人とは何かを考えるとき、「心」について考えるに等しいわけですが、以前から気になっていた「目」について記します。
研究対象である
の紡錘図形や
の足跡について考察する過程において、どうしても
の目や
の目が気になります。 写真2や図2から受ける印象は、どちらかというと薄気味悪いのですけれど、どうも原因の一端が
米ドル札に描かれているプロメテウスの目にあるようにも思います。
そもそも動物にとって目は
や
の様に、心理的な圧迫感があり避けたくなるような要因があるようです。
そういえばweb検索で利用するwikipepediaにおいて、時折トップに掲載される「寄付してね」のバナーがかつて
の様でした。 写真5はかなりの圧迫感があった記憶がありました。当時、ネットでもそれなりに噂になったようです。 一度だけ寄付したことがありまして、最近メールにて「寄付してね」が来ています。
臓器としての目は、カメラであり、受光器に過ぎません。何故、「眼力」があるのか不思議です。
この点、G・アダムスキーによると「万物を見るときに、それはすべて自分自身だ」とのことです。 受光器に過ぎない目が見るものすべてが自分自身だというならば、目は自身を映し出す鏡だということになります。だからこそ、受光器である目が心を表しうるのかも知れません。
図2は金星のシンボルマークだそうで、内部の目は人体を生かす宇宙の意識(魂、叡知、生命力)をあらわしているとのことです。ですから、シンボルとしての「目」には、善悪を超越したもっと深い意味が込められているのかも知れません。(だからといって偶像を認める気にはなりませんが。)
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KODENJIKI氏は幅広い知識をお持ちですね、文学書・哲学書を良く読まれると推測します。私は、人の行動を観察して心を考えています、私の考えでは、心は全てです、目の動き、顔の表情、文書、行動、言葉、考え等人間が意識しているもの全てです。
だから、弧電磁論も心です、もし私がこの理論に反論すれば、心が働きそれに応戦すべく文書が書かれると思います、だから人の心を理解しようとしたらその人が生きた時間必要ですので不可能です、人が人を理解出来るのは、ほんの一部と思います。
そこで、私は、知の欲望の心ののみのロボットを考えています、その心により自然を観察して理解して、より正しい法則を形成するものです。
ありがとうございます。実際の所ほぼ社会不適合者です。読書量は少ないですけれど、考えること自体が好きであることは間違いありません。過去にも書きましたけれど、どこか居心地が悪く、生きにくいと感じてきました。長年自分に原因があると思い込んできましたけれど、そうではないかも知れないと最近は思います。
>知の欲望の心ののみのロボットを考えています
当方には理解を越えています。研究の成果があがることを期待します。
関連することで、次の言葉が気に入っています。「私は神様の道具になりたい。」というものです。自己を深く考えるとき、自己の意志はどこから来ているのかに突き当たります。きっと人にはロボットのような面があるのだろうという気がします。ロボットという表現は適切ではないでしょうけれど、小さな小さな声に従い生きていく。ならば小さな声に従い正直に生きて行ければ、よりよい結果が得られるのだろうと考えています。