそれだけの意味しかない。2は2でしかない。それなのに心というわからないものを数える行為をした。
>知識、意識 唯識 情知意
情知意という分けた表現も、言葉で考えるのも(ステレオタイプだが)西洋的といっていいのかも知れない。東洋でいう瞑想や禅といったものの捉え方が必要かも。時に違った側面を見せるというだけで、情知意のどれもが言葉で言えない何かなんだろうと思う。
>知識は閉じているのに、意識は広がる
そもそも”それ”はオープンで、誰にも開かれている。アクセス方法が悪いだけと感じる。
>ほとんどの人たちは、この言葉すら
生きる為の糧を得るのに必死、というほかない。主に経済的に。生命がわからないのに、生命維持の欲求だけで生きていけるのか。
>高等教育
社会が求めるものですから。宇宙の本質を識るには足りない。アスリートや芸事、職人などの方がよりものを識っているかと。
>一生わからずに終わる
それでいうと私は奇人変人の類だわw 哲学の教授が言いました。「哲学は一生に一度やればいい。私はそれを毎年やっている。」たった2文の哲学です。最初の講義挨拶でですよ。変人だと思いましたねw
>2014年12月
よくもまあつらつらと意見してきたものだ。恐れ多いな。
>全てを貫くもの
実は私は何故そんな風に感じるのかわかってません。おそらく過去生のどこかで、同じ傾向のことをやったのでしょう。それが金星文字を初めて見た時に微かに「懐かしい」と想起された。その頃に見た円盤の整備士の夢。動機はそんなとこです。
>本質が失われ
そうです。説明すれば、するほどかけ離れる。言葉の仕組みから来ます。岡潔「自然数の1は決してわからない。」ある記号に意味づけするには、必ず「対」となる記号が必要。2進数1桁で言えば、0と1。1は0と”対”とせねば数として意味づけ出来ない。桁が多くても何進数でも同じ。数の複雑さ(物の量にかかる数、事の質にかかる数)に際限はないが、元は単なる記号。どんなに複雑でも有(1)と無(0)の間を区切っただけ。意味づけできる範囲は限られている。これを外のない内と言う。知識の限界。ところが、意識は広がりがある。ここで勘違いする。
>すらっと読める
これは興味深い。岡潔とアランに共通する。言葉は平易。すらっと読めるが、頭に入ってこない。
>(心の数)2は2でしかない
これは違います。2015年頃、岡潔の存在を知った。2つの心はすぐにわかった。事前に知っていたから。高3の頃、G・アダムスキーの本にあったのと同じ。G.A「五感を順に消したらどうなるか。目の不自由な人も生きている。耳の不自由な人も生きている。順に消して、触覚のtouchをなくす。それでも生きている。残るのがfeel。これをセンスマインドという。」つまり、人は、五感と言うが、本当は5+1=6あると言う。すべてをfeelが下支えしているということ。
ところが、岡潔は2つと言った。五感をひとつと数えていた。つまり、情が五感を下支えしているという説明になる。G.Aも岡潔も同じで、単に数え方が異なるに過ぎない。因みにヲシテではタマシヰの2つ。ヲシテはさらに詳しい。参考:ホツマ辞典池田満著
>言葉で言えない何か
同意。情、覚、タマ、ナサケヱダ、アワレヱダ、Buddha、いずれも苦心した結果。それでも、それぞれ微妙に異なる。2年ほど前から、関係を整理してきた。だいぶまとめられた。難しいのは、「時」の現在と過去。「物がわかる」が現在、「事がわかる(動きがわかる)」が過去。
最近、気づいた。事(動き:運動P_)は結果で、過去であることはわかっていた。それより前があった。「働き」大宇宙の中心にあるのは「働き」。物と事は結果。
自然科学にあるのは「動き。運動」これを力という。しかも、物と事の区別がない。
>欲求
これをシヰという。で、思想信条主義主張はいずれも欲求を体よく言っただけ。アメリカにおける司法の武器化は、剥き出しの欲求。
>哲学
学問が未分化だった当時。すべてが哲学。わければわかる(自然科学)としてきたが、わからなかった。昔、哲学の先生に聞いた。答えは「真善美」でした。真は偽の如し、偽は真の如し。善は悪の如し、悪は善の如し。意味も価値も(立場によって)すぐに反転する。美はシヰの一種。それで、哲学とは何かわからなくなった。
webにきいた。哲学とは「知への愛、叡智」とある。知より前にある何かを求めているのだから、当サイトに書いてあることは哲学ではないということになる。
>恐れ多い
いえ。ヲシテにフトマニがある。フトマニの流れを汲むヒフミ神示(スマホ対応)において調べると「学」は103カ所出てくる。「学との戦い」と何度も繰り返す。知や意から見て、ここのテーマをわかってもらうことは、とてもとても困難。ヒフミ神示は、これを一厘という。100分の1、どころか1000分の1の人しかわからない。
最近、歴史学者が日本の1%の人が目覚めれば日本は変わると述べています。同意です。
>円盤の整備士の夢
興味深い。私は足跡。砂地に水撒いて。確か小豆色のサンダル。特別製でゆるくて。夢。
過去、振り返り。
ネガと足跡の解析は、2011年頃、惑星間航行の原理。井出氏のパルストランス解析から、発散トーラス発見も同時期。2013年から3年くらいは水銀を使った単極モーターの実験。これで二重反転三重反転ができた。それで、後年「見分けはつかないが加速度には種類があるらしい(回ると回すの違い)」とわかった。それ以後、2015年頃からアランの言う精神科学と社会科学の基礎にとりかかった。最近、2つの科学の基礎はできた。残るは物質科学。しかし、その基礎となる部分は、既に出ている。
それで、4種ある発散トーラスの基本は双極(例えばSとN)。片方の極(N)が位置を持たない。広がりがある。Nは発散して基軸に達する。位置を持つSは渦を巻いて発散する。Sは単極のように振る舞うが、物ではない。事である。これは距離の7乗に逆比例する力の場。到達距離はとても短い。発散トーラスは、陽子中性子電子を形作っている。言い換えると発散トーラスは、原子近傍に4つめの次元を丸め込んでいる。(畳み込んでいる)
発散トーラスは意識の特性によく似ていることに気づいた。発散トーラスはM軸と基軸を橋渡しする。とても大事な特性を持つ。
なぜ、12進数が「有効で可分性がある」のか、最大の疑問。12進数による素数と物理現象の関係づけ。「原子のエネルギー準位を12進数(素数)で」、「12音階の周波数を12進数で表すと各音階間に簡単な関係が見られるか」など。