聖書に関して調べていたところ、尾崎文美氏のつれづればなというサイトに、1981年トルコ東部のある村で発見されたというバルナバスの福音書について記されています。
発見された福音書の真偽を含めて興味深いですけれど、以下に一部引用します。
「三位一体」の構造をなぜ一神教が許さないか、それは正しい説明が広くなされていないのでここに記しておく。
「神」とは「在りて在るもの」である。その存在の原因は存在せず、その存在は何者にも依存しない。誰からも生まれず、そして誰も生まない。そして人の姿はおろかどのような姿をも持ち合わせない「みえぬ存在」、つまり「非物質」である。肉体を持ったイエスを神の子とするのはイエスを媒体として神を物質化することである。物質化された神と神格化されたイエスは「同質」となり人々は目に見えるイエスを直接「神」として見てしまう、ここですでにキリスト教が創造主をおいてほかに神はなしとする一神教の原則から外れたことになる。ユダヤ教、原初キリスト教、後のイスラ―ムにおいても預言者(アダム、ノア、アブラハム、モーゼ、ダヴィデ、イエス、ムハンマド、そのほか大勢)は神の言葉を託されただけであり神そのもの、或いは同質などとはされていない。また、神像やイコンのみならず偶像とはあらゆる物質がそれになり得るのである。肉体とてその内に入る。人の子が何物かに価値を置き固執し、そのために自己や他人を、社会を、国家を犠牲にささげることこそが偶像崇拝である。そして現代、最も身近な偶像は貨幣である。
現代において、最も身近な偶像はお金:貨幣であると述べています。 驚きました。なぜ今まで気付かなかったのでしょうか。 まさに目から鱗が落ちる思いでした。 お金は偶像。 知らなかったのは、私だけ?実に面白いです。
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ポイントカードも同じで、今や「ポイント還元」に疑問を持つ人はいないです。一体何がどこに還元するというのか。それなら初めから安くすれば良いと常に思います。商売の理屈ではリピーターになってくれるのは嬉しいでしょう。ところが、ポイントというシステムは買う側どころか売る側の価値観も変えてしまう。自分に本当に必要なものがわからなくなり、本物を見る目が無くなっていく。本来お金とは物々交換の為の道具だったと思われますが、その付加価値を増やす毎に元の意味を失い続ける構造がある。自己崩壊の運命がある道具に乗せて、我々は何を支払っているのか。
以前、地域通貨を調べました。全国にかなりの数がありますね。お金は偶像に過ぎませんけれど、消滅する(減価、、滅失、流転・流失)という性質は、案外物事の本質的なものを含んでいるのかも知れません。
ただ抽象化の行き着く先は自己崩壊のようです。現代において「抽象化という行為は高等で優れている」という刷り込みがなされているように感じます。抽象化の隙間に金融工学というインチキを潜り込ませます。結果、物的価値をお金という偶像とすり替えてかすめ取られるのです。
逆に生物はものすごく即物的な処理体系を持っているようです。確か知能の身体性とかいったと記憶しています。人工的に知能を作ろうとすると身体が必要だという研究だったはずです。一時もてはやされたAI(artificial intelligence)の失敗の原因は知能の身体性でした。知識の貯蔵とネットワーク化だけでは知能は作れないと気付くのに何年もかかっています。できたのはファジーコンピュータとエキスパートシステムくらいです。辞書を何度ひいても本質にたどり着けません。
その点はアダムスキーのテレパシーに似ています。恐らく五感としての感覚器官がなくなると、自己の本質である触覚(feel)も停止するのではないかという考察とよく似ています。
偶像に関して、別途記事にします。
ちょっと抽象化の意味が違うと思います。
システムレベルエンジニアとして説明すると、抽象化とは規模が大きいモノを扱う時の手法であり、下位の詳細を隠して、全体の連携動作などに注目するべく構造を段階的に扱う技法です。岡潔関連でいう層の扱いです。集合間を考える場合は、そこに関係する特徴さえあれば良く、各集合内の全詳細は不要です。うまい設計とは、抽象化により全体が簡単に理解でき、さらに階層間の矛盾無く、上から下まで統一した思想で構成されたモノものです。
>人工的に知能を作ろうとすると身体が必要
>知識の貯蔵とネットワーク化だけでは知能は作れない
攻殻機動隊という漫画・アニメがありまして。ちょっと私の主観混じり説明ですが、近未来のいわゆるサイボーグ化やネットワーク社会での人間を描いたものです。この漫画に、人間や人工知能の死は外界とのI/O途絶による「意味消失」により脳(思考や感情増幅器)の論理圧縮が行われて消えていく、という描写があります。論理圧縮とは論理学のカルノー図に代表される、多入力・多出力をなるべく簡単に論理式化する方法です。90年代の漫画ですが、とてもよく未来予測できており、また、テレパシーや生命の本質を突いていると思います。生きている=外界との信号送受信が必須、なんです。
確かに。ご指摘ありがとうございます。
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画像にあるのが何なのかということですね。アップリケ4つ・リンゴ4つ・赤2つミドリ2つ?毛糸の編み物? 昔、北海道出身の方の知人のおばあさんがウタリでして、教育を受けられなくて、数は指の数5つまでくらいしか理解できなかったそうです。言いたいのは10次元という高度な理論は五感でわかる現物と繋がらないのではないか?本当はもっと簡単なものだという直観です。抽象化の階層がより高ければより真理に近いというのはちょっと違うように感じます。
>この漫画に、人間や人工知能の死は外界とのI/O途絶による「意味消失」により脳(思考や感情増幅器)の論理圧縮が行われて消えていく、という描写があります。
なるほど、同じようなことを考える方はいるのですね。昔アメリカのTV番組トワイライトゾーンで「人の脳だけを生命維持装置で生かす」という設定で物語が進むというのを記憶しており、アダムスキーのテレパシーによる想念観察と比較して、「五感がなくなると触覚(feel)も停止する」という発想をしました。
>抽象化の階層がより高ければより真理に近いというのはちょっと違う
私も宇宙がそんな下手な設計だとは思えません。高度の意味が何か違っているはずです。多変量を日常で扱う人にとって、10程度の変数で宇宙が表せないことは肌で知っています。だから10次元理論などは身体的フィードバックを感じず、直感にヒットしません。それは宇宙の一部でしかない。全てがそうだとは思いませんが、科学界が科学者のためのクラブになってしまっている部分があるのでしょう。一般人が難解なことを崇高なものとして有り難がるから。
「目に映る全てのことはメッセージ」という歌詞にあるように、力の顕れそのものを見るようになるでしょう(か)。本物はある意味で簡単すぎて受け入れ難く、人々は真実を求めていないと思うことがあります。
ここのインタビュー内容にも求めない傾向を感じます。 https://www.youtube.com/watch?v=arKlj3pJQnc 縦横高さ+時間+何か、という発想自体に元から限界があるのではないでしょうか。
ここのところ、弧理論とまったく関係ないことを調べています。我々を取り巻く生活の全てに一定のバイアスがかかっていると感じるからです。それが何なのか、どの方向へ向かっているのか、どうすれば修正できるのかを考え続けています。フリーエネルギーは些細なことです。そのような装置や技術はつぶされ続けてきたのはそのためです。与えられた弧理論というヒントが日の目を見るためには、どうしても必要なことなのです。
>10程度の変数で宇宙が表せないことは肌で知っています。
20の変数を持つマクスウェルの原方程式は、ベクトル形式に表される際に相当省略されたことを思い出します。紡錘図形がどれほど圧縮されてできているかを考えると、簡単に次元軸を上げることに同意できません。
>本物はある意味で簡単すぎて受け入れ難く、人々は真実を求めていない
時間とお金と時間を含まないエネルギーと運動P_という、最も身近な部分で誤魔化しがあると気付くことは大切なことです。多くの犠牲の上に成り立つ現在の仮初めの安住を失いたくないから、真実に気付かない振りをしているとしか思えません。より不幸な人を見下げて溜飲を下げているだけです。記事にもあるように、本当の安定を求めて行動することは苦しいことです。
>縦横高さ+時間+何か、という発想自体に元から限界があるのではないでしょうか。
理由はわかりませんが、3次元軸自体は認めています。どうでしょう。3次元を否定される方はあるのでしょうか。時間が問題だという岡潔の言葉を信じています。同様の直観によりミヒャエル・エンデはモモを書いたのでしょうから。
>理由はわかりませんが、3次元軸自体は認めています。どうでしょう。3次元を否定される方はあるのでしょうか。
そう言われると3次元空間を、いつ・どのように認識したのか自覚がありません。
こちらのサブタイトル通り、弧理論は物性や運動の捉え方だと受け取っています。それはそれとして。
巷の”3次元空間+時間”は形骸的に感じます。縦・横・高さとは何なのかもわからずに、宇宙は何次元である、それが全てである、と広まっているのではないか。それはミスリードではないのか、と。
こういったことが肯定も否定もできないのは、私が無理解・無知・無能であるためと思います。安易な肯定ができなくなりました。この宇宙に対して正直でありたいか、それともこの感覚を無視するかです。
誰しも「知りたい」という根源的欲求に従っています。これに世情の諸々が加わることで話がややこしくなっているというのが本当のところだと感じます。ここのところの記事には「安きに流れると悪に染まる」と書いています。日本教によれば、本当のことを言うと嫌われます。本当のことを行うのは苦労します。
akio6o6.hateblo.jp/entry/2013/04/25/094043
今ではどちらの意味もありますね。
なるほど、ありがとうございます。すべては「在る」ようです。
中学二年の子供がこう言いました。「この世にお金が無ければね」、何故かと問うと「お金が無くなれば、世界から苦しみが無くなる」って言うんです。何処かの掲示板にも書きました。技術が発展すれば、物は壊れ難くなる。物が隅々まで行き渡れば、生産するのは受注されたときのみ。資本主義の崩壊ですよ。なぜ核心的技術は葬られるか、この辺だと思います。一部の特権階級からすれば技術革新など無用なのです。何度も黙殺され技術発展は20年、30年と遅れているのです。
フリーエネルギー装置が出来れば最悪だという意見があります。人は変化を嫌います。人は誰もお金を無視して生きていけません。結果、現状に不満ながら現状を維持しています。恐らく生半可な変化では現状を変えることはできないでしょう。私の目的はフリーエネルギーでもUFO宇宙人でもありません。ましてや空中携挙などではありません。これまでの考察で一部の特権階級は、むしろ数字の犠牲者だと感じています。