お金中毒 と屁理屈(抽象とは おさらい)

弧理論による社会科学は、3つの科学の内の一つです。

図1 3つの科学

弧理論による社会科学の仕組みはごく簡単なのですが、説明は難しいです。従前は、次のような図で説明してきました。

図2 物と事の関係

社会にあるありとあらゆる物事を横軸に当てはめると、具体と抽象に分けられます。事の複雑さに限りはありません。これには数学等を含みます。社会は教育から科学、金融などを含めて、すべてが抽象化しつつあり、これを絶対的な”善”としています。これが間違いであると説明してきましたが、なかなかご理解頂けないで苦心してきました。

 

そもそも、物と事の関係は次図によります。

図3 弧理論による物と事(運動)の関係

  • 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。
  • 物と事は互いに規定し合う繰り返しであり、循環である。

わかるには、順序があります。これは、ヒトが持つ心の働きです。

前回の記事より。

  1. ヒトには働きがある。どういう働きかというと
  2. わかる」という働き。何がわかるかというと
  3. がわかる」という働き
  4. がわかる(動きがわかる)」という働き
  5. 動きは過ぎてからしかわからない(記憶に依存する:媒体として身体が必須:動きは過去
  6. 物と事がわかり、それぞれに音韻を割り当てる。(これが言葉)ここから、の領域。情報
  7. すると、物事の意味わかる
  8. 物事の価値わかる
  9. 最後に、物事を意識してわかる

 

ここまでで、「ヒトは物と事を意識してわかる」訳ですが、今回は図2をより簡潔にしました。

図4 物と事のわかる範囲

上下にわけて説明します。山なりの曲線があります。山の頂上付近は、「意味がわかり、価値がわかる。それで物事を理解できる」。しかし、図の両端は、意味はなく、価値もわからりません。ただし、山なりの曲線は左右対称ではありません。「言葉で言える」領域は右端の方が広いです。何故ならば、事の複雑さに限度がないからです。

下の方に物と事を示します。物がわかる範囲と、事がわかる範囲です。ここで、物と事は互いに規定し合う関係にありました。つまり、物と事が一番よくわかるのは、山なりの曲線の中央付近だということです。

ここで、極端に複雑な事抽象と言います。つまり、言葉で言えますが、あまりに複雑すぎて意味がわからず、価値もわかりません。そして、物と事の性質からして、時には、意味は反転し、価値も反転します。よって倒錯することもあるようです。これが悪魔崇拝や性的な倒錯として現れているようです。何しろ、彼らは、理論的に正しいならば、その理論を絶対的な善と信じて止まないのです。彼らは、自ら価値と意味がわかっていないことに気づいていないか、誤魔化していますから、とても厄介です。

 

改めて、図2をご覧ください。抽象の極致に「お金理屈(理論)」があります。 ニコニコ動画に興味深い動画がありましたのでメモします。ニコニコ動画は埋め込みに未対応です。

藤原直哉氏によれば、この世界において、最も強力な信仰2つあると言います。それは、お金屁理屈だと言います。

お金中毒屁理屈は、いずれも抽象の極致です。この世界に蔓延する抽象を多くの人は絶対的な善と信じて疑いません。これは信仰です。

 

説明不足ですので、少し補足します。次の記事をご覧ください。

極めて単純な例です。単一の原子を閉じ込める実験です。一個の電子を閉じ込めるというのは、最も簡単な「物」です。閉じ込めただけでは、意味も価値もありません。意味づけするには「検出する」が必要です。移送や検出には動きが必要です。それで「価値がある」訳です。

図5 電子という物と事(動き)

 

もう一つの例を示します。

写真1

これは、サイコロ(骰子、賽子)です。これを物と事に区分けします。

  • 物:古くは貝や骨、木を用いた。現在はプラスチックを成形し、六面体とし、面に付けた窪みに塗料を塗ったもの。
  • 事:振ることによって、各面の塗料をとして統計を取る。統計の結果、1の目が出る確率は1/6になる。

注)貝や骨も物と事の”対”としなければ説明の意味を成さないことに注意。言葉で言え、意味が理解できる自体が物と事が揃っている証左。

それで、写真1という物のみでは、意味も価値もありません。”振る”というと”数”という概念と結果である”統計”、そして、”確率”はですし、既に抽象であり過去です。

ヒトの心が持つ働き(物と事がわかる)という順序をご確認ください。

 

物だけでは、意味も価値もわかりません振った結果であるとして統計確率意味と価値があるのです。どちらか単独では存在しません。

数、統計、確率のみ単独で存在しうるとの考え方は勘違いです。必ず物としての媒体が必要です。この数、統計、確率と対となる媒体は、人の脳です。これが抽象です。

自然科学には物と事の区別がありません。これが問題の本質です。お金中毒 と屁理屈の意味をご理解ください。

極端な抽象化と意味・価値の反転、グルグル思考(屁理屈)で個人や社会が病んでいる」これを避けよう。これが弧理論による社会科学の根幹です。

 

追記9/19 図3における物質科学として、書き漏らしがありました。表題とは関係はありませんけれども、内容(統計・確率)として、つながっていますので参考にメモします。

図3 再掲

投影角が浅くて、事(運動)が大きいと、物はM軸において次元を失い観測できなくなります。これをと言います。時間の観念を含むと波動と言います。波はの一種です。

それで、小さな領域において、統計確率に従います。これが弧理論による量子力学の説明です。

  • 例えば、電子と電磁波は一つの実体の異なる面に過ぎない。
  • 電子と電気磁気は互いに規定し合う繰り返し。(電磁波
  • 小さな領域においては、光子として観測される。

小さな領域では、電子は物の量(質量、大きさ、位置)が観測できなくなります。例えば、電子の移動(A~B)に経路(位置)がわからなくなります。これが二重スリット実験の説明です。

統計・確率は事の質の一種です。波は、基軸方向への振幅を持っていると考えられます。見方を変えると、原子の周囲の空間は湾曲していると考えることができます。

 

10年くらい前に、次のように説明していました。ご理解頂くのは難しいです。

図6 実体Cと電子F

  • 基軸上にある実体Cは、図3から図6のような静止の状態(90度)に戻ろうとするが故に、M軸上の電子F運動せざるを得ない

基軸上で実体Cが直交する静止の状態に戻ろうとする際に、M軸上に生じる力場発散トーラスです。

発散トーラスは、M軸上に双極(C-F)として現れますが、片方の極(F)の位置がありません(観測できない)ので、M軸においては単極のように振る舞います。しかし、物の量はありません。(たぶん)ポテンシャルのみあります。 発散トーラスを別の表現をすると「発散トーラスは、電子の周囲の空間を歪めている」と言えます。以下は参考です。

「電子Fは順方向に運動せざるを得ない。」というのが第3起電力のミソです。

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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