世に様々な人が様々な考えを持っています。これを諺で 十人十色 と言います。もう少し具体的に言えば、~思想、~の信条、~主義、~という主張です。世界は各の主張の争いです。
科学の世界も同じです。何々理論や究極の理論などというのが幾つもあります。A氏の考えがあり、B氏の考えがあり、C氏もあります。管理人は当サイトで弧理論という名称で考察を続けてきました。既に15年が経過しました。
世間から見たら、素人が考察しているので、数多あまたの主張の一つ、DやEと見られていると思われます。しかし、当サイトで考察していますのは、何故、世界にこれほど多くの主義主張や理論があるのかという仕組みと働きについて考えているのであって、その他、D、E、Fと同じとは考えていません。
閑話休題。
仏教には、如来があります。如来に働きはありません。如来に人格性はなくて、仕組みがあります。曰わく、
- ~の如し、の如し、の如し・・・・
- ~のような、のような、のような・・・・
という、合わせ鏡のような意味合いがあります。具体例を挙げます。
- 善は悪の如し、悪は善の如し
- 実は虚の如し、虚の実の如し
- 真は偽の如し、偽は真の如し
- 神は悪魔の如し、悪魔は神の如し
- ・・・・
問題は、「真なる宗」が無数にあることです。つまり、「我が教団こそ真なる教えを説いている」と主張する宗教、宗派が無数にあります。同じ宗派でも四分五裂して対立しています。これは、如来の仕組みが教える通りであることを意味します。ご存じの通り、これは洋の東西を問いません。
如来は十人十色の仕組みを言い表してる訳です。
管理人が如来をよく取り上げるのは、ここです。つまり、民主主義、新自由主義、社会主義、共産主義なども含めてA氏の意見、B氏の意見、あるいはCという宗教、Dという宗派の賛否ではなくて、如来の仕組みが世の本質を言い表しているからです。ついでながら、フェミニズムからLGBTQ、DEI、悪魔崇拝も同じです。
つまりは、 十人十色 の仕組みはどこから来ているかを考察している訳です。
参考に、これまでの考察の結果を記します。「わかる」には、2種類あることに注意ください。
- ヒトがわかるのは物と事(動き)。
- 物と事は一つの実体の異なる面に過ぎない。(弧理論の核)
- 物と事は互いに規定し合う繰り返し、ループ。
- 物が”わかる“(中今)以降は過去。
- 事がわかる。動きがわかる。
- 「わかった」物と事を母音と子音に割り当てる。これが言葉(繰り返しでネットワーク)。
- すると物と事の意味がわかる。
- そうして物と事の価値がわかる。
- 最後に物と事を意識してわかる。
思想、信条、主義、主張は、言葉によります。それ以前に、物と事は繰り返しであり、ネットワークですから、個々の立場や時期によって、意味や価値、そして意識は反転します。これが世の混乱を招いています。
この世界での議論や主義主張の押しつけに意味はありません。これまでの考察により、このような諍いを続けることによってヒトは心を病むとわかっています。それの極致がエプスタイン事件に象徴されています。
付け加えるのは、自然科学も同じ問題を抱えていることです。理論物理学者は抽象的な妄想の世界にいます。(過去記事を参照ください。)
当サイトで取り上げる資料は、「心の仕組みと働き」を扱っています。これらの資料から 十人十色 が出てきます。「そう言った考えもあるよね。」ではありません。
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