村里さんの実験
動画1
において、
最初の実験がとても興味深く、管理人も試してみました。
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動画2 単極誘導モーター(アルミリボンに生じる力)
動画2の実験(2)において、アルミリボンは接点を持たない回路としています。結果、単極誘導モーターの力が接点を持たなくても生じていることがわかります。 これまでの管理人の見解は誤りでした。ここに訂正します。
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実験(1)について、アルミリボンに生じた力によって、アルミリボンがどのように動くかを観察した結果、概ね次の図のようでした。
アルミは固体でありゴムのように延びることはないですから、図の通りでありませんけれど、動きの様子は(1)(2)(3)の順に遅延しているように見えます。 単極誘導モーターに生じる力は、間違いなく磁石からの「距離に逆比例」しますから、強さを矢印で示すと(1)のアイウエのような分布になるはずです。また、アルミリボンは(+)電極についないだワニ口クリップで右方向に引っ張っています。すると動きの「遅延」が
① 力は(ア)(イ)(ウ)(エ)の各位置で「同時」に生じている。ただし、アルミリボンの持つ曲げ弾性により(1)(2)(3)の順に遅延して観察される。
② 力は(ア)で生じるとともに、(ア)の位置の原子または電子を「踏み台:仲介」することによって(イ)に力が生じる。以後(ウ)は(イ)の位置にある原子または電子を「踏み台:仲介」することで、力が生じる。
何が言いたいかというと、図1の(イ)や(ウ)の位置において、反作用はどの部分が受けているかということです。もし①であるならば、アルミリボンの(イ)に生じた力は、直接にネオジム磁石が受けていることになります。 ②であるならば、(イ)の位置で生じる力は、一旦(ア)の位置の原子または電子が反作用として受けて、結果的にネオジム磁石が反作用を受けることになります。
なぜ、②のような考えを持つかというと
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動画3 リング状電極を用いた高電圧放電による単極誘導モーター
の、放電の様子
において、放電の描く左回転の「カーブ」が①によるものか②の理由によるものか判断ができないからです。 放電の結果、リング状のネオジム磁石2個ではさんだ銅円板が反作用を受けて「放電が反時計方向に回転」しています。
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動画4 放電を用いた単極誘導モーターにおける作用と反作用
「力」が生じて、力が「伝わる:伝搬」ということは、どういうことを意味しているのでしょうか。 例えば同種、あるいは異種の物質が「接する」ということが、どういうことなのか管理人にはよくわかりません。
Ⅰ 一般的には、①であると認識されていると理解しています。
Ⅱ 一方では、物理学の骨子が近接作用であるとして組み立てられています。
数学者岡潔が述べたように「五感でわかる」説明をつけるためには、(Ⅰ)と(Ⅱ)には隔たりがあるように感じます。そもそも(Ⅱ)の説明にムリがあるように思えます。 放電の回転による反作用は①なのでしょうか、それとも②によるのでしょうか。そのほかの可能性も含めて、どうなのでしょう?
これまで、銅や水銀、食酢あるいは放電を用いて単極誘導モーターの実験を行ってきました。 銅と水銀、銅と電子など、モノとモノが「接する」ということはどういうことなのでしょう?
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θさん,連絡が遅くなりましたが,放電型単極誘導モーターの放電カーブについて,勝手に考察しましたのでお知らせいたします。
https://www.youtube.com/watch?v=pgHzOyH02T0&list=UUa99n_bM7JgS01UJcW9Yvsg
放電が,回転するのが不思議でしたので調べさせていただきました。
まだ,十分ではないですが。
お疲れ様です。拝見し動画にコメントしました。ありがとうございます。先般より製作を続けてきた実験の準備が整いましたけれど、複数の実験を示すことで理解が容易になることがわかりましたので、2~3の実験を追加します。結果を動画サイトに掲載できるのは更に先になります。これには放電が回転する実験も含まれます。ただいま装置を製作中です。
ひとつの例ですが,1800年代の蒸気機関が全盛の時代に,人々は電磁誘導の存在に聞かされ,電動機の恩恵に計り知れない希望を託すようになりました。当時,逆起電力という概念が無かったため,電動機が回り出すと電流が減少する理由が分かりませんでした。それで,もしかしたら,電動機は幾らでもエネルギーをくみ出すことができるのではと思い込んだのです。大型で重量のある蒸気機関の煤と騒音から解放されるのです。
しかし,しばらくして,電動機には回転数に比例した逆起電力が生じるために,停止しているときよりも電流が減少することが分かりました。負荷をかければ電流は増えることも理解するようになりました。
人々が抱いていた過大な希望は挫折しましたが,それでも,小型軽量で環境に優しいものを手に入れることができ,人生の教訓を得たり,科学技術が発達してきたのも事実です。
θさんが苦労なさりながら地道に実験をしながら研究されている背後の動機が利他的なので,決して無駄ではないと思っております。エネルギー軸の存在やエネルギーの相対性の考えは理にかなっていて,すばらしいと思いました。
もしかしたら,今日も電動機の黎明期のときのような時代に入りつつあるのかもしれません。
> 「新約聖書にでてくるナザレのイエスには、指導者・引率者あるいはイエスを導く保護者的な人は居ませんでしたでしょうか。・・イエスは、単独あるいは弟子たちを率いるだけでなく、彼には誰かが着いていたように思うのですが、」
はい,確かにそうです。
昔,イエスは,「わたしは天から下って来たパンである」と言ったことがありました。(ヨハネ6:33)
パンというのは,イエスの時代より1500年以上前に,古代エジプトから解放されたイスラエル人が,砂漠と荒野を旅しているときに,神は奇跡的な仕方食料であるマナを食に渇望している民に与えられたマナのことで,イエスは例えとしてこれを引き合いに出されましたす。
このイエスの言葉を聞いたユダヤ人はイエスに対してつぶやき始めました。ユダヤ人はイエスを人間の親の息子にすぎないと考え,ナザレの人々のように,「これはヨセフの子のイエスであり,わたしたちはその父も母も知っているではないか。今になって,『わたしは天から下って来た』などと言うのはどうしてか」と異議を唱えました。(ヨハネ6:1,42)
イエスには,ご自分が父べる神の存在がありました。 イエスは生後ヨセフの子として育ちましたが,西暦29年にヨハネからバプテスマを受けた時に,天から声が聞こえました。「あなたはわたしの子,わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した」(ルカ3:22)
この時に,初めて,マリアの胎内に移される以前に,神の傍らで,働いていた時のことを思い出すようになりました。
イエスは水に浸され(バプテスマ)ましたが,同時に,聖霊でバプテスマを受けられたことにより,油注がれた者,つまりメシアまたキリストであることが明らかになりました。
イエスは,常に,独自の考えで行動しているのでは無く,「わたしを遣わした方である父が引き寄せてくださらない限り,だれもわたしのもとに来ることはできません。」と,人々に教えられました。ご自分の父かが語られた通りに,人々を教え,導かれた点で,「天からの真のパン」と言えるのです。
熊谷様 興味深いお話をありがとうございます。
>「もしかしたら,今日も電動機の黎明期のときのような時代に入りつつあるのかもしれません。」 確かにそのように思います。ヒッグス粒子は精緻な数学上の産物であると同時に、確かにそれに該当する素粒子は存在するでしょうけれど、数学者岡潔がいう「最後は五感でわかる必要がある」に至りません。何かが違うのです。
岡潔のいうように「時間」が問題であることは、間違いないと感じています。自然科学の「時間・空間」をやめて「エネルギー・空間」の考えで進めるべきと考えています。すると時間[T]を含むニュートン力学の速度、加速度や運動量・運動エネルギーの扱いも一旦リセットするべきだとなります。19世紀以前に戻るということです。過去に計測して得た「時間:”過去”の性質の一部」を元にストップウオッチを作り、観測者の手元のストップウオッチで素粒子の測定を行っています。「観測者の系(ストップウオッチ)」から「加速器内の光の速さで運動する素粒子」を計測することは奇妙なことです。自然科学者は「運動は時間に比例して起こると勝手に決めてかかって、そういう時間が存在すると勝手に思っている」訳でして、観測者から見て光の速さで運動する粒子を計測してもダメです。何故なら彼らは「運動は時間から求め、時間から運動を求めて」おり、本質的に「時間」を決定していないからです。どう考えても時間は「相対的」です。運動が相対的だからです。例え相対論的補正を行っているとしても意味はありません。相対論が誤りであるという議論の本質も「時間」だからです。
考察の結果、光の速さを閾値として、観測者から見て光の速さの80%以上で運動する物体のエネルギー[ML^2T^(-2)]を計測することは誤差が大きすぎて使えないと結論しました。光の速さに近い運動をする物体(遠くの天体や素粒子)において、自然科学は使えないということです。電磁気学は物理学の一分野ですけれど、おそらく宇宙のすべては拡張された電磁気現象だとの印象を持っています。
わかりやすく丁寧なご説明ありがとうございます。時代の精神にはイエスは架空の人物であるかもとの主張があります。該当する人物が居たとは思いますが、超古代からの神話にある星座の変化をなぞる形で出現したとの主張は理解できます。つまり、人類の発達に必要な時代に、必要な人物が出現した訳です。しかしながら、当該人物の能力も必要ですけれど、単独でなしたこととは思えません。イエスの来歴をよく存じませんけれど、確か大工の息子で活動したのは30歳代の3~4年間だったと記憶しています。するとイエスが何処でどのように学び、いつどこでどのように活動するかを決めたのかわかりません。私は数人によるプロジェクトチームが組まれ全体の流れを調整していたのではないかと考えてきました。表立つ活動はイエスのみで「いつ何処で何をどのように」活動するかをチームで支援したのではないかと思っています。そのような具体的な資料があればご教示いただけるとありがたいです。
θさん,ここでは,12月6日のイエスに関してのご質問に対する返信です。
まず,基本的なこととして下記の点をお伝えいたします。
1.イエスが実在したことは間違い有りません。
2.イエスに関する様々な著書がありますが,その多くは諸教会の影響を受けていたり,哲学者の意向が反映されています。イエスの生涯について本当のことを知るには聖書そのものに耳を傾ける必要があります。
3.イエスほど歴史的に影響を与えた人はいませんでした。
4.イエスは神ではありません。
これらのことについては,下記のURLをクリックして,「イエス」の項目からお調べになることができます。
http://www.jw.org/ja/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88/%E8%B3%AA%E5%95%8F/
これらを含め,聖書に関するすべての情報は下記のURLから得られます。もし,θさんがお望みであれば,他の関連情報も自由に調査できますので。
JW.ORG で検索できます。
熊谷様 ご紹介いただいたサイトは平易に書かれていて読みやすいです。ご親切を感謝します。疑問の点はなかなか解消しそうにないですけれど、随時丁寧に読んでみたいと思います。
θさんの謙虚な姿勢に感動するとともに,古代に中東の地にいたヨブのことを思い出します。
ヨブは大変恵まれた家族と富を有していましたが,悪魔サタンの攻撃に遭い,すべての財と子供たちを失い,その上,潰瘍だらけになり,自分の健康まで失いました。
ヨブは苦境をもたらしたのが神からだと思い込んでいましたが,神を呪ったり,神を捨てたりしませんでした。そのような中で,ヨブが語った言葉の一つです。
『 神は北をむなしい所の上に張り伸ばし,地を無の上に掛けておられる。・・見よ,これらは神の道の外縁。何とかすかなささやき事が神について聞かされたのだろう。』ヨブ記26章7,14節。
人間はこれまで徹底的な研究を行なってきました。しかし,神の定めた法則にしたがって生じる,数多くの現象を十分把握するに至っていません。人間は最近になって宇宙から地球の映像を見ることができるようになりました。しかし,地球がどうなっているのかさえ,余り良く知っていません。わたしたちが,電磁現象を研究して把握できるのは,ほんの「神の道の外縁」をかすめるほどの事柄なのでしょう。
神の理解力と知恵を考慮したヨブは,創造者と自分との正しい関係を識別し,自分自身の理解の乏しさを謙虚に認めました。θさんの研究をきっかけに,わたくしも,そのような姿勢を大切にしてゆきたいと思います。
熊谷様 いつもありがとうございます。管理人は極めて俗物で打たれ弱いです。けれどもG・アダムスキーやダニエル・フライが示した情報を元に研究を進めますと、自分が何も知らないということは、はっきり認識できます。
電磁気学では陽子の電荷Q1と電子の電荷Q2は|Q1|=|Q2|かつQ1=-Q2とのみ定義されています。陽子と電子の質量が約1800倍も異なるのに。 陽子・中性子と電子の組み合わせ、つまり化学的な現象はもっと範囲が広いはずだと感じています。オオマサガスもHHOも常温核融合も、常識的にはただの電気分解にすぎません。G・アダムスキーのネガフィルムにある紡錘図形の解釈が弧理論(Ark Theory)です。それによれば紡錘図形は原子模型であって、|Q1|=|Q2|かつQ1=-Q2として認識される以外の現象が存在するはずと理解しています。(およそ古典電磁気学の6~8倍以上ありそうです。)それの典型的な現象が単極誘導だと理解しています。(古典で磁気学をはみ出しているという意味) 例えば 「解析実験」 の実験6では、メッキ線が弾かれる強さは磁石の磁力線の密度に比例するとともに、磁石の質量に比例します。「何かが違う」と強く感じていますし、調べてみるとトム・ベアデンの「手紙」にも百ン十年前に電磁気学は意図して歪められたことがわかったと記されています。ですから、学校で学ぶ電磁気学をちょと脇に置いて実験を進めています。現在のところ、単極誘導における力学的「作用・反作用」について調べています。何故なら地球の自転とジェット気流の関係がまったく理解できないからです。G・アダムスキーは「地球や惑星について学ぶべき」と述べています。
明らかに意図して「幾つかの問題」を避けてきていると考えています。その原因が「お金:通貨」であることは明白です。私たちが持つ「戦争の動機」は明らかに「お金:通貨」制度に依っていることは誰もが認識しているでしょう。ですから、「単なる数学上の概念であって、地球上で唯一『無限大を許容』されている(お金:通貨)を「ちゃら」にできる」具体的な方法が弧理論の原子模型にあると確信しているのです。結論として、戦争の動機をなくすことを目標としています。
これまでの考察で、自然科学で想定している「時間」は存在せず、存在するのは3次元物理空間(M軸)とM軸に直交するエネルギー軸(E軸)だけです。運動と同じくエネルギーも時間も”相対的”なものであるようです。運動が相対的であることは誰も否定しないのにエネルギーが相対的であるとは、どうして誰も言わないのか不思議です。相対的であれば「孤立系では保存する」し同時に「開放系では保存しない」が両立します。数学者岡潔が「自然科学の問題点は『時間』である」という主旨を述べています。 手段や方法に不具合(勉強不足や誤解)があっても気づけば修正しつつ目的を達し得ると考えています。正直、実験は好きではありませんけれど、少しずつ進めています。
ところで、聖書について熊谷様にお尋ねしたいことがあります。新約聖書にでてくるナザレのイエスには、指導者・引率者あるいはイエスを導く保護者的な人は居ませんでしたでしょうか。何と表現したらよいかわかりませんけれど、イエスは、単独あるいは弟子たちを率いるだけでなく、彼には誰かが着いていたように思うのですが、ご存知でしたらご教示いただけるとありがたいです。