研究の姿勢

研究を始めて、本年末で5年になります。単極誘導モーターの実験は来年2月で2年になります。ン十年前に電磁気学を履修したのは確か週2講義だったと記憶しています。まったく関係のない仕事に就いて以来、ほぼすべて忘れ去りました。当時の計算能力もまったく失いました。今は、電磁気学を”学ぶ”とともに再び”学び直し”ている状態です。

物理学の発達は経済や社会に無縁で純粋に自然への”興味・関心”により発達したと信じるにはナイーブな話しに思えます。 Tom Beaden’s Response to ARPA-E(現在本来のリンク先にあった和訳は切れています) にあるように、1800年代中頃、主にファラデーの研究をまとめた(20の方程式群で表されていた)マクスウェルの原論文は、現在知られている4つのベクトル方程式とは異なります。 ヘビサイドやギブス等が4つの方程式に書き直す過程において、おそらくは当時の研究者たちが大切だと感じていたであろう部分を金融資本家の介入によって削除されたらしい。そうして大学で教えられる電気工学が成立したようです。

上記、トム・ビーデンの手紙によれば、「ヘビサイドはまた、比較的小さな発散性ポインティング成分に加え、あらゆる電池や発電機の端子から放出される巨大な回転性電磁気エネルギーを発見しました。」と、彼が調べた歴史的経緯を述べています。そして、「このヘビサイド回転成分の大きさは、比較的弱いが発散性であるポインティング・エネルギー流成分よりも1兆倍以上も大きい」と言います。

通常、電気磁気の3次元形状は、渦あり(rot)は閉じていて、発散(div)はありません。逆に発散ありは渦なしです。これは双極と単極とに分類されます。 ところが管理人が超効率インバーター「デゴイチ」の第3起電力仮説を考察した「弧電磁気論による第3起電力のエネルギー源についての(考察)」右リンク先から得た結論は、

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渦ありでありながら、発散がある右図のようなレンズ状の力場でした。流れが双極の方向に生じて赤道方向へ湾曲し、無限遠に消失するという変わった形をしているらしいのです。格好良く3Dの図形を描けないので申し訳ないのですけれど。考察の結果、レンズ状の力場は上下に分かれており、上半分か下半分しか現れません。同時には現れません。どちらか一方しか現れないようです。

このような力場がトム・ビーデンがいう「回転性電磁気エネルギー」なのではないかと考えています。まったく非常識であることは理解しています。  で、19世紀中頃、マクスウェルやヘビサイド等、当時の実験・理論研究者たちが感じていたであろう意図的に強制的削除された「回転性電磁気エネルギー」はベクトル表記されたマクスウェル方程式からえられた

clip_image002には含まれていない訳です。

ところで、歴史的に見て不自然な介入が20世紀初頭にも起きているようです。「師ミラー博士vsシャクランド博士:アインシュタインも関与か!?」 有名なマイケルソン・モーレーの実験でエーテルの存在が否定されました。ところが実験と結果は簡単に結論づけられるようなものではなく、七つの科学事件ファイル「科学論争の顛末」には、1881年に最初の実験が行われ、以後、1905年1924年1925年1933年と続けられました。中には1924年「光の速度のズレを観測した」こともあったが、最終的にはどちらともいえなかったというのが実際のようです。 そころが、もう一つの皆既日食による光の観測で「エディントンによる1919年の実験などの支持も集めて、物理学上の論争は終結を向かえた。」ようです。このエディントンによる1919年の実験とは大きな重力を持つ太陽のそばを通る光は曲げられるか観測するというもので本p104から「星はズレて見えるか?」に詳しいです。太陽のそばを通る星を観測する実験は、「1922年から1952年にかけて起こった10回の皆既日食に際して、引き続き行われた。」 そして、「1952年の時点では、太陽の重力によって生ずる星のズレの値に関する決定的なデータはなく」とあります。 結局、複数回に渡るマイケルソン・モーレーの実験でエーテルの存在は不明確であるにもかかわらず、エディントン等による複数回に渡る皆既日食の観測も1919年の恣意的な観測値を選択した実験で一般相対性理論が正しいと結論づけられたことになります。詳しくは本をお読みください。かなり怪しいです。特にエディントンは。

管理人は、光のエーテルが存在するかどうかの歴史的経緯はともかく、電気磁気現象において、エーテルの存在を意識させるのは「ファラデーの単極誘導」だと思います。3次元空間で足場のないところでいったい何が元で力が伝わるのか。「運動とは何が何に対して運動しているのか」という根本的な問題に気づかされるのが単極誘導だと思います。ご承知の通り光は電気磁気の現象が波として伝わっています。おそらく光より電気磁気の現象の方が身近に扱いやすいと思います。

管理人は、冒頭のとおり電磁気学を”知らない”といってよいでしょう。まして、量子力学や素粒子物理学、相対性理論もわかりません。学生の時、入り口を少々眺めた記憶があります。 しかし、式1を鵜呑みにして、実験を行っている訳ではありません。ですから、理解不足からくる変な解釈もあります。誤解もしています。 ファラデーが単極誘導モーターを考案したのは1821年です。単極誘導発電機を作ったのは1832年のことといいます。10年以上のひらきがあるのです。 発電機・モーターが一般的でない時代において、「同一の原理による異なる面」のものだという認識は当時はなかったと思っています。このような発想からでないと管理人が求めている「非対称性」は見つけられないのではないかと思っています。 自分が実験を行っているにもかかわらず、うまく説明さえできていないことがあります。少しずつ理解を深めてい行きたいと思います。

本日、サイトに掲載した「放電を用いた単極誘導モーターについて」の実験で参考にしたA・D・ムーア著:静電気の話から、p234「静電気学の将来」という文章が印象に残ったので引用します。 管理人は、現代の物理学が数学に偏り過ぎていると感じています。意図して捨て去ったものは身近にあると感じています。

「私が静電気の応用の分野に入ってきてもらいたいと思うのは、特に実験家である。理論家も、すべての原理や、いろいろな理論、必要な数学についてよく知っているという点で、たしかに必要である。ただし、物ごとが理論どおりに単純におこるとしてである。しかし静電気で物ごとはそう単純にはおこらない。電界の形は解析できないほど複雑なこともあるし、コロナ現象はきれいな方程式に簡単にあてはまるほど簡単ではない。ここで―――偉大なファラデーのような―――実験家が登場することによって、時間の節約ができるようになる。実験家も、何の見通しもなく実験するわけではない。彼も多くの原理や効果、現象についての知識をもっている。しかしちがう点はやってみることである。彼はファラデーのように天才的であり、ファラデーのように新しい研究方法を考案する。彼はファラデーのように、新しい道具を自分で作り出す。さらにファラデーのように鋭い観察者で、常に期待していることを探しつづけると同時に、期待していないことも見逃すことはない。また、ファラデーのように、いろいろな現象を物理的に理解し、自分のものにしている。ファラデーのように、いろいろな問題について四六時中考えつづけている。ファラデーのようにあきらめることなく、また、ファラデーのように、しばしば他の人が失敗していることを成功させるスリルを味わうことができる。われわれはもっと多くのファラデーを必要としているのである。」

 

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Φ について

2010年より研究しています。
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